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はてなキーワード: 唐突とは

2018-10-19

https://anond.hatelabo.jp/20181019074128

ミリしかかすってないのに唐突自分話題を持ち出して空気を壊すのを謎と言ってるんだが発達障害者にはどうやら理解できなかったらしい

あっそ、少しでもかすってんなら別に俺の増田にとやかく言われる筋合いないだろうよ。

俺は話を別のベクトルに展開させただけ、それを一意見としてトラバさりげなく投稿しただけ。

空気壊すってさあ…有象無象トラバリーでお前何言ってんの?ほとんど注目されることもないトラバにもいちいち執着してるの増田は?

増田が気にくわないところはなんなんだろう?話題元増田から離れているから?いや、増田主観的場違いだと見なして、そして好ましくないと判断しただけだよね。

https://anond.hatelabo.jp/20181019073916

anond:20181018181844

僕はこういう話に唐突ダンプカーが出てきてストーリーメチャクチャにする話が好きなんですよ。

2018-10-18

障害言い訳にしてる奴らが図星突かれただけなんだと思うわ

「同じ程度の障害(才能)を持つ者同士で比べあった時、あなたが他の人よりも劣っていると感じたなら、それは貴方障害(才能)を言い訳にしてきたせいなのかも知れない。」

唐突にそんな言葉が飛んできて、傷つかないで居られるような人生を生きていけたならそれは幸運な事だよ。

大抵の人間は大なり小なり傷つくと思う。

そして、自分が傷ついた事に傷つくと思う。

SHIRBAKO第20話「がんばりマスタング」なんだよ。

図星だったんだよね。だから腹を立てた。見当違いのことを言われたんならどうでもいいはずだよ」

アリアは キャシー言葉に傷ついて、自分が傷ついた事にショックを受けたんだと思います

なんだよ。

あのポスターストイックだよ。

とてもストイックだ。

でもそのストイックさを突然向けられた時、受け止めきれない人もいる。

そしてあのポスターは、見た人間にその言葉自分に向けられたものなのではないかと思わせるような言葉の選び方をしている。

ポスターを作った人は意識してそうすることで、見た人間をハッとさせたかったんだろう。

でもさ、いきなり他人の頭を透明なハンマーでぶっ叩いたら怒る人だって出てくるだろうよ。

まして、日頃から自分存在意義についてビクビクしてきた障害者をいきなりぶっ叩く必要なんて、無かったんじゃないかな?

出遅れた気がするけどこれが自分感想ですわ。

2018-10-16

誰の神にもなれなかった話

最近、神が自ジャンル撤退した話をちらほらと見かけた。感想をもらえなかった神を止められない後悔のようなものが綴られていた。ファンとしては悲しかったんだと思うし、去る神の方も辛い思いをしたんだと思う。

そんな記事を読んでいて、きっとその世界に私はいないんだろうなと漠然と感じていた。

私は元々一次創作で話を書く人間だった。

時おり好きになった作品二次創作を書いて、同じ作品好きな人Twitterで繋がってフォロワーを増やすということが多かった。増やすといっても一桁単位の話で、私の作品ブックマークも一番にしてくれたのはフォロワーのことが多かった。自分が書いたものを喜んでくれたり、楽しみにしてると言ってもらえたり、投稿ツイートいいねがつくだけでも嬉しかった。

それから私は今のジャンルにハマった。ジャンル自体が始まったばかりで、pixiv小説タグには作品ひとつかふたつぐらいしかなかった。私はジャンルに勢いよく沼ってしまっていて、その勢いのままほぼ週に一回ペースで小説を上げた。pixiv以外の投稿サイトでも多いときには1日に3本、2000字未満の短い話を書くこともあった。数打てば当たるというもので、同じジャンル活動を始めた人たちの目にも止まってTwitterで動かし始めていたジャンル用の別垢にもフォロワーが増えた。主は絵を描く人たちで、その人たちが絵を投稿すれば三桁のブクマいいねはあった。

私はと言えば好き勝手に書きつつもよいときは二桁の反応をもらうことがあった。Twitterでも作品に関する反応をもらえて、嬉しかった。

けれどふとpixiv小説タグを見返した時、自分作品しかないことが唐突に怖くなった。自分タグ荒らしているんじゃないかと恐ろしくなって、自分作品の多くを非公開にした。その直後にジャンルアニメ化されたこともあったのだろうけど、小説タグ自分以外の作品が多く投稿された。その事を嬉しく思って、たくさん小説を読み漁った。

どの作品も魅力的で、文章も濃厚で、自分ではできない表現を易々としていた。

それと同時に自分作品のつまらなさを見せつけられたような気がした。実際、自分が非公開にしたあとに投稿された作品のほうがブクマ数を稼いでいた。ジャンルに人が多くないからと2桁つけばいいと思っていたブクマを、あとから投稿された作品は三桁もらっているのを見た。なんなら自分pixivに上げたあとの作品のほうが反応があることなんてざらだった。

けれど自ジャンルで話を書くことは好きだったし、私が書いた拙いものでも好きだと言ってくれるフォロワーはいた。フォロワーTwitterで出した小ネタを話にして、その人に喜んでもらうというのが多かった。

しかしそんなことばかり続けていると、私が考えたものはつまらないんだろうなという考えに陥ったし、自分で話を考える力が失われてしまった。自分で考えた話はどれも似たような内容になっていて、読み直して頭を抱えた。

ジャンルではじめてオンリーが行われた時、私は人生ではじめて同人誌を作ってはじめてサークル参加をした。はじめてのオンリーということもあって開始直後にどのスペースも完売していて、少部数で持っていった私の本も全部売り切れた。すごく嬉しいと思ったし、そのあと感想をいただくこともあった。

しかし、再びあったオンリーでは新刊も既刊も、半分も売れなかった。具体的な数字を出せば、30部持っていってのその結果だ。

評価されないことも本が売れないことも、結果としては自分の実力不足問題だ。結局私の書くものは内容もワンパターンで、文体個性がないつまらないもの腐向けを書くにしても事を為してる描写が下手くそで、自カプの話は大体オチもつけず終わらせている。

そんなのをこじらせて、最終的にはジャンルのせいだと思い込むようになっていた。この頃はジャンル公式イベントに対する不信感やイベント現場でもオタク問題行動が目についていて、余計にジャンルに対して批判的な視線を向けてしまっていた。ジャンルを知らない友人やフォロワー運営への不満とオタク愚痴を語るのが日課になり、腐向けに作った垢も不満と愚痴自分文章への嫌悪に溢れていた。

本当は私は私が書いたものが好きだった。文章は単純でも展開がワンパターンでも致してるシーンがつまらなくても、自分が書いてて楽しいものを書けて幸せだった。でも私は誰かの神にもなれなかったし、他人の目を気にしすぎて、自分自身の神にもなれなかった。

私はジャンルが大好きだった。売り込み方は下手だったけれど、関係者の熱意は間違いなくあった。ストーリーキャラクターも魅力的で、今まで好きにならないタイプキャラ推しになった。はじめて現場に行くきっかけになったこコンテンツが好きだった。

今はせめて自分自身の神に戻るために、私は自分の好きだったものちゃんと向き合おうと思う。

私が好きな私の文章を、私が好きであれるように。

私が好きだと思ったものを、好きだと思い続けられるように。

オタクっていつも泥沼で足の引っ張り合いしてるよね

唐突だけどオタクってやばくない?

オタクって、特定人物やら乗り物やらサブカルコンテンツやらに持てる時間と金注ぎ込んで、無駄知識蓄えて無駄遠征して、本当にキモい人種だよね。

……いや、「無駄」ってのは間違いだったわ。

オタクにとっては「その他人から見れば無駄もの」がかけがえのない財産になるんだもんな。

人の財産ケチはつけられないな。

でもそんなことはどうでもいいんだよ。

今言いたいことはタイトル通り。

オタクっていつも泥沼で足の引っ張り合いしてるよね。

冒頭でディスりまくってはいるが、当の私もそのやばいキモいオタクだ。

ライブに行くためチケット代の5倍以上する遠征費は出すし、チケットを入手するために同じCD馬鹿みたいに積むし(それが外れても1週間ぐらい経ったら忘れる)、クソほど生活の役に立たないキャラグッズを衣食の費用を削ってまで購入する。

金銭感覚狂っててキモいし、聞いてもいないオタク知識ぶら下げて会話に参戦するからキモい。浮いてる。キモい

あ、タイトルとは関係ないので、ここでは私が誰を推しいるか、何のオタクをしているかは伏せる。

今回、何故こんな各方面喧嘩売ってそうなタイトルにしたのかというと、オタクとして生きていれば必ずと言っていいほど「他のオタクとぶつかることになる」からだ。

インターネッツ普及で情報化社会と言われるようになった昨今の日本では、今や誰もが当たり前にスマートフォンを持ち、LINETwitter等のSNSアカウントを最低1つは隠し持っていて、不特定多数人間同士で顔の見えないコミュニケーション日常的に行なっている。

……なんて、カッコつけて難しい言葉を使おうとして滑っているのは承知なので言いたいことをまとめると、現代じゃみんながスマホ持ってるし大体の人がネットやるよね、ってことだ。

で、何でオタクが足の引っ張り合い〜っていうのは、オタクそれぞれが不特定多数の顔も知らない相手にイキり倒して優位に立とうとするから

しかも泥沼。

比べられるもんじゃないのに、○○のオタクは〜、とか××のオタクは〜、とかわざわざクソデカ主語オタクを分類し区別をつけたがり、更に○○のオタクの方が優れている、とか××はゴミ、とか好き勝手偏見を暴れさせていると感じる。

え?

そのジャンルとこのジャンル、優劣つけられる要素無くない?

シナリオ書いてる人も、絵描いてる人も、コンテンツとしての強みも違うのに?

歌い方やビジュアル系統も違うのに?

そんなの個々の好みの問題じゃん。

あとオタク民度って何?

○○民っていうほどお前ら自治生活してる集団なの?

