はてなキーワード: スタンスとは
初めに言っておくとこれは性根ド腐れザコ創作マンのお気持ち表明増田です
読みてー奴だけ着いて来な!ヒャウィゴッ
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事の発端は数年前にさかのぼる。私は創作畑的な界隈の端っこで活動していた。
いくらぼかしてもわかる人にはわかるだろうが、いわゆる「うちの子」的な概念とそれに付随するいろんな形のデータをネットに放出するタイプの創作だ。
私もいろんな人の作成した「うちの子」を借りてなんかいろいろやっていた。とても楽しかった。
人が人なら黒歴史かもしれないが私はめちゃくちゃ自分の創作大好きマンなので全然今でも楽しかったなぁと思っている。
なんならその数年前の作品は今でもたまに見返すし、楽しそうだなぁこいつと微笑む余裕さえある。自分の創作大好きマンの懐は深い。
が、自分の創作大好きマンの創作はしかし、基本鳴かず飛ばすだった。
これは「うちの子」的な概念の創作をしたことがある人なら大体わかってもらえると思うんだが、他人に「うちの子」を好いてもらえる快感ったらない。
もちろん基本はアタシが誰より一番!一番好きよ!てなもんで常にラムのラブソングな訳なんだが、このラムは同担歓迎だからあたるがモテてたら最後列彼氏面で腕組んで静かにうなづくタイプ。
サンキュー、いいだろ、うちのあたる……。もっと良いとこあるんスようちのあたる。ちょっと待ってね今用意するから、あたるの新衣装!
そんな感じ。つまり、誰かに推してもらえるとこっちも捗るわけだ。
今はどうなんだかいまいちわからんが、私がその界隈にいた当時、そこは別に広い界隈じゃなかった。
とはいえ全員顔見知り限界集落みたいな界隈でもなかったので、もちろん超絶人気の鉄板アイドルみたいな「うちの子」もいればそうじゃない草の根みたいなやつもいた。
うちのあたるはどちらかといえば草の根タイプだった。学芸会でも石ころの役を任される方だった。
それに関してはまぁ、別に良いと思ってた。少なくとも当時は。
超絶人気の鉄板アイドルのいわゆる「親御さん」は、それに見合うだけの労力も支払っていたし、努力をたくさんしていたし、普通に推せた。
学芸会でなんの役ももらえないような「うちの子」だって何人もいたような規模の界隈であることは確かなので、なんなら石ころでももらえるんじゃん!やったなおめぇ!って思っていた。
まぁ、うちのあたるも頑張ってるんでね…わかる人が分かってればいいんだっちゃ……っつって。うちのあたるが主役をやれる劇はうちのリビングでやればいいんだから。
あたる!今日はなにやる?!シンデレラ?!よーし!お前がシンデレラだ!
ホームビデオ撮っとく?!ヒュウ!ダーリンが一番輝いてるっちゃ!
そんな風なスタンスで、まぁ数年、楽しくやっていた。
その界隈から離れたのは、普通に別ジャンルでの活動が忙しくなってしまったからだ。
ただ楽しかったことは覚えているし、本当にたまに風のうわさでうちのあたるがよその家の発表会に出させてもらったという話を聞くこともあったので、気が向いたらそちらの界隈のアカウントを覗くようにしていた。
(「親」が活動していなくてもその「子」を借りるということは全然ある界隈だし、すくなくともうちのあたるに関しては好きにしてくれと表明していた)
ある日、そのアカウントの方にリプライが届いていた。どうやらうちのあたるを発表しているページに不備が出ていたらしい。
メンテナンスもしていなかったからそんなこともあらぁなと改修した。ついでに、界隈を離れたころに気づいてずっと手を入れたかった部分もすこし修正してうちのあたるを発表しなおした。
まだこの子を必要としてくれる人もいるんだなぁと本当にうれしかった。
ご連絡ありがとうございました。これからもうちの子をどうぞよろしくお願いしますとメッセージを添えて改修の旨をお知らせした。
しばらくして、どんなもんかなと連絡をくれた人の様子をうかがいに行ったら、見事に燃え上がってた。
燃え上がってたって言葉には齟齬がある。なんか一人で燃えてた。ショックを受けて意気消沈したあと、一週回って燃え上がってる感じだった。
えっマジで何事????なんかうちのあたるの話してる????何????修正できてなかった???
