2021-01-12

ここ40年ぐらい人の役に立った記憶がない

増田が生まれたのは今から40年と少し前である

両親はアラフォー公務員で、腐りかけた遺伝子を混ぜ合わせて産まれ一人っ子として、親からは大切に、周りからは生まれついての気狂いとして疎まれて生きてきた。

子供の頃は、頭はいいが運動が出来ず空気が読めない、からかうには面白いが一緒に遊ぶとつまらない奴として、いつもクラスで浮いていた。

大学まで行ったはいいが、趣味と呼べるもの天職は見つからず、自分サラリーマンとしての適性も、経営者としての適性もないことを感じて、親から受け継いだ特性を信じて公務員になった。

それから20年間、社交辞令として感謝を受けたことはあっても、本心から感謝を伝えられた記憶は一つとしてなかった。

子供の頃から振り返っても、カツアゲ同然にゲームソフト漫画を取り上げられた際に皮肉として感謝を伝えられたことぐらいしか自分感謝を受けた記憶がない。

口で感謝は伝えられずとも、実態として役に立っているならいいのだが、増田は結局の所どこまでも空気の読めないハグレモノであり、仕事の遅い給料泥棒であった。

冬の連休明けなどの、心に隙間が空きやすい時期になると、増田はふと考えてしまう。

自分が世の中にいることで、誰が得をしているのだろう、と。

増田にとって生きることは苦痛である

持って産まれ性質社会と噛み合わず、かといって特別な才能はない。

子供の頃に勉強が出来たのは、単に親が増田にそういった環境を与え続けただけで、増田自身の脳の作り自体は貧弱という他なかった。

親がクリスマスプレゼントとして渡してくる百科事典を読むより、小遣いを貯めて買ったテレビゲームの方が面白いことに気づいた頃から、みるみる増田の成績が落ち込んでいたこからそれは明らかだった。

増田にあるものといえば、四肢健康に動くことぐらいだが、その動きすら、ステップ一つろくに踏めないことを40年笑われ続けるような出来損ないである。

感受性を育てることに失敗したのか、何をしてもどこか乗り切れず、人付き合いはただしているだけで頭の後ろを棘が這い回るような苦痛があった。

増田には何もない。

だが、増田日常にはたしか苦痛がある。

社会に馴染めモノの苦痛がいつもそこにあった。

増田が生きることは、増田幸福をもたらすことはなかった。

増田が生きることは誰のためにもならない。

だが、市の不可逆性だけが増田を踏みとどまらせていた。

生きててよかったの裏返しとしての死ねばよかったがあるように、生きることも不可逆だが、死より劇的ではない。

それだけが増田が今でも生きている理由である

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