はてなキーワード: 成人式とは
自分は子がつくが娘には子をつけなかった。
ということはまあ60年もしたらいわゆるひとつのババアになる予定。
それ以前に40もなったら子供(私の孫)(が生まれるかは未定だが)から婚約者を紹介されて、え、この人が姑さん。。とか思われる場面もあろう。
でもババアになったときにちょっと呼べない名前が最近多いなとおもう。
姫だの香だの美がついてたり。
実際そういう名前の人を見ると地味好みではいられないからとちょっと無理してる感じの人もいる。
(叶姉妹くらいまでいけば、ゴージャスでよろしいとおもいますが)
そもそも生まれたてでは容姿なんてみんな赤ん坊としかいいようのない顔だから判定不能。
同級生の伊藤蘭ちゃん、〇坂大輔くん、みんな名前に負けずにすごくがんばってたけど、
時代によって偶然の場合ならまわりもあんまり気づかなかったり、気付いてもセンスが良すぎただけ、時代に先駆けすぎたとなるが、
有名になった人の名前をもらって名前負けさせるような強い名前つける親の気持ちは私にはわからない。
同世代の親子に完全にプゲラされちゃうような名前、子供にとってはどうなの。
で、〇美とか〇姫とか〇香も自分にとってはその手のイメージの固定力(言霊?)があるので使いたくなかった。
ババアになろうがなにしようが、強く知恵を持って生きてほしいなー。
とおもってつけた、美も香も姫も入ってない女の子でも男の子でも使える名前。
5歳の七五三とこいのぼりと五月人形のDMが来たくらいしか弊害はなかったとおもう。
成人式とかも袴の通知がくるんだろうな。親が黙って捨てるだけです。
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あとまあ、長い目でみると
子がつく名前が歴史的には結構めずらしくて皇族だの藤原一族のころの定子とかから出てて昭和の一過性のはやりであったという話もある・・
突然こんなこと言ってごめんね
でも本当です
そもそも写真屋さんって、増田を見ている人にはピンとこないと思う。
もっとも、祖父の言葉を借りると、写真はプリント(現像)というらしく、印刷ではない。
今でこそみんなスマホで撮ってるけど、写真って、昔は技術のいる仕事だったらしい。
昔は、
↓
↓
紙に引き伸ばしてプリントする。
これがひとまとめのセットだった。カメラも今みたいに優秀じゃないから、素人が撮った写真をいかに現像で補正するかが写真屋さんの腕だったらしい。
何よりもめちゃくちゃ儲かったみたい。
写真屋さんはクリーニング屋さんに似てて、お店で現像することもあれば、外部の工場に外注することもあった。
原価はほとんどゼロで受付するだけで客単価は1500円くらい(?)。
上に書いたみたいに技術は要るけど、それも工場に出せば関係ない。
現像が必要だから、写真を撮る人は絶対写真屋さんを利用しなきゃいけなかったし、そのぶん数があるから工場も安かったらしい。
おかげさまでうちの祖父も息子二人を大学に行かせられたし、実家も建てられた。お店も借金はない。
祖父の話によれば、大きく変わってきたのはデジタル時代になってから。
現像しなくてもモニターで見れるようになって、紙にプリントする人が一気に減った。
それでも残ってた写真屋は学校の写真のプリントや撮影で生き残ろうとしていたみたいだけど、スマホの普及で一気につぶれたみたい。
私自身、祖父が写真屋をやってるから知ってるだけで、写真を印刷したことなんて数えるほどしかない。
叔父は写真学校に行って、写真館を経営して撮影をやってるけど、デジタル写真がメインになってからは、以前ほど撮らなくなったみたい。
私の母は次女だったこともあって、商売を継ぐこともなかった。
でも、もしかしたら、祖父の後を継いで、すでにオワコンになった写真の受付をしていたかもしれない。
私が子供の頃は、街中にたくさん写真屋の看板を見たけど、私の町でもだいぶ減った。
このまま人知れず消えていく業界なんだろうけど、ネットを見てても全然話題になったりしない。
私も写真屋なんて無くても困らないけど、このまま祖父のお店が無くなるのはさびしい気がする。
こんなものなのかな
撮影数は増えたけど、プリントの枚数が減ってるのが写真屋の悩みみたい
今はスマホでも店頭で受付できるんだけど、若い子は10枚印刷したらいいくらい。
フィルムを使い切って現像しないと写真の出来がわからなかったから、20枚撮りくらいのフィルムをみんなが使い切ってたし、絶対写真屋に持ってきてた。
写真館は成人式の写真撮影みたいな需要があるからまだやっていけるらしいけど、フィルムの現像頼みだった祖父のような店は成り立たなくなっていく
追記
思ったよりたくさん見ていただいててびっくりしました。
母から電話が掛かってきた。聞くと、「父と離婚することになった。原因はDV」だと。父が酔っ払っていたこともあるが、母に対する暴力(それも何時間における)で、警察に駆け込んでのことらしい。父は逮捕され、現在拘置中とのこと。そんな話を聞いて、そんなこともあるのか…と何処か別世界のことのように思えた。まさかこんなことが身に降りかかるなんて思ってもいなかったから。先月、両親と私は海外旅行に行ったところで、あの時までは本当に普通の家族だった。母は、10日間の拘置期間を使って、現在引越し準備をしているらしい。実家には学生の弟がいるのですが、彼もそれに納得しているとのこと。
父親は、普段は優しいのだけど、自分が気にくわないことがあると、力づくでも自分の考えを曲げない人だった。父親に逆上されないように、ビクビク暮らしていたのが我が家の「普通」であった。過去に、母親が酷く怒鳴られているとき、私が庇おうとすると、暴力を振るわれたこともあった。私は過呼吸の発作に襲われて、それでも、私は謝らなければならなかった。父は、次の日には知らぬ顔して、普通に送り迎えをしてくれたけれど、私はずっと、それを忘れることなんてできなかった。
だから、私は心の奥底で、ずっと父に対して恐れを抱いていた。
その経験を忘れられなかったからこそ、私は、母がこれからも暴力の恐怖に怯えて暮らすよりも、環境を離れて暮らしたほうが良いと思っている。今まで、モラハラ、パワハラがあっても、ここまで大きな暴力を父はしてこなかった。でも、いくら反省しても許されないことをしたと思う。
私は、実家から離れて暮らしており、今年成人式を迎えたところだ。名字や籍に関してもいざとなれば分籍できる年齢だから、と納得している。実家に帰りたければ、いつでも帰れるし、両親が「他人」になったとて、私にとってはふたりは血縁者であり、「他人」にすることはできない。だから、何かが変わるようで、何も変わらない。
「なんで」と言って泣いていた。
祖母が悲しむから、一番つらいのは私でないから、だから、家の中で私は悲しめない。
かといって、いきなりこんなことを話せる友人もいない。
平常心でいるしかない。
平常心を保ちつつも、しかし心の何処かがやっぱり悲しいのは何故だろう。
