2017-03-28

1984』はソビエト監視社会の話ではない

1984というと一般には全体主義監視社会という観点で語られがちであるが、実のところ、かの世界でテレスクリーンによる監視を受けているのは全体の20%にも満たない中上層階級だけである

では残りの80%――プロレと呼ばれる労働者階級――はどうしているのか

教育は与えられず、ニュースピークにより思考方法は奪われ、代わりに無害な娯楽(プロフィードと呼ばれる)と党のプロパガンダが与えられる。そうして実際には党からひどい搾取を受けながらそれに疑問を抱くことはなく、二分間憎悪熱狂し、B.Bを熱愛する

こうして政治的去勢されたプロレは、もはや体制に脅威を与えうるものではないと見做され、永遠の窮乏と抑圧の中でほとんど"放し飼い"にされているのである

昨日のプロパガンダ今日プロパガンダ齟齬があっても彼らは気にしない。より上位の階層であればそのような認知的不協和を解消するために二重思考を用いるのであるが、プロレはそんな面倒な(そして高度な)方策を用いるまでもない。彼らは今日与えられた"真実"を今日真実としてただその中に生きている

このような社会では中層階級が立ち上がり下層階級と手を組んで社会転覆することは起こりえない。立ち上がる可能性のある中層階級に釘を刺すために監視は行われているが、しかしそれは党の支配原理の中枢ではない

党の支配原理はむしろ現実認識思考コントロールにこそあり、またそれがこの物語主題でもある

そう、1984は "一億総ネトウヨ" の世界なのだ

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