はてなキーワード: 漁村とは
実家は関東だけど、平均年齢が県内2位という有数の過疎地にあり、死にゆく町なので長男だけど県内の別の場所に家を買った。
ここも都会ではないものの、子育て世帯が非常に多く、平均年齢は県内有数の低さ。ただ、独身一人暮らしはほとんどいないので、将来的には今のニュータウンみたいになるんだろうなとは思う。それでも自治体として破綻しそうな実家の状況よりずっとマシだ。
グーグルマップで徒歩17分と出る駅の反対側の神社に家族でお散歩がてら初詣に行って、帰りに駅前のイオンに寄ってサイゼリアでお昼ご飯を食べて、福袋を買って帰ってきた。
初売り目当ての買い物客が来るようなイオンではないので人はまばら。
大学は都内だったけれど、都内に住んでいることを何も生かせなかった。いろいろあって恋人がいた期間は数ヶ月だけだったからオシャレなデートスポットなんて行ったことないし、ファッションにも興味はなくオタク趣味もなかった。音楽サークルにいて演奏するのは好きだったし練習も熱心な方だったけれどあまり上達しなかったし、他人のライブに行くのはあまり好きではなかった。
専門資格を得る学部で、その仕事がやりたい人ばかりなのが当たり前なんだけど、実は自分は仕方がなく入ったので周りとうまくいかない部分があった。
結局はその仕事をしているんだけど、まぁ好きではないが耐えられないほど苦痛でもないので、多くの人はこんなもんだろと思って働いている。
きっとこの町は若者には物足りないだろう。東京駅までも1時間くらいかかるし、飲食店はチェーン店ばかり。車がないと郊外のショッピングセンターに行くには不便。
でも、俺には心地良い。
漁村のような実家とは違い、映画も見られるしファミレスもある。
https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/
おいおい2日目の今日(11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!
ってわけで色々読んだ。
人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師の小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授は伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者の出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。
獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。
ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんがお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女の生き様を感じた。
悪役に対してはわりと因果応報。モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。
見た目だけでなく、生肉をガツガツ食わずにいられないことによって人間の尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける。
第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーにユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドルフ少年の稀有な友情が翻弄される様を描く。
めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織や特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラーの秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。
特に、アドルフ・カミルをユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国の学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。
そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。
ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女は2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。
復員後、GHQの秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。
タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。
タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識やモラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識な内面のギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長&グラマラスでグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。
というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ、作品の良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋な被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん。
幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしまう性格に成長した。ある時、警察に現場を見られ、彼は精神病院に送致される。催眠治療の過程で女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性か自分が死ぬ」という悲劇を体験し続けろと宣告されるが……。
重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚な世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公のトラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかりやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。
ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこのふたりにも……と期待してやまない。
漁師の息子・矢崎和也はトリトン族の赤ん坊「トリトン」を拾う。直後に津波が漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンはポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。
今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野が監督をしたアニメ版のオリジナル展開だったという……。
衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。
あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまうトリトンは普通にない。
おしゃまな天使チンクのいたずらで男の子と女の子の心を持って生まれた王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイアを排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイアの女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。
戦闘美少女、男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。
お話的にはピンチピンチの連続で、けっこうハラハラドキドキ。ただ、ヒーロー役であるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。
キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツに好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイアに好意を抱く海賊のブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。
脇キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。
あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナスは微妙すぎる。魔女とポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ。
いいところと悪いところが極端という印象。
ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画の神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。
※続き
「この世界の片隅に」のドラマ版が今週日曜最終回を迎えた。自分にとっては呉旅行に行く前日に見てドハマリし道すがら原作コミックも買い、舞台となった街を散策できた思い出深い作品だった。
映画版では尺の都合から削除せざるを得なかったリンさんとの物語もしっかり描かれ、さらに原作であまり描写されなかった近所の人々にもしっかり焦点が当てられ、よりボリュームのある物語に仕上がっていたと思う
