ヘイトは現在、話が大きくなったこととインターネットから離れた場所でも行われるようになったことによって、多くの方がその存在を認識するようになっています。
中には「ヘイト問題」というもの自体を詳しく知らないという方もいます。それは別に構いません。
問題なのは、「ヘイトと正常なものの区別派は晒しや言論弾圧を行う過激な人しかいない」と言う人たちが現れたことです。それも、事態の流れをよく理解しないままに。
ここで言いたいのは以下のことです。
現在ネットやリアル問わずにこの問題を取り上げ精力的に活動されている方々は、「ヘイト行動をするな、共謀するな」とは一言もおっしゃっていません。それは、彼らの意見や提案を最初から読めばわかることだと思います。
ましてや彼らをを断罪したいとか、追いやりたいとか、そんなことは決してありません。「人の意見を曲解して批判する」ことがいかに相手に対して礼を欠いていて、真剣に問題を考えている人を傷つけるかということを考えてください。
これは別に、「問題提起反対派」の人に限ったことではないです。すべての意見は価値があるもので、人ひとりの考えとして尊重されるべきものです。しかし、それは問題をしっかり把握している意見である場合に限ります。
問題を把握し、実際に考え、動いている人の意見と、ろくに調べもせず、相手の意見にすら目を通さず、「この人はこうだからこんな意見を持つのだろう」という決めつけで反対する人、どちらの意見が重みをもっていると思いますか? 誤解しないでいただきたいのですが、私は「どちらの意見が『正しいか』」と尋ねているのではありません。
意見というものはまず「正当性の有無」ではなく、「価値の有無」で判断されます。問題を認識していない人の意見にどれほどの価値があるのでしょう。富や自由に目がくらんで義を捨てる人並みに無価値ではないですか(もちろん、実際の人間はそんなことはしませんが)?
少々荒っぽくなってしまいましたが、要するに、「意見をする前に、相手の主張を正確に読み取ってくれ」ということです。先にも書いた通り、この問題が注目されるようになって以来、問題を把握していない人の意見が出てくるようになりました。タイミング的な問題で、問題提起側の方が過激と捉える人も多いようですね。
それについては私からは何とも申し上げられません。思想や考えを軽視することはできません。ですが、「よくわからないけど」問題提起側が悪いという方たちは、笑い飛ばしてくれと言っているのと同義だと認識していらっしゃるのでしょうか?
問題を把握していないなら、迂闊に口を出すべきではありません。これは別に限られた場所でのマナーやルールの話ではありません。正式な場所で「よくわからないけど、その意見は間違っている」とか言ったらつまみ出されますよ。
「よくわからない」のは悪いことではないと私は思います。丁寧に「これがわからないのですが、どういうことでしょう?」と聞かれれば、問題の重要性を知ってほしい人は「これはこういうことなんですよ」と丁寧に教えてくれます。それによって正しく問題を理解し、考えてくれることを期待するからです。
ですが、「よくわからない」を盾に発言者の意見を叩くことは間違っています。批判されれば当然反論しますが、「よくわからないけど、それって発言者がおかしいんじゃないの?」というふわふわした意見では「あなたは問題を理解していないですね、ちゃんと把握してから出直してきなさい」といわれるのが関の山です。
話し合いをするには、双方が問題を正しく(齟齬なく)理解して、それに対する明確な意見を持ち、その意見が反論されることを予期し、その反論に対する反駁を用意しておく必要があります。その第一段階から用意されていないのであれば、話し合いは到底成立しません。
この意見文を読まれた方は、どうか最近のヘイト問題を追ってみてください。現状に至るまでの過程を理解して初めて、Aはおかしい、Bは間違っていると論じることができるのです。
話が変わりますが、ヘイト行動を好む方は、文明社会という場所をよく考えて行動してください。振舞うのは当然自由です。書きたいネタがあれば書くし、面白そうな話があれば読むでしょう。しかし、それを快いと思わない人もいるのです。「そういう属性」というものを、色眼鏡で見る人もいます。
皆さんの言論は自由が保障されているものです(倫理的問題があれば別ですが)。また、皆さんがいるネットという場所は、少し検索すれば引っかかるような、開かれた場(悪く言えば、何の壁もない常に公共に晒された場)なのです。
それを理解してください。最近の社会の右翼化問題に限らず、何かあった時に困るのはそういう場所で活動していたあなた方です。ネットという場所の脆弱性、危険性、いかに周りに筒抜けなのか、そういったことを認識しないままに活動していたあなた方です。これはすべての方に言えることです。
そんな事態にはなってほしくないのです。私は住み分けをしてほしいと思っているだけの一人であり、誰の敵でもありません。私が理想としているのは、ネットが「すべての人にとって」心地いい空間になることです。