はてなキーワード: ムーヴとは
「穴モテ」すらしない「女」がおること、想像できんか~?????
これまで会ってきた家族以外の男全てに「存在自体が気持ち悪い」「視界から消えてほしい」「汚物」「あれにマンコついてること自体が受け入れがたく不快」「あれの穴に入れたらちんこ腐って死にそう」とか罵倒されとる女の存在、想像できんやつおるな~?????
「穴」自体が汚泥とか肥溜めとか放射性廃棄物相当の「挿入行為で自分にとんでもない害が生じる」と忌避される「女」、ここにおるで!!!!!
まあそういういじめを小学校から社会人まで受け続けてメンタルがメコメコになって職場のトイレでリスカしてズタズタの腕を同僚と上司に見せつけてどや顔したらなんかクビになって、今では無事に無職の引きこもりですは。
なんかね、家に帰って「マンマァ~~!!!」しか言わんようになったら母ちゃんが私を哀れに思って世話してくれるようになったんだわ。人生最高!
世話してくれんかもしれんけど病院には入れるかもしれん。そこから「マンマァ」ムーヴを周囲に展開していくといいよ。
なんか…なんか知らんけど…医療とか福祉の人(男女問わず)の中には介護がそんなに苦じゃない鉄人みたいな人がごくまれに居るから、そういう人かな?と思ったらすかさず「マンマァ」すればその人が(こいつ…要介護だ!!!)と認定してくれて面倒見てくれるかもわからんで。
とにかく「マンマァ」や。弱さをさらけ出すんや。私は女だから確かに「マンマァ」ハードルは低かった。男が「マンマァ」しても需要あるわけないだろと思うかもしれん。
でも実際「マンマァ」レベルまでいくともう性差とかそこまで関係なく狂人なんで、誰かが世話してくれる確率が確実に発生する!これは大きなチャンスなんや!
あとはまあ死なない程度に自殺してつらたんアピールも確実に「効く」けど、失敗して死んだら私もあなたも困っちゃうからあんまりおすすめしません。首吊りに失敗して脱糞とか、あんまり清潔じゃないしな。
とにかく!自分の「弱さ」を活かせ!と言いたいんや。がんばれ。世話好き通り越して介護好きの人類は確実に居るんやで!捕まえたら離さずに一生をかけて依存しろよな!!!
M2なんですよ。
で、ありがちなことに投げ出して引きこもっていたんですよ
原因について言語化したくなくて考えないでおいたんですけど増田にならできる気がするので書きますね。
・今年はコロナの影響で3月-5月は学校侵入禁止だったんです。だから研究ができないから雑誌会をめっちゃやろうかということで月1本くらいやることになっていたんですね。本来は就活が終了した人から大体7月くらいにやるんですけど。
・ついでに自宅で就活をする必要があるではないですか。でもちっとも進まなかったんですよ。自宅なんて寝る用のスペースしか用意していないのに、部屋は妹と同室なのに、自己管理ができないからコアタイムがちがちの厳しめな研究室にしたくらいなのに、説明会も会場に行くのではなく自宅で好きな時間に見るようになってこれまた自己管理の必要性が出てきて、そもそも友達がいないし、まあこの辺は言い訳なのですが、ESが出せない出せない。うっかり期日を過ぎた企業が多数で、何とか出せた数社も締め切り数時間前に滑り込みだし、まあそんな感じでグダグダしていたんですよ。それを横目に数少ない友人は内定を決めてくるしね。
・とはいえ思ったよりも自己を律せられなかったなと思う。1月から発狂したように就活をしていて体力が無い癖にその体力の無さを認められず把握せず管理せず休みもほとんどなく体力的に疲れていたというのもある。コアタイム中に実験をサボって就活をしているというのが快感で、就活をしないのだったら実験をしなくてはならないというのが一応のプレッシャーではあった。これが急に無くなってサボろうと思えば私だけの不利益でサボれてしまうんだもの。
・そんな中雑誌会もしなければならないじゃないですか。私そんなに成績いい方じゃないし本当下から数えたほうが早いし有機化学も得意じゃないしでもまあ実験は好きだから研究室来たんですけど手を動かすのは好きだけど得意とは言っていないのですけど、
で、だからこれまで雑誌会は本当に締め切りのめちゃくちゃ前からゆっくりじっくりやるのが好きだったんですよ。でも就活(やっているとは言っていないが)の合間を縫ってやるのが本当に進まなくて。1つ目は締め切り1週間遅れで無理やり仕上げたけど自分の目で見てめちゃくちゃクオリティ低いし。っていうか普通雑誌会が出来たら発表する前に先輩や同僚に見せるのが慣例なんですけどそんな暇もないし。
・というかね、うっかりもうM2なんですよ。つまりね、後輩の面倒を見なければならないということなんですよ。でもここ2年で全然成長していないし本当成長が遅くて。正直私より後輩の方が普通にできるし。だから私に雑誌会の添削を頼んでも大したこと言えないと思うのよね。というか添削本当に苦手なんですよ。普通に頭悪いし本質を理解せずにパターン丸暗記の段階だから応用が効かないし。ああ私勉強できなかったんだな分かっていたことじゃないか。でもそうすると5人もいる後輩をもう一人の同期がほとんどすべて面倒を見ることになるじゃないですか。同期はまあ面倒見がいいし要領がいいし文句はめちゃくちゃ言いつつもやれると思うんですけどそれは申し訳ないし何より悔しいじゃないですか。でも私事実後輩の面倒を見るの得意じゃないしできないし苦手なんですよ。こう、できないのにできるふりをして無駄に高圧的に的外れなことをいう典型的な悪い上司ムーヴをしてしまうんです。まあ言い訳なんですけど。
(今考えると結果的に投げ出しているので後輩指導を同期に丸投げしていることになっている。意味がない。)
・で、二つ目のも無理やり仕上げたんですけど本当クオリティ低くて。というか2つくらい難しくて分からないけど調べ方が分からなくて。これを晒して後輩に笑われるのが怖くて。恥ずかしくて。
・で、提出を投げ出してすべての連絡を絶って引きこもったんですね。
就活もちょうどいいから投げ出して。推薦で行く予定だった最終面接も投げ出して(これは本当に、後輩に申し訳ない)、ほかもろもろ投げ出して。
引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
私の現状を知った父に引っ張り出され無理やり研究室に行かせられているのが今日である。
・まあ今年の、同級生にありがちな就職は厳しそうだろうなというタイミングだから諦めもついたというのもある。
・正直私は今でも退学したい。恥ずかしい思いをする場から逃げ出したい。
ただこうやって当時の心理を言語化すると感じるが、本当に視野が狭いし、中島敦の「臆病な~」を送りたい状態だな。今もそうであることは否定しないが。
就活でハイになって、先輩もいなくなって、自分の期待値を上げたのが悪かったのかもしれない、敢えて悪者を作るとすれば。
・他の同僚に受け入れられるかという話ですが、みんな意外と優しいので私がヘラヘラしていたら受け入れてはくれるし排斥はしないと思うし、そこはあまり心配はしていないのだけど、普通に受け入れられた後に普通に研究を続けた後普通に研究とかのコミュニケーションでうまくいかなさそうでそれは心配。
