はてなキーワード: 現在とは
Twitterがイーロンになってからというもの、ブロックしてるアカウントまで検索結果に表示されるから10年物の粘着アンチが何をつぶやいてるかまで見えてたいへんキモいです。
今現在自分に関連したワード(エゴサもそれ以外も)を検索すると、キモいのが出てくるから「うへぇ〜」ってなります。
もとははてな民が粘着アンチをチヤホヤしたせいなので、あのアンチをどうにかしてもらえませんか?
こっちが大真面目に新しいチャレンジしてて、そのためにいろんなことやってる時に、アイツが目に入るの本気で邪魔なんですが??
ひたすらうざい
Twitterがイーロンになってからというもの、ブロックしてるアカウントまで検索結果に表示されるから10年物の粘着アンチが何をつぶやいてるかまで見えてたいへんキモいです。
今現在自分に関連したワード(エゴサもそれ以外も)を検索すると、キモいのが出てくるから「うへぇ〜」ってなります。
もとははてな民が粘着アンチをチヤホヤしたせいなので、あのアンチをどうにかしてもらえませんか?
こっちが大真面目に新しいチャレンジしてて、そのためにいろんなことやってる時に、アイツが目に入るの本気で邪魔なんですが??
ひたすらうざい
ここで仕事に関する増田を見てると「それはお前がちゃんと働いたことないからw」みたいな説教じみたクソコメばかり見るけどこれを書いてる奴こそまともに働いたこと無いくせに歳だけ食った中年だろ。
自分も働いてるから仕事に関する増田を見ると共感するけど付いてるコメントは煽りのクソコメ。
ちゃんと働いてたら共通の愚痴や考えが生まれるのにまとも働いた事のない、働いていない中年はそれがわからない。
おそらく「働いてる」事に対する嫉妬心だろう。
社会には明文の有り無しに関わらず色んなルールがある。そして、その中には逸脱した場合に強い制裁(刑罰の場合もあれば社会的制裁の場合もある)が科されるものがあり、さらにその中には再起不能(キャンセル)になるほどの一発アウトのものがある。
ここまでは異論のある人は少ないと思う。その意味では、昔からキャンセルされるようなケースは多々あったわけだ。
では何が問題か。
基本的にキャンセルを仕掛ける側は相手に対して被害者感情または悪意(法律的な意味ではなく)を持っているので一方的な意見になりやすい。
それに関して、捜査機関や司法、第三者を介さずして大勢の者が同調・連帯してしまうと、事実関係の確認の前にキャンセルがなされかねず、甚大な被害が発生する。
そして、この被害について、キャンセルを仕掛ける側も同調者も、被害が回復できる程度の補償をしたという例は存在しないはずだ。
キャンセルの方法は多様であり、暴力を伴う実力行使から相手の職を奪うなど様々だ。そして、暴力や脅迫を伴う私的制裁は当然認めることはできない、というのは説明する必要はないだろう(一応現代だしね)。
次に、社会的制裁(報道で大きく取り上げられたり、職を失ったり)についてはどうだろうか。社会の規範を逸脱した場合、一定の社会的制裁を受けることが一般的であり、現時点でそれを悪だとは言えないだろう。
では何が問題か。現在問題になっているキャンセルカルチャーの場合、社会的制裁が行き過ぎており、キャンセルを受けた者が再起動しようとした場合さらにキャンセルをかける事例が散見される。
刑罰でさえ社会復帰が重視されるようになっている昨今、キャンセルをされた経験ってのは刑罰以上に社会から排除されなければならないものなのか。
これが①に並んで大きな問題で、この不公平感を払拭できれば受け入れる人も多いのではないだろうか。
(キャンセルを受けた人)
豊田真由子さん
元衆院議員。部下へのパワハラで辞職(辞職ではなく離党とご指摘を受けました!ありがとう)。かなり時間をかけてからマスコミに復帰
森喜朗さん
呉座勇一さん
研究者。Twitterの鍵アカウントにて特定の者への誹謗中傷をなしたとして失職
(キャンセルを受けなかった人)
泉房穂さん
元明石市長。部下へのパワハラを繰り返すも続投、再任。辞職後も即マスコミに重用され続けている。
白井聡さん
京都精華大学准教授。松任谷由実さんに「早く死んだほうがいい」、真鍋かおりさんに「機密費もらってるの?あとそんなことしたら仕事なくなるよ?」などと発言するも無傷。
草津町に対した批判をした人たち(北原みのりさん、隠岐さや香さん、北村紗衣さんなど)
この違いはなんなのか。
例えば有名なオープンレターには「中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。」とあるが、これは平等に適用されるのではないのは上記を見れば明らかだ。(中傷や差別的言動を行っていたオープンレター関係者もまた多いが、距離を取られなかったよね?)
