はてなキーワード: ロリポとは
で正直なところ ロリポとか やろうと思えばできることはわかったし 下手すりゃPHP3に最新の8の関数を1個だけついか という要望も 受けられるっちゃぁ 受けられる
C言語のライブラリーを直接古いPHPと同じコンパイラでコンパイルしてから PHPの3についか というのは できなくはないし そこだけ技術移管してもいい
だから 本当にこまったのなら 銀座の魔法で 本当に ザオリクしてやる そこまではPHPエンジニアに伝えてもいいと思う ただ なんというか ミナデイン級の魔力は必要
ほんとうに 大切なものなら PHP3にPHP8の機能を追加することは可能 でも それが 何年もいきのこって という話になるから やりたくはない
批判派から、海外の感覚では宇崎ちゃんは献血ポスターとしてとてもおかしいと言うのは度々見かける。
私も子供の頃に普通だと思っていた漫画やテレビのエロ表現が子供に見せるにはとんでもなく非常識だったと今になって実感する事が多いので、海外はその手の感覚が日本の20年くらい先に行ってるんだろうと思う。
https://hbol.jp/205600?cx_clicks_kijishita=txt1#cxrecs_s
でもオタクは海外の感覚に近づきたくないのだ、海外ではロリポルノの取締がきつい、今のまま離島状態でセクハラやエロの感覚を厳しくしたくないから戦っている。
世界ならこれはあり得ないと言うワードを出されたら、日本をそうしてたまるかと、オタクに関係ないエロ、オタクも引いてるような限度を超えた物でも、必死になってフェミ批判とエロ擁護を始める。
なんか最近って萌・エロコンテンツが好き=オタクって思ってるよね。
そういう意味なら、例えば「資格オタク」「鉄道オタク」って言ったらどういう意味になんの。
言うまでもなく簿記にデレマスの新田さんがアピールする前から資格オタクはいるし、駅メモとかがでるよりも前に鉄道オタクは存在してるのよ。
そう考えたら、オタクって没頭してしまう事だと思うわけよ。それこそ周囲の空気なんてわからずに。
周囲の空気なんてなりふり構わず語り出すから「オタクきもい!」ってなるんだろ。それが本来の「オタクきもい!」のハズだろ。
今のフェミがいってる「オタクきもい!」はなんか違うんだよな。まだ駅乃みちかとかで周りのこと考えてない萌コンテンツキモい!と思ってた頃は理解できたけどな。
最近のアニメ視聴者、スマホゲープレイヤーをTwitterで見てても思うわけ。
イナゴという存在がなんでオタク界隈で忌避されているかって、まさにコンテンツの大きさによって熱意を変えるクソが嫌いなわけで、
FGOやってたらオタクだとか、グラブルやってたらオタクだと、ラブライブだとかアイマスだとか、キリトだとかエレンだとか、推しだとかママだとかえちえちだとか、二次創作だとかロリポルノだとか自由の表現だとか、そういう事いってればオタクだってわけじゃないだろ。
「オタクは空気なんて読まずに、周りなんて気にせずに、好きなことを貫くべきだ」と思っている。だから迫害されたって好きなものを見てれば心が癒えるんじゃねーのか。
それがおまえら「アニメは今の中高生は当たり前にみてる」とか「ヤンキーでみてるやつもいる」とか言いやがって。
そんなに世間に認められたいのか。
一生周りの意見に流されて、好きの感情を周りから押し付けられて、必死になって周りと歩調を合わせて、メインストリームを歩み続けるのか。
俺はゴメンだね。
ヤリサーや体育会系でレイプをしてる男達は、皆糞みたいな育てられ方をしたからこうなったのだろうか。
たまに起きる少女への猥褻や殺人で出てくる犯人は大半がオタク臭い、和月のように違法ロリポルノを買い漁る犯罪者になるのも嫌だ
体育会系もメダリストからすら強姦犯が出ていて、体育会系の打ち上げに誘われて行って強姦されたらそんな危険な所に行った女の自業自得と言われるレベルで危険視されている
リア充系もレイパーサークルを作り女に薬をもったり酔い潰して襲っている。
ほとんどの大学にレイパー集団がいる、男の子はクラスに一人くらいの結構な確率でレイパーになる危険があると言う事だろう。
どう育てたら回避できるのだろう。
>規制賛成派はロリポルノ作品があるせいで犯罪が起こると考えているようだ
これなんだよね、根拠が無い
だったら我が子を犠牲者にする確率を減らすために、ポルノがあるべきだとなるはずなんだが
規制するということは実際に効果を期待しているということだろう。
子どもに対する性犯罪の件数の減少という効果を期待しているということだろう。
ロリポルノ作品は社会に受け入れられない人々の受け皿となっている。
受け皿を壊したところで中に入ったものが消えて無くなることはないのである。
単にこぼれるだけだろう。
社会には様々な考えを持った人がいる。それ自体どうしようもできないことだ。
社会的な強制力を持って考えを改めさせようと迫ったところで当人の本心が変わることはないだろう。
なぜなら強制力を持って考えを改めさせようとすると当人には強制で意思を変えさせられたということがわかり、
この世界には世間で受け入れられた考えと受け入れられていない考えが存在している。
前者の考えを持つようになった人間はともかく、問題は後者の考えを持つようになった人間である。
彼の考えは社会に受け入れられない。
彼が社会に受け入れられるために必要なのは彼が思ってもいない社会に受け入れられる考えを口にすることである。
その状況は彼にとって大きなストレスとなろう。
しかし、マジョリティの支配する表面に現れた世界の他にもマイノリティの支配する隠れたコミュニティが存在している。
こうした世界では世間で受け入られていない考えが是認されている。
彼の持つ社会に受け入れられない考えを是認するコミュニティが存在するとする。
この世界の存在により彼は(限定された)社会から真に受け入れられることを可能とする。
これらのコミュニティの存在を支えているものとして表現の自由がある。
自分の考えを自由に表現したり、発表する権利がなければコミュニティは存在しえないのである。
仮に表現の自由のない世界であったとしたら世界では世間で受け入れたれた考えしか存在を許されず、それ以外のものは一切排除されるだろう。
ロリポルノ作品は社会で受け入れられていないが、それを是認するコミュニティが存在している(これは具体的な特定のコミュニティとは限らない)。
規制を行うということはこのコミュニティの存続を揺るがすということにつながる。
以上で話した通り規制によってコミュニティの参加者が考えを変えるということは考えにくい。
よってこの規制によりどのコミュニティからも自分の考えを認められることのない、社会からこぼれた人間が出て来ることになる。
この人間が性犯罪の加害者になるとまで単純化することはできないだろうが、
子どもに対する性犯罪の件数の減少という効果が得られるかどうかということに関して疑問符をつけざる負えない。
余談: