はてなキーワード: 黎明期とは
やれ広告代理店だのやれ政府・自民党に雇われた人間だの、一部の方々からはX(Twitter)のコミュニティノートの執筆者の存在が邪推されている。
そんな邪推はしないにしても、誰がこんなものマメに書いているんだ?と疑問に思う人も多いだろう。
あくまで一例に過ぎないが、コミュニティノート寄稿者1人としての増田の話を書いてみようと思う。
気になるニュースや事象があったらGoogle検索するだけで、必要であれば論文や公文書などを探し、ネットで見つからなければ国会図書館に赴く。国会図書館に無い本があれば古本屋を探すし、現地に赴けば情報が得られるものなら現地に赴く。
そうして得られた情報や知識を整理して体系化し、ブログや個人サイトなどで記事にする。もちろん媒体は人によるから、同人誌として発表する人も居るだろうし、最近ならYouTubeに動画として投稿する人も居るだろう。とにかく、これが趣味なのである。
陰謀論で儲けようと熱心な方々には想像もつかないだろうし、だからこそ「政府に雇われた人間がやっているビジネスに違いない」という発想が出てくると思うのだが、趣味として無償でこういう調べ物と発表をする人間はインターネット黎明期から現在に至るまで一定数存在することは知って欲しい。
増田はかれこれ10年以上、Wikipediaを編集している所謂「ウィキペディアン」である。
ウィキペディアは端的に言ってしまうと、執筆に際して出典の提示を最優先に掲げている。例えばあなたが非常に先進的かつ斬新な知識を持っており、それを正しいと信じていても、信頼できる出典がなければウィキペディアはそれを受け入れることはない。
(この出典至上主義とも言えるスタンス自体には賛否があるかもしれないが、ルールなしに寄せられた各自の主張が入り乱れる状態よりは遙かにマシだろうと自分は思っている。)
そうとはいってもウィキペディアは誰でも編集できるわけだから、出典のない記述が寄せられることは日常茶飯事である。そういった記述をメンテするのもウィキペディアンの活動の一つであり、「雑草取り」と呼ばれる。
これに関して最も簡単な方法といえば出典がないことを示す [要出典] を貼り付けることなのだが、時たま「これは恐らく事実で、単に出典を貼っていないだけではないか」という記述に出くわすことがある。
こういった場合、増田は調べ物に走る。つまり、その記載を裏付ける出典をできる範囲で探し、確認できたら出典を付与するということを行うのである。無論、本当に出典が確認できないものもあるため、残念ながら記述を削除したり [要出典] を貼り付けたりするという結末に終わることもある。
この営みはコミュニティノートの、「誤解を招く投稿へ情報を補足を行う」という趣旨で求められることと類似しているため、ノウハウがそのまま使える。
増田は正直なところ、「雑草取り」の趣味の場が広がったと思ってコミュニティノートを書いている。
増田は以下の2つに絞っている。
特定されたくないので詳述は避けるが、増田の専門分野をメインにしている。調べ物が趣味とは書いたが、専門分野以外に関しては情報源の勘所がわからないことも多いあるため、余計なことはしないようにしている。
その分野の単語で検索したり、タイムラインに流れたり、何らかの形で目にしたもののうち、誤解を招くものに関しては情報源を確認した上でコミュニティノートを投稿している。
専門分野以外では、明らかなフェイク画像・フェイク動画にはコミュニティノートを投稿することがある。
正直なところ、自明なものにノート書くのは野暮だと思っているのだが、それでもリプライや引用で釣られてしまっている人が多いものに関しては積極的に投稿するようにしている。
これは重視していない。もちろんフェイクを流す勢力の政治信条には偏りがあるため、ノートを書く分量自体には偏りが出てしまうが、右派・左派などは関係なく、誤解を招くものを見つけては書くようにしている。
露悪的な言い方をすると「調べ物をして誤解を招くポストを撃破するモグラ叩き」だと思っている面はあり、それが一番楽しいので特に特定の政党や勢力を利するつもりはない。
閲覧数が多いもの、あるいは多くなりそうなものを選ぶようにしている。
これはコミュニティノートのアルゴリズムに由来するもので、閲覧数が少ないポストにノートを書いても反映されないためである(より大きな影響を与えるポストに優先してノートがつけられるべき、というのがX社の理屈なのだろう)。
最初はこれも気にしていなかったのだが、このアルゴリズムを確認してからは、なるべく表示される機会が多いものを選ぶようになった。趣味とはいえ調べ物をする時間は有限であるため、それくらいは許して欲しい。
恥ずかしいから辞めてほしい
https://www.publickey1.jp/blog/23/2023ai.html
なんかさ、勘違いしてる人は
「『全ての未来技術は一度過度な期待と幻滅期を乗り越えて、一般市場に出る』という前提はおかしい、前のグラフと整合性が取れていない」
とか言ってるけど、そんなの当たり前じゃん
つまりほとんどの未来技術はこの5つのステージのどこかで消えるんだよ
・黎明期に消える
・幻滅期に消える
・啓蒙期に消える
・生産性の安定期に消える
唯一無いのが「過度な期待の時に消える」だけ
この図の使い方はいくつかある
・自分の感覚とのズレを見るもの(特にその専門領域に居ると、世間からの評価がどの段階なのかわからない)
・期待が過度であるという戒め
・幻滅期にあるが、まだ生き残っているならその理由を分析する価値がある
間違っても「黎明期にある技術はいずれくるに違いない」なんて考えないでくれよ
黎明期の技術なんてマジでほぼ消えるんだから、ベンチャー企業みたいなもんだよ
OpenAIや他社のAIチームは何年も公表してなかったんだから突然出てきたのは当たり前だろう?
いっそ「技術がわからない投資家がこう思ってる」の図でもいいはずだ
あと、どのフェーズに居るかで個人としての対応の仕方が異なってくる
黎明期に取り組むならそれは趣味レベルにしておいた方がいい、儲かるとか思うべきではない、先行者特権もあまりない
過度な期待の時に取り組むのは、一見するとバカのやることだと思われるかもしれないが
