はてなキーワード: 伝言とは
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。
面接試験怖い!自分なんかが面接で受かるような会社ってどうせブラックでしょ?
そうだ!公務員試験を受けて学力で一度ふるいにかけられてから試験の成績で泊をつけて勝負すれば俺だってまともな仕事にありつけるぞ!
↑こういう事を考えて公務員試験を受けようとしている・受けてしまった適応障害の皆さん、残念ですが絶対にやめたほうがいいですこれは大間違いです。
1 手段の目的化が起こっている組織ですので、「手段(職場の村ルール)を事なかれ主義と前例周到(ただしルールが突然変わる)でやりきる」事が最終目標となります。
これが意味しているのは目的から手段を逆算することが不可能であることです。そして手段が目的を達成するために効率のいい方法となっていない事も多いです。目的が達成できても手段が予定通りでなければ叱られます。つまり「他人が指定したやり方に対して疑問を持っていもそれを封じ込んで、何でそうなっているのかも分からないルールを身につける過程で何度も理不尽な叱責を受ける」という事です。これを聞いて平気だというのなら、そういう人は公務員試験を受けるべきかも知れないですが、それがただの想像力の不足から来ている可能性を考慮して一度じっくり紙に描いて事細かに状況をイメージする事をおすすめします。
公務員という言葉を聞いて黙々と作業をしている姿を想像する人もいるでしょうが、実際は口を物凄く動かすことになる仕事です。役所の受付に回されれば様々な濃ゆい人達の相手をすることになります。事務室の奥に引きこもって働く場合でも、村ルールで動きまくっている上に何がやりたいのか分からん事ばかりしている職場においては「これってどういう意味で作られたどういう書類で、我々はどういう処理をする必要があるのですか?」という質問を頻繁にする必要がありますし、自分がその仲介役となって何重にも積み上がった伝言ゲームを完成させる必要が出てきます。そこで求められるコミュニケーション能力は面接試験が可愛く見えるほどです
3 案外実力主義です(鋼鉄の心臓があるなら別ですがあるのならばこの増田の1行目みたいな事は言わないはずです)
使えなーいオッサンもいますが使えなーいオッサンに対する当たりのキツさは尋常じゃないです。本当に容赦なく悪口が飛び交います。そして、一度使えないレッテルを貼られるとポジションを組織内で盥回しにされてしまうので年相応の能力が身につく機会は失われて何の強みもないゼネラリストの完全失敗作となり更に辛い思いをするループに入ります。クビにならないだけマシというのは事実ですが、同時にクビになる事がまず無いのですから一度「自分は本当にここに居ていいのか」と考えだしたら完全にドツボです。
とにかく他の会社で役立つような能力は身につきません。「どっかのお役所のよく分からんルールのごく一部に精通している」以外の能力が身につく機会が本当にないです。ビジネスマナーと電話対応の仕方ぐらいは覚えられるかも知れませんがそれが精一杯でしょう。よって公務員でいるのが辛くなって就活市場に居場所を求めてもまず上手くいかないでしょう。また、先程言ったように公務員はまずクビにならないので、それを辞めて出てきたという事はそれ相応に馴染めなかったのだというレッテルが付き纏います。どうせクビにならないならちょっと我慢して様子を見れば案外自分にあった職場だと思えたかもよと言われるのは確実でしょう。それに対する受け答えに求められる内容は、他の企業から転職した人間よりもずっと強いものとなります。
5 コンプライアンスを重視せよ(コンプライアンスを重視するとは言ってない)
最近は民間企業もコンプライアンスに非常にうるさくなってきてますが、公務員は昔からコンプライアンスにうるさかった事もあり今でも他より一段階はうるさいです。そして、同時に、コンプライアンスにうるさいはずなのにそれを平気で破ってきたことで生まれたどうしようもない空気の濃度も他より2段階はキツいです。コンプライアンスを大事にしましょうと言った舌の根も乾かぬうちにコンプライアンスなんて守ってたら仕事は出来ねえと平気で言います。書類に判子をもらって村社会ルールの中で自分の仕事を終える過程において、かなりの確率で「これはコンプライアンス違反なのでは?」と疑問符を浮かべながらも、「でも書類を通すことの方が優先順位は高いから」とその考えを飲み込みます。ときにはそんなのやらなくてもいいような状況でわざわざコンプライアンスを破りに行くような行為をしていく職員もいます。とにかく村社会的な空気の濃度が濃すぎて一個人や一集団では既に抗えない状況になっており、全員がそれに操られて自分からコンプライアンスをぶっ壊して回っているような状態なのです。そうでありながら同時に、「それはコンプライアンス違反じゃない?大丈夫?」と他人の仕事に口を出し、その対案として別の形でのコンプライアンス違反を行おうとします。矛盾の塊どころの騒ぎでない拗れっぷりです。
さて、社会適応能力に問題のある皆さん、こんな同調圧力と社会不正義と自己矛盾と八方塞がりのサラダボウルに飛び込む勇気はお有りで?
