はてなキーワード: 偽史とは
左翼活動家連中が「オタクは差別されたなんて偽史」「オタクはネトウヨ」っていうじゃん。
あれはね、基準がまともな人と違うの。
「そうび」して「こうげきりょくが上がる」存在であれば、差別されている。そうでなければ、差別されていない。
「こうげきりょくをあげる役に立たない」上に「そうびされるのに抵抗する」から役に立たない、味方じゃない、味方じゃないことをもってしてネトウヨと呼ぶ。
この場合の装備っていうのはマイノリティ憑依とかそういう概念で、弱者を気取れば強者を正当に殴り放題っていうやつ。
オタクを装備してもあいつらの敵に対しては攻撃力上がんないよね?
オタクを装備しても安倍首相に対する攻撃力上がんないよね。だから差別じゃない。
首相が「オタクとか死ねばいい」って一度でも発言してみな。急に差別ってことになって味方面してくるから。
そんで、
サヨるのはホコリが無いから。ネトサヨとか(「オルタナ左翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
ホコリが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力を引きずり落とさないと自己を保てないのである。
近年は「中国共産党」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという組織がサヨサヨしている。北朝鮮がミサイルを発射したこととは相関関係はある。けれども、戦後の混乱期の頃から既に、少なからぬ人々が共産主義に傾いた。己の不安定感から、共産主義国家を指向した。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする組織の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの組織は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからギリシャでは共産主義者が横行し政権がサヨっている。ネトサヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトサヨっていうのは、ホコリが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説を垂れ流し、それを「表現の自由」であると強弁する。
共産主義みたいに権威権力を独占する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「あかはた」とか「マルクス・レーニン主義」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴なんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己のホコリの無さを、ホコリをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
共産主義、言い換えれば社会主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。簡単にいうと、共産主義というのはファシズムである。共産主義とかいうのは本質的に、ロシア革命から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、革命中だけの問題ではない。文化大革命やポルポトの時代には、共産主義の理屈が主に都市部に浸透させられていった。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に大虐殺が行われ、総括、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、文革時代の文化を礼賛する言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。それこそ民主主義社会の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
ホコリが無いから、ホコリホコリと盛んに言うのである。自己にホコリが無いからサヨクのホコリとか言い、ホコリが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、革命だ革新だと言うようになる。そして多くの組織は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は共産主義に懐く。
ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。
近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権がウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
マイノリティ(社会的弱者)がプライド・パレードとかやると、マジョリティ(既得権益者層)から「俺もプライド・パレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。
マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力に依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨ(alt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speech)であると強弁する。