父親への怒りよりも、裏切られたという、悲しみがジワジワと湧いてくる。
私は、犯罪者の娘なのだと、心の何処かで誰かが私を責め立てる。
父親が父親でなくなることに、何も思わない私は愛が無いのだろうか。
この20年間育ててもらった人。
いろいろ、あった。
17歳の私は、休日の早朝に人の少ない場所で音楽を聴くのが好きだった。何故かはわからない、非現実感を味わいたい厨二病の一種だったかもしれない
その日向かったのは近所の小さな駅。しかし、この日はスポーツウェアを着た女子高生やスーツを来た大人が普段より多く居た
私はがっかりしてコンビニでお菓子でも買って帰る事に決めた。購入した物をさっさとリュックに詰めた私は家に向かって歩き出す
記憶が飛んだ。ここはテーブルの中央に大きな鉄板のある飲食店のようだ。どうやら私は中学の頃の同級生と昼飯を食べようと待っているらしい
遅れてもう1人来て元気に挨拶をした、私のすぐ隣に座る。お互いの腕が触れそうになる距離に動揺してしまうが、彼女は気にしていないようだ
先に料理が届いた友人が食べ始めた。今気づいたが私は何を注文したか覚えていない
もんじゃ焼きらしい。隣の彼女と一緒に食べるらしい。彼女は終始距離が近かった。私に好意でもあるように勘違いしそうだった
結局、最後まで友人達は私を茶化したりしなかった。解散するようだが、昼までの記憶がない私は皆が居なくなるまで店の前で立ち尽くしていた
こんな簡単に初めて捨てちゃうなんて不思議だね、と言われる。行為の感想より、動機の方が気になってしまう
いきなりごめんね、と謝り彼女は身なりを整えて帰ってしまった。電話してみたが出ることはなかった
それっきり彼女と会うことも話すこともなかった。成人式で3年ぶりに会う
野暮だが当時の事を尋ねた。私に興味があったとか、私が何を考えているのか知りたかったとか、側にいたらどう感じるかとか、抽象的で理解できなかった
http://anond.hatelabo.jp/20170522184118
めっちゃ分かる。
成人式は、その年の何百人何千人といる新成人が十把一絡げだからまだマシだけど、
コンプレックスがあると見て欲しくないよね。
最近であればこんな女はいくらでもいるだろうけど気持ちの整理がてら書き出す。
まず、綺麗に着飾った自分を見られたくない。
自分の容姿にあまり自信がないので、花嫁姿をあまり見られたくない。
というかそれでご祝儀3万円も取られる参加者の人の気持ちを考えると申し訳なさすぎる。
私自身、写真を撮られるといつも変顔してルックスをごまかす人間の方だ。
成人式の着物の写真は、二重アゴが黒歴史すぎてもう一生見たくないレベル。
結婚式でもそんな風に自分の容姿で傷つくくらいならやりたくない
会社ではそれなりに働き、それなりに仲が良い方だ。
でも彼の前でデレデレしている自分や、友人の前でおちゃらけている自分を見せたくない。
彼は働いている会社の人を中心に呼びたいと言っている。
今関わりのある人たちを大事にしたいようだ。
私は友人関係は広く浅くで、学生時代からの付き合いの友人が多い。
会社の人は仲はいいけど、それよりも学生時代の友人を中心に呼びたい。
これまでも何度も披露宴に呼んでもらうことはあったけれど、
披露宴の日に自分の経歴を紹介されるというのは、自分には合わないなと思っていた。
できれば自分のことは説明しなくても分かってくれるような、仲のいい友人数人と、呼ぶとしたら家族だけでやりたい。
でも彼が会社の人を呼ぶのであれば私もそうはいかない気がしている。
新郎は会社の人しか呼んでなくて、新婦は友人だけって、新婦会社に居場所なさそうに見えてしまうんじゃないか。
働いてないわけじゃないのに。
そして親をあまりまわりに会わせたくない。
親は嫌いじゃない。経済的に苦しい中ここまで育ててくれて感謝している。
でも、好きでもない。話が合わない。
地方で自営業をやっていたせいか、話がいつも自分の世界の中だけで完結している。
例えば就活で受けている企業の名前を話すと、それはXXの息子が勤めているとか。それで自分たちもその企業をよく知っているような話をしてきたり。
また、お酒をよく飲むので、酔っ払っている姿を小さいころからよく見てきた。
暴力とか暴言とか、そういう本気で嫌になる酔い方ではない。陽気に明るく飲むタイプだ。
でも、たまに余計なこと言ったり、デリカシーのない質問をする。
いろいろ考えると結婚式をどんどんやりたくなくなる。
私も彼も呼ぶ人をお互い譲る気はない。それもイライラしてしまう。
だったらもはややらなくていいんじゃないか。
彼は優しくてとてもいい人だ。とても好きだし尊敬している。
一緒にいれて幸せだ。結婚しても二人で仲良くやっていけると思う。
でも、私のコンプレックスのせいで、華やかな式はできない。
申し訳ないと思うけど、やっぱりいろんなこだわりは譲れない。
ドレスに凝る花嫁がいるなら自分の自意識を守ることにこだわる花嫁がいたっていいじゃないか。
親の言うままに何もかも妥協して、黒歴史と化した成人式のようには絶対にしたくない。
なんだか考えれば考えるほどやりたくなくなってくる。
別にまわりにお披露目しなくていいし、一緒にいるだけで十分幸せなのに。
なんで余計なこと考えて憂鬱な気持ちにならなきゃいけないんだろう。
結婚式、やっぱりやりたくない。
気がつけば25歳になっていた。今まで小学校・中学校の義務教育を経て高校・大学へ進み、今は就職して働いている。
仕事をしている時や、ふと何気ない瞬間に中学・高校の頃を思い起こそうとするのだが、ポッカリと穴が開いてしまっているかのように記憶が無いことに気がついた。
正しくは、要所要所の嫌な記憶はあるのだが、楽しかったエピソードや自分がどういう人間だったのかという記憶が無い。
成人式の時「増田は雰囲気が変わったな。落ち着いた」と言われた。
「中学校の頃のこと覚えてる?ほら増田は○○してたじゃん?」と言われたが、全く思い出すことができなかった。
皆は、私の覚えていない思い出を共有していて、しかも本来であれば私もその記憶を共有しているはずなのだが、私にはそれができず、大変モヤモヤした。
高校の同級生と久々にご飯を食べたときも同じような経験があった。
皆は私のしらない私を知っていて、私はそれが本当かどうかもわからない。
そのくせ、保育園児・幼稚園児の頃の記憶は残っていて、私はそこから置いてけぼりを食らっている気持ちになる。
庭で押し車を押していた記憶、火遊びをして怒られた記憶、徒競走で女子に抜かれた記憶。
幼稚園の記憶は鮮明なのに、それよりも後の時系列である中学・高校の頃の記憶が不鮮明というのは、何なのだろうか。
原因を考えたが、別段目立った原因のようなものは無い。
851 名前: 恋人と電話中(湖北省) 投稿日:2008/03/31(月) 17:42:05.99 ID:oefKdfWc0
ヤンキーみたいな馴れ合いの内輪ウケ、お互いがお互いを無条件で
認め合うセカイって何だかんだ言ってやっぱ良いよね。ムラ社会に回帰だ!
