はてなキーワード: 成人式とは
最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。
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『キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇
https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME
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最初は何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。
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CMの流れとしては、以下の通りだ。
・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホームの自販機で午後の紅茶(ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。
・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。
・東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース。
・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。
・女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット。
・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。
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シーズン的には「大学入学をきっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。
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CMの終盤、歌声だけがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジーを演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。
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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。
※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。
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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。
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私の出身はとある片田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。
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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元の大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学(地元の国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。
最初は不思議に思っていたが、周囲の友達に志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内の私大や短大の名前を返されることが多くなった。
そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大の名前は最後まで書かなかった。
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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり、地元へは長期休みと年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校の同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。
私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。
久しぶりに会ったのだから普通の質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生。地元の大学に通っていれば誰かしら中学や高校の同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさらに高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内の私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。
それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元の場合)から「外」に出る人は少ない。田舎は保守的だからだ。
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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女の母親は地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。
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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直なジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代の発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。
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性教育が『子供にセックスを教えるなんてけしからん』という声に押されて消えて十年以上が経つ。
今の大人が習った当然のことを今の子供から青年にかけては知らない。
セックスの仕方を早々に覚えてしまうことと避妊や性病の知識がないボンクラとを並べて後者の方が誰かにとって価値があるのだろう。
そんなわけだが、性教育はきっちりした方がいい。
アダルトビデオやポルノ雑誌は教科書にならないし、故意に間違った知識を流布されても正解も不正解も判断がつかない。
実際、この社会では流通網にのって割とどこででも売っている嗜好品としての商品を、まるで子供には無いものの様に振る舞うのは無理があるし、結局大人になってからいくらかの人間はこれに耽溺するのだ。
タバコは体に悪いとか、そういうことももちろんだが、吸うにあたっても屋外では法律で禁じられた場所があるとか、屋内でも多くの公共性の高い施設では吸えないとか、吸う前から教えておいた方がいい。
さらに、喫煙マナーとして妊婦や子供の前で吸うなとか、歩きたばこはダメとか、吸殻を捨てる携帯灰皿を所持するとか。
価格とかもね。
酒はさ、本当に飲み方を知らない子が突然、未熟な飲み方の集団に入っていくから一気飲みで死人が出る。
注文した娘の振袖を受け取りに行ってきた。
出来上がった着物に袖を通し、「かわいいね」「キレイに出来上がったね」と
和やかに話してた。
小物などの確認をし、店員さんが「では、お着物や小物をおまとめいたしますので、少々お待ち下さい」と消えていった。
次に店員さんが戻ってきた時には、何故か真珠のネックレスとイヤリングのセットを2点持ってきた。
・今の若い女性は首が細いから真珠は6センチの大きさが似合います
・留め具の部分が変わっててて、フォーマルとカジュアルで使い分けが出来ます
などなど、攻める攻める。
多分、着物を選ぶ時に「好きな着物を選びなさい」と娘に言って金額には一切触れなかったので
小金持ちだと思われたんだろう。
実際は「あの時、ママがこれがいいって言ったから決めたのに、やっぱり私には似合わない」と
文句を言われるのが嫌で、娘の好きなのを選ばせただけだったりする。
2度と行かないお店だったら、キッパリと断れるのだが
来年の前撮りと本番の成人式でお世話になるので、やんわり断るのが大変だった。
よく喋るけど感じのいい店員さんだったのに、この真珠の売り込みで、残念な店員さんになった。
少しぐらい売込むのは気にしないが、引き際がわかってないらしく、しつこいので最後には悪い印象になった。
たくさんお金があっても38万もする真珠のネックレスとイヤリングは買いません。
物を隠されたり、暴力をふるわれたわけではない。
あれをいじめと呼ぶのかは微妙なラインだと思うが、いじめかいじめじゃないかで言えばいじめだったと思う。
話し合いと称して時々人気の少ない体育館の裏に呼び出され、そこでひたすら私に直してほしいところを言われる。
もっと良くなってほしいから、と言っていたがかなり理不尽なことを言われた。
数人で話しているところに割り込んでくるな。
授業中自分が手を挙げているのに答えるな。
今考えればストレスをぶつけられていたのだと思う。
ウザい、気持ち悪いなんかも言われた。
8:1で私はずっと文句を言われ続ける。
苦痛だった。
下校時間までに終わらないと近くの公園で暗くなるまでそれは続いた。
いつもあいつらは、これであんたが部活やめても私たちのせいじゃないから、あんたも言いたいことがあるなら言えばいい、と言った。
言えるわけがなかった。
泣き虫だった私は途中から涙をこらえることができなくて泣いていた。
そうすると、泣きたいのはこっちなのになんであんたが泣くんだと怒られた。
大嫌いだった。
成人式の少し前、成人式のあとにみんなで集まろうと教えてもいないのにLINEで連絡がきた。
無視した。
それでも私は忘れない。
あれから10年近く経ったけれど、今でも母校の中学やあの公園の前を通ると、当時言われた言葉を、景色を思い出す。
楽しいこともあったはずの中学時代の思い出は、ほぼあの嫌な記憶で蓋をされている。
まだ売れていない女優だけど、Twitterを見ると共演者さんに"いい子"と言われている。
あいつが、いい子?