国家主義みたいに権威権力に依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである。日本とかいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会の理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に残虐刑が行われ、厳罰、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、江戸時代の文化を礼賛して日本古来の文化とかいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである。自己に誇りが無いから日本人の誇りとか言い、誇りが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は権威に懐く。
エンジニアでも関係者でもなんでもないので、ことの真偽についてはいろいろな意見があるだろうが、Google以前の検索事情が懐かしくて面白かった。
昔は検索といえば、Yahoo!だった。ブラウザのホームページに設定されてたから。
Yahoo!以外から他のサイトに移動する方法を知らなかった。
昔は「アングラサイト」という言葉があったが、実感としてはアングラサイトはYahoo!から移動できないというイメージだった。
しかし、どっかのコミュニティで他の検索エンジンを覚え、各検索サイトで結果に差があることを知った。
そんな中、評判になってたのがGoogleだった。
googleはすごかった。なんでも出てくる。
今で言う、中国の百度のような感じ(今では百度もそうとう浄化されてるけど)。
その頃から、昔のようなGoogleに対するアングラ感が薄れていった。
gmail、YouTube、Androidと次々に出る新サービスがことごとく成功し、Google一強になってしまった世界には、つまらないインターネットが待っていた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/1030984
natu3kan コメントにもあるが、10年前は普通の会社では生かせない才能をの人はアダルトゲーム会社が発掘し、今は動画配信サイトか。ブコメみて追記:利益が出れば自由が許される業界は強い。新海誠とってminoriがつなぎ仕事でも
新海がminoriのOPを作ってたのはコミックス・ウェーブの企画部門であるMANGAZOOがminoriの母体だったからだよ。
まったく縁のないところから酒井伸和が新海を見出して依頼したわけでもそれが可能だったわけでもない。
だいたい新海のwikipedia見れば『wind』より『ほしのこえ』の方が公開早いの分かるだろ?(※『Wind -a breath of heart-』のデモムービーは、『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで公開されたのが初出で、完全に『ほしのこえ』の後追い。(http://web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm))
『ほしのこえ』は公開と同時にトリウッドが連日満杯になって、そのことがネットを通じて日本中を駆け巡ったんだよ。すごい(映像の)アニメが公開されたらしい、しかもひとりでつくったらしい! ってな。
その後なんだよ、『wind』は。OPを見たエロゲオタもまた同様に衝撃を受けただろう。受けただろうが、そのときには既に新海は人口膾炙されたあとだったわけ。だから『wind』のOPによって世間が新海に気づいたとかは完全に偽史だよ、偽史。
なお『BITTERSWEET FOOLS』のOPも担当してるじゃないかというやつがいるかもしれんが、本作ではぜんぜん話題にならなかった。『彼女と彼女の猫』がコンテストでグランプリを獲ったときはさほど新海の知名度が上がらなかったのと同様(もちろん情報感度の高いやつはこのあたりで知ったんだろうが)。
あくまで新海が世間に出る直接のキッカケになったのは『ほしのこえ』だ。
ファルコムで『英雄伝説』とか『イース』のOPつくってた件を持ち出すとしても言えてゲーム業界出身まで。
ただしファルコム在籍中から自主的に掌編映像を作って地力をつけてきた(http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/world/index.html)ことを考えるとやはり自主制作アニメ出身というのが妥当。『wind』では上記や『ほしのこえ』で培った実力を発揮したことによってインパクトある映像になった。エロゲのOPを作って力をつけてきた、みたいな解釈も完全に間違い。
あとついでにいうと新海がエロゲOPのあり方を変えたとか言い張るのもアホ。
mouseion まあ、新海OPはエロゲーの在り方を根本的に変えちゃったよね。要は意識高い系の泣きゲーシナリオにはこういう意識高いOPを付けないとユーザーには受けない病気に罹ってしまって必要以上にOPに拘ってバカみたい♪
新海フォロワーと言えるエロゲOPは『あると』を始めとしていくつかある。あるのは事実だが、エロゲOPを“新海的”なものに変化させたりはしてねえ。
なぜかっつーと真似るのがそもそも困難で、真似たところで「ああ、新海のパクリね」以上にはならんからだ。
売上に直結するならそれでもやるメーカはあるだろうが、くだんの『Wind』がまさにOP詐欺といえるほどゴミだったせいでそれもなくなった(OPの出来だけで売れるならminoriがこんな体たらくになるはずがない)。
2000年代のエロゲOPにもっとも影響を与えたのは、2000年前後の同人MAD業界だ。『kanon』とか『月姫』をモチーフにした静止画MAD。音楽にあわせてカットを矢継ぎ早に切り替え、映像を盛り上げていく手法のMADが流行りに流行った。
それまでのエロゲOPはおもにコストの問題から映像をスクロールさせてそれに音楽を乗せる程度だったのが、この辺りからより映像性を重視したものが増えていく。
2000年代にエロゲのOPをいちばん作った映像メーカーといえば神藝工房だろうが、代表の神月社と捏音たむは当に同人MAD業界出身。同じように『Kanon』のMADで名を馳せたTi(極東屑山公司第二工廠)も『歌月十夜』や『Fate』のOPを担当してる。
こういう事実を無視してお前の脳内お花畑開陳してんじゃねーぞクソ雑魚ナメクジが!
