はてなキーワード: スタンスとは
シャニマス2周年を迎え、新ユニット「ノクチル」が追加されてから早半年。今2.5周年キャンペーンをやっているからそれで合っているはず。
ノクチルとは浅倉透、樋口円香、福丸小糸、市川雛菜からなる幼馴染の四人組グループだ。アイドルマスターでも姉妹以外の既に関係性が完成されているグループというのは珍しく、いろんな点でも話題になったことは記憶に新しい。
そんなノクチル初のシナリオイベントである「天塵」は、今だなお賛否両論を以て語られることが非常に多い。
というか実際には賛が多いのだろうけど半年たった現在、賛の部分はさんざん語り尽くされたので、今やドロドロした否定的意見のほうが根強く残っているように思える。
そのほとんどが初仕事の生放送で意図的に放送事故を起こしたことに対するノクチルの批判。「擁護できない」「駄々こねているだけ」「身勝手だ」「もっと大人な対応するべきだ」など、ノクチルが起こした放送事故が許せないという人が多い。
こうして色んな意見があるのはシナリオライターの目論見通りであることはさておき、そもそも天塵の放送事故は番組側が事前の段取りや取り決まりを全て無視したことからはじまっている。放送事故を起こしたノクチルに対して「プロ意識が~」という意見が見られるが、そもそも番組側のそれら全てを反故にしたプロ意識の無さがはじまりだ。
じゃあなんでノクチルのプロ意識の無さばかりが叩かれているのかというと、それは多分「その他大勢」に迷惑をかけたということになっているからだ。あの個人が集団に迷惑をかけてはいけないが、集団は個人にどれだけ迷惑をかけてもOK。というやつ。
日本人の多くが学校という場所を通過して育つわけだけど、そういった限られた集団の中の教育は極度に跳ねたやつや突出したやつを嫌い、みんな同じ服を着て髪の長さとかスマホ禁止だとか、集団に属する人を平均化するためだけの決まりを施して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」みたいなことを言われ続けて、言われないにしても圧力をかけ続けられる雰囲気が自動的に形成される。で、そういう空気で育った人は周囲の目を気にするようになり、ただひたすら「考えることを放棄して言うことを聞く」という行為だけを強要され、同じように右倣え右して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」とか言いだす。
で、そういうのを言い出す人のなにが始末に負えないかというと、他人を糾弾するとき実のところ自分でも何が悪いのかわかっていないことがある。平均化された集団の中で右倣え右してきたので、「みんなが悪いと言っているので、悪い」みたいなのが無自覚に根付いてしまっている。
実際今回のノクチルを見てみると、実のところ迷惑をかけた相手というのは全く多くない。強いて言えば事前の段取りを放棄してきた番組側しか迷惑は被っていない。この番組を見ていた視聴者も「うわ、放送事故だ」くらいしか思わないし、最終的に一番泥をかぶっているのはちゃんと当事者たるノクチルとプロデューサーの五人だけだ。アンティーカに関してはシナリオライターは意図的に事前に言及してあるが、あれは「アンティーカに迷惑がかかりますよ」という合図ではなく、その後アンティーカのことを一切言及しないことで「アンティーカに迷惑がかかっている」というありもしない妄想を誘引し、「見てもいないのになんでわかるの?」というカウンターを行うためのやつで、この手法はアジェンダ283でもとっている。これに関してはちょっとシナリオライターが陰湿すぎるのであまり好きではないが、とにかくそういうことだ。(そもそもアンティーカを懇意にしているのは段取りを事前に破棄したアホアホディレクターなので、仮に今回の件で悪印象を持たれたとしても、あるいはノクチルが口パクしてなんの問題もなく進行したとしても、プロデューサーはそんな信用ならないアホとわざわざもう一度組ませようとする男ではないのでアンティーカが受けた被害は実際少ない。というかノクチルの仕事でアホアホディレクターの問題性が浮き彫りになって本当によかった。あのアホアホディレクターのアホアホ仕事をうっかり受けてしまったせいで曇るアンティーカやイルミネや「え、たくさん練習したのに今日、歌えないんですか…」ってなる果穂ちゃんなんて、いやメチャクチャ見たいけど見たくない)
じゃあなんでノクチルが実際問題そこまで迷惑をかけていないのに、シャニマス世界でも現実でも多くの人がノクチルを叩いているかというと、やはり「放送事故を起こした」という表面上の言葉に囚われてしまっているから。それで迷惑をこうむった人は例によって段取りを反故したアホアホ番組側だけだし、誰かが特別傷つくわけでもない。ノクチルの行為が身勝手だったとしてだから何だという話だし、そもそも仮に放送事故で「その他大勢に迷惑」がかかったところで1ミリも子分に関係ないはずなのに、なぜかめちゃくちゃ叩く。それは集団に隷属する限り自分たちは「その他大勢」であり、そういったものから逸脱する「個を尊重する」存在というのは安定した集団の和を崩すものなので、とにかく叩いて安定化させなきゃいけないというのが義務教育で根付いてしまっているからだ。身勝手であることは別に悪いことではない、特別誰かに迷惑をかけるわけでもないし、まあそういう輩はいるけど、少なくともノクチルはそうではないのに、身勝手であるという属性自体に反感を憶えてしまうのはそういうわけだ。そうやって集団が自動で安定化するように、別に誰かが意図的にそうしたとかではなく、平均化された集団に向けた教育がそうさせるのだ。
「それでも番組側に迷惑をかけるのはよくない」という意見に関してはそもそも番組スタッフの友達でもないのに番組側の肩をもつのはよくわからないとしか言いようがない。
また、「ノクチルがアイドルを舐めている」という意見もあるが、天塵を読めばそんなことはないことがわかる。雛菜を除きノクチルの三人は生放送に向けて通常のレッスンに加え、自主練をずっと続けてきた。彼女らは飄々とそれをこなすので一見なんの努力もしていないようにみえるが、初披露に向けてそうとうな時間をかけていたことがわかる。雛菜は雛菜でちゃんと283プロ側が用意したレッスンはきちんとこなしているので、求められるレベルに達しているのは間違いない(雛菜のスタンスについてはW.I.N.G.参照してください)。
ノクチルの練習風景を見ていないシャニマス世界の人間がノクチルを「アイドル舐めてる」と叩くのはいいとして(良くないが)天塵のコミュを読んだうえで「アイドルを舐めている」と叩くのは、アイドルという存在を「ファンに尽くすために存在する傀儡」と捉えているからだ。なのでノクチルが画面の向こう側の人ではなく、自分たちの心の納得を優先して行動したのがどうしようもなく許せなくなってしまう。
その個を優先した姿から「プロ意識の欠如だ」と訴える人は少なくないが、そもそも個人を優先することとプロ意識は全く矛盾しないし、そもそも本当にプロ意識があるのならばそれはレッスンを重ねた歌と踊りでみんなを楽しませることであり、番組側が無理やり押し付けた口パクを披露することではない。どちらにせよ、芸能界の集団によるアホみたいな圧力に個を曲げる必要性など一つもないし、それで自分自身を貫いたとしてそれはプロ意識の欠如ということにはならない。そもそも最近のアーティストは集団に隷属せず自分自身を優先させるスタンスの人が多い。その筆頭が若干18歳でグラミーを総なめしたビリー・アイリッシュで、彼女は「ファンの否定や賛成の意見に全て従って生きていたら身動きができない」と集団への隷属に断固拒否を突き付けている。また、アーティストたちのメンタルヘルスの重要性も訴えている。一方ビリー・アイリッシュの圧倒的なパフォーマンスとカリスマ性はファンを滅茶苦茶熱狂させるので、プロ意識に欠けているということはない。
別にノクチルはファンやアイドルがどうでもいいわけではない。ただ同時に自分たちの心のこともちゃんと大切にできるだけなのだ。
なのでノクチルの放送事故は「若さゆえの過ち」とか「青春の輝き」とかではなく、あくまでもスタンスの在り方であり、そういう時代性であり、今後その根元が変わることはないと断言できる。
「ノクチルが心から反省しないと受け入れない」といった意見も見受けられるが、そんなことは絶対起きないし、それはお前の教師がしょーもないことで怒鳴りつけてきたりクラスメイトが学級会を開いて「○○くんは悪いと思います。あやまってください」とかいって個人としてのお前を押さえつけてきた行為に他ならない。
そもそもノクチルにとどまらず、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』というコンテンツは学校からの脱却というのをテーマの一つにしているところがある。
放課後クライマックスガールズなんかは直球に放課後がクライマックスだし、プロデューサーはアイドル一人一人と向き合いその個性を尊重スタイルだ(無論全ての青春としての学校を否定しているわけではない)。方言を使うアイドルである月岡恋鐘は283プロに所属する前、様々なアイドルプロダクションのオーディションを受けたが、その方言を矯正するように言われる。そうやって集団は個性をゴリゴリに摺り減らそうとしてくる。
ノクチルに「心から反省しろ」というのは実際そういった行為と変わりがないし、いい加減学級会から脱却してほしい。そもそも反省したとして、「これから大人とか世間とかそういう空気を読んで、おとなしく周囲に迷惑かけないよう口パクで歌います」とかいうアイドルマスターシャイニーカラーズを見たいのか?
結局のところ「周りに迷惑をかけてはいけません」とか「空気読もうよ」とかいうのは集団を安定化させ扱いやすくするための上のほうのオッサンの方便であり、絶対的な正しさではない。仮に一個人がなんらか困窮に瀕しても、集団がなにかをしてくれることはまずない。
なのでいい加減「周囲に迷惑をかけてはいけません」とか「身勝手はよくない」とか「世間様に迷惑をかけたら謝るのが筋だ」とか、そういうちゃんと考えれば全然意味わからないし、そもそも周囲とか世間様とか誰だよって感じのやつから脱却したほうがいい。それがアイドルマスター シャイニーカラーズだ。
とまあ色々言ったが、なんだかんだ「周りに迷惑をかけるな」とグチグチ言ってくる人に限ってそういった圧力で甘い汁をすするオッサンの一番の被害者だったりする。本当によくない。ノクチルは最も個人的なアイドルだからこそ他者を尊重できるグループだ。誰もが自分自身と他者を尊重できるようになればみんな大分生きやすくなるのにね。
あとこのエントリーを読んで「よりノクチルが嫌いになりました!」とか言うことで「もしかしたらノクチルが嫌いになってしまうかも…」みたいな考えを誘引してそういった発言を抑え込もうとする輩が出てくるかもしれないが、そういうメンタリティのやつは一生学級会していてノクチルともそりが合うことは無いので無視してもOKだ。
会社にそれはそれはパワハラな上司がいる。言っていることは間違っていないこともあるのだが、まあ伝え方がひどい。指導というよりただの暴言、人格否定でしかないこともしばしば見受けられる。本人はそういう人間を軽蔑しているみたいだが、私からすればただの自己愛のつよいオナニー野郎で、自分の感情をコントロール出来ていないやつとしか思えない。
正直その「指導」がありがたいと思う前に、恫喝される恐怖しか感じない。同じようなミスをしても、ネチネチ説教が続くときもあれば笑って許されるときもあるので、地雷原を歩いているような気分になる。
困るのは、その問題上司の言うことが正しいことがあるということだ。怒鳴られてもすべて自分が悪いのだと思ってしまう。自分の直接の上司は「指導」方法には疑問があれど、これを耐えることは成長につながる、学べることも多いので耐えろというスタンスだ。果たしてそれが正しいのかどうなのかわからない。
精神的にも肉体的にも(拘束時間が長いので)辛いのは事実だ。自分に至らないことがあるのも事実だし、だから指導を受けるのも事実だ。ただ、そのパワハラ野郎がやっていることが正しいと思えないし、思いたくない。
「普通・常識人だね」と言われたり、「大人しいね」という言葉は、一見誉め言葉のように見えて
深く人を傷つける言葉だ。どこにでもいる無害な人間、その辺の石ころと同じと言われるのと同義だからだ。
「お前はモブだ、存在していないのだ」に言われているに等しい。
こういわれる事にコンプレックスを持っている人は、頑張って克服しようとする。
しかし大方空回りして、「時々突拍子もないよね(無理してるよね)」「喋る時はめっちゃ喋るね(陰キャだね)」と言われるのがオチだ。
