「インド亜大陸」を含む日記 RSS

はてなキーワード: インド亜大陸とは

2024-06-16

anond:20240616081005

あれっインドだって思ってたかアメリカ先住民インディアンって呼ぶようになったって聞いたけど…あれか、ジパングインド亜大陸の一部だと思ってたとかそういうやつかな。

今でも日本中国大陸の一部だって思ってる奴もいるって聞くしな?

2023-02-05

anond:20230204145139

それはそうと「見つけた奴がインド勘違いしてた」と多くの人が誤解してるけど

このインドとは今のインド亜大陸のことじゃないからな

インディアス」で調べてみ

アメリカ大陸と今呼ばれてるところが「インド」か「インド」で無いかなんて

それこそヨーロッパ人の都合で決まったことで、

インドに含めないことにしたから今はインドと呼ばないってだけの話でありんす

2022-01-10

anond:20220110160235

でもアフリカ大陸の大半と南北アメリカ大陸ほとんどとオーストラリアと、そしてアジアのかなりの部分を支配したではないかアジアのうちの西アジアの多くの部分とインド亜大陸東南アジアほとんどと中国の一部。これらはアジアの全てはないものの、アジアのかなりの部分を支配したとは言える。

一方、中国は、、、

2019-01-30

この話に落ちはない

紅茶英語でblack teaという。

分かるか?直訳で黒い茶…でも日本人紅茶と呼ぶんだ。当たり前だよ。黒くねえよ。

いかどうかも微妙だけどな。

インフルエンザ流行ってるからさ、紅茶の殺ウイルス力に期待して『午後の紅茶 おいしい無糖』を買ったんだよ。

よくよく見たら茶葉が何か書いてねえんだ。昔はパッケージ記載あったらしいけど、今ないんだよ。

俺は俺が何を飲んでるかも分かんねえ。酷い世の中だと思う。これが反知性主義なんだと思う。

まあそんな正体不明飲料を飲むわけだ。結構おいしいよ。甘くないし。

葉書いてないけど多分スリランカお茶だと思う。大体スリランカって言っとけば間違いないんだ。こういうのは。

スリランカ。分かるか?インド亜大陸が指し示す、島嶼国家だ。かつての名をセイロンという。

約65000㎢の国土と2000万の人口を持つ。日本東北地方くらいの大きさだ。

(当然俺は今ウィキペディアを見ながら書いている。お前らがウィキペディアの項目:スリランカを見ないから、こうして写経している。)

国語シンハラ語タミル語ってやつらしい。ウィキペディアを見よ。すげえ丸文字だ。

ちょっと前の日本女子高生よりも丸いと思う。多分。

このままウィキペディアを読んでいってもいいんだが、それはまあそれとしてだ。

このグローバル社会、我々は否応なく世界と繋がっているんだ。

インフル予防に普段飲まない紅茶買ったったwwww」みたいな糞くだらねえノリでも

スリランカと繋がっているんだ。

この世界が狭く感じるか?

狭く感じるのは深追いしないからだ。

世界は広いんじゃない。いや、広いかもしれないが、人の世界はその人が見る分だけだ。狭いのが普通だ。

世界は深いんだ。だから、つまんなくないし、やり込む価値はあるんだと思う。

2018-11-30

anond:20181128232241

なぜ滿洲國がまだ残っているのか

ブコメとか読みつつ、だらだら考えて見る

満州国国体orリットン調査団活動史実と違う

みんな大好きレッドサンブラッククロス(アドテクノス版)の史実との分岐点

この後、ルーズベルトスキャンダルで再選断念に追い込まれたせいでアメリカ中立化したり、ノモンハン事件が日ソ限定戦争に拡大したりしたせいで、第二次世界大戦ドイツが早期にフランスイギリスソ連を倒して勝利

国際連盟を脱退せずに国際的孤立を避けられた日本日独防共協定を結ばず、盧溝橋事件回避し、国論が南進論と北進論に分裂してたけど独ソ不可侵条約を受けて対ソ戦を決意し、以下略インド亜大陸日独が戦う第三次世界大戦が行われるまでがゲーム

この後、樺太千島朝鮮半島台湾日本領土のままで、満州国も存続したまま、アジア警察官である日本ベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれれて原爆使うところまで追い込まれるのが原作の展開。

太平洋戦争は起きてないが軍事負担の大きい日本がどんな国になっているかの判定は微妙だが、満鉄普通に存続してそう。

日中戦争が起きてない

b:id:Arturo_Ui 祖父満鉄勤務だった私も大陸育ちになったはず // 満洲国の存続には「日中戦争が起こらない」という前提が必要。日米の後ろ盾国民党政権樹立するも、毛沢東派のテロが延々と続き…という展開だったろうか。

たぶん西安事件(1936年12月)が起きず、蒋介石国共内戦を優先してるんでしょう。

コミンテルンの陰謀だった云々な人達の主張はどけとくと、盧溝橋事件(1937年7月)は偶発的な事件なので回避されたと考えてもそんなに変ではないはず。

蒋介石指導下の国民党政権は悪い意味中国的な駄目政権なんだけれども、それでも近代的な火器がある時代な以上、ちゃん支援があれば、国内軍閥を倒して統一するところまでは行けるはず。

史実での後ろ盾ドイツだったけど、まあドイツ外交がどう動くかは複雑怪奇なので、代わりに日米がいても不思議ではない(そうか?)。

そして軍閥を倒せても、やっぱり近代的な火器がある時代な以上、地方で暴れるゲリラテロを根絶するのは至難。ソ連国民党が手を結ぶ、的な超展開が起きない限りは毛沢東率いる中国共産党は元気に活動してそう。

当然、日米の武器輸出は絶好調ドル借款や円借款バンバン兵器を売り込んでるんでしょう、たぶん(これって疑似軍事ケインズ主義なのか?)。

満州国独立蒋介石承認するというのは厳しそうに思えるけど、一方で中国人の伝統思考としては長城の外側は化外の地から本当は満州国とかどうでも良かったはずだ論とかもたまに聞くので、なくはないんだろうか。

満州経営にどの程度アメリカ資本が参入してくるかは不明だけれども、満鉄普通に存続してそう。


日中戦争が早期に終了

b:id:akainan 盧溝橋事件後のトラウマン和平が成立している状態だとしたら中共は下されソ連との緊張が続くので、連合国の思惑によっては日本大正的な政党政治に戻り、結局満州インドのように地方自治から独立となってそう

レッドサンブラッククロス(アドテクノス版)の原案である高梨俊一先生も後日「でもあの時期の蒋介石政権日本戦争してないってのはちょっと無理あったよね」と言ってたはずでこっちの方が妥当か。

といっても和平が成立するということは、第二次上海事変(1937年8月)が起きてドイツ顧問指導下に育成された国府軍の最精鋭部隊野戦撃滅されたあとなので(でないと蒋介石妥協する理由がない)、講和威信が大幅低下する蒋介石指導力も大幅低下だろうしで、国共内戦がどう展開するかは割と予断を許さない気がする。

妄想的には華北撤兵抱き合わせ中華民国満州国の分離を認めさせる(≒満州国の国際承認)だとスッキリするけど、どうなんだろう

なんにせよ、この後、日独が接近すると史実に戻る気がするので、九ヵ国条約の枠組みに日本は復帰して国際協調路線のまま第二次世界大戦という名の第二次欧州大戦を迎えるんでしょう、たぶん。

当然、なんとなく大国のまま大戦終了を迎えた日本は、そのまま新たな国際秩序持組織でも常任理事国入り、満州国も原加盟国となり、満鉄普通に存続してそう。

2016-12-30

2016年 カレー備忘録

■完全予約制

インド亜大陸食堂酒場Kalpasi/カレーのアキンボ/スパイスカフェSPiCE Cafe

珈琲おいしい

negombo33/サンバレーホテル(SUNVALLEY HOTEL)

