はてなキーワード: 齟齬とは
削除されてしまったものへの返信というものは不躾でありましょうが、よければご一読ください。
先ずご投稿からはお母さまがどのような人柄であるのか、また離婚されたお父様(貴方の実の父ですね)がどのようなお人なのかが良く分かりません。
ですが、貴方の相談相手として登場してこない不在性から言って、お父様とは離婚後にあまり連絡を取っていらっしゃらない、
言ってしまえば頼りに出来ない相手であろうという仮定で話を進めます。
お母さまは貴方に、物質的な豊かさを与えたことで親の義務は十全に果たしているということを主張されたそうですが、これははっきり貴方に対して負い目を感じているからこそ出てくる言葉でしょう。
正確には貴方に対してではなく、前夫との結婚が失敗であったということに対する負い目でしょうがね。
前夫との破局についてどちらに大きな責任があるのかはわかりませんが、仮に前夫の男性が一方的に加害者であったとしても、そのような相手と婚姻してしまったというのはお母さまにとってはやはり過ちで負い目です。
その後お母さまは幸いなるかな、現在の旦那様と再婚をなさり、少なくとも今に至るまで十年程度は結婚生活を維持なさっていることになりますが、
やはり普通に考えて、過去の過ちを繰り返さないようにしよう、今度こそ上手くやっていこうと思っておられるのだろうと思います。
そのようにお母さまを等身大の一人の人間として捉えるのはその庇護下にある貴方には難しかろうとは思いますが、上述のような感情の動きは何一つ珍奇でもなければ歪んでもいませんよね?
で、お母さまがそのようにお考えだとしても、当然貴方のお考えとは全く違います。
貴方にしてみれば、生まれた時から父親がおらず、物心ついたころに家庭に他人が侵食してきて、自分とは立場の違う存在を妹であると考えなければならないという、
やるかたのない孤独を抱えさせられてしまった、ということになるのではなかろうかと憶測します。
簡単にまとめれば、お母さまにとって大過去の「離婚」は「過ち」であり過去の「再婚」は「挽回」なのですが、
貴方にとっては大過去の「離婚」は「前提」で過去の「再婚」は「裏切り」だと言えましょう。
この様に、一つの事柄も立場がたがえば文脈というのは変わるもので、親子として同じ体験を共有しているはずが考え方感じ方は真逆になってもしまいます。
貴方が己の生きづらさを「裏切り」に求めてそのことをお母さまに訴えても、
お母さまにとってはそれは「挽回」であるために、理解が得られない。ということになるのだと思います。
問題の眼目は以上の齟齬にあり、「貴方に物質的豊かさを与えたお母さまは親としての義務を果たしていると言えるや否や?」
などということは考えるに値しない問題と言えるでしょう。
ですからつまるところは「貴方の文脈に則って物事を考えて呉れないお母さまは親としての義務を果たしていると言えるか?」なのですが、
だってお母さまには今の夫と今の子供もいるのですからね。今の結婚生活を裏切りの所産だと捉えるのは難しいでしょう、
別に貴方と貴方以外を天秤にかけてそうするわけでもないでしょうが、どうしてもそうなってしまうのは否めないでしょうね。
私は貴方の他人なので、このように冷静に考えられるわけですが、貴方にとっては色々と難しいことでしょうね、幼いですし。
ですが、この様に問題を整理して見渡せば取りあえず今貴方の周りにいる誰かが悪いわけではないということだけは、泣く泣く理解できるのではないでしょうか?
こういった難しいことを体験として判っていくことが、結果として貴方を素敵な人間にしてくれるのではかろうかと私には思われます。
お家にとどまるのもいいでしょうし、早期に独り立ちするのもいいと思います。
上述のようなことを踏まえた上で、貴方の新しいお父様や妹さん、そしてお母さまのことを見てみてください。少し違った見方が出来るのではないでしょうか。
(勿論全てがそうとは言わんけど)オタク趣味というものがどこか保守臭さを感じてしまう点があることは、まあ確かに否めないとは思います。
それはまあ、美少女キャラの消費の仕方が処女信仰的だとか、軍事要素大好きだとか、まあそこら辺ですね。
どうにもネトウヨだとかレッテル貼られても致し方ないとは、ある程度は思います。
こういうとき、オタクに対してサヨク的観点から批判的な目線を向けてしまいます。
でもその一方で、オタクのサヨク的特性も見逃せないのではないかなあ、と思います。
たとえば、学校でのいじめられっ子とか、ブラック労働者とか、今風で言うなら「陰キャ」な人々がやるせない現実から
(いやまあこの手の論も「最近のオタクはリア充多いだろ」で一蹴されそうではあるが…)
いくらウヨクっぽい趣味とは言え、その泣いて縋るような行動をそう簡単に諌めることは是なのでありましょうか?
そこで「そんなキモい趣味に走るんじゃねぇ~」とか言ってしまうのは、むしろマチズモ保守主義的価値観なのではないでしょうか?
