はてなキーワード: 偽史とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/akisumitomo/status/1579832232101179392
住友氏の「そんな伝統はない。江戸時代はこうだった」という論破テクニックは、あまりにも伝統の消去能力が高すぎると思うんだ。
ブコメは相変わらず「愛国保守の言う伝統って明治以降のやつなんだよな」と揶揄して終わりだが、では明治以降の文化を
まぁ明治維新で西洋文化が入ってきたので、それ以降は日本の伝統ではない、というならそれでもいい(この論者多し)
しかしその場合、推古の時代に遣隋使で大陸の文化が入ってきた事をどう考えるんだ?
西暦600年以降の文化はすべて伝統ではない、ということでいいのか?
マルチ商法もそうだけど、理屈や方法を個別に見ていくと「普通の商売と同じ」なんだよ。ハッキリ言って、旧来の宗教とカルトに個別の部分で大した違いはない。例えば、普通のキリスト教会の牧師相手に論破してやろうとねじ込みにいっても「カルトと同じぐらい見事な対話スキル」で対処される。(戦国時代の宣教師が日本の僧侶にあっさり論破されて~なんて偽史みたいなことはない)
マルチ商法やカルトの何が違うのかといえば、「度を過ぎている」こと、「度を過ぎてもいい、ガンガン行け」「それで相手をぶっ壊してもいい」ということまで教義や理論に入ってること。
こう書くと「度を過ぎてるって、あなたの基準でしょ」という反論が返ってくる。その通りで、こちらは新しいことを覚えたくない、今までの社会や価値観が維持されるほうがめんどくさくない。友達や親が、しらない単語でしか喋らなくて自分が宗教用語を勉強するとか嫌だし、金の使い道を指図されるのも嫌だし、自分の貯蓄がいつの間にか親兄弟に使い込まれるのも嫌だし、その使い方が正しいとか説教されるのは最悪だ。
それと何より嫌なのが、旧統一にしてもその他のカルトにしても、別に大学の勧誘に限らず、ただ生活してるだけでもそこらじゅうで出くわすこと。近所のお祭りでビール飲んでいい気分になってもオバサンが声かけてくるし、仕入れ先の営業が「うちの社長がこういう活動に参加してるんですよ」と勉強会のお誘いをしてくるし、得意先の新年会で働き方や経営の理念を語る講師の演説を聞かされるし、親は自民の先生の朝食会なんぞでその手の団体の紛れてるのと名刺交換して「お付き合いだから」と話を聞きに行っちゃうし、本は勝手に送られてくるし、電話はかかってくるし、いい加減にしろよセンセイとお付き合いするにも距離感があるだろクソ親父
元増田だけど色んな人が意見を出してくれていて少々驚いた。
結構気軽なつもりでやった投稿なのだけれど、ココまで皆さんがリアクションしてくれているのならば私も本気を出さなければ失礼だろう。
ちなみになぜ私が街中の広告の写真を取っているのか?という点についてだけれど私は物書きなので流行っている作品の調査・備忘録のつもりで広告などの写真を撮っていて、本屋でもPOPや平積みしてある作品をよく撮る。
だから物書きとして本気を出そう。本気で熱を入れて書くため文体が変わることをご了承いただきたい
気付いてるかな?たわわもアウトならば女性向け広告の規制基準はたわわレベルになるのよ。
それがどういうことか考えたことある?
それはつまりオタク女性が男性へ対してエロスを感じる表現の一切合財がアウトになるってことなの。
例えば首筋、手、目、胸板、背中、微笑etc...これらすべてが女性向けに描かれたらアウトなのよ。
「そんなことはないでしょ!」って思うじゃない?いいえ、そんなことはあるわ。
何故ならたわわや以前に問題となった作品にも明確な基準がなく非難された結果として炎上したからよ。
そのジャンルを嗜好する私たちの基準で評価されるのではなく、ジャンルをよく知りもしない誰かよくわからない人たちの基準で、しかもその基準が示されることなく規制されるの。
私たちがその不明瞭な基準で規制することへ対して文句を言えば「とぼけるな」とか「理解する気がない」と言われてしまうのよ。
フェミニストはよく一般女性を名乗るわ。
一般女性が男性向けジャンルのココが良くないとして指摘しているのだけれど、同じように謎の一般男性が私たちが嗜好するジャンルへよく知りもしないでココが良くないと指摘してくるのよ。
規制してくるのはエロいオタク男なんかじゃなく謎の一般男性なの。
これらの意味をよく考えたほうが良いわ。
最近の子たちは知らないだろうから私の世代の経験として共有するわ。
実は私たち既に抑圧を経験しているのよ。
宮崎勤事件によるオタク抑圧の時代のことと思うでしょう?
