はてなキーワード: 天職とは
同僚の中には
同じ仕事をするのであれば個人でやったほうが俄然儲かるし自由度も高いんだけど
そのための集客、今の時代は特にSNS がメインだから、それを思うとブルーで。
SNS 大嫌いなんだよ。
面白いように売れた。
中古用品店に持ってっても二束三文たたかれる商品がメルカリだとちゃんと利益になる。
新品なのに2000円で買い叩かれたのが
セカストだと300円にもならないだろうなと思ってたけど
メルカリで2500円で売れた。
話は変わるけど、昔ドラッグストアにいた。
出来損ないと散々言われた新人だったけど
販売だけは誰に習わなくてもすぐできるようになった。
面白いぐらい売り上げが変わって、努力したぶんが必ず数字に結びつく。
だから夢中だったんだよな。
メルカリやって久々に思い出した。
本業は天職だと思ってるし、自分なりに社会に貢献していると思ってる。
でも、自分が動くというよりは、人を動かすの仕事なので、時々、フラストレーション。
私がやった方が早いのに、と思ったりするから。
どうせなら綺麗に包んで喜んでもらいたいから
色々工夫してみるのも新鮮。
とりあえずお小遣い稼ぎにと思って始めたけど、
せどり?
転売?
とかが気になる。
おもしろそう。
英語なら問題ないし、そんな形で英語で仕事できるなんて想像もしなかった。
それで食ってこうなんて思ってないけど、
新しいこと始めたいと思ってたから
まずはメルカリで挑戦してみよう。
コロナで無職になった人のブログを読んで自分の今のなんとなく人恋しさがすごくちっちゃいことと思い知らされた。
ただ、運が良かった、と人には言うけどここまで来るのにどんだけ苦労したか。
ブラック企業でも働いたし、派遣切りも解雇も内定取り消しも社内のいじめも全部経験して、何度も転職するはめになって。
お金ないから靴下も買えなかったけど、学費だけは無理やり捻出して勉強を続けたから。
結局目指した職業にはつけなかったけど、やりきったから納得して今の仕事について、これがいま自分の天職だと思ってやってる。
この職歴は完全に自分のせいだと思うし、コロナで酷い目にあってる人たちに凄く同情する気持ちもあるけど、一瞬申し訳ないと思いそうなったの思い止まった。
相手にもものすごく失礼だし、私は自分の努力に対しても申し訳ないと思った。
ここまで来るのに10年かかったよ。
そんなこと今苦境の中にいる人に言えないけど独り言でここに書かせてもらった
もう増田ご本人は見ていらっしゃらないかもしれないが、私なりに寄り添って、こんな風に考えてみたらいいんじゃないか、と思ったことを書く。読みにくくてすまん。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
ここにあなたのつまずきがあると思う。
人の話や文章をちゃんと理解する(そしてそれに見合った返答をする)、というのは、実はとても難しくて、たぶん世の中の半分以上の人間にはできない。
増田はたまたまそれが何の苦もなくできる。そしてできる人には、あまりにも自然にできてしまうせいで、できない人がいるということが理解できない。〈誰だって頑張れば理解できるはず〉だから、〈理解しないのはやる気がないからだ〉と思ってしまう。そして〈なぜやる気を出さないのだろう、なぜ俺の話をちゃんと聞いてくれないのだろう〉→〈俺が「キモくて金のないおっさん」だから、見下されていて、消費対象のエンタメだと思われているんだ〉、と思っている。
まったくの勘違いだ。彼らはやる気がなくて読んでいないのではなくて、やる気を出しても読めないのだ。
仮にあなたが「若くてきれいな女性」だとしても、相手があなたの話をちゃんと理解し適切な応答をしてくれるようになるわけではない。無意味にあなたをちやほやと取りかこみ、「わかるー、ほんとむかつくよね!(←全くわかってない)」とか「大変だったね笑そういうときはこうするといいよ笑」とかいうトンチンカンな応答をするやつが増えるだけだ。
ちょっと世間を見ていればわかると思うが、「相談なんてしていない」のに「少し深い話になるとやたらとこちらの言うことを否定してくる」おじさんやおばさんに、若い女性も毎日遭遇している。〈相談されたから解決策を考えてやったら「共感してほしかっただけなのに」とかいわれた、これだから女はw〉みたいな話も日常的にエンタメとして消費されている。つまり増田はほぼ若くてきれいな女性そのものだよ! やったね!