なぜそうなってしまうか、と言えば、「普通」とか「大人しい」は『行動』ではなく『在り方』だからだ。
「右に動いている」の反対は「左に動く」だから、「逆の事をしたい」なら「反対に動け」ばいい。これは『行動』だ。行動をすれば達成できる。
しかし「反対に動く」の反対は「反対に動く」だ。これは『在りかた』だから、どうあがいても変わりようが無い。
具体的に言えば、凡人は何をやっても凡人という事だ。「普通でない事に憧れる」のは「普通でない人」には出来ない。
一見自分を変えているように見えて、その実凡人を地で行っているということだ。
例えば変わっている事をしたいと海外に行ったり、ビッチになってみたり、髪を派手に染めてみたり、ピアスを開けたり刺青を入れたり外でいきなり叫んでみたり。
そういう人を見ても、皆「普通に髪を派手に染めている」だとか「普通なのに急に叫んでる」としか思わない。
大人しい人が「うるさい人に憧れる」のは「うるさい人」には出来ない。
ちょっと調子がいい時にめっちゃ喋ったり、自分語りを長時間したり、大きな声で話してみたり。
皆も見たことが在るだろう。そういう人は、「二人きりになると話し出す大人しい人」だとか「急におかしくなる大人しい人」になる。
一つは「凡人に憧れる事」だ。例えば鬱になったり、統失になったり、家に隕石が落ちたり、望まない形で異常が達成された時、初めて変人になる。
普通に戻りたい、普通の方が良かった、そう思うのは「変人」だ。そして「普通に戻りたい」と思った時点で、もう普通には戻れない。
大人しいにも同じことが言える。「大人しい人に憧れる」。例えば躁病になったり、ヤクをやって四六時中落ち着かなくなったり、周りにムカつく奴が増えて、罵声を毎日言わなくてはいけなくなったり。
気付いたら応援団に入ってたり。大人しくなりたい、大人しいころに戻りたい、そう思えば、うるさい人になる。
でもこれらは運命に自分をゆだねるか、かなり自己のコントロールスキルが必要である。
現実的な解決策は、「自分は凡人に憧れている」「大人しい人に憧れている」という設定、思い込みをする事。
そうすれば、何をすれば変人になるのか、うるさくなるのか自ずとわかってくる。
いない?ちなみに自分がそう。
とは言っても、特に実家が金持ちとか顔が良いとかってわけでもない。
たぶん、とにかく周囲の人間に恵まれてた。あとは運とタイミング。
まず親が良かった。
父親は出世欲と物欲のない男で、万年係長。大河ドラマと将棋番組を見るのが趣味。家は古い社宅だったし、車も軽自動車だったけど「こだわりないから別になぁ」って感じだった。
母親は世渡りの上手な女で、40過ぎても更に年上のジジババから「〇〇ちゃん」って可愛がられるタイプ。
この両親、とにかく穏やか。夫婦喧嘩してるところを見たこともなければ、親子喧嘩もほとんどしたことがない。生まれてから高校卒業と同時に家を出るまでの18年間、我が家に怒鳴り声が響いたことはなかった。
家のローンや車のローンが無かったおかげで、奨学金を借りることも生活費を自分で稼ぐこともなく大学生活を満喫。バイトは大学の近くにあった本屋でしんどくない程度に小遣い稼ぎをした。あとは時間に余裕があったから、ボランティアサークルと、名ばかりの映画研究会に所属してみたり。
ド田舎の実家から地方都市に出てきたレベルだったけど、ラウンドワンとチェーン居酒屋が駅前にあるだけで十分楽しかった。
この大学に入ったのも、受験でめちゃくちゃ頑張ったとかじゃなく高校の担任から「あそこの指定校推薦、できれば今年はおまえで出したいんだけど」って言われたから。ちなみに成績自体は上の下くらい。授業中に寝ないタイプだったし、わりと教師に懐いて「センセー!ここ教えて!」って聞きに行ってたからウケが良かったんだと思う。それであっさり合格して、入学。
就職活動もそんなに困らなかったな。大手企業ではないけど地元なら「あそこね!良いところ入ったじゃん」って言われるような職場にスッと滑り込んで、大学4年の夏休みには就活から解放されてた。
新卒で入った職場の同期は30人くらい。25人は高卒と専門卒、残りの5人は大卒で幹部候補枠みたいな比率だった。田舎によくあるパワハラが結構ひどくて辞めてく奴らもいたけど、自分は「まぁ3年は続けろって聞くし」と思ってとりあえず3年続けた。おしゃべりな先輩の話を鵜呑みにするなら、同期の中では一番出世コースに近かったらしい。仕事はそれなりに楽しかったし、上司に連れられて行くスナックを苦痛に感じたことも無かった。これは置かれた立場を楽しむスタンスで生きてるからなのかも。
で、なぜか入職4年目のときにポンっと「転職してみるか」と思った。理由としては、まぁ前述の通りパワハラがそこそこ酷くて不快な場面に遭遇することが多かったこと、あと単純に給料が安かったんだよな。直属の上司や同僚は好きだったから、退職するときは少し心が痛んだ。
ちなみに転職活動は働きながら。転職エージェントの人には営業向きですよ〜と言われつつ営業は止めておいた。
10社応募して、受かったのは2社。お断りした方からは何回も電話があって、社長とも面談させてもらったけど(内定が出た時点では社長と会ってなかった)、もう1社の方が良い条件だったので丁重にお断りさせて頂いた。そっちを辞めたらウチに来な!ってニコニコしてた社長、今思い出しても良い人だと思う。
そうやって決めた会社に入って、ちょうど2年。前の職場にいた頃と比べると年収は100万くらい増えた。有休も100%消化できるし、夏冬には1週間休める。パワハラどころか社内で悪口を聞くことも無い。コロナ禍でもボーナスを貰えた。ありがたい話だ。
自分より稼いでる人は自分より優れてるって考えてるから、金持ちを妬むこともない。努力したんだな、運がすごく良いんだな、とは思う。
だから増田を見てると、人間の妬み嫉みを感じて「なるほど」って感心したりする。自分と違う思考を持ってる相手は面白い。
ここに書いたことを現実で口に出したら、いけすかない奴だと思われるんだろうな。分かってるから増田に書いたんだけど。
世の中にはこういう奴もいるんだ、っていう話でした。
同僚にモラハラ被害を訴えられた加害者の私。態度が冷たいとか挨拶が小さいとかで。
加害者の私は総合職かつ専門職、被害者は一般職の事務員の男性だ。年齢は同い年、アラサーとアラフォーのはざま。私は中途入社、被害者は2年目。この会社では新人だが、業界歴は私の方が圧倒的に長い。
モラハラ?はあ?