笑いが止まらない。
あいつが売れたら(正直売れないと思ってるけど)そのときはあいつの名前を出して言ってやりたい。
こいつは人をいじめてたやつだよって。
もしこれを読んでいて心当たりがある人がいたら、そのときを楽しみにしていてほしい。
俺は女性恐怖症なんだと思う。
女性恐怖症というものの定義については何も知らないし、そもそもちゃんと定義されているものなのかすら知らないけど、女性が怖い。
小学生の頃は男、女問わず友達がいっぱいいて、それこそ言い方は悪いが、クラス内カーストの高い男女グループにも所属していた。
たかが小学生の頃、と吐き捨てられるかもしれないが、俺の人生の中では輝いていた時代だった。
そのグループで休み時間も、放課後も、休日も、いっつも一緒に遊んで、ときには地元の遊園地とか、ディズニーとか行ったりした。
彼らの大半は、というか、俺以外、みんな中学受験をした。
俺の小学校はある程度治安が良くて、それは理想的だった。頭の悪いやつが頭の良いやつを尊敬し、頭の良いやつが頭の悪いやつに勉強を教えるような。
その環境にいて、俺は勉強ができた。つまりは、尊敬される立場だった。真面目に勉強していたし、褒められることは嬉しかった。
俺の進学した公立の中学校は、複数の小学校から生徒が集まっていた。
この場合の公立の中学校ってのは、中学受験しない、いわゆる「そこまで勉強できない」生徒たちの割合が多くなってしまう。
「勉強できない」と「素行が悪い」では必ずしも同じではない。これははっきり言える。
ただ、俺の進学した中学校は「勉強ができなく」て「素行が悪い」生徒の温床であった。
2つの小学校から進学してきた生徒のおよそ半分ぐらいが、不良だった。半分以上かもしれない。
壁に穴をあけたり、トイレを壊したり、窓からものを投げたりするような連中だった。
女子は、器物破損は流石にないが、口での嫌がらせや陰口、陰湿ないじめだった。
入学当初はみんなで和気あいあいおとなしく相手の動向をうかがったりしていたが、そのうちに本性を見せた。
俺と同じ出身の生徒たちは、みんな最初は怖がっていた。俺も怖かった。
こいつらと同じ環境で3年間過ごさねばならないのだ。今までの平穏な暮らしじゃ、到底ない。
だが、人間は慣れる生き物だ。
しばらくして、俺と同じ出身の生徒が、次々に問題を起こし始めた。
いずれにしても、いい影響ではなかった。
俺と同じ出身で、腐らずに真面目に学校生活を送っている生徒もちゃんといた。
俺は彼らと一緒に行動した。なにより小学校が同じで、もともと友達だった。気兼ねなく話せた。
小学校のころいつも一緒にいたグループの彼らとは、休日、会えるときは会って遊んでいた。しかし、今の生活に精一杯で、各々、徐々に会わなくなってしまった。
真面目を貫く生徒と、腐る生徒、完全にそれらが分断されるまで、1年ぐらい時間がかかった。
中学という、クラス単位で密閉されてる空間であれば、なおさらである。
中学1年の成績は、かなり良かった。
俺は喜んだ。この環境でも1年間やったぞと。
学年から、クラスに、クラスからは、班というものにわけられる。これは小学校の頃から同じだ。
中間試験か何かの答案返却があった。
かなりテンションが上がっていて、友達と答え合わせをしながら騒いでしまっていた。
その様子は、クラス全体が見ていたと思う。
と言われた。
すると、
「言われてやんの。うざいんだよお前」
と、同じ班の男子に言われた。
ここで、全て崩壊した。
俺は何も言い返せず、悔しくて、怖くて、うつむいて飯も食わずにその場をやり過ごした。
今までは、不良相手ではあるが、それなりのコミュニケーションを取って、空気を壊さないように、深く関係を持たずに、壁を何重にも張って、テリトリーを守って接していたのに。
1年はこれでやり過ごせた。あと2年間、無理だった。
泣きそうになった。鼻水が垂れてきた。
多分、この女子は自分が勉強できない腹いせにこういうことを言ったんだろう。
確か、記憶が定かじゃないが、彼女は偏差値30の高校に進学していたと思う。
話はすぐに広まった。
男子は、今までの関係もあるから、いじられることが増えたくらいで、敵視されるようなことはそんなに多くなかった。
次第に無視されることも多くなり、俺は病んだ。
あれだけ頑張って勉強して、その対価に、テストの点数で喜んだだけなのに、それを僻まれて、馬鹿にされて。
同じ出身の女子からも距離を置かれるようになり、さらにつらくなった。
俺はプライドが高く、それ故にこれまで頑張ってこれた。
このプライドをこの一瞬でずたずたにされて、しかもそれに対して何も言い返せなかった自分に腹が立った。
これまで興味のなかったアニメやゲームに没頭し(今ではこれが必ずしも悪かったとは言えないが)、放課後、休日はパソコンに張り付いた。
授業の知識は何も入ってこなかった。
先生からは怒られることが多くなり、それまでやっていた部活も途中で何かと理由をつけてやめた。
高校受験は、入学当初考えていたより、かなりひどい結果に終わった。
何も期待せずに相手と接し、全て平穏無事でことを済ませられるような対処をした。これを3年間続けた。
中学に、あのグループと一緒に進めていたら、なんてことを考えてしまう。
もしくは、俺も中学受験して、環境の良いところに身を置けばよかった。
少なくとも、"幸せな状況がいつまでも続く"という幻想を抱いていた俺が馬鹿だったと思う。
中学のあの頃、死にたいと思ったことが何度もあった。それでも耐えた。勉強にも身が入らなくなって、別の方向に腐った日々だったけど、必死に毎日を行き続けて良かったと思う。
卒業式、真っ先に一人で家に帰る、あのときの俺の気持ちが想像できるか?
これ以上、あの校舎に足を踏み入れなくていいんだと思った、あの気持ち。
あれから、変わったやつもいた。
変わらずに、いつまでもああいう人生を続けていくんだなと思うやつもいた。
もう一生会うことがないだろう、さようなら。と。
女性が怖い。
いつ、ふとした行動でどん底に落とされるか。
考えただけで、いやになる。
その友人とは小学校から大学まで一緒で、最も付き合いは最も長い
私は、人付き合いが苦手でめんどくさいと感じてしまい、成人式にも出席しないほど、出不精で、友人ははほぼいない
この結婚式もめんどくさいと感じたが、彼の結婚式に出なければ、今後結婚式に行くことはないと思い、あまり前向きではなかったが、出席した。
しかし、結婚式で数年、下手したら十数年ぶりに旧友と会え、旧友たちが元気でやっていると知れてとても良かった。
自分との関係が重要なのではなく、彼ら彼女らがこれからも健やかに人生を過ごしていっていただければ、とても幸いです。でも、ときたま、近況を知らせていただければと思います。
どうか、健やかな人生を。
一回打ってる最中に消えたけどがんばって打ち直し。
他にもはてなで書きたい話はあったけどついに登録してしまった。
いままでずっと美容室難民してたんだけど出勤途中にある店舗はみてて、ホットペッパーでカウンセリングがんばってるところ見たらそこだったのて行ってきました。
予約は13時半から。顔作って五分くらい前に着。
終わって店出て一息したら今。
ほかの客との兼ね合いで美容師戻ってこなかった時とかパーマかかりづらくて待ったりしたからこんなものかなあと。
んで流れ。エアウェーブかける人が参考になったら嬉しいがあまり役にはたたないかな。
鏡の前に通されるのかと思いきやカウンセリングルームがある店だった!!!
