はてなキーワード: 天職とは
理解ある彼くん・パパくんの登場をお待ちいただくか、本人が変わる気になるまでどーにも出来ないが、
特別美人・かわいいワケではなくて、そこそこ接客と勤怠そこそこしっかりしてる人なら、コミュ障だらけのITで無双出来るぞ
本業ではなく副業でやってるわけわかんね〜ヤツのレベルの収入なら速攻でITが上回るようになると思うよ
未経験でも売り方間違えなきゃ400万以上狙えるし、将来的には600〜1000万全然狙えるで
セックスが好きで好きで仕方なくて天職だと思っているわけで無いなら、無駄に自尊心削られるだけだしすぐにおやめなさい
例によって例のごとくメンヘラってるみたいなのでどこまでお話本当か知らんが(メンヘラ営業だったりして)、
新卒から入社し、300年間勤めたNTT系列の某社を退職しました。バレ対策のためにフェイクは多めに混ぜていますが、皆様の参考になればと思いここに備忘録を残します。
当時の私は、(ここまで書いた。以下全てAI)
就職氷河期真っ只中の最後の世代でして、大学を4年で卒業するも就職先は見つからず、大学院進学も厳しい状況でした。そんな時、とある企業の方に声をかけられました。それが今の会社です。今思い返すと、かなり怪しかったなと思いますね。何せその時は内定ゼロだったわけですから。
その会社は、ある人材紹介会社を通して私に接触してきました。最初はその会社の事務所まで来て欲しいと言われましたが、私が警戒心が強かったせいか断ってしまいました。その後メールでのやりとりが始まり、最終的には面談をして頂けることになりました。そして、そこで言われた言葉がこれです。
・週休2日制。
・社員寮完備。
・福利厚生充実。
・有給休暇有り。
etc…….. 正直、怪しいとは思ったものの、提示された好待遇には惹かれるものがありました。
それから、私の生活は一変したのです。まず、紹介された人材紹介会社の紹介で、都内にある某オフィスへ通うことになりました。そこでは、毎日朝9時から夕方5時までみっちり研修を受けさせられました。
また、週に1回ほど休日出勤がありました。内容は主に電話対応や顧客からの問合せ対応などでした。当時はコールセンター業務というものを知りませんでしたので、とても大変な仕事だと感じていました。
また、研修中はほぼ毎日終電帰りの生活が続きました。しかし、そのお陰でスキルを身に付けることも出来ましたし、転職活動の際に有利になるような資格を取ることもできました。
ちなみに、当時勤めていた会社は、定時が15時半であり、就業時間は8時間労働となっていましたが、研修期間中は拘束時間が18時間半もありました。つまり、実質12時間以上働かされていたということです。労働基準法に違反していることは明らかです。
さらに、休日出勤に関しては、有給休暇を使って良いとのことでしたので、実際休みを取ったことはありません。
このように、明らかに異常な環境ではあったのですが、それでもなんとか耐えてこれたのは、給与が高かったことが大きいでしょう。当時の月収は約25万円でしたからね。これは相当な高収入と言えるはずです。
また、残業代が無い分、労働時間が長くても問題ないというのも大きかったですね。もしこれが10時間を超えていたらと思うとゾッとします。この辺については、実際に働いていた方ならご理解いただけるかと思います。
さて、こうして入社してから約3ヶ月が経過し、私はようやく独り立ちすることになりました。ここから先は、完全に独立した企業となります。当然給料は下がるわけですが、その代わりに自由を手に入れました。
そうして始まった私の社会人生活ですが、ここで思わぬ事態が発生しました。それは、上司との人間関係の悪化が原因です。最初のうちは普通に接していたのですが、徐々にエスカレートしていき、ある日突然怒鳴られるようになりました。もちろん理不尽極まりないことです。こちらに落ち度はないわけですから。
そこで私は、上司に対して猛抗議を行いました。その結果、今度は逆に私が叱責される立場になりました。なんとも皮肉な話です。
そして、ついに堪忍袋の緒が切れた私は、社長に直訴しました。すると、驚くべきことに、あっさりと解雇を言い渡されてしまったのです。理由は明白で、会社に対する忠誠心の欠如です。確かに、あの劣悪な環境下では、誰だって辞めたくなるものですよね。しかも、その時の社長の言葉がこれです。
・お前みたいな奴はいらない。
・俺の人生に口出しするんじゃねぇよ!