失われた青春プレイバック・永遠の文化祭、思いっきり馬鹿やって何が悪い?
メタボリックデブが女装コスで街を練り歩いてコスプレ文化の素晴らしさをアピール!
批判意見には『否定的意見もありますが、全体的に観ればアレは成功です。
何だかんだいって成人式で暴れるガキとか初日の出目当ての暴走族とかを
児童精神科に通院し強迫性障害と衝動性を抑えるためリスパダールとストラテラを服薬している。
1/2成人式を終えた頃から「授業中に勝手なことをしている」「急に大きな声を出す」「自己中」と級友から名指しで言われることが多くなり、最近はクラス女子全員を敵に回している。
「お父さん僕はガイジなの?」「ガイジって何?」「みんなからお前はガイジだって言われる。病院に通っているのは僕がガイジだから?」「いまは言えない。もうちょっと待って欲しい」これだけ答えるのが精一杯だった。
告知はまだ先と甘く考えていた自分が情けなかった。2ヶ月悩んで息子にASDのことを告知してみた。
「この色は何色に見える」「赤色」「その色は何色に見える」「赤色」「じゃこの色とその色は同じかなぁ」「同じじゃない」
「そうだね。赤色でも薄い赤もあれば濃い赤もある。人によって色や匂いや音の感じ方は異なるんだ」「うん」
「人間の脳の感じ方は人によって異なっているけど、どうも多数派の感じ方と少数派の感じ方があるみたい」「ふーん」
「多数派の方が正義で少数派の方が悪というわけでもない。ただ左利きと同じで少数派の方が不利なことが多いようだ」「うん」
「あなたの好きなさかなくんや庵野秀明さんもあなたと同じ少数派のようだ。少数派も生きるのに困らなければこれは障害ではないんだ」「ふーん」
こんな感じで告知してみた。翌日妻から息子が同級生に「この色は何色に見えるテスト」をやったことを知り、告知のミスに気がついた。
「アスペルガーは言われたとおり(文字通り)に受け止める」ことを計算に入れておらず、息子が同級生にアスペルガーであること知られてしまうリスクを背をわせてしまった。
先週中ごろから学校に行きたくないと渋り始め就寝中に嘔吐し38度の熱が出た。1日休ませたら平熱に戻ったので登校させたのだが、給食を食べた後再び嘔吐し再度38度の熱が出た。
救急外来で検査したが異常なし。嘔吐と発熱を繰り返す息子が「学校で具合が悪くて倒れたら顔にティッシュを被されて『○○さんはお亡くなりになりました』と言われて皆に笑われた」
と言われ頭に血が上った。本人はなぜ笑われたのか理解できていない。午前2時頃まで息子について妻と悲観的な会話をしていたら息子が呻きだし38度の熱が出た。
長い愚痴。
早生まれのせいもあるのか今年の成人の日以降から電話が掛かってきた。DMも家に届いた。
国公立の2次試験が終わった時期から2日に1回は掛かってきた。ひどい時には1日に4社から掛かってきた。今でもDMも毎日のように届く。
別に着る気がないわけじゃない。
母親の綺麗で上品な柄の振袖がある。私は量産型になりたくないし、派手ピーでいかにもレンタルしてますみたいな振袖を着たくないから母親のを着たいと思ってる。
だから親も私も、
と電話で応答していた。
ある時から
「それは親の気持ちであり、本人は違う考えの可能性もある。きちんと話し合った上で言ってるのか」
と言ってきた。
応答してるのが本人だぞ。
勿論と答えると、
「親世代の振袖は古い柄だ。最近の柄は異なっている。それに親の振袖だと、今の可愛い振袖を着てる子たちから浮いてしまう。写真は親のを着て、成人式はレンタルで出たらいい。そうしたほうが疎外感もなくなるし後悔もない。それに、高校と市と2つあるはずだ。着ていくものを変えたらいい」
と言ってきた。その場で切った。
「何度もDMを送りつけてきて、何度も電話を掛けてくるようなところとは一切取引しない」
と言っても懲りずに営業。
居留守使っても何度も掛けてくるし、でてもすぐに切っても掛けてくる。着拒否しても違う番号で掛けてくる。とにかくしつこい。とにかくうざい。勘弁してほしい。
基本着物や和服ってお祭りとか成人式みたいなイベントごとがあったときしか着ないじゃない?