違うわ。あの事件によって抑圧されたのは主にオタク男性よ。あの事件に限ればオタク男性の抑圧に比べるとオタク女性が受けた抑圧は微々たるものだったのよ。
多くのオタク女性が受けた抑圧はパソコン通信終期(2000年前後)から20010年に入るか入らないかまでの10年間、いわゆるオタク女性による同人サイトブームがあった時期にオタク女性たちは抑圧されていたの。
何故オタク女性たちが抑圧されていたのか?と言えば、それは今で言うところの「学級会」の発生がこの時期に集中したからなの。
学級会がなぜ発生したのか?と言えば、別にジャンル同士の抗争でも、掛け算の順番に関する論戦でもないわ。
当時のオタク女性(というよりもパソコンの初心者女性)は電子掲示板のトピックやスレッドという概念、そういうものに関する前提のルールというのを理解してないことがあまりにも多かったのよ。
どういうことかと言えば、特定のトピックやスレッドで話題が固定されていることに慣れていなかったのよね。
今では信じられないかも知れないけれど、つまり例えば「幽遊白書を語るスレ」で「幽遊白書以外のことをメインとして語ってしまう」という事が頻発していたの。
オタク男性も他作品と幽遊白書を比較することはあったわ。でもそれは幽遊白書を主軸として比較しているだけであって幽遊白書以外のことを語っていたわけでないの。
冨樫先生と鳥山先生の比較することはあっても鳥山先生のことばかり語るのは変よね?それをやってしまっていたのよ。
これはもう一般的な女子トークのせいよね。
同性の私でも話題がアッチコッチに飛ぶなと感じることがあるほどに女の話は飛ぶわ。いやそれはそれで楽しいから良いのだけれど男の人は嫌がるのよね話題がコロコロ変わるの。
それで薄々勘付いている人が居るだろうけど、その話題が変わった先がBLだったらどう感じる?
しかもNIFTY-Serveや2ちゃんねるでそのジャンルのメインのトピックや本スレッドで行われたとしたらどうなるかは想像付くわよね?
そう、他の人から注意されるのよ。
でも1人に注意したからと言って慣れてない子たちはまだまだいっぱい居るわ。新規に参加するたび今ではやっちゃいけないとタブー視されていることをやってしまう子が大勢居たのよ。
もちろんパソコンや電子掲示板へ慣れている歴の長いオタク女性たちも居て、慣れていない若いオタク女性たちをどうにかしないといけないという動きが自然と発生したの。それが今で言う「学級会」の元なの。
今でも2ちゃんねる(5ちゃんねる)のジャンル別のオリキャラスレやBL板などには本スレへ投下するなという注意書きが残っているのもあるけれど、なぜそういう記載があるのか?と言えば、やらかしてしまう子がいっぱい居たからなのよ。この辺りはオタク女性の黒歴史ね。
じゃあオタク女性向けのそういうトピックやスレを作ったら良いじゃないと思うでしょ?
