はてなキーワード: ラッキーとは
事情があり現在の義務教育に再び触れる事になり数年ったが、ウン十年前とほとんど変わらないシステムに加え、相変わらずの金太郎飴教育。
変わった事といえば「特別支援クラスありますし、うちはインクルーシブ、やってますよ!!」と鼻息荒い自治体の教育関連のお偉い様。
せめて「特別支援クラスのある小学校」か「基本完全ごちゃまぜインクルーシブが基本の学校」と選択肢もございますが、どちらがよろしいですか?
大空小に感銘を受けて「こんな小学校をたくさん増やしたい!」って文科省のエリートたちに映画観せてた下村さんもオリンピックのせいで辞めたよねぇ。
現場では、落ち着きの無いこどもの親に対して副作用をリサーチもせずやたら薬をすすめてくる教員がいる現実。
それまではダメだったのに18歳からもお薬だしてもらえるようになったのがあるのってなんで?ってそこ掘り下げて一回考えてみたら?親に言う前に。
「あんたのせいで」って、子の一生が狂ってしまってその子にもその親にも一生恨まれるかも。って考えてみたらどうかな。
日本もそっち系お薬の巨大なマーケットなんだよね。親はそれこそ夜も寝ないで必死で調べまくって「お薬のめばこの子はみんなと一緒に置いてもらえるかもしれない」って一縷の希望を抱いてのませたあげく薬合わなかった時の親の気持ちちょっと考えてあげな?
日本は戦後アメリカを見よう見まねで頑張って来たんだろうけど、発達障害の概念ってもともと日本にはなかったし、なんでもかんでも真似すりゃいいんか?
多民族国家での概念と、基本「村社会・村八分」で生きて来た基本単一民族国家日本人じゃ、そもそもベースが違うんじゃね?
こないだDSMの診断基準が見直しになって、アメリカでバカみたいに「はいはいあんたも発達障害!」って診断しまくる医者が増えたから「よっしゃまとめてスペクトラムということにしましょーね」って日本人が大好きな「アスペルガー」も診断名から外れたよね。
ってなったのに、日本人アスペ大好物だからすぐアスペアスペとかって人いじったりいつまでもしてるじゃん。
どーすんのこれ、いつまでも消えないよ?日本そういうの大好きじゃん。いじめのネタばっか提供してんじゃねーよ。
ちょっと落ち着きが無かったり、個性的なこどもを持ったおかーさんたちがどんだけビクビクしてるか知ってる?
発達曲線ほぼ逸脱してなくて集団でもさわがなくておりこうさんな育てやすい子のお母さんに「あなたはラッキーですね!今の日本で堂々と子育てして下さいね!」
って祝福でもされてる気分にしてどうすんだよ?
でも、そういう子たちってイノベーションとかあんまり期待できないんだよね。残念でしたー
指示待ちは得意だろうよ!ずっとそうしてきたからな。厚切りジェイソンに突っ込まれても論破できるやついないじゃねーか。
産まれてまだ数年しか経過してない幼児に「空気をよむ」とか高度すぎる暗黙のスキルを求める日本社会氏ねよ。
そのうち誰かが言い出すよ?「出生前診断で分からないレベルの障害も分かる診断法を発見!」ってねー。コワイコワイ
で、産んだら産んだで保育園はないし、やっと見つけた保育園で「発達障害かもしれませんのでうちでは・・」って言われてみ?
売り手市場なんだよ。なんとでも言えるんだよ。
少子化少子化って言ってんだったら、まず現場の教師に多様性とは何たるかを教えろよ。
検査しても私も夫もこれといった理由もなく、健康でありながら妊娠しない。専門病院で治療もしているが、なかなか授からない。
ラッキーなことに25くらいで結婚できて、2~3年くらいは私が転職したりしていて、若かったので子どものことは先送りにしていた。
自分のことをちゃんとしてから、30歳くらいまでに出産とかちょうどいいよね☆くらいに思っていた。
夫も、時期がきたらきっと妊娠するよ!それまで気長に待とう☆くらいに考えていた。
しかしいざ作ろうとすると全然できない。なんでだか知らんができない。もう30歳にもなってしまった。
でもできなくても不妊様にはなりたくない、人を僻んで性格が悪くなるのだけは嫌だ、そう思っていた。
が、そうなってしまった。
自分と同じ頃に結婚した友達の第一子誕生ブームの時は大丈夫だった。ちょうど私は転職に成功した頃で、私は私でとても満たされていた。
しかし、私よりも後に結婚した友達に続々と第一子が生まれ、自分と同じ頃に結婚した友達の第二子誕生ブームから焦りだした。
極めつけは、中の良い友人グループの出産ブーム。5人いっぺんに妊娠。みんな私より結婚が後。
赤ちゃんはみんな同じ学年になるんだね、やったね、ずっとその話。一人はマタニティハイになってしまい、聞いてもいないのに話し続けている。
それが分かったころから、もう、置いていかれる焦りなのか何なのか、妊娠しないことがコンプレックスになって仕方がなくなってしまった。
それまではFacebookに月1回くらい近況を載せていたが、一切更新しなくなった。開くことさえ苦痛になった。
親戚に会うたびに、子供はまだか、子供はまだかと言われていたが、以前より敏感になり、うまく返せなくなってきた。
悪気はないのはわかっている。独身の子には「結婚はまだか」、子の無い嫁には「子はまだか」、子が一人だと「下の子は」、みんな聞かれることだ。