受付のおねーちゃんがバインダーを渡してきて記入、そこから詳しく聞いていった。
書いている間ずっと向に座られなかったのは安心した。
デジタルパーマかエアウェーブか選べるプランにしてたんだけど初めから3時間半くらいかかるが大丈夫かと聞かれていた。
んでそのカウンセリングの内容を担当美容師に伝えてもらってそこから席へ。でそこでも最初のどんな感じか相談して
かっちりコテで巻いたみたいにかたいデジタルパーマよりは傷みにくくて長持ちするけどゆるいエアウェーブにすることにした。
私は朝時間をかけるのがすこぶるいやでいままでも手ぐしでしゃしゃっとしてあとは適当にまとめておわりだ。とても楽したい。でもセミロングストレートは寝ぐせがつくとごまかしがきかないのと適当にポニーテールにするとまあかっこうがつかない。
それでも定期的に美容室にいくのがいやで気づけば数年たってしまった。
さらに3年半付き合ってた男がパーマよりこつちがいいよ!なんならショートにしてくれといわれてセミロングーロングは保っていたけど結局パーマはかけずにきてしまった。
んで別れてたっぷり3カ月引きずった挙句円形脱毛症が再発していまや頭頂部に毛が立ってしまった。
カットでほどほど整えて、薬液つけてロッドまいて、ちょっと待つ。チェックしてまだ待つ。なんなら薬液追加してまだ待った。かかりにくい毛質なうえに普段からカラーをしてるわけでもないからとにかくかからない。
アシスタントにすすいでもらってエアウェーブの機械に入る?がうるさいの大丈夫か確認されたくらいには納得なうるささ。
闇風が送られて5分くらいであったかいなーだったけどそこから10分入ってたらだいぶ熱い。
一度止まって、ロッドに空気送るチューブつないで、また15分。
停止液つけてまた待ってこの時点で16時。
すすいでドライヤーして終わり。
このドライヤーも停止液つけたアシスタントだったんだけど乾かしてる最中にメインの美容室戻ってきて容赦無く霧吹きで濡らし直したからちょっと面白かったけどいきなり奪われたアシスタントはちょっと可哀想だった。
ざかざかーって乾かしてすぐ外出すならちょっとウエットなのでいいよ!オイルか流さないトリートメントでまとめてあげるとパサつかないね!
ってはなしでした。
で、会計の時に受付の子が2カ月以内にパーマのあと一度カットするとパーマの持ちも良くて〜おやすくなりますよ〜と営業をかけてきて企業としてりとてもうまいとおもった。
また行くかはよくわからないけどとりあえず髪をまとめるのが楽になったらいいなとおもう。
まだ自分の姿がみなれない。
今の18~21才に成人として生きるスキルがあるとは思えない。
今の若者(18才~21才)はこんなもんだというなら、こいつはキッパリと子ども扱いするべき。
免許年齢や税金・年金・選挙権の年齢も引き上げろ。バイクは18才(大型は20才)から、車は20才(バスは23才)からにしろ。もちろん高校生のオートバイ乗りも再禁止だ。
車社会の常識を世間も知らない少年少女に押し付ける高校の大人は恥を知らないのか?
もちろん21才まで少年法適用でいい。勿論成人式は22才に受けさせろ。
大人として生きていけない男女に成人権なんて与えるんじゃねーよ。成人年齢は22才からにしろ!今の人生は100年生きるのが当たり前だ。どうして誰もその現実を見ないの?
内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います。
間違いなくあそこに地獄があった。
少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。
虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。
虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。
家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。
母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。
とても頼ることなど出来なかった。
学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下や音楽室の陰といったひと気のない場所に避難する時間であった。
とても辛かった。そんな場所だった。
部活は小学校の時にサッカーが好きだという理由でサッカー部に入った。大失敗だった。
部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。
中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。
とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものだから、勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。
英語がついていけなくなった。
家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校の宿泊研修で初めてリンスの存在を知る程度には貧しかった。
とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校の夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。
旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。
どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎の中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。
通学の自転車が指定の自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。
通学することが苦痛だった。
家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。
中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。
家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。
中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。
中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。
受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。
高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身は人間不信になっていた。やはり一人だった。
そして、とても落ち着かなくなっていた。
授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達と脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。
ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。
月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。
出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。
単位が複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。
留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。
高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯でネットに依存するようになっていった。
普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。
ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。
将来への絶望は消えなかった。
父母弟の介護をしつつ、田舎町から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。
17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。
オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。
隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。
18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。
19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。
また一人になった。
一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。
より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。
夜に原付を飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。
夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分は死ぬのではないかと感じていた。
服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。
砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。
死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。
死ななきゃいけないなら、自分自身が死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。
当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。
30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。
課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。
深みにはまってどんどん続けていた。
バイト探しをするようになっていった。田舎だから、求人は貴重だった。
毎度のごとく落ちていった。
21になった。レンタルショップのバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。
22になった。僕はバイトのままだった。世間の就職にまた焦っていった。
23になった。友人の誘いで地元の原発の作業員になった。入ってウキウキな気持ちと原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。
半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカで借金を作れば自分も死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。
24になった。転職サイトで中途で入社した。ネットの販売員だった。営業だった。件数は全然取れなかった。頑張っても取れなかった。
頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。
グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。
25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。
転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレスで意識が飛ぶようになっていた。
無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。
四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。
死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。
虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。
ありきたりだし自分でも気持ち悪いと思うけれどもう嫌で嫌で仕方がないからお焚きあげの意味合いでここに書いていく
なにいってんだこいつと思うかもしれないけれど自分が女だってこともしんどいし男の人が存在してるってこともしんどい。
もともと父親に病的なまでに女の子らしくしろと幼い頃に強要されてきたり(とても似合わないのに)小学校高学年までは学年で一番背が高かったりいま思うとお膳立てされ過ぎてる感はある。
似合わない女装とやたらでかい男女はそれだけでからかわれるんだよ
男の癖になに女装してんだとか男の癖にこれくらいの重さも持てないのかとか行事とかのたびにそのときの写真見てブスだな笑ブスの癖になんでこんな格好してるんだとか男の癖になに髪とか伸ばしてんだ気持ちわりいんだよとか
極めつけは事故で顔に大怪我負ったときのミイラ男じゃん笑顔隠せてよかったね笑か
何がびっくりってこれ学校男の子とか近所の子だけじゃなくて親兄弟からも言われてる母親までおまえはやっぱり性別を間違えて生まれてきたって言われてる
中学にはいったら同級生から言われたりすることはなくなったけどいまだに兄弟からはブスの癖にそこたってんなよとかおまえ男だろ笑と言われ続けている
みんな笑いながら言うもんだから傷ついてる私の頭がおかしいんじゃないかって思ってた時期もある。怒ったり泣いたりするとなにこれくらいで騒いでるんだコイツって扱いだった
本当に遠くの高校に進学したりインターネットがなかったらさっさと自分で死んでた
こっちにきてからできた友達はみんな優しくてかわいくて、服装も女の子らしい子が特に多い
私は結局中高で制服以外のスカートを持たなかったし、みんなで遊びにいくときに私だけやたら浮くのが本当に申し訳ないんだけど未だに化粧もスカートもなんならピンク色のものも怖くて持てない頭のなかでブスの癖に、男女の癖にって声が聞こえてくるから。買い物事態も苦痛だ、多分これから買い物のたびに一生聞こえるんだと思う
成人式なんか出たくないけど自分の髪で結えって祖母から厳命されてるから髪は伸ばしてるけどハサミでベリーショートにしたい気持ちに定期的に襲われてる
なんだよ女だけど背が高くちゃいけないのかよブスだけどスカートはいちゃいけないのかよなんでわざわざ女の子らしくなくちゃいけないんだよ
なんで同性から女らしくない化粧もしないやつって冷たい目で見られなきゃならないんだよ
いちいち男からも値踏みするような目で見られて明らかに他の子とは違う扱い受けて
なんでこんな拗らした気持ちの悪い女なんだ
こんなこと絶対にドン引かれるし自分語りなんか誰にも言えないのと高校卒業したてから親からの結婚しろ、恋人はいるのか、女性らしくしなさいコールが激しくなって辟易してたので。
せめて顔か性格がよければここまでひどくはなってなかったんだろうけどあいにくどっちも人並み以下なもんで男の人に怯えながら生きてる
某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。
まとめ
・投票率向上のために若者は白票出した方がいいというのはわからんでもない
・しかしそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。
・投票権の尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)
選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権を大事にせよ」という命令であり、選挙権を大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権を尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当に投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。
・投票できるのに投票しなかったら政治にコミットする権利はなくなるよ
そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするものの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義や国民主権の発想と異なるように思える。
若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者の投票率向上自体が若者向けの政策のモチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない
・400万円
雑すぎ。
・利益団体を利するだけ
選挙権を行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分の業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体が業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。
自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち
選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれた価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。
これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。
また完全に利己的な高齢者の投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。
また若者の投票率向上には一定の意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者の投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。
若者の投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人に押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民」運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。
先日、沖縄にあるチビチリガマ内で遺品が壊されたり千羽鶴が千切られてたりしたらしい。
やはり事が事だけに、政治的な背景があって犯行に及んだのではないか、というものが多かった。
バッッッッッッカじゃねーの???
そんなことあるわけないじゃん?笑
ヤンキーがやったに決まっているだろ笑
まあ、直感的にこう感じた。
政治的背景が絡んでいるとするなら、バレたの時のめちゃくちゃリスクが高いだろう。
まあ、犯行に及んだとされる団体や所属を晒されて、一括りにされて叩かれたりすることは自明だろうな〜(それ以上は過激派ではないので想像がつかない)
案の定、その後の報道で少年4人が「肝試し」という動機で犯行に及んだということが分かった。
まあ逮捕された方々は、無職とか型枠工だったりしたので、やはりそれなりにヤンキーだったりDQNであったことほぼ間違いないだろう。
自称知識人の方々は、沖縄という地域が、どれだけ底辺を産みやすい環境であるかを知らない。
まあ成人式の様子であったり、離婚率は軒並み全国1位、そのくせ出生率も高いという統計をみたりすると、何となく「あっ…(察し」と大方の想像はつくかもしれないが。
俺の中学校では、昼休みにクラスの男子ほぼ全員を巻き込んで、取っ組み合いをする「戦争」という遊びが流行ってた。
「えー(方言で「おい」の意味)、戦争しよーぜ!!はい、ピー(開始の笛)」
とか言って。
暗黙のルールはやりすぎないこと(極端な多対1の取っ組み合いなど)、殴るのは禁止など。バレると続かなくなっちゃうからね。
なので大体は羽交い締めにするような形になって、相手がそれに屈したら負け、みたいな感じだった。
そして、また次の相手と取っ組み合う。
書いてみて思ったが、これの何が「戦争」なのかワケわからなさ過ぎて笑う。
ちなみにこれでも沖縄戦で最も激しい戦闘があり、集団自決を数多く生み出した地域の中学校での話です。慰霊碑だって数多く建立されている。
まあ、沖縄ってこんなもんです。
もちろん優秀な人もたくさんいるよ!!(申し訳程度にもならない沖縄擁護)
ナイチャー差別が根強い地域もあり、閉鎖的なイメージもあるかもしれないが、基本的には県民の気質は楽天的かつ享楽的。
まあ皆さんどう思うかは自由です。
晴れて九月からイギリスの大学生となった私。超うれしい!最高!どきどきしながら一月の時間割を見る。…成人式の日とそのあたりに行われる試験の説明の日被ってますありがとうございましたーーーーーー!
