はてなキーワード: みな本とは
日本で力を得ようと思ったら、弱者を装うのが一番手っ取り早い。弱ければ弱いほどあらゆる逸脱行為は許され、担うべき義務は免除される。この国では弱者は力の象徴になった。
あなたのもとに金を集めたり暴力を集めたりすると、あらゆる機関が強者であるあなたの力をむしり取ろうとするだろう。だから、必ずあなた自身も無産階級出身の弱者を装った上で、特権を持った多くの弱者を集めるシステムを作ることがとても大事だ。
福祉国家ではQOLの向上に大きなリソースが割かれる。多くはほぼ直接税金をばらまくことで改善が図られるが、まず根本的な解決には至らない。多くの弱者は他人の力で尊厳を護持することができないからだ。だが、弱者には人権も選挙権も、無限に湧いてくる金銭的支援もある。国家は強者からむしりとった金を、弱者のもとへ日々おずおずと運んでくる。これを横流しして身を立てるのがよい。弱者保護では最低限の運転資金が容易に調達できる。そもそもこの国には貰うべき支援を貰っていない弱者が山のようにいて、あなたはそれを神妙な顔で申請してやるだけで、弱者はあなたに感謝する。あなたに依存し、あなたを支持する弱者は最大の人的資本だ。滅びゆくこの国に残された最後の金脈と言ってもいい。
弱者にはベンチャーキャピタルや銀行の融資担当者のような厳しい目は向けられない。資金調達に事業計画すら必要ない。請願にあたっては弱々しく申し述べ、貧困にあえぐ仲間を指差し、迫真の演技で、時には本物の行き倒れた死体を示す必要があるかもしれない。だが無知によって身を立てる弱者は本当に何も知らず、所有しないことで身を立てる弱者は自分の持ち物に興味がない。本物の弱者はみな本当に弱々しい。集めることさえできれば、手持ちの中から適したサンプルを差し出すだけでよい。群れをなした弱者はより多くの幅広い支援を受けることができる。弱者団体への支援行為は道徳に帰依するという意思表示であり、社会への帰属を表すアクセサリーにもなる。我々は真の弱者であり、支援をするならば、あなたの胸に赤い羽根をつけてあげましょう。人の道を歩きたいという欲求は永久になくなることはない。集まった者には資金調達窓口や広告塔、弱者モデルとしての役割を与えて所属欲求を満たし、一部を還元して生活水準を上げることができる。
弱者には初めから、戦うための無限の力が用意されている。自分で稼ぎ出さずとも、弱者が弱者でなくなるための戦いを、他人の金で続けることができる。幸い敵はいたるところにいる。弱者でないものの多くが弱者の敵だからだ。弱者は虐げられている、搾取され、養分になり、日々捕食されて死んでいる。この現実を形作ってきたものが、つまり社会そのものが弱者にとってのプレデターであり、弱者は定時連絡のような無味乾燥の革命を続けることで、密かに莫大な富をかすめ取ることができる。この国では、弱者は弱者であり続けたほうがよい。強者ですら、一刻も早く弱者を装うのがよい。戦い方を覚えた弱者の群れが、沈みかけた国家の裏からハシゴをかけて今や支配者に成り変わろうとしている。いつか、あなたが集めたお抱えの弱者の中から、大衆に祭り上げられて強者となる者があらわれる。すると、すぐさま国家は彼からむしり取り、あなたのもとへ金を運んでくる。
女のソロキャンの方が、男のソロキャンより相対的に危険だって話。
女性の被害体験のほうが男性のそれよりもずっと多いのに、なぜ男女平等だと偽るのか。
男性被害者の暗数、信じてるの? それとも女性の被害体験が大げさだって言いたいの?
嘘をつかないでほしい。みんな本当は女性のソロキャンの危険性のほうが遥かに高いって理解してるでしょ。
しかしなぜかみな本心を隠し、「男女関係なくソロキャンは危険」などと言い出す。
どうしてみんなが結託して、女性ばかりが抑圧されている現状を隠したがるのか。
そりゃ女性の被害者に向かって「女のソロキャンは危険なのに…」って責めるのはセカンドレイプですよ。
でも、これからソロキャンに行こうとする女性に「女のソロキャンは危険」って言うのは、ただのアドバイスだし、必要でしょ。
だから単に「女のソロキャンは気をつけたほうがいい」って言えばいいのに、なんで比較的安全な男性を巻き込んでボヤかすの?
オレは高校生のとき、次の旅行は一人でするって言う女友達にアドバイスしたことがある。「オレはもちろん襲わないけど💦 女が一人で旅してると襲ってくる男はいるかもだぜ」って。「女は気をつけろ」って言うコト自体には、何の問題もないだろ。執拗に避けたがるブックマーカーの頭の中がわからん。男女が完全に平等なファンタジー世界に住んでるのかしら?