私の親戚は子沢山が多く、夫の親戚はなぜか軒並みデキ婚で、子供のできにくい人がいるということをきっと誰も理解していない。
私と夫は東京に住んでいて、私の親戚も夫の親戚も皆地方に住んでいるので、その辺のギャップもある。
「あの奥さんは、子供も産まず、仕事ばっかりやっている。」と言われていることも知っている。
わかっている。悪気がないことも、適当に流していればいいことも。だけどもう気にしてしまって仕方がないのだ。涙が出る。
そんな闇の中、先日ついに妊娠した。が、あっという間に流産してしまった。
初期の流産は卵の染色体異常がほとんどなので、気にしなくてよいと言われたが、これまで生きてきてかつてないほどの悲しみだった。
やっとのことで妊娠したのに、卵がハズレだったわけだ。喜んでいた分、本当に文字通り膝から崩れた。
崩れた膝を立て直し、その週の週末に友人の結婚式に行った。
行ったら上で書いた出産を終えた5人がみんな来ていた。
そこからずっと、出産がんばった話。育児大変な話。育児グッズの話。たくさんの赤ちゃんの写真。
ちゃんと笑顔で聞いてると、「ごめん、子どもの話ばっかになっちゃったね!でもさ、早くこっちおいでよ。一緒にママトークしようよ!」と言われる始末。
つらかった。本当に堪えた。流産した直後で貧血にもなっており、頭がクラクラした。
終わった後、一緒に参加していた独身の友人一人とお茶をした。お茶は他の友人も誘ってみたが、やはり育児があるのでとみんな帰って行った。
友人は「仕方ないけど、寂しいね。話も合わないね。」と言った。私も「まあ、仕方ないよね」と言った。
そう、仕方がないのだ。
私はもっと若い頃、子を持つことがここまで自分の人生で重要になるとは思ってもいなかった。
独身なら自由に働けるし、夫婦だけならお金もあって海外旅行にたくさん行けるし、そういう人生も良いと心から思っていた。いや、今でも思っている。
出産で休んだり、時短勤務の人なんかを見て、もったいないなあ、子どもがいなければ、もっとキャリアアップも望めるのに、とさえ思っていた。
それが、どうしてこんな女々しいというか情けないことになってしまったんだろう。
子どもができないことが、とにかく、惨めで、虚しいのだ。
考えすぎると妊娠できないと周りはみんな言うけど、この気持ちを払拭できないと、妊娠できないのだろうか。妊娠しても、また流産してしまうのだろうか。
私はまだ、闇の中にいる。
日本人のほとんどが、ミスド巡りのためにミスドに行っているので、コンビニにドーナツを売っていても行く理由にはならないから。
ミスタードーナツ巡り(みすたあどうなつめぐり)も旅行に関する趣味の1つで、ミスタードーナツを訪問・商品300円以上を購入し店名付きミスドカード(旧・ラッキーカード)を貰い集めることである。
そんなわけねーというのはいいとして。スタンプラリー系の趣味って実はいろいろあるんですね。以前はてブ経由で、DPZの郵便局巡りする人を見たけど似たようなことをしている人は実はちらほらいるらしい。リンク先のWikipediaに載っている範囲で興味を持ったのは、ココイチ巡りですかね。確かココイチって、店舗独自メニューがある店舗もあるので、それを目当てに巡るのは楽しそうかな~?とは思う。
と思って調べていたのだけど、なんかまとめてあるページが公式っぽくあった。
職場の先輩とか上司に飯とか飲みとかおごってもらえたら嬉しいやん。
ラッキーっておもうやん。
それと似ていると思えば、なんとなくわかると思う。
いやーあおりすぎでしょ。
夫婦フルタイム勤務、祖父母同一区内在住、1歳枠で申し込んで第一希望に入れた。
育休切り上げて無認可に入れてのフルタイム勤務実績は積んだ。
やったことは以下
区役所に行く (これは書類を貰いに行くのと、書類の書き方で分からないことがあったときと、提出のときの3回。質問しに行ったとき、計画に追加でされた新設園情報があったのでそれを教えてもらえたのはでかかった。窓口は保育園の空きはないが、皆親身で親切。)
保育園見学 (第10希望まで書けるけど、駅-自宅-保育園の組み合わせを考えると現実的に許容できそうなのは5つくらいなのでそれだけ見学)
単純にラッキーなだけかもしれないけど、無認可に入れたくらいでそれ以外は特別がんばってないけど、保育園入れたよ。あそこまであおるのはどうかと思う。
顔覚えてもらうためとかいう理由で、区役所保育課の人のワークロードを無駄に浪費させるのは良くない気がするぞ。保育課の人にはもっと困ってる人のケアとかに時間を回してもらいたい。
偽装DVとか偽装離婚とかもさすがにやめてもらいたい。自分も入れなかったら偽装離婚してもいいかもと一瞬思ったけど、もっと苦しい状況の子供の枠を不正な手段で奪うってことだから。偽善といわれようと、両親揃ってて妻大手勤務の人がやっていいことじゃないと思う。
あとブコメで結構認証園もいいよっていうのがあったけど、私の区は認証園は片手で数えるほどしかなく、認証園もガンガン認可園に変えられていってる。自宅からの距離的に入れそうなのは1個しかなくて、50人待ちだった。