慌てて確認する。ちゃんとできてる。オッケー今日もダーリン輝いてるっちゃ。
趣味の良い事じゃない気がしたから嫌だったんだけど、気になるのでその人のツイートを激さかのぼった。
どうやらお知らせした私の態度があまりにも事務的だったことが事の発端らしい。
「私はこの子をこんなに愛しているのに、生みの親に愛されてない」「なんてかわいそう」「こんなお情けで更新されるしかないなんて」
「今回の対応でこれからさき絶対に供給がないことを思い知らされた」「これから先この子を扱っていく自信がない」
というようなことをここ数日呟いているらしかった。
「かわいそう」ってなんだ。
かわいそうなのか?うちのあたるは。
「生みの親に愛されてない」のか?うちのあたるは。
数年放置していた「うちの子」だ。確かには端から見れば愛がないように見えるのかもしれない。
でも、私のつくった子だ。これだけは絶対に言える。私が一から作って、命を吹き込んだ子だ。アタシが誰より一番だ。
何で「愛してない」なんて言われなきゃいけないんだ。何が「かわいそう」なんだ。
じゃあなんで数年前、私があたると二人でリビングでやっていた劇を見に来てくれなかったんだ。
あなたがあの時「最高のシンデレラじゃん」って言ってくれたら、手拍子の一つでもしてくれたら今だってあたるのシンデレラドレス作ってたかもしんないじゃん。
シンデレラどころか赤ずきんコスだって第二形態だってタキシードだって作ってたかもしんないじゃん。
おんなじ場所にいたはずなのに、あの時あなたはこっちを見向きもしてなかったじゃん。
それを今更好きだとかだいじにしてほしいだとか言われたって困るがな。
ってことでもやもやしてたんだけど。
「近所の店の閉店が決まってから、本の絶版が決まってから、『好きだった』なんて言ったって無駄」みたいなツイートが別のアカウントのTLで回ってきて、なるほどこういう気持ちね!って思った。
『報われなかった子が・店が・本がかわいそう』なんて、何にもしてないまっさらの手をかざして、泥だらけになって頑張ってた人の目の前で言ったって本当に無駄なんだな!びっくりした。
つまりそういうことです。ここまで付き合ってくれた増田一同、好きなものにはリアルタイムで好きって言っておけよ!
ほんと今の多様性の時代に必要なのは
「私には理解できないけど、あなたはそれが好きなんですね」という精神だよね
人が好きな物を無理に好きにならなくていいし
「あなたが好きな理由を私に理解できるように説明して」とか一番言っちゃダメなやつ。
理解できない物を理解できないままに許容しよう。— Zirconia😎VRChat (@ZirconiaVRChat) September 14, 2020
一番言っちゃダメ、と一方的に決めつけ強い言葉を使い否定しているが、「(自分には理解できないが、)あなたが好きな理由を(あなたの事を人として尊重していて、あなたへの理解を深めたい、あなたをもっと知りたいから)自分にも理解できるように教えて欲しい」という他者理解のスタンスを考えすらせずに頭ごなしに否定して「理解しなくてもいいから許容しろ」と押し付けてきてるのがさすがおフェミ様
「私のテニスだけを見てろ」ってスタンスならかっけーなと思えたのにな。
つまんねー質問には答えないくせに、自分の政治的主張だけはガンガンいくから、
なんか近づきたくない危ないやつって感じるよ。
母親と話してると3秒で不快になるので原因を分析したら、「スタンダードは常に自分」というスタンスで発話してるせいだと気付いた
https://togetter.com/li/1590890
すげえ共感できる
「みんなが不愉快になるからそういうふうに言うのをやめてくれ」というと
「私が不愉快になること言うのやめて」と
本当に恐怖を覚えるのは「業務でWeb担当者をやっている者」の一言で盗っ人猛々しいみたいなやつらまで「俺たちは正しいんだー!」って行動してることだなぁ。
もともと控えめに配慮している人たちもたくさんいると思うけど、こういうのの尻馬に乗っかって動く奴らは絶対そうじゃないよね。
バナーの画像を切り抜くだけの仕事のやつも「業務でWeb担当者をやっている者」、
言われたとおりに楽天の商品ページに値段流し込むだけの仕事のやつも「業務でWeb担当者をやっている者」、
どこの馬の骨かわからない「業務でWeb担当者をやっている者」が何の責任も負わず、
偉そうにSEOの専門家みたいにそれっぽいこと言えば、それが権威からのお墨付きみたいになっちゃうほうが恐怖を覚えるな。
「業務でWeb担当者をやっている者」って明らかに誤解させようという含みで言ってるよね。
趣味垢で繋がっているリア友のツイートが無意識に心を蝕んでいる感覚が抜けないので、アプリを消して一旦距離を置くことにした。ミュート機能などを使って自衛してもだめだった。(以下、数年間溜め込んでいた長い愚痴)