なんか
あれって結局はSF初心者にはちょっと難しいハードボイルドSFばかりな作品なのかしら?って
いきなり分厚いSF本を読もうと買ってもいくら半額だからといって、
私はマーケットの割引タイムで割引シールを貼ってもらうのを待つことははしたないからそういうことはしないのよね。
でもやっぱり半額SFは魅力的だけど、
もうSFって聞いて知ってる単語がビッグバンしかないというポンコツ人間がSF読んでもいいのかしら?って
スゴい読書のブログで面白かった!って本紹介して私も読んでみようかなと
西田ひかるさんがフルーチェやってミルク!って言うような勢いで
私も紹介された本読んでミルク!って思うけど
久しく読書体験なんてしたこと最後はいつだったけ?って思い出せないほど
遠い昔のころのお話で、
まあそこそこ読んでいるはいるのかもしれないし、
本当は電子書籍の読んだカウント数も入れるのも眉唾らしいわよ。
あくまで紙ベースの本を読んだ許可局を申請して数を記したりして図書館なんか借りれるわけじゃない。
でね、
そのバベルの図書館の所蔵数は何冊かをも軽く超えてしまう電子書籍を抱え込めるかと思ったら、
とりあえずお前欲張るな先に10冊読んでね!って
他の本読みたかったら、
10冊の内何冊かをチェックアウトさせなくちゃいけない仕組みで
よくできてるなぁーって
それならさ、
図書館に行く手間省けるじゃないとともに、
みんな欲張って図書館全部の本全冊借りられなくてすむじゃない。
って言うのは世の常わかよたれそ常つねならむところよ。
先に買って読んでない本がたくさんあるから
それをまずSFフェアー終わる前に読めっかなーって思うけど、
到底私の読書速度は亀よりも遅いので、
諦めるに越したことはないわ。
読む速さの亀な人はね。
SF初心者向けの本があれば星新一さん以外であればいいな~って思うけど、
べ、別に星新一さんのショートショートがSF初心者向けだとは言ってないんだかんね!
ちがうちがう!
なんてね。
うふふ。
そんなに重みのありそうだけど軽みもあるそして旨味もあるサンドイッチなので、
なんかお腹の調子悪いかなーって時でも美味しく頂けまくれるわ。
美味しゅうございました。
その半分をキューブカッツにしたカッツスイカウォーラーにしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この後日談です。コメント・トラバくれた方ありがとう!もし分らんとことかあればできるだけ答えたい。
上の投稿の後、意を決して近所の泌尿器科で金玉を診てもらった。やはり典型的な精索静脈瘤だったようで、3段階あるグレードの中でもガッツリ一番上のグレード3らしい。あとから調べるとグレード3の基準は怒張した血管のでこぼこが陰嚢の外から見えるか、というものなのだけれど、正直まったく病気だとは思っていなかった。てっきりみんな左側の金玉にはうどんがついているものだと思っていた。
先生に「薬もなくはないけど、治したいなら基本的に手術やね(概略)」と言われ、手術ができる大きい病院に紹介してもらった。
紹介された大病院に行き、CTその他の詳細な検査を受けた。再度エコーでも見てもらったが、若い先生2人に「あ~怒張してるね~」とか言われながらゲルでぐりぐりされて、なぜ俺はこんなくだらないことで笑いを堪えているのか、かつなぜこんな真剣に診てもらっているのに息子は反応しかけているのか、二重に失礼で低俗な自分に悲しくなった。あとこの病気あるあるらしいのだが、左の睾丸が7割くらいの大きさに委縮していた。大きなデメリットはないそうだが何故か悲しくなった。
検査も終わり、よっしゃいよいよ手術だと意気揚々と先生からの話を聞くと、どうも手術できないことはないのだけれど、ここだと出来る術式が限られてしまう※1とのこと。生意気にも自分でも色々ググったりしていたので、できればより良い方法がいいと、その術式が可能な別の病院を再度紹介してもらうことにした。
※1 このページ(https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/repro/patient/man_sterility/day_varicocele_surgery.html)の"精索静脈瘤手術の比較"の表で言う2番目の「腹腔鏡下精索静脈瘤手術」になるとのことだった。自分が最終的に受けたのは一番下の「顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術・ナガオメッソッド」と全く同じ術式(一括結紮法ではない)だけど一応の入院あり。この表もすべてを網羅しているわけではなく、一番下と同程度のリスクに抑えられるもののすこし上の部位で結紮するタイプの術式(microsurgical high inguinalアプローチ)等もあったりする。