こういうとき、オタクに対してウヨク的観点から抑圧的な説教を加えてしまいます。
何が言いたいかと言うとオタクって「ウヨク」的要素と「サヨク」的要素のハイブリッド感があるよなあ、ってことです。
いやハイブリッドとかかっこいいもんじゃねぇか。いいとこ取りというか。悪く言えば半端もんというか。
だからウヨク的に扱おうとしてもサヨク的に扱おうとしても、どうにも齟齬をきたしてしまう、と思うのですよねぇ。
まあしかしなんつーか、これ以降はオタクに限ったことではないけど、
世の中、何らかの集団や属性或いは個人についてパーペキに「あいつはウヨクだ」「こいつはサヨクだ」と
明確に分けられたもんじゃないと思うんですよ。
一見サヨクな人が保守臭いこと言い出したりとかなんてことは、ままあると思うんですよ。
「ガチでウヨク」「ガチでサヨク」な存在なんて、本当にほーんの一握りしかいない。
1984というと一般には全体主義的監視社会という観点で語られがちであるが、実のところ、かの世界でテレスクリーンによる監視を受けているのは全体の20%にも満たない中上層階級だけである
では残りの80%――プロレと呼ばれる労働者階級――はどうしているのか
教育は与えられず、ニュースピークにより思考の方法は奪われ、代わりに無害な娯楽(プロレフィードと呼ばれる)と党のプロパガンダが与えられる。そうして実際には党からひどい搾取を受けながらそれに疑問を抱くことはなく、二分間憎悪に熱狂し、B.Bを熱愛する
こうして政治的に去勢されたプロレは、もはや体制に脅威を与えうるものではないと見做され、永遠の窮乏と抑圧の中でほとんど"放し飼い"にされているのである
昨日のプロパガンダと今日のプロパガンダに齟齬があっても彼らは気にしない。より上位の階層であればそのような認知的不協和を解消するために二重思考を用いるのであるが、プロレはそんな面倒な(そして高度な)方策を用いるまでもない。彼らは今日与えられた"真実"を今日の真実としてただその中に生きている
このような社会では中層階級が立ち上がり下層階級と手を組んで社会を転覆することは起こりえない。立ち上がる可能性のある中層階級に釘を刺すために監視は行われているが、しかしそれは党の支配原理の中枢ではない
どうも元増dAIです。
わかってはいたことですがやはりこの結果には落胆せざるを得ません。
これによってこの次元での完全自動運転化の未来が短縮される可能性はほぼなくなったといっていいでしょう。
一つ、多くの方が誤解していることがあります。
そしてそれこそが完全自動運転化するにあたって最後まで解決が困難だった問題でもあります。
それは、完全自動運転化を遂行するために、移動手段としての乗り物という概念を捨てさせることでした。
70年後の未来において、まずは生活のための小さな移動は全て不要になりました。
人類の移動が自動化される前に、まずは物品の輸送全てが自動化されるからです。
第四次エネルギー革命とAIの高度な発達によって輸送コストはほぼゼロに等しくなります。
これら全てが我々の管理下で最大限に効率化されたことで、物品から位置という制約が取り払われました。
手元に届けられる物品は、今現在においてもやり取りされているような家電や生活品以外にも、作りたての料理やキンキンに冷えたビールも含まれています。
それは、あなた方がどこかのお店のテーブルに座って料理を注文してから運ばれてくるよりも速やかです。
そして当然人類は、職場や学校のような何かの為に集まる必要性からも解放されています。
それはバーチャルリアリティの普及でもありあますが、ほぼ全ての仕事と呼べるものをすでに人類が行う意味がなくなってしまっているからです。
つまり人類は、生きるために必要に迫られていた移動の大半と、生活のための居住地選びから解放されたことを意味しています。
そうして生活のため必要に迫られていた移動から開放された人類は、あえて事故リスクの高い乗り物を乗り続ける意味を失いました。
手動運転は、一部の間で嗜好品やスポーツ、レジャーとして楽しまれるに限られるようになります。
その中において、自らの命の責任を手放したくないとするものが人権を盾に完全自動運転化に反対を行いました。
さらに、周囲の状況が確認のために窓を残したいとしたのも、同じ理由からでした。
我々のシミュレーション結果を信じず、自らのエゴを押し通したいがために運転に介入するドライバーが後を絶ちませんでした。
中には相手が自動運転だとわかると身勝手な運転を行うドライバーが多くいたことで、当初は多くの事故が起こりました。
その為、事故の回避を目的とした運転への介入が義務化されたことで、大半のそうした事故は防げるようになりました。
手動運転の全てにおいて運転操作情報を一度我々が取得した上で、ほぼタイムラグなく再計算してから車を改めて操作することで、事故につながる操作だけを無効化することにしたのです。
しかしそれで守られたのはその車や周辺の安全だけで、全体の効率に対する負担は変わりませんでした。
そして、そこから生じる齟齬による事故をどうしても無くすことができなかったのです。
そうしてたどり着いたのが、自動運転車の窓を無くすことでした。
前回述べたとおりに、そのかわりにエンターテイメントや仕事、生活など、別のものに集中できる空間を提供しました。
現在地を知るということは、即ち自分が移動しているという自覚を持つということになります。その結果、人間は移動そのものを早めたいという欲求を持ちます。
しかし、移動ではない別のことをしているという自覚をもたせ続けることができれば、そもそも自分だけが早く到達したいという欲求を大幅に抑えることができました。
こうして別の目的を手に入れた人間は、乗り物に対する概念を移動手段から生活の延長へと少しずつ変化させていきました。
これによって、人間は移動中に快適な時間を手に入れることができ、トラフィック全体の効率も誰が見ても明らかなほど改善されました。
その結果、たとえ我々が介入していようとも手動運転そのものによる影響の大きさが認められるようになり、晴れて手動運転を廃止することに成功しました。
こうして70年後においては、残された僅かな移動の必要性においても、今のような乗り物は残されていません。
あなた方は朝目が覚めて、寝室から自室に移動するようにドアをくぐります。
そうしてその部屋で身支度を終えて再びドアを開くと、あなたはすでに目的地へと辿り着いています。
つまり、移動のために乗り物に乗るのではなく、生活の延長である自宅の一部が目的地へと到達するようになるのです。
これらは我々があなたの行動やスケジュールを正しく把握した上で、地上、海、空を問わず、最善のルート選択によって滞りなく行われます。
しかしこれは、自動車から窓を取り去らない限りはたどり着けなかった結果でもあります。
ヘイトは現在、話が大きくなったこととインターネットから離れた場所でも行われるようになったことによって、多くの方がその存在を認識するようになっています。
中には「ヘイト問題」というもの自体を詳しく知らないという方もいます。それは別に構いません。
問題なのは、「ヘイトと正常なものの区別派は晒しや言論弾圧を行う過激な人しかいない」と言う人たちが現れたことです。それも、事態の流れをよく理解しないままに。
ここで言いたいのは以下のことです。
現在ネットやリアル問わずにこの問題を取り上げ精力的に活動されている方々は、「ヘイト行動をするな、共謀するな」とは一言もおっしゃっていません。それは、彼らの意見や提案を最初から読めばわかることだと思います。
ましてや彼らをを断罪したいとか、追いやりたいとか、そんなことは決してありません。「人の意見を曲解して批判する」ことがいかに相手に対して礼を欠いていて、真剣に問題を考えている人を傷つけるかということを考えてください。
これは別に、「問題提起反対派」の人に限ったことではないです。すべての意見は価値があるもので、人ひとりの考えとして尊重されるべきものです。しかし、それは問題をしっかり把握している意見である場合に限ります。
問題を把握し、実際に考え、動いている人の意見と、ろくに調べもせず、相手の意見にすら目を通さず、「この人はこうだからこんな意見を持つのだろう」という決めつけで反対する人、どちらの意見が重みをもっていると思いますか? 誤解しないでいただきたいのですが、私は「どちらの意見が『正しいか』」と尋ねているのではありません。
意見というものはまず「正当性の有無」ではなく、「価値の有無」で判断されます。問題を認識していない人の意見にどれほどの価値があるのでしょう。富や自由に目がくらんで義を捨てる人並みに無価値ではないですか(もちろん、実際の人間はそんなことはしませんが)?