あまりにも虚構だったらすぐ死ぬけどね、NFTとかサービスイン前に死んだやつ沢山ありそうだし
長期で取り組もうとは思わないことだ、期待を煽るだけ煽って引くのが正解、そうやって生きてる詐欺師みたいなインフルエンサーは山のようにいる
騙される側にならないように注意してほしい
失望期に取り組み始めるのは、掘り尽くされた金山に行くようなもんで情弱のすることだ
安定期は普通の仕事だ、ただ安定期も3年〜10年のレンジがあるから、安定期の最初の方は先行者特権があるし美味しいと思う
ていうかプロダクトライフサイクルは知ってるのか?
ハイプ・サイクルの安定期のあとはプロダクトライフサイクルが始まる
____
ちなみに何故過度な期待が起こるか、というのは
元々そういうもん(蓋を開ける前が期待のピーク)っていうのもあるけど
投資家もバリューを高めるために綺麗事しか言わないからっていうのがある
あとはクソみたいなインフルエンサーが「これからはこれが来る!」って煽る仕事してるから、それもある
こういうのは例えば株・為替・先物相場、仮想通貨みたいなのでも起こるし、企業の上場でも起こる
「いまグイグイ来てる!流行っている!これから来る!と言って、どこかでその過熱感がピークを迎え
こういう現象が一定数あるんだから、ガートナーのハイプ・サイクルはそこそこ有益なんだよ
そんな曖昧な情報なのに、どうにか発表してるガートナーは偉いよ
あと、投機をしたことがあるやつなら分かると思うが、過度な期待を超えることがたまにあるからね
皆の想定を超えるうわ振れ方をした場合、幻滅期は起こらず一気に安定期に行く
上場企業でもたまにある、皆が舐めてたり価値を理解できていなかったタイプ
そういうのがあるから厄介なんだよね、ガートナーは「今がピークやで、ここで売りやで」って言ってるんだけど、そうならないパターンが有る
あんま潜んでた感じもしないし、
インターネットが無い頃から男の問題を女に責任転嫁する男ってのは多かったので何を今更でもある
ってか責任転「嫁」、ってそのまんまだな
フリーレンの長命ゆえの孤独も人間をお供に旅するせいで回想シーンばかり
頼みの戦闘シーンも伏線とか特になく「実は俺の方が強いんだぜ」「実は俺の魔法の方が強いんだぜ」こんなノリばっかりで決着
身体に穴が開くほどの大けがをしても内臓は見えないし血すら吐かずにペラペラしゃべる
別の増田が「過去に掲示板で流行ったネタの寄せ集め」と称していたがその通りだった
フリーレンを長命種になったやる夫に置き換えた方がたぶん面白い
人生の厚みのないペラッペラな作品も美麗な映像でそれっぽくすれば売れる時代か
きらら批判の常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体が作品として低劣ということにはならない。
ある作品で、登場人物が死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。
しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。
人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。
感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。
誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。
きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間の価値はないという観念を否定した、真に人間を肯定した物語だった。
こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクターを創造する必要があった。
何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。
確かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題でしかない。
「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺でしかないと言いたい。
ところで、近年のまんがタイムきららは組織レベルで、「中身がない」という意見を肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。
「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」
「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494
漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね
瀬古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。
https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html
『ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー 「4コマ雑誌「きらら」の固定観念を払拭する企画を出し続けてきた」
「中身がない」という固定観念を払拭した代表的作品として、公式が祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。
『ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。
何をもって「陽キャ」「陰キャ」であるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格が評価されることに人は慣れすぎた。
今や「チー牛」「弱者男性」という言葉をいくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。
これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚の麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。
いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。
誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。
こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。
(もちろん「陰キャ」が純粋にネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)
まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。
まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品の否定だ。
現在のきららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。
つまり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。
ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。
2010年代のきらら作品のアニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。
もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ・漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか。
例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。
まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベルで大きな物語を作り上げていったわけではない。
あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。
ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。
まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
自分も出張先のホテルにサウナがあればせっかくだからと利用してしまう。気付けばサウナシュランにランクインしたサウナがどんな物かも気になる様になっていた。
ただ、SNSでのサウナ好きインフルエンサーや新しいサウナ施設を発見しては制覇した事を自慢してくる友人に対してなんかモヤモヤと感じていた違和感があった。
ふと紙に書き出して整理してみたら、それが分かった。分かりやすく説明する為に少し攻撃的な言葉を使うが
自分も含め、彼らは欲に溺れているだけなのにも関わらず、現在ではイケてる感が出る趣味であり、その知識や経験の量を自慢出来る状況にある。
②必要な知識の少なさに対し、世間での認知度が低い為すぐに「詳しい人」になれる
主にこの3つによって、サウナ好きである事を「イケてるだろ?」的に公言している人は自分にはややみっともなく見えていた。
例えば①〜③を筋トレと比べてみると
→暑さに耐えて水風呂に浸かればその場で即、性行為に準ずる程の快楽が得られる。自慰行為
と同じでその快感は人間の性質に根付く物でほぼ誰でも気持ち良いと感じる。
→最低数ヶ月以上の継続性が必要である上にトレーニングそのものが過酷。筋トレの対価とな
②必要な知識の少なさに対し、世間での認知度が低い為すぐに「詳しい人」になれる
→諸々の温度や湿度、椅子等ごくわずかな差分における知識以外に、サウナを極める余地が少ない。にも関わらずサウナは黎明期であるのでまだ店舗の数や経験者の数が発展途上である為、複数回経験している人が「サウナに詳しい人」になれる
→上を見ればいくらでもボディビルダーやアスリート等のプロが居るし、継続性が必要なので
少なくとも数年続けていないと「筋トレに詳しい人」にはなれない
→諸々の副次的な効果はあるが、サウナが流行っている最大の理由は極めて簡単に、直
→トレーニングをして体を理想の形にし、その後にモテる、自信をつける、喧嘩に強くなる等 各々の目的がある。
筋トレですら世の趣味の中では直接的な効果が得られる物に分類されると思う。
競馬やパチンコですらかなり勉強しても勝てない人がほとんど。筋トレは鍛えたらすぐに体に変化が起きる。
サウナ自体は好きだが、何か他の事を真剣に打ち込んでいる人と比べて
サウナに詳しい事をアイデンティティにする人は自慰行為を極めている事をアイデンティティにしている様に見えてしまう。誰にとっても良い物だし、簡単に快楽を得られるのに、流行り物に詳しいイケてる感じで接せられても、あまり尊敬できない。今まで何かを努力したり、継続出来なかった人が自尊心を初めて得られるコンテンツであるという側面もあると思う。しかも快楽を得る過程で。
今日は「パンティー増田はいつから増田に書き込んでいるのか?」の調査結果について発表します。
皆さんは「パンティー増田」をご存知でしょうか。増田番付で見たことがあるという人もいるかもしれませんね。
では、実際の番付の講評を読んでみましょう。
関脇
パンティー
残念ながらあまり参考になりませんでしたね。ちょっと真面目に解説するとこんな感じでしょうか。
脈絡もなく「パンティー」の文字列が含まれる短文エントリを投下していく増田。単独エントリ形式もトラバ形式もあり。
クンニ増田、市民ミュージカル増田などのように「短文エントリにワンフレーズを仕込む」タイプの投稿もあれば、
本文なしのタイトルに含むタイプ、今夜もカレー増田やアンタナナリボ増田のように一言エントリだったりと捉えどころのない存在。
■
■ 探しものはなんですか 見つけにくいものですか カバンの中も 机の中も 探したけれど見つから
パンティー
■ ノストラダムスのパンティー
スキャンティーを被る為に
さて、本題に移ります。一体パンティー増田はいつから増田で活動しているのでしょうか?