私の趣味垢は、高校時代からハマっているアニメやアイドル、ドラマの情報を追いながら、フォローしている人たちの二次創作などもTLで見てオタクするのがメイン。リア友は鍵垢。私と同じように趣味の話もしながら、苛立っている時は現実の愚痴やその場で抱いた感情もすべてそこで垂れ流す形。その中でリア友は、苛立っていると私を含め自分の垢で繋がっている友人たちへの文句、不満、悪口のようなツイートも、名指しやリプの形は避けているが本人たちのいるTLに平気で垂れ流す。アカウントのスタンスは人それぞれなので自分は(多分他の友人も)あまり気にしないようにはしていたけど、もう4年ほどこの状態が続いている。高校時代から付き合いがあり、学生時代も今も他の友人を交えながら仲良くしていたとはいえ、これが私にとって悪影響であると明確に判断して距離を置こうと決断できたのはつい最近。
私が観光地関連のバズツイをRTして「楽しそう!来年以降にいつかフォロワーと行きたい」とツイートすると、時間差で「お前だけで行っとけ」とツイート、同じアカウントで繋がっている他の友人が同級生と久々に通話できて楽しかったという話をツイートすると、また時間差で「誘われてない、なんで」というツイート(自分だって同じように誰かと遊んだりそれを報告するツイートしてるのに)、一緒に出掛けた時に何気なく言った私の考えを後日「私は○○とは思わない、△△だから」とまた時間差で反論めいたツイート。挙げたらキリがない。他にも趣味関連の話をしている時もあるが、何かと周りに突っかかるようなツイートがとにかく目立つ。「みんな明るい話ばっかり。愚痴とかないの?」というツイートも昔流れてきたが、アカウントのスタンスが違うのになぜ一緒にするのかと感じた。
私が繋がっているリア友のアカウントは、フォロー数もフォロワー数も身内が大半を占めている。そのためどのツイートに対する突っかかりなのかが名指しではなくてもすぐに想定できる。苛立っていたり少し病んでいる様子がわかる時は数日間ミュートをかけて、ツイートを見ないようにしていた。けれどそれとは別で、「吐き出さないとやってられないから~」と定期的に言い自分のツイートを正当化するような振る舞いもしている。現実でこれまでたくさん会って長年仲良くしてきが、この言い訳を悪用して本人が見える場所で、時間差空リプで、万が一疑われて追及されても否定できる形で平気でツイートできる感覚が私にはわからない。現実で直接会うときはそういう素振りを見せず話も面白くて盛り上がれる場面が多いため、私からもわざわざ言うことはしてこなかった。しかし一度だけ我慢ができなくなり、二人で会った時に上記で挙げたツイートたちを踏まえて「何かあれば直接言ってほしい」と伝えたこともある。すぐに謝られてその直後はしばらくそういう内容のツイートは減っていたが、今はまた元に戻っている。わからない。職場の人間関係が良好でなく、日常生活のストレスをここで晴らしているとは言っていたものの、垢分けもせず本人のいるTLで悪口を垂れ流す感覚が私にはわからない。
次第にミュートを外している時に流れてくるどのツイートもマイナスな意味合いを含んでいるのではないかと疑ったり、反論めいたツイートに自分も反論で返したりしそうになる。ツイートを見かけるだけでストレスを感じるようになる。なぜお前が突っかかりたくなるアカウントをミュートしないで、私がお前をミュートしているんだろう。他の人のツイートが目につくならお前が先に自衛しろ。悪口や反論を直接言う気がないなら本人がいない場所でやれ、人間性を疑う。
いつの間にか負の感情が伝染しているような気がして精神衛生上限界だと思ったので、一旦Twitter自体から離れてみることにした。リア友がいるTLで他の友人と会話して盛り上がっている様子を見られるのももう嫌だ。このことをTwitter上で繋がっている他の友人に話すのも気が引けるので、繁忙期が近いからとだけ言いTwitterのアプリを消した。ブロックすれば解決する話でもあるので、ブロックはまたいつか戻った時に検討してみる。しばらくはSkypeでも繋がっている他の友人やフォロワーと通話ができればいいや。
そりゃ、世間様はそんなもんだよね。
んで、次に考えるべきは、問題を「性表現のいかがわしさ」と前提して、女性にどう思うか聞けば
そりゃ否定的な答えが返るだろうよと
その上で、「皆様の前で大声で肯定できない文化は死んで当然」な社会が望ましいのか?と
もちろんこう返るだろう
「殺したいのじゃない、隠したいのだ」と
漫画における不適切(?)な描写に怒りたいんだったら、少年漫画だけじゃなくて少女漫画も叩けよと思う(増田は両方叩かないでいいじゃんというスタンスなんだろうけど)
読んでくれてありがとうございます。
企業勢Vtuberさんは企業に属し、お金を受け取っている時点で「プロとしての義務」を背負っている。これは視聴しているこちらにとっても見逃せない(見逃してはいけない)点ですね。