学校と被るのはわかっていたけど二日三日休むくらい大丈夫だろうと甘く見ていた。通常のスケジュールならまあ後で苦しむだけでどうにかなっただろう。しかし、試験の説明となると…初めての試験だし絶対に聞かないとまずいと思う。その日のうちに出国したとしてもつくのは翌日の夜。とにかく当日と被ってしまっているのだからどうしようもない。どうしようもない。
調べたら全く同じような状況の留学生は結構いるらしい。実際友達にも行かれない子たちがいる。ダメもとでどうにかならないか周りの人に聞いてみようと思うのだけれど… 前撮りで着られなかったお母さんの着物、着たいな。
5年生になる娘がいる
音読の宿題で読まされる文章が担任の自作だった(しかも毎月違うのを出してくる)
前半は季節の描写で、桜が咲いたとか新緑とかそういうの。けど後半がやばい。
先生大好き
おうちの人大好き
思いやりのプロ 〇〇さん
しっかり聞くプロ △△さん
1/2成人式が問題になっている昨今、これはないんじゃないかと思う
自分の名前がクラス全家庭の音読の宿題で毎日読み上げられることを考えるとぞっとする
学級懇談会の際に配られた資料もなかなか聞かないワードが散りばめられていた
「まんてん行動」ってなんだよ
「まんてん挨拶」「まんてん廊下」「まんてん掃除」「まんてんスリッパ」「まんてん掃除」「まんてん名札」の総称らしいが常に満点じゃないと許さないの?
わしはすごい
課題してない日が無い
バイト減らしたい
都会の女はクソや
わしはもうストレスで、だめや
先週の課題とバイト地獄が終わったと思ったら、さらに増えてやってきたし、研究室で闇かかえて、もう限界や
また胃が痛くなってきた
理系いって精神壊す話はよく聞いてたけど、まさか当事者になるとは思わなかった
いろんな要素が絡み合ってるのがやばいな休学して金稼ぐのが正解なのかな
マイナスの人生をゼロにしたいだけだからそのために大学いってるから、悠長なことやってられんけど、休学なら授業料ゼロだからな
胃が痛いし、顔中が熱い
明日の生活に怯えながら膨大な課題と勉強こなさなきゃいけないのに生きるためのバイトで時間取られてしまう生活が三年続いておかしくなってきたな
一方では何の不安もなく若さを最大限楽しんでる奴らがいる 殺してやる
憎い
幸福の全量が決まっててそれぞれ分配されてたとしてわしが辛い分誰かが幸せだとするならば殺してやる
わしは本来素直で前向きで明るい奴なんだよ普通の生活さえ出来てればな
肉体的な制圧は構わないけどこうした精神的制圧は我慢ならないんだよ
わしの大学生活っていうか18〜23,4ってなんだったんだろうな
課題終わりそうにない
死ねよ
今月5万
食費20,000
受験料7,000
その他3,000
幸せ奴なんだよ全員殺す
ああそうだなわしはわしだ苦しく辛い生活を何年も続けてるのは間違いなく生身のわし
じゃあお前も苦しい思いして殺されてもお前はお前だよな、殺すから。
わかるか
わしもお金持ちじゃ無くてもいいから中流階級の家庭、それも女に生まれたかった
か弱い女だったらとっくに自殺してるか風俗落ちしてるような環境
日に日に恨みが溜まって行く
もう優しい言葉かけてくるやつも全員敵だろ
幸せそうな家族連れとかカップル見て殺意湧かない奴ってどうなってんだよ
生涯孤独
せめてこの苦しみに供してくれる人と理性的な会話をしたい人生だった
ここまでいったらもう後戻りできないし、大学辞めざるを得なくなったら人を殺さざるを得なくなる
生まれた時から求めることを禁止されて抑圧されて育ったらこんな怪物が育った
子持ち増田気をつけろよ
仮にあと一年と十ヶ月耐え抜いて自立したとしよう
更なる化け物が生まれるぞ
この先もう無理なんだよ
高校卒業まではただの根暗だったのに今のわしはもう怪物になってしまった
持ってるだけで使わねえ死にかけのジジイババアから金とって若者に回せ
一回も墓参り行ってねえよ ばあちゃん見てるか
わしのババアは何一つ残さず去年死んだよ 墓も無えよ
ジジイもそろそろ死にそうだよ何も残さずな
祖父母からはおろか両親からもお年玉なんて中学入る頃には貰ってなかったな
どんどん身内が死ぬけど涙一つ出ねえよ
そういえばばあちゃん死ぬ前、あの子には迷惑かけたくないからっつって死んだこと内緒にさせてたみたいだな
実際知ったのはしばらく経ってからだし
唯一良かったのは悪い奴らが周りにいなかったことくらいか
成人式ってなんだよ 成人まで立派に育ててくれてありがとうってか?