自転車に乗るみたいなものだ。増田は自分が自転車に乗れて、乗れない人がいるなんて想像もできないから、自転車を運転できない人を見て〈まともに乗れよ〉と怒っている。これがどのくらい無意味な行いかはわかるだろう。
あなたは〈みゆさんみたいな人は貴族で、自分は貧民なんだと思っていた〉というが、この表現は劣等コンプレックスを刺激して冷静な対処の邪魔になるので、ちょっと視点をずらして逆に考えたらどうだろう。つまり、少数派にしか許されない特殊なマナーが身に染み付いているあなたが「貴族」で、みゆさんや我々トラバ・ブクマカのほうが庶民なのだ。
だからといって、〈よしじゃあ庶民を馬鹿にしていればいいんだな〉という話でもない。「貴族」といっても別に権力があるわけではないから、正面から殴りにいったらむしろ数の力ですぐに負ける(日本学術会議はこのへんを勘違いしている)。そして道徳的にも、貴族のマナーが無条件で優れているわけではない。「武士の商法」という言葉があるけれど、自分のマナーが正しいことを疑わず、従わないほうが悪いとばかりに庶民のあいだでもそれを押し通すのは、滑稽な所業だ。
さてでは、貴族のあなたが心穏やかに過ごせるようになるには、どんな方向があるだろうか。パッと思いつくのは次の三つだ。
1庶民を丁寧に教育し、マナーを社会的に浸透させる(啓蒙家コース)
2庶民社会のルールに順応し、そのなかで栄達を図る(資本家コース)
3おつきあいはできるだけ貴族同士に限定し、無作法な人には近づかない(社交界コース)
おすすめは3だ。別にそこまで極端に交流を狭める必要もないと思う。普通に生きていると案外、貴族は貴族同士、庶民は庶民同士で集まる。「普段縁のない層」に絡みにいくから摩擦が増える。みゆさんじゃなくて、「別の人に相談した」というその別の人に話を聞いてもらったほうがいいんじゃないか。庶民の恐ろしさを知った今なら貴族の貴重さも身にしみて相手を大事にし、一層深い関係を築けるかもしれない。
自分の信じるマナーが社会全体に受け入れられるという1のゴールはとても素敵で選びたくなるだろうけど、過程がマジで大変だ。もしこれができるようなら明らかに教職が天職なので、さっさとその方面に再就職すべきである。少なくとも、人々が〈やる気がない〉のではなく〈自転車に乗れない〉のだと気づいていなかった増田には難しそうだ。
以下はここまで以上に説明が難しい部分で、フィーリングに頼って話を進める。読んでも非論理的なでたらめにしか思えないかもしれないので、適当に流してもらっていい(「論理」と「合理」が曖昧に使われているのもその一環と許してほしい)。
ここまで「まともに」つまり合理的に読んだり話したりすることの難しさについて述べてきた。けれども人間が非論理的なのは必ずしも悪いことではない。生き物が不合理なエゴを抱えるのは当然で、合理的論理的に考えたら生きる意味はなくなってしまう。その意味で、〈正面から反論せず「それが普通だ」と不合理に押しつける〉のは、人間なら避けられないことといってよい。貴族仲間というのは、不合理な領域が自分と一致しているので苛々しない相手に過ぎない、ともいえる。
問題はむしろ、論理的な人間が往々にして、自分の中の不合理な部分まで論理的だと思い込み押しつけてしまうことだ。2(資本家コース)は不合理な政治的手法に順応するということなのだけど、とくに庶民に対する劣等コンプレックス(軽蔑もしばしば劣等感の反転である)が強い場合、〈実際には不合理なルールを利用しているのに、次第に自分は論理の力でみなを啓蒙しているかのように思いこむ〉機制が働きやすい。インターネットを見れば、中途半端に論理的だったために自分の正しさに凝り固まったイデオローグと化し、敵を感情論と指弾することの不合理な喜びに支配されている右翼や左翼やフェミニストや表現の自由戦士の実例には事欠かない。
このルートに入ると論争のイライラ感に依存するようになって、マジで「世間話をする」みたいなささやかな幸福に支えられて生きていく邪魔になる。なので、自分のなかの不合理な部分は不合理と認めて、適当に愛撫しながら生きたほうがよい。
https://anond.hatelabo.jp/20201024152554
上記の反応エントリがあったので追記で答えます。書いたのが増田なのか別の人なのかわからないのがちょっとやりにくいけど。
あとあらかじめ注意。「多少突っ込んだコメントになると」「あなたたち」等と言われているから、もしかしたらこのエントリ以外にもいくつか念頭に置いているコメントがあるのかもしれない。でも私は私自身の意見の説明しかできません。そこはご容赦を。
ごめん、前提が共有できていなかったみたいだ。ちゃんと読んでもらえば分かると思うけど、前者を擁護しているわけではない(余談部分までいくとまたちょっと別だが)し、読み手についても、ましてや増田について「悪い」とは言っていないよ。
当為(「べき」)と事実(「である」)の区別、って聞いたことないだろうか。私は事実認識「文を読めない人が多い」を確認しただけだ。当為については述べていない。
うん、だからそれは当為認識〈あれこれ論じることができなくてはならない〉なんだよね。で、〈あれこれ論じることができる人は少ない、あれこれ論じるのは非常に困難である〉、これは事実認識。当為によって事実は変わらない。
ここで重要なのは、当為の実現を諦めろっていってるわけじゃないってこと。むしろ当為を将来的に実現するためにこそ、偏りない眼で現状を、そして現実がどういう法則で動いているのかを、正確に認識することが必要だ、という話。
たとえば〈この水は氷になるべきである〉という当為認識があるとしよう。ここで、水を前にただ「氷になるべきなんだからならなきゃおかしい」「なっていないのは誰かが悪いに違いない」とか考えててもしょうがない。そもそも水は氷になるのか、なるとしたらどんな条件下で氷にすることが可能なのか、当為とは無関係に物理法則がどういうルール「である」かを知らなければならない。最終的に、〈この水はこれこれの限られた条件下でのみ氷になる〉という事実認識が把握される。この事実認識を踏まえてはじめて、私たちは技術を用いてその条件を実現し、水を氷にすることができる。
たとえば「沖縄の基地負担は減らすべきである」という当為認識だけがあって、基地とそれを巡る政治的力学についての事実認識がなかったために、ひどい混乱が起こった例はご存知でしょう。
「でもお前の提案した3(社交界コース)は当為を諦めてるじゃないか!」といわれるかもしれない。それは、もともと増田が設定している当為=ゴールが〈万人が言語交流できるだけの知性をもつべきである〉ではなくて、〈増田は幸せになるべきである〉だと判断していたからだ。後者の当為はちゃんと追求している。
前者も当為から外せない場合、1(啓蒙家コース)にあたる。「1は難しい」とは言ったけどそれも事実認識を述べただけで、「1は選ぶべきではない、3を選ぶべき、3を選べなかったのは悪い奴」とは言っていない。なので、1をとりたいならどうぞ。
たぶんあなたは、悲しいことが起こるのはどちらかが「間違ってる」「悪い」からだ、と考えてしまっているんだと思う。そして、「責任のある」「悪い」方が変わる「べきだ」、と思ったんだと思う。だから、私が主に相手を変えない手法を提案しているのを見ただけで、「増田が悪いんだと結論づけ」ていると誤読してしまったのではないか。でも、これは単に、〈相手を変えるよりも自分の選択を変える方がはるかに労が少ない〉という理由から提案したものにすぎない。
と言わざるを得ない。
実は「自転車に乗れない」と書いたところ、最初は「因数分解ができない」という例も考えていたんだよね。学校で授業を受けても因数分解ができない人、文章がまともに読めない人、あるいは一度できたはずなのにしばらくしたら忘れちゃう人、たくさんいるでしょ。恥ずかしながら私も、理科や家庭科で習ったこと、すっかり忘れちゃったなぁ。当為と事実の区別も学校で習うような気がしてたけど、これは私の記憶違いかな。
もちろん私の事実認識自体に反論することはありうる(「事実認識」であって「事実」とまではいっていない)。それならそれでいいです。
それは多分誰も反対しないと思うw
また長く雑ですまん。
プラ食器は長期的に使い捨て使用するなら離型剤が気になるからオレが洗うからといってやれば。
(ポリプロピレンコップなど最初にあらって使うように指示があり、次も洗って再使用するものは離型剤は洗い落とされるから気にする必要がない)
イケアのせっき(漢字がでないがhttps://www.ikea.com/jp/ja/search/products/?q=%E3%81%9B%E3%81%A3%E5%99%A8 )という陶器じゃない強化ガラス安くて強いおすすめ。当然食洗機の導入と管理も必要になる。
まだ子供がいないんだろうけど、子供はプラ食器を投げ落とすだろう。筋肉がつかえないため親が食べさせるうちはプラ食器でいいのだが、子供が自分で食べるようになると、重さがないため左手を連動させないとすくいにくい(内容物ごとずれたり、押し倒してこぼすなど)。そのうち滑り止めつきの重い食器を使うチャンスをつくらないといつまでもうまくものを掬えない子供になってしまう。
あと普通の食器は投げ落とすとガチャンと大きなおとがして怒られたと感じて二度と投げない(子もいる)。プラは音が小さいのでそういうしつけにはならない。
まあ自分が子育てするから産休だけとって、っておねがいしたらだいぶ文化的な生活ができるんじゃない。
妻は専門職で天職を得ているということだけど、いわゆる発達さんかもしれない。
発達さんが天職を得ると天才になってしまって常人の理屈は通じなくなる。アインシュタインだのキュリー夫人が不倫しまくってもだれもとめられなかったようなもん(事実)。
まあ不倫しないだけまだマシかな。
頭が良い。努力家。背が高い。細い。面長。男らしい。周りの人を大切にする。人に好かれる。丁寧に話す。文章が綺麗。良く笑う。人と歩調を合わせるのが上手い。声が甘い。ターンが美しい。ロング丈が似合う。修士号を持っている。天職に着いている。アピールポイントを持っている。生きている。
私は頭も良くなければ何につけても三日坊主で努力できない。チビ。デブ。勿論脚は短い。可愛らしくもかっこよくもない。友人は少ない。関わりたくないときは半年くらい人と連絡しない。話をまとめるのが苦手。語彙が少ない。ストレートで卒業できない。長所が浮かばない。安楽死の機会があれば死にたい。
自担は驚くほど良く出来た人間だ。歌も踊りも喋りも大好きで録画して何回も同じ場面を再生したりする。最高にかっこいい。こんな人が現実に存在する。自担は最近クイズ番組に出ることが多い。アイドルでは無いから比べるもんじゃないけど畑違いでも自担と同じかそれ以上知識も経歴も何もかも持っている人がごまんといる。
打ちのめされる。好きな人の輝きに潰される。こんな矮小で価値の無い人間で申し訳なくなる。十人十色と言われても私は銀鼠色とかなんだろう。自担を愛するために生きている。自担の活躍を目で見るために生きている。自担の舞台が、コンサートが、動画投稿が、次はいつだからそこまで頑張ろう。そういう活力なはず。なのに惨めになる。自担は悪くない。私の考え方がおかしいだけだ。自分と正反対だから自担が好きなんだろうか。ただのコンプレックスによる気持ちなんだろうか。そんなの自担に失礼すぎる。
恥ずかしくない自分になりたい。堂々と人に紹介できる自己が欲しい。背が欲しい。細くなりたい。知識が欲しい。人を大切にしたい。自分を大切にしたい。努力ができるようになりたい。きっとずっと私はこうやって思い続けるだけで行動しないのだろう。そこが自担と私の決定的な差、一生かけても私は自担のようにはなれない。
こんなになりたいけど多分なるつもり無いんだろうな。
この話はフィクションで、俺もこんな職場も存在しないし、出てくる人たちも存在しなくて、これを読んでる君もどこにもいないです。
今から5、6年ほど前に、俺はとある大型事務センターで派遣社員をしていた。
就職できなかったというより、仕事が出来ない無能な上に人中りして人間関係が酷く疲れる気質なので、新卒を短期間で蹴って逃げた俺は正社員として働きたくなかった。あんな思いをしながら生きるぐらいなら、いっその事死んだ方がマシだと真剣に思えた。phaや中島義道や斎藤環の本を布団の中でずっと読んでる様な、そんな時期だった。こんな社会不適合者にとって、ひたすらキーバンチャ―をするだけの派遣社員のこの仕事はまさに天職で、社会に出てからはじめて「俺は生きてても良いんだ。」と思えた。仕事帰りに出かける精神的余裕ができたのもこの時期だったと思う。社会不適合者にとって社会は厳しいけれども、俺でも受け入れてくれるぐらいには懐が広い。そう気づけた。
こういう誰でも出来て、なおかつ多くの人力を必要とする楽な仕事には、時給1000円そこらにも関わらず多くの人間が集まる。
主婦、他に働き口のない年配者、皮膚病がある人、身体障害がある人、精神疾患がある人、売れないバンドマン、社会生活を諦めた人。
みんな彼らを奇異な目で見る事も見られる事もない。若い女の子にちょっかいかけて迷惑がられる中年のオヤジもいたが、主婦層が若い女の子が嫌な目に合わないように囲ってオヤジを寄せ付けないように庇うシーンなんかも観た。
生涯非正規雇用でしか働いたことのない年輩者。漫画や映画のサブカルチャーに異様な詳しさを見せる30後半の男性。キャバクラに費やして借金を500万程背負って自己破産した躁鬱の中年。ネトゲ経由で女子高生と付き合って会うたびにセックスに興じてる話を嬉しそうにする20代半ばの日焼けしてない小太りの男。通信大学で勉強をすることだけを生きがいにしてる勉強好きな人。顔色の悪いその日ぐらしのデイトレーダー。リーマンショックで会社が潰れてからずっと派遣社員をしているこっちが心配になるぐらい優しくて人が良い男性。派遣をしながらアートの勉強をしていたが仕事に結びつかずそのまま派遣を続けてる女性。HSP気質が強すぎて大きな音を聞くだけで目に見えて動揺する女性。借金を抱えている上に子宮筋腫の手術を控えていて頭を抱えながらこれからの先を涙ながらに悲観する中年女性。本当にいろんな人がいた。当欠してもお咎めなし、生産性求められず、社交性無くてもウェルカム!この気楽さと中島らものような門戸と懐の広さに「派遣社員の制度は福祉」だとさえ感じた。もちろん突然消える人も多かった。
そんな中、俺が今でも一番印象に残っているのが派遣社員同士の一組のカップルだった。
彼らとは別の部署で直接接点はなかったが、休み時間に休憩室で勉強しているときに向かいに座っていたカップルの会話が耳に入ってきた。
どうやら二人は同棲しているようで、そろそろベランダのミニトマトが食べれそうだの、そんな話をしていた。
穏やかな口調で静かに話す30前半ぐらい思われるスピッツの草野マサムネに似た男性と、化粧一つしてない新興宗教リトルぺブルのクララさんに似た20後半ぐらいの女性だった。
二人とも素朴な感じで、見栄とか恨みとか憎しみとか、そういうものとは無縁のような、表現は悪いが人畜無害そうな、植物の様な、そんな印象を受けた。二人の間には確かに静かな時間が流れていて、誰も傷つけず、誰にも傷つけられないような、そんな二人が纏う空気が俺はとても好きだった。もしも俺の半径内で彼らに危害を加える人間が居たら全力で守りたい。そんな庇護欲にさえ駆られた。
時給千円だと二人の手取りを合わせて月の可処分所得はおおよそ28万円ぐらいになる。交通費は支給されない。二人が広げる手作りのお弁当を眺めながら、一体、どんな部屋に住んでいて、どんな生活をしているんだろう。と好奇心が湧いた。(が、最後まで接点はなかった。)
何も身につかない職場(しいて言うなら相手の眼を見れば躁鬱かどうかがわかるスキルは身についた。薬のせいか病気のせいか理屈はわからないが、躁鬱疾患者の目には特有のギラつきがある)で過ごし20代の貴重な数年を棒に振った俺は、月の半分が休みのような仕事に正社員として採用されたので、天職だと言えた派遣の職場を去った。
派遣の時代に比べれば可処分所得は倍以上になったが、忙しさや疲労度は増した。仕事帰りに出かける気力もなくなってきた。休みの日が多くなったが、寝ている時間も増えた。LINEは新卒時代に消したままだ。外部との連絡手段はgmailのみ。SNS嫌いの俺にはそれが心地よかった。友人の誘いを断ることが多くなり、連絡も途絶えるようになった。
職場にいるキラキラとした女性たちやイケイケでエネルギーに溢れる男性を目にすると、その表裏を帯びた見栄や世間体を感じてしまい、とても息苦しくなってしまう。息がつまりそうになる。ドッと疲れる。どうしても派遣時代の、良くも悪くも何事に対しても無関心な、山野一の漫画の世界をマイルドにした様なあの雰囲気が恋しくなってしまうのだ。
上司に「お前彼女はいるのか?」と聞かれた。素直に「いないです。」と答えた。
「若いうちに良い女をみつけとけ、ここはキレイどころ多いだろ、金持ってる女も多いしな」と上司は笑った。
もしもここで交際相手を見つけるなら俺は自分をひん曲げてでも人格や気質を変えていく必要がある。しかし、自分をひん曲げてまで彼女が欲しいと思える程のエネルギーは無かった。負け惜しみとかではなくて素直に交際相手が欲しいとは思えなかった。静かに寝ていたかった。
そういう時に、いつも派遣時代のあのカップルを思い出してしまう。
昇給もなく、雇用も切られやすい派遣社員同士で生活していくのは将来不安なことだろう。両親からの容認も難しいだろう。友人からの理解も難しいだろう。きっと「将来どうするの?」とか水を差されたりするんだろう。男性は「もっと甲斐性を持て。給料もらえる仕事につけ。非正規とかやべえぞ」と尻を叩かれ、女性は「そんな将来性のない男と一緒にいるの辞めたほうが良いよ先が無いよ」と窘められるのだろう。それでも二人は一緒にいる事を選んだのだ。そこには見栄も、経済的な豊かさも、時間に追われる事も、仕事のストレスもない。二人でのんびりと過ごせる、二人で居られる時間を選んだのだ。今の職場で働き出して、ようやくそれに気づいた。
「だから彼らは幸せ」というのは些か短絡的ではある。そもそも俺には二人のパーソナル的なものは何一つわからない。ひょっとしたら二人とも重度の精神疾患を患っていて共依存の様な関係なのかもしれない。それでも、様々な障害を差し置いても二人で居られる時間を二人で選べた彼らを、俺は心の底から羨ましく感じた。もしかしたら俺は二人の関係がずっとずっと羨ましかったのかもしれない。どれだけ金を詰もうが、どれだけ自分磨きをしようが、二人の様な関係性は簡単に築けるものではない。少なくとも彼らの人生における彼らの関係性はとても豊かな物だと、俺は思う。
今あの二人がどうしてるのかわからないけど、出来るなら今でも二人で幸せに暮らしていて欲しいと、時々ふと思う。上手くすべてが続いていけばいい。
成長を見守ることができるのなら、頑張ってもいいかなあと思って
不登校児から一念発起して難関大にも合格したし就職も第一志望に内定して、仕事も不出来ながら食らいついて、やっとひと段落ついたところで
念願の赤ちゃんを天から授かってやろうと、未婚で産もうとしたけど周り人みんなに反対されたので
大学のサークル(就活のために仕方なく部長までしたけどすごく嫌だった)であった男性(たぶんいい人)と結婚して
毎晩夢見た赤ちゃんを産んで、幸せで幸せで幸せでほんとうにかわいくて、こんなに幸せになってもいいんだなあと夜泣きをあやしながら涙ぐむぐらい幸せで
赤ちゃんが一番かわいいものだと思っていたけれど、成長してどんどんかわいく愛おしく思えるようになっていくし
子育て大変?かわいい子供に尽くすのに大変とかあり得ないですよね。、みたいなことを素で思っちゃえるぐらい愛しい
ただでさえかわいいのに、2人も育てていいなんて夢みたいで
家庭環境も良くなかったし、多分遺伝的にメンタルヘラりやすく(親戚も含め自殺のお葬式4回経験とか)こんな親が産んで申し訳ないなーとかは思う
多分中2ぐらいのときに、初潮だったんだけど(遅い)そのへんから、母性っていうのか、オキシトシン爆発してて
通りすがりの小学生とかも愛おしくてたまらなくて、保育園の手押し車とか、もうやばいぐらいかわいい
子供、わがまま盛りで、ちょっとうざいのもかわいくてたまらない
セロトニンの生産とかドーパミンの受容とかがダメな脳味噌を持って生まれたんだと思っていて、一生幸せになんかならないんじゃないかと思ってたのに
夫も結婚したときはけっこう嫌いで、セッ○スも苦痛で、「きも、死ね」って脳内でしょっちゅう舌打ちしていて
そういう自分も、きっと異性愛者じゃない(かといって同性に興味もない)のに子供欲しさに結婚して卑怯だし自分は最悪だなと、イライラして
イライラした気持ちを押し殺して夫と接するから、どんどん夫がストレッサーと刷り込まれて、負のスパイラルだったのに
今は嘘みたいに愛おしい(子供ほどではない)
人付き合いも嫌いだったけど、今は人と話すのが楽しくて、誰構わず抱きしめたくなるし、そばにいたくなるし(排他的になるというのは個人差があるのだと思う)
今の自分にすごく満足してるけど、こんな幸せも、オキシトシンブーストがなかったら、また苦痛に満ちた人生になってしまうのかなと思うと怖い
あの、周りの人がみんな敵意を向けてくると思い込んでしまい、思いつめやすく、自己愛で、ネガティブで不幸なときの自分に戻るのじゃないかとか
自分は今まで生きてきてアイドルというものを推したことが無いのですが、snsでフォロワーさんが最近アイドル沼にハマったと言っていてそれを覗いた感想です。
本当に顔の綺麗な人ばかりですごい。それに加えてダンスもして歌も歌って運動ができない人間からすると異次元の行為に思えました。みんなキラキラしていて、どの人も天職なんだろうなという気持ちで見てました。
なぜ今までハマらなかった理由について考えたところ、「自分には眩しすぎる」という結果になりました。光が強すぎて自分の体が光で飛んでしまうような気分になるからかなと。本人たちにしかわからないパーソナルな部分をこぼれた言葉から受け取るには安易すぎて、それじゃあもっと苦しめているのでは無いかと感じてしまいました。どんな仕事でも苦しかったり大変なことはあると思うのですが、他者からの干渉が多い仕事なので結局この人たちを苦しめているのは好きでいる自分なんだなという気持ちになるような気がして今まで幼かったんだろうなと。
ここからは自分の考える「こんなアイドルがいたら推すかもしれない」です。
・ファンクラブがない
理由は特にないのですが知り合いの好きなアーティストがファンクラブを作らない理由に対してファンに順位を付けたくないからという言葉が素敵だなと思ったからです。
忙しいだろうからただ単に休んでて欲しいだけです。あと失言が怖い。
これもあり得ないと思うのですがファン同士でマウントの取り合いになることが減るんじゃないかなと。あと個人的にこまめに推しに手紙を書きたいという願望から。もし高価なものや手紙以外のものが送られてきたら事務所から送り返される方式がいいです。(気持ちは有難かったですがお手紙限定での受付となっていますみたいなメッセージ入りで)
・サイン会や握手会などは先着順ではなくランダムでその場で選ばれる方式
説明が難しいのですが、早くきたから早く会えるのではなく整理券がランダムに配られて書いてある数字が呼ばれたら行くという(一番早くに来て1番の整理券でも最初に呼ばれるのが整理券番号100~150番の人たちだったら一番早く来ても会うのは最初ではない、みたいな感じです。分かりにくい...)
・メンバーの人たちがジェンダーやフェミニズムについて勉強している
これは同性、異性のグループ関係なく学んで欲しいです。好きな人に思想で傷つけられたくないからです。
普通!でもこれって難しくって某アイドル界隈を覗いてたらかなりの頻度で問題が噴出していて、それを擁護する人非難する人で地獄絵図が頻発してたので(グループ自体が大きいので民度が低いというのもありますが(いろいろな人がいるので))。外で女抱こうが、抱かれようがクリーンなお付き合いをして欲しいです。
・私生活の切り売りをしない
別に推しの私生活はどうでもいいというか、プライベートと仕事が混じるとしんどいのはあちら側でこちらは搾取しているような気持ちになるからです。
これもまた無理だと思うのですが、女性がものすごい短いスカートとかお腹の出ている服、胸を強調した扇情的な服装をしていたり、男性が半裸のような格好で踊ってたりするのを見ていると、そんなことはしなくてもいいのに、という気持ちになるからです。鍛えられた美しい肉体を見せるということがファンサービスということは自分には合わないというか、普通そういう裸に近いような姿は親とか大切な人にしか見せられないと自分は考えていて、アイドル側からしたらそりゃファンは大切な存在だろうけど、そういう姿を見るたびに彼ら、彼女らから何か大切なものを見ている側は削ぎ落として言っているんじゃないのかと思えて、こんな風にやってくれているのは私たちのためだけど、彼女はきっとあんな胸のあいた服で踊りたくないんだろうなとか考えで集中できなくなってしまいます。
夜中の生配信や無理なスケジュールとか全部無しにしてとにかく休んで美味しいもの食べて!という感情が常にあります。心が乱されることも多いだろうからカウンセリングとかもしっかり通って心と体のケアをして欲しいです。アイドル側はファンの為にやってくれているのは百も承知ですが、ファンの為にしっかり休むとこは休んでいいコンディションで仕事して欲しいなと思います。
本人たちがやるとなんかボロとか出たらやだなあと思うので。スタッフさんが今日はダンスの練習でした!ってメンバーの写真あげているくらいでいいです。更新も週に二回とかそれくらいでいいです。
・無理なスケジュールは組ませない
体が心配なので
・人気がありすぎない
これは人気ないと事務所側は困るだろうけど推してる側(自分)的にはあんまり人気が出すぎると忙しくなりすぎちゃうし(メンバーが)、民度は人が増えるにつれてどんどんよくない方に傾いて行くというのがわかったので。その方が安心して好きでいられるというか、すごい人気のグループだと自分なんていなくても変わらないって気持ちになるんですがそんなに人気あるわけじゃないとかだとこの人たちを大切にしたいなって気持ちになるからです。まぁ人気なくても態度悪かったりしてなくなるべきして人気ないグループとかもいるでしょうけど。めっちゃ人気あるわけじゃないけど、メンバーの関係性や事務所の関わり方もよくて曲も好きなように作ったり歌ったりできてれば最高です。やっていけないわけじゃない位が丁度いいです。
・曲の方向性はやりたい方向に突っ走って言って欲しい
もうこれに関してはファンを置いて行くくらいの勢いで自分たちのやりたい方向性に振り切っていて欲しいです。お前らついてこれんのか?!ってくらいの気概でやっていて欲しいです。
したところでお互いにいいことなんて一つもないのに気づいてください。基本アイドルは恋愛禁止なのに(違ったらすみません)なぜ恋愛営業をするのか永遠に謎です。好きなタイプとかどうでもいいので最近見た夢の話とか、散歩中に見た猫が可愛かったとかそういう話がいいです。そもそも相手の好きなタイプに変わらないといけないみたいな発想がそもそも嫌いで、なんでそっち側に寄せないといけないん?って思ってしまいます(話がズレている)
民度がいい界隈は存在しないのですが、それでもメンバーが不祥事や何か問題を起こした時に注意できるような空気があればいいなと思います。もちろんほとぼりが冷めるまで静かにしていたとしても、自分の正義感を振りかざしたりする人がいなければいいなと思います。声をあげる人もあげないで静観している人も許され入れる場所がいいです。
もう解散したグループの曲とか聞いていると必死に追いかけなくてもこんないい曲が聴けて贅沢だなっていう気分になります。
某アイドル界隈は数年前まではこんなに民度低くなかったとよく言っている人がいて、そんな事もなかっただろうけどでも人気が出てどんどんめちゃくちゃになって言ったんだろうなということは容易く想像できました。一部の人たちがメンバーとの妄想で露骨に性的な表現を使ったのを呟いていたりするのを見ると自分はここには入れないな思いました。いい意味でも悪い意味でも大きくなりすぎると無法地帯と化してしまうんだなと。
抱かれたい!とかこの〇〇エロすぎるとかというのも見るのがしんどいですし、それは性的な搾取ですよ?と言いたくなってしまいます。せめて鍵かけて呟いてくれと。(過激なツイートでフォロワー増やすという感じかもしれませんが)異性だろうが同性だろうがそういう発言は基本的に表では慎んで欲しいです。自分はメンバーと恋愛したいとは思わないし(そもそも絶対に無理なのがわかっているので)そういう所の差異が気になるのかなと感じました。
長々と書いてもこんなアイドルは絶対に生まれないしきっと自分は一生アイドル文化には馴染めずにいるんだろうなと思います。
最近昔よく聞いていたアニソンとかよく聞くんですがやっぱりいいなと思いました。安心感がすごい。二次元の触れないから、実体がないから安心して好きになれる感じが好きです。
あと同性のグループを推すといいらしいです。これはわかる気がします。「最終的には同性アイドル推した方がいい。マウントの取り合いがめっちゃ減った」って言っている人の意見に納得したからです。
アイドルについてもっと勉強していつか推せたら、今推せてなくても別の世界線の自分が楽しくアイドルを推してたらそれはそれでいいだろうなと思えました。