甚平とか半纏くらいなら着る人もいるだろうけどまあ部屋着だし。
漫画やアニメだと普段から和服しか着ないヒロインなんかもよく見るけど、まあ現代のリアル日本じゃなかなか見ないよね。
もしかすると奇抜な人が集まる東京なんかにはいるのかもしれないけど。
そういうんじゃなくて、もっと気楽に、私服として皆が和服着れるようになったらいいなーって思う。
京都とかだと千恋万花みたいに和服の人が集まる地区とかあったらそれだけで景観がより綺麗になりそうだし
外国人観光客とかも喜びそうだし、何より浴衣とか着てる女の子って可愛いし、
これって割りとマジで案いいと思いませんか?
私のおっぱいは大きい。
思い出もいっぱいだ。卒業式のシーズンでなんだか思い出を叫ぶシーンがあったのを思い出す。作文も書いた気がする。そうだ、私のおっぱいとの思い出も作文しよう。
「ぶるん。」
初めて確かなこいつを認識させられたのは、小学校4年生あたりだ。おっぱいはとにかく痛く、ときに熱を持つ存在だった。この時のおっぱいは「ぶるんぶるん」のかすり音もなかった。
私は周りよりも背が高く水泳を習っていてヒョロガリな体型であったため、ほぼ男子のような扱いであり(後の組体操の際は男子を支える方であったし、担任より身長は高かった)、こいつが「ぶるんぶるん」というまで育つとは思っていなかった。
5-6年生での発育は恐ろしいものがあった。すくすく育つ。成長ホルモンドバドバ。関節はバキバキ。おっぱいはズキズキ。
「ぷるん。」
初めてそういう主張をされた。
そうなると嫌でも助言してくるのはおっぱいの先輩である母親だ。ワイヤー付きのブラジャーを勧めてくるが、先述の通り、私自身はブラジャーにある女の子らしさとは程遠い人間であったため、断固拒否した。
妥協案として子供用スポーツブラの導入が決定された。サポートメンバーだ。これによりしばらく「ぷるん」も鳴りを潜めることとなる。
中学校に進むと部活動に励むこととなるがここでもおっぱいは私を悩ませた。
「ぷるん。」
私はバドミントン部に所属したのだがラケットを振るにも、子供用スポーツブラではサポートしきれずに邪魔なのである。葛藤だ。
ここで更にスクール水着問題が発生する。7月が近づくと水泳授業のために水着を用意する必要がある。確か紺や黒の色指定があった。水泳教室(部活動を始めた段階で辞めている)で使っていたのは競泳用水着のため恐ろしく派手でとても使えるものではなかった。
そこでジャスコにスクール水着を買いに行ったのだが、子供売り場にあるそれではおっぱいが収まりきらないのだ。困った。
フィットネス用のものをマダム向け売り場で試着するもののあまりにもゆったりサイズで合わない。困った。
スポーツメーカーのものを着用したのだが、上から見れば谷間はモロ見えであり、中学生という年齢の私にとって非常に苦い思い出となった。困った。
元の問題に戻ろう。中学生ともなると周りのブラジャー着用率も上がり抵抗感は流石に薄れてきた。ぷるんと邪魔する問題を解決すべく、とうとうワイヤー入りブラジャーの導入を決定した。スクール水着を探す過程でおっぱいに対し関心を持つしかなかったのもあり、流れでジャスコのブラジャー売り場で初めてサイズを知ることとなる。
初めてのブラジャーといえばBカップぐらいの白と薄い青を基調とするシンプルなものがほとんどだし、学校でもそんな説明を受けた気がする。そういうのを着けるのだろうと思っていた。
フィッティングルームに入りメジャーで胸部をシュルシュルと計測されていく。お姉さんは「Dカップですね」と気軽に言ってから「オススメのものを持ってきます〜」と消えた。待ってくれ。
ABCDのDか?ビーの言い間違えではなくデーか?Dか。またお姉さんが現れて「こういう可愛らしいのはどうでか〜」と持ってきたブラジャーはパステル調のフリルやリボンのついた豪華なものだったと記憶している。少なくとも初めてのブラとして想像していたやつとは違った。確かなブラジャーがそこにはあった。
Dカップもふんわり女の子ブラジャーもすべてがあまりにもショッキングでそこからは記憶がない。母と2枚ほど買って帰ったと思う。おっぱいは確実なサポートを得て非常に快適になった。私の中で男の子っぽい体付きであった自分が死んだ気がした。恐らくずっと前から死んでいたのだけれど。
しばらくするとワイヤー付きであっても「ぶるん」というようになっていく。またあのショッキングな場に行かなければならないときが来るのだ。しかし、もうヒョロガリなだけの自分は死んでしまっているし、解決するには行くしかないということを学んでいる。Fカップであった。1,2年で2段階アップするのかこいつは…と思った。前と同様オススメのブラジャーを持ってきてもらう。もう諦めはついている。パステルでもフリル、リボンでも来い。そんな気持ちで「ぶるん」とさせていた。
「Fで中学生くらいだとこれくらいしかないんですけど…」お姉さんは現れる。手にはふんわり女の子というより、しっかりお姉さんブラジャー。とくにフルカップブラのダサさは強烈だ。色もデザインも中学生のブラジャー像を破壊していく強さがあった。なんとかまた2枚ほど選んだあとの値段もぶっ飛んでいた。(ジャスコのブラジャー売り場のちゃんとしたものは値段が張るということを後に知る。他に行けば安いものもある。)
高校生になると制服のサイズであったり、電車通学による満員電車で押し潰され問題、成人式ではタオルまみれになったりと話題は尽きない。たくさんの思い出がある。いいところも悪いところもこいつにはあるが、おっぱい星人の素晴らしい恋人に恵まれてからは、優しい需要と供給の一致を痛感し、おっぱいを誇らしく思う。サポートメンバーのすべてのブラジャーに感謝している。
びよんびよんまでどうぞよろしく。
人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。
そう思うようになってずいぶん経った。
きっかけははっきりと覚えていて、中学生のとき人間関係でトラブルを起こしたことが原因だ。
それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。
原因はもう忘れてしまったが。
僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、
Bとは口を利かなくなった。
その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。
班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、
というような指示があった。僕はAと同じ班だった。
一人はもう一人の男子が手を挙げた。
もう一人は誰も手を挙げなかったので、
じゃんけんで決めることになった。
じゃんけんは僕が負けた。
でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。
今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。
でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期の慢性的な不安から来るイライラといった身勝手な理由で自分を正当化し、
「お前、もういいわ」
僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。
その日Aと口を利くことはなかった。
今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。
この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。
たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。
とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。
Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、
あまりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。
筆記用具を壊されたり。
僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。
体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。
酷いあだ名で呼ばれたり。
AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、
怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。
気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分の内面も変わってしまった。
僕は自分の意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、
勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。
だからどんなに辛くても勉強は続けて、中学の同級生が数人しかいない学校に入った。
けれど、原因を作ったのは自分とはいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた
大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。
僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。
高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、
話す人ができた。
けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的な姿勢では
友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラスに友達が一人もいなかった。
3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。
大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。
どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル
だった。
そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。
やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。
けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。
また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい
とも思っていた。自分のつまらない劣等感・コンプレックスを克服できなかった。
一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。
直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。
高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。
すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて
けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。
他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。
友達もいない。
彼女もいない。
今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、
会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、
死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽのオヤジになって
誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。
「聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。
石田は自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、
成人式をトラウマとしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。
年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。
気の持ち様次第で、年を取ってからも自分を変えられる人もいるかもしれないが、
そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。
どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。
どんなことになろうとも、天寿を全うする。
実家の近くなので今度あそこにできるんだなと以前から知ってました。
それもかなり右よりだなと。
ちなみに豊中市の公立学校は北部はセレブですが、南部はDQNの集まりですw
ン十年前の話ですがとあるサイトを見る限りあまり変わってないのかw
http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm
http://mid.parfe.jp/kannyo/onbudtoyonaka/katu-hou/H14/H14-6-H13-sotu-tyou-seimei.htm
・音楽の教科書の最後のページはプリントを貼るように指示される
・小学校の修学旅行は広島でなぜか公園以外にあるとある慰霊碑の折り鶴まで作らされる
というかそっちがメイン(ry
・夏休みの登校日は大体8月6日。原爆関係の映画を見せて感想文を書かせる。
・道徳の名ばかりで授業がない。というか「にんげん」という怪しい本を使った授業になる
・高校受験は学力が高いかよほどの強い意志がない限り特定の学校の受験しかさせてもらえない
・成人式になると市民会館の前で日教組の旗を持って突っ立ってる
ご近所の選挙区で同胞の有名政治家が予算委員会サボってでもすっ飛んできますよw
自分の場合不幸中の幸いだったのが中学3年間のうち2年が退職した爺さん講師(今思えばバリバリの保守思想)に当たることが多かったので
最近twitterでキャンメイク云々で炎上したり、マジョマジョががらっと方向転換したりするのをみてて、まあなんとなく思うことをつらつら書いていこうかと。
スペックは96年生まれ20歳、中高大と女子校。都内在住実家住。そのほかは文章から察してほしい。
メイク自体するようになったのはほんとうにここ数ヶ月。去年の秋口くらいからで、通ってるところで発表会があったのと、バイトで接客してて、たまにくるメイクばっちりの人や同じ職場の人に刺激を受けたのが最終的な動機だと思う。
ちょっといいところで働いてるから、秋なのにフューシャピンクのアイカラー乗せてくる人とかいるし、ビューラーやつけまつげでまつげばっちりくるんとさせてくる人も多くて、しかも私は人より背が高い(170cm)から割と見放題で。それをしばらく続けてて、あ、そうか、男の人ってこういう視線の高さから女の人を見るんだな、って気づいた。今までメイクって女の子側が楽しくて、自分に自信があるからするんだって思ってたんだけど、それをみる男の人(をはじめとした相手)を楽しませるためにもするんだなって。現に私がそういうのを見て楽しんでいるようにね。
あと通ってるところ、ってぼんやり書いたけど、その先生が男の人なんだよね。今ふっと思ったけど、人生で男の人に外部でなにか習うのはじめてだ、もしかしたら無意識の中でそれも関係してたのかも。まあそれはそれとして、一応大学生が素顔で彼のところに出向くのはどうなのかな、って薄々感じてたのもあって。それまでは美術館でもどこでもほいほい着た服のままで出かけてたのにね。
で、メイクをするようになった話だ。
発表会で一応人前にたつから似合ってない色つけてたらやだな、って思って慌てて駆け込んだのが百貨店のちふれ。いわゆるデパコスと違って、ちふれだけ別フロアなことが多いから、当時ドラッグストアの化粧品売場をダッシュで素通りするような私がめっちゃがぐぶるしていくってことはなかった。それでも十分緊張はして、普段はおしゃべりな方なのにBAさんと一問一答、みたいな感じになってしまったけどね。お財布も傷まないし必要以上にひよらなくて済むから同じような状況に陥ってる子にはとりあえずちふれをすすめたい。
ともあれ彼女のおかげで無事私は人前に出るときと、習い事の日だけだけどメイクをするようになったわけです。問題も抱えてるけど後述。
で、どうして今までお化粧できなかったのかってついでにぼんやり考えてみたの。
今まで自分の顔立ちとかについても全然考えた、気にかけたことがなくて、それこそ中2の時から「化粧映えする」「もっとメイクしたらいいのに」とか「ハーフっぽい顔立ちだよね」とか「大学デビューしたらいいのに」とか言われまくってたけど、それひとつひとつにどう反応していいのかほんとうにわからなかった。羽目外せるところは外しまくってたから目立ってたけど、基本的にはいい子ちゃんしてたからそういうの興味あるって表明するとなんかアウトだと思ってしまってたんだと思うのと、どれだけそういうことを言われても、自分には装うだけの価値がないと思ってた。メイクを、自分自身の防御力をあげるもの、仮面をつけるものだっていう認識があった気がする。
今は違うんだ、メイクって自分をちょっと拡張する、自分が受け入れられるものを増やすような儀式の気がしてる。甘いメイクをしたらかわいいおんなのこっていうものを受け入れられるし、ギャルっぽく盛ったらいわゆる若者文化を受け入れられる。ロトムがフォルムチェンジするような感じとか、まだ途中までしか追えてないけどまほプリが力を借りる宝石によって違う姿になるとか、そう考えるとしっくりくるところがあるのでは。
多分メイクにひよるような同世代って、少なからず「自分に装う価値がない」「自分にそんなかわいいものは似合わない」と思ってしまっているんじゃないかなっていう私感。少なくとも私がそうだったから。でも、やるきっかけとする場所、ちゃんと見てくれる人さえ見つかれば、思ってるよりも簡単に壁は越えられる気がする。運よく私はそれが重なっただけって話。それができれば苦労しないって叫びが聞こえそうだけどいったんここで。
とまあ偉そうに言ってるけど、してるかしてないかくらいのうっすい化粧だけど、母親の前で化粧できないんですよ、私。外に出るときはメイクポーチもって駅前の多目的トイレにこもらないと化粧ができないし、同じところで落としてからじゃないと家に帰れない。ポーチは棚の奥に隠してる。
これはちょうど1年くらい前、色付きのリップクリーム買って帰ったときに見つかって、「あかくち○○○(本名)www」みたいにいじられたのが遠因だと思うし、成人式の前撮りで濃い化粧されたときに「清水ミチコwwww」みたいな風に言われたのも一因だと思う(私は眉をやたら濃くされた以外はプロにしてもらうとこんな感じなんだー、って楽しかった)。年離れすぎてる(去年還暦)なのもあるけど、そういう親の前で化粧する、した顔をみせるのはしんどいっす。彼氏できたとか思われてまた一通りイジられるのもほんっとやだし。
なんだか思いの外長くなってしまった。今でもキャンメの語尾にハートついた商品説明苦手で展開してる前で長く立ち止まれないし、ピンクのコスメに手が出せないけど、まとめると、装うことは楽しいぞ、っていうことです。
あ、あと、自分の好きなキャラクターがこの化粧品つけてたらかわいいよな、素敵だよな、っていう視点が入ると買うのちょっと楽になるかも。私もそれで最後の背中を押してもらった覚えがあるし、今でもちょいと助けてもらってる。そういう考え方を意外とバカにしちゃいけない。
以上。なにかあればブコメまで。できる限り答えます。記事にするのだけは勘弁。
2/22 0:46時点から拾えるところだけ拾って追記
>死んでください
そうか、人間生きてたら必ず死ぬんやで。私が死ぬ時はあなたも一緒に死のう♡
上にも書いたように私は身長が高くて男性の平均身長並みだから、男の人はこんくらいの高さからこういうの見て楽しんでるんだー、って思った次第。メイクしてる人を見てかわいいとか、素敵だな、とか思ってるので、それは物理的には男性と同じ立ち位置からみてるってだけで、ある意味で女性的な視点なのかもね。
>一回親をビンタすべき
そうかもね。一瞬このブコメみて反射で涙が出た。
前撮りの時、一応素敵だよ、とは言ってくれたけどね。
●各報告記事へのリンク(文字数制限があるようなので複数記事に分けてあります)
・「誤字脱字等報告 20160421[548]~20161004[612]」(このエントリ)
・「誤字脱字等報告 20161013[617]~20170125[655] および総合更新履歴等」
・「誤字脱字等報告 20170131[656]~20170303[670]」
・「誤字脱字等報告 20170306[671]~完結、~SS-39、~ハンネ-7」
・「誤字脱字等報告 20170713[ハンネ-8、SS-40]~ (更新中)」
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「612 遊び場」
境界門と国境門が開いているために転移陣と海の向こうに白い砂漠が見えていた光景は虹色の扉が閉ざされたことで見えなくなっていた。
→境界門と国境門が開いていた時には転移陣と海の向こうに白い砂漠が見えていたが、虹色の扉が閉ざされたことで、その光景は見えなくなっていた。
ハンネローレ様は元の飼い主のところへヴォルヘニールの返却にいらっしゃいました
→ハンネローレ様は元の飼い主のところへヴォルヘニールを返しに行っておられます
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「610 ランツェナーヴェの船 後編」
できるだけエーヴィリーベの剣を振るう者は多い方が良いし、
→エーヴィリーベの剣を振るう者はできるだけ多い方が良いし、
フェルディナンドはわたしが渡した魔紙に魔法陣をスティロで描き始めた。
→フェルディナンドはわたしが渡した魔紙にスティロで魔法陣を描き始めた。
耐撃性
→耐衝撃性
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「608 ランツェナーヴェの船 前編」
空よりも一段暗い海の上に
→空よりも一段暗い海の上で、
シュミルの乗り込み型騎獣を中心にした
→シュミルの乗り込み型騎獣を中心にして
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「607 新しいアウブ」
完全には回復していると思えません。
→完全に回復しているとは思えません。
→回復が完全だとは思えません。
知らないうちに皆殺しされるという事態は防げたらしい。
→知らないうちに皆殺しにされるという事態は防げたらしい。
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よほど効率は悪いと思う。
→よほど効率が悪いと思う。
マニュアル本的なグルトリスハイトが作られた。誰にでも使える物ではないように地下書庫の奥に収められる。
→マニュアル本的なグルトリスハイトが作られ、限られた者にしか使えないように地下書庫の奥に収められた。
君の居場所については考えてみよう。ひとまず、目の前の問題から片付けるとしよう。
→君の居場所については考えてみるとして、ひとまず、目の前の問題から片付けるとしよう。
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大きな球状の礎の中には淡い緑に光る液体が揺らめいているが、半分にも満たないように思える。
→大きな球状の礎の中には淡い緑に光る液体が揺らめいているが、その量は半分にも満たないように思える。
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「599 二人の情報と名捧げの石」
どのようにしてフェルディナンドはわたしがメスティオノーラの書を得たことを知ったのか、わからない。
→フェルディナンドがどのようにしてわたしがメスティオノーラの書を得たことを知ったのかは、わからない。
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「591 守る方法」
そんなことを平然と命じられる養父様でなくてよかったとさえ思う。
→そんなことを平然と命じられる養父様でなくてよかったと思う。
どうやらその聖典の部分が可動するようで、鍵穴があるようです
→どうやらその聖典の部分が可動式になっており、鍵穴があるようです
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「588 礎の魔術」
と意味を込めて微笑むと、
→という意味を込めて微笑むと、
突然の話題変換に
→突然の話題転換に
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「587 帰ってきたわたし」
それは、それは面倒くさそうに
→それはそれは面倒くさそうに
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「586 閑話 ジギスヴァルト視点 ローゼマインの失踪と帰還」
フラウレルムとは誰だったのか、とジギスヴァルトは記憶を探り、
→フラウレルムとは誰だったか、とジギスヴァルトは記憶を探り、
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流れ込んでくる知識について考えようした途端、
→流れ込んでくる知識について考えようとした途端、
わたしはエアヴェルミーンが本当に記憶を見れることに感心していると、
→わたしがエアヴェルミーンが本当に記憶を見れることに感心していると、
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「580 親睦会(四年)」
