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はてなキーワード: 筆記試験とは

2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

2023-06-22

anond:20230622172337

本当にこれ。文系でも文学部じゃ就職先ないと法学部を受ける女子が増えて、例年よりもかなり多かった。

それでもいざ就職活動が始まってみれば、女子というだけで筆記試験すら受けられない人が続出。

心折れて資格試験に流れた女子の多かったこと。

それでも法学部はまだ潰しが効いたから良かったかもしれない。

anond:20230620104704

就職氷河期世代でも、最高に酷い扱いを受けている世代がある。

卒業したら新卒扱いされない世代だ。

就職難が社会問題になり、卒業数年までを新卒とみなすようになるまでの世代の人たちは、大変な苦労を強いられた。

私が大学1年の時の4年はまだ内定拘束があったり、交通費を出さな会社ケチ揶揄していた時代だったが、

私たち就職活動する頃には、もはや交通費は出す会社が珍しく、そもそも採用しない会社がちらほらあったり、採用しても人数を絞っていた。

急速に減ったパイ学生が群がってくる。

そうすると当然、有名大学の学生でも内定が取れない人が出てくる。

そうして卒業した人は、たとえ東大卒であっても新卒採用を受けられなかった。

私は有名私立法学部にいたが、語学クラスの半分が内定を取れず、

新卒扱いで再度就職試験を受けるためだけに留年したり院へ進学したり、心折れた人たちは公務員試験や書士・司法試験へ流れた。

この問題私たち卒業後数年で解消されたが、

うっかり卒業してしまいその後も正社員の職にありつけなかった人たちは、そのままずっと非正規雇用人生を歩み続けている。

やっとの思いをして司法試験に受かった人で、弁護士になった人たちもあまり順調とは言えない。

そもそも入学当初から司法試験を目指して目指して予備校通いしていた人たちとはスタートが違うので、

合格に何年もかかった人も多い。新司法試験になってようやく受かったという人は珍しくない。

それらは旧司法試験合格から馬鹿にされたりする。

司法試験改革合格者数を増やしたが、裁判官検察は増えなかったので、弁護士が増えすぎてしまい、

相対的に儲からない仕事となったのは今の有様を見れば分かる通りだ。

この時期に司法書士を取った人は勝ち組と言える。

その後の司法書士が扱える業務が拡大したことにより司法書士の人気・収入が上がり、一時は司法試験よりも合格が難しいと言われるほどになったからだ。

大学院に進学した人たちは悲惨だ。就職浪人のつもりだった人はともかく、博士まで行った人たちのキャリアは完全に詰んでいる。

氷河期世代教授になれた人間ほとんどおらず、世界100人博士だったら、という話まで出てくるぐらいだ。

ポスドク年収は大体300万もあればいい方ではないだろうか。

うまく行って准教授という名の短期雇用で、例え東大准教授になったとしても、数年で無職となる。

上が詰まっているので、教授になれるのはごく運がいい人か、よほどの実力者だけだ。

40代半ばで助教授になれなければ教授になれないと言われていたのが90年代だったので、

今後、研究者を続けられるかどうか以前に、生活できるかどうかも怪しい状態に置かれている。

追記

それでも有名私立実学系の学部にはよそよりも有利な点があったと思う。

ゼミ教授からコネや、リクルーターになった先輩から勧誘など。

リクルーターは今でもあるかは知らないが、銀行保険などの金融系の業種であったもので、

正規新卒採用ルートとは別に入社1年目の人たちが後輩のめぼしい人に声をかけて、

会社の人と会わせて非公式面接を行うというものである。ここで内定がきまると楽だった。

今の学生サークルに入らないというが、こういうリクルーターコネサークル経由でもあり、それ目当てでサークル所属する人もいた。

また、筆記試験に行くと、「ここにいるのは全員早慶東大の人たちですから名前を書けば筆記は通過できます」なんて試験官が言うこともあった。

内定拘束も今はないかもしれない。ライバル会社就職面接に行かないように、内々定を出した学生入社1年目の社員が呼び出して、

あちこち連れ回して行動を拘束することである

映画を見たり喫茶店へ行ったりとあったが、中には相撲を見に行ったと言う人もいて、

相撲接待を笑っていた。当然その費用会社持ちだ。

氷河期とは言ってもおおらか(大雑把)な時代だったなと思う。