・もう顔も見たくないから出ていけ!!
あまりの怒りに我を忘れそうになったくらいです。結局、私は泣く泣く退職することになってしまいました。
とはいえ、このまま泣き寝入りするつもりはありませんでした。そこで、退職後に知人の紹介で別の人材紹介会社に登録したところ、すぐに次の職場を紹介してもらえることになりました。それが今の会社というわけです。
新しい会社は、前職よりかなり条件が良く、待遇も良かったため、不満は全くありませんでした。ただ、ひとつだけ気になることがあったんです。実は、この会社は以前勤めていた会社の元社員が運営しているものだったんですよ。
それを知った時は驚きましたね。まさか自分の勤めていた会社がブラック企業だとは思ってもみなかったわけですから。
ちなみに、その会社の経営者は、私が入社する少し前に退職されたらしく、現在は別の方が経営されているようです。
また、その会社は、前の会社の時と同様に残業がほとんど無いことから、今はとても快適な生活を送れています。
ただ、唯一困ったことがあるとすれば、休日に社員の方々から電話がかかってくることですかね。まあ、仕事のことなので仕方がないのですが、もう少し頻度を落として欲しいものですね。
あと、転職の際には、やはり人材紹介会社を利用するべきだと思いました。何せ、今の会社の求人票には、週休2日制とか書いてありますからね。こんなこと、普通の企業ならあり得ないと思います。
これから就職を考えている方は、ぜひ人材紹介会社を利用してみて下さい。きっと、自分に合った良い会社を紹介してくれるはずです。
最後に、私が受けた面接で、人事担当者の方から言われた言葉をお伝えしたいと思います。
・まずは自分がやりたいことを言ってみろ。
・そして、それが何故なのか理由付けをしてみろ。
・そして、相手の質問の意図を考えながら答えるんだ。私にはこれが一番印象的でした。もし、あなたが転職をお考えでしたら、一度考えてみても良いかもしれませんね。
ちなみに、私の現在の職種はシステムエンジニアです。元々プログラマーを目指していたので、天職と言っても過言ではありません。
しかし、まだ独立して間もないということもあり、なかなか思うようにいかないことも多々あります。特に営業活動に関しては、本当に苦労しています。
それでもめげずに頑張っているのには、ちゃんとした理由があるんです。それは、独立前に働いていた会社で培ったものが活かせるのではないかと思っているからです。
確かに、前の仕事では辛いことも多かったですが、それでも、多くの知識を得ることができましたし、スキルを身に付けることもできました。それらは、今の会社でも十分に活用できるものだと思っています。
また、現在働いている職場の人間関係は非常に良好であり、とても働きやすい環境だと感じています。これも全て、以前の会社での経験があってこそだと考えている次第です。
もし、あなたの目の前に壁が立ち塞がり、どうしても乗り越えられそうもないと思ったら、一度立ち止まってみることを強くオススメします。そして、振り返ってみて下さい。そこには今まで歩いてきた道が必ずあるはずです。そこからまた歩き出せばいいだけです。
拙文ではございますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
副業: ソフトウェアエンジニアでUSテック企業でフルリモート週10~20時間(休日含むので平日は毎日1~2時間くらい)
副業の方は確定申告に備えて個人事業として開業届を出して起業。
起業はいつかできたらいいなと思ってたが、仕事が先に来て起業が後に来るとは思っていなかった。
仕事が無いのに起業して、起業してから具体的に何をするか考えるって、それってネットの起業熱にあてられてる気がする。
でも実際有名ベンチャー立ち上げた人とか「仕事もないのに起業したから最初の数年は本当に苦しかった」って書いてる人ちょくちょく見るけど、
本当のところはどうなんだと思う。
起業して食っていけそうだと思ったからサラリーマン辞めて起業してるんだよね?
実際は小さめかもしれないけどちょくちょく知り合いや昔の客から仕事貰ってたんだよね?つまり先に仕事があったんだよね?
だから起業して何やるか全くアイデア無いのにとりあえず起業だけしてる人って結局何もできずに終わってる気がするんだけどどうだろう
・コンサルやエンジニア企業ではない民間の一般事業会社。ソフトウェア開発でメシ食ってる会社ではない。
・正業はジョブ型じゃなく年功序列型のメンバーシップ型な会社。
→ジョブ型にしてポジション別採用すりゃいいのにといつも思っているが、総合職採用を継続している。総合職採用とメンバーシップ型は一体の関係なんだろうね。
ジョブ型に移行するなら年功序列終身雇用のメンバーシップ型は必然的にストップすることになるが、今現在40代以上の人が突然ジョブ型に転換しろといってできるわけがなく、
おそらく少なくともあと10年20年はメンバーシップ型でやっていく模様。とはいえ中途採用者数が新卒採用を上回る年が増えつつある。。
これって実質新卒一括採用が終わり始めてるってことだよね。そもそも新卒の学生数が減りすぎてて新卒を採用する方が中途採用よりも厳しいのが現実だろうけど。
・ちなみに副業始める前に人事に副業していいか確認した。確認したが、競業してる会社の副業じゃない限り会社から副業をするなとは言えないらしい。
→そりゃそうだよね。世の中土日に少年野球のコーチとか審判やって謝礼貰ってるパパとか結構な数いるとは思うけど、
会社が「謝礼貰って少年野球のコーチやるのは副業禁止規定に反する!」なんて言えるわけもないし。
→とはいえ公務員だと謝礼を伴う少年野球コーチや審判、ピアノ指導、ダンス指導、Youtuber、全部一律ダメなんだよね?そりゃ東大卒の官僚志望者数が激減するわけだ。
正直官僚志望の学生が減ってるのは公務員の厳しすぎる副業禁止規定がかなりでかいと思う。人生の機会損失があまりにも大きすぎる。。
・副業でジョブ型でリスク取りに行って、正業でメンバーシップ型でリスクを相殺してセーフティーネットを確保する、このやり方だと生活が安定しかつ多額の報酬も狙えてかつリスクも低い働き方を実現できる。
→犠牲になるのは遊ぶ時間だが、好きでやってる仕事で天職だと思ってるので、遊び時間や飲み会の時間を削っても個人的には人生の損失を一切感じない。ここらへんの価値観は人によるだろうね。
副業やって収入増やすより俺は飲み会で会社の人たちとワイワイやりたいんだ、という価値観の人が無理に好きなことする時間削って副業する必要は一切無いと思う。
・副業の方はやってること自体はゴリゴリのソフトウェア開発なんだけど、向こうの会社のタイトル的にはITコンサル的な扱いになってて助言や技術サポートをしていることになってる。
→なので勤務時間は決まってはいないけど、USタイムゾーンに合わせるために朝4時に起きて正業の勤務開始前にリモート会議出たり逆に深夜2時まで起きてチャットで対応したり柔軟に対応してる
・現時点で副業は直接雇用関係ではなく外部コンサル扱いなため副業側に健康保険や厚生年金は一切かからない。実収入に対する社会保険負担率が激減していることを実感している。
・個人事業主として技術コンサル報酬を売上として記録しているが、サービス消費地がアメリカであるため日本の消費税が一切かからない。
→つまり自動車の輸出みたいな形になっている。まてよ、だとしたら仕事のために買ったパソコンや検証用のスマホ、タブレットの消費税は還付されるのかこれ?
・フルリモート副業でUSの会社で働く経験してみて思うが、ここ数年の海外フルリモートワーク関係のシリコンバレーベンチャーの進化が凄まじい。
→海外リモートエンジニアへの報酬の振込サービスとか、経費処理サービス、電子契約管理のサービス(電子印鑑・電子署名)とか、ストックオプションの管理サービスとか、多分2,3年後には
・あり得ないほど高騰してるアメリカ人ソフトウェアエンジニアの報酬に比べ、日本人エンジニアは向こうからしたらあり得ないくらい採用コストが低い。
・例えば30代のそこそこスキルある中堅エンジニアが年収600万円で働いてると言ったらアメリカ人は絶句する。
・英語に抵抗が無い日本人ソフトウェアエンジニアをアメリカ企業がリモート勤務で採用するケースは今後数年爆発的に増えると思う。
・USテック企業とはいっても、エンジニアだけを採用しているわけではなく、広報(コーポレートコミュニケーションと良く言う)、営業、HR、総務、コーポレートコントローラーのジョブも募集していることが多い。
→なので、プログラミング能力が無くても英語さえできればUSテック企業で日本人からしたら大金と思える給料のジョブを得ることは可能。
・自民党はWeb3で国を興す!と言っているが、それをさらに発展させてIT技術を海外輸出しやすい国にする政策を推進してほしい。
ドルは稼げるしソフトウェアエンジニアは経費がほぼ掛からないので所得税もがっぽり取れるし(泣)、日本人ITエンジニアは別に海外エンジニアと比較して
英語以外の面で特段劣っているとは思わないので、自分のように海外フルリモート副業する人が増えれば税収も増えるし外貨も獲得できて国にとってもプラスしかないはず。
・上でも書いたけどソフトウェアエンジニアは仕入れが無いんだぜ?つまり円安になって円建ての仕入れ価格が上がっても関係なく売上(≒ほぼ利益)が円安分だけそのまんま増えていく。
→なので行き過ぎた円安を防ぐビルトインスタビライザーとして機能するのでは?
ここでイキって増田に書いちゃうあたり、ここが最高潮で、これがあと何年持つかわからないスタイルの人だなと予測してしまうクセがついてる……頑張って欲しいんですよ一応
これはとても良いコメント。実は本人も全く同じことを考えていた。
(以下、後から読み返したら恥ずかしくなることが確実なので時間がたったら削除する予定)
本業で年収1000万円を超えた時は特に自慢したいと思うことは無かったが、ソフトウェアエンジニア界隈ではそこまでレアでもない副業をちょっとかじっただけで気持ちがとても浮ついている。
本来なら匿名日記を書く時間で勉強をしたいのに、あたかも自分は「達成した人間なんだ」という浮ついた気持ちに支配されてしまい下らない匿名日記を一生懸命書くことに人生を消費してしまっている。
これはつまり、今以上の良い立場、状態を目指す情熱に欠けた状態、つまりここまでが自分の器なんだなということなのかもしれないと思い始めている。
それまでもいくつかの競争や達成を経験してきたが、それでもまだやることがある、自分はより良い人生を目指せるはずだと寡黙に思い続けて今まで頑張ってきたはずだった。
しかしここから先の道は正直自分の器以上の立場・待遇を得るための試練になるだろうと思っている。
ここから先が自分にとって人生における人的資本の等価交換ではなく「本質的な利益」を得るための闘いになるものと覚悟している。
一人の人間に与えられた寿命、若さ、頭脳、容姿、身体能力、体力、気力、家族、地域、環境、運など、あらゆる人的資本を効率的に「等価交換」していった結果、それが時間とともに金銭的財産だったり親友の多さなどの人的財産だったり学術的な発見等の知的財産だったりと何らかの外から得た資産に結果的に交換されていく。つまり大富豪になったり芸能人になったり成功したセレブリティというのは、効率的な等価交換を繰り返していった挙句の一つの結果に過ぎないと考えている。
例えば、親の遺産10億円を手に入れた人間は、親の死と10億円を等価交換している。つまり、ここに本質的な利益は存在しない。利益はゼロだ。世襲の政治家が親の地盤を引き継いで2世政治家として地元から出馬し議席を親と交換することも、本質的な利益はゼロだ。東大理三に元々合格できる頭脳の人間が理三に合格した、これも等価交換に近く利益を得ているとはいいがたい。
しかし、例えば本来10億円という金額の財産を得るはずのない人間がその財産を得た場合はどうだ。理三に合格するはずのない人間が合格した場合は?等価交換によっては得られない立場・状態を得ること、これこそが「本質的な利益」ではないだろうか。
だとすれば今の自分もようやく「本質的な利益」を追求できる立場まで来たと言えるのではないか。ここからが自分の人生における真の利益を得られるかどうかの分水嶺かもしれない。
オシマイのアスペだけど幸運にも天職を見つけて何とか年収850万
リモートだから家は田舎で十分だし楽しみは自炊と飼い猫とネットぐらいしかない
親は遠い昔に縁を切った
そう書くと寂しそうに聞こえるらしいけど本当に人と関わりたくないから穏やかに暮らしてる
何年か働くと1000万を超えるぐらい
投資とか運用とかした方がいいんだろうなと思って本買ってみたけど頭が悪すぎて3秒で諦めた
何書いてあるのかさっぱりわからん
でも日本の銀行は1000万以上預けると倒産時に保証されないから色んな銀行口座を作って転々としてる
どうすりゃいいのかな
寄付してもいいけどいつ死ぬかわからないから貯金はしておきたからできれば死後がいい
遺言なんか受け取る奴誰もいないけどな
本当にどうすりゃいいんだ俺
火力増強のために「魔法使い→ロード」と「僧侶→侍」の転職をしてみたが、どうにも強くなってる気がしない。
天職直後のステータスが低すぎるせいで、レベル上がってもパッとしない。1からキャラメイクした時は最初から20台のステータスだったところが、天職直後は下手すりゃ1桁だもんなあ・・・
今のところHPも1ずつしか上がらないから、魔法使い並みのHPしかないロードを前衛に置くとすぐに死にかけてしまう。
最終的には現在の戦士2枚と盗賊を予備役にいれて、ロード2枚と侍1枚を前衛にしつつ、後衛で「ビショップ」「ビショップ→盗賊→忍者」と、「僧侶→侍」をもう一組作って最終的に「ロード×2」「侍×2」「ビショップ」「忍者」にしたいんだが、先は長そう。
まあ、「旅人の財産」と「満月王の子供達」は、ろくすっぽレベル上げしなくてもクリアできてしまって、キャラを強くする楽しみがあまりなかったから、こんくらいモンスターが強い方が、数字を見てニヤニヤする楽しみは味わえるかな。
34歳半ば、人生の急な方向転換に苦しんでいる。
昔から恋愛に縁遠く、数少ないデートも楽しむことができなかった私は一生独身で生きるんだろうなという思いをもっており、独身で生きるための準備を着々と進めていた。
20代半ばで一人暮らしを始め、20代後半には必死で勉強し知識とスキル、そして経験を身につけ、転職を経て一人生きていくには十分な年収を得て、資産運用も順調に進んでいた。
仕事は自分にとっては天職といえる職業で技術を身につける日々が楽しかった。一生このまま過ごせると確信していた。
それが突然崩れた。
両親があと半年後にこの家を出て、別の家に引っ越すという。ずっと実家にいた一つ下の弟も彼女との同棲のために家を出るという。
生まれてからずっと過ごしてきた実家がなくなってしまうこと、親が老後に備えたアクションを取ったこと。
実家は玄関前に急な階段があり老人には辛い家なのでいつか手すりなりエレベータをつけなきゃな、いつか介護のために戻ってこようと思っていたが、まさか家を出てしまうなんて。
そして改めておじいちゃんおばあちゃんの域に差し掛かった親を直視する。
まだ60代半ばで健康そのもの、旅行に趣味にと楽しくはつらつと生きているが、あと何年このままでいられるだろう?
元より親が老いたら世話をするつもりだったが、そのあとは?親が死んだあと、私は平静でいられるのか?
その時ともに悲しみと痛みを分かち合う肉親の弟のそばにいるのは、弟が築き上げた大事な家族だ。老いて若い頃のタフさも健康も無い私は、弱った心で一人で痛みを抱えて数十年生き続けることになる。
それから1ヶ月半、ずっと不安に苛まれて涙の止まらない日々が続いている。
二人で新居で暮らす両親、弟の新しい家族。一人取り残される自分。いつかいなくなる愛おしい親。
望んで一人でいたはずだったのに、帰りを待っていてくれる家族と故郷がなくなることを実感してしまったら駄目だった。なぜ今までちゃんと想像しなかったのだろうか。つくづく自分の甘さと幼稚さに呆れる。
長く元気でいてくれた祖母も同時期に体調を崩した。命に関わるものではないけれど、いつもにこやかで賢くキビキビ動く尊敬すべき祖母が痛みに苦しむ姿はとても可哀想で涙が込み上げた。
不安を解消するためにひたすら考えをメモにまとめて有益な情報を求めて検索を続けるが、それがさらに不安を煽る負のスパイラルになる。
時代は変わり、世代も移り変わっていく。高齢者はこの世を去り、かつての中年は高齢者になり、若者は中年となる。
そして世代が変われば元の家族は強固な1グループではなく分割され新しい形にフォームチェンジし、自分の家族は自分で築き上げなければいけない。
のんきで物分かりの悪い自分は、あと半年で35になろうというタイミングでそれに気が付かされることになった。
どうしてこうなった。去年の10月までは順調に機嫌良く自信を持って幸せな人生を歩んでいたのに。
少し悩んだ結果、今慌てて婚活を始めている。
20年近く温めてきた人生計画を短期間で方針転換することは苦しい。短時間で出した結論が正しいのかもわからない。
でも、同じ痛みを支え合える人が欲しいと思った。自分を愛してくれる親がいなくなっても励まし合い、褒め合う人が欲しいと思った。
もうすぐ高齢出産の年齢になるので悩む時間も無いしそもそもできるかわからないが、あわよくば私も子供を持って、父母や弟と同じ親になり、同じ苦労を体験する仲間になりたいと思った。
ダメでもともと、せっかくだから一度くらい恋愛したり他人と並走する人生を考える機会があってもいい、いい人がいなければ結婚は諦めて今まで通り独身で生きることにしようと思っている。
幸い、恋愛すべきだった年代で費やした時間は無駄にはなってない。もし婚活がうまくいかなくても金は鎧または道具となって私を支えてくれる。
人生何が起きるかわからない。思ってるほど理解も覚悟もできてなかった。
自省をこめて。
ジョーカーのコスプレをした切りつけ魔が出たという。以下では、昨年書いてお蔵入りになったジョーカーについての文章を掲載する。
2019年に公開された映画「ジョーカー」についての話をしたい。この映画は、一人の男がジョーカーという、バットマンに対するヴィラン(敵役)へと「堕ちる」様子を描いたものである。その男・アーサーは、治安が最悪なゴッサムシティ(1980年頃のニューヨークを元にしている)に住む白人の中年であり、不適切な状況でも突然笑いだしてしまうという障害を抱えており、コメディアンを目指しているものの現在はピエロの仕事で食いつなぐ貧困状態にあり、同居している母親の介護で疲れ果てており、その母親は大富豪がいつか自分たちを助けてくれるという話を繰り返すばかりであり……。さらにはあるとき市の緊縮により福祉サービスが打ち切られ、仕事もクビになる。しかし、だから彼は社会への反発として犯罪者になる――といった話ではない。こればかりは2時間の映画本編を見てもらうしかないのだが、アーサーは映画の中で徹頭徹尾、孤独――きわめて社会学的な意味において――であった、ということは指摘しておいてよい。映画の中盤および終盤において、殺人ピエロ=ジョーカーの信奉者たちによる熱狂の暴動のさなかにあっても、アーサーは孤独であった。群衆は彼の孤独を理解せず、単に自らの社会への怒りを投影した。
その結果として起こる暴動の映像を2020年現在において観賞することは、今年5月にミネアポリスで一人の黒人男性(ジョージ・フロイド)が白人警官によって殺された事件に端を発した一連のデモあるいは暴動を否が応にも想起させる。街のあらゆるところで火の手が上がり、ショーウィンドウは粉々に割られ、警察車両すらも攻撃の対象となる――。両者の映像を並べて類似性を端的に示した映像がSNS上で拡散するばかりでなく、映画の中で使われたピエロのマスクを被って警察車両に放火した男が逮捕されるにいたっては、陳腐な言い方ではあるが、どちらが現実であるかわからない有様であろう。黒人男性の弟やガールフレンドが暴動を止めているにも関わらず、状況が悪化の一途を辿っていることもまた、映画中においてアーサーの意志とは無関係に暴動が拡大していったことと相似形である。
この映画に対してあり得る最も愚かな感想の一つは「こうした犯罪者を生まないために、福祉を充実させよう」というものである。かりに、国が無限の利用可能な財源を持ち、そのことによって経済が破綻したりしないという条件下であってさえも、その愚かさは変わらない。そうした主張は第3アプリオリの骨子である「社会は不平等な諸要素からなる構成体である」(ゲオルグ・ジンメル,1994『社会学(上巻)』居安正訳 白水社 :52)という事実を見逃しているからである。社会がどうであれ、政策がどうであれ、社会は常に不平等でありつづける。福祉を充実させればさせたなりの形で、社会は〈下〉の人間を生み出し続ける。そのことはOrdnungとかOrderといった語が、秩序と順序を同時に意味することからも理解可能であろう。たとえ社会がいかに変わろうとも、誰かがババ(ジョーカー)を引かざるを得ない。
アーサーからジョーカーへの変化を、映画では長い階段を用いて効果的に描いている。その階段はアーサーのアパートへと向かう途中にあり、序中盤ではその階段を彼がしんどそうに登る様子が繰り返し映される。しかし終盤、アーサーがジョーカーになることを決意した後のシーンで彼は、煙草を吸い踊りながら軽やかに階段を下りていく。このシーンは映画中唯一といってもよいほど明るく祝祭的な雰囲気に満ちている。しかし、である。画面に騙されて、アーサーは社会的な重荷を脱ぎ捨てて、彼という人間本来の姿であるジョーカーについになりえたのである、などと考えてはならない。彼は今まさに幼少期からずっと目指していた存在、コメディアンになるために、わざわざピエロのメイクを施し、一張羅を着込んでいるのである。ここで描かれている祝福は、「これこそが自分の天職である」という勘違いに、残酷にも気がついていない男の主観によるものである。我々はそれが勘違いであることを、映画の全体を観ることによって知ることができる。では、もし我々自身が勘違いの中で軽やかに階段を下りていくとき、それを止める論理は存在しうるものだろうか?
ここに至って私には召命や天職という概念が、社会のなかに自分の居場所があるはずであるという観念が、いや、あるいは社会という存在そのものが、ひとつの呪いであると思える。それらに一度囚われれば、抜け出すことはほとんど不可能である。その中で少しでも幸福に生きていこうとすれば、「置かれた場所で咲きなさい」式の諦念に達するか、時として「祝福の有無は稼ぎ出す貨幣の多寡によって判別可能である」というような突飛な結論に着地しさえする。