「ねーねーもしミサイル落ちて来たらどうすればいいの?逃げろとか対策しろとかって言われても絶対に無理だよねー?」
その場にいた人達は口々に無理だと言い、
と言い出す人もおり、
「それなら家族全員家にいる時がいいよね」
と言う人もいた。
私も含めて全員、小さな子供を持つ母親で、そういう人達の口からまるで模範解答の様にそんな言葉がいともあっさり出てくる。
今はそんな世の中なのだ。
嫌だ死にたくない、諦めたくない、とは言ってはいけないのだろうか?
言うと泣きたくなるから、皆の気持ちをざわつかせない為の気配りとして、わざと言わないのだとも取れるけれども、私がその場にいて感じたのは重すぎる圧力だった。
いざとなったら潔く命を手放す「べきである」と。
なんかもうムカついてきた。北朝鮮にではなくて、私が今、この状況に置かれている事に。うっかりすると仲間達からみんな一緒に綺麗な死を選ばされそうな事に。
私は、幼い頃から色々酷い目に遇わされても来たけれど、それでもまだ未来を信じていて、希望を持っていて、だからこそ子供を生んだ訳だけれども、それなのに今、模範解答として美しい死に様について、言わされようとしている。
もう諦めよーよ、だと?ふざけんなと。
未来を信じない、将来に希望を持たない空気は今に始まった事ではなくて、結構前からずっと続いていて、偶々ミサイルのせいで顕在化しただけなんじゃないかと私は思うんだけど、たぶん自分でも気づかなかったか無意識に蓋をしていたが、それがすごく苦しかったし嫌だった。
私はそれにとても抵抗したい。というのは武器を手に戦うという事ではなくて、未来を信じるということだ。五分後、明日、来週、来月、来年、何年も先も私や私の子供達や夫は生きてそれなりに暮らしていると、信じたいし願いたい。
生きる事は苦行や罰ゲームの類いではないと思っていたい。
皆仲良く諦めて死ぬのは異常だと思いたい。