2023-06-04

anond:20230604135022

ワイが権力持ったら全政治家に主要都市医大レベル筆記試験やらせ一定の点数取得できなかったら、今まで払った給料全額返金させて辞任させる

そして特定宗教関連や世襲議員死刑にする

2023-05-28

anond:20230528121739

それは本人次第だと思う。工業高校には一部上場企業からも沢山求人来てて、そのうちの1社から内定もらって働いてます

ただ、当時の同級生たちは「ここは面接だけでOKから、ここに決めたぜ!」みたいな感じで零細企業就職先決めてた。(そして数年後業績悪くなって倒産

大手への就職大卒の人ほどではないけど、複数回面接筆記試験があった、これをクリアできるなら高卒でもやっていけるよ。

がんばれ!

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

2023-05-23

ジェンダーレス徒競走何が悪いのかわからんやでという話

同性同士でやっても遺伝的な体力差で勝敗に影響でまくってるのに男女間の遺伝的な差で結果に差が出るのだけ問題視するのが謎すぎる

筋肉が発達しやす染色体持った人が勝つのNGで足の速い遺伝子を持った子が勝つのOKなんてことあるか?

競争に負ける人が出てくるのが悪いなら性別でも身長別でもどういう分け方にしようが敗者が出るから徒競走含めすべての競争やめるしかないやん

習字とか絵とか教室に張り出して上手下手の差をあからさまに見せつけるのもやめるべきってことにならんのか?

徒競走だろうが絵だろうが筆記試験だろうが「2位以下じゃダメなんですか?」ってワイの中の蓮舫さんが連呼してるやで

2023-05-20

anond:20230520192958

最近医学部気高いし、筆記試験以外の進学ルート増えてるから、そのうち容姿学力の相関も崩れていきそう

男になったこと無いから男の性欲の感じが分からない

というか他人になったこと無いから他の女の性欲が分からないが

私はよくエロいことを考える

テレビダウンタウン松本意識ミルフィーユ状になっていて、真剣仕事をしている層もあるが、常にエロというクリームがある(意訳)と言ってたが

まさにあれだ

最近とある試験を受けた

試験会場ではスタッフ複数名いた

私にとってこの試験人生の一大事だったので死ぬ気で取り組んだ

しかし印象に残っているのは案内役の男性(同年代らしき男性)のエロさだった

筆記試験終了後にある面接では、その人が一人ずつ呼びに来て別室に連れていく

席まで呼びに来たその人を見て私は「なんてセクシーなんだ」と思った

その後面接なので緊張していた

その人の後ろをついて歩いて行き、時々その人が振り返ってここを右に曲がるだの足もと気を付けてだの言うのを見て

いったいこの人のセクシーさはどこから来ているんだ、顔か、髪か、声か、雰囲気か、あっ全部か

などと考えていた

面接室に入るとさすがに目の前の新たな面接複数人に注意が向いたが、その中でエロいことをしたいと思う人はいなかった

面接官は圧迫質問をしてきた

これが効いてしまって、一気に不快感疲労感に襲われた

うんざりして部屋を出るとその人は扉のそば椅子に座っていた

その人は私に「おつかれさまでした。出口はあちらです」と声をかけた

少し困ったように眉毛を下げているが、微笑しているように見える

ああなんてセクシーなんだと思った

その試験には合格した

その人は今の所会った事は無いが、近いうちに会えるらしい

真剣に真面目な態度で話を聞くけど、でもたぶんずっとエロいこと考えていると思う

2023-05-17

医者って最強だよな

医療行為なら人を殺しても無罪なんだから合法殺し屋じゃん 『懸命に救助活動した者は罰せず』が裏目に出てる。

いや流石に根本的に手作業向いてない人とか論外だろと思うけどそんな藁にもすがらないといけない位に人出不足で医者志望も居ないんだろうな。

6年学校通って筆記試験するだけでしょ?俺も医者になって回りから先生って崇められたかったわ。竹田くんが出来るなら誰でもなれるだろw

2023-05-16

anond:20230516163251

公務員試験考えてました。筆記試験は内容見る限り全く問題無さそうですが、出身県や地元自治体面接カード口コミを見たら学生時代の取りくみや志望動機、なぜ民間じゃなくて公務員かという点についてかなり深く掘り下げられるとありまして、筆記ではなく人物をかなり重視するともあったので難しそうです。

2023-05-08

政治家立候補する段階で教養を示す筆記試験をなぜ課さないのか?