あと、お金出せば入れるリッチピーポー向け無認可なんてものも貧乏な区だからかもしれないけど見つからない。
まぁそれでも消滅しそうな区だからかもしれないけど、かなりの人数まかなえる新設園を今年度開設していて、本気を感じたよ。そこまで東京腐ってないとおもうけどなー。
http://anond.hatelabo.jp/20160218153103
いろんな温度感があるので、案外簡単に入れた例もあったほうがいいと思うので紹介。
その前の11月から、認可外の保育園に入れて奥さんは仕事復帰(時短)。
10箇所位、認可・認証を見学して、家に近い順番に認可保育園の希望を出して、無事近所の保育園(第2志望)に入れた。
認可の申込書を出しに行った時、区役所の窓口のお姉さんも、まあどこかには入れますよ、というテンションだったし、新宿区は当時は入りやすかったんだろうな。
認可外保育園は、スタッフも園児も中国人だらけのところだったけど、ある程度ちゃんとしてたししゃーないか、という感じ。
月6万円くらいかかったけど、働けばマイナスにはならんから気にはならなかった。
もちろんラッキーな面はあったんだろうけど、誰も彼もが死ぬほどの苦労して保育園に入れてるわけではないので、入れたらラッキーくらいの気持ちでいる人はそんなに頑張らなくてもいいと思う。
免疫抑制剤手放せなくなるびょーきになった。
なったというか、先天性のものなので前々からそうだったのだけど治療法として免疫抑制剤が効くと言われたので使うことになった。
使わなくても死なないがQOLが高くなるので使うことにした。
使ってみるとたしかに快適。使わなかった頃に戻るのは無理。
ただしこれ飲んでると妊娠ができない。
幸いなことに産まれてから一度も子供をほしいと思ったことがなかったので問題はない。
むしろ免疫抑制剤使い始めたことで親への説明がとても楽になった。
「薬飲んでるから無理なのよー、生まれつきの病気だからあんたが病気持ちで産んだのが失敗だったのよー孫諦めなー」といえるので楽。
旦那側にも「あんたの息子が欠陥人間と結婚したのが悪いのよー息子の見る目の無さを恨みなーまぁ、その程度の欠陥人間としか結婚できない息子なんだと思うよー」
というスタンスで済む。
いやー、子供をほしいと思ったことがなくて良かった。
家にひとりで引きこもってる22歳
一歩踏みだしてよかった。
君にもまた、一歩踏みだしてほしい。
失敗するかもしれない。また家に戻るかもしれない。
でもそれでもいい。とにかく一歩踏みだしてみよう。
君はひとりで苦しんで
苦しいことを苦しいと伝える相手もいないかもしれない。
誰も君の苦しさをわかってくれる人はいないかもしれない。
誰も君の苦しさを和らげる術を知らないかもしれない。
でも、それでも、同じように悩んで、悩みながらもがんばって生きている人がいると思う。
必ずいる。
暗闇のさなかにいるときは、今自分の抱える問題が世界のすべてで、
どうしようもなく苦しくなったりすると思う。
その苦しさから抜け出すのはきっと苦しい。
だけど、もしかしたら、
一歩踏みだして、転ぶ前に次の一歩を踏みだしてってやっていけば、
思わぬところまで進めるかもしれないよ。
思わぬのところまで進んだら、きっと思うかもしれない。
「あのとき、俺何悩んでたんだっけ?」
3年前に僕は決めた。
自分のことで悩むことはやめよう。
一旦悩むことは忘れよう。そのかわり、人の悩みを解決することに自分の頭を使おう。
抜け出すのは本当に苦しかった。
だけど1年後には、1年前の自分の苦しさを忘れるぐらいのところまで来ていた。
そういう意味では、僕は君のことをわかってあげられないかもしれない。
逆に、僕は君が僕のことをわかるぐらいのところまで来てほしい。
おまえはたまたまラッキーだったんだろ、って言いたいのもわかる。
もう時代が違うんだよ、っていいたいのもわかる。
そんな簡単に就職できねぇよって。
でもそれでも、一歩踏みだしてほしいんだよ。
失敗するかも知れないし、家にまた帰るかも知れない。
帰ったっていいんだよ。帰った頃には、それまでいた部屋とは違う部屋にいるだろうよ。
何もなかった部屋じゃなくて、挑戦した自分がいる部屋なんだよ。
挑戦して失敗して家に帰ってきたらブログでも書いてくれよ。
俺は挑戦したって。
次はもっと大きな一歩を踏みだしてやろうって思うよ。
君が何で今苦しいか教えてあげようか。
その苦しみを乗り越えて、他のやつに道を示すためだよ。
俺にバトンを渡してくれよ。
受け取って全力疾走してやるよ。
挑戦するなら、アドバイスがある。
すぐに逃げられるようにしといてくれ。
やばいと思ったらすぐに逃げればいい。
逃げられる用意が、君を強くする。
君には無限の可能性がある。
君が挑戦したらかなりのことができるかもしれない。
君が挑戦しないことは、社会にとって大きな損失かもしれない。
それもこれも、挑戦しなけりゃわからない。
挑戦しない限り、可能性はない。
もう駄目なら、それ以上駄目になることはない。
挑戦してみよう。
今の君にとっては大きな一歩でも、
いつかそれすらも小さかったなぁと思えるぐらいの一歩を踏み出せるかもしれないよ。
今、歩き始めればさ。
俺も、がんばるからさ。
まだまだ、これから!