しかしその病院、かなり遠く、都会に立地していた。逆に言えばその「最新の術式」を確実にできる人が全国的に少ないらしい。もっと言えば、この精索静脈瘤治療の大半を占めると思われる男性不妊治療自体、最近ようやく注目され始めてきた分野のようで、それに伴って技術を持つ一部の先生に需要が集中してしまっているようだった。
加えて、割とダイレクトに「精子の質」とかそういう不妊治療関連のセンシティブな概念に繋がる病気なだけに、検索で出てくる数少ない情報も「他院の手術と違ってこんなに高い技術で丁寧にやります!」的なのが多くて面倒だった。一応大学病院のサイトやそこに引用されてる論文とかを主に見るようにしていたが、正直正しかったのかはわからない。「最近増えてる不妊治療専門クリニックはよくわからんとこが多い」とか、そういう話もちらっと先生から聞いたが、不妊治療の闇みたいなものにはあまり踏み込まないことにした。
紹介後の順番待ちはそれなりにあったが、手術が決まってからは早かった。術式は顕微鏡下精索静脈瘤低位結紮術の全身麻酔で入院あり、保険適用だった。ありがたい。
事前検査を受け、入院し、おいしい病院食を食べ、24時間程度の断食のあと手術を受けた。手術は寝ている間に終わっていた。
傷跡は2.5cmくらいでとても小さく、何も問題なく終わったよと伝えられた。ありがたいことこの上ない。手術後は陰嚢がむくむ、と言われていたがその通りになった。冬のすずめみたいだった。退院するころにはむくみもほぼ引き、傷の痛みもなくなっていた。金玉の痛みも消えていた。すごい。
今まであったうどんが消失していた。たしかに太くなった血管はそこにあるのだが、どんな状況でも怒張しなくなっていた。プラシーボかもしれないが、今までの陰嚢の暑さが急に改善されたせいか逆に股間が寒く感じる時が多くあり感動した。あと余談だが、玉袋がちょっとツートンカラーになったのは面白かった。基本的に陰嚢は温度が高いときに長く伸び(垂れ下がり)、低いと小さく締まる。自分は治療前でもそんなに垂れ下がっているほうではないと思っていたのだが、術後、寒くなると今までにないレベルで玉袋が締まり、今まで玉袋のまわりにあるだけだった皮膚まで玉袋役として引っ張り出されたせいで、元々玉袋だった少し暗い色の皮膚とくらべて明らかに明るい新玉袋領域ができていた。書いてて思ったけどめちゃくちゃどうでもいい情報だ。
傷口も毛でほぼ見えなくなり、消えたうどんと締まった陰嚢以外の見た目は元に戻りつつある。
偶然コロナ感染者数が一度少なくなったタイミングでの入院となったが、もちろん病院はどこも厳戒態勢といった感じで、それでも関わってくれた先生たちをはじめ医療関係者の方々はみな本当によくしてくださり、感謝してもしきれない。
強いて言うなら、入院前に自分で精液検査キットを買って使って変化を観察していれば面白かったかなとは思うが、もともとの目的ではなかったのでヨシとする。
男性の15%は精索静脈瘤がある(問題が出ない場合も多いらしい)ということで、皆手術しよう!とまでは思わないが、もう少し周知され研究と治療の普及が進んで、不妊や痛みに悩む人の選択肢が増えて負担が減ればいいなと思った。
しかし考えてみよう。人はみな本能的にファクトチェックをしない生き物かどうかだ。
フィストファックは〇〇コに腕をつっここむファックの方法であり、非常にコアな性交渉の手法の一つだ。
人類が皆フィストファックの欲求を持つにも関わらず、人類前史的な「規範」によってこれがごまかされているとしよう。
いや、実際にこれはごまかされているのだ。
そこで人類は茄子や人参を使ってフィストファックの代わりにしてきた。
近年これらはバイブレーターに変わろうとしている。
しかしそれでも人類は皆フィストファックへの欲望を昇華できたとは言えない。
そこで人は色々と理由をつけてフィストファックへの欲望を擬人化し、萌キャラバイブとして消費し始めたのだ。
こうして考えると人間という生物学的存在はまるで類人猿の他の生物と大差ない。
フィストファックの欲望を隠すために性的な事柄を社会抹殺し人権問題にすらすげ替えてきた。
という純な思いに胸の内が満ち溢れているのである。
大学を卒業してそのまま大学院に進んだけどついていけずメンタルもフィジカルもぶっ壊して一旦地元に帰ることになった.一浪して入った大学,一年休学することにした大学院を経て得た肩書きは実質無職なニート予備軍の学生(24歳独身男性)であった.