それが可能になったのは2ちゃんねる以降なのよ。2ちゃんねるでも限定的であったと言えるわね。
例えばNIFTY-Serveではコミュニティ単位がフォーラムという枠組みになっているのだけれど、このフォーラム設立はニフティの許可制なのよ。
2ちゃんねるでも例えばスレッドを自由に立てられてもBL板は2ちゃんねる管理者じゃないと設置できないでしょ?NIFTY-Serveも似たようなものだったの。
私たちの嗜好するジャンルを会話する場がネットワーク上へ最初から用意されていなくて、どこで話しても2ちゃんねるでいうところの板違いスレ違いにならざる得なかったわけよ。
もちろん時間経過とともに需要が認知されて場が作られていくのだけれど、作られるまではタイムラグがある。
そこで私たちは同人サイトを作成し自分のものだから同人サイトで好き勝手にやることを覚えたのよ。
でもね問題は、この同人サイトでやることをパソコンや電子掲示板へ慣れているオタク女性たちが一時期であれパソコンや電子掲示板へ慣れてない若いオタク女性たちへ半ば強制した時期があったの。本スレでやらないで自分のホームページでやれとね。
同人サイトの多くは当時インターネットプロバイダーのホームページスペースで設置されることが多かったのだけれど、そもそもホームページを作る知識を学んだりやホームページを自分のものとして所有できる権限が若いオタク女性たちにあったのか?と言えば難しかったわ。
プロバイダーのホームページスペース以外にもロリポとかレンタルサーバーはあったけど同人サイト設置を誰でも可能になるのはいわゆるガラケーの勝手サイトやレンタルホームページの登場を待つことになるの。
パソコンや電子掲示板に慣れているオタク女性は同人サイト設置を強制してくるけど若いオタク女性にはそれが無理。
しかもそれぞれが同人サイトを個々に設置するわけだから情報が分散したり、更に言えば趣味嗜好の対立なども起きたわ。
なぜ同人サイトで鍵が設置されるようになったのか?と言えばオタク男性による突撃なんて偽史を語る人も居るけど、実際はそんなの少数で趣味嗜好の対立を防ぐためが主な理由だったのよ。
何なら当時を振り返るとオタク女性の一部は「男性のふりをしていた」と語る人が居るけれど、性別を偽装できるのならばなぜオタク〝男性〟の突撃としているのかは謎だわ。もう一度言うけどオタク女性による趣味嗜好の対立があったのは確かよ。
正史は「性別はわからないが突撃があったから鍵をかけた」だわ。
ガラケーレンタルホームページの時代へ入るとむしろ同人サイトはオタク女性の嗜みくらいの地位へ登り詰めるのだけれど、同人サイトのスタートはオタク女性同士の抑圧からよ。
コミケでも「同人サイトやらないの?」みたいな話は定番だったわね。
これは認めざる得ないわよ。
どう考えても涼宮ハルヒの憂鬱ブーム前後でオタクの風当たりが変わり、ハピマテをCDTVへ載せるなんてのもオタク男性が主体だったし、ニコニコ動画も引っ張ってたのはオタク男性のジャンルだったわ。
その後に続いていったのがオタク女性だったじゃない。
じゃあ今の時代に表現の自由を守ろうと声を上げている漫画家は誰?赤松先生よ!?また男性なの???
その今の時代に私たち女性は一体何をしているの?日経新聞に月曜日のたわわの広告が載ってけしからん?また女性同士で抑圧し合おうっていうの???
まるで私たちは悪役令嬢よ。
横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけて追放されて、戻れたと思ったらまた横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけようとしてる。
このまま行けば趣味語りのTwitterアカウントへみんな鍵かけることになるの理解していないのかしら?
もちろんTwitterの投稿へいちいち注意してくるのオタク男性じゃなくて風紀を守る自称一般女性よ?