創作カレー

spicy curry 魯珈/ネグラ(妄想インドカレー)/タピ(TAPiR)/Curry&Spice 青い鳥

スリランカ料理

アハサ食堂/タップボーン/カフェロリータ

遠征

スパイス・ツリーspice tree)/筑前インド 月と亀

■酒とカレー

坊主(Sakeria)/すぱいす暮らし/カマルプー

■和

初台スパイス食堂 和魂印才たんどーる/ハブアカレー(HAVE MORE CURRY

ジビエ

「beet eat」/火星カレー

鉄板

インド食堂アンジュナ(ANJUNA)/エリックサウス

名前を呼ばれる

ポニピリカ

地図

おそくなりました:http://anond.hatelabo.jp/20161230014929

2010-07-07

アクション書評  「東インド会社アジアの海」羽田正 (講談社

 サムスンVSソニートヨタVSフォルクスワーゲンナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジア権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジア交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルビビッドなテーマを論じている。

「第一段階」 ヨーロッパによるアジア市場の”開拓”―ポルトガル人の川上進出―

 当時の香辛料交易は複数の中間業者が介在し、コスト高だった。

カリカットからペルシャシリアベネチア多くの商人運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガルバスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。

「第二段階」 オランダイギリス東インド会社」の参入と、その顛末

 会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社国民に支持されなくなっていった。

オランダ東インド会社:1602年設立イギリスの10倍超の資本金スタート

・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。

株主経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的バタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。

東南アジア香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用ヨーロッパへの香辛料貿易利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロンインドシナインドネシア中国台湾長崎などに次々商館設置。

・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。

イギリス東インド会社:1601年設立

・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利

比較的強い本部:株主取締役投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会取締役投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金オランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース

インドの綿織物に着目しオランダ差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジア香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドペルシャなどの地場為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。

・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インド中国貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。

フランス(東)インド会社:1664年設立

・後発参入:イギリスオランダ東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立株主も王や王室関係者が多かった。イギリスオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。

・東西インド貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドアフリカ貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカ奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。

・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。

政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。


気になった点、疑問など

1、スペインハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。

2、ポルトガルの弱点を当時のオランダイギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。

3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境オランダと大差ないようにみえるが。

4、イギリスオランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。

5、東インド会社という企業競争勝敗は結局どうなのか。一番儲かった会社はどこなのか。どのような背景によるものなのか。


http://twitter.com/zaway/status/17875881079

2008-12-29

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20081229/p3

いや、たいていの「外人」は日本を特別視なんかしてないだろう。特別視できるほど彼らは日本を知らない。

これには同意なんだが

しかしがっかりすることはない。日本人だって外国のことをよく知っているわけではない。相身互いである。

これはどうかな?と思う。

日本人外国のことなんてよく知らない、という証拠に、これを書いた人はこのように言うのだが

講義の初回には、毎回紙を一枚配って、世界地図を描かせ、主要都市をいくつかプロットしてもらった。するとなかなか素晴らしい地図がいろいろ出て、本人の承諾を得ていないので画像はお見せできないが、インドネシアがないのはデフォルトオーストラリアはあってもパプア・ニューギニアニュージーランドは忘れられる傾向にあり、インド亜大陸アラビア半島がなんか妙な形に融合しているのはまだよいほうで、豪快にアフリカ大陸がすっぽり忘れられている地図などもあった。

世界地図を描かせる」→「うまく描けない」→「ほら、外国の事なんてあまり知っていないのさ」

は、話がちと違わないか?地図なんてほとんどの人がまともに描いた経験などない。そこで「外国のことを知っているかどうか」を試すのは、なんというか試験レベルがちと高すぎやしないか。日本人が「世界地図をうまく描けない」――それも、「オーストラリアはあるがパプアニューギニアニュージーランドがない」というようなレベルで(まあアフリカ大陸すっぽぬけはどうかとは思うが)「描けない」ことを取り立てて「外国の事を知らない」というのはいささかレベルが高すぎやしないか。その日本人の「無知ぶり」と、