誰が立候補してもいいけど、教養基本的政治の仕組みも理解してなくて、そんな人間税金支給するっておかしくない?

おかしいだろ

なんでそんな当たり前のことをやってないんだろう?

これやるだけで多くのポンコツ世襲や、老害議員売春議員とかもフィルタリングできるんだぜ?

日本復活はこれしか方法はないと確信している

2023-05-03

中学高校を律儀に通っていたことを未だに後悔してる

頭が悪くて不細工運動神経も悪かったので教師同級生からゴミみたいな扱いを受けてた俺は、学校環境が堪らなくストレスだった。

学校に行くだけで酷くストレスだったのて、高校定時制に行って自分のペースで勉強たかったが、親に拒否され、ゴミみたいな中学の成績を抱え近所の底辺高校入学した、高校に入るとみんな比較的落ち着いていて、女の子ゴミ扱いされることしかなかったので、同級生に殴られることもなく平和に過ごせた。

俺の社会性は中学でバチボコにぶっ壊されて、高校では壊死していてもう社会に何も希望を持てなかったので働きたくなかった。親には「2年で公務員になるから浪人させてくれ」といって公務員浪人をさせてもらった。

2年間、公務員試験過去問を解きまくった俺は最寄りの市役所筆記試験突破し(一年目は厳しかった)、同級生からゴミみたいな扱いを受けて社会性が壊死していた俺も元々は人好きで人懐っこい性格だったので、年配者の多い二次試験面接スムーズパスし晴れて市の正規職員になった。

振り返ると中高の6年間は俺にとって何もプラスになっておらず、教育機関を離れた途端好転し始めたように感じる。

学校がしんどかったけど、行くたびに慣れてくるやつ」も中には居るんだろうけど、俺は行けば行くほど疲弊していた。中学の頃、俺の母親小学校同級生の親御さんから増田くん白髪すごいあって顔が疲れてたけど大丈夫?なんかあったの?」と心配していたと言っていた。たぶんうちの親も狂ってるんだと思う。学校に通うストレス身体に出てる息子の心配よりも、息子が不登校やレールを外れる心配が上回るのだ。家にいるのは学校にいるよりマシ程度の地獄で、当時はよく世界が曇って見えた。

中学から不登校になってたら、今頃どんな生活してたんだろう。と時々ふと思う。

2023-04-01

インフルエンサー東大受験絶対に失敗する理由

9浪早稲田卒を売りにしているインフルエンサー東大大学院受験公表した。

大学院入試に備えて、予備校に通っているらしい。

で、彼が東大受験絶対に失敗するのは明らかだ。

なぜなら大学院入試とは何であるのか、まったく理解していないから。

大学院入試学部入試とも就活とも異なる。

その理由は「一見さんお断り」だからである

学部入試ならペーパーテスト合格最低点以上を取ればいい。

就活も、適性試験面接を勝ち上がっていけばいい。

東大教授の知り合いがいなくても東大理3に合格できるし、三菱商事役員と知り合いでなくとも三菱商事には入れる。

でも、大学院入試は違う。

筆記試験はいちおうある。でも、それはあくま研究を進めるのに最低限必要な基礎学力を見るための試験である

学部入試のように落とすための試験ではない。

大学院入試では基礎学力を測る筆記試験を通ったら、面接論文審査になる。

そこでは大学院でどのような研究をしたいか研究計画書を出して、それをもとに面接を受けるわけだが、この面接の合否は面接を受ける前から決まっているのである

特に文系大学院場合指導教員師匠とした師弟関係のなかで研究を進めることになる。

マンツーマン指導を受けることも多く、私大文系学部教育に比べて圧倒的に濃密な人間関係になる。

から大学教員としてもどのような人間か分からない人を院生として取りたくない。

またいくら院生人間性が素晴らしくても、院生研究したいことを自分指導できるかどうかは別問題である

から普通大学院入試の前に指導をお願いする先生のところに相談に行って、「●●という研究をしたいが、指導をお願いできますか」と聞く。

これを研究訪問という。

場合によっては「その研究内容なら、うちの大学じゃなくて××大学の●●先生がいいですよ」と言われることもある。

まあともかく大学院入試とは一見さんお断り世界であり、大学先生と面識のない人が受験しても、筆記は通っても面接で落ちる。

で、東大文系大学院に外部から行くのが難しいのはこの点にある。

大学院入試突破するには、東大教授に顔と名前を覚えてもらわないといけない。

しかし現役東大生ならともかく普通大学生や社会人には東大教授のツテなんてないし、会おうにもメールの送り先も分からない。

向こうも忙しいか簡単には会ってくれないだろう。

から普通卒論をお願いしている自分大学指導教員相談して、紹介してもらったりする。

そういうツテさえもない場合は、学会に行って、懇親会などで指導をお願いする先生に話し掛ける等の努力必要だ。

で、見込みあるなと向こうに思われるためには、こちらもしっかりと先行研究とか論文とか本とか読んで、勉強しておかないといけない。

9浪はまいさん、文系大学院入試って、こんなかんじなんです。

予備校過去問解いても意味ないです。

必要なのは学力をつけることではなく、コネをつくることです。

コネをつくるためには、東大教授に認められるくらい勉強することです。

予備校に行くのではなく学会に行きましょう。

2023-03-29

anond:20230329230009

最初宗教系の排除は賛成、STEM教育推進もわかる。

でも日本人道徳心いからその反社反日統一教会と未だズブズブな自民党与党なんだろうに。道徳はむしろ時間やすべき。

あと政界無法地帯過ぎ。もう日本政界だけは土人世界よ。権力あるなら政界から法整備すべき。

間違っても内閣司法警察公安圧力かけたり、官僚人事権を握ってはならない。

あとアホが多すぎ。議員がもう生活保護目当ての溜まり場になっててチートにもほどがある。

高度な筆記試験を通った人間けが議員立候補できるようにすべき。

税金は賛成できん。

無駄に取らないでも今の我々が払った税金はまったく国家国民のために活用できてない。

税金は95%は中抜きする電通パソナのおかげでまったく有効活用できてないし、何より使途不明金多すぎ。

黒塗りの議事録禁止北欧並みに透明な政界を目指すべき。

ふるさと納税とかアホすぎ、ほとんど経費で吹き飛ぶじゃねーか。

あと公務員教師の質をさらに下げてどうするよ。

業務改善して公務員数を減らしても回るようにすべき。DXで公務員だって内製化すべき。

性犯罪者全員死刑もまあよかろう

2023-03-23

さえない人生

 小学3年生のとき中学受験塾の入室テストを受けたら、選抜クラスに入ることができた。はじめて「得意なこと」ができた気がした。でも、自分がたいして頭がいいわけじゃないと気づくのも早かった気がする。小さな校舎だったけど、俺よりもっと勉強ができる子は何人もいたからだ。受験では運よくそれなりに入試難度の高い中学に入れたけれど、それは自分の唯一の「得意なこと」が、その学校では「苦手なこと」に変わってしまうことを意味していた。

 それからずっと、勉強より得意なことが何かないか探し続けて生きてきた。運動神経がよくないのはもう知っていた。音楽ができるわけでも絵が描けるわけでもない。高校生とき(男子校だったからだけど)ほとんどの同級生より早く彼女ができたのは嬉しかった。でも、長続きしなかった。振られたショックで大学受験勉強も後半からほとんどできなかった。なんとか大学には進めたけれど、学科にもサークルにもなじめなかった。大学での勉強自体は楽しくて修士課程に進んだけれど、博士課程に進む勇気は出なかった。頑張って公務員試験を受けて(結局筆記試験が一番得意だった)、地方公務員になったけど、事務仕事があわなくてやめてしまった。結局、中学受験塾で勉強を教えて生きている。

 30歳、金なし彼女なし独身、今の会社出世もできないだろうし、転職も難しいだろう。振り返ってみると、小3のときにできた「得意なこと」に振り回されて生きてきたような気がする。それならもっと得意な人がたくさんいることを認めた上ではじめからもっと勉強にすがって生きればよかったのかもしれない。さえないなら、さえないなりの生き方がほかにあったんじゃないだろうか。

2023-03-21

新卒採用面接で完全在宅勤務でもちゃんと働けるやつかどうかの見分け方

国立大学

入試筆記試験

理系

2023-02-07

anond:20230207203817

そうした選別に毎日新聞は反対の立場なんだけどな。

例えば、ネガティブ評価をされがちな発達障害学生たちのポテンシャル毎日新聞10年前から高く買っていたよ。

当時の「余禄」本文はネットから削除されちゃったけど、それの残骸を引用しているまとめサイトからうかがい知れる。

毎日新聞「人事担当者樣、発達障害学生たちをよろしく

http://0taku.livedoor.biz/archives/4233548.html

不思議に思われるにちがいない。超難関大学合格し在学中の成績も優秀なのに就職試験に落ち続ける。

就活に苦戦している若者は珍しくないが、発達障害のある学生にとって就活はとりわけ厳しい

▲「今日はいい天気だね」。あまり意味のない会話が苦手だ。「あなた長所は?」。それに答えるとどのようなメリットがあるのかを聞きたくなる。以心伝心、言外の意味、周囲の空気を読む、ということがとても苦手な障害なのである

▲けっして少数ではない。文部科学省調査では学校で何らかの発達障害が疑われる児童は全体の6・3%に上った。毎年大学卒業する人のうち発達障害のある人は数千人規模でいるとの指摘もある。親の育て方や環境のせいではない。

先天的な要因で起きるが、外見ではわかりにくいせいもあって誤解される

知的な遅れのある人は多いが、びっくりするほど知的能力の高い人もいる。

最近歯科医師公認会計士資格を持つ人が「障害者枠」で企業採用されたと聞いた。

筆記試験は点数が取れても面接で落ち続けたらしいのです」。人事担当者は大いに驚いていた

▲高性能の工業製品大量生産して成長する分野に貢献できる人材が求められると、彼らは苦しい。しかし、均質で間違いの少ない人材よりも、独創性や深い洞察力・執着心が評価される時代になるとどうだろう

エジソンアインシュタインなどの天才はいずれも発達障害があったとされる。彼らがいなければ人類進歩はなかったはずだ。

イノベーションは横並び思考からは生まれない。人事担当者様、発達障害学生たちをよろしく

2023-02-06

両親が離婚し、会社に行かなくなってから2年半が経過した。

コロナウイルス流行りだした2020年の某月、両親が離婚し母が実家から出ていった。

原因はお金問題にあった。両親は共働きだったが家計管理は上手く共有できておらず、父親実家のローン返済に充てるはずの退職金を使い込んでしまたことが発端だった。

(何に使ったのかは未だに明かさないが、自分小学生の頃、父親携帯で遊んでいた際にふと開いたメールボックスキャバ嬢らしき人物メールのやりとりがあったのを覚えていたので女にでもつぎ込んだのだろうと考えている。)

自分実家で両親と暮らしており、社会人で貯蓄もそこそこあったためローン返済の問題はなんとか解決の目処が立ったが、

両親の仲は悪くなる一方で、寝室を別にしてから1年、遂に別れの時が訪れた。

母が実家から出ていく日、自分仕事があったため朝7時頃には家を出なければならなかった。

母に行ってきますと別れの挨拶をする際、情けないことに涙が溢れてしまった。マザコンではないのだが、息子としてもっと何かできなかったのかとその時になって後悔した。

会社への足取りは重く、仕事殆ど身が入らなかったがオフィスでは何もない素振りをしていた。

それから3週間が経過し月末に近づいたある朝、ベッドから起き上がるのを強烈に拒んでいる自分がいた。

体が動かないわけではなかったが、とにかく起き上がるのが嫌だった。2時就寝7時半起床で睡眠時間が少ないのもあったが、普段はそれでも問題なく出社していた。

前日は会社の先輩と普段乗る駅を飛ばして歩きながら帰宅した。先輩は仕事について楽しそうに語り、自分自分仕事の考えをそれとなく話し自販機ジュースを買い二人でタバコを一本ふかしてから解散した。