君なりの一歩、まってる。
治りかけてきた頃の、自分へ。
君へ。未来へ。
甲
通常艦隊
対潜メイン
改修済み対潜装備した4スロ対潜4艦+航戦で2順しても運がないと倒せないボスってどんだけだよ
十数回出て発狂しそうになったので、気分転換にギミックでもやってみっかと5回くらい随伴の補給倒した
ほんとは5回すいぼせいき倒してSとりたかったけど、めんどかったから5回随伴補給倒すだけにした
そんでいざ向かってみたらあっさり1回で倒せた
甲
通常艦隊
礼号メンバーで固定できる
E1より運ゲー要素がぐっと下がるのでかなりラク
集積地のボスはなんかこっちに罪悪感覚えさせる感じであまり気持ちよくなかった
でも巨乳ではなかったな
攻略中に沖波がきてくれて驚いた
巻雲と若干かぶる
初月も着任
無感情な僕っ子だった
甲
で、潜水が2回ある+通常でまれに大破する→ボス到達率が微妙な割に、支援なしだとA勝利以上が難しい
司令部は罠
退避させたら、決戦支援がいいとこ当たらないとまず勝てないから、素直に撤退するほうが自分の場合はよかった
エロサイトの編成でいけばSで140いけるから、甲(500)でもこれまでの輸送ゲージよりは削りやすい
風雲は未所持かつ前回はめんどくて掘らなかったからマジでBINGOだった
あとは戦力ゲージだ
週末に首都高乗ろうとしたら、入り口の電光掲示板に4月から料金が変わりますの案内。
は?ナニソレ。ドライバーの中では常識?そんなニュース全然聞いたことないんだけど。
それでどうやら調べてみると、まずは車種が普通と大型の二種から、軽・二輪、普通車、中型車、大型車、特大車の5種に分かれるらしい。
それぞれで料金が異なり、普通車の場合は最低区間が500円から300円に値下げするも、上限金額が930円から1300円まで伸びるとのこと。
ついでに現金は一律以下の通り。
軽・二輪 1,070円
普通車 1,300円
中型車 1,380円
大型車 2,040円
特大車 2,600円
軽と二輪車は値下げだからラッキーだけど、これでまた都心と郊外の距離が離れて郊外のマイルドヤンキー化が更に強くなりますね。
でも、その表題が「4月(予定)からの首都高の新たな料金(案)について」みたいに括弧書きだらけでいまいちはっきりとしないんだよね。
俺には明らかに筋肉が足りない。
幼少の頃から年下の女子にも腕相撲で負ける程度の貧弱さではあったが、
30を目前にして筋肉量はただでさえ減っているのに、体重だけは増えてパワー不足が一層顕著になってきた。
力仕事が人並みにできない、下手をすると若い女子社員の方が力があることも多い。
非パワー型のチビガリだったのだが、太ったことで非パワー型チビデブとなり、大変醜悪な存在になってしまった。
そういった状況で徐々に焦りが出てきたのに加えて、
思い返せば非力が原因で何かを諦めたり、困っている経験が多いことに気付いて、今回筋トレをしようと決意するに至った。
まずカバンが重い。前と変わらないか前より軽いぐらいの中身なのに、最近カバンが重くてしんどい日がある。通勤中に何度か取り落とした。
最近はマウスがなんだか重くてしんどいので会社で使うデバイスをトラックボールに変えた。
食事中にどんぶりを落としそうになって慌てたことも一度や二度ではない。金属製のスプーンはたまに落とす。
机なしで椅子に座った姿勢で本を読んでいると本が重くて腕がプルプルしてくる。
傘は肩や側頭部で安定させないとさせないので相合傘が上手にできない。
電車やバスでつり革や手すりにつかまっていても、ちょっとした揺れや制動で体ごと吹き飛ぶことがある。
カチッといわないタイプの挿しっぱなしコネクタを、全力でこれ以上奥にいかないところまで挿したつもりがゆるゆるだったり、
LANケーブルの端子を抜こうとして、少し硬いロックを押さえる力が足りなくて、結局人の手を借りてケーブルを抜いてもらう羽目になったり。
前に一度重いものを持とうとしてぎっくり腰になって以来、スーパーで少し買い込むと数日間腰が痛むようになった。
組み立て作業で少し力ずくでハメ込むような工程が滅多にできない、ゴムハンマー使ってぶん殴れる奴ならできるけど、加減ができなくて今度はパーツがぶっ壊れたりする。
同様に、外すのに少し力がいる作業もほぼできないし、ガンプラ作りもパワー不足を理由に頓挫したことが何度かある。
自転車のパンク修理は穴は塞げてもゴムを戻す作業がどうしてもできなくて途方にくれた。
500mlのペットボトルを持ったまま歩いていると遠心力にまけてペットボトルが吹き飛んでいく現象が定期的に起こる。
テコの原理や滑り止め製品の発達に助けられてこれまでなんとかやってきたが、もうそろそろ限界だ。
そんなわけでなんとかして筋肉をつけて、ついでに減量もできたらラッキー、その上で筋肉をもう少しうまく使えるようになりたいと思う。