というかですね。
自分はこれからどうやってここから脱出すればいいんでしょうかね。
部署が変わるたびに石の上にも三年の精神で耐えるだけ耐えてから結論を出そうと先送りを続けているうちに結構な年齢になってしまったんですが、いい加減メンタルが限界に来てます……
マジでやめとけお前ら。
なんだろうこの文章。
読む相手のことを考えてない気配がするのだが、それがどこに原因が有るのかハッキリしない。
多分だけど、「他人はお前が重要だと思っていることに、お前ほどには興味がない。皆が興味のある所にちゃんとフォーカスしろ」って事なんだろうな。
馴染んできたつもりだったけど、やっぱり違う!!!!!と気づいたので辞めることにしました
何が私と合わなかったのか
業界の閉塞感
生活の中で誰もが使うツールを作る会社。でもツールについて一生考え続けるのはちょっとな…。私はこのジャンルを究極に好きになりきれないと思った、ツールよりその先のほうが気になる性格なんだった。
・業界自体の飽和 狭い業界で骨肉の争いをしてるの、競争原理が働いて健全な経済なのかもしれないけど、人類全体で見たら無駄なエネルギーじゃね?
・若手の弱さ 会社のルールがたくさんあり、システムが古く、それらを習得するのに時間がかかる。習得しないうちは子供扱いされる。しかもマニュアルが無くて知識が属人化している。
・忖度ゲーム 社長に直接会えることは少なく、周囲のおじさん達の忖度で謎の指示が飛んでくる。社長(若い)にダイレクトに聞くと「え?そんなことないけど?」みたいなことたくさんある。伝言ゲームならぬ忖度ゲームです。
・会社のWHYがわからない 俺たちは何のために金を稼いでいるんだ?
人
・昭和の人間 たくさんいる。会社は収益を上げる場所なんだという価値観。そうか!? 収益以上の目的はいらないのか!? ただ売ればいいってのは思考停止じゃないか? …という疑問を上司にぶつけたところ「それは社長のレイヤーが考えることだから」と言われた衝撃。
・腑抜けになっていくことへの恐怖 優しい人たくさんいる。1年で私もだいぶ顔が変わった。よく言えば優しくなった、悪く言えば攻撃力がだだ下がりした。生きていくことが簡単すぎると人は輝きを失う。ああ認知度90%越えの定番商品を売る老舗企業よ。黙っていても給料入る。なんとなくで仕事が進む。WHYや理想についての議論は無いか、避けられる。
それでも、いい出会いがたくさんあった。ものづくりを探究し続ける、好奇心と理想をしっかり持っている、尊敬できる技術職の人はたくさんいた。良いメーカーなんだよ。
私がもし技術職やデザイナーだったらこの会社で続いたかもしれない。追いたい背中が見つかったかもしれない。
やめる直接の原因は、上司たちとうまくやれなかったからです。表面上はうまくいっていたけれども、私の中には「もう無理」が蓄積していってある日溢れてしまった。上司たちはびっくりしただろうし、普通に振舞ってたのになぜ?と思われたことでしょう。彼らの普通に適応すること自体が私にとってはストレスになってしまった。ザ☆適応障害。しかしこんなことに適応するために私の人生をくれてやるなんて惜しすぎるだろう。従順な子供のような新卒ちゃん、をやるのは1年が限界だった。(どこが従順やと言われそうだけど、これでも頑張ってたもーん。)
本当に嫌だったことはここに書いてません。限界を感じた部分だけ書きました。限界を感じてても嫌じゃなかったら続いてただろう。
部署異動して心機一転したら…という話もあったけれども、会社に対する気持ちはもう修復不可能なところまでびりびりになっちゃってて。この気持ちで他部署に行ってまたゼロから…子供扱いから…というのに私は耐えられない。私は尊重されるべき一個人であり、好きなチームのためならば情熱を存分に発揮できる。このカロリーをもっと活かせそうな場所を見つけたので転職する。
前に面白いとはどう感じるか?と吐き出してみようと思ったけど、
前提を一つ書き忘れたのでここで。
人間って、知ってることは思い出せるけど、知らないことは思い出すことすらない。
どこかの巨乳バインバインメガネおさげ女子高校生のセリフみたいな事言い出してるけど、
実際知らない事を伝言ゲームでもしない限り理解できる人はいない。って事を前提にしたい。
まあ、増田じゃ思考実験出来る人ばかりだろうから、理由は言わなくてもいいよな?