(ただめちゃくちゃ個人的な所感なのですが、ニコニコ時代あたりから実況やってる実況者(古いと10年選手の人もいます)のほうがプロであるはずのライバーさんよりずっとこなれていると感じる点も多々あり、プロとはなんぞや…みたいな気分になったりもします。おそらく私は成長型コンテンツを推すのに向いてないタイプなのでしょう。)
「Vtuberに愛着があるほど、そのVtuberの心境を想像していたたまれなくなる。それは折り合いをつけるしかない。」という指摘は本当におっしゃる通りです。
これからどんなスタンスを取るか、いくつか具体例を列挙していただいたのも非常にありがたかったです。どうしていくか、自分なりに考えていきたいと思います。ありがとうございました。
これ書いた増田より
自分は、親の言うことをよく聞く「いい子」だったし、親の言うことこそが真実と思って育った。
母が「○○(筆者の名前)は算数が好きだからね」と言えば、成績は悪くなかったこともあり、そうなのかと納得した。
母が「○○はコツコツ努力できる子」と評すれば、やはり納得し、他人の目にそう映るように行動した。
母が、「○○はお父さんを尊敬してるもんね」と言えば、「尊敬する人」の欄には「父」と記入した。
母ばかりなのは、父とはそんなに喋った記憶がないからだ。いつどこで不機嫌スイッチが入るのかわからず、怒らせたくなかった。
しかし、高校進学を機に親元を離れて、うっすら覚えていた違和感の正体に気づき始める。
自分は全然努力家なんかじゃない。どうにか楽して生きたいし、暇さえあればゲームばかりしていた。勉強も正直そんなに好きじゃないから、テストの類いはコツコツ勉強どころかほぼ一夜漬けで挑んだ。
父のことも別に尊敬してない。見習うべき点はあるかと思うが、それは「尊敬」という感情ではない。
なんのことはない、母は子どものことを理解したうえで言っていたのではなく、「こういう子であってほしい」という願望を言い聞かせていたに過ぎなかった。そして、自分はその通りになるように振る舞っていたので、母の願望は「真実」になった。それだけの話だったのだ。
そう気づいた後でも、自分は親に対する態度を変えることはなかった。高校~大学時代は経済的に親に依存していたので、今までの従順な子どもから急に方向転換するのはためらわれた。
社会人になり、経済的に完全に自立したところで考え方を改めた。
よっぽどのことがない限り、親には頼らないことにした。その代わり、親の顔色をうかがったり、言うことに無条件で従ったりするようなこともしない。
こうして書くと当たり前の話に聞こえるが、当時はそれができていないように感じていた。自分は親離れするので、親にも子離れしてほしかった。
自分が、新卒で就職したところを辞めて転職したのだ。親には転職の相談は一切しなかったが、引っ越しもするし報告しておくか、くらいの気持ちで事後報告をした。
しばらくして、母から返信が来た。曰く、父がひどく怒っていると。
数日後に父本人からも長文メールが届いた。まとめると、「そんな大事なことを、なぜ転職を決める前に親に相談しなかったのか」と怒っていた。
母にも苦言を呈され、お父さんがこの調子では最悪離縁すると言い出すかも……というようなことを言われた。
どうも、
というのと、
というのは、両親にとっての「真実」(願望)だったようだ。
彼らの連絡を受けて頭に血がのぼった自分は、二人に長文メールを返した。まとめると、「あなたたち二人は子離れできていないのではないか」という内容で。
以降、お互いに連絡もしてないし、帰省もしていない。
今思えば、上で書いたような「支援は仰がないけど言うことも聞かないよ」というスタンスを明確に親に伝えていれば、ここまではこじれなかったかもしれない。後悔しても遅いが。
つくづく、コミュニケーション不足な親子なのだと今になって実感している。
(オチはない)
俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
うん、銀英伝のファンのあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイートの認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。
でもさ、
ことと、
twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシングを煽動してるようにしか見えないんだわ。
ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句だからね。
「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
もちろん、昨今のネットの社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかしな社会学者の存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。
ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?
文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズムに同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性の問題を惹起するよなあ。
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。
ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。
つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイがバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士や研究者によって献血ルームが攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブの農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。
ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものにヒステリックに反応するのは自明の理では?
悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。
だからといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)
実際問題、2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現(特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者の定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動
いや、ネットで表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者の世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベルで新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。
この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterでしか「社会学者」を知らなそうな人多くない?
そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……
アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーやオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。
アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者や数学者や工学者や物理学者や言語学者や文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterのオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。
そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たちの表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージを形成しちゃうよね。
もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。
『ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
私は人の評価が気になる性格で、なにか不安な事があると人に話して(愚痴って)解消するタイプ。一方夫は、私とは正反対で感情の波がほぼなく、他人を気にしないタイプ。何かあっても、自分の中で処理をする。
正反対なのは分かっていたので、なるべく愚痴るのは控えているつもりだし、慰めてもらうだけの会話はしないようにしている。そして夫の自分をしっかり持っていて、自分の感情は自分でなんとかするというスタンスは尊敬している。
でも、精神的に辛い時や不安な時、優しくしてほしい、慰めてほしいと思うことがある。ただし優しい言葉は求められない。なぜならそういうことをお願いすると、十中八九不機嫌になるからだ。そういう時は、「今とても辛いので、サポートしてほしい」と言葉で伝えるようにしているのだが、辛い理由がいまいち理解できないらしく、特に何もしてくれない。ひどいときには、「なぜそんなことを気にするのだ」と言って終わる。気になるものはなるのだから、仕方ないではないか、というのが私の意見なのだが、それがわからないらしい。
もう何故一緒にいるのか、わからなくなってきた。
というツイートを見た。
両親も全く同じタイプ。
結論から言うと、圧倒的に想像力が欠如しているからこうなるなんだよね。
になる。
これでも少し配慮した言い方であり、更に近しい人に言うとすると、
「カラザ取るのか〜めんどくさくない?」になる。
勿論嫌味でも何でもないし、否定したくて言ってる訳でもない。単純な疑問でしかない。
「めんどくさくないわw」
「これすらめんどくさいのはやばくない?」
「めんどくさいけど気になるからね〜」
などの返事をするだろうから、相手からもこの辺りから返事が来るかな、と思って聞いている。
自分と他人が違うということは理解してる(つもりになってる)から、そこに落とし込むことは出来る。
でも、「カラザ取るのか〜めんどくさくない?」によって、
こう思うかな〜こう返って来るかな〜と想像してる範囲が圧倒的に狭い。
「自分が全く考えもしなかったこと」が返ってくるなんて思ってないから、余計な一言が付いたりする。
「自分と他人は価値観も考え方も違う。だから自分のこの発言は否定されるかもしれない。」
までは考えられるのに、
「否定ならまだしも、もしかしたらこの発言によって傷付いたり不快に思うことがあるかもしれない」
までは考えられてないんだよね。
よく言われるコミュ障とは、発言するときにどもったり、自分から話しかけられないことが挙げられる。
でも実際どもる人は「こう言ったらもしかしたらこう捉えられるかも」というワンクッションが厚いからどもっている。
深く考えず、「大体こう返って来るだろう」としか思っていないから、初対面でもポンポン話せる。
ポンポンあれこれ話してるうちに、意図せず傷付けてるかもしれないなんて思ってもみなかった。
なんとか今回の件で気付けたのは幸いだけど、「これ自分の親のことだ…」が散見されるばかりで、「これ自分のことだ…」が少なかった。
今までは気付きもしていなかったが、今後は角が立たないように伝えて行けたらいいのかなと思う。
ぶちまけたいしいつかはぶちまけちゃうと思う。
でも今じゃない。
今はまだ、誘ってくれて、デビュー前にフォローしてくれて、スタダを助けてくれた人達に支えられてる。
でも今は完全にそういうスタンスだし、この先も変える気はないし、
このスタイルになってからのファンが多くなって、このスタイルに惹かれてくれた人に支えてもらえるようになってからぶちまける。
統合失調症は治る病気でもないし、家族が熱心に家族会に通っていれば患者の経過がいいかというとそうでもない
私もオタクだからオタクを批判するつもりはないけどさ年相応になっていこうよ。そのジャンルはあと何年持つかわかんないけど、オタクは何十年と生きるじゃん。推しに投資するのもいいけどまず自分に投資してみない?もう20代なんだからちょっとメイクしよ、肌よわいならファンデーションはいらない眉毛整えるだけでいいからそのガサガサの唇にリップクリーム塗るだけでいいから。あとよれよれのよくわからんロンTみたいなのと毛玉だらけのパーカーは捨てろ。キャラモチーフのアクセサリー買う前に服を買ってくれ。あと髪の毛を整えてから家を出よう。身だしなみキチンとしてるオタクをすぐパパ活かキャバ嬢って言うのやめてね、私はどっちもしてないよ。ジャンルにお金使うのって本当にオタクの理想形だと思う。けどそんな自分を「オタクとしては上位」って思ってマウントとるのだけは恥ずかしいから、視野を拡げてオタクじゃない人を見てみよう。あとそのスタンス貫き通すならかわいい女の批評は絶対やんなよ。
そう思わない人も居るかもしれないが、犯罪報道の際、犯人の家にあった漫画やアニメグッズを報道するのと同じだと言えば「なるほど」と思う人もいるのではないか。
犯人は性別、国籍、年齢、病歴、趣味、様々な属性を持っている。その中で「犯人は外国人だった」「犯人はアニメオタクだった」と1つの属性を殊更に取り上げるのは、その属性と犯罪を結びつけようとする行いだ。
もちろん逆も真だ。
「犯人はアニメオタクだった」という報道に憤る人が「犯人は外国人だった」をセーフだと思うのは矛盾だが、
それを指摘する人がもし、「犯人はアニメオタクだった」という報道を問題だと思わないのに「犯人は外国人だった」に憤るなら、それもまた矛盾だ。
「犯人は外国人だった」が問題だと言いたいなら、「犯人はアニメオタクだった」も問題だとしなければ理屈が合わない。
さて、だとしたら、つるのを批判している人たちの内、一体どれくらいが矛盾せずにいられるだろうか?