・多分留年すると思うんだよね。前期の研究の必修の単位落としたし。
就活どうしよっかな、いっそ別の分野で文系就職をした方がいいのかしら。でも他にとりえもないしコミュ力が無いからこの分野(化学系のメーカー)で就職したいとM1の時に思ったのであって、文系就職の方が苦戦しそうな気がする。
でもなあ、研究室で私がうまくやれていたかというとそんなことないので、きっと雰囲気や求められている資質が同じな化学メーカーの研究職に行ってもどうせダメな気がするなぁ。
そこは迷わないと決め打って就活をしてきたんだけど、こうなった現状迷ってしまうな。じゃあ他の分野と言われても何、って感じだしな。どうやって調べたらいいかすら分からないな。就職イベントとかに行けばいいのか?インターネット苦手だな。
分かんない。どうやって決めたらいいのかわからない。自分で決めて自分で自分の責任を取るのが怖い。
・M2になってさ、できる人にならなくてはならないという思いはまあめちゃくちゃあったよね。そこは諦めたほうがいいんだろうなと言う思いは持つことにした。
・うちの研究室の5年前くらいの卒業生に似たように3年かけて卒業した先輩がいることは知っている。隣の研究室で私の2つ上の先輩に留年した先輩がいることも知っている。前例がいればいい訳ではないが、まあ事実として少しの安心材料にはなる。
・研究についてですが、そもそも個人テーマだし、ちょうど芽が出ないから他のテーマやりたいですと言っていた時期だったし、その意味ではあまり問題は大きくない。
12月に学会に行くと言ってしまっていたので、それをどうするかは教授と相談しなくてはならない。多分振り込みはしたが申し込み書類は書かずに投げ出したし事前のなんちゃらも何もしていないのでどうしたらいいのか教授と相談しなければならない。
・教授はいい先生だと思う。比較的手厚いし、生徒を気にかけているのは感じるし、私に心配のメールを送ってくれていることからもその辺は豆である。
ただ優秀な人には嫌われがち。管理したがりだし、厭味ったらしくはあるし。
・ただ事実として毎年のようにドロップアウトする学生が続出しているのは先生が可哀そうだなと思う。私みたいな学生をうっかり取ってしまって本当に申し訳ない。多分お情けで取ってくれたのは知っているし(私の年は偶然定員オーバーしていなかったから落とされなかったが他に人がいたら落としていたとは思う。似たようなことは取るときに言われた。)、本当はた迷惑な学生で申し訳ない。
母が言っていたが、だとしても取ってしまった以上卒業まで面倒を見るのは仕事なので教授の義務らしい。知らないがアメリカならとっくにクビなのではないだろうか。
その辺は日本の大学の古くて有り難い部分だと思って権利を行使するべきなのだろうか。定期的に頭の中の私が「私にそんな権利ない!やめるべきだやめたいし!」と叫ぶ。
でも父も母も口を揃えてやめるなと言うのでやめない方がいいのだろうな。
・せめて雑誌会をさ、クオリティ低いものを提出するか、せめて「間に合いませんごめんなさい次週でいいですか」の連絡くらいするべきよね。別に就活も投げ出して私生活も投げ出せば許してくれるわけではないから。先生は私がこんな感じなのは十分知っているのだから優しくも「無理そうですか?」というメールもしてくれいていたのだし。
当時は鬼の形相のメールに見えたが今読むと全然そんな事なくてむしろ優しい文面で驚く。
・最近、先生が、なよい学生が増えたから緩くなったよねと言われていて、その一翼を私も担ってしまったのが悔しい。
(悔しいと思う箇所がずれているとはよく言われる。これもそうなのだろうか。多分本当に悔しいことは他にあって、でも言えなくて、まだ言えそうなことになすっているような気がしている。)
・ねえそういえばこれファーストコンタクトを教授にしたけれどさ、普通は同僚の学生とか他の研究室の懇意にしている先生とかに相談すべきだったのだろうか。
もうちょっと書きたいことがあるのだけどまた書いて再投稿します。
【9/29 0時 追記】
とてもあたたかいコメントが沢山ついていて本当に驚きました。ありがとうございます。涙が出ました。
大学を卒業してそのまま大学院に進んだけどついていけずメンタルもフィジカルもぶっ壊して一旦地元に帰ることになった.一浪して入った大学,一年休学することにした大学院を経て得た肩書きは実質無職なニート予備軍の学生(24歳独身男性)であった.
結構絶望の淵にいて,健康状態を考えると寿命で死ねるとも思えないし継続的に勤続することもかなわないという思いも首をもたげ始めてしまっていた.地元の図書館で司書でもやって静かに死んでいこうと決意し親と相談するまでに至っていた.親としてはひどく心配し,そして失望したことだろう.手塩にかけて育てた長男が体を壊して地元の小役人に封ぜられてしまうのだから…….そんなふうに思われているかもしれないことにひどく憤った気もするが,自分にはどうしようもない定めだと受け入れていた,いつの間にか.
何がきっかけだったか,毎度帰省しても引きこもってばかりだったのを,今回くらい誰かと連絡をとってみようということになった.確か,ほとんど話したこともなかったような,それでいて不思議な魅力をまとった子から「よんだ?」とだけメッセージを貰ったことが発端だったかも.今見返してきたらたしかにそうだった.彼女に救われたんだと思う.
久方ぶりに会うさしてよい思い出があるわけでもない男女,なんてどんな距離感で話せばいいのかわからなかったけれど,彼女の都合で結構遅い時間から駅前で飲もうということになった.そんな,都合がいい女ムーヴされて俺はどうすればいいのかと困惑したけれど(下心がなかったかと言えば嘘だけれども),誠実に対応して,テッペン過ぎてから何故か近くの史跡を深夜徘徊したり,あまりにも蚊が多いので彼女のクルマの後部座席で一夜を明かしたり(もちろん手を出したりはしていない),ともあれ楽しかった.ただ肌に触れて髪に触れて,延々と中身のないことを語らっただけなのだが,それまでのすべてが報われたような気持ちになった.
それだけでも十分に価値ある時間だったけれども,そのあとにもいくつか同様に幸せな機会が連続した.艱難辛苦をともに乗り越えてきた男友達と温泉に行った.それがきっかけで地元の友人達とさらに顔を合わせる機会が増えた.謎の営業マンとのみらいを語る会に巻き込まれた.これはこれで楽しかった(データサイエンティストはいいぞという話をエンドレスエイト).地元の連中なんて中学以降ほとんどあっていなかったけれど(そのせいでそもそも自分の進んだ足跡がほとんど知られていなかったのは驚いたけれど),いろんなやつのその後を知った.成人式に息子を連れてきた中卒のやつはもう社会人9年目とか,結婚と離婚も経験してたりとか,婿入りして逆玉の輿社長になってるやつとか.当時は気づかなかったが,友人女性はみな本当に美人で,彼女らをブスブサイクだのと対立してきた当時のぼくらはいったいどれだけゼイタクだったのだろう(笑)そんな彼女らと笑って語らうことができる機会もまたありがたかった.自分が肯定されている気持ちになった.