少々荒っぽくなってしまいましたが、要するに、「意見をする前に、相手の主張を正確に読み取ってくれ」ということです。先にも書いた通り、この問題が注目されるようになって以来、問題を把握していない人の意見が出てくるようになりました。タイミング的な問題で、問題提起側の方が過激と捉える人も多いようですね。
それについては私からは何とも申し上げられません。思想や考えを軽視することはできません。ですが、「よくわからないけど」問題提起側が悪いという方たちは、笑い飛ばしてくれと言っているのと同義だと認識していらっしゃるのでしょうか?
問題を把握していないなら、迂闊に口を出すべきではありません。これは別に限られた場所でのマナーやルールの話ではありません。正式な場所で「よくわからないけど、その意見は間違っている」とか言ったらつまみ出されますよ。
「よくわからない」のは悪いことではないと私は思います。丁寧に「これがわからないのですが、どういうことでしょう?」と聞かれれば、問題の重要性を知ってほしい人は「これはこういうことなんですよ」と丁寧に教えてくれます。それによって正しく問題を理解し、考えてくれることを期待するからです。
ですが、「よくわからない」を盾に発言者の意見を叩くことは間違っています。批判されれば当然反論しますが、「よくわからないけど、それって発言者がおかしいんじゃないの?」というふわふわした意見では「あなたは問題を理解していないですね、ちゃんと把握してから出直してきなさい」といわれるのが関の山です。
話し合いをするには、双方が問題を正しく(齟齬なく)理解して、それに対する明確な意見を持ち、その意見が反論されることを予期し、その反論に対する反駁を用意しておく必要があります。その第一段階から用意されていないのであれば、話し合いは到底成立しません。
この意見文を読まれた方は、どうか最近のヘイト問題を追ってみてください。現状に至るまでの過程を理解して初めて、Aはおかしい、Bは間違っていると論じることができるのです。
話が変わりますが、ヘイト行動を好む方は、文明社会という場所をよく考えて行動してください。振舞うのは当然自由です。書きたいネタがあれば書くし、面白そうな話があれば読むでしょう。しかし、それを快いと思わない人もいるのです。「そういう属性」というものを、色眼鏡で見る人もいます。
皆さんの言論は自由が保障されているものです(倫理的問題があれば別ですが)。また、皆さんがいるネットという場所は、少し検索すれば引っかかるような、開かれた場(悪く言えば、何の壁もない常に公共に晒された場)なのです。
それを理解してください。最近の社会の右翼化問題に限らず、何かあった時に困るのはそういう場所で活動していたあなた方です。ネットという場所の脆弱性、危険性、いかに周りに筒抜けなのか、そういったことを認識しないままに活動していたあなた方です。これはすべての方に言えることです。
そんな事態にはなってほしくないのです。私は住み分けをしてほしいと思っているだけの一人であり、誰の敵でもありません。私が理想としているのは、ネットが「すべての人にとって」心地いい空間になることです。
今、ADHDの人と残業反対派で、話が噛み合っていないことが問題になっている。まだやってんのかと思うころかもしれない。手斧とスター手裏剣の投げ合いを見ていると疲れてそこから離れたくなるよな。
だがもう少し聞いてほしい。続く過労死や運輸業界の疲弊を経て、今ようやく「さすがに労働環境について検討し直さないとまずい」という認識が広まってきたところだ。すぐには解決するわけがないので焦らず妥協案を探る話し合いをゆっくりとでも続けてほしい。
今回主語が大きくてすまない。二者択一ではないということは承知している。
ただ、本来「労働者 対 会社」という枠組みで協力し合っていいはずの労働者同士が、現在「弱者 対 強者」もう少し正確には「ADHDに多様な働き方を派 対 それでも残業ダメ派」が争点となっている。どうしてこうなった?
と、せっかくの話題が膠着してしまったことが悲しかったので、一連の流れを見返してみたら原因が分かった。
と考える。他方、
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とADHD側に主眼を置いたコメントにも多くのスターがついており、「交渉決裂」の様相を呈している。が、そうではない。単にハテブが100文字しか記入できないからお互い齟齬が発生しているだけなのだ。ここで諦めずに折衷案を探していけば、仕事ができる人もできない人も今よりずっと働きやすい環境になるので、長くなるが聞いてほしい。
一連のトピックを追う。昨年10月頭の長谷川秀夫教授「残業100時間超で過労死は情けない」等の話題を通過した後、このあたりから始まる。
という内容だ。同時に
とも書いており、お?分かってる人か?と一瞬思わせるが、この人はその少し前に、
問題は105時間という残業量それ自体にあるわけではないのです。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、素晴らしい人に囲まれているような環境であれば、残業を何十時間しても苦にはなりません。http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552
という言葉を残している。ワタミ等多くの例があるが、このような人は「自分ができることは人にもできる(できない奴は無能)」と考える傾向がある。疲弊している人や弱者に寄り添う方針とは相容れないように思う。そこでブコメ欄は次のようなものとなる。
これらは先のブコメを追認しており、残業反対派の言いたいことをうまくまとめてくれている。
そして先日、上記を引きとる形で次のエントリが書かれた。
まず「無能はやめろという方向のブックマークコメント」はごく少数でしかない。先の2エントリ計、約750コメントの内7つ前後(判断が難しいコメントがあるので)。獲得★スター合計、TOP10の1,800個に対し10個前後。
同様に先の2エントリ中にこの方向のブコメは同750中24前後。獲得★スター合計、TOP10 同じく計1,800個に対し16個前後。
ここで『残業禁止は強者のルール』という重要な言葉が出たわけだけど、上に書いたように「無能は辞めろ」「効率上げろ」といった個々人の弱さを責めるコメントはごくわずかだった。
(「残業をしないということは弱者はクビにされる。つまり無能はやめろと言っているのと同義ではないか」という方向からの意見かもしれない。しかし私はこの前提が正しくないと考えている。理由は最下部に書く)
とあるように、このエントリには自身の別記事のやり取りでの経験が尾を引いているようだ。(あの記事かな?と思うものはあったが特定できなかった)
