「天職」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 天職とは

2021-09-27

石橋を叩かず即渡る(時には有効

木を見て森も見る(できる奴)

虻も蜂も取る(名人芸

上手の横好き(天職

犬の近吠え(勇気ある)

石の上に3秒(挑戦しただけ偉い)

可愛い子は家にいろ(ステイホーム大事

窮鼠猫に噛まれる(鼠さん逃げて)

罪を憎まず人を憎む(やめようね)

雨降って地ユルユル(気をつけて)

不幸中の不幸(抱きしめてあげる)

病は体から(よく寝てね)

2021-09-14

anond:20210914174321

あなた無能なわけではありません

あなたにその仕事が合わなかっただけです

でも、次は大丈夫

さぁ、米の上に椎茸、筍等を乗せて峠の釜飯を作りましょう

それがあなた天職です

2021-09-04

世間では高学歴って呼ばれるような大学卒業していわゆる大企業って呼ばれるとこ入社したけど仕事能力足りないし人間関係も上手く構築できずメンタルやられて5年で退職して工場転職してもう人生終わりかなって思ってたんだけどさ。工場いい。天職人間関係に煩わされず目の前の製品を完成させることに全力。楽しい。最高。最初から大学なんて行く必要なかったな。もっと早くに自分の適性を見極められていれば良かった。色々できるようになりたくて今度フォーク資格取りに行く。前職早めに見切りつけてよかった。いま1番人生楽しい

2021-08-24

色んなモノの10周年とか5周年とかの歴史見ると自分比較してしまうな

俺は今の会社に入って10年経つ。

もう流石に新人にモノを教える立場だ。

部下指導能力責任能力自主性と言った類が一切合切皆無なのもあってまだ係長にもなれてない。

仕事は好きじゃないし、自分が取り扱ってる商品もなんとか経済に組み込まれてるだけの寄生虫だなとしか思えない。

でも今更転職とか考える気にもならんし、漠然とこの会社が潰れたら潰れたで同業他社に入るんだろうなぐらいに考えてる。

天職を見つけられなかったままダラダラやってきた人間の末路って悲惨だなと我ながら思う。

そんな中で特定商品チェーン店が愛されて10周年どうこう言ってるのを見ると、俺とぜんぜん違うなと思う。

俺はもうただ会社ネームバリューみたいなものにぶら下がっておくための最低限の握力を誤魔化しながら維持することしかしてこなかった。

自分に対して自信は持ててないし、毎年の査定面談とかも「へへへ……あっしは別に今年も可も不可もなくって感じでゲス……へへへ……」と適当にすり抜けるだけだった。

会社が始めたなんちゃって成果主義の中で貧乏くじを引くような役目を負うことを条件に、業務量や責任が増えないようなポジション回避するようなこともした。

とりあえず来年死んでなきゃオッケーってことしか考えてない。

大学卒業した頃、就活ですっかりメンタルがボロクソになって、せめてリクルートパソナ社長でもなんとか暗殺してそれから死のうかなって毎日考えてた頃のメンタルを今でもどこかで引きずってるように思える。

ひとまずビバークして死なないようにって所から、そのまま下山も諦めてかまくらに住み続けたような状態だ。

俺はもうどうしていいのか分からん

こういう時、ネットだと安易転職すりゃいいじゃんって話になるが、10年かけて身につけたのが自社商品と他社商品の違いだとか、社内ルールに上手く擦り寄って暮らすこととか、評価されすぎないようにすることをトレード条件に緩い仕事をあてがって貰うような卑屈とも取れる生き方とか、そういったことだけだと結局どこの会社評価しないと思う。

俺が人事部人間だったら、多分俺は取らないだろう。

問題を起こしそうもない人間であればいいという目線で見ても、精神構造が決して頑丈でない人間と言うだけで雇う側(の人間に人事として問題ない人材として紹介する側)としてはリスクを感じるだろう。

ある程度組織が大きいと、そういう痩せ我慢をしながらストレスを溜め込むタイプにも、組織内の自己主張の数を抑えつつ頭数を増やしたいというニーズの中で需要があるので、いざ入ってしまえば居場所はある。