被害を訴えた男性は、数ヶ月くらい前から周囲に人がいなくなると、私にこんなことを言ってきた。
「君仕事の要領悪いよね。俺は賢いし大人だから、自分以外の仕事の電話については知らないって言い張って切る」(先輩達が不在のなか急ぎの電話がかかってきて、わかる範囲内で私が対応していたときに言ってきた)
「メールとかファックスとか送ったあと相手に電話してないでしょ?本当に君のそういうところさぁ(溜息)。人間関係築くの下手くそだよね。俺は2年前にここに来たけど、メールやファックスの後にまめに取引先に電話して今のポジションを築いた。君も真似するべき」
「メール送ってさらに毎度電話なんて必要かどうか?あのさあ、必要かどうかなんてやってみなきゃわからないじゃん?」
「この部署で電話とるの大変でしょ。いつもお疲れ。まぁこれがこの部署にくる新人の洗礼だから。俺も苦労したわ〜専門職の先輩達ぜんぜん電話とらないから俺が全部出てたわ〜」
めちゃめちゃうざすぎる。
極めつけは
「いつも1人で外回りするの大変でしょ?俺、ついていこうか?」
内勤の事務員が客先訪問ついてきて何すんの?それ絶対に上の許可とってないでしょ?
はじめはやんわりと話を切り上げていたが、この前たまたま半日部署に2人きりだったとき、2時間近く一方的に喋られて、仕事に手をつけられなくて迷惑でしかなかった。こいつ婉曲的に指摘してもわかんねえんだなって思って、露骨に避けてたらハラスメントだってさ。アホくせ。
お前この前他部署の20代前半の子にプレゼントとかあげてたけどあれ女性陣みんなドン引きしてたからな。男の人には低姿勢で、めちゃくちゃ媚びまくるスタンスのくせに、対女性だとこれだよ。このクソ童貞マジでなんなん。毎月赤字垂れ流しかつ電話もまともにとれない癖に、毎月ちゃんと利益を出す専門職の私に仕事論だのマウントだの、筋違いもいいところなんだけど。
この話はネットで書いたこともなければ誰かに話した事もなかった。
そもそも性被害にあった事すらなかったかの様に、というより本当に意識せずに生きてきたので、たまに思い出して苦しくなったりするものの、めちゃくちゃトラウマになっている、というわけでもなくて
うまく消化できないままどんな風にどんなスタンスで誰に話せばいいのか分からないまま大人になってしまった。
定期的に誰かに聞いてほしい気持ちが襲ってくるのでここに書く。
三歳か四歳の頃だった。
私は幼稚園が終わってから毎日習い事をしていてその日は多分ピアノの帰り道だったと思う。
私は早生まれな上に母子家庭で、だからこそ母親は教育をしっかりしたい、そんな意識がとても強い人だった。
小学校受験の為にピアノやお絵かきに日本舞踊に塾…様々な習い事をしていた。
ちなみに電気が止まるのは恒例行事なくらいの貧乏だったので、母は色々と大変だっただろうと思う。
ピアノ教室は徒歩で行ける場所だったが、二駅ほど離れた塾にも一人で切符を買って電車で通っていたし、"豚バラお好み焼き用"なんていう複雑な買い物もよく任されていたくらいなので、一人で行動する事にはとても慣れた子供だった。
そのせいか母親やたまに会う祖母なんかに、口酸っぱく知らない人にはついていくなと教えられていて
母親が倒れたと言われた場合、親戚だと名乗られた場合、など複数のパターンを想定して受け答えの練習をさせられていた。
なのに私はその日知らないおじさんについていってしまった。
ピアノ教室から住んでいたマンションまでは五分程の距離の一本道で、その日もいつも通り一人で帰っていた。
どうやってどこで声をかけられたのかは全く覚えていないしおじさんの顔すらもう覚えていない。スーツを着た太った人だった。
この事件に関しては覚えていない事が多すぎるけど幼稚園児の記憶なんてそんなものだと思う。
覚えているのは、私の住んでいるマンションの屋上に連れて行かれた事。
体調が悪いので助けてほしいと話していた事。
性器から悪い何かを出せば楽になるから手伝ってほしいと頼まれた事。
それがいけない行為だという自覚すらなかったはずなので、きっと助けてあげないといけないと思ったのだろう。
祖父や叔父はいたけれど、一緒に住んでいたわけではないので性器を見たのはその時が初めてだったのかもしれない。
もし私に父親がいたらいけない事だという自覚も少しはあったのかな?と今は思ったりする。
屋上でおじさんはチャックから出した性器を私に咥えさせながら色々と指示していた。
あまり書きたくない。
何故か性器はずっとふにゃふにゃだった。
そして少ししてから精液を口の中に出した。
気持ち悪いものが口の中にあって早く吐き出したいと思ったのはとても覚えている。
多分その精液はティッシュに出した。
不思議なもので、なんの知識もないはずなのに私はすごく嫌な気持ちでいたし
してはいけない事をされている、となんとなくその時に気付いてしまって、気持ち悪くて吐きそうでずっとソワソワしていた。
おじさんは、これで元気になったよ、と言っていた。
おじさんは私を脱がしたり触ったりは一切しなかった。
大人になってから、これは結構レアケースだったのでは?と思ったりもするけれど性犯罪者のスタンダードなんてものは分からないし
遅くなれば母親がおかしいと気付いてしまう時間的制限もあったので、優先したのがその行為だっただけかもしれないし服の乱れなんかを気にしたのかもしれない。
エレベーターでマンションの屋上から自分の階へ降りた時、すごく不思議な気持ちがしたのを覚えている。
ずっと住んでいたけど屋上へ行ったのも初めてだったし行ける事も知らなかったので、そのおじさんはきっと下調べしていたんだろう。
私がよく一人で帰っているのもきっと知っていたんだろう。もしかしたら母子家庭だって事も知っていたのかもしれない。
エレベーターの中で「この事は誰にも言っては駄目だよ」と強く強く言われて、誰かに話したらとても悪い事が起きると言われた。
私は馬鹿正直にそれを守り母親にも誰にも話さなかった。母親に隠しごとをしている事実に強い罪悪感があって、その日はずっと落ち着かなかった。
バレませんようにってずっと思ってた。
もしかしたら事件の影響で私も普段と変わった行動をとったりしていたのかもしれないけど、覚えていないので分からない。