みたいな疑問がよく頭に浮かぶ

知らんがな。

オタクキモいのに更に醜く争っててもっとキモいよ。

本当に泥沼。

終わりのない戦争

○○くんは歌が上手いから〜、とか言いながら、その○○くんを推してる自分に酔ってるオタクが○○くんの実力努力権威として自身戦闘力高いと錯覚してるだけだから

△△ちゃんには仕事無いし私の推しの××ちゃんのほうが上だから!って言いつつ自分推し戦闘力の高さで驕るオタクキモすぎるから

お前の力じゃないから。

お前が一生懸命推しジャンルに金かけてきたか推しジャンルが成長したのかも知れないけど、その実力はお前のステータスではないからな。

オタクキモいな。

あ、何もステゴロで勝負しろって言ってるわけじゃないよ。

今までダラダラ書いたようにオタクキモいんだよ。

からキモい同士泥沼に浸かってる中で他人叩いてるのバカでしょってこと。

結局、オタクによるオタク叩きによって、外部から見てオタクは更にキモくなるんだよ。

どっちもどうせオタクキモいのに、どっちが優れてるとか無いから。

これは、同じ○○オタクとして優れている、とか造詣が深い、とかいう争いの話じゃない。

○○オタクと××オタクは何故争うのか。

自分推しを誇りに思うのは勝手だが、推しの実力や知名度自分戦闘力だと過信しているバカは考えを改めてくれ。

オタクが泥沼でビチャビチャ汚ねえ争いしてる間に、周りはその推しファンも全部キモくて近寄らんとこってなるよ。

あと私だけが○○を愛していればいいの!とかいキモいオタクは○○に愛される努力もしてみなって思う。

気になる人として認知されるかどうかじゃなくて、自分に自ジャンルファンちゃんといるんだって○○に認知されるよう努力しなよ。

どうしても恋愛したいとか言い出したらそれはオタクじゃなくてストーカーから別の話ね。

長々書いたけど、本当にオタクの争い不毛すぎる。

出来ればやめたほうがいい。

やめないと意外と行動力のあるキモいオタクから名誉毀損で訴えられちゃうかも知れないし。

わざわざキモいことしなくていいよ、オタクしてる時点で十分キモいんだからオタクできることに感謝して自分推しだけ見てようよ。

まとまらないまま無駄に語っちゃったよ。

キモい文章書いてごめんね。

キモいオタクから大目に見てよ。

暇だったら誰か分かりやすくまとめてくれると嬉しい。

もう終わり。

2018-10-14

メルカリについて誤解していた

表題の件について。今まで全くメルカリというものを使ったことがなく、やれ現金販売されているとか、やれ怪しげな商品の温床になっているとか、

そういうニュースといくつか実際に出品されているモノを見たことで、自分の中では爆サイユーザーとかが中心のなんでもありなアングラマーケットなのだ認識していた。

自分も昔ヤフオクオーディオ機器などを落札したことがあるが、そういった日々のやりとりとは違う、何か得体の知れないテクノロジーけが先行している

良くも悪くもフリーダム場所だと。

だが、今日唐突価値観を転換させるようなイベントが起きた。

結婚式の準備を一緒にしているパートナーが、小物やアクセサリーなんかの正規品のユーズド品をメルカリで探して、嬉しそうに報告してくれたのだ。

中古がイヤじゃなければこれで浮いた分を他の費用に回せるね、色々探して頑張ってみるね、と微笑んでくれたのだ。

自分はなんて矮小な考え方をしていたのだろう。良かれと思って様々な方法を駆使して節約してくれているパートナーに対して、

メルカリ得体が知れないからなんか嫌だ。ヤフオクeBayならいいけど」とでも言うつもりだったのだろうか。

結局は使う人間心持ちスキル次第であって、最初から悪だと決めつけてかかるのは典型的老害思考ではないか

別に全部新品で買ったりレンタルしたりできる財力がないわけではない。ただ、パートナー気持ちとそれを実現したツールに対して

から感謝して、考えを改めた。僕もこれからは機会を見つけてユーザーになってみようと思う。

結局のところ、僕が今のところ受け入れにくいVTuber仮想通貨や行き過ぎた多様性退職代行ビジネスなんかも、

元を辿ればより良い世界になるようにという意思を少なからず込めて誰かが発展させているものなのだろう。

ただユーザー層の偏り(に見えてしまうような表層の雰囲気)が今までの僕の価値観と擦り合わないだけで、

どれもそのものが世の混乱と質の低下を目的とするようなツールではないはずだ。いつかそういった自分にとって新しいもの

触れ合わざるをえない機会がきたら、もう少し柔軟に考えてみようと思う。

浮いた予算で、パートナー用のウエディングドレスレンタルではなく、ハイブランドのものを購入することにした。

とても嬉しそうな彼女の表情とこの幸せ体験を得ることに間接的にメルカリが役立ってくれたことも、忘れないでおこうと思う。

こんなネット辺境に書いた駄文彼女が見ることはないだろうけども、いつもありがとう。これからも宜しく。

好きな絵描きさんでもあるリア友

はじめまして

インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。

私は趣味Twitter自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。

自己紹介はこれぐらいにしておいて、本題に入ります

私は中学生の時、部活学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院入院したことが何度かあります

当時は唐突死にたいとさえも思いました。

絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。

しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。

見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかたことを覚えています

そして、入院生活に完全に慣れた頃。

タイトルの通り、そのリア友出会いました。

私が記憶している中では、作業療法活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います

そのぬり絵を見て、私は驚きました。

リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。

さらに驚いたのは、その子が同い年だということです。

同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。

私は毎日驚きました。

ある日は漫画扉絵の模写をし、ある日はイラスト資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。

驚いたのは彼女の模写をする量とスピード分析力、そして正確さです。

私の周りにいる中学生ではそのような子はいませんでした。

私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。

きっとこの人は将来、大物になる。

そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友IDを交換し、外泊の時にフォローしました。

そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。

リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます

よく、Twitterではフォロワーステータスでは無いし、フォロワーファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。

しかし、私は心に何処か引っ掛かりがあります

それは、県の高校美術展についてです。

私は制作したい作品顧問先生相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。

その場合、数少ないCG作品として出品することになります

しかし、リア友CG作品として出品する事を知りました。

私はCG作品審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。

今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。

非公開の垢で見たリア友CG作品はとても綺麗でした。

他人所為にしたくはないけれど、私は落ち込みました。

あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、

あの作品より私の作品は劣っている、

私の作品は恥ずかしい。

もし、あの子作品が賞を貰えたとして。

私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。

私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

きらいになったひと。

「これからストーカーの拗らせアンチとして応援したいと思います


ある日私にフォロワーさんが言い放った言葉だ。

この主語には私が入る。つまり私のストーカーの拗らせアンチということだ。

私はこのツイートを見た時唖然言葉が出ず、しばらく反応すればいいのか悩んだ。私にリプライしたわけではなかったけれど、間違いなく私関連の、わたしへの、切っ先を向けた言葉だった。どういういきさつでこの発言をしたのか、もう覚えていないし思い出したいとも思わない。というか思い出したくない。ただ、この言葉のお陰で私はこの人が大嫌いになった。憎くなった。怖くなった。もう二度とツイートを見たいとは思えなくなった。会話すらしたく無いと思った。

そしてこの言葉が私の心の深く沈んだ所に刺さり、ふとしたときにちくちくと私を悩ませるのだ。だからここに書く。今日唐突にやってきた、この行き場のない痛みを痛いと言うために。

私はしがない絵を描くことが趣味の、ただそこらへんにいる、あるジャンルにいる、あるキャラファンだ。そして所謂マイナーと呼ばれ界隈が狭く何かしらの投稿サイトも大して更新が行われることのない界隈に住んでいるファンであり、あるキャラを猛烈に好きなあまり、にそれしか描かないそればかりな本ばかりをつくる(自分であまり言いたくはないが)そのキャラに関してはこの人だと思われても仕方がない、ファンである

そんな小さな界隈にもう5年長も生きていれば、大体投稿する人も「何だか知っている」ひとになるのだが、その「何だか知っている」ひとがその言葉を言い放った人だった。

現在時点でだと正しくは「何だか知って”いた”」人なのだが、それは私よりずっと前にそのジャンル活動をされており且つその方を認知しており、しかしながら交流も無ければ交流をしたいとも思っていなかったため「何だか知っている」という表現となってしまった。