はてなブログタグには「パンティー」ではなく伸ばし棒なしの「パンティ」が登録されています。同単語が含まれるエントリを集計すると以下の結果となりました。
2006 1
2007 15
2008 16
2009 15
2010 18
2011 3
2012 5
2013 12
2014 26
2015 46
2016 67
2017 1,168
2018 1,821
2019 2,423
2020 2,408
2021 2,788
2022 1,596
2017年前後にブレイクスルーが起こっているようです。もう少し遡ってみましょう。
増田に現存する最古の「パンティー」を含むエントリは、2006年12月5日の「最近見る、思う話題」というエントリです。
■ 最近見る、思う話題
はてなちゃんのパンティー
有名ブログの本紹介→その本(アマゾン)のブックマークが増える
この期間は残念ながらパンティーを含む短文エントリはあまり見られません。それどころか(伸ばし棒を含まない)「パンティ」で検索しても2011年には年間3件しか確認できませんでした。
パンティー冬の時代といえる中、以下のように現在のパンティー増田の祖先と呼べるかのような投稿が見られるのは興味深いです。
■
表記が伸ばし棒を含まない「パンティ」ですが、センスを感じる投稿もありました。
■ あ・な・た
真っ赤な薔薇と
白いパンティ
子犬にまたがる
あなた、誰?
2012年に入っても、増田はパンティーはまだ話題に上る機会は少ないようです。
■
風で飛んだのか…
そんな中、2014年6月3日にパンティー界を揺るがす、とあるエントリが投稿されます。
■ 私のパンティーが、おじさん達の手に渡ってしまいました!
今あたしが住んでいる部屋はマンションの4階で、ベランダは隣の小さな印刷会社の屋上と同じ高さなんですヨ。ベランダと隣の屋上の距離は3メートルくらい。パウエルやルイスなら軽々飛び越えられちゃうだろうなって、借りる時に少しだけ気になったんですが、ここ日本だしまー大丈夫だろ!って思ってこの部屋にしたんです。安かったですし、お風呂がツルツルだったので…。
タイトルを含めると12回「パンティー」が出現している怪作です。なんと245ブクマを獲得してしまいました。
これ以降、今まで注目されていなかった「パンティー」というワードに、増田たちが関心を抱き始めます。
以下の3エントリはいずれも中・長文ではありますが、注目エントリ入りするパンティーが増えてきたのもこの頃からです。
この時期から「短文に仕込む」タイプのパンティーが目立つようになります。
■ いでよ、神龍。
とはいえ、2015年時点のパンティーはまだ増田を席捲しているとはいえず、同年4月の増田ではこれ以降出現することはありませんでした。
次に確認されたのは2015年5月9日。以下の2エントリとなります。
■
■ http://anond.hatelabo.jp/20150509203012
上のパンティーはどうすればいいでしょうか
注目すべきエントリです。前者では「パンティー」という語の安易な使用に警鐘を鳴らしていることから、他にもパンティーに関する投稿があったことが示唆されます。
一方、後者のエントリではトラバでパンティーについて言及しています。
残念ながら参照元のエントリは削除されているようですが、パンティー語りをしていた増田がほかにも存在した可能性があります。
2016年頃からは短文エントリが増え始めます。現在のパンティー増田に通じる特徴であるシュールぶりはこの頃から垣間見えます。
■ インデペンデンス・デイ: リサージェンス☆☆
パンティーが見えなかったので星2つです。
■ ナウシカもパンティー履いてない可能性
■
最近は便利な世の中になったようで、
2017年2月8日、「パンティー増田」という文字列が初めて増田に出現します。この頃から一個体として認識され始めたようです。