結構絶望の淵にいて,健康状態を考えると寿命で死ねるとも思えないし継続的に勤続することもかなわないという思いも首をもたげ始めてしまっていた.地元の図書館で司書でもやって静かに死んでいこうと決意し親と相談するまでに至っていた.親としてはひどく心配し,そして失望したことだろう.手塩にかけて育てた長男が体を壊して地元の小役人に封ぜられてしまうのだから…….そんなふうに思われているかもしれないことにひどく憤った気もするが,自分にはどうしようもない定めだと受け入れていた,いつの間にか.
何がきっかけだったか,毎度帰省しても引きこもってばかりだったのを,今回くらい誰かと連絡をとってみようということになった.確か,ほとんど話したこともなかったような,それでいて不思議な魅力をまとった子から「よんだ?」とだけメッセージを貰ったことが発端だったかも.今見返してきたらたしかにそうだった.彼女に救われたんだと思う.
久方ぶりに会うさしてよい思い出があるわけでもない男女,なんてどんな距離感で話せばいいのかわからなかったけれど,彼女の都合で結構遅い時間から駅前で飲もうということになった.そんな,都合がいい女ムーヴされて俺はどうすればいいのかと困惑したけれど(下心がなかったかと言えば嘘だけれども),誠実に対応して,テッペン過ぎてから何故か近くの史跡を深夜徘徊したり,あまりにも蚊が多いので彼女のクルマの後部座席で一夜を明かしたり(もちろん手を出したりはしていない),ともあれ楽しかった.ただ肌に触れて髪に触れて,延々と中身のないことを語らっただけなのだが,それまでのすべてが報われたような気持ちになった.
それだけでも十分に価値ある時間だったけれども,そのあとにもいくつか同様に幸せな機会が連続した.艱難辛苦をともに乗り越えてきた男友達と温泉に行った.それがきっかけで地元の友人達とさらに顔を合わせる機会が増えた.謎の営業マンとのみらいを語る会に巻き込まれた.これはこれで楽しかった(データサイエンティストはいいぞという話をエンドレスエイト).地元の連中なんて中学以降ほとんどあっていなかったけれど(そのせいでそもそも自分の進んだ足跡がほとんど知られていなかったのは驚いたけれど),いろんなやつのその後を知った.成人式に息子を連れてきた中卒のやつはもう社会人9年目とか,結婚と離婚も経験してたりとか,婿入りして逆玉の輿社長になってるやつとか.当時は気づかなかったが,友人女性はみな本当に美人で,彼女らをブスブサイクだのと対立してきた当時のぼくらはいったいどれだけゼイタクだったのだろう(笑)そんな彼女らと笑って語らうことができる機会もまたありがたかった.自分が肯定されている気持ちになった.
気づきもあった.例えば学歴を武器に生きている人間はそこには一人もいなかったこととか.みんな別々の流れに沿って強く生きていた.みんな社会人になって自分の力で生きようとしていた.自分はまだ学生,それも親に頼り切ったままであった.
ある意味無敵状態になっている気がして,この流れを逃すまいとして昔々の恋人に連絡を取ってみることにした.非常に不甲斐ないことに,いづれも不本意な終わり方,不誠実な別れ方をしてしまった過去が私にはあり,それがずっと心のどこかで引っかかってトラウマになっていた.呪いや縛りや鎖と呼ばれるものである(大学時代に誰一人としてうまくやり取りできなかったのはここに原因があるのではないかとも思っている).それと向かい合ういい機会であると思い立った.
返事は直ぐに返ってきた.「ふたりで」食事に行こうと提案した.拒否されなかったのが不思議であるが,このせいでさらに調子に乗ってしまった.自分は祝福されている.肯定されている.生きていてもいい.本当にそう思った.いまもそう思えている.そのときのことはここには書かない.自分の中にしまっておく.
もう長すぎるのでまとめる.
1.自分だけの人生の閉じこもっているとひたすらつらい.もっと他の人の人生を見て聞いて,感じるといい.
2.そのためには自室から出よう.物理的に出る必要はないけど,もっと自分の外の世界と触れたほうがいいだろう.
3.自分を肯定してくれた存在を思い出そう.自分を肯定してくれる存在とともに生きよう.きっと自分も誰かを肯定できる存在であるはず.
言いたいことがうまく表現できているとは思えないけど,推敲なしの文章一発目ならこんなものだろう.
いまは休学中だけど,とりあえず生きていけるだけの資格と経験を得られるようにしようと思う.文字にして自分の考えをまとめられてよかった.以上です.