この人とどう交流が始まったかといったことはもう覚えていないが、交流していくうちになんだか歯車が合わないなぁと思ったことがあることは覚えている。

いや、正直に言おう。好きじゃなかった。

私は、この方が私に親しみを持ってくるのは別にどうでも良かった。感想を言ってこられたのも別にありがたかったし、もっと言えば小規模である界隈に活動をしているだれかが居るのは少し安心感があった。

でもどうしても好きにはなれなかった。それはその文章からにじみ出る性格だった。

Twitterは、投稿サイトでは分からない膨大な文章がその人を形作る。私はそのぽつぽつと呟かれる文章にいつも合わなさを感じていた。文章の書き方もだったし、記号の書き込まれ方や絵文字話し言葉だけで構成されたひっちゃかめっちゃかな読みづらい言葉たちも好きではなかった。書かれる言葉に納得できないこともあった。何かの発言で私への返信が来た時に、少し行き過ぎた指摘に首を傾げることもあった。でもそれは好きじゃないだけで、別に今の様にはっきりと「嫌いだ」と言えるような不快感は無かった。

冒頭の一文に戻ろう。

この文でとうとう「好きではない」から「大嫌い」になったわけだが、この文から後の自分感情はよく覚えていて、わけがからなくなったあととても気分が落ち込んでしまったのだ。嫌いなの?好きなの?なんでアンチ?追いかけるの?応援してくれてるの?様々な感情が私の中をぐるぐると渦巻いて吐きそうになった。そしてその方は続けざまに「本人はどう困るとか、もういっそ自分の考えに振り切って、アンチから嫌がらせもするしストーカーからいかます」と言い放ったのだ。

私はどういうことかもっとからず、何故こんな本人が見ると分かるであろうときにわざわざこの文章を書いたのか必死に考えたし全然今も分からない。振り向いてほしいのか、嫉妬心を燃やしているのか。そういえば私の作品が魅力的だとよく言っていたな、だなんて脳裏を過ったがそんなものはかき消える。

ただ、私はその人に初めて今迄持っていなかった「不快感」と「嫌悪感」を覚えた。それだけであった。

呆然と反応もしないうちにどうなったかといえば、先に私の別のフォロワーさんが食って掛かったため、戸惑いながらも対応するうちに発した本人から私へ謝罪DMが送られてくるという、さながら焼け石に水といったところである。そのDMの内容というのも今思えば滑稽なのだが、長々と言うのも面倒なので要約すると「自分がほれ込みすぎてアンチになったのだが気を悪くしたのであれば謝りたい」とのことだった。

じゃあ何故言ったんだよ!いくら呟きだからといっても訂正がきかない独り言だってあるんだよ!!

本当はもう大嫌いになったので金輪際関わらないで下さいといっても良かった。DMで言ってくるのも癪に障った。ツイート発言したのなら同じツイートで見て不快になった可能性のある方全員に謝ってほしかった。でも私はそこをぐっとこらえて、波風を立てないように優しく、気を付けてほしいと諫めた。

今思えばあのときすっぱりとブロックでもすれば良かったのかもしれないと思う。

私は優柔不断で、もしかしたら明日起きたら嫌いになってないかもしれない、忘れてまた楽しくおしゃべりできるかもしれない、そんな文章だけで人を判断して嫌いになるなんて、ただの呟きひとつでと自分に言い聞かせていた。ブロックでまたもめるのもめんどくさいとも考えた。いまもそうである。おかげでミュートにしてそっと距離を置く程度しかできない。

刺さった言葉はあれからずっと、ふとした瞬間に心を痛ませる存在となり自分作品に自信が持てないときや意欲がわかないときやつらいとき言葉を過らせる。そしてその人のことを無理にでも思い出される。あの不快感嫌悪感と共に、思い出したくない感情と共に。それがまた苦しくなり、もっと嫌になる。負の連鎖が続く。

そういう訳できらいになった。

あなたのことが、あの人のことが、大嫌いになった。

関係を戻りたいと言われたあの楽観さやすべてに苛立ち、大嫌いになった。

わたしはずるいので、直接は言いません。あなたが遠まわしに私を困らせ、苦しませたので同じようにずっと遠まわしに言いましょう。

そうして同じようにDMにて謝罪しましょう。とびっきりの長文で、あなたを好まなかった文章の形も言いましょう。


そうしたら、この苦しい感情や嫌な感情とお別れできるのだろうか。

その方の手から生み出された私の大好きなキャラ作品を愛することができるようになるのだろうか。

2018-10-12

転職エージェント

はっきり言って検索邪魔

こっちが真面目に読んでたブログ記事結論

唐突なリク●ートとかD●Daとかの登録キャンペーンだったりすると本気で腹立つわ

anond:20181012143909

これはわりとよいクソバイスかも。そうゆうやつは女に無視されることに慣れきってるはずなので、唐突無視してOK

anond:20181012101758

優しそう・おっとりしてる・話すスピードゆっくり というのはよく言われる。スキがあるように見えるかも。

嫌な気分にはなるけど、例えばノコノコパーティについていったとしても身の危険まで感じるわけじゃないから、そこは女性より全然マシだと思うし、

男ばっかの勉強会女性エンジニアが入っていくのに比べたら狙われる率は低いし全然マシだと思うよ。

友人のコミュ障美女エンジニア腕力弱そうand怒らなそうというのもあり、変な人におモテになるようで大変というのをきいたよ。

の子LINEとかの切り方がうまいというか唐突で、徐々に気力を削いでいくとのこと。話の途中でも断わりなく眠くなったら寝る・風呂入る時間には風呂はいるなど、生活を優先して、かつ間が空いたらそのままにしておくとのこと。ポイント必要な連絡すらもそこで放置してしまうこと。必要な連絡なら特に障壁もなく再度相手から連絡できるんで。

そういう愚痴とか防衛法を話せる人が周りにいるとガス抜きにもなっていいかもね。

2018-10-11

anond:20181011205633

すごい。

語義の間違い、条件の後出しシチュシナリオ自己完結唐突主語や客体の転換、括弧の非統一用法

見本として残し続けるべきすっごい頭の悪くなりそうな文章

2018-10-09

何故、社会学英語査読を受けるべきか?

anond:20181008215814

言語だけで問題視はしないが、批判されている社会学については英語論文を書いて、世界から査読を受けるべきと思うと、工学系で研究をしている人間として言っておきたい。日本語だって研究は出来るとかいうのは、批判本質に対しては無意味論点ずらしでしかないんですよ。

http://dlit.hatenablog.com/entry/2018/10/09/081143

とは言っても、人文系でも査読される事が重要になってきている様だし、「査読理系だけのローカルルール」とのたまっていたのは馬鹿な繰り言だと分かってホッとはしました。千田先生が学んだ社会学批判を機に変わって貰いたいですね。学者と呼べるのか?と感じる人間排除される様な変化を期待したい。

自身研究の質を高める為には、優れた先行研究存在は不可欠

唐突ではあるが、皆さんは、工学研究者が年間に何本程度の論文を読むと思われるだろうか?ここで言う、読むという行為再検証実験自分で出来るレベルに落とし込めるという前提でです。時間がある博士課程の学生で、なおかつかなり優秀と言われる人で150も読んでいれば相当なものです。不慣れなもの論文から何をどう作ればいいのか?を理解するのに要する時間は一月にも及ぶかもしれません。斜め読みまで含めれば、修士学生でも、最低50本程度は読んでいるでしょうが、逆を言えばそんなものです。斜め読みで済ませることが出来るのは、論文の質が担保されているからですね。

一方で、自分の専門領域についての論文は、毎年、大量に発表されます。もしも査読がなく、国際学術誌や国際会議ランクけがなされていなければ、玉石混交クズ山の中から自分研究引用すべき論文について、その妥当性を再検証するだけで膨大な時間必要としてしまますね。査読学術誌の採択難易度によって、論文の質が担保されている事が如何に重要か?お分かり頂けるでしょう。レベルの低い会議の採択論文や、査読なし論文などは、僅かな例外を除いて通常は再検証されることなく消えていきます。高いレベル査読を通って採択されている事は、再検証する手間をかける価値証明になります

論文評価には被参照数という軸があります。いい研究であれば、数百の論文から参照されます。参照されるという事は同業者による再検証が行われているということを示しているので、手法妥当性が分かるのです。恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。非効率すぎて耐え難いという気分に、個人的にはなります

何故、社会学英語査読を受けるべきか?

査読と被参照数の話をしました。これによって完全とは言えないまでも論文の質が担保されるのは、世界中の同様の背景を持った研究者たちによって、その仕組みが共有されているからです。査読を受ける者も、査読する者も、何度も何度も査読に関わって来たという実績を持っていて、厳しい目で評価を行いあっている事が前提にある。私が社会学英語査読を受けるべきと言う理由はここにあるのですね。

社会学者が、査読なしの招待論文 > 査読された論文 という認識であることは、幾人かの社会学者が言っている事です。実際に社会学者の履歴をみても査読付き論文殆どない事も指摘されていますね。そういう学者たちの査読に何か価値はあるのだろうか?と思う訳です。一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。故に、査読されない研究者同士ではなく、査読が当たり前になっている世界評価評価を受けるべきだと考えます工学系では国内学術誌は相当に軽視されますが、英語日本語かは大きな問題であるとは思いません。査読が当たり前ではない世界から査読が当たり前の世界に出て評価を受け、実力を証明せよという事です。その為には、英語を使うのが妥当なのでは?

という風に思いますね。

日本語かどうか?は本来は(日本語のみの会議レベルが低いとしても)重要問題ではないけど、日本語で閉じている限りは社会学学問と呼べるだけの再検証性を備えていないのではないかと言う疑問を改めて提示しておきたい。私は、少なくともジェンダー論を学問とは思えなくなっています

2018-10-08

嫌なら先に言ってよ

って思ってたけど、嫌なことって唐突にやってくるのな。

ごめん、私が悪かった。予め言っておくなんて無理だ。

キズナアイ問題どこまで行くんだろうな

のうりんのアレもそこまで表に出ないで沈静化されたし今回もネットの一部でのボヤで終わるのかな。

個人的には今回の騒動はアホくさと思ってるし、ホッテンに上がってるのを見ると付いているであろうブコメの論争を勝手想像して疲れる。

もう見てるだけで疲れたので、自分の思っていることを適当増田に吐いて明日からもっと明るい話をブックマークしよう。

一連の騒動で思ったことを無理やり詰め込んでるので、話が唐突だったり繋がってなかったりすると思うけど適当脳内補完してください。

自分としては今回の騒動はその辺にあるネット炎上案件の一つに過ぎないけど、もしかたらここがターニングポイントになって後のネット上の大きな対立構造が今この時確立されるんじゃと思わなくもない。

その対立構造

フェミニスト vs ミソジニストなのか

フェミニスト vs オタクなのか

男 vs 女なのか

若者 vs 年寄りなのか

は分からないし、こんな簡単カテゴライズで済む話ではないのは分かっているけども。

個人的には「解説男性女性は聞き役に徹しろみたいな風潮考え直しませんか?」的な話には同意なんだけど、「キズナアイNHKの今回の聞き役に相応しくないだろ」的な意見は間違っていると思ってる。

事の発端の社会学の人はあくまNHKを叩いているんだと言っていたけど、どう見てもオタクキズナアイも一緒に叩いていたし、オタクに叩かれてキズナアイ叩きは本質じゃないと言うにはちょっと無理があると思う。

で、ここでいうオタクって多分男で2次元大好きなキモメンの事をイメージして使ってるんだろうなと雰囲気で察してたけど、「ファッションオタクが増えたよな」とオタク同士が言っているように

アキバ適当に歩いてても目につく様に電車男時代ステレオタイプ的なオタクって全体の比率的に減っていて、その辺の高校生も「俺オタクだわwww」と自虐なのか自虐に見せてオタクステータスみたいなよく分からないことを言ったりする。

しかも、オタク=男の概念ちょっとずつズレてきていて、動画サイトの普及なんかで女性でも普通に深夜アニメの話するようになってる。それが10年前自分高校生だった頃の認識。今はもっと若者に普及していることだろう。

はてなではなぜか女性オタクという概念無視されているように感じていて、女性オタクって腐女子の事でしょ?みたいな人も割といると思う。

でも女性でもオタクコンテンツは好きだけどBL別に…って人自分の周りに何人もいる。

そういった人たちに対して「オタクコンテンツオタクちんちん気持ちよくなるために作られている女性の敵だ」みたいな事言っても意味が無いと言うか、女性オタクコンテンツを好きになってはいけないのか?みたいな別の話になってくる。

自分はその立場にいないので全くわからないけど、女性オタクの人たちは今回の騒動を「オタク」側で見ているのか「女性」側で見ているのかどっちもなのか知りたい。誰か教えて。

そういった背景を無視してオタクキモメンを前提に「オタクは~」と言い出すと必要以上に多くの人を参戦させるし、実際意味もなく炎が各所に広がっているのを見るとそうなんだろと思う。

あ、勘違いしないで欲しいのは別に最近一般人オタクコンテンツに触れてるからオタクキモメンじゃないよ!」と変な擁護をするつもりはないよ。

こんなところでオタクキモオタだけじゃねぇ!みたいな事を言うヤツの滑稽さは知ってるつもりだからキモオタ現代にもまだ存在する。そこの意識を変えるつもりはない。


そんでもって最初の方に書いた「女性は聞き役というジェンダーロールを変えていくべき」については自分は何も言うことはない。それは正しいと思っている。

だけど「キズナアイ性的な特徴を持っているのでNHKに出すな」的な意見については間違っていると思っている。

ただし、そこから先の「キズナアイ性的なのか?」の話は各々の「性的」の閾値が異なりすぎていて面倒くさいので、今回は省略する。

ぶっちゃけkawaiiエロイの明確な線引が自分にはわからない。ちなみに自分の中ではキズナアイkawaiiに分類されている。

そして、例えキズナアイエロいのだとしても(エロいの程度は人それぞれだけど)、今の状態キズナアイNHKに出演しても何もおかしくないキャラと見た目だと思っている。

しろ少しでもエロい要素があれば表に出してはいけないという前提がおかしいと思う。それこそサザエさんなんてパンツ丸出しの子がいても国民アニメだし。

18禁でない以上、そこから先の「相応しいかどうか」は主観の話だし、自粛するかどうかは出す側の問題だと思う。

そしてそれはあくま自粛であり、「表に出してはいけない物」ではないと思う。だから自分は一部がどう言おうとキズナアイNHKに出てもいいと思っている。

例えばこれから股間が不必要モッコリしているBLVTuberが出てきたとして、NHK教育番組に抜擢されたとしても「出すべきではない」にはならないと言うのが自分意見です。

世間からキモいという意見は出てくるかもしれないけど、それはあくま意見であって「出してはいけない」理由にはならないしなってはいけないと思う。

しかすると案外LGBT配慮した素晴らしいキャラとして讃えられたりしてね。

個人的にはおっぱい性器ではないので俗に言う乳袋に対して股間モッコリならどうなんだ!って意見ちょっと違うと思っている。

自分のこの騒動に対しての立ち位置とか書いちゃったけど、何が言いたいかと言うと、この話このまま進むと

フェミ vs 男、もしくはオタク」のシンプル対立構造と思って戦っていると「オタクコンテンツ親和性のある若者(男女共に)」という第三の軸が加えられて、若者との分断が広がり更なる地獄に発展するんじゃないのって危惧です。

考えただけでも疲れる。はてなと一部の界隈だけで収まらいかなこの話。

キズナアイ批判新潮45小川論文

どこが違うの?

唐突に、わたしにとってはポルノとか性的嗜好披露しだす奴も居るし、これもはや同一では?

ツイッタージャパン廃刊要請に備えて土下座老人をすみやかに準備しておくように

anond:20181008121857

問題なくすり合わせてる中で唐突に「私たちの視界から消えろ!でなきゃ差別だ!」と極端なことを言い出した人たちがいるので…

2018-10-05

"萌え絵性的搾取される"を考える

思考過程メモです。雑多な点は御容赦を。

前置き

落ち着いた頃合いなので掲題の語の意味について考えてみたい。(と書き進めていたがまた盛り上がっているようだ)

そもそも性的搾取される」という語の頭に「萌え絵で」は結合するのか?という日本語的な疑問はあるが、まずはこの用語自体が示す意味を考えたい。

性的搾取される」とは

まずは後半部分について考えてみたい。

安易イメージだが、たとえば「多額の借金を背負ったため風俗で稼ぐ」といった状況を指すと解釈する。

その原因の理由関係なく、性というプライベート領域に対して実質的自己決定権を持てない状態(=本来自分自身が持つべものを不当に奪われる)を「性的搾取される」と表現するのはイメージとしても理解できる。

よって、

 例文:「私は性的搾取されている」

違和感は無い。

(補足)ただし

 例文:「AV女優性的搾取されている」

はいわゆる「主語が大きい」に該当する不特定多数表現で認められない。「日本一を取って目標が無くなった」という言葉を残して引退した女優までをも「被害者」と括るのは余りに失礼というものだ。

萌え絵性的搾取される」とは

前項の理解ベースにすれば多少はイメージが……と思ったのだがやはりまだ難しいため順番に考える。

萌え絵で」とは

まず「萌え絵で~」の「で」は動作作用手段方法材料などを意味する格助詞である。言い換えれば「萌え絵を使って~」となる。

萌え絵を使って」搾取するのは誰か

ここからが難解である。たとえばここで「男性全て」が搾取なのだとするのはあまり乱暴というものだろう。

では出版社だろうか?

性に関する書籍は多くの出版社が発行し、利益を上げるのだから可能性はある。しかし巻き上げているのは金銭であり、支払っているのは購入者だ。また、出版社自身非難されるケースは目立たない(主にオタク男性非難対象となるケースを観測する)。

絵の描き手だろうか?

男性男性らしく、女性女性らしく描くことが非難されるのだとしたら誰も絵を描くことはできまい。また描き手についても直接非難されるというケースはあまり見られないように思う。また描き手には女性も多く、後述の通り何を搾取するのかという疑問が生じる。

萌え絵を好むオタク男性だろうか?

描き手でも無く、出版当事者でもない、一消費者に過ぎないオタク男性槍玉に挙げられるケースが多いので挙げたが、ここに至るロジックはどのようなものだろうか。

搾取されるのは誰か

これもまた難解である

当該用語に関して「当事者は私だ」と発言した女性いたこから萌え絵を見た女性個人」が搾取された者(当事者)だと解釈するのが自然と思われていたが、中には「この女性キャラは嫌がっているのにセクハラされている。これは性的搾取だ」という用法もあり、「萌え絵キャラクタ自身」が当事者とする考えもあるようだ。順に検討したい。

性的な何を搾取されたのか(パターン1)

萌え絵を見た女性個人」は萌え絵を見ることで、性に関する"何か"を搾取されたということになる。

だが当事者は当然、萌え絵を見たが為に性を切り売りする労働に就かされてはいない。よってそれに類するような感慨を指すものと思われる。

しかし繰り返すが、当事者であることろの萌え絵を見た女性個人は特段"何もされてはいない"のだ。

何もされてはいないが「搾取された」と謳う、ここにこの用語理解を妨げる最大の要因があるのではないか

性的な何を搾取されたのか(パターン2)

パターン1のような感慨に至る原因の思考実験も兼ねる。

性的な部分を"強調"された(なお一般論として絵は特徴を強調する)絵を見ることで、絵のキャラクタへ自己投影し、自らが不本意に辱められている=性的な要素を搾取されたと感じる(冒頭のイメージに近い状況と認識する)ことから、「萌え絵性的搾取される」と形容された説はどうだろうか。

絵のキャラクタの人権にまで思い至らせる豊かな発想力は大切にして頂きたいが、自己他人(人ですら無く、絵だが)の境界認識がまず必要では無いかと考える(ちなみに作品キャラクタが自我自己を持つことに興味関心があるのであれば Re:CREATORS あたりがお勧めです)。

ここまでのまとめ

心情として、「不本意にも性的労働従事するようなイメージで自らの性を搾取される」ことを指すものだと推測したが、これが「萌え絵を見る」ことで引き起こされるロジックの解明が必要と考える。

またその原因として、オタク男性が(恐らくは)搾取する側として定義される点も不明である。なお需要供給観点、即ち「オタク男性存在するから彼らが好む不埒萌え絵が量産され、良心女性を傷付ける」とする桶屋理論はあまりに短絡的であり、オタク男性は全て滅ぶべしの結論に至るのみでいうまでも無く時間無駄である



余録

キズナアイ性的搾取、以前に性的なのか

幾度も繰り返されてきた議論vtuberも参戦(被害)とは、隔世の感がある。

性的では無い」といえば「オタク感覚麻痺している」と返ってくるのもまたテンプレだが、たとえば自分ゲーム等の影響でレーティングについては下記の認識を持っている。

  R18:モザイクが登場する・性的行為の直接表現

  R15:乳首は見えるが行為は間接表現に留まる

  全年齢:乳首は見えず(描かれず)行為は婉曲的な表現(俗に言う朝チュン

これに照らせばキズナアイは全年齢表現であり、それ以上でも以下でも無い(アクション映画だと思って家族全員で見てたら唐突に濃厚なベッドシーンが出てお茶の間を凍らせるハリウッド映画こそきちんとレーティングして配慮頂きたいぐらいだ)。

胸の形が、上目遣いが、と言われてもそんなエロ目線で見ることができるのは根本的に視座が異なるためで相互理解不可能と考える。オタク受けしかしないキャラクタを人前に出すなという主張であれば起用した企業に言うべきだが、起用した企業がそのキャラクタのファン対象とした企画を立てたのならば「不満を持つ人達対象では無い」で終わる話だろう。

ゾーニング万能論について

これを唱える人は世の中には「良い表現」と「悪い表現」があり、両者は明確に区別分別可能であると思っている節がある。

このため「悪い表現」をゾーニングすれば「良い表現」だけが残り、世界平和になると考えているようだ。

ゾーニングして「悪い表現」が消えれば次の「悪い表現」が見つけ出されて消え、清く美しくなっていく世界をお望みとは世も末である

男性器を強調された表現を見たらどう思うのか?

性的搾取議論におけるテンプレの一つだが、個人の好みによる感情以外は特段どうも思わないケースになるのではないか

というのも、多くの男性男性性器を"息子"と称していることからも、男性基本的に"息子"には寛容であると思われる。

そういえば男の娘ふたなりジャンルは一体どちらの性を搾取しているのだろうか?という疑問に気付いたが俎上に乗ったことはあるのだろうか。

2018-10-03

低能先生としては、やりとりしたつもりだったんだろう

「前にも教えてやっただろ低能」とか唐突に言い出す人だったし

2018-10-01

コミッション】SKIMAは初心者にも扱えて親しみやすいという話

前回の日記が界隈で若干賑わいを見せてしまったために、「SKIMAって危ないところなんだ」という印象をあらゆる方々に植え付けてしまっているかと思われる。

正直、版権作品二次創作の出品が可能だったり(出品者個人ではなく企業として訴えられたらどうするつもりなのだろう)、相談コンテンツでたまに見る風俗勧誘きな臭い取引を野放しにしていたり、葉星ヒトミ事件だったり、色々と危ないところはあるのだが、それだけではないことを書き記しておきたい。

その前に、以前の日記で書いた仲介料だが、運営費として活用している「利用料」が正しいことを記しておく。つまり円満解決してもしなくても、名義上は関係ないようだ。

個人日記とはいえ勝手悪名を売ってしまたことをお詫び申し上げる。

(それでも金銭が絡んでいる時点で、問題を完全に放っておいて自分達にダメージがないと考えるのはかなり悠長な気もする。もし被害者側が一般にも名の知れた大きな会社だったらそれなりの痛手があったのではないだろうか)




SKIMAは全ての機能直感的に扱える。

ジャンルバラつきすぎておらず、さっぱりとシンプルでいて堅くないデザインは、出品者側としても購入者側としても好印象だ。

仲介料ではなく利用料を取っているためか、自社関連以外の広告は一つもなく、例の浮かび上がってくる広告等もないのでストレスを感じさせない。

入力の面倒さを感じさせることはなく、金額入力においても手数料差し引かれた分を即座に計算してくれる。

商品サンプルは自動的にある程度劣化・切取が行われ、無断転載に対する予防にも買っているかと思われる。

イラスト特化型と自称していたこともあり、イラスト関連の商品ジャンルは他のサイトに比べて多岐に渡っており、ごく特定ジャンルのみ受け付けることも可能である

ギャラリーという機能には、商品サンプルとは別にサンプルを掲載できる。

個人的にはこれが一番の強みだと思うが、ギャラリーには制作時間入力することによって、大体の時給を換算してくれる機能もある。初心者にはかなり良い目安になる。

イラスト技術は長年の積み重ねにより形成されていくため、それが安いと思えば参考にしなくても良い。ただ、右も左も分からない人間には有難い機能であることに違いない。

リクエスト機能も非常にとっつきやすい。

この機能は出品者側が商品を出品するのとは逆に、購入者側が依頼を提示して出品者を募るというものである

コンペディション式、プロジェクト式と二種類あり、プロジェクト式は出品者側の自己PRのみを送る形だが、なんとコンペディション式は完成品のサンプルを事前に見ることができるのだ。

その分、コンペディション式はキャンセルを行なった場合キャンセル料というものが発生するのだが、一発でお気に入りの絵を見つけられる絶好の機会でもある。

他のクラウドソーシングサイトにもリクエスト機能はあるのだろうが、SKIMAのシンプルで見やすデザイン商品の良さを更に引き立てるのに一役買っている。

また、利用料についてだが、前回述べた通り20%。少々値は張るのだが、金額が上がるにつれて15%、10%と下がっていく仕組みだ。

当然そこまでの金額にすると顧客はかなり狭くなるのだが、とても有難いシステムであることは間違いないだろう。

利用者に関しても、今回の事件で減ってはいるのだが、それでもSNSアイコンはゆうに3000を超える出品があるあたり、まだまだ根強く、多種多様絵師がいる。

必ず好みの絵師出会えるとは限らないかもしれないが、検索仕様豊富であるため、理想に近い絵師出会えるだろう。



如何だっただろうか。

まだまだ魅力はあるのだが、前回の日記が思わぬ広がりを見せているため、急拵えではあるが思いつく限りを書き記してみた。

「その機能は他のサイトにもある」と言われるかもしれないが、見方を変えれば、「土台がしっかりしている」とも言えるのではないだろうか。

切り出しが前回と似た形になるが、これから数々のクラウドソーシングサイトが増えると思われる。

それでもSKIMAは今現在知名度デザイン性で圧倒的な居心地を感じる場所だ。

たまに質問や問い合わせへの回答が適当になったり、規約サイレント変更したり(バレてちゃんと表明した)、唐突コンテンツを追加したり、運営運営自身の尻拭いを出来なさそうだったりするが、なんだかんだと言いつつこから一年は続けるかも知れないので、一利用者としてより良い運営を目指してくれることを願おう。

書いている途中でSKIMAを確認すると公式アナウンスが表明されていた。利用者としては有難いことなので、一年と言わず二年くらいは続けてもいいかもしれない。

事なかれ主義な面も見受けられたがしっかり良い面もあるので、初めての方は一点だけでも商品を出品しに登録するのも良いし、退会した方もより良い環境になれば戻ってきても良いのではないだろうか。













前回の日記当人が見てしまったのか、トミーウォーカー側の被害者にも謝罪をするそうだ。謝罪文とは名ばかりの言い訳を並べている彼女文章ちゃんとした謝罪を述べられるのかどうかはわからないが。

深い意味がなく購入者プレイヤーを怒らせていた時点でもう滅茶苦茶なのだけど、どうなるのやら。

それと前回の日記だが、まだ一日もたっておらず全くブックマークコメントもなかったのにも関わらずどこから見つかったのか。当人ツイッターでひたすらに隠蔽を図っている理由を少し理解できたかもしれない。

そのように半端に隠すから更に広まるということは、当人はわからないのだろう。自分自重すると言いつつ普通にココナラリクエスト提案してるそうだし。

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

anond:20180929142018

3)

ゾーニングディスプレイ販路に影響し当然売り上げに響きジャンルのものの衰退を呼ぶ。


まず念のため。私は特別エリアを区切ったりといったゾーニングを求めてはいません。

写真にあったラノベで一番扇情的とされた表紙も書店ディスプレイ配慮する以上の必要は感じません。

シュナルムの写真はある書店レジ横の平済みにたまたま少々扇情的ものが多かっただけだし

アニメ扇情性のある絵が特にキモがられるのは、性的なだけじゃ無く「不気味の谷」も関わっていると思うので。

それにシュナルム自身ツイートにも「(R18のように)売り場を分けろ」や「規制を掛けろ」といった要求は見つかりませんでした

どちらかというと、そういうこと言っていたのは湧いてきた「シュナルム同調派」と、オタク界隈の「自主規制派」でしょう。

私自身がアフター宮崎事件オタクパッシング幕張メッセコミケ拒否を実際に体験してきて、

自主規制しないと潰されるという危機感を植え込まれてる世代ですし、自主規制派の気持ちも分かります

でもゾーニングはもう今の時代には不要でしょう。のうりんだってコラボは無くなりませんでした。

文脈が読めない人に農業より性的イメージを与える「唐突意味不明な」ものだったのがデザイン的に悪かっただけで、

もし良田胡蝶がトラクターに載っていれば、上気してほてった顔も労働のもの健康的に見えたんじゃ無いかと。

ただ、相手発言要求していないことを「そのうちエスカレートするかも知れないから」

すでに言ったも同じだとするのは、議論としては「ルール違反」ではありますよね。

それに同調者の発言同調のもので分けないと、ネトウヨ相手からの決めつけレッテル)VSパヨク(〃)のように

お互いに先走るバカの「仲間」だから同罪だと決めつける地獄になりかねないですから

じゃあシュナルムの主張は正しい認めるのかと言われればそんなことは無く、不当性があると思います

一番のポイントはみんな言ってますが「性的消費」のフレームを持ち込んで、ラノベ容認する人々を加害者だと決めつけたこと。

そもそも性的消費論自体詭弁一種だし、ここだけ叩けばいいんじゃないでしょうか。

なので、「シュナルムは言論弾圧はしていない」が「オタク性的搾取者と貶めたのは暴論」が私の理解です。

あれを言論弾圧にまで拡大解釈するのは、それこそ『オタクお気持ち案件になるんじゃ無いでしょうか。

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