当時の事を思い出した時に一番後悔するのは、ついていった事でも断らなかった事でもなくそれを母親に話さなかった事だ。
思い出すたびに何で話さなかったんだろう……と苦しくなって悲しくなる。
でも話していたら母親に一生消えないような負い目を感じさせる事になったわけで、この辺りの気持ちはうまく言葉にできない。
その後はおじさんに会う事もなかった。
小学校は電車で通っていたので、もし痴漢にあったらこうしなさい、と色々指南されていたけど、六年間痴漢被害にあうことはなかった。
満員電車の中にはランドセルの幅を迷惑がる大人がいるだけで、よく蹴られたり押されたりしていたので低学年の頃は痴漢よりもそっちの方が恐ろしかった。
十代の頃は露出狂や自転車で自慰しながら併走してくる人間に会ったりはしたものの、直接触ったりしてくる性犯罪者には遭遇しなかった。
屋上で何をされたのか自覚できるようになったのがいつ頃だったのかは記憶にない。
ある日ふと思い出したような感覚だったと思う。
性被害が与える心の影響なんかを調べたりしたこともあったけれど、心の傷になったりしたわけではないから
性被害にあった女性達に同調するのはとても失礼な気がして、名状しがたいモヤモヤした気持ちをずっと抱えていた。
でも思い出すとやっぱり嫌な気持ちになる。
ずっと深くは考えないようにしていたせいか、自分に起きた事という自覚があまりないのも良くない気がする。
だからといって辛すぎる体験を脳が忘れようとしている現象だとか深層心理では傷付いているとか、そういうのもいまいちピンとこない。
最近いろんな主義主張を見るようになって極端な意見ほど目につきやすい世の中になったけれど、自分はいつもどちら側にもなれなくて性被害にあったはずなのに私っておかしいのかなと自問自答する事が増えた。
その時のことを思い出すことも増えた。
なのに生まれつきの小児性愛者(not犯罪者)ってかわいそうな人だな……と思う時もあるぐらいで、男はすべて最低な生き物!とも思えない。
ある程度男性に警戒心は持って生きてはいるけど、まともな男性にもたくさん会ってきたしな……と思ったりする。
でも頭のおかしい男性がたくさんいるのも経験で知っているから、性犯罪のニュースを見ると心から死ねば良いのにと思う。子供の事件なんかは特に苦しくなる。
そんな感じでどっちつかずの自分の意見すらよく分からない人間になってしまった。
あの頃の事件が自分の人格形成に影響を及ぼしたとは思わないけど、いまだに言語化できない感情に支配されるのは事実で、幼稚園児の頃の記憶なんて薄れていくばかりのはずなのにずっと覚えているし
年に二回くらい思い出してはしんどい気持ちになるので言葉にしたら何か変わるかなとダラダラ推敲もせずに書いてみたけど、誰かに何かを伝えたいわけでもなく正直何がしたかったのか自分でもよく分からない。
おわり
最近、小学生の頃から20年以上の付き合いのある友人が少しおかしくなってしまった。
彼女は別に三浦春馬さんガチ勢ではなく、(あくまでも私には)複数いる好きな俳優さんの中の1人くらいのスタンスで応援をしていたように見えた。
でも今は毎日毎日Twitterで三浦春馬さんのことを呟いている。
好きだった人が急にこの世から居なくなってしまったのだから、考えずには居られないのだろう。
ただ、その内容が私には少し不可解なのだ。
詳細に触れるのは避けるが、彼の死の原因や周囲の人々・組織を訝しむようなものや彼の出演作品の撮影現場での扱いについての噂など、どれも根拠や信憑性に欠ける妄言のような気がする。
どうやらファン界隈の一部では彼の死について疑問を抱く主張をする人がそれなりにいるらしく、彼女もそれに取り込まれているようなのだ。
私は彼のファンではないのでとやかくいう資格もないかもしれないが、彼の死を受け入れられない故の現実逃避に思えてしまう。
リアルの知り合い用・趣味用の2種類のアカウントで同じことを呟き続けているので、下手をすると彼女の発言でTLが埋まる。
ミュートをしたり、SNS繋がりを経てば発言自体は見なくて済むようになるのかもしれないが、長い付き合いなのもありただ避ける以外の関わり方をしたいと思ってしまう。
彼女の母親(※私と共通のアーティストのファン同士でもあり、ライブで何度か連番をしたこともあるほど付き合いが深い)から直接相談も受けているので、自宅でもその様子なのだろう。
今は何を話しかければいいのかわからないし(死亡のニュース直後追い詰められたようなLINEがきて、それ以来やり取りをしていない)ただ耐えて見守るしかないのだろうか。
多分私が彼女の発言内容について「そんな事実はないと思う」なんて言った日にはきっともう関係は破綻してしまうだろう。
本当に何かに取り憑かれているような、宗教じみているような異質な感じがするので早く元の彼女に戻って欲しい。
一体どうすればいいのだろう。
二次創作歴1年。
描くものは恋愛要素なし全年齢作品。基本的に一枚絵ばかり描いてる。
今までにないくらい好きな作品とキャラクターと出会えて、幸せで。彼女たちの豊かな表情や幸せそうな笑顔、何気ないけれど掛け替えのない日常を、自分でも描きたくなって、安易に「二次創作」というものを始めてしまった。
最初は観てもらえるのが嬉しくて、好きを共有できるのが幸せだった。でも、ずっと見て見ぬふりをしてきたことが、いよいよ辛くなってきて、毎日吐きそうになっている。
なぜ全年齢コンテンツで、他人作った創作物(キャラクター)を使って、成人向けの作品を描ける人や、キャラの情事やセクシャリティについて決めつけて発言する人があんなにたくさん、当たり前のようにいるのだろう。脳内の構造がどうなってるのか全くわからない。
キャラクターたちは未成年で、彼女たちがセックスする様子を描いているのは(基本的に)大人という構図がグロい。和姦だろうがなんだろうが、最近はどんな成人向け作品でも、キャラクターの人権を無視したAVにしか見えない。「二次創作(幻覚/妄想)」「コンテンツやキャラが好き(愛ゆえ)」だからという言い訳も、私は受け入れられない。
作中で性的指向を明言されていないキャラやキャラの振る舞いに対して「このキャラは(振る舞いは)レズ」と悪気無く当たり前のように発言も私は嫌だ。そういう発言をする多くの人はきっと「私は同性愛に理解がある」ってスタンスだと思うけど、本当に理解があるなら他人(キャラ)の大切な部分を決めつけたりしないのではないだろうか。
