いわゆる記念日反応ってやつがしんどくて書いてます。支離滅裂失礼します。
でも、明日になったら消すかな。どうかな。
十代のころから二十年以上、ほぼ毎週通ってたならいごとの先生が亡くなって1か月過ぎました。
傘寿近いけど、家族もいなくて、親戚は遠方だから、毎日お見舞いに来るような人もいない。
勝手な個人的感情だけど、そんな病院生活をさせるのがいやで、用事が無ければ亡くなるまでの数週間ほぼ毎日見舞いに通ってた。
別に何の世話もせずに仕事の愚痴とかしゃべりまくってただけだし、本人がどう思ってたかは分からない。
もっと他に顔を見たかった親戚とか他の弟子とかいたんじゃないかなとも思う。
その日、病院にいったら自宅に帰ったと聞かされて、あわてて親戚のひとに連絡をとったら、翌日やっとつながって、亡くなったことを知らされた。
あちらの意向で身内だけで済ますといわれて、通夜も葬式も行けなかった。
しょうがないよね、私はただの弟子で、親戚のひととの面識はほとんどないし、相手にとってみれば面倒いがいのなにものでもないんだもの。
だめだなー。つらいなー。
お腹はちゃんとすくし、ごはんだって美味しいし、楽しんだり、笑ったりすることもできるけど、ふとした瞬間にスイッチがはいって、べそべそと泣いている。いい年したオバサンなのにね。
家族とか友人とか、一応何人かにできごと自体は話しているんだけど、家族はこの手の泣き言をそのまま受け止めてくれるタイプじゃないし(「いつまで辛気くさいことを言ってるんだ」とか「そんなこと言っても今更無駄だろう」とか言わずにはおれないタイプ)、話してて泣かずにいられる自信が無いので友人に相談して聞いてもらうこともできない。
Twitterやblogで延々と語るのも、やっぱりネット上の友人知己に迷惑な気がして、こらえきれずにぽろぽろつぶやいたほかは避けている。
こういった別れに後悔が残らないようにはできないって頭では分かっているんだけど、あれとかこれとかやっておけば良かったとか、不肖の弟子でごめんなさいとか思っちゃうわけで。
カウンセリングとか受けるのが一番なのかなと思うけど、行ったことないし、ハードルが高くてグリーフケアの本とか読んでいるだけ。