各話も緩急を付けて見どころを設けすずさんと周作さん、二人の関係性も深く描くことに成功していた
アイスクリームのシーンは二人の仲睦まじさが伝わり絆が深まる姿を丁寧に描いていて「砂糖の配給が停止になって、闇市で配給の50倍の金額で取引されてる時期にアイス食うのはいくらなんでも不自然すぎる」という違和感もまぁ気にならないレベルに収まっていたと思う
いままで現代編については否定的な意見もあったが、最終的には今現在そこにいるすずさんを描く形に集約し映画とは違った余韻のある良い最終回を迎えたと思う
途中どうしても見ることができなかった回はあったが
概ねドラマとして大成功の部類だろう。ネットでの評判も上々でツイッタで感想を検索しても「泣いた!」「感動して目が腫れ上がった」「ラストにはほっこりした」と大絶賛だ
実に素晴らしい作品になったと思う
…これが「この世界の片隅に」でなければ
実のところ第一話が始まってから猛烈な違和感を感じてこれは本当に「この世界の片隅に」なのか疑うくらいだった
最初の違和感は兄洋一の出兵が決まったシーンでの家族のやり取りで母親であるキセノが涙を流したことだった、ここで泣くのは「この世界の片隅に」としては違和感があった
それ以降でも北條家へ嫁ぐことが決まった前日に不安を母親に漏らし泣き始めるすず
2話以降でも、広島産業奨励会館前で周作が子供の頃ばけもんに誘拐されたとき一緒にいた少年だったことに気がついてすずは涙を流し
それ以降も母親との別れを告げるすずの甥に当たる久夫が帰り道涙を流し、洋一の戦死の報を受けて石一つしか入ってない骨壷を抱きかかえて母親が号泣し
毎話毎話何かにつけて涙を流していた
自分にはこれが猛烈に違和感に移り最終話前の話まで見るのを止めてしまった
原作で涙を流したシーンはギャグとしてオチに使った空襲で義父円太郎がすずさんと晴美さんを庇ってそのまま寝てしまった回を除けば
晴美さんが亡くなった時限爆弾の回と終戦のときだけでそれは意図的にそうしているのだ
戦中においては、自分たちが正しいことをやってるからこそ理不尽な暴力には屈しないって共通した考えがあったからこそ人前で泣くことはせず(時代的に人前で泣くと反戦を疑われてしまうって事情もあった)
その日常を支えていた信念が飛び去ってしまい、自分たちの耐えてきた日々が誰かを犠牲にした上に成り立っていたことに気がついてしまったからそこで涙を流し
戦後は居なくなっていった人たち会えない人のために自分が笑顔の入れ物になりたい、なによりも泣いたら勿体無いという気持ちから泣くことを止めるのだ
それは作中物交で漁村に向かう帰りの道すがら刈谷さんと話す中で
「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある
「晴美さんとは一緒に笑った記憶しかない じゃけえ笑うたびに思い出します」
という会話でも明らかで
辛い時代の中戦中耐えてきた理由、それが飛び去った後また泣くのを止めた理由
そこは物語を描く上でいちばん重要なポイントで原作を読んだ人や映画を見た人なら違えることはない
翻ってドラマ版だ
ドラマは泣く、事あるごとに泣く、誰もが皆辛い時には涙を流す
ドラマで泣いて泣いて泣く理由が一般視聴者向けにわかりやすい表現にしたから、とか実写にするにあたって原作や映画の通りだと不自然に見えるからという改変なら良かった
脚本担当が原作をあまり理解していなくて、分かりやすいドラマに組み直した結果だったのなら許せたかもしれない
脚本家は原作の内容を理解してそのテーマもわかった上でそれに対してダメ出しして改変したのだ
「泣いてええよ、我慢せんでええ、ここはあんたの家なんじゃけえ、我慢したらおかしくなるよ」
ここで理解った
脚本家はテーマを違えてたわけでも、分かりやすい安易な改変をしたわけでもない
テーマについて理解したうえでそのテーマに、「この世界の片隅に」が「この世界の片隅に」である根幹にノーを叩きつけてるのだ
はっきり言えば脚本家は「この世界の片隅に」が嫌いだったのでは無いかとさえ思う、少なくとも作品の重要なファクターの一つについて否定的だったのは間違いないだろう
結果的に見ればドラマは大成功の部類で多くの人の心に残る名作となった
でもこれは「この世界の片隅に」ではないし、「この世界の片隅に」を否定する物語だ
もちろんそれが必ずしも悪いわけではないし原作が好きな人にもドラマ版に満足してる人もいるだろう
ひょっとしたら原作が嫌いだったからドラマ版の改変でようやく自分の求めてるものが出てきたって人もいる
少なくとも真逆のことをやって多くの人の心をうった名作を作った脚本家の実力は極めて高い
環島っていうのはこれ↓
https://taiwanisshu.asia/taiwanisshu-web/
環島用のルートが制定されていることもあって、日本からの観光客もやっている人が多いが
本やブログでは「自分頑張った!」的な内容ばかりで、よくわからないことだらけだったので参考になればいいなと思いメモ。
ちなみに行ったのは先月。
トラブル等もあったので8日間くらいかけて踏破(ただし、2日間は電車になってしまった)
あと、個人の感想なので、信用しすぎないでほしい。
なんだかんだでものすごく悩まされたのが天気。