そしてキャラクターの向こうには、彼女たちを演じてくれる生身の人がいる。
トークイベントに参加していた二次創作者が、公式のツイートに反応もしているアカウントでイベントの感想に交えて「●と●の●姦見たい」といった趣旨の発言をしてるのを見かけたときは、殴られたような気持ちになった。生身の人を見て、その上でそういう発言ができるの、普通じゃないと思うのは私だけなのだろうか。
でも散々言っておいて、私もその「二次創作」の界隈のくくりの中にいる。辛い。でも彼女たちを描くのを辞められない。私が描いてるものだって、自分では毒にも薬にもならないと思っているけれど、キャラクターや演者さんを損ねている可能性だって十分にあるわけで。自分が正しいだなんて思っていない。
ただただ「二次創作」をする人たち、見る人たちの「当たり前」が、ずっとずっと、足を踏み入れたときからわからない。理解できないし受け入れたくない。
フェミニズムに賛成するとかしないとかってさ、本来政治なんかと同じで意見や主張単位で賛同したりすべきだよね。
私はフェミニズムの男女同権や雇用機会の均等化、差別解消や夫婦別姓(選択制)なんかは兼ね賛成。
だけど、表現に対する過剰な規制や、性の消費などに対する姿勢にはまったく賛成できない。
政治も、経済政策は反対だけど外交政策は支持するなんて人もいるわけで、自民党だから全部賛成なんていうのはおかしい。
ただ、現実には自民だからすべて正しい!民主だからすべて正しい!なんて人もたくさん。
フェミニズム界隈もそういう人がいて、そういう人らがヘイトを貯めてるからフェミニスト全体の主張がうまく通らない。
だから、フェミニストはここの部分は正しいと思うけど、同じフェミニストでもこういう部分は賛成できないって主張する人が増えないと、
自民信奉者、民主信奉者のように見なされて議論をする対象として世間が受け取られないままな気がする。
変な宗教の信者が会うたびにスピリチュアルなことをいうけど、それについて反論するとなにされるか分からないから愛想笑いでやりすごすかのように、
表面的には丁寧に接するけどどこか腫れもの扱い。主張はしぶしぶ飲むけど、反論するとうるさいから黙っておこう。
俺の周りでは「世界史/日本史を勉強し直したい」という人が定期的に現れる。
山川出版に「もう一度学ぶ〜」シリーズがあるように、意外とそういう学習の需要があるのかもしれない。
ということで書籍ではないが歴史系の学習に有用なサイトを挙げていく。
何から見るか迷ったら、とりあえず上から順番に覗いてみるといい。
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世界史 https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/
日本史 https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/
毎年一年間かけて通史を一周する。受験よりは日常学習向け。とっつきやすさは一番。
暗記のために丸ごと覚えるのではなく、ゆっくりペースで各回の注目すべき点を見ていくスタンス。
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②トライイット
世界史 https://www.try-it.jp/k/social_world_history_b/
日本史 https://www.try-it.jp/k/social_japanese_history_b/
とりあえず動画を一つ二つ見てから継続するなり他を当たるなり判断すると良い。
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③ムンディ先生
YouTubeのチャンネルで整理されている→ https://www.youtube.com/c/HistoriaMundi
網羅性はピカイチ。ただし量が膨大なので丸ごと一気に見るのはキツい。
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④Web玉塾
世界史 https://www.webtamajuku.com/sekaishi
日本史 https://www.webtamajuku.com/history
素早く学習するならここ。スピード感があり、ひとまずの理解はできる。
逆に、深くじっくり学ぶには不向き。
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⑤世界史の窓
世界史学習の補助的なサイト。日本史はこういうのが無い気がする。
用語集のように使う。「あれ、この用語なんだっけ?」となった時にまず見る。
出典の書籍なども随時挙げられているのでマニアックな知識までつけることができる。
適当に「マルクス 世界史」とかでググるとこのサイトが検索トップに出てくる。
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だいたいこんな感じ。
今は動画コンテンツがかなり充実しているので、それを利用すれば高校レベルの内容なら十分に学習できる。参考書に手が伸びない人はぜひ見てみてはいかがだろうか。
まず、育児をやるのに性別にこだわるのは間違いだと思う。二人とも子育ての義務があるし、役割分担としてどちらかが「金を稼いでいるから任せた」というスタンスだとしても、サブ的な役割として「できないことをなくしていく活動」は継続していくべきだと思うし、まして共にフルタイムなのであれば分担は必須だと思う。また細かいやり方に摩擦が起きることも多いが、それを避けるために常にコンセンサスをとるとか、時間的余裕のない現実と向き合いコンセンサスの時間を省略するために役割としてのメインとサブを言外にでも設定することも間違いではない(定期的なすりあわせは必要)。
育児参加する父親に対して「ほう、やるべきことをやってるなぁ~」みたいな課長のような視点でくんじゃねぇよ。何様だ?
断っておくと、その言葉が必ずしも不快なのではない。言い方とかその人間のバックグラウンドとか、そういうものを加味して純粋な気持ちで言ってくる場合は素直に嬉しい。しかし普段から人を謎の評価したり、初対面(どころか未対面)だったりすれば、この不快感は出てくる。
「男は『ヨシヨシ』してほしいんだ」みたいな理屈をこねてくる奴もいる。もちろん誉められることは嬉しいことだ(受け手が女性でも同じなんでは?)。だが「何様?」という態度でくることは違う。それはつまり『品定め』されている不快感があるからだ。裏側に男蔑視(もしくは男が言う場合の男側の世間の目を気にした卑下)を感じるし、「それに引き換え」的な他への攻撃の出汁だったり「でももっと大変な人いるよ」的なクソマウンティングも見てとれる。反抗すれば「誉めてんのに何?」となるのは目に見えているので(裏側が真実の癖に表層で防御するクソヤロウ)、大抵は微笑みで「ハハハ…」と対応する。大抵はそれで終わるんだが、たまに満足せず「裏側」の話を追撃してくる奴もいる(「ママはもっと大変で~」お前なんの責任もとらない他人だろ!)。そうなるともう「ですね~頭が上がりませんわ」と終わらせるしかない。最悪の場合そこから謎の説教が始まる。どの段階だとしてもともかく、イラッとポイント上昇である。イラッとポイントは育児にも支障をきたす。こうなるともはや育児の応援どころか育児の邪魔である。
まあこれは俺の私見だし良かれと思って言ってる奴にはかえって悪いなとは思う(まあ不快なんだが)。人は一人で生きていけないし、言うて受任限度だし訴えるほどでもないが、感じてることは書き留めたいなと思いかいた。これでSNSでハッシャタグつけて周りを焚き付けてギャオギャオしたりするのは間違っていると思うし。(公平のため注釈、この言葉には見え見えだが『裏側』を持たせてある。このくらいのことは人間するものだ。それで「いや誰もそうとは言ってないよ?」と表層で逃げることは嫌いだ。)
別に立憲民主党なんか支持していないのだが、共同通信が打った雑な記事のせいであらぬ誤解が広まっているので解説する。
まずこの演説は全容がYouTubeに上がっている。千葉8区の新人・本庄さとしさんの応援演説で、「デジタルは後ろ向き」発言は9分40秒くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=l_fKjRkd9Cs
演説全体の大意は「新自由主義からの脱却」である。枝野さんは現在の社会を〈新自由主義的な社会〉だと捉えていて「競争を促進し、負けた人間は自己責任だと切り捨てる」社会から「支え合い、政府が国民をサポートする」ものに変えたいと言っている。
そのビジョンの具体策として、枝野さんは短期・中期・長期の〈3つの経済政策〉を掲げる。デジタル云々の話が出てくるのはそのうちの「長期」の部分だ。
〈短期〉は、「コロナで景気が壊滅しているので、減税をした上でお金を配れ」というものだ。〈中期〉は「ベーシックサービスの拡張」で、医療・介護・保育所・障害福祉などの勤務条件を改善し、従事者を増やし、国民の老後への不安を軽減することで景気を刺激し、少子化の改善を期待するということを言っている。
〈長期的な経済対策〉は「新たな産業を勃興し、世界をリードするビジネスをして外貨を稼いで豊かになろう」という提案で、具体的には「自然エネルギー産業を勃興させよう」というものだ。「21世紀は温暖化問題などもあり、世界中が自然エネルギーにシフトしていく。日本には太陽光・風力・水力・波力・地熱などの発電技術において世界から抜きん出たものがあるので、これを推進して、自然エネルギー社会へのシフトをリードしよう」というのが枝野さんの主張である。その話がなぜデジタル化に関係があるのかというと、菅政権が〈長期的な経済対策〉を示していないからだと枝野さんは言う。「日本のデジタル状況は世界から取り残されており、そこに注力しても世界に追いつくだけで、日本の未来を輝かせることはできない」「政権が最重要課題としてそれに取り組むのはおかしい、長期的な経済対策のビジョンを出せ」というのが枝野さんの批判の内容なのだ。それを「後ろ向き」という言葉で表現している。
まとめると
というのが表題の発言の真意となる。デジタル化自体は枝野さんも賛成をしているが、優先順位や打ち出しかたがおかしいだろうという話なのだ。
記事の内容を読んでも上記のようなことは伝わらないし、扇動的なリード文がミスリード傾向を加速している。ブコメでも以下のような発言がホッテントリに入っている。
b:id:cu6gane 野党お得意の与党逆張りもここまで来ると呆れる…デジタルの対比で自然エネルギーを持ち出すとか「お前は何を言ってるんだ?」状態やん?よしんば自然エネルギー活用するにしたって今の時代デジタル必須だろ
b:id:ahomakotomahomakotom はい、立憲民主党はデジタル化反対なんですね。話にならないね。
b:id:zataku 「デジタルやITとか言うやつ=なんとなく悪、人間味が無い」と思ってる層のお年寄りを取り込みたいんだろうけど…。相手を無知だと思って馬鹿にしているのでは。
記事だけ読んでいれば、このような理解になるのは当たり前である。ブコメでこれなので、Twitterやヤフコメの惨状は推して知るべしであろう。
現在はコンテンツの消費速度がどんどん上がっている時代だ。みんな忙しいので、15分の可処分時間を使って野党党首の演説を聞く人などという人はおらず、見出しと本文を流し読みして「何いってんだこのバカ」とラベリングをして終わり、となる。
だからこそ、要約を担当するメディアの能力が問われる。そこで発言の肝要を捉えられていない記事を配信したり、PV稼ぎのつもりなのかそこにさらにヘンテコなリードをつけて配信をしてしまうと、誤読が進むどころか社会の分断をどんどんと深めていきかねない。その分断を上手く操れるものこそが為政者になるというような傾向すら、最近は現れてきていると思う。
相手が何を言っているのか正確に理解をして、対話的に批判をすること。分断社会を乗り越えていくにはひとりでも多くの人がそれをやっていくしかないと思うのだが、メディアが率先して無理解と嘲笑を煽って分断を深めてどうするのだ。くだんの記事を書いた記者、リードをつけた編集者はプロ失格である。あなたがたの仕事は、はっきりと社会を悪くしている。自分たちには能力がないのだ、社会人として仕事に向き合うスタンスに問題があるのだということを自覚して、猛省してもらいたい。
子供の出産予定日もだいぶ近づいてきて、共に過ごすための環境も整え始めていよいよという感じになってきたし、奥さんの日常生活にもちょっとずつ制約が入るようになってきた。流石に夜の営みどころではない感じになってきた。よくある産前産後の性生活に対するスタンスの違いからくるセックスレスみたいな話ではない。思った以上に母体っていろんな変化があると知るとそれどころじゃないなともいうのが素直なところ。自分の中でも、奥さんのことはとても大好きだけどセックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウトしていて、これまでの人生になかった感覚なので不思議な感じだ。他方、そんな事情とは無関係に湧くものは湧くわけで、そこは奥さんの目を盗んで空吹かしをする。明確にしてるわけじゃないけど多分向こうも知ってることだろうと思う。風俗は世が世なら迷っていたか言われるとよくわからない。新コロが風俗業界にどれだけ蔓延しているのかはよく知らないが、ほぼ完全に在宅勤務となり、外せない飲みだの会食だのが入ることも殆ど無くなった今では、行為のできるような店の並ぶ街の近辺に足を運ぶことすら不自然になってしまった。(通勤してた頃だったら定期券圏内から少し足を伸ばせば…)浮気だ不倫だも、もともと上手に恋愛ができるわけでも引き合いが多くて困るわけでもないから、多分縁遠い話だろう。不倫相手に掛かるメンテナンスコストを払うなら趣味に費やしたいし、絶対にミスできないマルチタスクを完遂する自信はない。そんな折のコロナ禍で、人と会う機会も9割以上減ったため、迷うこともないし疑われることもない。ただ、最近好きなAVのパターンは性的合意がある寝取りのやつだ。かつて気になってた人が同棲、もしくは新婚生活を送ってる部屋で、パートナー不在の数日間にヤリまくっちゃうやつは、そんな都合良い展開ありえないでしょうという点まで含めて「AVはファンタジー」だなぁと思いながらアクセルを踏んでいる。このAVのフォーマットが好きなのは、おそらく過去の略奪恋愛が最高に気持ちよかったからなんだと思う。学生時代の友人と社会人になってから、彼氏の海外赴任につけ込んで一気に既成事実を作る方から攻め込んで、それこそAVにあるような、それまで2人が生活してた部屋にお邪魔してベッドをギコギコさせてた記憶を味わって思うのは、自分の人生で知る限りは最高の媚薬は、背徳感だということだ。とか書いてみると「セックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウト」とか書いてるけど全然そんなことなくない?と言われそうだな… なんというか、性欲はあるんだけどセックスは別に、という。大学生の頃にこんな感じで強がってたなとか思い出す。そういえば、大豪邸に住んでるわけでもないから子供と奥さんとで寝室はひとつなわけで、産後にどこでコトを遂行するのかという問題が気になった。先輩たちはどうしてるのかとても気になる。
都知事選には維新がでてたでしょ。維新を野放しにしたくなかったんじゃないの。
立憲民主党は政策なんかどうでも良くて政権握ればいいだけど、維新とれいわはこういう政策で政権を握りたいだから。
維新の新自由主義に引っ張られる状態にはさせたくなかったんでしょ。
悪いけど立憲民主党の政策なんかどうでもいいってスタンス。さらに正直経済はどうでもいいけど、批判ばかりするから結果的に新自由主義否定と言いつつ新自由主義と似たことやってる状態じゃいつまでたっても勝てないよ。
仮に政権握ったとしてもうまくいくと思えないしな。
まずスマホは、言うまでもなくAndroidとiPhoneな。
ぶっちゃけ「スマホなんて、LINEとツイッターとソシャゲとインスタと電話と音楽聴くのを、テキトーにポチポチやる感じでパッとできればいいじゃん」
くらいのスタンスの人に、iPhoneほどマッチするスマホはない。
Androidと違って、徹底的に決まりきった使い方しかできないけど、その決まった使い方の中では世界一直感的に操作できて、かつド安定。
デザインもリンゴ臭いことこの上ないけど、これ以上ないくらいイケてるリンゴなわけで。
Androidは本当に色々な特徴を持った機種があるけど、そこから自分だけの「当たり」を引くのは、とても素人の手に負えるものじゃない。ぶっちゃけ面倒。
結局、不自由と引き換えに、快適をカネで買うほうで満足してしまうと。
にじさんじは所属人数も多く、本当に色んな人がいるんだけど、そっから自分的に面白い人を探すとかマジ面倒でやってらんねー。
だからってわけじゃないけど、最近は「大型新人」の西園チグサしか見てないわ。
まあ所属タレントの多様性と、業界の健全性を牽引するという信用を活かして、今後様々な業種の企業案件を引っ張りまくるという、エンタープライズ向けのLinuxみたいな売り込みでもすればいいんだろうけど、どのみちパッとしなさそうなのがなんとも。
一方のホロライブは、一見色んな配信者がいそうに見えて、ガチガチに徹底していることがある。
このうち1は「楽しい配信のために必要な、最低限のことはできている」という品質保証になっている。
2については、
という手法を採っているっぽい。
3を具体的に書くと
特にこの「海外対応」を極限まで突き詰めた、まるで戦艦大和と武蔵みたいなスタンスの配信者が、湊あくあと兎田ぺこらの2人である。
にじさんじのゲーム実況ではトップクラスの人気を持つ本間ひまわりや笹木咲とは全く異なる切り口で、このジャンルの配信では先輩だった彼女らを、気がつけば追い抜いてしまっていた。
…こう書くと「コンビニ弁当かよ」と思うくらい、かなりテンプレ的というか、ハッキリした営業方針を取るのがホロライブなのだが、今や業界で飛ぶ鳥を落とす勢いなのはこちらである。