やかましいんだよ
どうすればいいんだよ
大学やめて働きゃいいの?
もう人間でいることが苦しいよ
今まで言わなかったけどお前らの想像の遥か上なんだよ
全員死ね 以外に何が思い浮かぶんだの
それでも自分なりに楽しくやっていこうと思ったけどやっぱ無理じゃね、って
許せねえ
許せねえよなあ
荒れて不快な思いさせてごめん もちろん一生1人で背負ってくよ
2時までやって寝るぞ 明日も一限や
残念 結局のところ同じような境遇の奴しか分かり合えないから、連鎖してくのかなあ
行動に移せる奴なんて稀だし
もうこの壊れた脳は戻らないと思うと本当に悲しい
ただ自殺だけは考えたことは無いな まあ今ちょっとやばくなりつつあるけど
わしも若いうちに幸せを享受したかった マジでジジイになってから楽になるんじゃ遅い
自殺でググったら若者130人以上を殺したロシア残酷自殺グループ「 Blue Whale」が日本進出間近!とか出てきてすごいものを見てしまった
特に親に絡めた事は行わず子供には将来への抱負とか語らせて、それを親が見学して感動してる、
要は「昔はなかった行事がでっち上げられたのが気に食わない」だけなんだろうけど
(まあ運動会は以前運動音痴が廃止しろとか叩いてたし、そもそも学校がやる事なす事全て気に食わないってのも一定数いるんだろうが)
何もわかってないな。感動押し付けだから反対されているだけじゃない。家庭によって色々事情が違って、必ずしも子供が親に感謝したくなる環境ではないことも多いのに(離婚・虐待・DV・死別等)、「親」に感謝しましょう、という家庭の状況に踏み込むのはやめてくれ、と言われてるんだよ。
卒業式は何も構わんよ。「本人の卒業」は家庭の状況に踏み込まずに祝えるからな。だけど、1/2成人式でやる「親への感謝」は、家庭の状況に踏み込まずに祝えない。
感動押しつけがダメって理屈なら「横暴な教師に色々されてイヤな気持ちが蘇ってPTSDになるから…」って言えば卒業式だってやめるの?って思っちゃうね。修学旅行だって運動会だってイヤな思いはいっぱいした人はいるだろうし。
「感動押しつけ」っていうワードが市民派の人にはビンビンくるらしいんだけど。よくわからんなぁ…と。
勿論、1/2成人式なんか要らないんだけど。その理屈は無いんじゃないの?と。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK6M4TL8K6MUTFL00G.html
ここに出て来る親のバイオレンスだのなんだのは、1/2成人式関係無く解決すべき話じゃないかなぁ…と。1/2成人式でイヤな思いをするってのは、原因から引き起こる個人的な感情なんだよね。1/2成人式が好きな人も、多分そういう個人的な感情で「感動した!出てよかった!」とか言っていると思うんで。どっちも、なんだそりゃ?って感じで。
小学生のこどもがいる父だけど、2分の1成人式って誰が何のために始めたの?キモいんだけど。
なんか親への感謝の気持ちを読み上げるっぽいが、自分が小学生のときにそういう気持ちがあったかというと、なかったわけで。
いや、とーちゃん、かーちゃんありがとう、くらいはあるよ。もちろん。
でも、壮大なミュージックにのせて、聞いている親が魂を震わせるくらい感動するような圧倒的感謝の気持ちはなかった。
自分がそんなんだったから、自分のこどもには期待していないし、そういうところに気を使うくらいなら別のことに頭を使ってほしいとは思う。
あとネーミングね。