現地のテレビの天気予報を見ても、晴れと曇りと雨と雷のマークが1カ所の中に全部出ているなんてこともあり全部役に立たない。
対処方法としては、「朝早くスタートして、夕方前にはゴールしている」ようなスケジューリングを組むこと。
朝は比較的天気が安定しているけど、夕方になると毎日のように激しい夕立がある。
暗くて大雨よりは明るくて小雨の方がまだマシ。
自転車道といっても車道のサイドに自転車専用レーンがついているだけなので、夜の雨は怖すぎる(そして気分も落ちる)。
ブログとか読んでいると「毎日快適に走れました!」みたいなことを書いているけど、思ったより…
台湾の北側は台北、新竹、台中、高雄など大都市が集中しているので、信号が多い。
自転車用の停止線はあるけど、原付も共用だから原付に思いっきり囲まれる。
台北から反時計回りで出発したんだけど、初めは川沿いの完全な自転車道だったから快適だった。
その自転車道を出た後はなかなかひどい。
環島用の道路は基本的には標識があるので迷うことはないんだけど、ごく稀に工事をしていて通れない。
そして、回り道がどこなのかが書いていないことが多い。
(書いてあるのかもしれないけど、地図はなく文字だけなのでわからない)
また、三貂角灯塔近辺の道は環島用の標識のとおりに行くと、漁村へ寄り道するだけなので
線路を跨がなければいけないところは立体交差になっていることが多く無駄な坂が発生。
荷物をいっぱい積んで走っている身としては辛い。
毎日毎日、セブンイレブンかファミリーマートかハイライフ(台湾のコンビニチェーン)にお世話になっていた。
トイレも貸してくれるし、疲れたならアミノバイタルを買えばいい。
塩分のタブレットも売ってたし、場所によっては空気入れを貸してくれる。
何よりいいのが、コンビニは基本的にはガラス張りなので自転車の盗難を見張れること。
町の食堂は「台湾きたな!」っていう気分にはなるけど、牛肉麺ばかりなので飽きる(偏見かも)。
これ以外だと50嵐やCOCO都可のようなドリンクスタンドにもお世話になっていた。
環島の自転車道と並行して電車が走っているので、どうしても疲れるようであれば電車に乗ればいい。
輪行バッグなしでも電車に入れられるけど、対応している電車が日に数本しかないので事前に調べておいた方がいい。
(ググれば詳しく書いてあるブログに行き着くはず)
自転車留めが車両の中にあるタイプ、自転車を詰める貨物車があるタイプ、一般車両にそのまま入れるタイプ(自転車留めはない)など様々。
予約時に自転車があることを事前に言えればいいが、言えなかった場合でもどうにかなった。
環島用道路近辺のホテルは自転車の扱いに慣れているのか、みんな室内に停めさせてくれた。
長期で行っていると、汚れ物がたまる。
(雨でぐしょぐしょになっていることも多いし)
それなりに大きな都市は24時間営業のコインランドリーがあるから、そこまで衣類の予備は必要ない。
環島用道路を大荷物乗せて走っていると声をかけられることがある。
ただ、日本人だと思われていないので、魔法の言葉「我是日本人(Wǒ shì rìběn rén)=私は日本人です」を唱えるといい。
また、対向車などに「加油(Jiāyóu)=ファイト!」と言われたり、サムアップされたりする。
台湾の方々はとても人懐っこく、親切。
ものすごく助けられた。
個人旅行で行っていたのだが、某G社がサポートする環島用のツアーに参加している人とかち合うことが多かった。
傍目から見て、「とても甘やかされていて、こんなので1周したと言えるのか…?」といった様相。
まず、彼らは荷物を持たない。
着替えなどはサポートカーに積んでいるし、そもそも自転車のリペアグッズとは無縁。
大雨が降れば、自転車に乗らずサポートカーが適度な位置まで運んでくれる。
疲れた時も同様、運んでもらって進めばいいじゃない!という感じ。
ある程度のロングライドができる体力があり、パンク交換などリペアの最低限の知識があるのであればツアーでなくても問題なし。
宿はBookingなどで予約すればいいし、地図は標識とgoogleマップでどうにかなる。
致し方ない車体トラブルが起きれば駅まで徒歩で行き、電車に乗って大都市の自転車屋さんに行けば済む。
ツアーは体力がない、ウェブリテラシーがない、だけど「環島したよ!」って自慢したい人が参加するものだと思う。
ちなみに、ツアーに参加すると太るらしい。
1日8時間自転車に乗ると約2000kcal、基礎代謝が1500kcalだとすると1日3500kcal以上摂取してやっと太ることになるのだが…察してほしい
いろいろとカルチャーショックを受けたのでここに記す。
白夜といってもボーっと明るいくらいだろう、と思っていたのだがとんでもない。夜12時を回っても昼のように明るい。夕食をとっていてもまるで昼食のような感覚に陥る。
パーキングエリアのスープとパンのセットが1500円ほどする。どこに行ってもあるメニューなので、イメージ的にはカレーライスみたいなものか。
夕食は1品3000-5000円。ビールは1杯1000円、ガソリンは(ハイオクが基本)リッター190円だ。
日本って何かと安いんだなぁ。
空港で現地通貨を1万円分両替したが、使ったのは観光地の有料トイレでだけだった。