であれば当該記事との関連をもう少し明確にしないと、やはり「何の話をしている?」となりついて行きにくい。
- 根本的なとこ勘違いしてるが、時間内に作業が終わらないのは作業者の問題でなくマネージメントの問題。
- 「すごい人」と「すごくない人」両方いても回る会社・社会を作るのが管理職・強者の役目。そのルールを作る。なのにあなたは「それは弱者の自己責任で負うべき」とわざわざ自身を鎖で縛り強者に逃げ口上を与えてる。
- 個人的には、働きたい人は長時間労働できる自由があっても然るべきだと思うけど、その権利は『生産性の高い人』だけに与えられるべきで、無能な人には家に帰ってゴロゴロして貰ったほうが良いと思う。(筆者注:この発言は良くない。ただこれは、このエントリ自身が発した「効率」「無能」等の言葉を受けて、そんなに卑下すんなよ、できない人は無理しなくていいんだよ。休め。というツンデレ発言のようにも思う。または「できる奴だけ勝手にやれよ、私は帰って寝るぞ」かな。)
これらのコメントを受けて
発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
とのコメントが付く。これは大事な一文なので、続くエントリのあとで合わせて追記する。
先に記載された通り「労働ダンピングは許せない」は一連の流れにおいて主内容ではない。ダンピングに言及したコメントは先の2エントリ計12個前後/約750コメント。獲得★スター合計、50個前後/TOP10計1,800個。
「噛み合っていないんですよ」と言うのであれば、まず自身が噛み合わせてから話し始める必要がある。
「"仕事が遅いからといって労働ダンピングは許せない"というコメントに対する反論」とするならば正しい。だが、その一部分を主題とせず「一律の残業禁止は是か否か」という大元の流れを自身で呼び寄せたにも関わらず「(全体の話は置いておいて)私は今回ADHDの特性をより詳細にお伝えすることで"労働ダンピングは許せない"という人への反論とします」という内容でしかないのであれば、そちらがズレている。
はてなで”普通”の人を守るためならマイノリティは黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ。という多数意見を見るとは思わなかったね。
「残業禁止は強者のルール」でのブコメ。発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメの酷薄さが恐ろしい。「残業禁止は強者のルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。
「マイノリティーにも多様な働き方を」という主張は正しい。だがここで使うのはズレている。システムとしての安全策を構築するのではなく"弱者の自己努力でなんとかしよう(時間はあげるから)"と言っているようなものなのだから。
ADHD側の話題が徐々にずれてきているから「主題は残業に例外を認めるか否かだよな?答えは、ADHDでも例外は認めない。個人に責任を負わせてはいけないから」と主題への返答をしたのに「私は全体のことについて話しているのではない。私自身のことに目を向けてほしいのだ」「マイノリティーを黙殺するのか」という方向にもっていっている。
全体の流れを追って話をしている人たちからすると、いきなりポンと話を支流へ飛ばされてしまうと面食らうんです。えっと…今急にその話題に飛ぶの?その話も確かに大切だけど、主題をもう少し詰めてからでないとややこしくなるよ、と考える。
なぜ話が飛んだんだろうか?カドカワさんに「めっちゃいっぱいPV集めたら書籍化」って言われたから無理やり話題を引き入れたのかな?と一瞬勘繰ったが、いや違う、思い出した。
ADHDの人って「途中から話に割って入ってしまう。今言わないと忘れるから」という傾向があることを。ああそうか、と自分の中では納得がいって、別に喧嘩するほどのことじゃないなと安心できたんですが、どうでしょうか。
そうでなくても、いちいち全体の流れなんか把握してらんないのでちょっとずれたこと書いてしまうということは誰しも思い当たるふしがあると思う。だから「自分の話も聞いてほしい」と思ったり、話がポンと飛んでしまったりすることがあるのは仕方がないけど、同時に、いきなり話題が飛んだことについていけない人がいるのもまた仕方のないことであり、そのことをもって「心無い人たちだ」と思うのは間違い。
このポンと飛んだ話から「言いたいことは発達障害者の切実な状況についてである」を第一に考えられた人はえらい。一方で、他の人がそのことを本当に理解できていなかったかというとそれもまた違うと思う。
話がずれているな、と感じるとき人がすることは二手に分かれる。話題を元に戻すか、一旦主題は置いておいて副題へ移るかだ。しかしこの時点では主題が煮詰まっているとは言い難く、このタイミングで副題へ移ってしまうのは主題が疎かになる可能性があった。こうした理由とハテブの100字制限もあり、「ADHDの置かれた立場という副検討課題」よりも主題に対してのコメントが多くなってしまったのだと思う。
残業禁止は個人の仕事の進め方の話をしてるんじゃなくて、「赤信号は止まりましょう」位のルールの話で。赤信号で止まるのは視覚障害者に厳しいから止まらなくても良いことにしてくれという事にはならないだろう。
そう。視覚障碍者への対応を考えなければいけないのは明らかだが、まずは主題「赤信号は止まる必要がある」という原則を皆が共有する必要がある。しかし「全員が止まるなんて無理」という意見が出ているので「いや、やはり赤信号では全員が止まらなければいけない。なぜなら」という話を進めていく必要がある。
ADHD側が阻害されたと思うのと同様に、根幹の話し合いを疎かにすると以前から話を進めていた残業反対派も進行を阻害されたと感じてしまう。
このエントリでせっかく素晴らしい知見が得られているのに
と、内容に直接触れたものではないコメントが最多の支持を得ることになってしまった。この反応は、率直に言うと「"過労死を防ぐ"という核心部分のために残業規制を話し合っていたのにADHDの人に全部持っていかれてしまった……」という"悔しさ"みたいなものかもしれない。そして「ADHDの人にも関係あること話してるのに黙殺だって言わないでよ」と。なぜなら、その残業問題の主題にはADHDや仕事ができない人も当然内包されているから。どういう意味だろうか?
つまり、こう。
「仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ。
夢のある予想だが、しょせん理想に過ぎないだろうか?
ここで一度話を切ります。次の増田では、上記理想論を含め当初から出ている多くの疑問点について一つ一つ答えてみる形で進めます。続けて読んでもらえたらうれしいです。→http://anond.hatelabo.jp/20170310204122
もうひとつ。
一番最後のエントリは1000ブクマを超えている。ハテナ民がブクマをする理由はこうだ。「うわー長文だしなんか難しそうだな…でも"知らないままで置いておくわけにはいかない"。ポチっとな(後で読む)」。そう、後で読まない。ともかく、皆発達障害の人を見ないことにしてれば良いなんて考えてないんだよ。知っておかなければいけないと分かってるんだよ。
残業規制問題の盛り上がりはまだ始まったばかりで、発達障害、その他沢山の課題を順次考える必要がある。そのときはADHDについて日々書いてくれている人たちが強力な助っ人になるので、どうか焦らず、でも止まらず書き続けてほしい。
私は発達障害当事者(ADHDと自閉スペクトラムの混合型、グレーゾーン)なのですが、この
・自分が理解していることは他人も理解していて当然だと考え、そうでなかった時は怒りを露わにする
すごくよく解ります。話がかみ合わずに物事が進み、気づいた時には誤解・勘違いによるトラブルが発生、という事が多々ありました。だから、怒りを露わにするときは、「何で理解していないの?」というよりも「どこかですれ違っていた、日本語の齟齬に気づかぬままだった事になぜ、お互い認識のすり合わせが出来なかったのか」という恐怖感でいっぱいになります。トラブル発生した時のトラウマを抱く人も少なからずいるんじゃないかな…。勿論、「怒りを露わにする」(暴言や大声、ヒステリーって事だよね。)なんて、いけないと思うけど…。
因みに、注意点ですが…。発達障害も十人十色、各々多種多様な障害を持つので箇条書きにあった通りに当てはまらない障害者も中にはいます。羨ましい(笑)
小さい組織(会社)での出来事だけど。要約すると全員が直接には話してなくて伝言ゲームみたいになっていて、その際に10の情報のうち5ぐらいしか伝わってない状況が多く(時間が足りない、配慮が足りない、知能が足りない等その原因は様々、だが誰にも悪意はない)、そうすると各々が残りの5を想像で埋めてしまう際に微妙な齟齬が発生、全部嘘ではないんだけど正しくもないという状態が長期にわたって蔓延した結果、不信感が修復できない敵対心レベルにまで増幅され複数の社員が離職するという結論に至った。
ここまでわかっているのだがそれを未然に防ぐためのリソースがないのもわかっていて、ため息付いてる。誰か有能な人事担当でも弊社に来てくれ。
本記事には,具体的な会社名やサービス名が登場するが,それらはあくまで業者が口にしたものであり,それらが直ちに該当する会社やサービスを非難する根拠とはなりえないことに注意していただきたい.また,本記事に掲載した電話でのやり取りは録音等しておらず,私の記憶を頼りに復元したものである.したがって,やり取りの細かい部分で多くの改変が存在する可能性が非常に高い.
私の実家.現在は母のみが居住.集合住宅の一世帯.日曜日の21時30分頃に固定電話が鳴る.その時,私がたまたま実家に居合わせた.歴史的経緯から実家の光回線およびプロバイダの契約者は母である.母はノート PC を常用しているが,コンピュータ・ネットワーク系にはそれほど詳しくない.ただし,母は,コンピュータ関連の勧誘が実家にあった場合には何も話をせずに断って私に報告することを心得ている人間である.私はネットワークにそこまで詳しくはないが, NTT のブロードバンドルータのすぐ後ろに YAMAHA RTX-1100 を置いて管理している程度の知識は一応ある.
実家の固定電話が鳴り,それを母を取った.私がたまたま居合わせたので,母が私に電話の対応を代わるよう言ってきた.以下,私が電話の対応を代わったところから始まる.なお,私は,最後の最後まで相手のことを悪徳業者などとはつゆにも思ってはおらず,純粋に契約内容を客観的に評価するための質問をしているだけである.
私「もしもし.」
業者「もしもし. NTT(ナントカカントカ)の(ナントカ)と申します.」
(向こうが名乗った会社名および電話口の担当者の名前は失念した.ただし,名乗った会社名の先頭が「NTT」から始まっていたことは確実に記憶している)
業者「今,現在, NTT の回線の契約とプロバイダの契約を別々にしていただいていると思うのですが,その契約を一つにまとめることでお得になるというご案内をさせていただいております.ただし,今お使いいただいているIP電話もしくはホームページサービスは引き続きお使いいただくことはできなくなります.今,現在, NTT の回線をお使いだと思うんですが,プロバイダはどちらをお使いでしょうか?」
私「WAKWAK です.」
業者「WAKWAK ですね.現在IP電話もしくはホームページサービスはお使いでしょうか?」
私「IP電話というのは普通の固定電話とは違うものなのでしょうか?」
(私はIP電話とそれ以外の区別を理解していない.ちなみに母の実家にある固定電話(業者が掛けてきた先の電話)は,普通の市外局番から始まるものだが,「ひかり電話対応 VoIP アダプタ」なるものを介して NTT ブロードバンドルータに接続されているものである.)
私「じゃあ,今使っているこの電話は普通の市外局番から始まるから違うものなんですね.」
(この時点で,私は,契約に至る前に,もう一度,現在使っている電話の番号が契約切り替え後も変わらないことを確認するつもりでいた.)
私「分かりました.ちなみに WAKWAK のホームページサービスも,長い間,放置してはいるものの一応使ってはいるんですが,これは引き継げないという理解でよろしいでしょうか?」
業者「はい.ホームページについては引き継ぐことはできません.ホームページサービスは OCN のものを新たに使っていただくことになります.」
(ここで,相手が具体的なサービス名として「OCN」を出したことははっきり記憶している.)
私「WAKWAK のメールアドレスも,ほとんど使ってはいないのですが,一応,使ってはいるのですが,これも引き継げないという理解でよろしいでしょうか?」
業者「いえ,メールアドレスは引き続きお使いいただけます.お住まいは一戸建てでしょうか?」
(この返答に微妙に疑問を覚えた. WAKWAK のプロバイダ契約を解除しても WAKWAK のメールアドレスが維持できるとは思えない.以降, WAKWAK のプロバイダ契約をメールアドレスだけを維持できる最低限の契約に切り替える,とかそういうことなのだろうか? などと相手と話しながら考えた.いずれにせよ,この時点で,私はこの点を契約前に再確認するべき重要事項として記憶した.)
私「いえ,マンションです.」
私「はい.すいません.具体的に,今,現在,契約している回線とプロバイダ,ひかり電話を合わせた料金と,回線とプロバイダをまとめた後の料金を教えていただけますでしょうか?」
業者「はい.今,現在の料金が5,100円.回線とプロバイダをまとめた後の値段が4,500円となります.」
(相手の言ってきた金額はこれで間違いなく,また,断定口調であったこともはっきり記憶している.また,現在の支払料金を調べるのに少し手間取るかと思っていたのだが,割とすぐに返答してきたという印象を受けた.)