気づきもあった.例えば学歴を武器に生きている人間はそこには一人もいなかったこととか.みんな別々の流れに沿って強く生きていた.みんな社会人になって自分の力で生きようとしていた.自分はまだ学生,それも親に頼り切ったままであった.
ある意味無敵状態になっている気がして,この流れを逃すまいとして昔々の恋人に連絡を取ってみることにした.非常に不甲斐ないことに,いづれも不本意な終わり方,不誠実な別れ方をしてしまった過去が私にはあり,それがずっと心のどこかで引っかかってトラウマになっていた.呪いや縛りや鎖と呼ばれるものである(大学時代に誰一人としてうまくやり取りできなかったのはここに原因があるのではないかとも思っている).それと向かい合ういい機会であると思い立った.
返事は直ぐに返ってきた.「ふたりで」食事に行こうと提案した.拒否されなかったのが不思議であるが,このせいでさらに調子に乗ってしまった.自分は祝福されている.肯定されている.生きていてもいい.本当にそう思った.いまもそう思えている.そのときのことはここには書かない.自分の中にしまっておく.
もう長すぎるのでまとめる.
1.自分だけの人生の閉じこもっているとひたすらつらい.もっと他の人の人生を見て聞いて,感じるといい.
2.そのためには自室から出よう.物理的に出る必要はないけど,もっと自分の外の世界と触れたほうがいいだろう.
3.自分を肯定してくれた存在を思い出そう.自分を肯定してくれる存在とともに生きよう.きっと自分も誰かを肯定できる存在であるはず.
言いたいことがうまく表現できているとは思えないけど,推敲なしの文章一発目ならこんなものだろう.
いまは休学中だけど,とりあえず生きていけるだけの資格と経験を得られるようにしようと思う.文字にして自分の考えをまとめられてよかった.以上です.
……という話になるはずなのに、女性BL研究者がハル・ベリーの降板を支持してるのが謎すぎるんだよな。
「大炎上」を受け……ハル・ベリーのトランス役降板は、行き過ぎたポリコレか? | 文春オンライン
これは、トランス役にトランスジェンダーの俳優をキャスティングしたっていう話じゃなくて、トランス役に決まってたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろしたって話だよね。
私は、トランスジェンダーの俳優にシスジェンダー役を演じる権利と資格があるのと同様にシスジェンダーの俳優にもトランスジェンダー役を演じる権利と資格があるはずだと思うので、本質的な演技力に欠けるとかの話であればともかく、シスジェンダーであるというだけの理由でハル・ベリーが引きずり下ろされたのは間違っていると思う。仮にトランスジェンダーの俳優の雇用機会を尊重するにしても、それは新作映画に積極的にトランス俳優を起用していくとかのやり方であるべきで、一旦は内定していたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろすのはどう考えてもおかしい。
でもまあ百歩譲って、シスジェンダーであるという理由でハル・ベリーがトランスジェンダー役から引きずり下ろされたのは正しいとしましょう。
BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」ことを肯定した人が、女性文化としてのBLを肯定するのは意味不明すぎる。当然、ゲイではないどころかそもそも男ではないBL作家は全員引きずり下ろせと主張しなければ筋が通らないだろう。
いや、「当事者じゃないやつが当事者の役をするな」っていう主張はそういう結論を帰結するんじゃないんですか?
映画のトランス役はトランスの役者じゃないとポリコレじゃないけどBLは女が書いててもポリコレ、なんて理屈が通るわけないでしょ。
当事者の役は当事者がやるべきだ、というのはひとつの主義であり、私にはまったく賛同できないけど、それを一貫して主張するのであれば賛否はともかくとして立派な態度だと思う。でも、同じ口で当事者じゃない人が書いてる創作を称揚するのはダブルスタンダードってやつだろう。
私は、演技や創作に当事者性は必ずしも必要ではないと思う。低い声を出せるのなら女性声優が男性キャラを演じてもよいし、高音を出せるのなら女性キャラクタを男性声優が演じてもよいし、同性愛者の俳優が異性愛者を演じてもよいし、黒人声優が白人キャラに声を当ててもよいし、日系アメリカ人が中国を舞台にした映画で主役を演じてもよいし、第442連隊のドラマに中国人をキャスティングしてもよいし、男性作家が百合小説を書いてもよいし、女性作家がBL漫画を描いてもよい。だから当然、ハル・ベリーにもトランスジェンダーの人物を演じる権利があるはずだ。
でも、ハル・ベリーは引きずり下ろされた。
それを支持するのなら、当然、自分の好きなジャンルでも同じことを支持してなきゃおかしいはずですよね?
他人に行き過ぎたポリコレを押し付けておいて、自分には適用しないなんて都合のいい話が通用するはずないでしょう。
先月のBLポリコレ問題もそうだったけど、女性文化としてのBLとポリコレは根本的に相容れないのに、ポリコレを推進する女性のBLファンが大勢いるのは本当に謎。自分の作品の中でポリコレに気を使っているだけならとやかく言うことじゃないけど、他ジャンルにポリコレで火を付けてまわっているのはいったい何なんだろう。他ジャンルがポリコレじゃなくても放っておきなよ、あんたの好きなジャンルだってポリコレじゃないんだからさ。ポリコレじゃない創作をしている者同士、仲良くポリコレの押し付けに抵抗しようぜ。
BLというのは、女性にとって性のファンタジーなので、リアルな社会とは全く無関係なんですよ。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」というのは、リアルな社会問題を扱っているので、全く別。
「これはマイノリティを扱ってはいるけどあくまでもマジョリティにとってのファンタジーだから実際のマイノリティとは無関係」なんて理屈、ポリコレ的にはアウトに決まっとるやんけ。
いや、ワイは「BLは女性にとってのファンタジー」でいいと思うよ。「ジャンプのお色気セクハラ描写も男性にとってのファンタジー」なわけだし、当事者の人たちがBLに対して「こんなゲイはいねえよ」って思ったとしても、それは女性が男性向け作品に対して「こんな女いねえよ」って思うのと同じだよね。消費なんてのは多かれ少なかれそういう要素があるんじゃないですか。そこに文句つけるのは野暮ってもんよ。
でもそれはポリティカリー・コレクトな態度じゃないよね。マイノリティの表象をマジョリティが好き勝手に消費するのはよくない、というのがポリコレなんだから、BLが女性のファンタジーであればあるほどポリコレ的観点からは否定されるべき対象にしかならないでしょ。
女性文化としてのBLとポリティカル・コレクトネスは水と油なんで、どっち捨ててどっち守るか選んでくださいね。個人的にはポリコレ捨てるのがオススメだけど、BL捨てるっていうなら止めないよ。
それトランス俳優の活躍の場が非トランスに奪われてるのはおかしい、っていうのがまずありきだろ
なおポリコレ先進国では「シスジェンダー女性がゲイを主人公にした小説を書くことは当事者から機会を奪っている」という理論に基づいて女性小説家が叩かれている模様。
そんな遅れた認識でポリコレについて論じてたの? ちゃんと認識をグローバル水準にまでアップデートしてね! そんな認識じゃガラパゴスすぎるよ!