■ パンティー増田へ
Amazonに『Panties』っていうクッソくだらない英語の短編小説集があってKindle Unlimitedならタダで読めるよ
無駄に二巻まで出てるよ
そして、2017年3月23日。パンティー増田の運命を決定づける1件のエントリが投稿されます。
■
パンティー
これ以降、本文に「パンティー」とだけ書き込む謎のゴリ押しが増田で盛んになります。
■ 犯人は
パンティー
■ 非暴力主義を貫いた
パンティー
■ いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえて
パンティー
■ ガチャピンとムックの
パンティー
以下の投稿なんかもはやマルチポストです。規制は大丈夫だったのでしょうか。
https://archive.md/O0yGn(魚拓:2017-05-14の投稿に注目)
■ ”ダイナマイトなパンティーでもいいんじゃない”
2 件 (0.37 秒)
■ https://anond.hatelabo.jp/20170617180332
こんな便利なものがあったのか。
■
そして、ついには初代増田のやべーやつ番付に掲載され、パンティー増田は確固たる地位を築くに至ったのでした。
■ 増田のやべーやつ番付(修正)
病的な男叩きの人
絵の下手な奴はの人
電車嫌いの人
幕下 女が悪いの人
パンティー増田は2016年頃に増田に出現し、2017年にブレイクしていた!!
番付の人の寸評は手抜きではなく、パンティー増田の特徴を端的に捉えたものだったんですね。さすが増田の生き字引。
パンティー
まだサイト名がDMMの頃から、今に至るまで多くの作品を購入してきました。私は抜きどころを見つけて同じシーンで何回もヌくタイプなので高画質ビデオを購入します。最近だと4K作品しか購入しません。とくに乳首のキレイな巨乳が好きで、私のコレクションは乳首のキレイな巨乳で溢れかえっております。途中、VRに出会ったことで臨場感あふれる巨乳を堪能しましたが、やはりVRは頭への負担と、致しているときにヘッドセットが揺れるため映像が乱れること、画質の荒さ、なにより致している姿を家族に見られるリスクが高すぎることから2Dに戻しました。8KVRも試しましたが、やはり2D4Kにはかないません。
時にはオムニバスを購入し、名前の知らないキレイな巨乳をもつ女優に出会うこともありました。一期一会の関係性ですが、他のオムニバス作品でで会った時は、昔共に致した女性に出会うような、なんとも言えないけど甘酸っぱい気持ちになることもいい思い出です。
アジアの巨乳は有限世界遺産です。人生における1番その乳がキレイな瞬間、そしてそれを記録しているAVには感謝しかありません。世界遺産に認定して欲しい巨乳がいくつかありますが、女優名を出すのはお目汚しになるので致しません。みなさんにも最高の巨乳が見つかることを祈っております。
数えたところ100作品は購入していたので、AVに使ったお金は20万円を超えています。大切な資産であり、今度も共に人生を歩もうと思っておりましたが、この度FANZAアカウントを閉鎖することにしました。
理由はいくつかありますが、大きな二つの理由を増田のみなさんにも共有させていただき、共感をいただけると幸いです。
一つは我が父が初期痴呆になったこと。インターネット黎明期から、西暦でいうと1994年ごろからネットにダイヤルアップで接続するようなPC好きの彼が、今はyahooのアカウントにログインできまさん。SMSを利用したパスワード再発行もできなくなりました。今のクラウド全盛期はPCのログインとSMS受信のできる環境であればサイトへのログインなど家族が簡単にできます。つまり、家族へのアカウント情報漏洩など容易い時代であり、私はこれから父のアカウント削除などをyahooメールに届くお知らせやメルマガから行わなければなりません。その過程でどのようなサービスに入っているか認知していくことになるでしょう。