どうも昔から、力を入れる感覚みたいなものがかなり人よりボヤっとしているようで、
一番苦手な握る系の動作だと、力の入れ方がよくわからなくて高校生の時の握力測定の結果が9kgだったりした。
とはいえ、現在のところ運動は特にしていない。色々合計して一日1時間くらい歩いているくらいか。
汗っかきな上に汗をかいた状態で歩いているとケツが擦れて尋常でなく痛んで歩けなくなるので、いきなりウォーキングとかジョギングはできないと思う。
というか最近通勤で歩いているだけで膝や足首が痛むようになってきたから、体重と筋力の釣り合いがいよいよ壊れつつあるんだろう。
以前思いつきで腹筋を試みて、数日で腰をいわしたうえに途中で気持ち悪くなって嘔吐して止めた過去があるので、
腹筋的なことをやるなら何かしら自分レベルでもできるやり方を学ばないとダメだろうと思う。
体の硬さやバランス感覚、関節の可動域は、老人福祉施設に入所している老人たちよりひどいと介護職の母親からお墨付きをもらっているので、
もしかしたら老人向けエクササイズあたりからはじめた方がいいのかもしれない。
増田は初めてで、文章も普段あまり書かないので、色々読みにくかったらすんません。
100年前の条約はまだ生きていた。オランダ大使館で聞いた日本人が知らない特権
http://www.lifehacker.jp/2016/01/160118holland_embassy_nfia.html
日本人は労働ビザが必要なくなり、雇用主の手間がぐっと楽になった。ただ、移住する国としてはどうなんだろうなーと、個人的に思う。ビジネスだったら一時期の経験として割り切れるけど、移住ということはずっと残りの人生をオランダで過ごすってことだよね?住めば都とは言うけど、日本人・外国人に関わらず、最初の1年でオランダ滞在をギブアップする人はけっこういる。
とにかくオランダは国や人のクセが強い。合う人は長く住むけど、合わない人はすぐに帰国する。
もちろん「いやそこは頑張って慣れろよ」という部分もあると思うのだけど、異文化適応は先に知ってたかどうかがけっこうネックだと思う。
ネットでは、キラキラしたオランダの良いところばかり取り上げられていて、ネガティブな情報が無いのが気になったので、個人的に移住を(簡単に)おススメできない理由を挙げてみようかと。
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よく「オランダ人は英語が話せるので、オランダ語が話せなくても大丈夫」という触れ込み(?)を見るが、実際は役所や移民局から届く大量の手紙は全部オランダ語。諸々の申請書類も、ゴミの収集場所変更のお知らせも、銀行の書類もガス給湯器の説明書もオランダ語。書類スキャンしてGoogle Docsにぶちこめば読めるけど、OCR技術はパーフェクトではないのでそれなりに時間がかかる。年月が経てばある程度慣れてくるけど。
加えて駅や電車内のアナウンスも(主要都市の駅以外)オランダ語。オランダの鉄道はトラブルが多く、途中の駅で降ろされて1時間待たされるとか、急に到着ホームが変わって乗客みんなでダッシュとかザラ。そんな場合でもアナウンスはオランダ語なので、わからない場合は周りの人に聞くしかない。乗ってた電車の到着駅がいきなり変更とアナウンスされても気づかないことも(実体験)。
そういう環境なので、話せる言語が英語だけだった自分にとっては、毎日のちょっとした事がけっこうストレスだった。なので、ネットなんかに書いてある「英語話せれば大丈夫!」という言葉をそのまま信じて行くと、現地で騙された気分になると思う。
※ちなみにオランダ歴長い日本人(オランダ人と結婚した人は省く)でもオランダ語話せない人は多い。オランダ以外で役に立たないから。
というか中国人差別。ただこれはコミュニティによる。酷いのはオランダ人の中流以下(特に田舎)コミュニティと、トルコ・モロッコ系移民コミュニティ。前から歩いてきた男数人にすれ違いざま「ニーハオ!」と威嚇された回数は数知れず。叩かれたり、蹴られたりした人も。子供にまで言われた時はどうしようかと思った。(しかも隣にいた親らしき大人は注意しない。闇)最初はコミュニケーション?とポジティブに取ってたが、表情や態度でバカにされてると分かった。「中国人じゃないですよ」と返した時期もあったが、逆に日本人と身バレするのもアレなので、ひたすらスルー。当たり前だが、アジア人以外の外国人と一緒にいる時は一度も経験したことは無い。
そこまで直接的じゃなくても、ローカルなレストランで店員の接客態度が白人と我々であからさまに違うことは、残念ながらよくある。GACKTみたいに正面からやりあえれば良いのだけど、こう頻繁にされると「そういうものなんだ」と慣れてきてしまうのが怖い。
対策としては、そういったコミュニティに近寄らないことと、身なりをちゃんとすること。あと堂々としてること。こっちの人は、服装で自分のステータスを明確に表現する。黒人でもトルコ人でも、ちゃんと仕事してる人はちゃんとした服装をする。地味なダウン+ジーンズ+スニーカーで出かけて嫌な目に合ったことは何度もあるが、しっかりした服装の時には一度も無い。
オランダのお国柄。口が悪い。加えて無愛想で閉鎖的なもんだから、1年目これで「あ、無理だ」ってなる人がいる。慣れれば大丈夫。
一般的にオランダ人は内向的でコミュニティ意識が強い。京都人っぽいというか。「外者」が中に入るにはかなりの時間をかけて関係を構築する必要がある。もちろん、こちらからコミュニケーションをすれば、ちゃんと返してくれる人は多い。もしオランダ人ローカルとのキャッキャウフフをイメージしている人がいたら、それを実現するにはかなりの時間がかかることを明示しておく。旦那さんもしくは奥さんがオランダ人じゃなかったらほぼ不可能。都市部なら可能だけど、ちょっと外れの田舎とか不可能。まあ日本と一緒か。
人それぞれなんだけど、個人的な体感値として。自分はアメリカ東海岸にも滞在してた事があるんだけど、フレンドリーさ、対人面でのホスピタリティは圧倒的にアメリカ人の方が上。例えばオランダのレストランなんかで、笑顔で接客してくれる人に当たったらラッキーぐらい稀。あとオーダーの間違いとかザラにある。
まずパンがまずい。スッカスカ。高いお金払ってやっと「それっぽい」レベル。一度ドイツ人が地元のパンを持って来てくれたけど、全然違った。電車数時間でここまで違うのかと驚いた。それ以外の食べ物も全体的に美味しくない。元々プロテスタントの国で土壌が貧しかったから食文化が育たなかったと言われているが、言い訳にしか聞こえない。
オランダは農業先進国と言われている。確かに日本と比べると野菜は安くて大きいけど、水っぽくて味が無い。一年通してずーーーーーーーーっと同じ種類の野菜が、同じサイズでスーパーに並ぶ。旬の野菜も時々出るけど(白アスパラとか)日本みたいに季節感が無い。解決方法としては、ローカルの八百屋さんやオーガニックマーケット(高い)で買うこと。
あと日本では普通に売られてる豚コマとか薄切り肉が無いので、鍋なんかしたい時に苦労する。日本人が多い地域には売ってる。生魚とか怖くて食べられない。知りあいがそこそこの値段で食べた生の魚貝で食中毒になったケースを何回か見ている。日本人向けの魚屋が存在するが、まだ利用したことは無い。
外食が高い。そのくせ美味しくない。いわゆるファミレスみたいな「お財布に優しくて、そこそこ美味しい」ものが無い。すごい高いレストランか、格安フードかの二択。中間の価格帯は中華料理屋くらいか。必然的に自炊が増える。日本食レストラン、ラーメン屋さんはアムステルダムにはあるけど高い。
インドネシア料理は許す。
オランダの冬は暗くて日光が当たらない。朝は8時まで暗くて、夕方5時には暗くなる。雨風強い。あの暴風雨の中で自転車こぐオランダ人はタフだなあと思う。まあ、これも慣れろよって話なんだけど、自分は最初の一年目、あまりの天気の悪さにストレスがすごかった。日光が足りないとビタミンDが不足して鬱状態になりやすいらしい。対策としては肝油。
こっちでは高校生くらいのオランダ人が、親方みたいな人について肉体労働や職人仕事(ペンキ屋さんとか)をしている風景を見る。オランダの場合、子供は10代前半くらいで成績に応じて色々なランクに分けられ、受けられる高等教育が変わる。日本の場合、(職種にもよるけど)大卒じゃなくても社会に出てから叩き上げでキャリアアップしていく事は可能だ。対してオランダは学歴によってできる仕事と給与が明確に分かれている。(カフェでレジ打ちをするにも、大学卒業資格が必要だそうだ。)大学に行けないと判断された子供は、職業訓練学校に進学するレールに乗る。一度乗ったレールから外れて、大学に進むにはかなり回り道をする必要があるらしい。
オランダの教育は学歴差を若い時から明確にし、社会のシステムに組み込んでいる印象。もちろん、地域や学校によって様々だと思うのだけど、自分がオランダで子供を育てたいか、と言うと今のところ「うーん..。」という感じだ。この辺はまだ勉強不足。
※オランダの子供は伸び伸び育てられてるせいか、すごい自由。というかうるさい。声が大きい。北欧に行った際、電車で子供が騒ぐとすぐ親が注意してたけど、オランダで注意してる人は見た事ない。
移民局含め、役所の仕事がずさん。申請書類を紛失されたせいでビザの取得が半年遅れるケース多数。今回の労働ビザ免除の件も移民局の末端で仕事する人には届いていないらしく、窓口に行くと「おまえは何を言ってるんだ」と取り合ってもらえなかったという話を聞く。
長い。そして完全に悪口。個人の主観だし愚痴も多分に含まれているので、話半分で。文中にも書いたけど、住むエリアやコミュニティによって、状況もだいぶ違う。逆に言うと住む場所はホント大事。
上記の様な諸々は日本でも他の国でもあると思う。まあ、キラキラの楽園じゃないよってことで。ヨーロッパの国だからといって洗練された社会システムや人を想像して行くと、現実とのギャップで打ちのめされてしまうからね。良い意味でも悪い意味でも、泥臭いです、オランダ。自分で色々切り開いてく精神があれば、大丈夫かと。
もちろん良いところも色々あると思うけど、まあそれは他のブログとかサイトにおまかせで。まあ、一度くらいは遊びに来てもいいんじゃないかな(秋冬以外)。
※確かに他のヨーロッパ諸国に色々気軽に行けるのはメリット。飛行機も安いし。
※いわゆる韓国系、中国系の日本食レストランはどの街にもある。
※電車で2、3時間のドイツやベルギーに行くと、とたんにパンも食事も美味しくなる不思議。
※中国人男性はガタイが良い人が多いので、逆にあまり絡まれない。
※税金・保険をちゃんと支払っていれば、大学含む教育費・医療費はタダに近い。この辺はすごいなと思う。税金高いけど。
20代の数年間SIで働いた。1年以上前に退職して今は別業界にいる。
今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくりで暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。
一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。
以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。
受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積がおかしくても顧客と対等な関係が築けていないから追加請求もできない。時間(工数)をかければ良い成果物ができるかもしれないがそれを説明して顧客に嫌な顔をされたくないから、限られた工数の中での最善を尽くす。最善を尽くす、聞こえは良いが要は手を抜く。
つまり、どう頑張っても売上は同じなのだから、良いもの・価値を生むものを作ろうと考えない人が多い。社内で開発者と呼ばれる人間もそうだし、マネジメント層はそういうものづくり志向を持った人をリスク扱いすることもある。
これが諸問題の根源で、いかに述べるような組織・プロジェクトが出来上がっていく。
マニュアル作業の正確さをかたくなに信じてる人だらけで、ITとは何なんだと考えさせられる。
私は定型作業を効率化しようとjsやrubyでスクリプトを書いたりしていた。テストデータを開発用DBに突っ込んだり、テキスト処理して整形したり、Excelからコード生成したりするよくあるやつ。
あるとき上司に肩越しに自分の作業を覗かれて「何やってるの?」と聞かれ、そういうスクリプトを作ってると答えたら、工数とリスクの話をされた。曰く「そのスクリプト作るのに何日かかるの?工数に乗ってないよね?」「スクリプトのテストもちゃんとしないと結果が正しいって保証できなくない?」と。この時はイラッとして「30分でできる数十行のスクリプトだし自分の作業工数内で完結する。むしろ後工程や別の人でも同じことを再現性できて楽になる」とか真面目に説明してプログラムも見せたが、読もうとはせず(読めないので)1時間無駄にした。
前述したようなビジネスモデルだから、営業力と、予定工数で無難にプロジェクトを終えるマネジメント力が大事。IT企業だが開発者は自社で持たない。不況の時に待機コストが発生するリスクがあるし、自社で抱えるより単価の安い開発者が人材派遣系の企業や下請けにいっぱいいるから。
社長があるとき社内広報で「技術は買うものだ」と言っていた。文脈で明らかに技術=技術者のことだったので、使い捨ての人売り業と揶揄されていることへの自覚が無いと思う。
そういう人が集まっているor残っている組織なので開発者はほとんどいない。20〜30人ぐらいの課に1人ぐらいの割合でstaticおじさんがちらほらいるぐらい。大体20代からプロジェクトリーダーという立場をやり始め、だんだん大型の案件を扱えるようになっていき、後は出世ゲーム。部長のお気に入りが課長になり、部門長のお気に入りが部長になる。その繰り返し。
開発案件でのBP(ビジネスパートナー、委託先、派遣、下請け)比率は自分の周りだと1:5ぐらいが多い。プロパー社員一人が5人の開発を仕切る、みたいな形。案件規模によりだいぶ差があると思う。この比率が高い=マネジメント力のある組織と考える会社はこの数字を上げようと必死で、比率の低い組織は評価が下がる。