言い換えると、どんなにバカでも、それがIQ30切っていようとも、条件としては成り立つという事。
これ言っとかないとしつこく。しかも同じことを何度も聞いては「俺構われれてる」という認知がずれたまま楽しむ人が現れかねないからね。
言葉が通じるという訳ではないのだろうが、近所に住み着いてる野良猫に話しかけることはある
すると返事をしてきたり、しっぽで軽くふってきたりする時がある
例えば「暑いねー」と言うと「ニャゴニャゴ」みたいな感じで返してくる時がある
向こうも、よく分からないなりになんとなく返事をしているのだろう(鬱陶しいと言ってるのかもしれんが)
その野良猫は近所の空き地に集団で住み着いていて、何回かそこで世代を重ねている一族だ
そのせいか群れの要素が強いらしく、猫同士の会話も比較的活発だ
台風が来た時などは盛んにやり取りをしているところが見受けられる
それでふと思ったのだが、こういう「よく猫同士で会話する猫」は音を認識する能力が高いのではないだろうか
猫のボスに伝言を頼むと飼い猫が戻ってくるという話がちょっと話題になった
俺は人間の話している言葉の内容を理解できる猫はまあ居ないと思う
電話は基本スルー。急ぎの用事があったら、メールなりなんなり別の手段も併用してくるはず、と自分勝手ながらも、そういう思いで過ごしている。
「急ぎだから何度も電話しているのに何故出ない!」と怒られても困る。
伝言メモや留守電サービスの類は利用しているのだから、本当に緊急ならメッセージのひとつでも残せばいいのに。
前記のような人に限って、ただ何度も着信履歴を残すのみ。
そりゃあ電話の方が早い案件もあるし、記録に残さな炒めに電話のみで済ますこともある。
ただ、何度も電話をかけてくるのみで代替手段を取らない人のことは、自分の力不足だが理解できない。
(お手元の携帯電話・スマートフォンが通話専用もしくはこちらのメールアドレスなどを知らない相手であれば、もちろんそこは考慮する。)
最近コレに悩まされている。
自分はまあいわゆる『自分をADHDだと思っている低スペ人間だけど、実際ちょっとADHDっぽいしASDっぽくもあるけどカウンセラーに言わせると「そういう傾向がちょっとあるだけで普通の人です。ちょっと鬱病気味ですけど気分が落ち込みがちになっている程度なのでまだセーフです」的なポジションにいる低スペ人間』っていう現代日本だと30人に1人ぐらいいそうな感じのアレです。
そんでまあ30人に1人ぐらいいるってことは50人ぐらいの職場で働くと「もう1人のボク」と対峙することになるわけです。
100人ぐらいの職場になると「もう1人のボク」が2人になります。
そんでまあ今本当にその状態で、そのうちもう1人は全く別の部署で働いていて悪い噂が物凄い勢いで耳に入ってきます。
その人の悪い噂を聞くたんびに「ああ……この人は遠まわしに私の悪口も言っているのだろうか……そうやって釘を差されたところで今更直しようもないものだというのに……」と気分が落ち込みます。
そこまではまあ耐えられます。
むしろ「まあそういう人でも働けているわけだしセーフじゃないの?」と思います。
ですが……恐ろしいことに……なんと私の直属の上司がもう1人のアレな人なのです……。
結果として私と上司はお互いが持つ低スペ人間パワーをぶつけ合いながら日々「何で当たり前のことができないの?コイツは?」と考え憎しみをぶつけあっています。
お互いの弱点が分かっているのだから手を取り合えばいいのに……周りはきっとそう思っているでしょうが、なかなかそうはいきません。
結局の所、お互いが今まで「普通の人」の善意や助力に甘えて生きてき続けてしまったせいで、相手も自分も低スペだった場合の対処方法が分からないのです。
中でももっと辛いのが『お互いにコミュ障なのでそれを補い合えない』ことです。
喩えるのが少し難しいのですが……(以下「ここまで」まで読む必要なし)
『もしもコミュニケーションというものがお互いのコミュ力の合計が10あればきちんと成立するシステムだと仮定して、普通の人の基礎コミュ力が8だとしてコミュ障の基礎コミュ力が4だとしましょう。
この時普通の人同士で会話をするとコミュ力の合計は14もあるので簡単に会話は成立しますし、多少お互いの認識齟齬や聞き逃しがあってもよほどの事がない限り10を上回るので最終的にはあっさり会話が成立します。
また、コミュ障と普通の人が可愛する場合でも基本的に合計は12ポイントあるので、なんだかんだ普段の会話は割と成立しますが、ちょとしたことで会話に齟齬が生じ始めます。スキあらば会話が迷子になる恐ろしい綱渡りとなりますが、まあコミュ障はこれぐらいの事慣れてます。
さて、コミュ障同士が普通に会話するとどうなるでしょうか……合計は8です……。普通にやっていては会話が……成立しません。お互いがまず相手に歩み寄り、そして互いが理解を共有できる分野を探して何とか会話を成立させます。会話が実は成立してないことも多いですが、そこを掘り下げあうと相手のコミュ力の低さを皮肉るような会話にすらなりかねないのです。一見話が通じているように見えて実は互いが全く別のイメージを浮かべていることに最後まで気づかなかったりする事がままあるのが、コミュ障同士の会話です
』(ここまで読む必要なし)
つまる所、コミュ障同士で会話するとお互いの大いなる努力を持ってしなければ会話に齟齬が生じたままで終わりうるって事です。
日常会話や友達付き合いであれば「ばっかでー」で終わるのですが、仕事だとそうはいきません。
地獄です。
その地獄の中を業務のパターン化や、最終調整前の細かいやり取りで補うことで、ギリギリなんとか誤魔化すのが、コミュ障同士のビジネス関係です。
そして、その地獄に巻き込まれて周りは明らかに疲弊していきます。
そもそも2人の低スペ人間を抱えている時点で職場の戦力はダウンしているのに、更にソイツらの間でまともにコミュニケーションが成立しないから、一度でも伝言ゲームでそこを介したら一気に情報の信用度がガタ落ちするのですから、たまったものではないでしょう。
それを毎日毎日見ていると、どうしても「自分たちのような低スペ人間が社会に寄生するのはいい加減やめた方が良い。だが、低スペ人間同士が出会ってさえ居なければなんとかなるのだ」と考えてしまいます。
このような思考が脳内を走る日々の中で、受容の5段階に近いことが起きます。
否認、怒り、取引、抑うつ、それらのストレスから生まれるマイナスのエネルギーは自分と相手に向かいます。
眼の前にコミュ障が居なければ自分がコミュ障であるという事にここまで苦しまなくて済む、その事実は最初敵意となり、やがて同情となり、最後には「そもそも一番可愛そうなのは周りの人達だ」という気付きにたどり着きます。
さて、それでは、可愛そうな周りの人達を救うのに低スペ人間が出来ることは何でしょうか?