他は全てクレジットカード。屋台のホットドッグもクレジットカード。土産屋で絵葉書1枚買うのでもクレジットカード。人口数百人の田舎町のブティックもクレジットカード。
中国のキャッシュレス社会に対しては「現金の信用ガー偽札ガー」みたいに思っていたが、この国でも同じとは思えない。
もはや財布にジャラジャラお金を持ち歩く時代ではないということだろう。
小学校から学んでいるとのことで、子供を除いてみんな母国語の他に英語を話せる。
首都のレストランはもちろん、上述田舎町のブティックのおばちゃんも漁村の網本も英語で観光案内してくれた。なまりが強くてよく聞き取れなかったけど。
観光立国としてこれ以上の強みはない。
日本でも小学校の英語教育が始まるそうだが、同じようになれるんだろうか。
所詮は観光客として1週間滞在しただけなので、この国の全てを理解したわけではない。
実際に働くとどうだとか税金がどうだとか移民がなんだとかは知らない。
スーパーの品揃え悪すぎとかホテルに湯船がないのが許せないとか言いたいことはある。
別に東京に住んだり、東京に通ったりしなくても、普通はある程度の都市に住めばある程度の都市生活を送れるものなんだけど、
なんか東京以外は全部ど田舎みたいな論調の人が大量にいるのはなぜなんだ。
関西圏の都市部なんて規模が小さいだけで普通に東京と同じだし、愛知県なんて工業生産高から考えるとむしろ工業地域としては上なぐらいだ。
その他福岡仙台札幌広島の四天王的存在を始め、地方都市はいくらでもある。
なんで東京以外全部山奥の農村みたいな扱いになるのかよくわからん。
ど田舎だって全部が全部「農村」じゃない。漁村もあれば温泉地みたいな観光地もある。
首都圏の東京以外だって、全部が全部100%東京のベッドタウンではない。千葉市とかも割りと独立した経済規模がある。
http://anond.hatelabo.jp/20161130113432
試される大地へようこそ! 1月にいらっしゃるとのことで、お勧めのお店を紹介します。
ここの「ガタタン」を食え。「ガタタンラーメン」がスタンダードだが、個人的には「ガタタン」をチャーハンにかけたものが好み。
「ガタタン」は塩味のあんかけなのだが、ほとんどこの芦別でしか食べられない。戦後、満州から引き揚げてきた人が中国料理をアレンジした料理を蘆別で始めた。これが「ガタタン」。
炭鉱で栄えた芦別。炭鉱マンをあったかくする為に「ガタタン」は食べられてきた。そして近年ではご当地グルメに。
そんじょそこらの粗製乱造されたご当地グルメには叶わない、引き揚げ~炭鉱労働という、戦後北海道の歴史のド真ん中を歩いた食べ物といえる。
これを味わいながら、北海道の近代史というものに思いを馳せてほしい。
今ではめっきり少なくなった、ただの食堂。ラーメンがメインで、二人のばあさんが作っている。
化学調味料主体の、懐かしいラーメンを食べたかったらここ。醤油を頼め。チャーシューが激烈に、懐かしい。
昼時に行ってみてほしい。近くの道の駅に大型トラックを止めた運転手さんや、地元の昼間っから道楽してるおっさんを眼にすることができるだろう。
ここから北見に抜ける運ちゃん、阿寒に抜ける運ちゃん、帯広に抜ける運ちゃん。今も昔も、足寄は人間交差点なのだ。
いいか、北24条の「三船」に行くんだぞ。「三船」を冠する店は何件かある。美唄焼き鳥の元祖三船福太郎氏にあやかったものだ。
由緒論はえてして混迷を極める。ここは伝統だとかじゃなく、純粋にうまいところを紹介する。それが24の三船だ。
ここ、メインメニューが美唄焼き鳥の鳥串で、サイドメニューも大変豊富。そしてどれもとっても美味しい……のだが、サイドメニューは頼みすぎないほうがいい。
鳥串が美味しすぎて、何本でも食べられてしまうのだ。6人で行って、一時間半でお通しと串120本と酒だけで帰ったことがある。それだけ串がめちゃくちゃ美味い。
札幌でザンギを食べたいならここ。ザンギって鳥の空揚げの親戚みたいな北海道グルメだが、その王道、典型と言えば松のザンギ。
ただしここはまっとうな居酒屋なので、酒もちゃんと頼むべきだし、注文しないでずっと居座るようなことをしてはならん。
食事メインなら正直いかないほうがいい。あと和風パブっていってるが普通の居酒屋だから気負うことはない。
道北や道東のいなかには美味しい蕎麦屋が点在しているが、ここは士別市の郡部にあるお蕎麦屋さんだ。
田舎のロードサイドってのがどんなものが味わうに格別の場所。②のあさの食堂と似てるんだけど、こっちのほうが人の往来が多い気がする。
ここの主人は、道外からやってきた人。多寄の食材に惚れ込んで移り住んだ。この多寄、蕎麦は生産するが、それはどこか遠くへ運ばれるだけだった。地元産の店を、超田舎で提供する試みが始まった。新しい移住・挑戦の歴史を感じたいならばここだ。
焼き魚を食べたいならここだ。目の前で焼いてくれる感じだ。私は山育ちなので、豊富な魚メニューのどれが旬なのかさっぱりわからない。けれど、いつも頼んだものは絶対に激烈においしい。
近くに道の駅があるから、そこも見学しよう。そしてこの界隈には美術館がたくさんありますわ。いずれも郷土の画家ですの。お嬢鯖も大満足間違いなしですわよ!
