両親はアラフォーの公務員で、腐りかけた遺伝子を混ぜ合わせて産まれた一人っ子として、親からは大切に、周りからは生まれついての気狂いとして疎まれて生きてきた。
子供の頃は、頭はいいが運動が出来ず空気が読めない、からかうには面白いが一緒に遊ぶとつまらない奴として、いつもクラスで浮いていた。
大学まで行ったはいいが、趣味と呼べるものや天職は見つからず、自分にサラリーマンとしての適性も、経営者としての適性もないことを感じて、親から受け継いだ特性を信じて公務員になった。
それから20年間、社交辞令として感謝を受けたことはあっても、本心から感謝を伝えられた記憶は一つとしてなかった。
子供の頃から振り返っても、カツアゲ同然にゲームソフトや漫画を取り上げられた際に皮肉として感謝を伝えられたことぐらいしか、自分が感謝を受けた記憶がない。
口で感謝は伝えられずとも、実態として役に立っているならいいのだが、増田は結局の所どこまでも空気の読めないハグレモノであり、仕事の遅い給料泥棒であった。
冬の連休明けなどの、心に隙間が空きやすい時期になると、増田はふと考えてしまう。
自分が世の中にいることで、誰が得をしているのだろう、と。
持って産まれた性質が社会と噛み合わず、かといって特別な才能はない。
子供の頃に勉強が出来たのは、単に親が増田にそういった環境を与え続けただけで、増田自身の脳の作り自体は貧弱という他なかった。
親がクリスマスプレゼントとして渡してくる百科事典を読むより、小遣いを貯めて買ったテレビゲームの方が面白いことに気づいた頃から、みるみる増田の成績が落ち込んでいたことからそれは明らかだった。
増田にあるものといえば、四肢が健康に動くことぐらいだが、その動きすら、ステップ一つろくに踏めないことを40年笑われ続けるような出来損ないである。
感受性を育てることに失敗したのか、何をしてもどこか乗り切れず、人付き合いはただしているだけで頭の後ろを棘が這い回るような苦痛があった。
増田には何もない。
生きててよかったの裏返しとしての死ねばよかったがあるように、生きることも不可逆だが、死より劇的ではない。
増田に入り浸ってるやつはみんなそうだよ
なんかおもんない太宰治かぶれみたいな文章だな