知ってる?今の時代の流行りはね、ヒロインと悪役令嬢が手を組むのよ。
また規制抑圧という魔王が復活しようとしてるの。
前回は悪役令嬢が取り込まれてしまったけど今回は違う結末を迎えたいじゃない。
ヒロインと悪役令嬢が手を組めば最強。男なんて引き立て役にすぎないわ。
日本のサブカル史には魔王からオタク開放の立役者としてオタク男性が主体だったと刻まれているわ。
今回の魔王からオタク開放の立役者はオタク女性と日本のサブカル史へ刻もうじゃない。
ヒロインと悪役令嬢のお嬢様方、清く正しく美しく、華やかに可愛らしく強いオタク女性が表現の自由を守ったと10年20年後に振り返ってもらえるよう、私とともに征きましょう(高笑い)。
なんかブコメがいっぱいついてるけど、この記述はいただけませんね…。これはほとんど偽史・歴史改竄の類ですよ。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210710124113
そもそもvaporwave〜future funkで参照される日本のシティポップ楽曲の代表(たとえば『Plastic Love』、山下達郎『甘く危険な香り』『Sparkle』、杏里『Remember Summer Days』など)とオタク文化との接点の薄さを考えれば、元増田の主張の信憑性が乏しいことはすぐわかると思います。
まずシティポップの再評価についてです。日本のシティポップは、海外の一部AOR好事家には20世紀から注目されていました。特に山下達郎・吉田美奈子・竹内まりや・角松敏生-杏里ほかは、リズムセクションの黒さがエアプレイ向きな上に、和物ならではの楽曲の構築感(複雑な進行)に独特のエキゾチシズムがあって、2000年頃からJ boogieとかJ rare grooveって名前がついて評価されるようになりました。これはvaporwave云々の流れとは別の話です。日本のGS(グループサウンズ)にも昔からマニアがいて、海外では結構高値で取引されてるけど、それと同じような現象ですね。
次に、そもそもvaporwaveとは何なのか、ですが。以下の記事にあるこの要約は、端的だけどとてもわかりやすいと思います。
存在しない夢想のバブル時代、1980年代ネタをとにかくサンプリングとカットアップや回転数を落として、ありえない1980年代を表現した音楽ジャンル
https://note.com/myumafkd/n/nab12db7e40ca
この「存在しない夢想の」とか「ありえない1980年代」とかって感覚は、vaporwave系をリアルタイムで聞いてた人以外にはなかなか伝わらなくていつもモヤモヤするんだけど、vaporwaveは決して「埋もれてしまった良質な音楽を取り上げて、もう一度光を当てました」みたいな単純な再評価のムーブメントではなかったんです。あえて言うなら、皮肉っぽさ、諧謔性、メタ性、対象を突き放しながら愛でる感じ、などがvaporwaveの肝でした。たとえば東芝EMIやEmotionのビデオのオープニングロゴもSparkleの輝かしいイントロも2010年代には壮大な冗談にしかならないけど、でもこの時代錯誤感がいいんだよね…というような複雑な味わい方ですね。
そういう捻りを加えたミックスが、redditや4chanのマニアックな裏路地で、人知れず生産され、密かに鑑賞されていたわけです。この頃は、そもそも著作権関係が真っ黒だったので、vaporwaveは決してメジャーシーンには出られないだろうと思っているリスナーが多かったと思います。そういうアングラなムーブメントが、一部がFuture Funkに移行したり、アーティストとしてオリジナル曲を出すようになったりして毒気が抜けていくのと歩調を揃えて、徐々にオーバーグラウンド文化になっていったんですけど。
で、vaporwaveとその後継たるfuture funkでシティポップがよく取り上げられてたのは、シティポップがvaporwaveのレトロフューチャー的な世界観とリンクしてたからなんですね。だから、単にサンプリングするだけじゃなくて、何らかの形で批評的・破壊的な引用をされていた。具体的には、リヴァーブをガンガンかけたり、コンプをかけたり、ノイズを入れたり、回転数を引き延ばしたりして、その喪失性や虚飾性が際立つような音響処理がされてました。エキゾチシズムと回顧と皮肉こそがvaporwaveの真骨頂で、そこにぴたりとはまるパーツがシティポップだったんです。だからvaporwave=シティポップ再評価みたいな雑な認識を読むと「結局日本スゴイかよ」と言いたくなる人の気持ちもわかります。
vaporwaveの前身といえるseapunkでも、2011年頃の初期vaporwaveでも、アニメネタは主流じゃなかったです。一番使われてたのはメガデモ、windows95、amiga、ラインアート、粗いポリゴン、椰子の木、TVCM、RGB情報が潰れたVHSビデオ動画などのコラージュ、(多くの制作者・消費者には読めないエキゾチックな言語としての)日本語表記などなどじゃないかな。つまりオタク文化を参照してはいたけど、その多くは、アニメよりもコンピュータやゲームなどの方に寄ってました。こういう経緯は、木澤佐登志氏が何度かvaporwave小史を書いていて、vaporwaveを理解するには一番バランスが取れた内容だと思っています。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59738
で、vaporwave界隈の映像にアニメからの引用が増えていくのは、後期〜Future Funk以降の話なので、シティポップへの参照の方がアニメの参照よりも先行しています。その点で、以下の増田と自分の認識は一致してます。
おそらくvaporwaveから派生したfuture funkに対する影響のことを言ってるんだろうけど
future funkにおいてもジャンル内から有名になったアーティスト(Night Tempo、ミカヅキBIGWAVEとかのピンクネオン東京周辺etc.)