なんかもーいっそのこと『彼女と彼女の猫』から『Wind』のOPが公開されるまでの時系列整理しとくかって気になったんでやります。基本的にネットのログに頼ってるので大雑把。
と思ったら増田の字数制限(?)に引っ掛かって更新できないので詳細は↓。
http://anond.hatelabo.jp/20161010071838
★読むのめんどくさい人向けの簡易まとめ+それを元にした憶測
・2000/04 『彼女と彼女の猫』で CGアニメコンテストのグランプリ獲得
・2001/01-04あたり(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始
・2001/06 『BSF』のデモムービー制作 → 8/31発売
・2002/01-02 『Wind -a breath of heart-』ムービー制作
・2002/02/02 『ほしのこえ』公開
・2002/03/01 『Wind -a breath of heart-』ムービー公開 → 4/19発売
単純な公開順をいえば『彼女と彼女の猫』→『BSF』→『ほしのこえ』→『Wind -a breath of heart-』。
新海はエロゲによって知名度を上げたかという問いに関しては『BSF』が焦点になるわけだが、当時のログを見るにほとんど話題になっておらず(なおhttps://twitter.com/kanose/status/784046586187755520)、情報感度の高いひとがそれによって知ったとしても『彼女と彼女の猫』で得た知名度を超えるものではない。
俺が新海はエロゲ出身じゃないと言い張ってるのは(ファルコムを退社してまで)自主アニメ制作を本格的に始めるキッカケが『彼女と彼女の猫』でグランプリを受賞したことにあるし、世間に知られたと言える最初の作品が『ほしのこえ』であるからだ。
ここまで言ってなお新海はエロゲ出身と言い張りたいやつはどういう理屈によってそうなるのかちゃんと説明しろ。
なお上記はファルコム出身であることを理由にしたゲーム業界出身説を否定するものでも、エロゲOP制作経歴はパージしとくべきと言うためのものでもない。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
システムはいわば世界法則であって他に持っていっても問題ないものだけど、シナリオはいわば歴史であって固有性を前提としたものだから、
シナリオの変化改良は、その歴史の正統性に傷を付けることになるか、あるいは後発が紛い物の偽史として切り捨てられることが多いんじゃないかな
「シナリオの使い回し」に該当することは「小説や漫画の実写化」「メディアミックスでのオリジナル展開」「映画やアニメのリメイク」あたりで
実際に行われてるわけだけど、原作(すなわち最初のバージョンのシナリオ)の見事なバージョンアップ版として評価されてるものって、あまり聞いたことがないな
習作的短編を下敷きにした長編小説ってのはしばしば聞くけど、そういうのは習作込みでシリーズとして評価されてるわけじゃないし
先夜、晩酌が過ぎたのか茶の間でうたた寝し、つけっ放しにしたテレビの吹き替えの声で目を覚ましました。ぐずぐずと瞼を閉じたままでいると、耳にヘンリエッタだの、アンジェリカだのと呼ばれる少女たちの会話がとびこんでくる。スパイ物だろうか?それともテロリスト物だろうか?
いずれにしても武器を使った先頭場面が登場するヨーロッパ映画に相違なく、さて、どんな女優たちが出ているのか、と目を開けてぎょっとした。画面に映っていたのはアニメ。しかも少女たちは目が大きな、いわゆる”萌え系”のキャラクターだったからである。
これって、何なのだ?本腰を入れて見る間もなく番組が終了したため、ネットでこのアニメについて検索して、さらに驚いた。アニメに登場する少女たちは全員サイボーグという設定。時代背景は偽史が絡んだ現代イタリア。某公益法人が、事故で瀕死の重傷を負うなどした少女たちを集め、人体改造と洗脳を行い、反政府組織に対する非合法活動に就かせるというのが物語りのあらましだった。
少女たちは家族との別離と身体の劣化を、運命として甘受せねばならない。また、彼女たちには男性の担当官がついて、男女間にはフロイト風に「転移」した感情の縺れが出来上がってもいるらしい。オタク世代のアニメ文化もここまで複雑で高水準になったか。
実は私はかねがね、オタクや腐女子と呼ばれるアニメやゲーム漬けの若者が増殖することに、かすかな懸念を抱いてきた。このままオタクが増え続ければ、しまいには大事な決断や、国家的な戦略策定の場面で、私たち日本人は道を誤るのではないか、と。
たかだかアニメやゲームで何を大げさな、と考える向きもあるかも知れない。だが、オタクたちの「萌え」志向や世界観が世の中で支配的になれば、私たちはますます内向し、衰弱して、リアリズムが貫徹する他国の人々に軽んじられるのではないか?いや、冗談ではなく、私はそう考えるのだが、ただ、これにはちょっと説明が必要かも知れない。