が、そういったタイプ採用ガチャ積極的に引きに行きたくなるような弾じゃないのは自分でもよく分かる。

10年かけて、結局俺は市場価値を積み上げることが出来なかった。

そんな俺から見ると、愛されて10年生きたと主張する奴らに恐怖すら感じる。

俺は10年積み上げたものがなく、更には10年30年先でなにが出来るかと言われても、相変わらずひとまずその他大勢として組織寄生するだけだろう。

嫉妬とかではなく、ただただゲンナリする。

ひとまず死ななきゃそのうち何とかなるだろうで子供の頃からやってきた。

ワンチャン突然覚醒する可能性を信じて、やっぱり何もないままだった。

無だ。

いつかトータルで勝つと信じてパチ屋居座り続ける死んだ目の中高年達、奴らと俺の人生に何が違ったのだろう。

見下している場合じゃなかったな。

だがアイツらに同情しても意味がない。

俺に分かるのは、ただ詰んでるってだけの話だ。

2021-08-18

FIRE天職に就くことができなかった人じゃないかと思う

グダグダと書いて行くけれど

FIREを目指す人は天職に就くことができなかった人なんじゃないかと思う

仕事のつまらなさを知ってしまった人

それか、つまらない仕事を続けている人

そういう人がFIREを目指すんじゃないかと思う

いや、全員ではないと思う。これは私のケースだ。

私は、もう口に出すことが辛いのだけれど、天職を諦めた。のかもしれない。

専門の学位国家資格必要なその職種大学入学後にやりたいと思い、就活の時にもやりたいと思い、でもスイッチしなかった。

ある程度世間一般に優秀だと認められている文系としては十分な学位を持っているのに、

また4年間若者に混じって大学に行きなおすということと、ゼロから始めるということと、

才能がない限り高給は取れないということと、

その上で成功する確証がないということ。成功とはなんぞや、だけど。

私にはまだまだ奨学金ローンもあって、そして女性で、結婚出産タイムリミット育児を考えていて、

そして自身大学で学んだ分野を活かせない分野に行くこともなんだかなあと思っていて。

でも結局自身が学んだ分野で輝いている職種仕事ができているわけでもなく。

同期のように外務省METI商社で日々優秀な人と話して仕事ができているわけでもなく。

本来ならやりたかった仕事をしている会社

働いているものの、その職種とは全く違うところで、周縁の仕事をしている。

中途半端に求めた結果、安易に就ける仕事を選んでしまった。

待遇に不満はないけれど職種に不満がある。そしてパッションを持てない仕事から、つまらない。なぜなら自身もっとパッションを持ってできる仕事があると知っているから。

そんな私はFIREに惹かれる。「パッションもないつまらない仕事」をずっと続けるよりも、資産形成をして、その後、パッションを持てる分野で給料関係なく仕事してみたいな、とか。何かやってみたいな、とか。

ただ奥底では知っている。FIREを追い求めて、たとえ資産が安定したとして、その後、30代中盤だか、からゼロから大きな仕事ができるのかと。

からずっと悩んでいる。ぐだぐだと、貯金残高だけは少しずつ増えて、でも自分の求める専門性は伸びないまま。ぐだぐだと。

FIRE天職に就くことができなかった人じゃないかと思う

グダグダと書いて行くけれど

FIREを目指す人は天職に就くことができなかった人なんじゃないかと思う

仕事のつまらなさを知ってしまった人

それか、つまらない仕事を続けている人

そういう人がFIREを目指すんじゃないかと思う

いや、全員ではないと思う。これは私のケースだ。

私は、もう口に出すことが辛いのだけれど、天職を諦めた。のかもしれない。

専門の学位国家資格必要なその職種大学入学後にやりたいと思い、就活の時にもやりたいと思い、でもスイッチしなかった。

ある程度世間一般に優秀だと認められている文系としては十分な学位を持っているのに、

また4年間若者に混じって大学に行きなおすということと、ゼロから始めるということと、

才能がない限り高給は取れないということと、

その上で成功する確証がないということ。成功とはなんぞや、だけど。

私にはまだまだ奨学金ローンもあって、そして女性で、結婚出産タイムリミット育児を考えていて、

そして自身大学で学んだ分野を活かせない分野に行くこともなんだかなあと思っていて。

でも結局自身が学んだ分野で輝いている職種仕事ができているわけでもなく。

同期のように外務省METI商社で日々優秀な人と話して仕事ができているわけでもなく。

本来ならやりたかった仕事をしている会社

働いているものの、その職種とは全く違うところで、周縁の仕事をしている。

中途半端に求めた結果、安易に就ける仕事を選んでしまった。

待遇に不満はないけれど職種に不満がある。そしてパッションを持てない仕事から、つまらない。なぜなら自身もっとパッションを持ってできる仕事があると知っているから。

そんな私はFIREに惹かれる。「パッションもないつまらない仕事」をずっと続けるよりも、資産形成をして、その後、パッションを持てる分野で給料関係なく仕事してみたいな、とか。何かやってみたいな、とか。