玄関ホールにはエーレンフェストのマントをまとった学生でひしめきあっている。
→玄関ホールにはエーレンフェストのマントをまとった学生達がひしめきあっている。
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「575 トゥ-リの成人式」
無理難題を振りかけるかわかりません。
→無理難題をふっかけるかわかりません。
写本がすごく楽になるになるはずだ。
→写本がすごく楽になるはずだ。
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ライゼガングとの繋がりになります
→ライゼガングとの繋がりだけになります
部屋がなかなか与えられなかったことようで、
→部屋がなかなか与えられなかったようで、
一番忙しい中に
→一番忙しい時に
しなければならない理由にならないはずだ。
→しなければならない理由にはならないはずだ。
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「557 閑話 望みと出口」
優秀な者は若手に多いと分析されているらしい。
→優秀な者は若手が多いと分析されているらしい。
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「552 王族との話し合い」
他の大領地ならば影響力を増えるので
→他の大領地ならば影響力が増えるので
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「550 地下書庫の更に奥」
まさか弾かれると
→まさか弾かれるとは
其方を兄上の第三夫人というのは
→其方を兄上の第三夫人に迎えるというのは
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「548 相談」
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卒業式ー。
悲しいほど綺麗なままの卒アル。
卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木で写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。
そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。
そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。
私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。
成人式ー。
誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院でスタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。
テレビをつけると成人式の話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。
入社式ー。
本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。
真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。
ヤンキーやDQNはよく漫画やドラマなどで正義の存在として描かれる。
ヤンキーの時点で、どう考えたってただの悪者でしかなく、それを正義の存在として扱って美談とするのは、ちゃんちゃらおかしい。
学生時代真面目に過ごしてきた奴にとって、ヤンキーの存在など邪魔でしかなかったろう。恨みも相当あると思う。
俺も学生時代はスクールカースト最底辺の非モテ・キモオタ層にいたので、散々ヤンキーにイジメられた。
なのでヤンキーに対する恨みは相当ある。ただし、一人を除いて。
俺の通った中学は、2つの小学校に挟まれているために、その中学に入学するということは2つの小学校が統合されたような感覚になる。
俺の通っていた小学校は真面目な生徒ばかりの、いたって普通の学校だったが、何故か向こうの小学校は荒れていることで有名で、ヤンキー揃いの学校だった。
ということは、もちろん中学なんか荒れも荒れていて、地元じゃ忌み嫌われているような中学校だった。
それが嫌で、わざわざ遠い中学に変更する奴がいるくらいだ。
どれくらい荒れてるかって、中学校に毎日パトカーが来る。そこに通う俺も何があったのかまでは知らないが、とにかく毎日朝から夕方まで学校前にパトカーが停まっている。教師にパトカーの理由を問い詰めても一切答えない。
授業中も、どこかしらガシャーン!と窓が割れる音が学校中に鳴り響いているのに教師はそれを無視して平然と授業を続け、生徒たちは誰も授業なんか聞いちゃいない。
机に足を乗せて無駄口くっちゃべってるのに教師はそれを一切注意せず、
ヤンキーたちが教師に向かって「つまんねーぞ!」「てめー教師の資格ねーんだよ、死ねよ!」と野次を飛ばしてはゲラゲラ笑い転げているのに、一切反応せず無表情で授業を続ける。「24ページの5行目は誰に読んでもらおうかな…じゃあ、安部!」みたいに、教師が生徒を指すということも一切しない。
ただ淡々と教科書を読み、黒板に説明を書く。誰も見ちゃいないのに。
チャイムが鳴れば「じゃあここまで」とだけ言ってさっさと帰っていく。
もはや、この教師は人間ではなく、感情の無いロボットなのではないかと思うほどだ。
一日中ずっとこんな環境なので、ああ、俺の学生生活は最悪だな…としか思えなかった。
それなのに教師たちは揃って「このクラスは素直だし、みんなちゃんと言うこと聞いてくれるから最高だな!この学校始まって以来の良いクラスだ」とか言う。バカなの?死ぬの?
まあ、授業中ガラスが割れる音が頻繁に鳴り響く学校なので、他のクラスは授業中は勝手に教室を抜け出し、校内の至るところで暴れているのだ。
授業中、教室から生徒が抜け出さないのはうちのクラスくらいらしい。
(俺は目撃したことは無いが、授業中に校内を歩けばいろんなとこでセックスしてる生徒を見るという。
休み時間ともなれば、廊下や教室、いろんなところで人目も憚らずベロチューしてる男女がいっぱいいた。
下校時なんか、ヤンキーたちが学校の近くのスーパーやコンビニ、中古車屋に展示された車、なんなら一般住宅に停まっている車に投石して歩く。どんだけガラス割るの好きなんだ。猿かよ。
毎日学校に周辺住民やお店から激怒の電話があったようだ。学校側が賠償をどうしてるのかは知らない。
投石で捕まる奴はいなかったが、万引きがバレてさっきまで学校にいたのに急にいなくなる奴がけっこういた。
信じられない人もいるだろうが、その中学校に通っていた俺にとっては紛れもない事実だ。田舎じゃよくある話だと思う。
こっちの真面目な小学校の生徒で、小学校時代は俺と仲良くしていた奴等も感化されてどんどんヤンキー化していき、俺をいじめるようになった。
女子の間ではヤンキーと付き合うことがステータスである。こっちの真面目小学校出身の真面目女子たちも、ヤンキー男子を次々渡り歩くヤリマンと化した。スクールカーストから蹴落とされまいと必死だったんだろう。
小学校のときは優しかった真面目女子たちでさえ、俺を蔑むようになった。
お前ら、あれだぞ。今で言えば、広瀬すずみたいな、男の言うことをなんでも聞いてくれそうな、いかにも童貞が憧れるタイプの清楚な童顔美少女ほど残酷だぞ。清楚な見た目して中身は酷いぞ。そういう女ほどDQNにしか眼中が無いぞ。まだギャルっぽい女のほうが可愛げあるぞ。
まあ、とにかく中学に入学するなり今までの平和だった環境が激変。えげつないほどイジメられまくった。
この当時のイジメられ体験談を他人に話せば、「よく自殺しなかったね」と言われる。それくらい壮絶を極めた。
俺と仲良くしてくれる奴なんて、一緒にイジメられてるカースト最底辺のどうしようもない男たちだけだ。
そんな壮絶な環境を、カースト最底辺男子たちでどうにか耐えてサバイブし、中学2年生になる。
中2になると、クラス替えがあった。このクラス替えが俺たちカースト最底辺の壮絶な環境をまたまた激変させる。
大西はこの学年のカースト頂点である。女子の大半が大西に憧れ(大西の彼女ともなればこの学校で一番偉いと言っても過言ではない)、同級生なのにも関わらずヤンキーたちは「大西くん」と呼ぶ。おそらく、呼び捨てしたらブッ殺されると思ってるんだろう。
上級生からは、くん付けこそされないものの、恐れられていた。下の学年の連中を好きなようにコキ使うくせに、大西だけは一切手を出されない。
とにかくヤンキーから恐れられていて、地元のヤンキーで大西の名前を知らない奴はいないと聞く。
この大西、なぜか俺たちカースト最底辺のどうしようもない男子生徒が呼び捨てするのを許した。
同級生ヤンキーが「大西くん」と呼ばなければならないのに、俺たちは平然と「大西」と呼び捨てした。この爽快感たるや!