文芸について考えれば、私たちは小説や批評を読むことによって、暗々裏に人生の悲哀や生活の真実を知り、また生きてゆくための規範や行動の基準のようなものを学ぶ。ときどき人生の切所で小説の一節が脳裏に浮かんだり、敬愛する文学者の誰それが立ち向かったと同じように、人生に立ち向かおうとしたりするのはこれである。
しかし、こうした功徳は文学のみならず、ある日くちずさんだ流行歌の一節だったり、映画や芝居の登場人物の台詞だったり、さらにいえばマンガやアニメの一シーンであっても同じだろう。
例えば、つらい毎日に挫けそうになったとき、「立て、立つんだジョー!」と『あしたのジョー』の段平オヤジの督励が聞こえてくる、などと言えば人は笑うだろうか。鈴木清順監督の『けんかえれじい』には「可愛そうってことは惚れたってことよ」という漱石から転用された台詞が登場するが、そうした台詞で自分自身の恋愛や結婚の行方を納得する男女だって多数いることを私は知っている。また周囲に振り回されたあげく、鶴田浩二をまねて「右を向いても左を見ても、人生まっ暗闇じゃござんせんか」と呟く人がいるが、私が言いたいのは要するにそういうことだ。
ここにあるのは自らに何らかの役割を振り、その役割によってようやく自分たり得る私たちの姿である。よく「とり換えのきかない自分」などと言うが、胸に手を当てて思いいたせば、私たちは常に何らかの役割(人格)を自らに振ってその場その場を生きている。自分とはその意味で他人なのだ。
まことに「人間この劇的なるもの(福田恆存)」で立場が人を作るというが、家では頑固オヤジであっても、会社に行けば部長なら部長としての振る舞いがあり、学校の先生であったならば先生としての行動がある。また老母に対しては、よき息子、娘の役目も勤めねばならない。
こうした前提を認めれば、オタクや腐女子では「萌え」が判断の基準になり、行動の準則になることは明瞭だろう。しかも彼らはどっぷり浸かったゲームやアニメの世界を生きて、いま、ここにある現実を生きようとしないように見える。そしてその結果、例えば外国人との交渉で、会社や国の命運をかけて決断せねばならぬときに、ついついリセットできるゲーム感覚で、鼻面を引き回されることだってまま起こり得る。
とはいえ、うたた寝から覚めて見たアニメに驚かされたように、オタク世代もリアルの構造が私たちと違い、異なる感受性によって動く頭を持っているだけ。実はむしろ今のリアリティーに適応した世代なのかもしれない。年寄りが若者たちに文句を言うのは、古代メソポタミア文書以来、普遍的な話らしいから、私の懸念は愚かな繰り言なのだろう。
とここまで書いてふと思い出した。百年に一度と喧伝される経済危機の中、財政出動を決意した政府が、世界に冠たる日本のアニメ文化を発信するためアニメの箱物を作るという。ふむふむ。要するにすでに私などが思うよりも、ずっと世の中は進んでいたのだろう。切所ですでに「萌え」は老人により先取りされているらしいのだ。これがうたた寝から目覚めた私の短絡や懸念と重ならぬことを祈りばかりだ。
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
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1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
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「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
http://www.youtube.com/watch?v=XL2od1AF_Cs
http://stage6.divx.com/user/Cryogenics/video/1045696/Heavenly-Star-Genki-Rockets
元気ロケッツって、正直オーソドックスすぎ、っていうか端的に言って古くね? そのくせハウスなのに1番2番があるんだぜ?
【前提:元気ロケッツのプロデューサーの水口哲也氏は元セガで「スペースチャンネル5」とか「Rez」、「ルミネス」のディレクタやった人】
【今日のサマリ:ゲーム音楽側からのダンスミュージックへのアプローチは、かなりポテンシャルが高いんじゃないのか。90年代に音ゲーが蒔いた種が、需要と供給の両方で芽生えようとしている?】
えっと、最近思ったのは、こういう「ポップのジャンルに真っ正面からハウスで切り込んでいこうとする人」がゲーム方面から出てきたっていうのは実は重要なんじゃないのかな、という。だってLive Earthのメンツ見てみなよ! 大塚愛と倖田來未にはさまれてるってことは、もう弩ポップの戦場で殺りまくる気満々でしょ!