はっきり言って、キャンセルカルチャーは現代社会が過去のものとしてきた私的制裁・自力救済を現代に蘇らせたものだ。
そのデメリットを解消できない以上、少なくとも推奨されるべきものではない(世論の盛り上がりで実質的にそのようになることはこれからもあるだろうが)と考える方どうだろうか。
まぁ異論は認めないんだが。
もちろん現代の救済手段は万能とは言わないが、その改善はあくまでも法的であったり、制度的であったり、客観的であったりなど条件をクリアした上でなされるべきだろう。
遡及が一番駄目だと思う。「今日からこの決まりのもとでみんな生活することになったから、この決まりを5年前に破ったお前を制裁する」ということが平気で行われている。正気ではない
実は元記事を書いていたときに「四点」で整理していて、書く段階になって1つつどうしても思い出せなかったので三つにしてた。
その一点はこれ。感謝する。
どこの国の人間もそんなかわらんよ、が基本の実感になってるからな。
話に出てるアンデラも、国違う人間いるけど、それはたまたま地球規模の戦いだからで、出身国の違いとか普段は全然意識されない。
御持ち開陳症候群は、埼玉県川口市増田地区で発生していると考えられている、原因不明の奇病です。主な症状は、以下の通りです。
御持ち開陳症候群は、2020年頃から発生し始め、現在までに数十人の患者が出たと言われています。患者は、増田地区に住む人や、増田地区を訪れた人ばかりです。
御持ち開陳症候群の原因は、まだ分かっていません。感染症の可能性もありますが、現時点では確認されていません。
御持ち開陳症候群の治療法も、まだ分かっていません。症状を緩和するための対症療法のみが行われています。
御持ち開陳症候群は、非常に深刻な病気です。もし、御持ち開陳症候群と思われる症状が現れた場合は、すぐに医療機関を受診してください。
御持ち開陳症候群に関する情報は、まだ限られています。今後、更なる調査が必要となります。
結論から言うと、SNS等での個人の発信(の集合)が力を持ちすぎて『批判的な意見を述べる』ことと『表現をキャンセルする』という本来距離があるべき行いが近くなりすぎた事が根本的な原因だと思う。
あのMVは題材としたコロンブスの行いに対する無知が原因であって、積極的にコロンブスの残虐行為を正当化する意図はなかったであろうことは状況証拠も含めて多くの人が納得できると思う。
また件のMVをみて『コロンブスの虐殺は正しかったんだ』といった感想を持つ人は観測できなかったので、MVが存在することによる直接的な問題というのはない(あるいはあったとしても非常に距離がある)ように思える。
一方で明確な問題点として題材の調査不足による表現としての拙さ、表現としての伝わりづらさなどの作品として不出来な部分があることは事実であって、それらへの批判的な意見は十分に成り立つしアーティストや製作会社にとっても有益となりえる意見だろう。
令和6年現在、SNSで批判的な意見が噴き上がるだけで表現はいとも簡単にキャンセルされる。批判的な意見を述べることと表現をキャンセルすること、本来まったく異なる行為は同じ意味を持ちつつある。またこれはSNSだけの問題ではなく、企業側がSNS時代に対応出来ていないことで批判に対して過激な反応を起こしてしまうことや、距離が近くなったことを利用して気に入らない表現をキャンセルしようとする一部界隈の問題も含んでいる。(後者に関しては鶏と卵という感じもする)
またこの現象は否定派にとっては「正当な批判を行っただけ」肯定派にとっては「表現をキャンセルされた」という認識の違いを生み出し更なる分断の原因にもなっている。このボタンの掛け違いがある以上、議論は一生平行線なのでまずはお互いの立場を認識した上で議論を進める必要がある。
近年のキャンセルカルチャの問題について憂慮する気持ちは非常に共感できる。一方で批判的な意見もまた守るべき表現であり、長期的に見てよりよい表現を育てるために必要な物だろう。
また今回のMVのように表現の意図にまで踏み込んだ話をするのであれば、批判的な意見に対してもそれが「作品の不出来な箇所を指摘する」目的なのか、単に「気に入らない表現をキャンセルしたい」のかという意図についても検討する必要があると思う。
既に述べたが批判的な意見もまた重要な表現であって、健全な表現を守るために必要な物だ。
しかし芸能人のSNS炎上による自死問題の際にも散々話題になったことだが、正当な批判も数が集まれば暴力になり得る。何か思うことがあったとしても『既に十分に話題として騒がれていたら言及を控える』、『悪意によらず過失や無知による行いであればトーンを弱める』などの配慮は当然に必要になってくる時代だし、それらを欠いて正当な批判をしただけと主張するのはナイーブがすぎる。
批判とキャンセルは距離が近づきすぎて区別がつきづらくなっているが、本来は異なる物であるべき
肯定派と否定派はそれぞれ批判としての観点、キャンセルとしての観点から事態を観察しており根本的にボタンの掛け違いがある
それぞれが今自分がどの立場から発言していて、また相手側の立場からどう見えているのか自覚的し、節度をもったインターネットの利用が求められる
なぜ少子化は止められないのか
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/042800240/042800002/
斎藤 財源をどうするかとか、金額をいくらにするかとかの問題はあるけれど、藤波さんは、若い世代の賃金水準を引き上げたり、経済支援を充実したりすれば、ある程度、少子化問題は解決すると思っているわけですね。
藤波 いやいや、それほど簡単ではないでしょう。まず1つ、雇用環境の改善も重要です。ご存じの通り、女性の過半数が非正規雇用で働いているわけですが、彼女らの結婚・出産に向けた意欲、私はこれを総称して出生意欲と呼んでいますが、この出生意欲の低下が顕著です。
図表1をみてほしいのですが、これは、雇用形態別に、未婚女性の希望子ども数を表しています。正規雇用の女性に比べて、パート・アルバイト、派遣など非正規雇用の女性のほうが、希望子ども数が顕著に低下していることが分かります。将来、結婚をしないと考える女性の比率も、非正規雇用のほうが高いことが分かっています。
斎藤 女性の雇用形態によって、明確に結婚・出産に対する意識に差が生じているというのは驚きです。
藤波 最近、若い世代の価値観の変化から、生涯未婚を希望する人が増えているという状況にはあるわけですけれど、18~19歳の女性に聞けば、そうした意向を持っている人は、10%台にすぎないことが分かっています。すなわち、多くの女性が、社会に出て働いているうちに、特に非正規雇用の女性で、結婚・出産への意欲を失っているという状況にあると考えられます。あきらめが広がっているということなんでしょうね。不安定な雇用環境の改善は欠かせません。
斎藤 そういえば、以前、連合(日本労働組合総連合会)に取材したことがあるんですが、女性が最初に就職するときに、正規雇用か非正規雇用かで、その後の結婚・出産の状況が大きく変わってくるといっていました。初職が非正規雇用の人は、結婚・出産をする割合が明らかに低くなるそうです。
藤波 私もあれには驚きました。あのデータはレポートで引用させてもらったことがありますよ。ちょっと待ってくださいね、ああ、これこれ。図表2は、連合が2022年に実施した、現在、非正規雇用で働く20~59歳の女性を対象としたアンケート調査の結果です(連合「非正規雇用で働く女性に関する調査2022」2022年3月31日)。
「配偶者あり」は、初職が正規雇用の場合63.6%でしたが、非正規雇用では34.1%にとどまっています。また、「子あり」は、初職が正規雇用の場合は57.7%でしたが、非正規雇用では33.2%です。
最近やたらとまだ学生を含む年齢層に対するアンケートの結果を用いて「Z世代が子供を欲しがっていない」と聞くが、現実はこれである。
収入と未婚率に関係があるのは男だけであり、女は収入や雇用形態に関係なく結婚できると思い込んでいる人が多いが、現実はそうではない。
この斎藤や藤波って人もヤバい。非正規雇用の女が結婚・出産の意欲をなくすなんて当たり前なのに、一体何処に驚く予想があるんだ?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA13CRN0T10C24A6000000/
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2024/06/01a1ca9ac47131708c0dd3c171cce776.pdf
>契約締結から公表までトータルで5月かかるため、投下した資本を回収するのに時間がかかり、事業者の資金繰りに悪影響
現行法は「契約→(1ヶ月以上おいて)撮影→(4ヶ月以上おいて)公開」となっている
短絡的に出演してしまい後から悔やむ例、脅迫的に連れ込まれてそのまま撮影を強行された例などを減らすため
・改正案
既に1度以上AVに出たことがあり、かつ20歳以上なら契約から発売まで2週間程度にできるよう要望
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2024/06/01a1ca9ac47131708c0dd3c171cce776.pdf
>出演者(20歳以上かつ過去に出演経験あり)の書面承諾がある場合には出演者の真意に基づく承諾があるものとして、現行法①~③のルールの特例を受けることができることとする。
「契約→(1週間以上おいて)撮影→(1週間以上おいて)公開」にする改正案
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2024/06/aedf4a410ccb2371950af35382263f1c.pdf
現在の法律名は「性をめぐる個人の尊厳が重んぜられる社会の形成に資するために性行為映像制作物への出演に係る被害の防止を図り及び出演者の救済に資するための出演契約等に関する特則等に関する法律」
それを「性行為映像制作物に係る出演契約等に関する特則等に関する法律」にするよう要求
・その他条文比較
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2024/06/6bf185a46a46e14da766c01d18823d4f.pdf
現行 この法律は、性行為映像制作物の制作公表により出演者の心身及び私生活に将来にわたって取り返しの付かない重大な被害が生ずるおそれがあり、また、現に生じていることに鑑み性行為映像制作物の出演に係る被害の発生及び拡大の防止を図り、
改正 この法律は、出演者の自由な意思に基づかない性行為映像制作物への出演に係る被害の発生及び拡大の防止を図り、
現行 制作公表者及び制作公表従事者は、その行う性行為映像制作物の制作公表により出演者の心身及び私生活に将来にわたって取り返しの付かない重大な被害が生ずるおそれがあり、また、現に生じていることを深く自覚して、出演者の個人としての人格を尊重し、あわせてその心身の健康及び私生活の平穏その他の利益を保護し
改正 制作公表者及び制作公表従事者は、出演者の個人としての人格を尊重し、あわせてその心身の健康及び私生活の平穏その他の利益を保護し
改正 その被害の背景にある貧困(出演者が受ける報酬の学が低廉であることによる貧困を含む。事情第一項において同じ。)、
熟女もの出てる10年選手のベテランAV女優と、18歳になりたての初出演予定の子を同程度に扱う現行法はおかしいといえばそうだが、
1回出演した後で親バレしたから次の作品を撮影から4ヶ月たったけどやっぱり公開しないでほしいとか、
1回出演したけど彼くんと結婚が決まり引退を決意したのでやっぱ契約から1ヶ月たった次の撮影キャンセルしたいとか、そういうのが認められなくなるのか
私はBS朝日の「迷宮グルメ 異郷の駅前食堂」を視聴しており、
マケドニアが旧ユーゴスラビアに位置していることは知っていましたが、
歩いて行ける距離にある屋台のような店で食事をするシーンが印象に残っています。
一人旅は勇気が必要ですが、準備と計画をしっかりとれば、楽しく安全な旅行が可能です。まず、北マケドニアの治安情報や観光情報を調べ、旅行計画を立てましょう。また、現地の言葉を少し学ぶと、現地の人々とコミュニケーションを取るのに役立ちます。さらに、旅行保険に加入することで、万が一の事態に備えることができます。一人旅は自分自身を成長させる経験にもなりますので、ぜひ挑戦してみてください。
マケドニアへの一人旅を検討されているようですね。確かに未知の土地を一人で訪れるのは勇気がいることでしょう。しかし、その勇気さえあれば、素晴らしい経験と出会いが待っているはずです。
・マケドニアは旧ユーゴスラビア連邦の一部で、現在は北マケドニア共和国という国名です。プリレプはその第4の都市で、鉄道駅近くの屋台で現地の味を楽しめるようですね。
・一人旅の良さは、自分のペースで行動でき、現地の人々との交流を深められることです。しかし同時に、言葉の壁や文化の違いから戸惑うこともあるでしょう。
・事前に十分な下調べをし、現地の情報を集めることが大切です。宿泊先や交通手段、観光スポットなどを把握しておけば、不安も和らぐはずです。
・現地では常に用心を怠らず、トラブルに巻き込まれないよう気をつける必要があります。しかし過度に恐れることなく、開放的な心で現地の人々に接することで、素晴らしい出会いが待っているかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
ドラマや映画ではもちろん、アニメですら喫煙シーンは描かれることはほぼない。
昔は普通だったことも、時代の変化とともに受け入れられなくなることは多い。
『家、ついて行ってイイですか?』でギャラクシー賞を受賞。鷲見アナウンサーを人気アナウンサーにした。
「相対的過剰人口の第三のカテゴリーである停滞的過剰人口は、現役労働者軍の一部分をなすが、しかしまったく不規則な就業のもとにある。こうして、この人口は、資本に自由に使用することのできる労働力の尽きることのない貯水池を提供する。彼らの生活状態は労働者階級の平均的な標準的水準よりも低落し、まさにこのために、彼らは資本の特有な搾取部門の広大な基礎となる。最大限の労働時間と最小限の賃金とが彼らを特徴づける。われわれは彼らの主要な姿態をすでに家内労働の頂で知っている。彼らは、大工業および大農業の過剰労働者から絶えず補充され、ことにまた、没落しつつある産業諸部門 ーそこでは手工業経営がマニュファクチュア経営に、後者が機械経営に屈服するー から絶えず補充される。彼らの範囲は、蓄積の大きさとエネルギーとともに「人口過剰化」が進むにつれて、拡大する。しかし同時に、彼らは、労働者階級のうちで、自己自身を自己自身で再生産し永久化している一要素をなしており、労働者階級の総数増大にあずかる割合は他の諸要素よりも比率的に大きい。実際には、出生数および死亡数だけでなく、家族の絶対的大きさも、労賃の高さに、すなわち労働者のさまざまな分類が自由に処分できる生活諸手段の総量に、反比例する。資本主義社会のこの法則は、未開の人々のあいだでは、または文明化した植民地住民のあいだでさえ、不合理なものに聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱く、絶えず駆り立てられる動物種がたくさん子供を生むことを思い起こさせる。(八七)」
「実際には、出生数および死亡数だけでなく、家族の絶対的大きさも、労賃の高さに、すなわち労働者のさまざまな分類が自由に処分できる生活諸手段の総量に、反比例する。資本主義社会のこの法則は、未開の人々のあいだでは、または文明化した植民地住民のあいだでさえ、不合理なものに聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱く、絶えず駆り立てられる動物種がたくさん子供を生むことを思い起こさせる。」
ようするに、「金持ちは子供を生まない」わけです。現在最も富裕な人が子沢山ではないですし、今地球上で人口が増えているエリアは、東南アジア、アフリカなど
資本主義のヒエラルキーを考えた時に、日本は、ピラミッドの上の方の職種が多いのだと思います。
そのような、資本主義の貴族と言えるような人間が増えるには、より多くの
ピラミッドの下側の人間が必要になるわけです。そのようなことは地球がもう一つ必要になりますし、
むしろ、そのような貴族は資本主義の向かう先、効率化、「生産性」の餌食になるタイプの人種に思います。
私からすると、貴族に金を与えようという政策は、狂気の沙汰に思います。
「実際に歴史上の特殊な生産様式はいずれも、その特殊な、歴史的に妥当する人口法則をもっているのである。抽象的な人口法則というものは、人間が歴史的に介入しない限りで、動植物にとってのみ存在する。」
俺は自分が高校生の頃から現在35歳に至るまで女子高生好きで20年近く女子高生を街中で観察しまくってる者である。そんな専門家の俺が思うのは昔に比べて最近の女子高生は胸が小さすぎる。
やはり女性ホルモンが原因であろう。昔は性にオープンだった。俺も若い頃は知り合った女子高生をカラオケやネカフェで…という事がよくあった。俺に限らずカラオケやネカフェで制服のままヤリまくってるカップルはメチャクチャいた。
そのくらい女子高生はヤリまくってたし、今みたいにすぐ捕まらなかった。(援交する奴は捕まってたけど)俺も20歳過ぎてたし髪染めて明らかに高校生じゃないのに制服の女子高生とネカフェに堂々と入ったりしてた。そのくらい緩かった。
しかし年々社会的に未成年の淫行に対して厳しくなり今じゃ成人同士ですら性的同意だの言われるから女子高生なんかもっと手を出しづらい世の中になった。
そうなると恋愛や性行為をしなくなる女子高生が減り、女性ホルモンが年々減退する事で昔のようなマセたデカ乳JKがめっきり減ってしまった。
俺も歳を取りさすがにJKと知り合うにはリスクが高すぎるので近年は視姦だけに留めているが、
最近は地味でおっぱいの小さいJKばかりで目福にならない。夏に近付き暑くなりJKウォッチャーとしては本格始動する時期なのだがイマイチ気乗りしない。
これから日本の少子化を脱却するにはJKのおっぱいが大きくならないことには始まらない。
そのためにも女性ホルモン活性化をすべく未成年淫行の規制を緩くし、かつてのように成人男性でも気軽に女子高生と性行為できる社会にしなくては少子化は解決しないと推察する。
河原の健康と、阿武ちゃんの考える普通の生活を考えて、毎日違う料理を出してくれるぞ
(河原に指摘される前は毎日野菜炒めだった。効率が良くてサプリだけよりも普通っぽいから)