が多用しただけであって元々ジャンルとしてはシティーポップと呼ばれる音楽のほうがアニメよりも先にモチーフとして使われている。
https://anond.hatelabo.jp/20210711135919
しいて言えば「東京は夜の7時」か。
あれはシティだわな。でも、日本人はあまりシティであることを売り物に音楽活動はやってないと思うよ。
「有楽町で逢いましょう」とかは、ポップじゃない。
https://anond.hatelabo.jp/20210710192009
70年代末から80年代初頭のシティポップ(ス)って言われてた音楽は「街」のことばっかり歌ってました。山下達郎も吉田美奈子も荒井/松任谷由実も竹内まりやも大貫妙子もEPOも、みんな消費文化の極みともいえる当時の東京で生きる事への自負と強迫観念と焦燥と疎外感があったんでしょう。彼らの歌には、具体的地名を伴わない、抽象化された「街」「この街」「都会」「ダウンタウン」などの言葉が歌詞の中にバカスカ出てきますが、これはほぼ全部東京のことなんです(海外行って本格ファンク/RandB路線に転じた後の吉田美奈子は除きます)。シティポップ(ス)の名前は伊達じゃないですね。
『オレたちひょうきん族』がオープニング・エンディングにシティポップを盛んに使っていたのも、今にして思えば、テレビ業界・芸能界の内輪の目線を悪ふざけしながら曝露するという切り口が、虚飾の栄華に満ちた消費都市としての「東京」を象徴しているようで、まさにvaporwave的な世界観を体現する繋がりだなと思います。
宇宙世紀の「正史」を我が物顔で「偽史」に塗り替えてしまったからだ。
UC以前の宇宙世紀スピンオフはあくまで「稗史」としての分を弁えていた。
とはいえ、いやだからこそ、宇宙世紀を拡張できたのが福井晴敏だけだという事実も直視せねばならない。
富野亡き後もサンライズはガンダムシリーズを続けるつもりである。
閃光のハサウェイは映像面でのニュースタンダードを示したが、しかし原作は富野である。
次にアニメ化されるのはクロスボーンガンダムだろうか。これも富野原作である。
その次は?
その次は?
誰が新しい宇宙世紀を作り出せるのだろうか。
我々は次の百年も福井晴敏に苦しめられるのか?
新しい路線を貫徹することができず盛大に転倒し、
ガンダムはどうなるのか。
薄らと初代をなぞるだけの模造品など必要ない。
インターネット懐古厨の皆様はご存知だろうけど「まーん」はインターネットでは比較的新しい部類のネットスラングで、少なくともガラケーユーザーを揶揄する「ポチポチ」や、ケシカラン画像を投稿する女性ユーザーを指していた「女神」などよりも新しい。
この「女神」、「電車男」以降は女性の2ちゃんねらーを指すようになっていくが、そもそもは前述したとおりケシカラン画像を投稿する女性ユーザーを指していた。
2ちゃんねる黎明期では女性ユーザーと判明することが珍しく、女性ユーザーが登場したスレッドでは一種の「祭り」のように大騒ぎすることが定番化していた時期があり、まぁ言ってしまえば「オタサーの姫」扱いされていた(オタサーの姫はまーんよりも新しいネットスラング)。
そこから「ピンク」側でけしからん画像を投稿する女性ユーザーが増えて、優れた能力を有するユーザーを指す「神」から派生してケシカラン画像を投稿する女性ユーザーに限定して「女神」という呼称が用いられるようになったのだ。
「女神」の対象が拡大するのは前述したように電車男以降である。
「オタサーの姫」という言葉から察せられるように、何かにつれてスレッド内で持ち上げられる傾向にあった女性ユーザーをよく思わないユーザーは少なからず居た。
注目すべき点はこの女性ユーザーをよく思わないユーザーの性別は不明という点である。
ケシカラン画像を投稿するしないに関わらずスレッド内で「女神」と持ち上げられるとスレッドの主題から外れて盛り上がってしまうことが多く、言わば「スレが荒れる」状態へ陥ってしまう傾向が確かにあった。
そこで用いられたアンチテーゼの意思表示が「まーん」である。多用された板はニュー速VIPだ。
その当時「ねとらじ」が流行するようになると容易に「ねとらじDJ」の男女がわかるようになった。すると当然「女神」ミームが発生し、ニュー速VIPは一時期「女神」による「ねとらじ」が席巻してしまう。
ニュー速VIPは別に「ねとらじ」だけの板ではなく、その他の面白そうなスレまで「dat落ち」する憂き目にあってしまい徐々に「女神」への風当たりが強くなっていったのだ。
さて、ここでこのエントリに着目した当時の様相を知る元VIPPER女性へ1つの質問をしてみたいと思う。
アナタは「女神」へ対して「まーん」と書き込んだ経験がありますか?
もし「無い」と言うのであれば、このエントリは偽史として投げ捨ててくれ。
もし「有る」と言うのであれば、その当時の様相を思い出し、なぜ同性へ「まーん」と言い放ったのか教えて欲しい。
以上だ。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
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「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
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ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
0時から開場ということだったので、知り合いと待ち合わせをして23時20分ごろに合流した。すでに数十人のアート泥棒がたむろしている。会場の近くのバーミヤンで時間をつぶす予定だったが、営業時間が変更になっていたので入れず。散歩をして時間をつぶす。やたらパトロール中の警察官とよく遭遇し、アート泥棒としては気まずい。今思うとこれも伏線だったのか?
まあ、ここまでは何盗もうかな〜とワクワクしながら待っていたのだが、23時50分着をめざして会場に向かうと何やら様子がおかしい。みんな、われわれと逆向きに歩いており、つまり人が駅のほうに戻って来ている。Twitterで検索してみると、「前倒し秒殺www」のようなツイートがあり、このあたりでわれわれもなんとなく事情を把握した。どうやらもう終わってるっぽいぞと。
ギャラリーに近づくにつれて逆流してくる人の数も増えてきた。ZOZOスーツを着てミッキーの頭をかぶった男も逆流してきた。のちの話になるが、スケキヨみたいなマスクをかぶった女の人もいたし、映画泥棒もいた。
23時50分ごろ、ギャラリー前についてみると、そう広くない道に人々が大集合している。最初に見たときより人数が5倍ぐらいに増えていた。そして、警察官がめちゃくちゃ来ている。チャリ警官、パトカー警官、徒歩警官。あらゆる種類の警官だ。車道にはみ出さないでください! と盛んに注意している。ギャラリーのある通りは閑静なように見えて、すぐ隣に太い車道が通っていて意外と車通りは多かった。
人をかいくぐって一応ギャラリーは覗いてみたが、部屋はすでに白い空箱のような状態だった。長居して警察とトラブルを起こしてもつまらないので、早々に離脱。何やら盗んだアートを片手にインタビューを受けている人も見かけた。
ネットの情報を総合するに、あまりに人が集まりすぎて定刻の0時前になし崩し的に開場してしまい、一瞬で空っぽになってしまったようだ。Twitterでは「盗まれたのは参加者の時間」とか言っている人もいたが、自分はどちらかというと夢っぽいなと思った。盛夏の夜の夢。日高屋でチャーハンを食べてタクシーで帰った。
盗んでもいいものを盗みにきたら人が多くて騒ぎになった、というのは別に醜さではなくて、深夜の住宅街に人が集まると警察が来ますという話でしかないのでは。そんなに激しい暴力沙汰が起きたという話も見てないし(財布が盗まれた人がいた、というツイートはありましたね)。人間の本質が醜いとうれしい人が多いですね。
まず、転売目的で集まった人が多数派とは思えない(メルカリの出品をみるとプロっぽい人が多いのは事実だが…… )というのが一点。もう一点は、「盗んでいい」というのはアートが盗んだ人の持ちものになるということであると思うし、そうなら別にそれを売ることにはなんの問題もないというところです。
これは逆に人間を信じすぎだと思う。もうちょっといいイベントになるかなとは自分も思ってたけど、さすがにこうならないことはわかる。
これはもう論外ですね。人が集まって胡乱な行動をすればアートなら、なんでもアートだと思います。
これはまあ「集まった人々こそがアートだ」と似てますね。ですが個人的に気になったのでコメントを付しておくと、略奪というのは法や警察権力を否定するから独特の意味があるんであって、いいよと言われて人がたくさん集まったら大変なことになるというのは満員電車とさして変わらない。そんなドラスティックな出来事とはとても言えないと思います。
軍師になりたがるオタクって感じですね。なぜ人はマーケター目線に……。1万円札の展示×4がどうなったのかは確かに気になるが。
偽史としか言いようがない。集まっている人はやはりサブカルっぽい人が多かったし、そもそも「アートを理解している人」がこのイベントにおいて大人しく鑑賞するのか、というとそんなことはないと思う。
これは、はい、そうですね。
https://twitter.com/yui1048kitenoz/status/1281246018181320711?s=20
これが一番謎だった。
表現規制反対派内部にも偽史が出てきたので釘を刺しておくけど、2010年頃までの表現規制反対運動が一部の例外を除いて低調だったのは児童ポルノ禁止法を巡って戦っていたからで、人口に占める小児性愛の比率や、女性の忌避感なんかで、そもそも反対派が少数派だったから。それが磐志摩メグあたりで……— 鳥山仁@comiczinで新刊委託中。 (@toriyamazine) 2020年3月11日
これは事実。
大体この指摘はあってる。
そもそも当時は鳥山氏も攻撃されまくっていたし、反対派自体もカマヤン氏とか内部で軋轢があったし、その反対派自体もノウハウもなく、反対する手段そのものにも間違いも多かったし、その手段事態手探りであったからね。
団体も今みたいに確固したものがなく、あの時は有志の方々の団体であり、反対していた人も多くは素人だったからね。
それに当時は児童ポルノ禁止法に反対するだけでもロリコンだののレッテル貼りをされた事とオタク自身=犯罪者予備軍と言うイメージを完全にリンクさせられていた事でまともに反対できる状況ではなかったし、当時嫌がらせやら何やらで本当に潰された人も多かったのは事実だからね。
本当に規制に反対しただけで小児性愛者呼ばわりされて潰された人が多かったから。
俺も普通に参っていた。
だからこそ当時の児童ポルノはそれこそ言葉の兵器とも言える万能のツールでネット規制や創作物規制など好き勝手する事が出来た。
それであの人達増長しすぎて、都条例に話が繋がっていき、そこまでで懸念されていた規制の拡大をあの人達が行っていた事。
それとこの後のあの人達のお気持ちの乱用の結果、後光が薄れてきたにも関わらず、今だ児童ポルノを盾にしたがるのはこの時までの経験もあるからだね。
海外におけるマッチポンプに関してもこの時以前からすでにECPAT等が行っている事は確か鳥山氏とかは指摘していたからね。
そしてオタク等に限らず多方面に喧嘩を売りだして、もはやオタクの問題だけに限らなくなっていく位あの人達のお気持ちの押し付けが拡大していったことも大きいね。
当時はそれこそ懸念していた側が馬鹿にされていたような懸念されていた事が実際に行われてしまったのは大きいし、それこそ今もあの人達が懲りずに赤十字やJA等の団体にすら喧嘩を売り歩いて社会的信用を失い続けているのも有利に働いた点なのは事実だろう。