まあ普通に考えたらこんなの言いがかりでしかないけど、ポリティカル・コレクトネスの理路からいえばこうなっちゃうんだから、ポリコレを支持するなら女性作家がBL書くのは問題視されなきゃおかしいんじゃないですか。ワイは「こんな結論が導かれるポリコレは根本的に間違っている」って思うけど、日本のガラパゴス表現を批判しグローバル水準を崇め奉るポリコレ支持者の皆さんは当然この結論にも賛同するんですよね?
メキシコ移民を題材にした小説『夕陽の道を北へゆけ』について、作家が縁もゆかりもない白人で文化盗用だと批判されている( https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2020/08/post-68.php )ので、文芸も批判の対象にはなりうると思う
綿密にリサーチしてリアリティに凝っても当事者じゃないとポリティカリーにコレクトじゃない扱いされるのどうかしてるけど、こういうイカれた状況が現代ポリコレの最先端なんだから、日本のカルチャーはポリコレを取り入れてアップデートすべきと主張する向きにおかれてはぜひぜひ有言実行で最先端のポリコレを取り入れてくださいねとしか言えない。ワイはこんなのついてけねえって思うからポリコレに敵対するけどな!
少年ジャンプ編集部に腐女子の女性が入り込もうとしてた件も、要するに男性文化の簒奪なので、女性は女性の文化を自力で作ってほしい。女性主人公で自立したフェミ的、ポリコレ的価値観の作品を……。
一応言っとくと、ワイは「ポリコレを支持するならBLはアウトでしょ」と言ってるのであって、「BLはダメ」とも言ってないし「男性文化を簒奪するな」とも言ってないで。あくまでポリコレと女性文化としてのBLは相容れないって言ってるだけ。当然ワイはアンチポリコレ派なのでBLも自重せずどんどんやれ派です。
ポリコレ派腐女子は、まあ、うん、政治的信条に従って趣味捨てるか趣味に操を立てて政治的に転向するか、好きな方選べばいいんじゃない? そんなのはあくまで腐女子の中のごく一部、ノイジーマイノリティなんだろうし。……ノイジーマイノリティだよね?
該当記事、トランスの身体性はシスに再現不可能と断言してるのも悪手だと思う/てか何故それこそ当事者じゃなくBL研究家の人が書いたの?/日本腐ェミが連帯しようと言ってた韓国フェミも最近は「脱BL」掲げてるよね
トランスの身体性はシスには再現不可能論、つまりトランスとシスの違いは服を着て演技していてもわかる、見分けがつく、という話だから、それを特定の属性の排除の口実に使うのはトランス女性は女子トイレに入るなって言ってる人たちと半歩くらいの距離しかなくない? って思うし、その論理で言うなら当然トランスはシス役を演じることもNG、シス役はシスの俳優に、という結論になっちゃうよね……。
韓国のフェミニズムを持ち上げてたら脱BLの動きが始まってて頭抱えてるのは草しか生えない。結局、アメリカのポリコレは所詮「アメリカのポリコレ」であり、韓国のフェミニズムも所詮「韓国のフェミニズム」に過ぎないのであって、日本の文化風土に適してないんだよね。そこは日本風に換骨奪胎しようとする試行錯誤が必要なはずだったのに出羽守ムーヴを決めちゃうから外国の動向に振り回されることになる。本当に大事なのは日本社会で生きる我々がいかに自由で主体性を保っていられるかという点なのに……。
実際、これがスタンダードになったらおっさんずラブみたいなドラマはガチのゲイにやらせなきゃいかんようになって成り立たないよね。そんなんカミングアウトしたくないだろうし。
トランスの役はトランスの俳優に、と書いた同じ記事で『his』はゲイへのエンパワメントとか書いてあるのは意味不明すぎるよね。宮沢氷魚ってカミングアウトしてたの? 知らなかったなぁ(棒読み)。COしてない俳優が出演しててもエンパワメントになるならシス俳優が演じててもエンパワメントになるやんけ。別々の記事ならともかく同じ記事でこんなダイレクトに矛盾してるのはちょっと……
それはずれた論点に感じられる。生み出すものが完全に虚構か、実際の肉体を持った人間を利用したものか、は受け手に大きな差があると思うんだけど。この論理だと男性百合作家もダメだよね。
「当事者の機会を奪う」が論点になってるんだから完全な虚構か実際の肉体かなんて些細な違いでしかないし、ちゃんと小説が問題視された例も提示してるのに読めない?
「この論理だと男性百合作家もダメだよね」って言われても、うん、そういう帰結になるからおじちゃんはポリコレに反対してますって話をしてるので……え? まさかワイがポリコレBL規制派だと思ってるの? 読解力ぅ~~~~~~~~~
非当事者がマイノリティを主役にしたものを作るなって言われてるんだから、当然、ポリコレの観点からはそもそも女がBLを書くこと自体がけしからんという結論になるんじゃないですか。
……っていう話をしてるんですがマジで通じてないの? 読解力やべえな! これもう賛成反対どうこう以前の問題でしょ……
そもそも論として、炎上したから慌てて引っ込めた的な話をあまりロジカルな文脈に出すのは双方良くない気がする。 / だんだん語調が強くなりすぎてBL全体を委縮させる意図でもあるのと増田に聞いてみたくもなる。
BLは別に萎縮する必要はなーんもないし好きなだけ男どうしの性愛を描けばいいと思うんだけど、ポリコレを掲げて他ジャンルにイチャモンつけてまわってるごくごく一部のBLファンの活動については存分に萎縮すればいいと思うよ。キズナアイNHK特番とか宇崎ちゃん献血ポスターとかラブライブ皺ポスターとかの昨今の男性向けコンテンツの炎上事案、どれも腐女子兼フェミニストの人たちが中心になって暴れ回ってたよね?