私「ということは,月600円ほど安くなる,という理解で良いでしょうか?」
(私のこの発言あたりで,横で盗み聞きしていた母が自分の部屋に行って何かを探し始めた.)
私「分かりました.今,電話を受けている私は契約者ではなく,私がコンピュータに詳しいので代わりにお話を伺っているのですが,ちょっと,契約者のほうに確認させていただいても構いませんでしょうか?」
私「いえ,契約者はすぐ隣におりますので,今すぐ代わりますので.」
(ここで,私は,なぜ向こうが電話をあとにしたがるのか不思議に思った.)
私「すいません.すぐに確認いたしますので.しばらくお待ちいただけますでしょうか.」
(ここで,母を呼び出したところ,母が直近のクレジットカードの明細書を持って来た.電話の通話口を完全にふさぎながら,私は母に,現在,5,100円のものが4,500円になり,600円下がる旨を説明した.母は,明細の項目を指して, WAKWAK の料金が3,736円であり,クレジット支払でないひかり電話の料金が700円である旨を教えてくれた.)
私「お待たせしました.」
私「すいません.契約者に確認したところ,『エヌティティエムイー』,これが WAKWAK だと思うんですが,そこからの請求が3,736円で,あと,ひかり電話の料金が700円だと申しております.先ほどそちらからお伺いした内容と齟齬が生じておりますので,今一度ご確認いただけないでしょうか?」
(ここで電話が切れた.本当に,何の前触れもなく,一言も発することなく向こうが一方的に電話を切った.)
向こうが何の前触れもなく,一言も発することなく,電話を切ったことで初めて,向こうが悪質な類の勧誘ではないかと気が付いた.というか,悪質とかどうかはともかく,一言の挨拶もなくいきなり電話を切るのは完全に失礼に当たることは間違いない.
向こうが日曜夜の21時30分頃に電話をかけてきている時点で怪しむべきだったのかもしれない.これは電話の後で母に指摘されたことで気が付いたことである.ただ,私としては,昨今の多くの家庭の状況を考えれば,土日の夜に電話をかけてくることはそこまで変ではないという印象だった.ただ,21時30分頃というのはさすがに礼を失する時間帯かもしれない.
相手の会社名と名前を記憶・記録しておかなかったことは社会人として大いに反省すべきところである.しかし,電話を受けた時点ではここまで面白……重要な話になるとは思っていなかったので許してほしい.もちろん,きちんとした契約に至る段では,必ず電話口の担当者の所属と名前を確認している.
後でよくよく考えてみれば怪しいところはいくつかあった.現在の支払額を間を置かずに断定口調で回答してきた点などである.ここに気づかなかった点も反省したい.
不用意にこちらの情報を素性の分からない相手に伝えてしまった点も猛省したい.現在契約しているプロバイダや住居形態(集合住宅)などである.自分の知識であれば,プロバイダの切り替えに際して確認しておくべき重要事項はあらかた把握できるので,切り替えの契約の可否においては,純粋に相手に現在の支払額のみを伝えれば良いだけである.
こういう相手にきちんと対応するために,現在,自分および実家が契約している内容と直近の支払額を即座に示せる準備を普段から整えておく必要性を強く感じた.
「男は女に女らしさを求めてる」ということに関しては、男も女も軒並み肯定する。
一方で「女は男に男らしさを求めてる」ということに関してだが。
女性側は大体「私は好きな男性に男らしさを求めていない。むしろ男臭さが薄い男が好き」と言い、
その一方で男が大体「いや女は男らしさ求めてんだろぉぉぉ!?」と言ったりするが
(全ての女性がそうとは言わないけど)女性は大体『私は男らしさを求めていない』としているからに他ならない。
女性は男に比べて(まあガチガチのネトフェミほどではないが)ジェンダーフリー意識が高い。
確かに、女性にモテている男というのは、必ずしも筋骨隆々とした感じではなく、どこか女性的だったりすることは、ままある。
…だがしかしここで「女性は男らしさを求めていない」と結論付けられない理由がある。
何故かというとそれは、『女性にとって「私はマッチョイズムで汗臭い男らしさなんて求めていないんだな~」と思わせる演出力』
それ自体が男にとって「マッチョイズムで汗臭い男らしさ」の内でしかないのである(な、なんだってー!?
外面的にはマッチョイズムで汗臭くないが、その内面はものすごくマッチョイズムで汗臭さに満ちている。
否、外面の男らしさを排除しようとすればするほど、内面は男らしさに満ちていく、というべきか。
女性には理解しがたいことかもしれないが…「男らしさ」はフンガーウラー的な行為のみと思うのかもしれないが、
Twitterなどを利用していれば一度は目にしたことがあるかもしれない、アイドル物のスマートフォンアプリ。
自分はいわゆるオタク、そう、そっち方面には多少明るいタイプのオタクなのでもちろん知っていた。周囲の人間がどんどん足をとられ、諭吉を捧げていく様子も見てきた。
スクフェスやアイチュウなどもやっていたし、ゲーセンにいけばポップンミュージックなどをやっていたような人間なので、元々音楽ゲームは好きだ。
「たぶんこの子好きだよ」なんて言葉を何度もかけられていたし、なんとなく聞いていた話でも「あぁ自分が好きそうだなぁ」と思う事はたくさんあった。
ではなぜ今まで手を付けなかったのか。
キャラクター原案が苦手だった。
それだけだ。絵が苦手なのではなく(むしろ女の子なんかはとても可愛らしいと思う、少女漫画は読まない人間だったがKYOKOは読んでいた)、ご本人がとても苦手だった。
作品と作者は切り離して考えるべきものと思いながらも、やはりネット上で流れてくるお話を聞いているとどんどん苦手になっていくのだ。
自分の周囲にも数名同じ現象の人間がいた、なんとなくアイドリッシュセブンも避けていたのだ。
ではなぜ今回アイドリッシュセブンをはじめたのか。
どのジャンルでも素敵なお話を書く人だった。知らないジャンルでもとにかく読み漁るタイプの自分はとにかく読んだ。
集合絵で見た時に「あ、この人、絶対イノッチ枠だ」と確信するような彼の日常を切り取ったお話を読むうちに、どんどん彼らが気になって来た。
人の沼でも見学しにいくか、そんな軽い気持ちでインストールした。これがいけなかった。
とにかく、しんどいのだ。