心は既に受容の5段階目を駆け抜けています。
ですが、どうにも上手くいきません。
方法を教えてください。
ちなみに会社と繋がっているカウンセラーにこの話をした所、「え?止めればいいじゃん?自動思考って自分で分かってるんでしょ?」っていう感じでした。
有名無名問わず、誰かがメディアでした話から別の誰かが一言だけ抜き取って、文脈から切り離してネットで持ち出して、そこから少数派を除いた多くの人がソースの文脈を参照しようとしないまま自己投影に基づいた批判や擁護(つまり妄想)のたたき台にして論争が繰り広げられる現象にまだ名前ないのかな— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) 2018年7月17日
おお、ストローマン!まさにこれ!ウィキで調べて勉強になりました。— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) 2018年7月17日
宇多田ヒカルさんのこの発言が、以下の状況を受けてのことなのかどうかはハッキリしていませんが、こんなことがありました。
※ツイート削除
さっきラジオで宇多田ヒカルが「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」と言い切っていたので心の中で喝采を送りました。あと「初恋はいつですか?」という質問に「したことない。まだ『これだ』って気持ちになったことないから」と答えていて(最高…)と思いました。
おそらくこれが起点のツイート。
この時点ではただファンがラジオの発言を受け止めて自分の状況に投影した感想でした。
そのツイートを受けて、以下のような内容のツイートが投下されました。
※ツイート削除
宇多田ヒカルの「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」発言に喝采みたいなノリは、宇多田ヒカルだから成り立つとかいうと怒られるかなぁ。そのままの自分を水洗いし泥を落として食べやすいように千切りにして、出来るだけ綺麗なお皿に盛り付けたりしてやってきたじゃないか
ただ
"「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」発言に喝采みたいなノリ" はこの時点で存在してません。
言ってるのは一人だけなんですが、それも"~~発言に喝采みたいなノリ"になるんですかね?
三島由紀夫さんのこれ思い出した。「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿を認めてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。」 https://t.co/33KMwn3yet— ゆゆゆ。 (@Yunonymous17) 2018年7月16日
など、「そのままの自分を好きになってくれない人と一緒にいても仕方ない」で検索すると色々出てきます
最初のツイート主が聴いたであろう「宇多田ヒカルのTRES BIEN! BOHEMIAN!」内であったお便りと、それに対する返答を書き起こしてみました。
ほぼそのままです。
かわまみさんより
私の初恋はかないませんでした。
でも、好きすぎてもう告白してしまいたいって胸が初めて熱くなったのを覚えています。
好きなのに慣れてないから変にいじっちゃって いい女友達止まり(あーなるほど)
重い荷物持ってたら 荷物持つよ せっかく言ってくれたのに、チャンスだったのに
強がって断って「男みたいだね」って言われてしまったり
男の人の前だと恥ずかしさをごまかしちゃうんだなーどうすればいいのかいまだにわからず彼氏できたことないです(泣)
ヒッキーどうしたらいいの~~
というメッセージなんですが
年齢のところみたら18歳なんですね
「18歳なんだからまだこれから大丈夫!」って18歳のときにいわれてもそんな風に思えないから しょうがないよね
私が一応年上としていえることは
たぶん、18歳ぐらいだともっとこう、かわいく甘えたり
女の子っぽくしてられる女の子の方が、かわいらしさが分かりやすくて
たぶん10年後とかになってくると
変に女女ぶってるより女の人より
ちょっと強がっちゃったり、友達として仲良しく楽しくやってける女の方が、モテる時期が来ると思うので!
そのまんまでいいと思います! かわまみさんは。
そもそも、自分をどうにか変えて、人に好かれてもしょうがないので
そのまんまの そういうかわまみさんを 「こいつめっちゃかわいいな~!」って
そういうのを含めて分かってくれる、人に出会えたら
出会えたらというか いつか そういう人が周りにいっぱい 気が付いたらいて、いっぱい好かれてると思います!
そんなところですかね
さっきの人たちは何の話をしてたんですかね……?
再投稿です。
そして人の愛し方が分からない。
親からも誰からも愛されたことがない人間なのだから仕方がないのかもしれない。
そもそも、私が、性同一性障害で他者から恋愛対象として見られず、また、女性に惹かれることが多いため、女性として過ごしてる私は、出会いがないからなのか。
私が発達障害やBPDの症状を軽度ながら持っていることがいけないのか。
死ねば楽になるのかな?
助けて欲しい。
=====
以下は、乱文であるが、私の過去を書かずにはいられなくなったので、ここに書こうと思う。(多少のフィクションは含んでいるが。)
日常生活は女性として暮らしていて、初対面の人と話したり、ショッピングや空港等で元男性と見抜かれることはほぼ無く、また容姿もそこそこいい方であるという自負はある。(ガタイが無駄にいいのはコンプレックスだが。)
幼稚園児のときに母と父が離婚した。その時の母と父の喧嘩を記憶していて、私にとっての一緒に暮らしていたこのろの父親像は母親に向かって怒りをぶつけているところと、仕事で疲れて寝ているところしか残っていない。そして、離婚後、親権は母親に移った。
そして、仕事に一辺倒になった母からは面倒を見てもらえず、妹と共に子供会の保護者と祖母に面倒を見てもらっていた。
祖母は優しい人ではあるものの、愛情表現をする人ではなく、また同じ家にいたわけではないので一緒にいる時間は限られいた。
私はこの頃、植物に興味があり図鑑をよく読み漁っていた。また、ピーターラビットシリーズを好んでいたことを記憶している。
小学生に上がったとき、ピアニカの色やランドセルの色が"私の望む色"出なかったことを記憶していている。
小学生2年生になると強迫性障害の症状を起こすようになった。ともかく、家の外のすべての物が不潔に思えた。1度病院に連れて行かれた記憶がある。幸い、小2のうちにだいぶ良くなり日常生活に支障をきたさないレベルには回復した。ただし、潔癖症自体は中学生くらいまで強い意識が残った。
また、この頃から学校でオカマとヤジされることが増え、友人は決して多いとは言える状況にはなかった。
この頃でも父親とは電話を通して時々話しており、またたまに合うことがあった。(よく上野の国立科学博物館と鉄博に連れて行ってもらった。)
ただ、一度、ファインディング・ニモに連れて行ってもらった。はじめての映画館で見た映画だったのだか、個人的に楽しめなく、父はそれに対して非常に怒っていたのを記憶している。
また、この頃から母親と父親の間で伝言を伝えるような役割となり、お互いの悪口を聞かされ、また経済状況についてと揉め事を聞く立場となっていった。
相手は子供が3人いたが1人はインフルで亡くなっていた。(ただし、継父に親権はなく未だに継姉・兄と顔を合わせたことはない。)
母はTVを厳しく時間を決める人であったが、継父はそうではなくよく妹や従姉妹にテレビを見せていた。それについて、母親と揉めることが多く、私がママっ子であったため母親側についた事により、私は継父から見せてもらえなくなり、次第に顔を合わせるだけで睨まれるようになった。
小4になると母と継父の間に子供が生まれ、何もしない継父と仕事しかしない母の代わりに祖母と私と妹がよく面倒を見ていた。
そして、この頃から、継父と私の関係は更に険悪になり、私が継父から身を隠すように家で過ごすようになった。
幼稚園児のころから高いところから飛び降りたらどうなるのだろう、という気持ちはあったものの、この頃には明確に死にたい、という気持ちがあった。
また、夢の中で継父を刺し殺す・絞め殺す夢を見るようになるようになった。(この夢は大学生1年の頃あたりまで続いた。)
小5になると母親の仕事が軌道に乗り始め、経済状況は一気に良くなるが、継父との関係は最悪になり、一度私が勉強机の下に逃げたところを継父に顔を蹴り飛ばされたことがあった。(ここらへんの記憶は曖昧で正確な時期を覚えてない)
また、私は元々書物を読む子供であったが、学校で男子からはオカマや(容姿を指して)キツネと呼ばれ、女子からは女子の中心グループと犬猿の仲だったため、更に書物を読み漁るようになった。(ハリーポッターを1日の放課後で2冊を読みきる勢いだった。)
小6では学校はだいぶ落ち着いてきたもの、継父との関係は相変わらずだった。
また、妹もこの頃から継父との関係が悪化してきており、不登校気味となっていった。
中学では寮生の少人数の学校に入った。これにより、家族とも同級生とも離れることができ、私にとっての人生の転換点てなった出来事であると思う。
ただ、男子は野球部に、女子はバレー部に強制的に入部であり、内心でバレー部に入りたいと思っていたが、叶わぬ願いであった。(幸い丸坊主は避けれた。)
中2になると寮の中で私が最年長となったためリーダーシップを取ることとなった。
完璧主義だったため自他ともに厳しく、今では後輩にもっと優しく接すればよかったなと感じる。
中3では男子として野球することが嫌で地元の中学に戻り、そこで小学校の時の数少ない友人と家庭科部をしていた。
またそれ以外については受験勉強をする日々であった。受験に関してはもともと勉強はできていた為もあってか、地域の公立高校の2番めに良いところに合格できた。
家での生活はこの頃、継父は単身赴任であったため、実家が一番平和な時期となっていた。(また、妹も私のいた寮にはいった。)
寮で過ごしたことにより、色路学べたおかげもあってか、継父と小学校の時ほどは酷い関係ではなく、お互いに最低限以外の会話をする程度にはなっていた。
高1では理系クラスであったため、いわゆるオタクが多く、私にとって天国のような環境であった。また、寮の時の後輩と文通をよくしていた。(寮は電話・メールは基本禁止だったため。)
また、中学生の頃から留学に興味があり、そのための準備をし始めた。
高2,3ともそれなりに優秀な成績で学校生活も楽しめたが、学校が福音派の学校でありLGBTに対して差別を行うというほどではないものの、聖書を引用して厳しい態度をとったこと、食事が不味いこと、男子寮で生活すること(アメリカで大学では基本寮生活)にストレスを感じ、アメリカの大学を受験はしなかった。
進路は迷ったものの帰国した年度中に大学の工学部に合格しそこに入学することとなった。(親元にいたくなかったので実家から通えない距離の大学のみ受験した。)
大学の学業については、アメリカの授業の進度が遅く苦労はしたものの、なんとかついていくことができそこそこの成績を収めることができた。
ただ、1年目に男子寮に入ることとなり、それで精神を病み、このままでは学業に支障が出たり自殺しかねないという事で、精神科(ジェンダークリニック)を尋ねた。
また、この頃に同じ性同一性障害の彼女が遠距離であるができた。(ただし、どちらかというと共依存のほうが近い関係であったと思う。)
B2になるとアパートぐらしに移り、またホルモン注射をするようになったため、見た目も女性的になりつつあったため、精神的に非常に安定するようになった。
学業についても学科の上位1割に入っており、勉強の遅れを鑑みれば非常に良い結果出会ったと思う。
ただ、この頃に彼女との関係が共依存に近いものであったこともあり、それが崩壊し分かれることとなった。
大学3年生の現在、自己の労働力や頭脳以外の"人間としての価値"を自分自身で見出だせなくなってしまった。
他大の友人との交流もあり、より良い環境の院に行きたいし、自分のやりたい研究・仕事もある。けど、それ以外の人間的な将来について何も想像ができないし、強い希望を持つことができない。
自分自身の事なのに自分だけではにもできない事でつっかかかってしまった。
来年までに戸籍の変更もできるだろう。だいぶ恵まれている方だ。
けど、戸籍を変更したら私は結婚という選択肢を捨てることとなる。(そもそもパートナーなぞできないが)
変更しなければ就活で奇異の目で見られ苦労し、キャリアに影響が出るだろう。
なのにどうしたらいいのか分からない。
ホルモンバランスの崩れのせいもあるのだろうが、また自殺願望が湧いてきてしまう。
薬物への知識も多少あるため合法な乱用の仕方も知っている。そこに逃げてしまう可能性が否定しきれない自分が怖い。
精神科・心療内科に行ったところで薬が出るだけだろう。それで一体何になる。
どうしたらいいのか。
助けて欲しい。
「クリスマスどうするの?」
退社間際、月島君が私を呼び止めた。彼は右手で車のキーホルダーを振り回し、ちゃりちゃりと鎖を鳴らしている。
「もう来週末だよ。何か予定ある?」
「家で妹と過ごすわ」
「去年もそう言ってたじゃない」
「そうだっけ。良く覚えてるわね」
「去年も誘って断られてたからなあ」
街灯の青白い光の下、彼は苦笑した。歯がやけに白い。
「どうしても妹さんと一緒に過ごさなきゃだめなの?」
「そうね」
「もし、予定が空いたら教えてね」
「悪いけど、空かないと思う」
「いずれにせよ、こっちの予定は空けとくから。それと、今日って金曜じゃない。今からちょっとだけ、どうかな?」 「ごめん、それもむり。いつもゴメン」
「わかってたよ。訊いてみただけ。週末も出来るだけ空けとくから」
「そんなことしてくれなくたっていいよ」
彼は私の返事を意に介さず、手を振ると、駐車場の方向に向かって歩き始めた。彼の背中は広い。私なんかに構ってないで、別の人を相手にすればいいのにと、思った。普通の若者らしいことを話せば話すほど、私には彼が、遠い別の世界の人間のように感じられてしまう。
クリスマス、と言われてみれば確かに街にはイルミネーションや飾り付けがなされ、スーパーマーケットではジングルベルが流れている。
イブの日は、例年通りなら学校の父兄たちが開催するクリスマスパーティにあろえと共に出席するのだろう。去年はうちを会場にして、随分前からみなで準備をしていたものだ。今年はそういえば、準備の手伝いに呼ばれていなかった。パーティには出席する予定でいるのだけれど。
「ああ、みなさん気を遣ってるんですよ」
あろえを引き取りながら深沢君にそれとなく尋ねると、彼はそう言った。
「えっ、気を遣うって、どういうことですか?」
「だって、八坂さんは働いてるでしょう? 他の方は大体専業主婦ですからね。準備はいいから、当日だけ来てください」
「でも、申し訳ないような。かえってパーティに行きづらくなりますよ」
「気にしなくてもいいと思いますけれど。あと、そうだ、伝言があったんです」
「伝言ですか?」
「もし何か個人的な用事があったら、あろえちゃんを一日預かっても良いって言ってましたよ」
今年の主催の奥さんが、気を利かしてくれたのだそうだ。私も年頃なのだから、イベントの日には何かとすることもあるだろう、と。
そんなこと言われても困るな、と答えかけて、ふと、さきほど月島君に誘われていたことを思い出した。もしあの言葉に甘える事が出来るのなら、私にも用事がないこともない。それならば、行ったらどうだろうか?
そこまで考えてから、月島君の誘いを案外まんざらでもなく思っていた自分に気が付き、恥ずかしかった。私は、そうだったのだろうか。
「何か、あるんですか?」
「いや、今のところ、何もないですけど……」
「大丈夫ですよ。今年は僕も出席するし、ちゃんと人手は足りてると思います」
「でも……」
「あ、どうしたんですか、顔が赤いですよ?」
「え……」
私は顔を抑えた。
「あどうしたんですかかおがあかいですよ」
窓の外を眺めていたはずのあろえが、いつのまにかすぐ傍に居て、唐突に言った。
そして、私の手を握ってくる。私はそれをきっかけに、深沢君に挨拶をして、慌ててその場を辞去した。
「困ったな」
「こまったな」
「クリスマスねえ」
「くりすますねえ」
「こんなことで迷うことなんか慣れてないからどうしたらいいかわからないよ」
学校からの帰り道。私は立ち止まり、あろえを振り向かせてから尋ねた。
「はい」
彼女がこんな風に即座に「はい」と答えるとき、話の内容を理解していたためしがない。
「あなたは寂しがったりしないのは知ってるけれどね」
「すごいぜたふびーむ、つよいぜたふびーむ……」
「結局は、私自身の問題なのよね。自分のこと決めるのって大変だわ」
「じゅうまんばりきだたふびーむ」
お互いに独り言を呟きながら歩いている姉妹をみて、通りすがる人はどう思っただろう。
https://www.saibunkan.co.jp/lechocolat/soft/ka_swan/images/preswan.htm
「つらそう」「倒れないでね」とか言われる。まぁ異動してきた直後は、周囲の人の顔も何も覚えないうちから「あれやってこれやって」と言われてパニック起こしてたし、元々マルチタスクが苦手なので自分が資料広げて仕事してるときに、全然違う仕事の話をされると「あれ、どこにやったっけ?」とそっちの資料も探し始めるから、ますます机のうえがカオスになっていた。それでさらに電話がかかってきて伝言が必要なものだったりすると、電話メモを書いているうちについさっきまで何をやっていたか忘れた。
今は多少慣れてきたつもりなんだけど、相変わらず周囲から心配される。持病で表情のコントロールができないので調子が悪いとしかめっ面になっちゃうし、人さまに比べて花粉症の期間が異様に長いので、いまだに鼻水が止まらず、ティッシュで押さえてぐずぐずしてると泣いてるように見えるのかも知れない。
仕事は遅いし、ときどきポカもやるので、一丁前にはほど遠いけど、気がつくとよく繰り返す特定の仕事にはだいぶ慣れてきていたりする。残業は多少しているが、あまり遅くまでやっていると集中できなくなるし、翌日に持ち越したくないので、体力的につらくならない範囲で残っている。
まぁ希望してきた職場じゃないから、不平不満はいっぱいあるけど、偉い人たちが早朝から夜まで駆けずり回って働いているのを見ると、何も文句が言えなくなる。心配してもらえるのはありがたいけど、要するにいっちょ前の戦力として期待されていないということだ。多分周囲の人たちは、前任者を新職場から連れ戻してほしいと思っているのではないだろうか。
それに、根本的に仕事が嫌いだ。退職金を割増しでもらえる歳になったら速攻で辞めたい。具体的に何をどうするかは決めていないけど、せめて週3~4日ぐらい働けばいい、気楽な仕事に転職できたらなぁ…と思う。ああ、憧れの週休3日生活。親に言うと猛反対されるし、今後まともに年金が出る保証もないのにわざわざ早く辞めるなんて…という気持ちは分かるが、仕事がイヤでイヤでたまらない気持ちが、私の顔やカオスな机に表れているんじゃないかと思う。頼むから辞めさせてくれ~!
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?
その先どんどんしんどくなるわけではないよ
自分のときもそうだったが、どうも社会の風潮として20代過ぎたら人生下り坂みたいな空気があるけど、あんなの全然ウソ
何であんなにへっちゃらな顔して生きてんだっていうオッチャンオバチャン、たくさん居るやん
あれ、昔の人がタフだからとかじゃなくて、年取ってからの方が生き易いからよ
社会の構造的に若者が苦労するように出来てるっていうのもあるとは思うけど、それ以外にも若者はホルモンバランスやら
受験、大学デビュー、就活、社会人デビュー、親からの独立等々、次々と色んな事があって、気落ちする要素が多いと思う
あとまあ、年取ると感情も若い頃に比べて鈍くなってきて、苦痛もそこまで鮮烈でなくぼんやりした感じになる(楽しさもそうなるが)
もう一度言うが、そこまで来たらあとはだんだん楽になってくるよ
たまに仕事大好き人間で、それなりの地位なのにお茶汲みとか電話番までしゃかりきに自分でやろうとする人がいて、理解不能である。
管理職だったら管理職にしかできない仕事を優先しろよと思う。こっちは下っ端なので、電話とって雑用こなしてなんぼだけど、人が少ないときに電話を取りまくって伝言メモを書いて、相手の机に置きに行くだけで疲れる。
自分は仕事が嫌いなので必要最低限のことしかやりたくない。そして、わざわざ自分がやらなくても良い仕事まで抱え込んで残業しまくって疲れている人をアホだと思う。
だからといって偉そうに「電話はあんたが全部とっといて」とか言われたらムカつくけど、雑用から解放される代わりにに責任の重い仕事を処理するのが役職のある人の本来業務じゃないんだろうか。
やるべきことをやらない上司というのもムカつくが、余計なことをやり過ぎる人も勝手に自分を忙しくして疲れさせてどうするよと思う。優先順位間違ってる人や、やたらと忙しそうにして他人にプレッシャーかける人が嫌い。
何かね~、自覚してるかどうかはともかく、自分の時間を犠牲にして仕事に賭けてる的なアピールがイヤなのだ。下っ端は下っ端なりの仕事をして、管理職は管理職の仕事をして、お互いなるべく定時までに仕事を済ませるのがベストじゃないのか。自分じゃなくてもできる仕事は振るべき相手に振れよと思う。
【① 受信後、返信前】
相手からのメッセージを読んでもスグには返信をしてはいけません。
一度手を止めて時間を置きましょう。1分から2分は最低でも手を止めます。
5分ぐらいあるとベストかもしれません。
よく恋愛テクニックで「すぐに返信はしないで相手を焦らす」なんてのがありますが、
これはそういった意味ではありません。
ただ単に冷静になって返信内容を考える時間を作る為です。
落ち着いてゆっくりと返信内容を考えましょう。
冗談のように思われるかも知れませんが、これが一番大切なことです。
【② 送信内容】
(良い)→ 質問を返す
(① 質問)
相手「ひまー?」
僕 「暇だよー、どうしたのー?」
(② 事実)
相手「ひまー?」
僕 「暇だよー、ひきこもり。。」
(③ 想像)
相手「ひまー?」
僕 「暇だよー、こないだ話した店いくー?」
しかしあまり仲良くない人に質問をすると、気持ち悪い人になってしまう可能性もあるので、
まだ相手とギャグを言い合える仲ではない、誤解されてキモいと思われたくないのでしたら、
三番目、先の会話を想像で返信するのは絶対にやってはいけません。
ここで重要なのは「相手が何を言いたいのかはまだわからない」という点です。
頭の回転が早い人は気を利かせたつもりで相手の言いたいことを先読みしようとしますが、
妄想の先走りで痛々しい勘違い男にならないように気をつけましょう。
当然のことながら長文は禁物です。
一回のメッセージで一つの話題、出来れば一言の返信を目指しましょう。
そして言葉は短くなればなるほど、親密な関係の証ともいえます。
高等なコミュニケーションは相互理解、共通言語を作る所からといってもいいでしょう。
メッセージのやりとりを続ける中で、お決まりパターンや合言葉を作ることを目指しましょう。
言葉使いを真似する、スタンプを真似するなど、自分がやってほしいことを相手にやってあげましょう。
では言いたいことがありすぎて長文になってしまう場合はどうしたら良いのか?
長文を書いてしまった場合は消してください。それを送ってはいけません。
この記事を開いた時、長っ!めんどくさっ!って感じませんでしたか?
そしてここまで読んで下さったあなたは、流し読みになってますよね?