ニシンの時代は遠くなった。最近はまた増えてるらしいが。では漁村では何が行われているのか。それは、ニシンが群来(くき:大量にやってくること)ていた時代から培われた「水産加工業」だ! そんな歴史はともかくだ。札幌から200キロ程。ここまで離れると海鮮丼が安い! 「羽幌丼」を食べよう。地元産にこだわりたいなら「甘エビ丼」だ。食べ終わって満足したら、付設の直売所を見に行こう。水産加工のテクニックを直に感じて、お土産を買って帰ろう。
読む度に泣いてしまう。
解釈は色々あると思うけど、検索しても全然引っかからないから気持ちの解消ができない。
http://d.hatena.ne.jp/kako6/comment?date=20051212
「あのもやの中からは 陸に戻ろうと望む者にしか 陸は見えず 戻れんのだ」
「前に会った時には お前さんは嫁さんの遺品が見つかった時点で 生きる望みを失いかねんように見えた」
つまり、陸が見えるor見えない=戻りたい場所があるorない 的な解釈でいいのかも。
最初は「ベタに 陸=生きる意志かなー」とか思ったけど、それだとみちひの「もう… あきらめかけてた…」というセリフに合致しない。
つまり、
昔のシロウ:みちひの痕跡を探すことだけが生きがい。霧の中でみちひの空舟を見つけてしまったら陸に戻りたいとは思わないだろう。→陸は見えなくなる、ギンコストップ
今のシロウ:漁村の人々に必要とされ、大切な女性(ナミ)も居る。みちひの空舟を見つけても陸に戻る意志は失わないだろう。→陸は見える、ギンコOK
回想の初段階だけど、二人とも問屋を出てから漁村に着くまで日が経ってないように思える。
シロウのリストラの原因や裏事情等、夫婦間での話し合いがされてなかったような描写だし。
おそらく、シロウは仕事で失敗→リストラの後すぐに問屋を出ていき、それをみちひが追って来たんだろう。
シロウも心の整理が付いてない感じで、みちひに辛く当たってしまう。
また、みちひはこの段階ではシロウの故郷にまでついて行く決心が固まってなかったように思える。(舟頭の「奥方 乗らねーんで?」のセリフから推察)
で、蟲に遭遇。
シロウは後に「あのもやは外から中は何も見えんが 中からは不思議と外がよく見えた」と話しているので、陸が見えていたのだろう。問屋に未練があったと思われる。
みちひはシロウの故郷に行きたいと思ってないし、夫であるシロウについて来た手前問屋には戻れない。
諍いの中でシロウに追い詰められ、どこにも行く場所がなくなってしまったということかな。
二度目の蟲との遭遇。(書いてて泣けてきた)
シロウは空舟どころか、みちひと再会。
「お前今 陸は見えているか?」
「大丈夫だ ちゃんと見えているよ そら むこうに」
シロウに見えていた陸の正体がわからない。みちひみたいに完全に陸が見えなくなった訳じゃないし。
シロウには故郷の陸が見えていて、ここに来てやっと、本当にみちひと故郷で暮らしていく決心がついたのかなーとか思ったけど、ギンコには見えていないから故郷ではないはず。
漁村の陸が見えなくなったということは、みちひと再会したことで漁村に戻る意志はなくなったと推察されるから、そうするとやっぱり故郷なのかな?でもそれではギンコの表情と合致しない。
一応最初に言っておくが、ロイド探偵事務所に居るもじゃもじゃ頭の真音嬢ことマーニーとは関係が無い。
喘息の発作持ちで、引っ込み思案で、うまく周りと関係を築けない絵を描くのが好きな女の子、杏奈が主人公だ。
そこそこの漁村であり、どうやって生計を立てているか良く判らない家具職人とか、地域の顔役になってる上がりかまちがある家のPTA会長っぽい人がいる街で、主人公の杏奈は絵を描いて静かに過ごす。そして洋館で金髪の少女、マーニーに出会う。
アリエッティの監督が描きだす、間違いなく日本の田舎でありながら、それでもなお美しい。