俺たちカースト最底辺がクラスの隅っこでコソコソしてると、大西が「何話してるの?」と笑顔で入ってくる。
最初こそ俺たちもビビったが、あまりにも笑顔なので恐怖感がない。
当時は「アニメを見ている」と言うだけで迫害される時代だったが、俺たちがハマっているアニメの話をすれば「俺も見てみたい!」とか言う。DVDを貸せば、「俺もハマっちゃって続き気になるから、次も貸して!」とか言う。なにこの大西、かわいい。もちろんDVDも返してくれる。
俺たちのくだらないオナニー談義にも参加して、一緒にゲラゲラ笑う。
大西、ぜんぜん怖くないじゃん。
もちろんそれをヤンキーが黙って見ている訳はない。大西のいないところで、「テメーラ大西くんナメてんだろ、チョーシ乗ってんじゃねーぞ」と突っかかってきた。
ああ、また地獄のようなイジメが始まるんだなあ、と諦めかけた瞬間、
大西がすかさず現れ「俺の友達になんか用あんのか?」と言い放つ。
このときの救われた感は一生忘れられない。
俺らカースト最底辺と仲良くすれば大西とお近づきになれると思ったのか、それまで散々俺らをゴキブリどころか汚物のように蔑んでいた女たちが掌返して「こんど一緒に遊ぼうよ!」とかほざいてきたが、こちとら腸煮えくり返ってるもんでガン無視ですよ。喜んでお断りさせていただきます。(大西が裏で俺らと仲良くするよう指示した説を唱える人もいるかと思いますが、それは絶対に無いですー女が腹黒いだけですー)
教師が中3になったらまたクラス替えするとほのめかしだして、大西に守られた平和がまた覆されるとヒヤヒヤしたが、無事クラスそのままで中3へ進級。
大西のお陰で、2年3年は無事に過ごせたのだった。
ということは、中1の頃は俺と大西は別クラスだったが、もちろん大西のクラスだけはカースト最底辺の弱者をいじめることは無かったみたいで、
とにかく大西は弱者に優しい(というか対等に接する)ので、俺らだけではなくカースト最底辺の連中は大西を怖がる素振りは無かった。
ただ、俺らが平和に過ごせた中2中3期でも他のクラスではイジメがあったようだ。大西が本気を出せば全クラスでイジメを無くすことができたと思う。それが惜しい。
大西がここまでヤンキーに恐れられているということは、何を仕出かしているのかは知らないが、おそらく本当に極悪非道、稀代のワルなんだろう。
弱きには手を出さず。そういう信念があったと思うし、
普段ヤンキーの中にいる時は気張っていなければならないぶん、俺たちの前では気を緩められたのだろう。束の間の休息のようなものだと思う。
そのへんのヤンキーが俺らと仲良くすれば舐められるだろうし、カースト頂点にしか出来ないことだ。
(中学の卒業式、大西は沖縄の成人式並みのド派手な紋付き袴で現れ、教師に参加を阻止され式の最中ずっと職員室に監禁されていた。特効服で来たヤンキー連中も一緒に監禁。)
やっぱり田舎のワルらしく、大西は中学卒業後、進学もせず職にも就かず、フラフラ遊んでいるようだった。
俺はカースト最底辺らしく、また高校でヤンキーにイジメられるようになった。
イジメられるのが日常になったある日、街中で偶然遊び歩いている大西に会った。
「おお!久しぶり!またイジメられたりしてないか?」と聞いてきた大西に、
大西が「そうなのか。わかった」と言って別れた次の日、そのリーダー各が学校を休んだ。というか、そのまま3日ほど学校に来なかった。久しぶりに学校に来たなと思いきや、顔がパンパンに腫れていて、「階段から転げ落ちた」という。
そう、みなさんの想像通り、大西は俺と別れた後、ヤツを呼び出すとボコボコにし、
ちょっとここでは書けない鬼畜の所業をして差し上げたらしい。(便器で…川で…ああ恐ろしい恐ろしい)
階段から転げ落ちたのは嘘で、大西にやられたと専らの噂になっていた。
電話母「あんた、あのルビーの指輪使ってないでしょ?○○ちゃん今度成人式だから何かプレゼントしたいんで次こっち来るとき持ってきてくれない?」
(○○ちゃんは母のめい、私のいとこだが15年くらい会っていない。母は自分の実家大好きだから付き合いがあるかもしれない)
私「あの…あれはお義母さんが譲ってくれた大事なものなんだけど…」
(姑が、将来息子と結婚する人が現れたら贈ろうと、ずっと前に買っておいたという指輪)
母「使ってないんでしょ。勿体無いじゃない」
私「いや、だからって…」
母「○○ちゃんの成人式に何かあげたいんよ」
私「いや、それはちょっと、あの、うーん」
自分は悪くない、断って当然と思いつつ