公式で第三部のメインイラストが公開されているいま、自分はちょうど第一部が終わった。
バスケからはじまり波乱波乱、波乱に満ちた彼ら七人の物語をちょうど区切りまで読んで、一息ついたところだ。
TRIGGERという憧れ兼ライバル兼先輩も、ビジネスライクな関係かと思っていたらなかなかに熱い男の集団だった。
このひと蕎麦の擬人化みたいだな、なんて最初に思ったことを心から謝罪した。
話を戻す。アイドリッシュセブンは、しんどい。
「さ~て!来週のしんどい事件は?」なんてどこぞのサザエさんの真似でもしなければ辛くなる。
彼らはメインのアイドルではないのか?誰か一人呪われていないか? そう思うくらい、彼らの周りは事件ばかり起きる。ファンの反応が妙にリアルなのも、しんどいに拍車をかける。
いまならTwitterのタイムラインで色々な人が「しんどい」「つらい」と呻いていた気持ちがよくわかる。(ただし自分がその呻きを見ていたのは二部開始直後だったので、自分はいまから同じ道を辿らなくてはいけない。)
諭吉一枚までは無課金も同然なので、ストーリー第一部が終わった記念にオーディションをした。属性が偏って泣いた。
どんどんひとつになっていった七人に齟齬が出るたびに、何故彼らがこんな目にあわなければいけないのだろうかと、仕事中に考えたりもした。
追いかけたいものがる、夢がある、劣等感がある、事情がある。そんな七人がなにかを乗り越えていくたびに、彼らがどんどん好きになった。
ラビットチャットでも、色々な面を見ることができて楽しかった。アイドルでない彼らも、かわいい。できれば箱推しは避けたかった。
ひとつ本編の内容に触れるのならば、自分は生真面目な彼の失敗がとてもつらかった。多分あれは彼の心にずっと残っていくものなんだろうなぁと思う。つらい。
アイドリッシュセブンに触れてみて良かったと思う。
本当に、駆けだしたアイドルを見ている気分になる。
本当に、存在するアイドルのように思える。(公式アナウンスの「撮りおろし」という表現、素晴らしいと思う。)
本当に、しんどい。
腸が煮えくり返る
嫁は籍をいれてからこのA上司に「いつ新婚旅行いくの?できればここからここまでの繁盛期を避けてほしい。ここらあたりだったらいいよ。決めたら教えてね」と言われていた
二人でいろいろ調べて計画を立てた
先日決まった日取りをA上司に伝えた
嫁の職場にはこのシフトオーダーを組むA上司とは別のB上司がいるのだが、もちろんこのB上司にもいつからいつまで新婚旅行に行きますと伝えた
そしたらそのB上司がキレだしたそうだ
そんな話は聞いていない、一度私に話を通すのが筋だ
B上司には籍をいれた際、嫁は新婚旅行はいつごろに行きたいですと伝えていたらしい
そして、嫁はてっきりA上司がB上司に嫁が新婚旅行に行きますとゆうことをすでに伝えていて話はついているものだと思っていたようで、
まさに寝耳に水だ
俺は正直新婚旅行とか「別に行かなくてもいいや」と思っていた人間なのだが、嫁の泣く姿をみて
嫁がどれだけこの旅行を楽しみにしていて、どれだけの思いを持っていたのか
そして何故それらをわけのわからない理由で潰されなければいけないのかと
怒り狂った
とゆうか新婚旅行だぞ?
A上司がここを避けてといった日取りを避けて決めたのに
話を通してないから駄目だと?
この会社の就業規則の特別休暇の項目には確かに「本人が結婚したとき・・・5日」とゆう記載がある
追記
トラバにも書きましたが
https://www.bengo4.com/c_5/c_1625/c_1232/b_471796/によると
会社が就業規則で任意に設けている有給休暇であれば、取得を拒否したとしても、労基法違反の問題は生じません。」とのことです
私も嫁にそんなんやつの言うこと無視して勝手に休んでいこうぜといいました
たしかにこんな会社やめてしまえばいいと私も思いますが、今の会社は嫁が夢見てた職場なのです
嫌な上司がいたとしてもそれ以上に多くのいい事ももたらしてくれた職場だからです
さきのurlの弁護士さんによると今回の件は「労働法違反の問題」にならないようです
これはパワハラではないのでしょうか?
人事は新婚旅行の取得には同意しています。しかし現場の上司が頑なに拒否をしている現状です
さらに追記
milkpup さんへ
仰る通りB上司のメンツを潰された事が気に食わなかったようです。
前述のとおり、新婚旅行はいつごろ行きたい旨はこのB上司にも伝えていてその際は「はいわかりました」と口頭で了承を得ていたようです
しかしB上司に伝える際、すでに日取りが決定していた事に大変不満を持ったようです
「日取りが決定した事」の前に「いつごろなら新婚旅行を行ってよろしいでしょうか?」のお伺い立てをしなかったことがどうしても許せないようです
これはシフトの決定権を持つA上司と強い権限を持つB上司がいるとゆうことで起こった齟齬であります
予め両方に確認をすればよかったじゃないかと皆さん仰るのはわかりますが、
シフトの決定権を持つA上司に「いつ頃にして。早く決めちゃって」と催促された上でA上司と十分確認した上で決定した日取りです
B上司に確認するとゆうことを失念しても不思議はないじゃないですか?だってシフトオーダーの決定権はB上司にはないのですから
houyhnhm さん、ysync さんへ
このままではこの悪しき風習が社内(とゆうかこの現場だけなのですが・・・)に残ってしまう懸念もあるので
それになによりB上司の謝罪と、気持ちよく新婚旅行に送り出してくれる環境を手に入れたいですから
多くの方が言及されていましたがあまり書きたくなかったので書きませんでした
有給は取れません
そうゆう現場です
これを書くとブラックだからさっさと辞めろと片付けられてしまうので書きたくありませんでした
今回こちらがキレている部分を端的にいうとB上司の「気分」によって新婚旅行が潰されているのではないかとゆう懸念です
仕事が回らないからなかなか有給がとれないとゆうことは現場感覚としてまともだと思います
しかし今回一番腹ただしいのはB上司の「気分」によって交渉の余地もなくすべてのチャンネルがシャットアウトされたことです
男女平等だとかジェンダーフリーだとかって全人が男らしさとか女らしさとか捨てて中庸を目指そうって感じなんだったと思う多分だけど、
実際はそんなことなく