「犯人は外国人だった」の問題点は犯罪に無関係な属性と犯罪を結びつけている点だ。この問題点は「犯人はアニメオタクだった」にも共通する。
当然ながら、こうした偏見を助長する発言の問題は犯罪に限らない。
犯罪に至らないが一般的に悪いとされている性質や、能力など、犯罪以外と結びつける場合も問題である。
つまり「なにかしら悪いもの」と例えば「オタク」を結びつける発言はどれもまずいのだが、そうした発言をしていない人がどれくらいいるだろうか?
「オタク」じゃなくてもいい。男でも女でも子供でも大人でも、ゲームでも漫画でも演劇でも映画でも、中国でもアメリカでも日本でも、右翼でも左翼でも、ロリコンでもペドでもショタコンでもゲイでもレズでもバイでも。(*)
「どのような偏見も持ったことが無い者だけがつるのに石を投げなさい」とは言わない。そうすると恐らく誰も石を投げられない。
しかしせめて、「自らの偏見を自覚し、悔いる者だけがつるのに石を投げなさい」と言わせて貰えないだろうか?
この事を以って「外国人に犯罪者が多いと印象付ける行為はするべきではない」と考えたいなら、「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する必要がある。
けれども「児童を対象にした性犯罪の加害者にペドフィリアが多いという統計的事実は無い」としたらどうだろう?
「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する限り、児童性犯罪者とペドフィリアを結びつけるような発言は出来ない事になる。あなたのスタンス次第では、それをすればあなたは直ちに差別主義者となるだろう。
それでもあなたは「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する覚悟があるだろうか?
もう1つだけ問題を提起しておきたい。つるのの発言はアウトである、では、つるのは差別主義者だろうか?
恐らくつるのを批判する多くの人は「差別主義者だ」と言うだろう。
けれども、つるのは問題のある発言をしたのと同時に、犯罪被害者でもある。
例えば、警視庁の性犯罪への注意喚起ツイートを引用する形でRTした女性が「私も被害に遭いました(現行犯でしたが※「日本語わからない」の一点張り)ので気をつけてください。」とツイートしたら、あなたはどう思うだろうか?
あなたが差別に反対する者なら、口調に気を付けつつ窘めるかもしれない「それは外国人への差別を扇動してしまう言い方だから、やめたほうがいい」と、
もししないとすれば、その理由は遠慮だけだろうか?本当は差別主義者だが、そう言えない事情があるだけなのだろうか?
無論、性犯罪と農作物の盗難は違う。しかしその違いの種類は、差別主義者であるか否かの程度に影響こそすれ、正否には関わらないのではないか?
あなたが農作物の盗難より性犯罪を重く見たとしても、私はそれに反対する事はしない、けれども、農作物の盗難を「どれだけ軽視するか」には注意を向けたい。その軽視は本当に適切な量の軽視だろうか?
もしかしたら、あなたの不当な程の軽視が、つるのを差別主義者と呼ばせることに繋がってはいないだろうか?
* おそらくここで違和感を持つ人も居るだろう。そう。「犯人はいくつも属性をもっているのに、何故外国人という属性だけ抜き出すのか」という差別の糾弾は、「偏見を持たれている属性はいくつもあるのに、何故外国人やLGBTという属性の時だけ問題になるのか」という違和感と実はパラレルなのだ。
そこにはひとまず「外国人やLGBTへの差別がより深刻だから」という理由が付く。これは正しいと私は思う。しかしそれは他の属性への偏見が正当化される理由にはならない、ただ優先度の高低が正当化されるだけだ。
にも拘らず、他の属性(オタクやロリコン、ペドフィリア、男等)への偏見は進んで嬉々として広める事自体の欺瞞は払拭出来ない。尤も、これをする人はこうした問題を認めないだろう。