天皇がいることはうっすら知っていながら、同時にアソウは大統領だと思っている人はざらにいる。

外人」は日本がどこにあるかも知らない。中国とごっちゃになってるのはいいほうで、島国だということをかろうじて知っているがフィリピンあたりと位置がごっちゃになっていて、なんだかトロピカルな国だというイメージをもっていたりする場合もある(沖縄かなにかとフィリピンが混ざったに違いない)。そのくらい、日本は知られていない。博士号もっているようないわゆる教養階級の人でも時にそうなのである。

この外人の「無知ぶり」は、悪いが、レベルが一段階違うだろう。

ロサンゼルスニューヨークの場所を入れ違って覚えている学生も多少はおり、だから本来シカゴがあるあたりにニューヨークがあると信じていた学生がいても、もうその頃には驚くだけの気力もこちらには残っていない。繰り返すが、これが日本大学生(少なくともある四年制大学一年生)の地理認識なのであった。

なんていうけど、外人は上でいうようにそもそも「日本がどこにあるか」が分かっていないのだ。京都東京がどこかなんて指すことができるレベルじゃない。「外国の国内の地名と場所を間違って覚えている」というレベルとは一段階違う。ニューヨークロサンゼルスの位置を入れ違って覚えている学生が寧ろ「多少いる」というレベルなのは、逆に外人日本の知識と比較すれば寧ろ知りすぎている方だろう。日本大学生がある国の国内の地名と場所を覚えているのに、「博士号もっているようないわゆる強要階級の人でも時に日本はどこにあるか分からないほど無知」では差がありすぎる。

日本人世界認識がそうであってみれば、外国人日本について曖昧模糊としたイメージしかもってなくても、さほど驚くことではないと思う。イメージを形成するに必要な情報が圧倒的に足りないのだ――お互いに。

悲しい事に、「お互いに」じゃないのだと思う。確かに外国人日本の事を日本が思う以上に知らない。が、日本人は意外と諸外国のことを知っている。(外国人日本を知るよりはずっと)

「近頃の高校生イランイラクの位置すら知らないやつが多い!ゆとり!」みたいな論調が流れた時期があったが、そんなレベルじゃないんだよ。外人は。あいつら本当に知らない。特にアメリカ人

日本SUGEEとか言ってる場合か?と思う。寧ろ日本って一応先進国のはずなのにその割に全然知られていないし、どの国もたいして興味を抱いてくれていない。今も昔も、日本片思い真っ盛りだ。この記事を書いた人によると一番日本を知ってくれているらしいアメリカさんでさえ最近じゃ中国に首ったけ、日本過去愛人みたいな扱いだ。

日本人ヨーロッパの国を割りとしってるが、あちらさんは中国韓国日本の見分けが良く分かってない。

寧ろなんでそんなに皆興味持ってくれないの?もうちょっと構ってくれてもいいんじゃないの?ってくらいに俺は思うんだが。

日本とか本当皆興味持ってない。全然どうでもいいんだよ。天皇ローマ法王よりと同じか上くらいだからみんな海外日本すげえって思ってるんだよ!とか以前に、天皇ってなんだっけ?中国のダイトーリョー?くらいなもんだよ。彼ら。全然すげえとか思ってない。悲しいことに、「すごくない」と思ってるわけでもなくて、ただ単純に日本なんて誰も興味抱いてないんだよ。俺らが思ってる以上に。「日本をどう思いますか!」と嬉々として外人インタビューするインタビュアーも多いが、あの空回りぶりが恥ずかしくさえある。そんなに注目してねえから。誰も。海外にちょっと日本が褒められると嬉々として「海外に認められる日本の文化!」ってニコニコして紹介してるけど、実際海外いってみりゃ別にそこまで注目してるわけじゃなくて単なるリップサービスだったり、一部でのちょっとした流行に過ぎなかったりする。

謙遜とか卑屈とかじゃなくて事実日本なんて誰も見てねーよ。欧米は特に。SUGEEとかいってる場合じゃない。

 
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