招待されたパーティーで、マーニーが男の子とダンスを踊ると、なんだか面白くない。
そうして過ごしていく杏奈は、現実と空想とが入り交じったような、不思議な体験を繰り返す。
自分が必要として、必要とされ、友情ではないような、約束のような、愛情のような、そんな純粋な少女の心の機微。
静かで、美しく、そして、ほんの少しだけ現実が入り交じる、結論のない成長の物語。
ほんの少しだけの成長と、ほんの少しだけの奇跡のような出会い。
日当五千円プラス必要経費で初恋の相手を探すもじゃもじゃ頭のマーニーとは関係のない、そんな物語だ。
個人的には、じゃもじゃ頭で友達思いで、仕事に誠実なマーニーは個人的にはかなり好みのタイプだ。
ハッキリ言ってあの水着姿は反則レベルで可愛い。ミーハーでイケメンに弱いのも女の子っぽい。
推理小説では無く、殺人事件もなく、それできて探偵小説ではある。
幸せな気分に浸るために他人の結婚式に参加する趣味のあるゆりかちゃんに振り回されながらも真摯に仕事をこなすマーニーは、とても可愛らしい。
名探偵マーニー、週刊少年チャンピオンで絶賛連載中だ。是非一度目を通して、彼女の魅力に心を打ち抜かれて欲しい。
あ、思い出のマーニーも凄い良かったですよ。なんと言っても映像が綺麗だ。
天職は見つけない方が良い
http://anond.hatelabo.jp/20130918010603
調べてみるとどうやら比較的新しい概念らしく「漁業法人化」という言葉は3.11震災後「漁業協業化」という言葉に変わりつつあるようだ
漁業法人化も漁業協業化も中身としてはほとんど同じで、法人格へ漁業権を移譲して人材の新規参入ハードルを低くするのが主な狙いみたい
当然、元記事でも語られているように税制対策や経費削減、融資にも効果的な選択で、保守的であると解説トラックバックが語るのが本当ならば漁村内では先進過ぎて異端的な考え方だったんだろうと思われる
更に元増田は科学研究をフィードバックする野望も持っていたようだし良い悪いは別として従来の漁師像とはぜんぜん違う漁師になろうとしていたようだ
一次産業の法人化が有望視される昨今で、業界のトップエリートが超本気で動き出すところだったわけだ
逃した魚は本当に大きいよなと
元記事を解説しよう。
元記事の増田と同様に、漁師の次男坊である俺は海上技術学校を経て海運業界ヘ就職している。
取り敢えず前提として、漁師の子が大型船の免許を取得しようとするだけで稀有な存在だ。
その漁村で1000人の漁師になる人が居たら大型船の免許(海技士免状という)を持ってるのは1人居るか居ないかの存在。
漁村というのは保守的な閉鎖社会かつ権威主義的で、1級小型船舶操縦士は2級小型船舶操縦士を見下す傾向にある。
漁村では口には出さないが免状の等級によるヒエラルキーは確実にある。増田の中にも漁師が居るだろうしわかるだろう。
そんな漁村で4級海技士(航海)や4級海技士(機関)を取得する者が現れたら、漁村の若い世代の中ではトップの権威を持つようになる(流石に若い世代の権威は年功序列を上回ることはない)。
多くの家では子供を教育するときに「増田さんちのせがれを見習え」が常套句になる。
海運業界で大手と言えば3社しかない。郵船、三井商船、川崎汽船だ。
その名は外の社会に対して無知な漁師でも知っている。最高クラスのブランドだ。
これはトンビが鷹を生むような話。
このことを海洋系高校の視点で見るならば、元記事で記されてる海上技術学校、商戦高専、水産高校の全生徒の中から大手3社へ就職できるのは毎年3人だけだ(そもそも就職枠がない年もある)。
元記事の増田は数万人居るであろう海洋系高校生のトップへ君臨した人間である。
手の付けられないヤンキー高から東大主席合格者が出る、5流大からメガバンクへ就職する、代アニ出でジョブズになる、漁村から見ると本当にそんなレベルの話だ。
俺のようなチンケな船乗りとは圧倒的にレベルが違う。いやマジで。
所々出る船乗り的な言葉使い、例えば「上陸する」や「2サイクルから4サイクルで燃費改善」、「100mで4000G/T」は全て妥当だ。
少なくとも業界人じゃないと出ない言葉であり、しかも漁船の船外機(エンジン)が4サイクル主流化したのはここ15年くらいの話であり、漁師じゃないと知らない(そしてバイク乗りなら4ストとかって言うよな)。
当然漁師は大型船の排水トン数の事なんかよく知らないので、漁師の経験と海運の経験双方が無いと口に出せない内容を話している。
7年で1000万はくだらないの部分は会社によって給料が違うし、そもそも俺はそのレベルに達していないので正確な判断に窮するが、そこそこ妥当性がある。
船乗りは法令上、乗船中の食事などを会社が負担しなければならないため小遣い5万円は船乗りと考えるのならばむしろ少ない。
初任給25万円(総支給額)のチンケな船乗りの俺でさえ若い頃は毎月10万から15万は遊びで使ってた。大手なのにこれは少なすぎる。節約してたんだなって感じる。
もし俺が元記事の増田の親ならば退職することを口にした瞬間必死に止める。
元記事の増田もこの点にツッコミ入れてたが、俺も盛大にツッコミ入れたい。
息子を想うのなら絶対に辞めさせない。漁村での権威を考えても息子が大手にいた方が何かと過ごしやすいはずだしな。
高額な送金もあるし。大手なら年収1000万突破は夢物語じゃないから老後も安心だ。
それを止めなかった親はオカシイと言わざる得ない。
どう考えても船乗りとして神がかった増田へ家業を継がせるか、そのまま大手に置いた方が両親は得だ。
そのどっちでもない選択をするとか俺には理解できない。元記事の増田よりこの両親は頭オカシイ。
何か質問があったら追記して返答しよう。
船乗りは3ヶ月働いて1ヶ月休むというスパンで働くため平日であっても休日なのだ。
2013/09/18/9:07追記
休暇中何やってるかといえば兄貴に呼ばれたら仕事手伝うくらいかな
2013/09/18/9:57追記
この増田にとっては漁師の家に生まれた瞬間から漁師になることが天命だった
プログラマからパソコンを奪うようなもの、自動車の整備士から自動車を奪うもの、跡取りから家業を奪うってのはそういうことなんだろうさ
そこを拾ってやらんとこの気持ちは理解できないんじゃね?
2013/09/18/10:19追記
何で海を続けなかったか?って質問が来たから言うけど、この業界かなり狭いんだよ
元記事で人間関係を悪くしたみたいな表現があったし、業界で噂が回っちゃったんじゃないかと
船はいつでも飛び込める状況だから医者がストップかけてるのかも
2013/09/18/10:34追記
船乗りには「部員」と「職員」という職の違いがあるんだよ
例えば甲板部(航海士が所属する部署。機関士は機関部)で部員のトップは甲板長だが、職員のトップは船長だ。
部員と職員の給料は100万円単位で変わってくるし、昇給率がそもそも違う。
つまり増田は就職後職員になってるんだよ。だから物凄く昇給して高級取りになってる。
2013/09/18/16:58追記
身内擁護するみたいでかっこ悪いが、資格じゃなくて就職先が凄かったパターンとか言ってる奴は自分がどういう立地条件の国で暮らしてるか冷静に考えたほうが良い
海技士免状が凄くないとは言ってないとかって反論が来そうな気もするけど、そう取られてもおかしくない発言の仕方だぞ
海技士免状試験がどれだけの科目で構成されていて、どれだけの実務経験があって初めて取得できるものか、更新は必要なのかどうかとかそういうの調べた方が良い
ここに俺が書いても良いけど、これは能動的に調べてもらった方が良い気がする
もし調べて何か感ずる部分があれば「安全運航を舐めてすみませんでした」と増田でも良いから全ての海技士免状取得者に向けて反省文を書け