[参考:http://liveearth.jp.msn.com/event/default.aspx]
で、いまマクドとかで有線聴いてると分かるんだけど、けっこうJ-POPに四つ打ちのリズムは浸透してる。むしろ安室やんを筆頭にロック以外だとだいたいそう。
でも、J-POPの中で真っ正面からハウスをやる人はあんまりいない。今さら恥ずかしいってのもあるのかも。ダンス道を行く人たちはもっと先に行っちゃったし、J-POPの人はそっちに愛情とかないし。例外はパフュームくらいか。でもアレもライブ行くと分かるけど、8割方アイドル消費されちゃってるしな(それもひとつの方策だが)。
で、なぜゲーム畑から?
っていうのがあって、それは'90年代後半からリズムゲームが掘り起こした(細々とした)四つ打ちの鉱脈があるんじゃねえかなあ、と。
ここですこし脱線。
この話を逆からすると、8bit music(チップチューン)の隆盛、になる。つまり電子音楽からの、ゲームへの接近(ダンスからのロックへの接近がビッグビーツで、ロックからのダンスへの接近がニューレイヴみたいな)。ymckでもトンガリキッズでもなんでもいいんだけど、そこでは同じように原点回帰運動が起こってる。手法=音源ツールの原点回帰だね。ラップトップであらゆる音がエミュレートできるにもかかわらず、あえてFMPSG音源。あえて80年代。これの真逆のパターンが元気ロケッツで、ミニマルもノイズもあるのに、あえて直球ハウス。あえて80年代。みたいな。
[参考:http://micromusic.net/<(音でるよ)]
でもその関係が表裏一体なら、同時に起こってしかるべきだったのに、なぜ8bitに数年遅れて「今」なのか?
これは単純に作り手の帰属の問題だ。
んじゃゲームの四つ打ち鉱脈の話にもどろうか。たとえばBeat Maniaシリーズなんか(まあ後期は自家中毒で奇形化したけど)、すごく真っ正面からダンスミュージックをやってた。なんでかっていうと、ビートが強くないと指がつかない=機能性重視=ダンスミュージックの原点回帰ってのがあったんだと思う。ここでも原点回帰。ん、まあ初めてのトライをするときは初級から、というだけの話かもね。
ここでまた少し脱線。トニーティー先生こと七類氏に教わるまでもなく(『黒人リズム感の秘密』は希代の名著なので、すこしでも音楽とかダンスとか身体論に興味がある人は読んどいたほうがいいよ)、白人のダンスは下半身、黒人のダンスは体幹、アジア人のダンスは上半身を原点とする。それぞれ社交ダンスのステップ、レゲトンのムーブ、パラパラの手踊りを思い起こしてもらえればいい。その意味で音ゲーってのは日本人によるダンスの再獲得だったのかもなぁ、ってこれは妄想&本質主義にすぎるか。
[参考:http://www.netjoy.ne.jp/~skikuchi/intro/18/kokujin_rhythm.html]
そうそう。「作り手の帰属の問題」の話をも少し詳しくしとこう。なぜ今になって、ゲーム側からハウスミュージックが出てきたのか、という話。
これは単純に経済的、社会的な話で、ゲーム音楽というのは社員が作ってるからだ。「た」からだ、かな。社員である以上は、個人的に作った音楽作品を、商業流通にのせるなんて、もってのほかだ。またもし許されてたとしても、労力の配分として「お遊び」としてしかできなかっただろう。ところが00年代も半ばに入って、音屋として90年代音ゲーを支えてきた層が、年齢的な部分もあるだろう、数年間の業界不況も影響してるだろう、独立をはじめた。これはちょっとした鉱脈じゃないか?
てなわけで、顧客、人材双方に四つ打ち耳になってる人は一定数いても良いような気がする。だからこそ、いま元気ロケッツみたいなユニットが出てくる必然性があるんじゃないのかな。
80年代歌謡にバックボーンを持ったつんくが、そのルーツである70年代ディスコを復古させてモーニング娘。を世代のアイドルに仕立てたように(だからパフュームには期待してるんだが)、
90年代音ゲーを作って/消費してきた人たちが、80年代末〜90年代初頭のダンスミュージックをもう一度ポップのフィールドに持ち込んで成功するんじゃないかって。元気ロケッツはその嚆矢で。
みたいな。ハウス中毒患者の無調査の仮説です。しかも自分はそれほど音ゲーにはまったわけではないので屋上屋もいいところ。偽史偽史アンバランス! 略してギシアン!! みたいな。
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