「BLはちっともポリコレじゃない」「ゆえに腐女子は他ジャンルのポリティカリー・インコレクトな描写に文句を言う資格はない」の2点がコモンセンスになってほしいなぁ、というだけ。どうしても他人をポリコレ棒で殴りたければ腐女子をやめてからにしようね。もちろんポリコレ派じゃない大多数の腐女子に対しては何も文句ないっすよ。存分に男どうしの愛を創作して楽しめばええねん。
「お前の理路を敷衍するとこうなるよな?」という話が「たとえ話」に見える人間、議論に向いてなさそう。
それを認めると、創作物かけないじゃん
大学入試の現代文、あまりにも簡単すぎて足切りとしての意味あるの? って正直疑問だったんだけど、なるほど足切りとしてはあのくらいのラインがちょうどいいんだろうなあってこういうブクマ米見る度に実感しますね……
ごちゃまぜにすんなって言われるかもだけど、本質的には同じだよね
人種だろうが何主義だろうが右左だろうがなんだろうが、実質的に権力を握ってる既得権益層に譲歩させて、あわよくば倒して主張を通したいわけだよね
中国の大学生の意見がどうのってホッテントリも、大都市の大学生なんてそりゃあ既得権益層側だから意識的にも無意識的にも保守的になるに決まってるじゃん
なんとか今の立ち位置を守りつつ、海外の成長に負けないよう緊張感を維持し続けてるんだし
今後会うことも関わることもない奥地の農村で働く人達になんて気を配ってられないでしょ
日本だとピンとこないかもしれないけど、例えば人口2.7億人のインドネシアと連合組んで、全員で投票して政治家を選んだら
当然インドネシアよりの政治家が選ばれて、日本で集めた税金をインドネシアの成長のために使う訳で
インドネシアの人達の生活の質を上げるために、日本人は消費税20%で福祉も薄くなるけど我慢してね、とか誰も納得しないだろ
これって要は、誰かを助けるためとはいえ、できれば自分は不自由を強いられたりしたくないし、今の生活水準を落としたくないってことで
多かれ少なかれ既得権益層の考え方なわけじゃん
そうするとさ見えてくるわけよ。既得権益層を倒すための絶望的に高い壁が
既得権益層がマイノリティであれば、マジョリティ側が全員本気になればいいだけだけど、それすら難しいのに
恩恵を受けてる層がマジョリティだったりするとほぼ不可能だよね。性別問題とか人種問題とか都市VS地方がこれ
じゃあ歴史的に何か救いがなかったかと思って振り返ってみるとわかりやすいのは奴隷制の撤廃とかだよね
奴隷制はマイノリティがマジョリティに勝った事例だけど、もしかしてこれ唯一じゃない?
ここまで人権的に明白な問題でなければなかなかムーヴを変えるというのは難しいってこと?
それですら撤廃されるのにかなりの年月がかかってるし
まぁ多少は希望あるのよ。インターネッツとかSNSとかで情報の拡散が高速化してるわけだから昔よりも100倍くらいは加速して物事が進むだろうという希望は
でもさ、倒せないだろこれは
イケメン無罪論は、男も女も現実よりも空想を前提に語ってるところがある気がする。
強引に迫られたいって少女漫画やまほどあるのに、ちょっとアプローチされただけでセクハラっておかしくない?イケメン以外差別だ!っていうけど、あれはもっと単純な問題で、例えば「学校にテロリストに占拠されて、唯一潜り込めた正義側の軍人と共になんだかんだ機転を利かせて撃退する」みたいなちょっと憧れるシチュエーション(憧れないなら適当に「どこぞの王族の娘に見初められて本国までお持ち帰りされて今日から私の夫ね!」って言われるとか考えて)だけど、実際に起こったら絶対嫌なことだっていっぱいあるででしょ。その嫌なことは、不幸にしか見えないシチュエーションにものすごく限定された条件(「お姫様が自分好みの美人」「ありえないほど強引だがそれ以外はものすごくいい人」「自分はかすり傷くらいしか負わず友人も重傷者や死者なく済む」)がついてハッピーエンドになる場合、エンターテインメントになるわけだ。ラブコメ好きな人だって、冬空コガラシくんの境遇(孤児で借金持ちで高確率で意識のっとられる)になりたい人がいるか?って話よ。もっと身近な例でいえば、ジェットコースターがそうじゃん。高いところから高速で落とされるなんて普通は絶対嫌だけど、安全が確立された状況下ではエンターテインメントになるわけだ。イケメン相手だって、実際やられたら(一時的に恋愛ボケしない限りは)「こんな強引な迫り方をしてくる=付き合ったら絶対身勝手な行動ばかり」ってわかるから引くよ。実際に涼宮ハルヒムーヴについていけて幸せになれる男と同じくらい、そういう人についていって幸せになれる確率は低いからまともな頭してたら逃げる。
まあ、ここまで書いといてなんだけど、たぶんイケメンなら許されるんだろ?っていう人は、上記でいう「一時的に恋愛ボケしてついていった女性」を抱けるのを羨ましがってるのかもしれない。途中で冷めて別れたとしても抱けたという事実は残るから。でもそれじゃ長期的には幸せになれないし、それができないからって人生を嘆く姿勢は「私は沢山の異性とエッチする以上の幸せを見つけられてません」っていう宣言になってしまうんじゃないかな。
めちゃくちゃしょっちゅうあるんですけど特に意味とか調べたことない。タイトルに困ったから書いてみただけです。
ここから本題、友人の話。
友人とは学生の頃からの付き合いで、気づけばそろそろ二桁くらいの年数仲良くしていた。過去形なのは、今、その友人から自分が友人認定されてるのかわからないから。
私の友人はとてもメンタルが弱くてとんがっている。
別にメンタルが弱いのはいい。ちょっとしたミスで落ち込んだり、自分ダメだな~ってなって引きこもったり、全然よくあることだ。どよんと落ち込む深さが違うくらいで、私にだってそういうことはある。
問題はとんがっていること。いや、別に彼女にとっては問題じゃないだろうけど、私にとっては問題だった。自分勝手にも。
友人がどんなふうにとんがっているかを書くために、半年ほど前の話をする。
当時、友人はツイッターで仲良くしていたフォロワーと仲違いして、そのフォロワーをブロックした。ちなみに私もそのフォロワーとは仲が良くて、三人のライングループなども存在したが、彼女は無言でグループから抜けたし、フォロワー個人もブロックしたらしい。
端的にまとめると、フォロワー(いちいち打つのが面倒なので以降Aとする)が友人を怒らせて、怒った友人がAとのつながりをすべて絶った、という話だ。まあネット上で交流してたら、そんなことはしばしば起こりうることだと思う。私はマジでそのやりとりに関係ない第三者だったので、友人とも普通に友人を続けるつもりだったし、Aとも仲良くし続けるつもりだった。それぞれからこういう経緯でもう仲良くしません(できなくなりました)という報告を受けたけど、どっちが悪い良いの話じゃなかったし。