もうひとつは息子が少しずつ女性に興味を持ち始める年齢になったこと。一つ目の理由の通り、デジタルネイティブ世代は私のアカウントにアクセスすることなど容易なはずです。近い将来私のFANZAアカウントにアクセスすることは間違いないでしょう。彼に性癖がバレることは避けたい。いい父でありたいのです。
私も初老です。物忘れが少しずつ始まっている自覚もありデジタル関連の就活を少しずつはじめないと趣味嗜好を露呈することになると思うと実利よりも羞恥心が勝ります。
私のFANZAの巨乳コレクションはこれにてクローズとなりますが、お世話になった女優の皆様には敬意をもち、今までありがとうございましたと伝えたいと思います。
角換わり腰掛け銀木村定跡は角換わり腰掛け銀を一度終わらせ、そして半世紀にもおよぶ角換わり腰掛け銀の発展を方向づけた歴史的な定跡である。
発見者は実力制名人黎明期において圧倒的な実力を誇った"常勝名人"木村義雄十四世名人。
その木村が40代を迎えて、棋士人生の下り坂に差し掛かった頃である。自身を脅かす有力な若手などそうはいない。しかし次代のトップ棋士達は確実に頭角を表してきた。関東の塚田正夫。そして関西の升田幸三、大山康晴。木村が第6期名人戦で塚田正夫に痛恨の敗北を喫したあとに完成させた定跡だそうだ。西暦にして1947年ごろか。
そもそも角換わり腰掛け銀とは、お互いに大駒である角を持ち合い、準備万端の攻撃態勢を築きガンを付け合った後、相手が死ぬまでボッコボコに殴り合うという戦法である(個人の見解です)。
その過激な思想がウケたのか当時流行最先端の戦法になっていた。もちろん名人戦でも指される。そして木村は名人を失冠した。再起を賭けて死に物狂いで研究したであろう木村が編み出したのが、先手必勝の角換わり腰掛け銀木村定跡である。角換わり腰掛け銀で同型(▲5八金▲2八飛の形)のまま進行し、▲8八玉△2二玉と互いに玉を囲い合うと、後手は何をどう最善を尽くしても絶対に負ける。
すでに新聞棋戦全盛の時代だ。必勝定跡を隠す手立てはなく、指せば先手が勝つと分かった木村定跡はすぐにプロの将棋から消えた。当たり前の話である。なので角換わり腰掛け銀は以後、木村定跡を避けて逆に攻勢に出たい後手とそれに対応する先手、という図式になる。▲8八玉△2二玉と進めば負けるのだから、▲8八玉の後に後手が攻めたらどうなる?どうも先手悪いようだ。ならその前に先手が攻めたらどうなる(升田流)?半世紀にわたる未解決問題は富岡流によって解決された。やはり先手必勝だ。後手はもっと前に変化しないといけない。あるいは!同型のまま進行するのがダメなら、序盤で後手から角交換したらどうだ(後手番一手損角換わり)?▲8八玉△2二玉の時点で同型にならず、後手有望かもしれない!先手がそもそも腰掛け銀を回避してくるところが辛いけどね。
ゾルトラークは広く流行し誰でも使える基本的な魔法になったそうだ。この点は将棋界と違うね。必勝戦法は必勝なのだから誰も指さなくなる。いわゆる×新手一生○新手一勝だ。しかし知らなければ落とし穴に嵌る。将棋界におけるゾルトラークは大なり小なりそういうものだ。決して表舞台には表れないが、水面下では激しい研究合戦が繰り広げられている。そこに織り込まれていく。
2023年現在で角換わり腰掛け銀同型といえば▲4八金▲2一飛の形である。木村定跡はもちろんだが、▲5八金▲2八飛の角換わり腰掛け銀自体がAIにより不安定な形と評価され、指されなくなった。イマドキの奨励会員は木村定跡を知らないかもしれない。AIもプロも指さないからね。将棋AIはとうの昔に、人間の棋譜を読むような非効率な学習を行っていない。ゾルトラークとして水面下で棋士の常識であったはずの木村定跡は、今では本当にただの廃れた定跡なのかもしれない。