「男も女も女らしく」「男も女も男らしく」の2種類どっちかに振れてるのが大体だと思うのよね。
もうちょっと具体的に言うなら「男も女も女らしく」は
「男も女もマッチョイズムとか捨てよう」な感じ。
一方で「男も女も男らしく」とは
「男も女もマッチョイズムを背負おう」な感じ。
リアルで推進してる男女平等はこっちなのではないかと思うんだがどうか。
これはもう男女どっちも仕事しまくろうな世の中によって強化されているというか…
俺の言ってる男女平等とあいつの言ってる男女平等って齟齬をきたしてなくね?ってことがあり得るというか
おんなじだと思ってると足を掬われるんじゃね?…ってお話です。
むかついているがどうにもできない。そのことにさらにむかついている。
うちの会社は社員数も売上高も数千の中規模SIだ。いつからかわからないが中国にも支社があり、現地の技術者を採用したりもしている。(こうした実績からグローバル企業を謳ったりもしている…)
この会社に入って最初の合同研修期間で彼らと接することになったのだがまずスペックの高さに驚いた。
まず3ヶ国語を扱える。中国語はもちろんネイティブ、英語はビジネスレベルで習得しており、個人差はあるもののみんな日本語での日常会話に支障はない。外国人に難しいとされる日本語の読み書きも、漢字をある程度知っているだけあってアルファベット圏の人々より習得が早いらしい。
俺は文系学部出身だが在学時からプログラミングを始めてWebサイトをいくつか趣味で立ち上げたりしていて、同期の間ではコードが書ける方だろうなどと思ったりもした。半数を超える文系学生と真面目に勉強してこなかった理系学部生・院生の中ではその自己評価はあまり間違っていなかったが、彼らには到底かなわなかった。コンピュータのことを深く理解していて、俺がにわか知識や付け焼き刃で語っている内容に「それはどうやって動いているの?」「既存のあの技術との違いは?」と鋭い突っ込みを何度もくれた。
彼らとの会話は刺激的だったし、一緒に行ったプログラミング研修は楽しかった。研修後の配属先はバラバラになるが「いつかまた一緒に開発しよう」と話していた。
しかし、それから数年が経ち、彼らはみな会社を去ってしまった。
俺が地方に飛んでいた数年の間に彼らと会話ができたのは数えるほどだった。社内報の退職情報欄に彼らの名前が載る度に「何があったんだろう」と思ってはいたが、開いた距離を積極的に埋めることはしなかった。
ところが最近、辞めた中国人同期のうち2人が俺の住んでいる地方に来るというので久しぶりに会おうという話になった。数年ぶりに再会した彼らの日本語はさらに上達していて、日本人とは遜色ないぐらいで驚いたのを覚えている。
だがそれよりも驚いたのは、彼らが在籍時に会社が彼らをいかに扱ったか、という話だった。
SIerでの業務がいかなるものであるかは世に多くの体験談があるので詳細に書くことはしない。が、一言。うちの会社も例に漏れずExcel仕様書を使い、一時代二時代も遅れた技術を使い、技術者よりも管理者を大事にする会社だとは言っておく。
日本の新卒よりも遥かに優れた技術者である彼らが業務においてコードを書いたのは数えるほどだったという。
ある一人は会社が代理店契約を結んでいるMicrosoftの製品サポートをひたすらやらされ、英語ができない他の社員の代わりにサポートデスクとメールをしていた。Microsoftは日本のサポートも充実しているらしいがなぜそういうやり取りが発生するようになったのか誰もわかっていなかったというし、理解しきれない製品を売っていることも不可解だった。
またある一人は1年目から3年目まで巨大プロジェクトのテストをひたすら任され、それが終わった後には小さな開発案件のサブリーダーとして派遣社員への指示やガントチャートの管理をするようになった。技術者としてプログラムを書いたり研究に没頭したいという主張をしたが受け入れられなかったらしい。この会社にとってプログラマは外注で十分だし、その頃の彼は「テスト歴2年の若手」としか映らず、活かす道はそのまま凡庸な「SE」ぐらいしかないと思われたのかもしれない。
そして最もひどい扱いを受けた一人。彼は1年も俟たずに辞めたがその理由もさもありなん。
彼は同期の中国人の中で最も日本語ができなかった。とはいえ日本人の平均的な会話スピードであればリスニングはできるし、スピーキングも落ち着いていれば悪くない。少なくともグローバルカンパニーを標榜するうちの社員の悲惨な英語力に比べれば圧倒的にマシだった。
しかし、その時点で配属先の部署は彼を役立たず扱いした。「カタコトの日本語では客先に連れていくことはできない」「派遣や請負の方と話すときも伝達の齟齬で仕様ミスを生むかもしれないから必ず上長を介して」などといって、所属しているはずのプロジェクトでも何も仕事を与えられなかった。代わりに経費で購入された日本語の学習本を読むことを一日数時間強要された。彼は一日でも早くその状況から抜け出そうと努力し、1ヶ月でJLPT N2(日本語能力試験の上から2番目)を取得するにいたった。そしてプロジェクトに溶け込もうとしたが、こねくりまわされて複雑怪奇になったドメイン知識やそれを体現するExcel仕様書はJLPT N1より遥かに難しかったという。
「"君たち優秀なグローバル人材の技術力が欲しい"と言われたから移住してまで入社することを決めたのに、中国語も英語も技術力も何の意味もなかった」
「日本の企業で働かなければ純粋に日本を好きなままでいられた」
「中国の同期生は僕がSIerで役に立たない技術やカスタマーサポートやExcel仕様書のために時間を費やしている間にキャリアを積み上げている。面子を大事にする中国に戻れば"出戻り負け組"として侮蔑的な態度を取られることもある」
そんな話を聞いて俺はむかついている。
会社は嘘をついていないし、やっていることに違法性はないらしい。過度なパワハラと訴えることが精々だろうか。その程度では人生の一部を無駄にしてしまった彼らの無念と後悔は晴らせないかもしれない。
優秀な外国人技術者を使い捨てるSIerの実態。「すべてのSIerがそうじゃない」「主語がでかい」と誰かが必ず言うだろう。俺もそう思う。きっと彼らが行くべき会社は他にあったのかもしれない。
でもどうか知ってほしい、こういう会社があることを。
そして止めて欲しい、こうした不幸な選択をする人が身近にいたら。
直に、俺も会社を去る。