Aとはそれでよかった。相変わらず普通に話すし仲良くしている。問題は友人である。ここで話が戻ります。
友人のメンタルのとんがり具合というのは、自傷に特化しているという意味合いを含む。どう特化しているかというと以下のように。
「Aさんのこと、いい人だと思ってたのにあんなこと言われると思わなかった」
「Aさんにあんなこと言わせるくらい私が何かしていたのかもしれない……。でも、それにしたってもっと言いようがあったはず」
「Aさんは自分が正義だと思ってるし事実そうだから、弱者の私の気持ちなんてわからない」
へ~~~って感じである。
私はふんわり書いてみたけど、つまりなんかめちゃくちゃAが素晴らしい人間みたいなことを前提にしつつ、そう信じていたのにそうじゃなかったし私は裏切られたし傷ついたのよ的な内容を友人は延々話し続けるのである。
これの何を私が問題視しているかというと、友人、自分が傷ついた話しかしない。
いや、そうなんだけども。詳しくは書いてないけど、友人は確かにAとのやりとりで傷ついていた。それでメンタルボロボロになるのはわかる。でも、友人……あなた……自分で傷えぐってない……? Aは最初からそんな聖人みたいな人じゃなかったし、あなた今までAのことそんなふうに言ったことあったっけ……? なんなら仲良くはしてたけど、そんなにAを好いてはなかったよね……? って話なのである。そりゃめちゃくちゃ大好きでめちゃくちゃ尊敬してる相手から急に足蹴にされたらこうもなるだろうと思うけど、友人の中のAの占める場所そんななかったやろ、という。
これが私が問題視する、友人の悪癖だ。
とにかくメンタルが落ち込むことがあると、神の理不尽さに振り回されたかわいそうな人間ムーヴをし始める。おおげさと思うか。おおげさじゃないんだよな。
上記のAの話はあくまで一例で、この十年近く、友人は半年に一回くらいは大体こんなことを繰り返している。疲れないんだろうか、と思う。疲れている、と思う。でも友人は何度も何度もやってしまうのである。これを悪癖と言わずなんと言おう。
ぶっちゃけた話、今まで私は「あ~またやってるよ」と思いつつ、凹んだ彼女のメンタルを適当にヨシヨシしたり放っておくことしかしてこなかった。基本的に私のいないところで、それらの事件は起こっていたからだ。
もう一つ例をあげる。友人に恋人がいた頃の話だ。
就職してしばらく、友人に恋人ができた。同じ部署の人から告白されたとかで、友人としては相手に仕事仲間くらいの感情しかなかったらしいが、とりあえずOKしたとのことだった。そんな始まりではあったけれど、友人からは恋人との時間が心地いいと聞いていたので、それなりに仲睦まじくやっていると思っていた。
メンタルをめこっと凹ませた友人に後から聞いた話によれば、彼女は恋人に自分から連絡をとることを一切していなかったらしい。恋人からのラインに返事をする、誘われたら出かける、たまにかかってきた電話に出る。以上。それだけ。
恋人からの別れの言葉は「君が僕のことを好きになってくれる日は一生来ない気がする」だったらしい。そうだね。私もそう思う。
この話をするとき、友人は泣いていた。なぜか。相手を好きになって付き合っていたわけではないのだから、友人としてはそこまで凹むことでもなくないか? 不思議に思って聞いてみれば、自分が頑張らなくても相手が頑張って好きでいてくれる関係が心地よかったそうだ。あほか。
これも友人の悪癖だ(と私は思っている)。人には好かれていたいけど、そのために頑張ることはしない。居心地がいい関係というのは「自分が」無理をしない関係のことであり、頑張らせようとする人とは仲良くしたくない、という。
話が長くなった上に逸れていた。閑話休題。
別れた恋人のことを、友人はやっぱりさんざん言った。いい人だった、優しかったと言ったその口で、どうしていい人ぶったの、優しくしたの、私を傷つけるなら最初から告白なんてしないでほしかった、と言う。
あほか、と思った。けれど言わなかった。言ったら友人のメンタルはさらに凹んで面倒なことになるから。
でも、最近になって気づいた。気づいたというか、ようやくその事実を直視した、というか。
友人はこれを、私相手でもやるんだろうな。
前述したとおり、これまでの事件に私は関わっていない。友人と私は職場が違うし、ツイッターでは呟く話題も違うからそもそもフォロワーが被らない。Aが例外だったのだ。
友人はとにかくとんがっているので、一度嫌いになった相手のことをさんざん言う。相手を神さまのように持ち上げることで、あんな高いところから私は落とされたのよと自分が受けたダメージを倍くらいにする。そして、嫌いになった相手が関わってきたものも大体嫌いになるので、さらにダメージを倍にしている。
今回の場合、「嫌いになった相手が関わってきたもの」に私が含まれている。
もう3ヶ月ほど、友人とは連絡を取っていない。
私から、友人をブロックしたり、連絡を絶ったりするつもりはなかった。なぜなら、そんなことをすればきっと彼女は私を神さまみたいな悪者にして、自分が傷ついた話を延々他の人にするんだろうから。ここまで来ればもはや意地である。
しかしそれも時間の問題なのかもと思う。悪癖だのなんだのと私もさんざん言ってきたし、この文章はまるっと全部友人への愚痴なのだが、それでも私は彼女を友人と思っていたし、これからも友人と思っていたかった。面倒に思うことを補って余りあるくらい、私は彼女のことを好いていた。
でもたぶん、友人はそうじゃないんだろうな。
……長々と書いたらそれなりにすっきりした気がする。
誰も見てなくていい日記だけれど、これがインターネットというだだっ広い場所に公開されていると思うだけで、愚痴を誰かに聞いてもらった気にはなる。
見てくれていた人がいたら、ありがとう。
今日の晩は、歯が抜ける夢を見ずに済むかもしれない。
当時の私は、なんつう素晴らしい歌を歌っているお兄さんたちだと思っていた。
ひとりひとり違う、みんな違ってみんないい。
自己肯定感と己の価値を爆上げしてくれる歌詞は、この国の思想や、教育といったところにも食い込んだのではなかろうか。
成長していくにつれ、ところがどっこい、な状況となってくる。
具体的にいうと、世界に一つだけなんて、そんなことないのでは……?と思い出したのだ。
だって私が出来ることは誰かが出来る。何かで一番になることはきっとない。米津玄師じゃねーし。
一番ではないということは代わりが存在するということだ。なにも私でなくていい。
今、地球には70億なんてとっくに超した数の人間がいるらしい。
褒めて!褒めて!と叫んでいる世の人々は、おそらく自分が1/70億の尊い存在だと思える強い人なんだと思う。
が、言い換えちゃうと、自分の代わりになれる人が70億以上いる 「可能性のある」 世界なのだ。
そんなの、生きる意味なくない……?