ただ奥底では知っている。FIREを追い求めて、たとえ資産が安定したとして、その後、30代中盤だか、からゼロから大きな仕事ができるのかと。

からずっと悩んでいる。ぐだぐだと、貯金残高だけは少しずつ増えて、でも自分の求める専門性は伸びないまま。ぐだぐだと。

2021-08-06

憎悪クリエイター向いてるんだけどこの才能をどこに活かしたらいいんだ

自分には、人を扇動したりだとか、疑心暗鬼を煽って、人と人を傷つけ合わせる才能があるみたいなんだ。

社会人がどんなことを言われたくないのか、すごくよくわかるから、それを煽ることができる。

弱者気持ちがよくわかるから、それをどうやったら踏みにじることができるのかよくわかる。

個人的社会を変革したいとか、そんな気持ちは一切ないんだけど。

暇だから人の憎悪を煽ったら、あまり自分に才覚があってドン引きしたんだよね。

例えばなんだけど、ここで適当に色んなものを煽る日記を書くと、簡単に100~1000以上のブクマがついてSNS上でレスバが起きまくる。

noteとかまとめサイトにもめっちゃ取り上げられる。

多分、本質的自分はそういうのが好きなんだろうな。わかってしまった。

憎悪を煽るためなら本を読んだり、足を運んで取材をすることが、苦じゃないんだ。

情熱があるんだ。人と人が憎しみ合って、言葉ナイフで切りつけ合う姿を想像すると、自分情熱を注ぐことができる。

そして結果を出すことができる。

人生で、初めて歯車が合った音がしたんだよね。ああ、これが才能ってやつなんだなって理解できた。

この音が、スポーツだとか、会社での仕事だとか、そういう場所で聞こえたのならきっと素晴らしいことだったんだろう。天職ってやつに巡り合えたのかもしれない。

でも、自分の才能はSNS上での憎悪を振りまくことに特化しているらしい。

ねえ、この才能って一体何に使えばいいの?

2021-07-15

セックスワーク差別無知からやってくる」というけれど…

自分セックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田ロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。

安全確保

そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合密室で、1対1で行うということになる。特に店舗風俗では完全にアウェイ相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い男性相手女性セックスワーカー場合フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率さらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有リスクだ。

健康リスク

健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある慢性的侵襲、性感染症意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったとき労災環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災労働環境保全過去事故反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマン職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。

感情労働

セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分提供される商行為であってほしくない」という利用者幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神健康にどう影響するか想像してみてほしい。

職業としての向上・展開の難しさ

セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランプロフェッショナルほどサービス付加価値高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから素人女子高生女子大生セックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロ付加価値は下がっている。

これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカー労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体セックスワーク特殊性をよく表している。

こういうセックスワークをめぐる構造問題特殊性ちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカー権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。

元増田セックスワーク擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者支援者が認識している論点無視したり、「ワーク」全般セックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。

追記

みなさんコメントありがとうございます自分的に重要な指摘だと思ったことにコメントします。

id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような

行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為法律行為代理免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者保護するためだと思いますが、上記理由セックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体健康安全利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています

セックスワーク特殊性ひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体サービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワーク普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつアポリアだと思います

追記追記

id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体のもの一時的供出、それに伴う健康的・身体リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意ボランティアという体裁になっており、支払われるお金治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、​社会的常識範囲内における費用の支払いによる被験者負担の軽減のための費用)という名目になっています報酬金額制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされていますとはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティア収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。

国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人自己身体一時的相手使用させ、②相手の〈自己身体使用〉に伴う身体的・健康リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います

このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワーク業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワーク現場から排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定身体的・健康リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます

セックスワークには利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店派遣風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体のもののへの直接のアクセス利用者許可している」という脆弱状態にあるので、利用者が予め設定したライン欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります

建設業では現場建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロール実施し、ヘルメット安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスク可能な限り抑制します。風俗業界では、店員ドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスク可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います建設業では、ワークの現場監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています風俗業では、ワーカー自身利用者から防護することはできません(一時的身体へのアクセス権を利用者提供すること=ワーカーの身体利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれいるからです)。管理者がワークの現場監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。

中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗風俗では、しばしば出禁罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真掲示されています代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしま利用者一定数いること、そしてその行為被害を受けたワーカーも同数いることを表していますセックスワーク現場でワーカーがさらされる健康的・身体リスク抑制が「事後制裁」という形式しか行えず、それが現実抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカー安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています

この追記追記ちょっと取り留めなくてすみませんが、治験という切り口から考えたことをつらつら書かせていただきました。

2021-06-27

LPICって受ける価値ある?

コマンド叩いてるときが一番幸せ天職だと思うけどお賃金が低そうで転職を迷ってる。

2021-05-09

ある氷河期世代の妄言

いつも自分に何かが足りないような気がしている。

高校入試ときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。

大学に入ってからも、トップ学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。

その一方で、努力をしてこなかった。

頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。

高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。

図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。

計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。

実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。

何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。

社会人になってからも同じだ。

学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。

もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。

医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。

ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。

成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。

とはいえ成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。

自分社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまりまれ職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。

だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。

自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。

仕事を見つけるにしても、自分就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかいからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験お断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。

フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。

それなのにいつも夢を見てしまう。

実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスからこれは違うのか。

それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまたことだ。

いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。

自分人生はこんなもんだと、得られたもの感謝して生きることができない。

今とは違う景色がどこかにあるんじゃないか

そういえば、あの坂を登ればって国語教科書で読んだな。

あれはこんな感じなんだろうか。

あの話がミッドライクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。

研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。

なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。

頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分

そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。

後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。

どうすりゃいいんだ。

こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかいか

もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。

なんなんだ自分

本当に馬鹿だな。

こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのとき一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。

どうして自分ことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。

これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。

人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。

どうだろうな。

何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。

だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。

今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場幸せに働けるって思っていたいんだ。

適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。

どこかに自分理想職場があって、理想仕事がある。自分天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。

仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそ理想仕事なんてないんだから仕事仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。

でも、なんで自分人生時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分自分を不幸にしている。

頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。

いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。

2021-04-28

anond:20210428164111

いや進次郎みたいなやつこそ虚業従事するべきなんだわ

見た目とハッタリとコネだけで生きていける広告業界こそ進次郎の天職でしょ

2021-04-21

鬱から立ち直った話

鬱病者です。

鬱病になったきっかけは、親のDVと小中で虐められてきた事が始まり

幼児の頃から殴られて、学校から帰ったら酒浸りの父親がいて気に入らないことがあれば、いきなり「しつけだ」といって殴る。

しつけも何もただ勉強しているだけで殴られました

そして母も私をかばって殴られます


学校へ行けば、お前の親父はヤクザと言われ馬鹿にされ暴力こそないけれども、村八分状態

父親ヤクザでもなくて、ただのチンピラみたいなものだったのに。それでもイジメられる原因にはなるんですけれど。

なにか物が無くなれば、私のせいにされ学校では教師も混じって集団リンチ

小学校とき校長先生けが味方でした。私は挨拶を欠かさなかったのと校長先生菜園を見ているのが好きで、よく遊びに行っていたから優しかった。


中学に入り、小学校の時よりも親に殴られ体中傷が付いて学校へ行って、今度は暴力が始まりました。

陰湿嫌がらせよりも今度は直接的にいたぶる行為ばかりです。

教師に伝えても、教師は何もしてくれない。「気のせいだよ」と言ってくるだけ。

何度かイジメ現場を目撃しているのに「遊んでいないで早く下校するように」と言われたときにはショックでした。

家に帰って、それを伝えると父親にまた殴られる。殺してこいみたいな事を言って、虐められた方が悪いと言ってきました。

その辺りから毎日灰色がかって何をやっても沈む一方に。

家では相変わらず殴られ、時には血を吐いたり。学校ではモップなどで殴られ、金具で肌を切ったりで血が出て。

中傷だらけだから学校で虐められてもわからないんですね。誰に言っても聞いてくれない。

周りはどんどん灰色になっていく日々。動くのも辛い日々です。でも、家にいればもっと辛い。

まだ今みたいに鬱病という病名が世間で有名になっていない時代だったので、鬱というものがわかってなかったのですが、

後々に精神科医確認したら、それは鬱病だったんだと言われました。


朝起きたら『生きてるんだ』と思い、夜になると『明日死ねるかな』と思って毎日続けてきました。

そんな日々が中学卒業してから、少し変わりました。

本来選んでいた学校中学3年の時の担任に願書を握りつぶされてしまい間に合わず、残った底辺高に嫌々入る事になりました。

握りつぶされた理由は『体中に傷がある』という理由だけでした。

イジメ関係学校名前に傷がつくというのを避けたかったみたいな事を濁しながら言われたときは信じられなかったです。


底辺高校に入り、当然イジメられるんだろうな…と思ったのですが、不良というのは生意気な奴ほどイジメ対象にするみたいですね。

入ったときから何に対しても無関心で、明日は生きているかなと思うだけの毎日だったので覚悟はしていたのですが

家で殴られるくらいなら高校で殴られていた方が気分的には楽でしたから、拍子抜けです。

高校に入ってから殴られることはなくなりました。

しろ彼らは私を守ってくれる側に立ってくれました。良いように聞こえますが、不良は不良です。当然悪事も働いていましたし、私はそれを見てきました。

後で聞いたのですが、私がイジメられなかったのは、もう何をしても死にそうだったからだそうです。

まあ、あんな顔を見ればそう思う人もいると思います

彼らは、なんとなく始めた私の身の上話を聞いてくれて「よく生きてんな」「すげーじゃん」「マジぶっ殺してやりてえな」と褒めてくれたり、同情してくれました。

世間から見れば、彼らは悪い子供たちですが、私にとってはカウンセラーでした。

そこから私の死の色をしていた風景が変わりました。

彼らは大人には反抗するけど、私みたいなのには優しくて身を守る術などを教えてくれました。

毎日死ぬのかなと思っていた時間が嘘のように変わり、毎日が楽しくなったんです。


そして社会に出て、私は接客業に付きました。

もともと会話をすることはキライではなかったので、接客業は私にとって天職とまではいかないにしても好きな仕事です。

あらゆる接客業に携わりたくて、高校卒業から20代前半まではコンビニファミレス電気店水商売・娯楽で働きました。

ちなみに親はしばらくして身体を壊してあっけなく終わりました。


これまで生きるのが辛いほどの暴力イジメ大人の汚い所を経験してきました。

結果として鬱病になりましたが、高校出会った人たちのおかげで元に戻ってこれた。

鬱というのは、絶対に治らない病気ではないのだなと。

私の場合は家に籠もることも出来ず、外で暴力を受けていた方が楽と感じました。

辛い日々でしたが、外に出ていたおかげで治すきっかけも得られました。

今の人たちは内に籠もってしまうので、治すきっかけが少ないかなと感じます

私にとっては、たまたま不良の彼らが居てくれたから元に戻れたのだと思います

しかし、そういう出会いも外にでないとありません。

時代的に人情などは古い骨董品のような扱いになってきていますので、なかなか出会いはないかもしれません。

が、どんなに辛くても立ち上がるという行動はしてほしいと思います


こんな事を匿名はてなで書いても嘘話と笑われてしまうかもしれません。

しかし、実際に経験してきた私としては鬱に苦しんでいる人には立ち直ってほしいと思います

きっと増田の中にもきっとそういう人はいるんじゃないかなと思います

負けないでほしいと。

2021-04-16

リストver2

年月日
名称
場所被害者使用道具犯人犯行時年齢まれ人物供述
1999.9.18
池袋通り魔殺人事件
池袋路上死亡2+重軽傷6包丁と金造田博231975親が借金失踪大学進学断念「真面目な人がさらさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした」
1999.9.29
下関通り魔事件
下関駅構内死亡5+重軽傷10レンタカー包丁上部康明351964九州大学工学部一級建築士離婚社会に不満があり、だれでもいいから殺してやろうと思った」
2001.6.08
附属池田事件
私立池田小学校死亡8+重軽傷15包丁宅間守371963182cm離婚4回モテ男・兄は事件前に自殺なんや、家が貧しい者は、ええ学校入られへんのか」
2007.12.14
ルネサンス佐世保スポーツクラブ散弾銃乱射事件
クラブ死亡2+負傷6散弾銃馬込政義371970高身長フツメン週刊新潮によると母→父の逆DV家庭犯行自殺
2008.3.19
土浦連続殺傷事件
茨城県土浦市民家・路上死亡2+重傷7包丁サバイバルナイフ金川真大241983父は官僚帰国子女死刑になるために殺した」「ライオンシマウマを食べるときシマウマに悪いと感じるのでしょうか」
2008.6.08
秋葉原通り魔事件
秋葉原路上死亡7+重軽傷10トラックナイフ加藤智大251983派遣社員負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」「本気で自分を『負け組』だと考える人のことは全く理解できません。また、自分努力不足を棚に上げて『勝ち組』を逆恨みするその腐った根性不快です。」
2016.6.21
イオンモール釧路昭和通り事件
北海道釧路モール死亡1+重軽傷3包丁松橋伸幸331983介護施設調理師新聞配達員人生を終わりにしたかった。死刑になってもいい。殺人が一番、死刑になるかと思った」
2016.7.26
相模原障害者施設殺傷事件
やまゆり死亡19+重軽傷26包丁植松261990介護士障害者可愛い自分必要としてくれる。天職だ」「重度障害者家族は病んでいる。『幸せだった』という被害者遺族は不幸に慣れているだけだ」「特に短期入所者の家族は、暗い表情でそそくさと逃げるように帰っていきます。重たい表情で疲れ切っていました。」「職員は死んだ目をしていた」
2018.6.9
東海道新幹線車内殺傷事件
新幹線死亡1+重傷2小島一朗221996ホームレスさらに私は言った。「私には生存権がある」「(警官)この場合はあたらない」』
2019.5.28
川崎市登戸通り魔事件
私立カリタ小学校スクールバス死亡2+重軽傷18包丁岩崎隆一511967ひきこもり犯行自殺



渡邊博史(犯行当時36歳・1976生・元派遣社員)の手記より

 《自分人生犯行動機を身も蓋もなく客観的表現しますと「1020代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ状態になっていることに気がついて発狂し、自身コンプレックスをくすぐる成功者発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯もの動機なのです。

 しか自分主観ではそれは違うのです。以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。

2021-03-28

anond:20210328093732

プログラミングは好きでやっているの?なんとなく食い扶持がありそうとか言う理由だとキツくなってくると思うよ。

好きならもちろん天職だけど。プログラムバグはつきものからみんなでテストすればいいんだし

2021-03-18

anond:20210317182955

ゲイが祝福されない云々はともかく、

定説は考えようによってはそんなに悪いものではないと思う

資本主義キリスト教プロテスタンティズムからまれたとも考えられている

宗教改革におけるカルヴァン思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的権威をもち、人間原罪キリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠生命にあずかるもの永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰西ヨーロッパ商工業者中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパ商工業者の中から近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、

私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである

からこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生謳歌するしかないとさえ私は考えている

その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、

もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである

まり自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなである

なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないかである

そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である

人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである

から別にキリスト教信仰しろ信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、

人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的科学思考が正しいとも言えない存在であり、

特別信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える

それは星の王子さまの、大切なものは目に見えないだったり、

水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている

キリスト教宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である

しかし、本当に宗教必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、

個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う

そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、

飽食時代から心の問題を描いた」みたいな発言があったが、

しかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想カルトを多く生み出した

しかし、当時の庵野氏が言う、飽食時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、

これは本当だろうか

もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう

しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態シンジにとってのゲンドウが死ぬシンジにとっての周囲の人たちが死ぬ

でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか

しか他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない

極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、

そういうことが起こっても不思議はない

しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか

これでいいのか、何か間違っていないか

そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業発明してきたのではなかったのか

もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである

なぜなら、それで勝者は生きていけるからである

しかし、そうならなかったのはなぜなのか?

そして、こういった万物すべてを神様計画なさっている

悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたこである

神様役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、

すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないかである

逆に考えても、すべての人が幸福世界なんてありえないとしか思えないわけで

あくま個人的解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、

キリスト教の中にも聖書無謬であり絶対的に正しいという考え方と、

いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある

色々なキリスト教があるし、キリスト教以外の宗教もある

からあくま個人的解釈だが、自分としてはキリスト教的に、

ゲイの人だから神に救済されないなどということはないと考える

それよりも最初に書いたように予定説で考えるならば、

ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、

それは神様最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである

からこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである

人は思い上がりやすく、この世界宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである

鋼の錬金術師フラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない

そして、人は基本的怠惰であり、その思い上がりから歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた

神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う

神を信じなくてもいいが、星の王子さまの、大切なものは目に見えない、水木しげる氏の、見えないものを信じる、

といったような考え方を非科学的だと馬鹿にするのはどうだろうか、と自問自答する必要があるように思う

2021-02-14

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

保育園の頃の知人が、AV女優になっていた。

正しくは、ほぼほぼ関係のない大昔の知人、多分相手自分ことなど覚えていないと断言できるほどの知人の近況を興味本位検索したら知ってしまった。


の子は、保育園に通っていた頃はずっと一緒に遊んでいて、仲が良くて、今でも自分本名を覚えているくらいには印象に残っている。

多分自分母親も覚えているはずだ。

しろ自分は、彼女母親の顔まで覚えている。

眼鏡をかけた真面目そうな、笑顔が印象的な女性だった。なにか、疲れてくたびれたような雰囲気もあったような気がする。

保育園から小学校に上がるとき、学区の関係で顔を会わせなくなったが、それでも小3、小4くらいまでは交流があったと思う。

年賀状とか、保育園イベントでとか。

中学校は幸い一緒だったので、再開をちょっと心待ちにしていたのだけど、中学校で会った彼女自分の知っている彼女とは結構、だいぶ変わっていた。


髪の毛は茶髪で、制服は着崩していて、化粧をして、口うるさい教師から面倒くさそうに目を反らして髪先をいじっていた。

確かクラスが一度一緒になったけれど、滅多に教室はいなかった。

クラスでも彼女のことを話題にすること自体そもそも少なかったはずだ。

少なくとも友人という枠で括って会話することはなかったと思う。

「あの荒れてる子」

「どこ高に彼氏がいるらしい」

「もう処女喪失したんだって

そういう、確実に憧れではないトーンで、ひそひそと囁かれていた。

腫れ物に触る、といえばよいのか。

周りは荒れている彼女しか知らないから、そういうトーンで話をするんだなと思っていたけれど、自分はどうしても、保育園の頃の彼女を知っているので、聞くたびに違和感があったのだと思う。


修学旅行の班分けをして、彼女と一緒の班になったとき彼女たまたま教室にいたので、「修学旅行、一緒の班だけど」とかなんとか、話しかけに言った。

すごく印象的で覚えている。話しかけられた彼女ちょっと瞠目して、そのあとに「いや、行かないから、大丈夫」と返した、はずだ。

親しみのある表情ではなかったし、目も合わなかったけれど、特段冷たくもなかった。

あ、そう。なら大丈夫。と会話を終わらせて自分の班に戻ったけれど、ちょっと安堵したのを覚えている。

不良と言われていて、他の子からも腫れ物のように扱われている彼女は、もしかしたら自分の知らない子になっているのかもと思っていた。

けれど、少なくともあの瞬間だけは、普通の、自分の知っている彼女だった。

班に戻ってから「何普通に話しかけに言ってんの!?」と小声で問われて、その安堵もじくじくとしたなにかに変わってしまったが。

かに彼女は特段変わっていなかった。変わっていなかったけれど、自分と一緒ではないのだとも一方で強く思った。班の子の問いかけで、より自覚させられたのかもしれない。

振り返ったら彼女はもう教室にいなかった。

問いただしてきた班の子には、自分彼女保育園の頃の友人だったので、別に怖くもないし、相手自分のことをたぶん知っているはずだと返した。


彼女との会話は、それが最後だ。


AV女優になるまでに色々あったみたいだが、(名前も変わっているし、どうやら整形をしているようで、顔を見ただけでは正直本人かどうかの確信が持てなかった)、Wikiを見たらだいぶ出演作品が多かった。

自分こちらの業界に詳しくないけれど、なにか賞ももらっているらしいので、天職なのかもしれない。

ツイッターフォロワーもわりとついている。そもそもWikiがある時点でちょっとすごい。

動画があったので(そういう動画ではなく、Youtube活動をしていたので)声を聞いたら、あの若干舌っ足らずの話し方に聞き覚えがあった。加工をしていない動画の表情は、整形をしているとしても、自分の知っている彼女面影のあるものだ。

ああ、本人だな、とそこでやっと確信が持てた。

動画のなかの彼女は、楽しそうに話していた。少なくとも自分が会話をしたときより、いきいきして見えた。

なんだかよくわからないが、幸せになってほしいなと思った。

AVという産業偏見を持っているわけではないと思うけれども、そういう仕事をしている彼女に対して、嫌悪感が沸かなかった。不思議ものだ。

しろストンと、そこならあるべき自分でいられるんだろうなと納得した。

どうか元気で。


まあでも、母親には保育園の頃のあの子AV女優になってたよ、って話すと思うけど。

2021-02-09

anond:20210209141953

理系合理主義者は役人に向かないだろうなあ。

いつか天職に巡り合えるといいな。

2021-02-06

anond:20210206230801

医師免許取得と同時に、職業選択の自由と、居住移転の自由剥奪すべきだよな

医者になるってことは私生活を全て捨てるってこと、その素晴らしい天職男性医師しか出来ないか女性差別入試は正しかった

これはTwitter医師の総意。

2021-01-24

つらつら書かせて

増田からちょっとつらつら書かせて吐き出させてほしい。

人間関係を構築することに疲れた。そして構築の仕方を忘れた。

結婚を機に地元を出て都会に来た。

そして離婚した。友達もいない都会にひとりで残った。

仕事はもちろんしてる。この土地に来てからずっと同じ職場

仕事上の知り合いも増えた。飲みに行ける間柄の人もできた。

立場もそれなりにある。慣れてきたからこそ職場自由にできることが増えて楽しさもある。

でもそれが本当にやりたい仕事なのかと問われたら違う気もしている。

地元にいたときにしていた仕事が私の中では天職であったと常々思う。

あぁあの時結婚を決めなきゃよかったな、地元に残っていたら、職場に残っていられる道を模索していたら…

考えればキリがないことばかりをもやもやと考えてる毎日

離婚してしばらくひとりでのんびりしていた。

この先の人生どう生きようかな、と悩みながらも仕事柄すぐにこの世を去ることもできず、もちろんそんな勇気もなく。

ただ、数年前に若くして自ら死を選んだあの子のことをことあるごとによく思い出す。

最後のその勇気に、その道を選ばざるを得なかった彼女気持ちに少し共感したりもしながら。

昔の自分じゃなくて今の自分ならもう少し彼女と楽しく酒でも飲めたかなとか思いながらワイン空けてる。

そんな中で、さすがにちゃんと生きようと思いたち、新しく出会いを探しはじめた。

でもなんかもう以前のように人と付き合えない。

関係をどう築いていったらいいのかを、ここ数年ですっかり忘れてしまった。

そして特定の誰かと深い関係になることを望みながらも、

いつか裏切られるのではないか、この人は去っていく人なのではないか、また傷つく日々が始まるんじゃないか

なんていう不安を感じて先に進めない。

自分でもそんな不安を感じていて馬鹿だなと思う。あほだと思う。

昔の自分はどうしてそういうことができたのだろう。不思議だ。

適当に知り合っては適当に飲んで、ほどほどに泥酔してはその場のノリで持ち帰るかどうか決める

なんていう馬鹿みたいなこと30過ぎたバツイチの女がやっている。

ただの馬鹿だと思う。

だけど今の自分がやれるリハビリの中の最初ステップのようにも感じてる。

人と関わりを持つことへの億劫さが少しずつ克服できるかなと。全くもって良案ではないけど。

あーただやりたいだけなのか私。

女は30過ぎてから性欲増すんだっけ?ほんといらねえな。

いや、嘘。めっちゃいります必要です。

そういう関係になるだけなら深い関係がいらないから私にとっては便利なコミュニケーションツールなのかな。

どうやったらちゃんとした関係を築けるんだろう。

再起できるのか、私。

2021-01-20

自分は怠け者だから可能なら働かず生きていきたい、という願い。

自分現在アラサー無職実家在住の無職

大学に進学もせず今まで10年以上ニートとして過ごしてきた。

働かなければ、せめてアルバイトはしなければ…と思った事もあったけれど、結局長続きはしなかった。

派遣社員として派遣された場所があまり自分に合わず1日でその派遣会社を辞めてしまった事も何度かある。

一家大黒柱であった父親は数年前に亡くなり、今は母親と二人で暮らしている。

母親は「今はコロナ流行っているから」と無理に就職アルバイトを始める事を勧めようとはしない。

今は貯金父親の遺族年金を食い潰す形で何とか生きている。自分が家にお金を入れた事はこの30年の人生で一度も無い。

働いていないので自由に使えるお金が無いのは辛い、と思う事もあるけれど、録画したTV番組インターネットだけでも毎日時間は潰せている。

自分に根気もやる気もなく、もしアルバイトを始めた所で長続きしないだろう事は自分が一番よく分かっている。

何かしなくてはという気持ちも僅かにあるけれど、これ以上失敗を重ねて傷ついたり自分失望する事が心底怖い。

今はコロナという言い訳があるので、これが終息するまできっと働く事は無いと思う。恐らくは終息したとしても働かない。

お金無限にある訳ではなく、収入も無いので使えば使うほど減っていくという事は知識としては知っている。

けれど、自分は今我が家が毎月どれ程の出費があるか、今どれ程貯金が残っているかという事を理解していない。

一緒に居る母が教えてくれないし、自分も知るのが怖いので母に聞かないようにしている。知らないままこのまま安穏な気持ちで居たい。

自分は今三十路だけど、母も還暦を迎えた。母が三十を超えて生まれ子供なので、丁度8050問題が当てはまる年齢差である

単純に考えても母親自分より30年は早く逝くだろうし、体調を崩せば自分が面倒を見なくてはいけないのだろう…という事はやはり知識としては知っている。

ただ、その事に対してどうしても実感が持てない。母はいつまでも元気なような気がしているし、もし死ぬとしてもスッパリ死んで自分が面倒を見る事は無いのではないだろうか?という願望が頭を占めている。

母親が死んだ後、自分はどうなるのだろう。理想を言えば、母親が居ないこの世を生きていける気がしないので、すぐに後を追えたら良いなと思っている。

実際に自分母親を愛するあまり母親が死んで数年ですぐ死んでしまった子供もこの世に居ない訳では無い。もし自分死ぬとしたら、そういう一例に加わりたい。

ただ、母親が生きている間はやっぱり死にたくない。やっぱり生きている限りこの世には楽しい事が沢山あると思うから、生きている限りは生きていたい。

働きたくはない。それでも生きていたい。何か、外に出て働かずに収入を得て生きていく方法は無いのだろうか。

TVながら見しながら一月の生活費くらいは稼げる仕事があれば、それを天職にしてみたい。本当の事を言うとどんな楽な仕事でもしたくはないけど。

どうしたら良いかなあ。能力が低い上に怠け者でも出来る仕事、何かあるんだろうか。そういう仕事自分に回ってくる事と、日本の景気が良くなる事を今は願いたい、

2021-01-17

のんびり過ごす事が生きる目的故に働き方のスタンスに困っている

働けば働く程生きる目的から遠ざかるのが辛すぎて時々頭が裂けそうなストレスを感じる。

俺はインターネットするぐらいしか趣味がないし理想生活保護生活なんだがそれは最終手段にとっておいてる。

今は会社員をしているが一時期は治験で食いつないでたことがあった。あれは天職だった。

メンタルが強くないので責任が増えれば増える程休みの日にも色々考えてしまいそうで憂鬱になる為なるべく責任のない仕事をしていたい。

年齢を考えるとこれからどうしたものか。

2021-01-12

ここ40年ぐらい人の役に立った記憶がない

増田が生まれたのは今から40年と少し前である

両親はアラフォー公務員で、腐りかけた遺伝子を混ぜ合わせて産まれ一人っ子として、親からは大切に、周りからは生まれついての気狂いとして疎まれて生きてきた。

子供の頃は、頭はいいが運動が出来ず空気が読めない、からかうには面白いが一緒に遊ぶとつまらない奴として、いつもクラスで浮いていた。

大学まで行ったはいいが、趣味と呼べるもの天職は見つからず、自分サラリーマンとしての適性も、経営者としての適性もないことを感じて、親から受け継いだ特性を信じて公務員になった。

それから20年間、社交辞令として感謝を受けたことはあっても、本心から感謝を伝えられた記憶は一つとしてなかった。

子供の頃から振り返っても、カツアゲ同然にゲームソフト漫画を取り上げられた際に皮肉として感謝を伝えられたことぐらいしか自分感謝を受けた記憶がない。

口で感謝は伝えられずとも、実態として役に立っているならいいのだが、増田は結局の所どこまでも空気の読めないハグレモノであり、仕事の遅い給料泥棒であった。

冬の連休明けなどの、心に隙間が空きやすい時期になると、増田はふと考えてしまう。

自分が世の中にいることで、誰が得をしているのだろう、と。

増田にとって生きることは苦痛である

持って産まれ性質社会と噛み合わず、かといって特別な才能はない。

子供の頃に勉強が出来たのは、単に親が増田にそういった環境を与え続けただけで、増田自身の脳の作り自体は貧弱という他なかった。

親がクリスマスプレゼントとして渡してくる百科事典を読むより、小遣いを貯めて買ったテレビゲームの方が面白いことに気づいた頃から、みるみる増田の成績が落ち込んでいたこからそれは明らかだった。

増田にあるものといえば、四肢健康に動くことぐらいだが、その動きすら、ステップ一つろくに踏めないことを40年笑われ続けるような出来損ないである。

感受性を育てることに失敗したのか、何をしてもどこか乗り切れず、人付き合いはただしているだけで頭の後ろを棘が這い回るような苦痛があった。

増田には何もない。

だが、増田日常にはたしか苦痛がある。

社会に馴染めモノの苦痛がいつもそこにあった。

増田が生きることは、増田幸福をもたらすことはなかった。

増田が生きることは誰のためにもならない。

だが、市の不可逆性だけが増田を踏みとどまらせていた。

生きててよかったの裏返しとしての死ねばよかったがあるように、生きることも不可逆だが、死より劇的ではない。

それだけが増田が今でも生きている理由である

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん