はてなキーワード: 伝承とは
「悪戯が好きな醜い妖精」の総称としてゴブリンとか、その中でも家事をしてくれたりするものをブラウニーとか呼んだりするが、ブラウニーのバリエーションとして「ホブ」という連中がいて、それがのちのち「ホブと呼ばれるゴブリン」ということで「ホブゴブリン」と表記されたのだろうと思われる。
ゴブリンは、ヨーロッパ各地の民間伝承に登場する、小柄で醜い、恐ろしい生き物です。中世の物語で初めて言及され、起源となる物語や国によって、いたずら好きな家事妖精から、悪辣で残忍な泥棒まで、矛盾するような能力・気性・外見が与えられています。彼らはしばしば、妖精や悪魔のように、変身などの魔法的な能力を持っています。類似する存在には、ブラウニーやドワーフ、デュエンデ、ノーム、インプ、レプラコーン、コボルドなどがいますが、より一般的に小さな妖精の総称としても使われます。
ブラウニーは、スコットランドの伝承に登場する家事妖精またはホブゴブリンで、夜になると家の所有者が眠っている間に出現し、さまざまな家事や農作業を行うとされています。家の人々は、ブラウニーに対して通常、炉辺にミルクやクリーム、または他のいくつかの供物を置いておかなければなりません。ブラウニーは怒りっぽく、侮辱されたり、何らかの形で利用されたと感じると、永遠に家を去ると言われています。ブラウニーはいたずら好きで、怠け者の使用人に罰を与えたりいたずらを仕掛けたりすると言われています。怒らせるとボガートのような悪意のある存在に変わるとも言われています。
ホブ(hob)は、イギリスのミッドランズ地方、北イングランド、およびアングロ・スコティッシュ国境地帯の伝統的な民間信仰における、小さな神話上の家事妖精です。彼らは家の内外に住むことができました。彼らは農場で働き、したがって役立つこともありましたが、怒らせると厄介な存在にもなりえたと言われます。
この「ホブ」の由来には二つの説がある。
まずは、英語の「ホブ」は「暖炉で食べ物を温めるための棚」を指しているので「暖炉のそばにいるもの」「家に棲み着くもの」といったような意味だという説。実際にホブ(あるいはブラウニー全般に言えることだが)の伝承は暖炉との結びつきが強く、たとえば仕事の対価として暖炉のそばにクリームを置かねばならないだとか、普段は暖炉の上の梁に座っているだとか、そういった逸話が残っている。
もう一つは、「ロバート」「ロビン」の愛称だというもので、日本でいうと河童に「太郎」という名前をつけるみたいなノリかはわからんが、神秘的なものにありふれた名前をつけることで恐ろしさを薄めている、あるいは親しみやすい名前を与えてご機嫌を取っている、という説。
たとえばイングランドの有名な妖精として「ロビン・グッドフェロー」がおり、これはシェイクスピアの『夏の夜の夢』では「パック」という妖精の異名の一つとされ、同時に「ホブゴブリン」であるとも書かれているが、その名前を直訳すると「いい奴のロビン」といった意味になる。しかしロビン・グッドフェローは陽気でおしゃべりだが、悪戯好きでよく人を困らせるので、単純な「いい奴」ではない。「ホブ」の由来である「ロビン」とはロビン・グッドフェローのことではないか、という説もあるが確証はないようだ。
「パック」はまた「グッドフェローズ」または「ホブゴブリン」と呼ばれることがあり、そして「ホブ」は「ロブ」または「ロビン」と呼ばれることがあります。これは「ロビン・グッドフェロー」というキャラクターの名前にまでさかのぼります。名前の「ロビン」は中英語に起源を持ち、古フランス語の「Robin」から派生しており、「Robert」という名前の愛称です。それは妖精を表現する際の「グッドフォーク」と同様に、妖精たちが悪戯好きでありながらおだてられやすい性格であることを利用しようとする、ある種の願望的思考と懐柔の試みを反映していました。
ともあれ、「ホブ」「ゴブリン」「ブラウニー」「パック」「ロビン・グッドフェロー」などは、もとは別々の存在だったのかもしれないが、それぞれ共通する性質を持っていて、次第に同一視されるようになっていった、ということではあるらしい。
日本のインターネットでは、しばしば「ホブとは善良という意味である」あるいは「ホブとは田舎という意味である」といった言説が見られるが、せいぜい「ホブというありふれた名前は田舎っぽい感じ・朴訥として善良なイメージを想起させる」というくらいのことであろう。「神秘的なものにありふれた名前をつけることで〜〜」というあたりの話を拡大解釈したものと思われる。まあ、指輪物語以降の現代的な「ゴブリン」のイメージからすれば、悪戯で済ませてくれる妖精は確かに「善良」と言えるかもしれないが。
ついでに、「ホブは古英語で大きいという意味」とか逆に「小さいという意味」といった言説もあるが、「Hob」の語源を確かめてみてもそのような事実はなさそうだ。
タイミング悪くたくさん団体さんが入ってたりすると見学できないときがある
東日本大震災原子力災害伝承館ってところでは「全電源喪失です」という報告に「はぁ」というすごく気の抜けた声で返答する音声が聞けて印象的だったよ
行くなら心身ともに健康な時じゃないとかなり精神削られると思う
帰宅困難区域の夜ノ森に桜の時期だけ一般人が入れた2~3年前の話なので
今はどうなってるのかわからないけれど(昨年夜ノ森の帰宅困難区域は解除されてる)
東日本大震災はまだずっと続いてるんだなって思う
別にわざわざ行かなくてもいい場所だし、行ったほうがいいよって勧めたりはしないけど、行くとちょっと考えが変わる場所ではあったよ
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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前もって言っていくとゼルダ特集私のお休み中のゼルダの大冒険は一旦今日までのプレイまでとして
今日はさー
守衛さんにさっき挨拶したら今日誰も来てないよーって言うじゃない。
私はここぞとばかりにラッキー!と思いつつまた増田を書いているんだけど、
4日ってさ
働き方改革なのかこんな時だけ誰もいないわ。
私にとってはじっくり増田とちょっとお仕事ができていいんだけどそうそうに仕上げて早く終わってゼルダするわ!
つーかさ、
個々になってお正月特番私の増田ゼルダスペシャルで申し訳ないのよね。
そんな気配すら感じさせてしまうほど、
昨年末までの私のゼルダ何をやっていいか分からなかった問題勃発中で、
急にここになって進研ゼミで習ったところがテストに出るような感じで
攻略サイトはちなみにその時の突破口の糸口としては見ていないけれど、
突然シーカーセンサーを塔に設定するってのをしていなくて、
ずーっと道なき道を無地の空白の地図を四神獣向かって行っていたけれども行けるわけ無いわよね。
やることがいっぱい!
何私のゼルダの伝説こんなにやることがたくさんあったの?って。
まずハートとがんばりゲージに余裕が出てきたので、
砂漠も体力押しでどんどんひんやりスイカを食べつつ進められるし、
塔の上から見晴らしの良いときは遠くに赤く光るまだクリアしていないお代の祠が光っているところに目指してパラセールで直接出前よろしく飛んで行けるようになったのも大きいわよね。
前だったら、
遠くに赤く光る未踏のクリアしなくてはいけない祠を見つけてもがんばりゲージが足りなくて飛んでいけないのを
今ならどんどん行けるのよね。
ハートがたくさんあってハートがゼロになってやられても復活しやすくなったから結構プレイが雑になってきているわ。
つーかその反面
なに?家買えるの?村作れんの?って
私は薪割りに忙しい毎日なのよ!
ゼルダやること多すぎない?
あとそう!
四神獣のゾウさんも難しくて無理!って思っていたけど
強い武器とか知らないうちに泉の姉様にも防具強くしてもらっていたから
結構強くなっていた私のリンクで圧勝あちゅー間に勝つちゅーの!
あと地図の端っこに行ったらどうなるのか?ってマイロマンも達成!恐ろしい地の果てだったわ。
これだけは言っておくわね。
恐ろしい地の果て。
なにしろ
私はゼルダの伝説の中で薪集めて家買って村作ってって
忙しくなるのよー!
マジゼルダやることいっぱいありすぎて本筋の四神獣倒すどころじゃなくなってきたわ。
ある程度手前で出来ることをやっておいて強くしておいた方が得策って感じじゃない?
たぶんあの人たち強いと思うわ。
あと、
今私がやってるこのゼルダの100年前の話を題材にしたゲームも出てんじゃん!
なにー!
それやんなくてどーすんのよ!ってそれも思ってしまったけれど、
チケット交換で買えない他社のソフトなので私は桃鉄に使えないと言って怒る人と同じレヴェルで怒りたい気分の山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。
毎月お小遣い貯めて
買える貯まった頃にはきっとクリア出来ているはずなので
それもまた楽しみよ。
遠い道のりよ。
ゼルダ買ってから3年の月日が流れ何やっていいか分からなく何もしていない時間を取り返したいわ!本当に。
まずは今日は薪割りよ!
みんな応援してね!
うふふ。
思わずみりんの瓶を勢いよく水戸黄門さまがどーんとかざすようにかざしてしまいそうよ。
聞いてみりんは使ってないってー
みりんを10回言って首の長い動物はゾウって言う感じを地でいく感じよ。
ゼルダ漬けだったわ結局。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○ご飯
朝:なし。昼:バターロール。チーズ。夜:ほうれん草、豆苗、ウインナーのスープ。マグロとイカの刺身。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。13連休5日目。
ダラダラしてる。連休最高!
○ 探偵・癸生川凌介事件譚 あねの壁
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十一弾にあたる。
姉の壁という伝承の調査にやってきたライター弥勒院蓮児とその助手十六夜彩子が殺人事件に巻き込まれる。
今作からシナリオライターさんが変わっておりシーズン2と括られている。
登場人物もいつもの面々の出番は控え目で、五作目昏い匣の上で登場していた弥勒院と十六夜が主役になっている。
作風的にも新本格の流れの影響をバリバリに受けていたシーズン1とは少し異なっていて、どちらかというとミステリよりサスペンスな趣きで、謎解きはあまり話の主題ではない雰囲気だ。
伝承についての調査パート、その伝承になぞらえた奇妙な殺人事件を追う調査パート、そして謎解き編という構成だが、ボリュームはかなり控えめで謎らしい謎の提示が無いので引っかかるところがなかった。
この謎らしい謎の提示の弱さは短編ミステリとしては物足りなさを感じた。
フーダニットが絞り込めないことを作中では度々繰り返しているが、そもそもそれらしい謎の提示が無いから、ただ悩んでるだけでもう少し前向きに進められるところの議論が欲しかった。
とある解釈を序盤に深い理由なく除外していたり、科学捜査の基礎中の基礎をとある人物が理解していなかったり、医療従事者に金を握らせて隠蔽していることがすぐバレたりと、そもそもクローズドサークルが閉じている中で謎解きをする意味が見出せなかったりと、なんというか“ぎこちなさ”が目立った。
だからダメなんじゃなくて、こういう部分が気になるぐらい魅力的な大きな謎がないことが評価に繋げられなかった。
名探偵の癸生川凌介が最後の最後まで登場せず、ためにためて出てくるシリーズお馴染みの構図は、謎が謎だからこそ輝くのだが、今回は頼るのが早すぎて語り手の弥勒院の情けなく思えてしまった。
小説的な情緒を語るパートは文量をしっかり割いていて、こちらは面白かった。
伝承と現代の感情がリンクするところは特に良く出来ており、パズラー的な見立て殺人の妙でなく、小説らしい物語の構造としての比較の妙が決まっていて面白かった。
この辺はシーズン1から2へ切り替わってライターの好みも変わったことを強く感じて面白かった。(石川さんも情緒面のエピソードを主題にした作品はあったけどね)
ミステリのぎこちなさと比べると、姉弟の感情の揺れ動きや、残酷な大人と無垢な子供の対比など、情緒面の文章の筆の乗り方はかなり好印象。
https://www.youtube.com/watch?v=nC7Kpykti0Y
概要欄
『ティアーズ オブ ザ キングダム』の後に来るものはどれも素晴らしいものになると確信しているが、ゼルダシリーズの将来に対する青沼氏のスタンスは残念だ。
@Kriskirby1992
なぜどちらか一方を選択する必要があるのかわかりませんが、未来のオープンかつリニアなゼルダを作ろう
@kyotheman69
リニアは、ゼルダに強力な物語を与える扉を開き、世界をよりフラッシュするかもしれません。この時点または冒険、ゼルダ、そして道を助けてくれるクールなサイドキャラクターのリンクについてもっと学びましょう。 ほとんどのターンベース RPG は直線的です
@GS_CCC
時のオカリナからスカイウォードソードまでの制作時間の中で、オープンワールドのゼルダは2作しか作られておらず、新しい3Dゼルダはリマスターのみだということを考えると、両方のタイプが手に入るわけがない
@TinyGuy
@kyotheman69 任天堂は強い物語をあまり好みません。 もしそうなら、それはいつも偶然か何かだと感じます。
@goronmerchant
それは任天堂のせいだよ。
@invertedLOL
私はリニアでオープンワールドのゼルダというアイデアが大好きですが、それは決して実現しません。 もっと多くの人々を呼び込まない限り、そうなった場合、ゼルダのゲームを入手するには何年もかかるでしょう。 TOTK は 6 年かかり、BOTW と同じエンジンを使用し、同じマップに基づいていました。 一度に複数のゲームを開発すると、非常に時間がかかります。 バランスを取る必要があるとは思いますが、ゲーム数を増やすことが最善策だとは思いません。
@goronmerchant
@kyotheman69 いや、それは単なる怠惰な文章、悪いライターと呼ばれるものです...TOTK はそれらでいっぱいでした。
@jiml8637
フィードバックが最終的に彼に届いたとしても、片方の耳からもう片方の耳へフィードバックが届くのはかなり心配です。
@MB26535
どちらかを犠牲にする必要があると思います。 ゼルダは当初から主にオープンワールドでしたが、BoTW と ToTK はそれ以前のすべてのゲームの中でプレイヤーに最も主体性を与えました。
@epicgamner1139
彼が戻ってくることを願っています
@めいかひでのり
彼らはうまく協力できると思います。 私はどちらも好きですが、オープンワールドは 3 分の 2 の時間で楽しみが見つからないと飽きてしまいます。 直線的なものには、逸脱することなく一方向に進むことに非常に集中するという欠点があり、場合によっては制限的に感じることがあります。 彼らがそれらをハイブリッド化することができれば、私はそれに全力を尽くします!
@jaredf6205
ただ、少なくとも今よりはもう少し直線的になってほしいと思っています。 それが何を意味するのか分かりませんが、もう少し欲しいです。
@yggdrasilsaltar
ゼルダチームは残念ながら2Dが大嫌いで、文字通りオリジナルのゲームを作ったことはありません。 20年。
他の 2D ゲームはすべて grezzo または capcom に引き渡されました
@madnessarcade7447
@kyotheman69 すべてはいつも私、私、あなたたちと一緒です 明らかにエオヌマは古典的な公式から燃え尽きています なぜ彼にもう情熱を注いでいないことに取り組んでもらいたいのですか
彼の心はそこにないでしょう
@KruelAidMan
@GoronMerchant が文章を中断した後で他の人を悪い作家と呼んだのは貴重です。
@dericandkhristy
彼らは簡単に 2 つのチームを結成し、両方を行うことができます。 私は過去にこれを提案しましたが、BotW 支持者たちはいつも、任天堂はどういうわけかその両方を実現できないと言っています。
@teranigma23
その通り! なぜ「二人のゼルダチーム」がないのか理解できませんでした。 これは任天堂にとって資金と可能性を大きく失うことになる。 おそらくそれが、任天堂が家庭用ゲーム機 (3D ゼルダ) と携帯用ゲーム機 (2D ゼルダ) を持っていた時代を懐かしむ唯一の理由の 1 つです。
@3nertia
それを達成するのが[現実的に]どれほど難しいか、人々は理解していないと思います。
@teranigma23
@3nertia 彼らは当時、他のすべてのコンソールでそれをやっていました (笑)。 ゼルダを3Dと2Dにすることは不可能ではありません。
@crunchyblend8809
totkが出るまでに6年かかりました。 ゼルダチームを 2 つのチームに分割し、1 つは伝統的な世界に取り組み、もう 1 つはオープンワールドに取り組むと、ゼルダ ゲームのリリースにはさらに時間がかかることになります。
@3nertia
@dericandkhristy "教えてください」って何ですか? ゲーム開発者になりたいので研究しているだけです (笑)
いつ没入感を壊すようなことをするかもしれないさまざまなプレイヤー層に何らかの形で対応しながら、一貫性のあるストーリーとオープンワールドを作成するのは難しいことです(笑)
@3nertia
@Terranigma23 同じゲーム内で 2D と 3D のような意味ですか? 3D ゲームの中に 2D ミニゲームがあるようなものですか? 私の無知をお詫びしますが、それは「当時」どうやって達成されたのでしょうか?
@DSmith3279
つまり、ソニックが 1 つのゲーム内で複数のオープン ゾーンと線形で厳密に設計されたブースト レベルのバランスを取るゲームを作成できるのであれば、ゼルダが 1 つのゲームで探索できる巨大なオープンワールドと線形で厳密に設計されたダンジョンの両方を実現することを妨げているものは何でしょうか。 ? 理解できません。
@zacziggarot
TOTKに森の神殿タイプのダンジョンを作れない理由がないことに同意します。 文字通り、彼らがしなければならなかったのは、建築できない閉鎖された部屋のグループを用意することだけでした。 文字通り、神社を10個集めてダンジョンと呼ぶだけだった。 神社の 3 分の 1 が空の祝福だったのでとてもイライラしました。その時点でプレイヤーにオーブを与える別の方法を見つけるべきだったのですが、それはただの水増しのように感じました
@kiria331
同意した。 大規模なオープンワールド ゲームは直線的なゲームよりも本質的に優れているという考えが、私を常に悩ませてきました。 最近『Skyward Sword HD』を終えたばかりで、その方向性を*さらに*評価できるようになりました。 でもまあ、次のゼルダが発売されたら、TotKを振り返って同じことを言うかもしれない...サイクルは繰り返すよ、えへへ
@3nertia
@Terranigma23 ああ。 大丈夫だと思います。 潜在的な利益以外の理由がないとしても、なぜ任天堂がこれをやらないのかわかりません。
@3nertia
@zacziggarot 正直に言うと、TotK に関してはイライラすることがたくさんありますね
そしてこれは、最初のゼルダ ゲームが BotW だった男性からのものです...
青沼は主流のフォーミュラでの成功が頭から離れてしまい、ゼルダへの情熱を捨てて、お金と野心的な物理学への情熱に置き換えたからです。
@lucashen9686
君たちはゲーム開発がどれほど難しいかをまだ過小評価しているね。
青沼氏の発言は、それが選択肢ではないことを明らかにしている。 ゼルダのチームを 2 つの異なる 3D シリーズに分割すると、フルチームで 1 つのゲームをプレイするにはすでに 6 年かかるため、各ゲームを完了するにはおそらく文字通り 8 ~ 12 年かかるでしょう。
任天堂がゼルダの作り方を知っていると思われる人材を何百人も雇うことができるわけではない。その前に、一番下から始めて多くの経験を積む必要がある、と古川氏は何度も話している。
従来のゼルダに戻ることは、現在のゼルダプレイヤーのほとんどを遠ざけてしまうでしょう。 それは意味がありません。皆さんはリマスターか新しい 2D ゲームに固執する必要があります。 しかし、新しいトワイライトプリンセススタイルのゲームは登場しないと思います。
@lucashen9686
@Terranigma23 なんと、ケイデンス オブ ハイラルを従来のゼルダと比較しているのですか?? 😂😂😂😂😂
これらのスタジオは 2D/2.5D ゲームを開発していました。あなたがゲームを開発しているかどうかは知りませんが、私はゲームを開発しています。これはまったくの別の話であると言えます。 Grezzo はクリエイティブなことを何もしていませんでした。文字通り、すでに存在していたゲーム デザインをすべてコピー&ペーストしただけです。 彼らは自分たちだけでは良いゼルダを思いつくことはできませんでした。
そして、カプコンはミニッシュ キャップを開発しました、ああ、確認させてください...20 年前のようです。 そしてまたしても2Dでした。
@teranigma23
@lucashen9686 カプコンは「Oracle of Season and Ages」も開発しました。 Grezzo は、過小評価されている 3DS ゲーム「Ever Oasis」を開発しました。このゲームは、ゼルダのゲームと街づくりを組み合わせたような作品です。 また、ケイデンス・オブ・ハイラルについてはあなたの言いたいことがわかりません。 Yacht Club (Shovel Knight) の今後のゲーム、Mina The Holwer のような他のインディー開発者を見てください。 そして、はい、これは 2D です。なぜなら、以前のほぼすべてのコンソール版と同様に、3D および 2D のゼルダ ゲームが必要だからです。N64以来。
@lucashen9686
@Terranigma23 (笑) おい、君はゼルダの開発についてほとんど知らないね。 オラクルのディレクターは誰だったと思いますか? そう、BOTWとTOTKのディレクター、藤林です。 彼は確かに自分自身のクローンを作成し、彼の残りの半分はまだカプコンで古典的なゼルダを開発しています 😂😂😂
みんなやめたほうがいいよ、外部スタジオを雇ってメインラインのゼルダを作るのがそんなに簡単だったら、任天堂は新作2Dゼルダを10年も開発することなく、すでにそれをやっていただろう。
@goronmerchant
@KruelAidMan いいえ、私は 40 年分の執筆経験とフィードバックを持つ AAA 企業ではありません。
あなたの言うとおりです。
私ならまだTOTKより良い物語を書けるはずだ…。
@teranigma23
@lucashen9686 藤林監督のことは知っていましたが、重要な役は監督だけではありません。 2Dゼルダの任天堂ディレクターになれる人は藤林さん以外にもいますよ(笑)。 あたかも任天堂が本当に小さな会社だったかのように話していますね。 また、彼らはもうストーリーや伝承を気にしていないようです(彼らは明らかにTears of the Kingdomの伝承キーパーを持っていませんでした笑)、そのため、別の開発者がゼルダを扱う場合、彼らは大規模な「任天堂サポートの役割」を必要としません ゲーム。
@lucashen9686
@GoronMerchant 私もできました。 ストーリーテリングに本当に興味がある人なら誰でも参加できます。
真実は、任天堂の開発者はストーリーが好きではないということです。彼らのほとんどはゲーマーですらないので、なぜ人々がビデオゲームの伝説に執着するのか理解していません。
@cheke_hs
現実的には、3D はオープンワールドのままでありながら、従来の方式で新しい 2D ゼルダが登場することになります。 この新しいフォーマットは開発に長い時間がかかることが証明されていますが、これまでのシリーズの中で最も成功したものでもあります。 TOTK が 5 か月足らずで 1,950 万台を販売するというのは本当にクレイジーです。 私たちが今後進めていくのは、オープンワールド寄りのハイブリッドですが、従来の 3D ゼルダは完全になくなったと言っても過言ではありません。
@lucashen9686
@Terranigma23 さん、旗艦スタジオはもう存在すらしません。
それはストーリーの問題ではありません、正確に言えば、彼らは気にしていません。 君たちはゼルダのようなものを作るのがどれほど難しいかを完全に過小評価している。 私自身もゲーム開発者で、私と私のチームは 2 年間ゼルダのようなパズルのアイデアを考え出そうとしましたが、全員が惨めに失敗しました。 そして、ゼルダのような作品を作る開発者がそれほど多くないという事実は、それが簡単ではないことを示しています。
@sawdust8691
同じゲーム内で両方とも。 (ちなみに、私は古いゼルダのタイトルをプレイしたことがありません。私の意見はノスタルジーに基づいたものではありません。)
オープンワールドでの絶対的な自由を私たちに与えてください。 しかし、より直線的で厳密に設計されたやりがいのあるダンジョンも提供します。 そして、より直線的なストーリー。
全部か何もかである必要はありません。 私の意見では、ミックスが最適です。
『Tears of the Kingdom』はより壮大で複雑なストーリーを伝えようとしましたが、世界中でカットシーンを見つけるだけでカットシーンを任意の順序で取得できるようにするのは、率直に言って愚かです。
このおかげで、最初の数時間でゲームのプロット全体を理解できました。 そして、ゲームの残りの部分では、誰も何も理解していないふりをする必要がありました。
オープンで非直線的なストーリーは物語を傷つけます。 たくさん。
これらは、大規模なゲームにおける 4 つの大きなゲーム目標です。 しかし、それらはとてもシンプルで簡単です。 チーズも簡単に。
ダンジョンそのものよりも、ダンジョンに行く旅の方が気持ちよかったです。
それは最悪だ。
オープンワールドの自由を維持しながら、より良いダンジョンとより構造化されたストーリーを実現しない理由は本当に見つかりません。
@teranigma23
@lucashen9686 Unsighted は本当に良いムジュラの仮面のようなゲームで、お勧めです。 『フェノトピア 覚醒』は、私もとてもオススメする『ゼルダ2』のゲームです。 しかし、そうです、ゼルダのゲームは対処するのが最も簡単ではありません。 CrossCode は素晴らしいですが、ダンジョン内のパズルに重点を置いたアクション RPG です。
もりもり
彼らはオープンワールドと直線的なストーリーの両方を完全に行うことができます。 多くのオープンワールド ゲームがそれを実現しており、それを見事に実現した例がたくさんあります。
@manguy01
両方の良い部分を取り入れてください、と私は言います。 オープンワールド探索、リニアダンジョン。
彼らが抱えていた問題は、オープンワールドとストーリーを融合させることでした。 ただし、事前に決められていない順序で直線的なストーリーを実行することはできます。 Bioware のゲームを見てください。 質量効果。 ドラゴンエイジ。 旧共和国の騎士。
@ausgod538
@Terranigma23 過去には文字通り 2 つのゼルダ チームがあり、より多くのスタッフを必要とする 3D ゲームを開発するために両方が 1 つに統合されました。それだけです。
@ausgod538
@Terranigma23 カプコン? いやあ、あなたたちは本当に連絡が取れていません。 そこでゼルダに携わった人のほとんどは、すでに10年にわたって任天堂で働いています。LMAOには、スカイウォードソード以来のディレクターであり、カプコンのゼルダゲームのディレクターでもあった藤林氏も含まれます
@teranigma23
@ausgod538 カプコンはほんの一例です。 あなたはまだ私の言いたいことを理解しています。
@KruelAidMan
@dericandkhristy 開発チームの分割は決してうまくいきません。2000 年代中期から後期のソニックの完全な状態を見てください。
@KruelAidMan
@GoronMerchant 適切な過去を書くことさえできません
@mobiusevalon
これが正解です。 これは 2D ゼルダと 3D ゼルダにも当てはまるはずの同じ答えです。明らかに両方が進むべき道です。
@Aktedya1-jt7vw
現実世界で「長寿だけど生殖能力が低い生物」っているのだろうか
いない気がするんだよなあ 勘だけど
ファンタジー作品に登場するエルフはたまに「生殖能力が低い」みたいな設定がされていることがある
もし長寿のエルフが普通の人間並みの繁殖スピードだと大地はエルフで埋め尽くされるはず それを回避するための設定の一つ
「なるほどなあ だから非エルフの人間の方が数が多くて、エルフは数が少ないのか」と思っていたのだが
私が生きるこの現実世界の地球に「長寿だけど生殖能力が低いので数が少ない」って生物はいなさそうな気がするぞ
まあ一度に複数の卵を産めるカメと、胎生で基本的に一度に一人を産む(であろう)エルフを比べるのはおかしいかもしれないが
→少なくとも短命のカメの種類と長命のカメの種類の生殖能力を比べないと意味ないんじゃないか?
じゃあ類人猿だけで比べてみるか?
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それは『葬送のフリーレン』を読んでいてふと思った疑問
→エルフの繁殖能力は低い≒恋愛感情や生殖本能みたいなものが軒並み欠落している、の等式は成り立つか?ここは自明ではないか
→現実世界で「生殖能力が低い」というのは発情期の周期が長かったり孵化率が低かったりいろいろあるだろうけど、少なくとも『葬送のフリーレン』のエルフは「恋愛感情や生殖本能みたいなものが軒並み欠落している」っていうんだから比べるのは筋が違う気がするよなあ?
→現実世界の生物で「恋愛感情や生殖本能みたいなものが軒並み欠落している」生物を探すのは流石に無理筋の予感しかしない
エルフ自身が「エルフの数が少ないのは繁殖しようというやる気が無いからだ」という自己認識だったとしても、実際の数が少ない原因は別という可能性は普通にあり得る
むしろ、エルフの繁殖能力が低いというよりも、普通の人間の繁殖能力がめちゃくちゃ高い説はありえる
ホモ・サピエンスは何故世界中のありとあらゆる場所で繁殖できるのか?
→「エルフはホモ・サピエンスが持つ何かの性質を持っていないので相対的に繁殖能力が低い、その性質とは何?」という問を考えるほうが筋がよいか?
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『葬送のフリーレン』以外でも「エルフの繁殖能力は低い」って設定は見たことがあるような、ないような……
それの源流を探す旅も面白そうではある
エルフの繁殖能力はともかくとして、ファンタジー世界でエルフが登場するとき、森の中のそこまで大きな規模ではない集落に住んでいるイメージはある
世界を牛耳る巨大なエルフ民族(エルフは「民族」なのか?)単一国家ってイメージよりかは森の人ってイメージがある
『ダンジョン飯』のエルフはそこそこ牛耳ってないか?→少なくとも繁殖力でトールマンに劣る
そういえば『指輪物語』は詳しく知らないのだが、あれのエルフはどんな設定なのか
だめだ、『指輪物語』に限らずエルフの文化史について調べると時間がいくらあっても足りない
読みたい本は無数にあるので沼にはまりそうなテーマは慎重に避けなければならない
少なくともヨーロッパの伝承のエルフと『指輪物語』のエルフと最近のエンタメ作品のエルフとはそれぞれ別で調べないとごっちゃになってダメそう
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だいたい普通の人間とエルフは混血可能って設定が不思議なんだよなあ
何かの作品ではハーフエルフは生殖能力を持たないって設定だったな……
ファンタジー世界の作中で現代的な分類学が存在するかどうかはかなり怪しい
作中でクジラは魚の仲間であるという認識がされていたって不思議ではなく、だとするならエルフと人間の分類だってどのくらいの信頼ができるか……
しかし少なくとも『葬送のフリーレン』だととある魔族がサメとシャチの骨格標本を見ながら「魚類」「哺乳類」「収斂進化」という言葉を使っていた
であれば作中で魔族が人間とエルフの違いを分類学的に調べていたとしても不思議ではない
魔法が出てくるファンタジーなのに人物の思考はかなーり科学的なんだよなあ
→いや、とある魔族はシャチを魚と認識していた それを別の魔族が「哺乳類である」と正した 分類学の概念を持つ魔族はイレギュラー?
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真面目に考えるのであれば、そもそも「繁殖能力が高い/低いとはどのようなことか」について定義しないといけないのだろう
でもこれは気になったことをメモする日記なので面倒くさそうな部分はファジーにしておく
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長寿ってわけでもないだろう
しかしエルフの数が少ない理由を考察するのに参考にはなる事例かもしれない
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「現実世界にだって出生率が2未満の国はあるじゃん?人類だって緩やかに絶滅している最中なんだよ よって長寿だけど生殖能力が低い生物とは人間に他ならない」
私の心の中の魔よ、退散せよ
私はそんな話をしたいわけじゃないんだよ
エンタメ作品の話に乗じて社会問題について語ろうとしないでくれ
エルフの「長寿だが生殖能力が低い」というのは生得的ではなく、社会構造など外的要因に起因する後天的なものなのでは?という話か
○ご飯
朝:なし。昼:おにぎり。おみそ汁。夜:牛丼。サラダ。豚汁。たまご。牛皿。間食:豆菓子。イカフライ。
○調子
○探しものは夏ですか
スマートフォン向けアドベンチャーゲームとして高評価だった作品をケムコADVチームと手を組んでリメイクした家庭用ハード向けの移植版を遊んだので感想。
昔お世話になっていた駄菓子屋のおばちゃんが亡くなったことを知り、久々に母方の実家へ帰省する大学生の主人公の空木恭平、そこで何故か主人亡き駄菓子屋で生活をしている謎の女子高生織原真琴と出会い、一夏の青春が始まる。
メーンヒロインとなる真琴はかなり気が強く物怖じしないが、主人公の恭平は人付き合いが苦手で知らない人に話しかけるのも苦手だし家族とすら上手く会話ができない。
しかし、真琴は真琴で考えなしに突っ走しり失敗するところがあるし、恭平には慎重に物事を下調べしたり考察を巡らせる良い点がある。
二人の凸と凹がハマっていき特別な関係値が生まれていくストーリーだ。
当初は真琴のビー玉を探すという素っ頓狂なお願いを叶えるために街を歩き回るのだけど、徐々にこの田舎町で何かが起きていることを知っていく。
神隠しや町に伝わる伝承などが雰囲気を盛り上げて行き、物語への期待度が少しづつ高まって行く。
中盤明らかにギアが変わるエピソードがあり、そこからはウジウジしていた恭平が男を魅せるシーンや、勝ち気な真琴の裏にあるもう一つの一面が見えるなどの、良きシーンで盛り上がっていく。
この辺は主要な登場人物を絞っているからこそ、やりたいことが強く伝わるし、スチル絵もしっかり用意されていて好きなシーン。
ただ、それらに至るまでの序盤のあっさり目な文量は惜しいところだ。
タメがあるからこそ、中盤のそれを覆すシーンが燃えるのだけど、そこが物足りなかった。
恭平がウジウジ、真琴がハキハキというのも、具体的なエピソードは数個で、あまり対比になっていない上、恭平は割と真琴には早々に強気な態度を取るので、そういう設定だが実態を表現する量が物足りなかった。
文量の少なさは終盤の謎が解決していくシーンでも感じられる。
序盤のビー玉探しパートで振られていた謎が解かれていくのだけど、複雑な構造の割にスムーズに話が進んでいき、それらに対する悩みもあっさりと踏み越えてしまう。
何しろ主要な登場人物が二人しかいないのだから、深く濃厚な描写を期待したくなるのだが、あらすじ感が強くもっとボリュームが欲しかった。
恭平、真琴共にそれぞれのルートでとても大きな決断をするのだけれど、覚悟の決まり方が早く、話がサクサク進んでいってしまう。
真琴の方はまあそういう性格だと割り切れるものの、恭平の方はもっと色々と策を講じても良かったんじゃないかなと思ってしまった。
ストーリーのテンポが良いのは悪いことではないのだけれど、中盤から登場するとあるSFガジェットを利用した展開は様々な活用方法が考えられるので、二人しかいない主要人物同士でそれらを議論して段取りを立てるシーンをたっぷり見たかったのは、僕の好みで一般論とは違うかもだけど、そう思えてしまうほど文量が物足りない。
勿論、ストーリーの主題はSFガジェットを利用した段取り小説ではなく、一夏の青春、一夏の恋愛なのだから、この辺は好みの問題ではある。
ただ、この二人での議論シーンがかなり薄いのは、真琴の人の話を聞かない性質がかなり理由の一つに感じられたせいで、真琴への好感度があまり上がらず、恋愛のストーリーにも乗り切れなかった。
(これこそ好みの話だけども)
田舎町の夏を文章以外にも背景絵やBGM、SEで彩っており雰囲気は抜群。
真琴の立ち絵やスチル絵は水彩画風の色塗りが決まっていてキュンとする。
そして、最終ルートで流れる主題歌のウエノレイさんのshyderはめちゃくちゃ決まっている良い曲だった。
物語の主題歌としてキチンと話の筋を踏まえた歌詞になっており、恭平と真琴の関係値を端的に歌っていて素晴らしかった。
ストーリー面でも恭平が変わっていき、真琴だけでなく家族とも新しい関係値を結んでいくシーンは情緖豊かなシーンで印象的だった。
恭平と真琴の関係がこれから前向きに進んで行くところで終わるが、アレはどうなるんだ、こっちはどうなるんだと気になるところが多く、余韻が残るエンディングが好きだ。
決してストーリーが収まっていないわけではなく、物語上の謎はある程度しっかりと解決して、あくまで二人の恋愛関係が良い意味で先が気になり、今後の二人がどうなるのかを想像する楽しみがある終わりなのが良いバランス。
また声優の佐野裕理さんのイジけた恭平の隠キャ演技がバッチリハマっており、言葉面は肯定しているが内心は不平不満たらたらな本音が見えかくれするシーンを上手に演じてくれていてとても良かった。
好みの方向性こそ違っていたものの、一夏の青春恋愛ものノベルゲームとして小さく綺麗にまとまりつつ、彼らの先に広がる未来を想像する楽しみもある良いゲームだった。
いや、別になんでも書いていいんだよ
ただとんでもない流言を派手に書き散らかせば、法に触れて相応の民事ないし刑事で裁きを受ける
あるいは法に触れなくとも社会的に疎外されたり私的な報復を受ける
それを覚悟する限りは何書くのも自由だし、人を殺すのすら自由だよ
まあ自由というか事前に止めようがない作りになってるというか、予想できれば予防する努力はできこそすれ、ね
法に触れたら相応の刑が確実に下るっていう統治機関の執行力によって、実質的に行動が制限されているだけで
ベースとしては自由な活動が阻害されない状態がデフォであるべき、それが自由主義下にある国家の基本
もちろん法みたいな明文化されたもの以前に、人類が連綿と伝承してきた倫理観や道徳観、
慣習にもとづく善悪観みたいな、心理的な制限機構も教育やコミュニティによって刷り込まれている前提はある上でね
だから法が禁止することは「やっちゃダメ」って考えるのは厳密には間違ってて、「やったら罰される」と考えるのと比べると社会や思想の理解度に大きな違いがある
それに、誰が何を真実として認識しているのか、というのは主観的なもので、客観的に判断するのは思ったより難しいことかもしれない、という想像力も必要だね
○ご飯
朝:りんご。昼:カロリーメイト。夜:温泉たまご。ナポリタン。ニンジンスープ。リンゴ。間食:柿の種。チョコ。
○調子
○ マヨナカ・ガラン
キリスト教徒の橘はもるるは、過去に迫害されてきた隠れきりしたんが集まる大臼村の歴史や伝承を編纂して欲しいと頼まれる。
隠れきりしたんとして正道ではない信仰が育った村を調べていく内に、村の秘密にも迫っていくオカルトホラーノベルゲーム。
3Dキャラクタの人形劇と字幕を読む形式でノベルというよりは、アニメの方が近い読感かもしれない。
この辺はノベルゲームもまたゲームでありボタンを押して反応が返ってくる文章送りの気持ちよさがあり、本作はキャラクタの演技が入るためそのテンポが異なっているみたいなジャンルを包括した感想もあるんだけど、あんまりマヨナカ・ガランの話じゃないのでやめておく。
3Dキャラクタが常にステンドグラスが透けている独特な表現については、文章で説明するのが難しいので実際に動画を見てもらいたい。(スクリーンショットだとよくわからないと思う)
最初は村の調査のため、村人たちとのほのぼのとした交流シーンが中心になる。
昔話を通じて歴史を考察したり、キリスト教との向き合い方を考察したりなど、優しい雰囲気で進んでいく。
村人たちも名前や固有のグラフックのないモブなものの、独特なキャラ立ちがされており、印象的なシーンがいくつもある。
この辺は名前有りのキャラが5人ほどしかいないため、予算面の問題もあるのだろうけど、このゲーム独自の個性としてむしろ良い意味で楽しめた。
独自の進化を遂げた正道とは言い難いこの村の宗教への向き合い方に否定的で、村の外で大勢の人に信仰されている正道なキリスト教への憧れがあるキャラだ。
彼のこのギャップがとんでもないことになっていくのだけれど、辛いお話だった。
公称ジャンルにホラーが入っている通り、中盤からは雰囲気がガラッと変化し、恐ろしいストーリーが始まる。
この切り替わりの瞬間はかなりゾクゾクさせられて、一気に作品の中にのめり込まされた。
序盤に村人たちとの交流に文量を割いていたのがここから一気に意味が変わってきて、ギャップが本当に怖かった。
そして、生きるとは、死とはなどの、壮大なテーマが展開していく。
正道なキリスト教と、隠れキリシタンとして違った進化を遂げた大臼村の教義との対立も描かれていて、難しい部分もあった。
作中オリジナルのそれは文量が割かれているのだけど、本来のキリスト教の教義についてはあっさり目なので、僕自身に知識の無いので少し置いてきぼりになってしまったのが惜しかった。
3時間と少しのボリュームなので、ホラー展開が始まってからはサクサクと話が進んでいくのも、思想への理解が追いつかない原因だったかも。
大臼村独自の宗教観から来る絶望的な展開は読み応えがあったので、ホラーとしての割り切りもあったのだろう。(説明しすぎてしまうと怖くないからかな?)
後半からは村の神父でありながら、独自の宗教観を否定して正道なキリスト教に殉じようとする岡田黒洲の出番が増えていく。
彼のこのギャップをキチンと理解できたわけではないのはモドカシかったが、最後の最後、オーラスは彼の目線からこの世界に対する慟哭で物語は終わる。
ある人は黙示録を読んで予言の書だと考察するし、またある人は少年漫画を読んでこれはボーイズラブだと解釈をします。
今話題になっている介護されたいオタク騒動も、「自分は歳だから介護にみえちゃうんだよね〜」という個人の感想だったら良かったのですが
「これは身の回りの世話をしてほしい高齢オタクを狙った作品ですね〜上手い!」
などという他人へのレッテル貼りに終始していてファンに対しても作者に対しても失礼だと思ったのでこのエントリをあげました。
英語圏最大のオタクコミュニティに MyAnimeList (MAL) があります。MALにおいてもフリーレンは人気で、現在放映中のアニメ210(注)作品中で2位、スコア8.93と高評価をつけています。フリーレンの登録者数は21万人。
MALにおける面白い機能の一つに Rcommendations があります。これは「このアニメが好きならこっちもおすすめだよ!」という作品をユーザーが自由に登録できるシステムです。つまり Recommendation に何が登録されているかを調べることで、フリーレンがどのアニメに似ているとユーザーは考えているのかを知ることができます。
以下、 Recommendation に登録されていた作品一覧です:
ヴァイオレットは戦場で大切な人を失った。兵器として育てられた彼女には、その最後の言葉は理解できないものだった。
戦後、手紙を代筆する仕事に就いたヴァイオレット。人々の手紙を通して様々な愛の形に触れていく・・・
ある日、地上に”球”が投げ込まれた。その使命は地球上の全てを記録すること。球は”不死”と名付けられ人々と共に生きていく
弱く愚かで、時に間違いながらも懸命に生きていく人々。不死の目線から数千年にわたり人類を見つめ続ける。
一人々はあまりにも弱く無力な命たち。それらはやがて集まり歴史となり、伝承となり、文明は紡がれていく・・・
3users 以下は作品数が多すぎるので勝手にカテゴリ分けしてまとめました:
TRIGUN (1users)
魔女の旅々 (3users)
キノの旅 (3uers)
蟲師 (2users)
狼と香辛料(1user)
少女終末旅行(1user)
魔法使いの嫁(2users)
鋼の錬金術師(1user)
以上をまとめると多分こんな感じでしょうか:
(ヒンメルとフリーレン)
必ず置いていかれる運命のエルフと人。それでも人と関わり続けようとするエルフ
魔法の設定周りが魅力
あまり使いたくない表現ですが萌え豚アニメではなく、質アニメとか癒し系アニメ寄りの傾向があります。
kou-qana 逆に、介護されて楽しい!って作品あるんだろうか?介護ほどでなければおにまいとか?あのフリーレン評のお世話され願望説、賛否はともかく何を指してるのかピンとこない…オギャり欲を指してる?
そう、そこが気になっていました。介護されたいという願望がピンとこないんですよね
misafusa 無自覚を検証したらそうなったという話だろうから、本人が『介護物』と捉えているかどうかはこの際無関係。なんかボーッとしてるけど実はスゴい主人公が若い弟子に面倒をみてもらう話を『介護物』と定義しただけで。
楽園の魔女のエイザードとかか・・・ でも、あの手の魅力は「普段はダメそうなやつがいざという時ギラっと強くなる」というところにあるので、お世話してもらいたい欲とは関係ない気がします。弱いエイザーどんとか、頭の悪い後藤隊長とか嫌でしょ?
あーーロキシー先生か・・!あの無表情(?)具合もたしかに・・・
見当違いだったらごめん。ハガレンもどこに入れたらいいかよくわかんない
versatile ここは、BLAME! でしょ!w
寂れた温泉街が、村おこしのために絵師に頼んで適当に描いてもらったただの絵を、仁藤さんが批判しただけなら何の問題も起きなかった。
ところが、あの温泉むすめは地方伝承を元に描き起こされたご神体だった。
いくら自分が無宗教無宗派だからといって、他人の宗教施設に祀られたご神体に向かって、猥褻だ破廉恥だと騒いで唾を吐きかけたら、
普段は寛大な神さまも怒るし、祟りをもらってしまうのは仕方ないでしょう。
神観念の薄れた現代人に、ただの萌え絵とご神体の区別をつけるのは難しいけど、せめて古くからの由来があると知った時点で配慮すべきだったと思う。
暇空さんや暇アノンの異常なまでの執着も、単に祟りの駒として操られているだけなので、一刻も早く、温泉むすめに謝罪し、温泉街に多額の寄付をして、神さまの赦しを請えば、嫌がらせもピタリと止まるはず。
この伝承は「月はウサギが住むことが出来る大地がある」という認識が前提にある
「空とはドーム状の天井であり、月は天井に描かれた模様である」という認識だとそうはならない
私は現代人なので月は巨大な岩の塊と知っているが、古代人はどうだろうか
巨大……という認識があったのだろうか
「月の模様がウサギに見えるので、月にはウサギがいる」ということであれば、月にはウサギが一匹しかいないってことになる
「せいぜい1メートル以下の大きさの小さな円盤、あるいは球にウサギが一匹いる」という認識だったのだろうか
この認識は「空はドーム状の天井である」という宇宙観と矛盾するのかどうか
そういえば「竹取物語」のかぐや姫は明確に月の都の住人だったか