ここまで読むと、染まりやすい素直な心の方々は、きっとそう思うに違いない。
因みに、そこで我が魂は存在価値爆アリですって胸を張れる人は、嫌みとかでもなんでもなくそれは本当に良い才能なので、そのまま生きてほしい。
ただ周囲が褒めてくれない!!ってムーヴしないでね。
先ほどもいった通り、世界には70億がワチャワチャしてる。
あなたは恐らく唯一の才能じゃあない。
もしくは、才能でなく努力を認められたいなら、世の中の本当にトップ層の人間が、どのくらいの時間を努力と称しているのか見てほしい。
いや時間かけりゃいいってモンでもないんですけどね、自分に合ったやり方をどれだけ早く見つけられるか、それを体にすり込めるのか、って話でして。
ただ、たかが数十時間かけて出来たもの全てが世の賞賛を掻っ攫えるほど、この世は綺麗にできてないよ。
あとは死んで著名になった人がうんと沢山いるみたいに、この世の流行り廃りは激しいし、才能が世の中で光るにはぶっちゃけ、運が要る。
多分インターネットがもっと昔からあったら、スゴイマン、もっともっと発掘されてたんじゃなかろうか。
っていうので、死んでからあなたが各所から褒められる世界になる可能性は、ある。残念ながら、世界は結構理不尽だ。
ファンレターを浴びるほどもらったら、死を思いとどまった文豪とかいるのかしら。
話がメチャクチャ逸れてしまったが、唯一無二じゃない自分に生きる価値なんてないのでは、とお考えのあなた。
なんなら人間いない方が自然はきっと元気。いないと絶滅する存在もいるけど、それもまた世の理。
じゃあなんの為に生きてるのって話ですが、そもそも生きる為に目的を作るのってなんでですか?生きる為ですか?
卵が先か鶏が先かみたいですね。
頭が回ってしまうからきっと考えてしまうのが、きっと人間特有の損な箇所なんだと思います。
先の先まで思い描けるように、物事の深いふかいところまで想像できるようになってしまった。
そりゃ鬱にもなっちゃうわね。
何のために生きる、みたいなのを、もっとたくさんの人がやめたら、楽になるのかなぁと私は思ってます。
私がやりたいから、やりたいことをする。
生きる意味なんぞ知らんが、地球の80年フリーパス持ってんだから、人様に迷惑かけない程度に、欲のまま遊びつくせばいいと。
人様にのくだりは結構大事です。地球はちょっと広いだけの共同スペースなので。ほぼほぼ寮だよこんなん。地球寮。
さて、少しまた話は逸れまして、最近見返りがどうとか、もらったから返すべきだとかありましたよね。
人間行動もコスト換算してしまうから、釣り合わないと不条理を感じてしまうそうです。
ごもっともな話ですが、一方で、巻き込まれてる方はたまったもんじゃねぇよなとも感じます。
そこでシンプルに、見返りありきの行動、やめたらどうかなと。
これしんどいんだよマジで、人間期待が叶わなかった時のストレス具合はマッハ中のマッハ。
排出対象ではあるんだから出るかもって思いながら引くガチャがドブの時、人生三度くらい死んでるからね。
だから何かしたら誰かがしてくれる、と思うのをやめたらいいと。
そもそも自分の代わり、タイミングが合えばいるかもしれない世界なので。70億の替え玉ワールド。
そもそもしてあげる、の、あげる、って、結構恩着せがましいんだよな。
使わないように気を付けてるけど、うっかり書いてたらどうしよう。その時はコメントでキレ散らかしてください。
そして、ここでやっと話はもどって。
人様になにかアクションを行うのも 「自分がやりたいから」 一本に絞ったらいいんじゃないかなと。
これ、世で騒がれる募金が偽善でどうたらも一気に解決するからいいですよ。
うるせ~~~~俺が金使って笑顔が増えることの何が悪いんじゃ~~~一石二鳥じゃね~~~~か~~~~~!!ってなったら、普通の人間であれば、まぁお前がしたいなら……ってなるはずだし。
それでなお他人の欲を制御しようとするのであれば、人への干渉の仕方として大いに間違っているので。
仮にやりたいという欲が強いんだけど、コストが合わねえな~と思ったら、素直に相手に対する行為をやめたらいいと思います。
所持金3円しかない状態でレストランに入るのは無理だなって気持ちで。引き際がわからなくなると自分が削れます。
どうしてもギブ&ギブをやりたければ、貯金をして出直しましょう。
ここでの貯金はもちろん例えです。人に何かするには、というか対人であってもなくても、なにがしかの思考を行動に移すには、常に、気力が必要です。
自分がやりたいとはいえ、医者の不養生となってはいけないので、準備運動してからプールに入るように、まずこちらの準備を万端にしましょう。
そうして突っ込みましょう。愛を。やはりご迷惑にならない程度に。
因みに人によって迷惑になるならないのラインは違うので、下調べと相手の気持ちになるですよ~は大事。叶姉妹のコミケと一緒。
あと、見返りっていう訳ではないんですが。
優しくされたらやっぱり人って優しくしたくなるものなんですよ。
本来その心からの感謝が形を変えて元に戻ってきて、Win-Winの関係だったのではないかなと思うのです。
だから、優しくされたいからする、じゃなくて、優しくしたいからめっちゃ優しくしてたらなんかこっちにも突然帰って来たワオ!運つよつよ!HAPPY&LUCKY!!くらいの、本来は無いもの、って考えるのがちょうどいいのかなと。
はい。
めっちゃ長い。
すごい調子乗ってお恥ずかしい感ある。
自分が楽しいことと常識の範囲で他人に迷惑かけないことをうまい具合に考えて生きると!!!!!!!!