夜飯を食べていなかったためコンビニ弁当を買い帰宅した。時計は既に23時半を指していたが何事もなく食べ始めたのだが、買った弁当は味がしなかった。

その時、薄暗い部屋でスーツを着た大人が、広いリビングで1人コンビニ弁当を食べているという事実に気づいた。

何を言っているのか分からいかもしれないが、今までは家族で囲んでいた食卓が1人のものとなったことに対して、とてつもない虚無感が時間差でやってきたのだ。

ちなみに父親無職)は2階で寝ていたのだが、母が出ていってからは一切口をきいていなかった。

そして翌日。ベッドから起き上がらない自分は「あ~このままだとやばいな~」「あと15分経ったら始業時刻にぎりぎり間に合う電車乗り過ごすな~」「あとちょっとで朝礼始まるな~」と迫りくる始業時刻に焦りを感じながらも天井をただただ見ていた。

そして始業時刻になった。やってしまったと思ったが、変わらず天井を見ていた。始業時刻の5分後には上司から社用携帯電話がかかってきた。が、出たくなかったのでとりあえず無視した。

しばらくして自分から上司電話をかけ、ベッドから起き上がれなくなったと伝え有給を消化することになった。それから3日間トイレ以外はベッドで天井を眺めて有給を消化し続けた。

病院にいってほしいとお願いされたため、それから数日後に病院に行ったところ適応障害と診断され休職することとなった。

休職手続き診断書原本の提出と会社資産物の返却)をしなければいけないため一日だけ顔を出せないか上司にお願いされた。電車に乗ることはできなかったが車なら行くことができる気がしたので車で職場に向かった。

手続きは1時間もかからなかったが駐車料金は3000円近く取られた。休職となりとりあえず脳死で休めるとなったので気持ちが楽になり車の中で奇声を上げながら帰った。

何もしないでベッドにいると自殺を考えることが増えたため近所のパチンコ屋で連日暇を潰した。それまでパチンコ殆どやらなかったのだが、爆音と散財はその時の自分には救いとなった。

もともとアニメを観るのは好きだったためパチンコ時間をつぶすのは簡単だった。減るはずのお金が何故か増え続けたのが面白かった。これがビギナーズラックかと思った。

休職してから2週間が経過した頃、体重を測ったら3kg落ちていた。食事を一切摂らず開店9時~22時50分までパチンコを打っていたため当然の結果とも言える。

これからどうしようかな~とYoutubeを観ていたら競艇CMが流れてきた。11月ボートレーサーの試験があることを知り自分受験資格があることが分かったため気晴らしに挑戦してみようと思った。

当時体重は60kgだったが、ボートレーサーは52kgに近づけないといけなかったため大きな減量に挑戦する必要があった。両親が離婚してから食欲がなくなっていったのは逆に都合が良かった。

炭水化物は一切取らず、鶏胸肉、豚肉、卵、アボカド納豆などを中心に食べた。ある程度鍛えなければならなかったためゴールドジムに入会した。

また、筆記試験もあったため数学国語理科社会(いずれも中学生レベル)の勉強をする必要があった。そこそこの大学を出ていたため筆記もまあ余裕だろうと思いながらも気晴らしになると勉強した。

11月になる頃には体重は52.5kgになり二次試験への準備もできた状態で一次試験を受けた。試験は上出来だったが二週間くらい経った頃に来た結果は不合格だった。年齢の問題もあるよなとあっさり受け止めた。

適応障害の診断は変わらずだったため休職を延長しつづけ、翌年の3月末に休職の期限が限界となったが働く気が全く起きなかったため退職することになった。無職誕生である

それからは家ではネットサーフィン、外ではパチンコ風俗三昧だった。パチンコでは期待値の追い方、捻り打ちを覚え風俗では上手なデリヘル嬢の選び方、本番交渉の術を習得した。

友人とも普通に遊び、泊まり旅行富士急に行ったりもした。それまで仕事に向けていた熱量を遊びに向けた。

その頃家に帰ればいた父親仕事が見つからず他県に引っ越すこととなった。実家一人暮らし無職誕生である

父親は時々実家に帰ってきたが口をきかなかった。顔を合わせるのも嫌だったので自分引っ越しをしようと決めた。

友人と気軽に遊べなくなるのは寂しかったが、父親と顔を合わせるほうがもっと嫌だったし、アパート探しをして新天地にひとり行くのも楽しいと思った。

そして現在引っ越し完了し1人で暮らしているが、どうにも働く気が起きずこれまでと同じような日々を過ごしている。

貯金無限ではないため、底をついたら生活保護を受けることになるのだろうか。それもまあ別にいかと思っている。

最初は考えていた自殺も、時間が経てば死ぬより身近な快楽を得ていた方が良いのではと考えるようになった。

これを見た人はどう思うのだろう。自堕落生活をして情けないと思うのだろうか。さっさと死ねと思うのだろうか。

精神疾患に対して一定理解のある人はどう思うのだろうか。「いやでも遊べてるやん」と思うのだろうか。

いや、そもそも自分精神疾患なのだろうか。病院には継続して通っているが精神疾患ではなく自分がただのゴミクズなのではと思っている。

働くことは一生できないかもしれない。糞尿製造機でも胸を張って生きて良いと誰かに言ってもらいたい。

2023-01-29

anond:20230129123924

試験もそんなに得意じゃなさそう

筆記試験以外はもっと悲惨そうではあるが

2023-01-27

anond:20230127201750

人並みの教養を測る筆記試験議員立候補する段階で設けていれば、たったそれだけで安倍も菅も小泉進次郎麻生も二階も政界はいなかったんだよなあ。

岸田は糞だけど、学力はありそうだから困る。

2023-01-23

anond:20230121232346

ガチマジレスすれば、政界法整備



これらがあれば日本凋落していなかった

2023-01-15

ゴキブリにオナサポされるお前

俺は糖質でお前には信じられないかもしれんが、IQは140ある。自分語り系と言われることが多い。

ガキの頃はゲームが強かったが、正当に勝負しているのに「ズルをしている」などと言われることが多々あった。

そういう連中がつるんで俺をいじめてくるわけだが、基本的無視対処できる。

だがこういう対処方法だとガタがくる。成人すると馬鹿コミュニケーションが合わなくなる。

その馬鹿もガキのころのいじめっ子同様に、基本的には「仲間を組んで嫌な奴を排除する」という連中が多い。

どうやら俺は「嫌な奴」と認識される頻度がかなり高いらしく、例えば就活とき筆記試験技術試験などで100%通過しても、面接で確実に落とされる。

まりにも他人が「敵」のように振る舞ってくるので、被害妄想が強くなりすぎて病んで糖質になった。

一度某障害者作業所障害年金手続きをするよう推奨されたが、結局等級年金を貰えるに満たなかった。俺は連中から年金なしで生きていける」と判断されたようだ。

こうなるともはや作業所のような劣悪環境にいる必要がないから、普通に一般就労をすることになった。

貧乏人だから学歴高卒。そして糖質障害者。この点から言えば間違いなく俺は「弱者」なわけだが、おそらく「嫌なやつだから手を差し伸べる必要がない」と判断されるタイプである

俺が他人から「嫌な奴」認定されているんじゃないかというのは、SNS上でも感じることだ。他の障害者連中はネガティブツイートをして共感を買ってイイネを沢山もらっている。

俺はどうかというと、そういう気取った真似はしたくないので、脳内SF空想ごっこを恥じる様子もなくツイートをしたりする。こういうのも「キモい」判定される可能性を高めている。

一定確率他人イイネするプログラムを走らせたりするが、誰からもなんの反応もないのでSNSの虚しさを感じてやめてしまう。

こうやって徐々に「社会は敵である」と学習していくとどうなるのか。

ここが重要なのだが、増田内で気に入らない人間の特徴を利用したストーリーを書いていい気分に浸るのである

貴様らが見ているストーリーの幾分かが糖質患者が書いたものであるという事実は、「かわいそうランキング下位=気持ち悪い奴」の文章オナニーをするのと同じである

文体任意に変えることなんて容易い。一人称がワイになることもあれば私になることもあるし、フェミニストになることもあればオタクになることもある。

貴様らのオナサポ、それが俺である

anond:20230115195427

2022-11-13

anond:20221113114440

それ一番言われてるよね

医科大も男子枠を作るべきだよ

からでも遅くない

筆記試験無しにすると人気が出るぞお

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