爆発的に!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この二つは基本両立できるしね。深夜の住宅街を奇声を上げながら走らないと精神保てないとかそういう感じじゃない限り。
はてなの腐女子のお気持ち表明に対する先住民お怒りの構図にどこか見覚えがあるなと思ったが、それが中学時代の教室の様子だとすぐに連想できた。
男女の違いが如実に出るようになる頃、男子は女子間の貶し合い&傷の舐め合いに辟易するようになるが、よっぽどのイケメンでない限り、女子はそれを言及した男子を糾弾する。
どちらも性が成熟している証拠ではあるのだが、そもそもどうして男女でこうも考え方が違い、日々争いの種をまき散らすのだろう。
男女のカップルでありがちなケンカの一つに「彼女の愚痴を聞くのが面倒」VS「彼が話を聞いてくれない」というのがあるらしい。
昔Twitterのエッセイ漫画などでよく取り上げられており、RTでも頻繁に流れてきたものだ。
解決策として有効なのは、話をする前にその話題が「愚痴」なのか「悩み事」なのかをはっきりさせることなのだそうだ。
そもそも、男性が女性の話を面倒臭がるのは、「提示している話題に解決策を求めていない」事が原因にあるらしい。
男性が何か頭の中に不満を抱えていたとする。すると、その不満を解消するにはどうしたらいいのかと考えるようになる。
調べものをしたり、先達の意見を聞いたり、そうして明確な解決策が分かるようになると、その不満が解消されていくのだそうだ。
しかし、それに対して女性は、「自分に共感してもらう」事で不満を解消している。
主婦の井戸端会議で愚痴が多くなるのも、Twitterで「○○さんは悪くないですよ」と馴れ合いじみた慰労ムーヴが起きやすいのも、女性は共感を得ることで精神的不安を取り除かなければいけないからだ。
カップルとなれば、彼氏は彼女の役に立ちたいだろう。しかし、男性は「不満解消=解決策」の提示と思っているから、彼女の長い話を延々と聞いた結果、共感をすっ飛ばして分析し、解決策をぺらぺらと語ってしまう。そして彼女の方は、共感が得られなかったことに更に不満を抱くようになる。
結局は男性も女性も、お互いが違う性質であることを理解した上で、どう接するべきかを摸索しながら生きていくしかないのだろう。
男女の関係は付き合うことに利益を得ていたり、愛があるからそれが辛抱強くできるわけで、このはてなという場所でそれが成立するとは思えない。
男性からしたら、「ヤれもしない女の愚痴が目に入るが、あいつらは解決策を求めずにダラダラと長文を垂れ流すから不快」になるわけで、
女性の場合は、自分たちが勝手に移り住んできたのを棚に上げて、「分かる人だけに反応して欲しいだけなのに、理解するつもりのないやつらの野次がうっとおしい」ということになるのだろう。
愛や性欲が絡まないだけでこうもギスギスしてしまうのがどうにも面倒だなと、かつて教室の隅っこでクラスのイザコザを眺めていた自分は考えてしまう。
十代前半の頃に、親族の知人から軽度のセクシャルハラスメントを受けたことが軽いトラウマとなり、他者に対する恋愛感情や性的欲求がほぼありません。
性同一性障害のきらいもあり、普段の振る舞いや趣味嗜好も自分から見て異性向けのコンテンツに寄っています。
自分の中にとどめておくつもりだったのですが、客観的に遺しておいたら何かのネタになるかも知れないと思って文章の練習を交えて書くことにしました。
これは私の失恋の話です。
ある日のことでした。
私は仕事の休憩時間に、行きつけのレストランで食事をしていました。
このレストランはロケーションも内容も悪くないのに、オープンから程ないせいなのか、
昼時にもほとんど来客がなく、座席の1割も埋まっていないような状態がよく見られました。
内装も好みですしスタッフさんも感じの良い方々だったので、潰れてしまっては勿体ないと思い週に何回か通い詰めるようになりました。
他にも、同僚に紹介したり、新人を連れて行ったり、知人と一緒に赴いたり……。
私のしたことがどれほど意味があったかは分かりませんが、数週間後にはオープン直後に比べて人の入りはかなり良くなっていました。
それなりに通っていたこともあってか、私はスタッフさんに顔を覚えていただいており、何度か話を振っていただくこともありました。ありがたいですね。
一方私の方もスタッフさんの顔ぶれをなんとなく把握しており、店長さんの判別もつくようになっていました。
ある時を境に、一人でレストランを訪れた際は(ほぼ)店長さんが席への案内やレジなど応対して下さるようになりました。
そんなこともあってか、私は以前と変わらず結構な頻度でレストランに通っていました。
なので。それは別に、なんのきっかけもなんの前触れもなかったのですが。
不意に私は、食後のデザートを持ってきて下さった店長の顔が、大学時代の友人に似ていることに気がついたのでした。
すると、なんということでしょう。
先刻まで美味しく食べていたランチの味が、全く分からなくなってしまいました。
その日の仕入れ状況によって変わる、こだわりの素材の味も、おつまみの味も、
食前に出してくれるお茶の味も、炊きたての白米の味も、何も分からなくなってしまいました。
味のしないご飯を急いで平らげて、お金を払って、店長の「いつもありがとうございます」「また来て下さいね」を背中に受けながら足早に立ち去りました。
席を立つのがあと何秒か遅れていたら、人前にも関わらず泣いてしまっていたと思います。不審者!
おぼつかない足取りで仕事場に戻りつつ、私は思い出してしまった大学時代の友人のことを考えていました。
仮にその友人をDとします。
Dは私から見て異性でしたが、前述の通り私はそういうスタンスであり、趣味も見事に合致しました。学部なども同じだったため、共に行動することが多かったです。
ただDというやつは、正直言って人間的にはかなり「アレ」な存在だったと……私は思います。
予定の遅刻は当たり前、無断ドタキャンもありがち。割と短気で、口を開けば悪態ばかり。
聞けば過去に異性関連でこじれたこともあるとか、そもそも揉め事を起こしてダブリであるとか。挙句、喫煙者で酒癖も悪いしギャンブルもやっていました。
しかもお金がなくて泣きついてくることもありましたし、家族ともめちゃくちゃ不仲で喧嘩が絶えず……。
趣味が合わなかったら絶対関わらないタイプの人間でした。というかぶっちゃけクズと呼称してもおかしくない類の人間でした。
好きな作品のイベントに一緒に赴いた際は、長い間訳の分からない場所を連れ回されました。
予告も無しに、お化け屋敷(私は大の苦手)に無理やり連れて行かれたり、終電間近まで愚痴を聞かされたり、散々な目に遭いました。
二度とDと出掛けるものかと腹を立てたことも幾度もありましたが、結局許してしまうのでした。
ここまで趣味の合う人間はいないため、Dという友人を失うのは惜しいと考えていたからです。
考えずとも答えは出ていました。
私は、食事が美味しかったから、人が少なかったから、良い場所だと思ったから、あのレストランに通っていたわけではなかったのです。
この作品面白いから色んな人にやってほしいと布教する、ファンの鑑みたいなムーヴをしていたわけではなかったのです。
ただ、最初に店に足を運び、私を出迎えてくれた店長の顔が、Dに本当によく似ていたのです。
そんなはずはないと思いたかったのですが、それが事実だということは私が一番良く分かっていました。
そうです。全く関係の無い他人に面影を探してしまうほど、私はDのことが好きだったのでした。
もうめちゃくちゃ死にたくなりました。
大学卒業から十年近くなるという今になって。私はDのことが好きだから、様々な所行を許していたのだと気付き。
そしてそのことに気付かないまま、こんな日常の最中、わけのわからないシチュエーションで好意を自覚したのでした。
こんなことあるんだな~、と思いながら、その日の夜は泣きながら寝ました。もしこのことにもっと早く気付いていたら私はどうしていただろう、と考えました。
考えても無駄なので考えるのをやめました。
もうDとは連絡が取れません。
大学卒業と共にスマホを変えてしまい、その際うっかりメッセージ系アプリのデータを飛ばし、連絡を取る手段がなくなってしまいました。
どこかで生きてると良いのですが。なんだかんだ器用なやつなので、もう結婚とかしてのうのうと暮らしてる可能性も普通にあると思います。
元気ならなんでも良いです。
だけど昔のトラウマや、私の性質をものともしないほどの存在は、おそらくもう現れることはないと思います。
Dは、事実を羅列すればどうしようもないやつでしたが、私にとっては奇跡みたいなひとでした。
こうして恋愛経験のない私は、恋愛経験を得ることもなく、すとんと失恋したのでした。
件のレストランには結局あれ以来行けていません。
でも、また行きたいとは思っています。美味しいのは事実なので! 本当に! 店長さんゴメンナサイ。