私は開発が好きだったのでエンジニアとして生きていきたい、というようなことを評価面談の度に伝えているが、その度に会社の目指す方向を説かれてモチベーションが下がる。
上述の通り、案件で接する開発者は基本的に社外の人間なのだが、彼らの技術力と意識の高さにはものすごいばらつきがある。言われたものはなんでもこなせる人、何でこの歳まで技術者やれてるんだと疑う人、このプロジェクトはおかしいと良い意味で騒ぐ人、何も意見を言わない人、CっぽくJavaを書く人、人当たりは良いが技術力がいまいちな人、すぐ休む人、バグやミスを隠す人…etc。
まぁ色んな人がいるのはどの業界のどの職種も同じだが問題は質だ。私の主観になるが本当にエンジニアとして尊敬できるレベルの人は1%いるかいないか。というのも、ほとんどの技術者は長年SIやその周辺企業と付き合ってきているので同じ体質に染まっているのだ。顧客が良いといえば良いという態度(この場合の顧客は私が所属する企業)、請負の場合は工数を超えない範囲で手を抜く姿勢、その他諸々。技術力だけをひたすら磨き続けてきたという人はごく一部だけだったし、そんな人でもGitHubアカウント持ってない・ブログやってない・OSSに貢献したことない、といった具合でクローズドな世界で生きている。
そうした技術者とやっていく中で最も厄介なのが教育コストだ。案件のあるなしで人が都度入れ替わり、新しい人が来るたびに同じシステム・技術要素の説明をして何とかやる気が出るようモチベートして、というのを繰り返すのに疲れた。私の会社固有の変なルールの説明はてきとうにしておいて、私は技術が好きな仲間が欲しかったので今のシステムの課題と技術面での改善や展望をよく話す。が、あまり食いつかれることはない。これは私の問題だが、そうした期待と落胆のループも疲弊の一因だ。
ある時、一つの課に6年近くいるというBPと一緒に仕事をする機会があった。その課にはプロパーの技術者が長いことおらず、彼がその課の技術的中心を担っているという話だった。抜けられると途端に色んなものが崩壊するからという理由で、その人の派遣元にはかなり高額の単価を支払っていたと聞いた。課員が口をそろえて「あの人はすごい」「何でもできる」というので初めはかなり期待していた。
だが、拍子抜けした。あまりにも仕事が雑なのだ。コミットされたコードはTODOコメントだらけだし、バグがあまりにも多かった。一度も実行されずにコミットされ、他の人がチェックアウトした時点で判明したバグなんかもあった。それでも声が大きく、プロパーが技術を知らないのをいいことに自分のブランディングに完全に成功していた。客先にも顔を出し、信頼を得ているらしかった。「自分は設計が得意でテスト以降の工程には興味が無い」と言っていた。確かに彼が関わった各システムには独特の概念が埋め込まれた設計があったが、その複雑な設計は保守性が低く、他の開発者が触ると容易にバグを引き起こしていた。
また、彼はJavaの有名なフレームワークであるStrutsを拡張したいわゆるオレオレフレームワークを開発しており、それの出来は悪くなかったと思う。そのフレームワークに欠けているものをうまく補うような形になっていた。だがフレームワークのバージョンを上げると壊れるというのが残念な点で負債になりかけていた。
私は異動したが、彼は今でもそこにいると聞いた。
(最低限のものしか作らないから)安くて早い!という触れ込みで売っているので、テストの工数が異常に少ないことも多い。特にテストコードを書くなんてもってのほか。そういう世界でやってきた人ばかりなので、30や40超えたマネジメント側は「テストコードって何?」状態だ。大型の改修案件が来た時にはコア機能だけでもテストを書いていこうと見積段階から社内で提案したが「顧客に『そんなメリットあるなら何で今までのプロジェクトではやってないの?』って問われるから、絶対言うなよ」と拒否された。
保守案件をやっていた頃、時間を捻出してコソコソとテストコードを書いたりしていた。その案件を離れてしばらく後、ある時リポジトリを覗いたら私が書いたテストコードがばっさり消えていて驚いた。コミットログから課内のstaticおじさん的な人が消したとわかったが、そのコミットコメントが「現在使用していないコードを削除」だった。これはもう問う気も失せて何も言えなかった。
先述したようにテストがそもそもないプロジェクトが基本なのでリファクタできないのだが、たとえテストがあったとしても勝手なリファクタは許されない。ソースコードは顧客の持ち物なので同意なしに改変することはいわば契約違反なのだ。たとえ内的品質が向上してコスト削減に繋がるとしても、そのためにお金を支払う顧客はまずいない。
私がいたどの案件にもコードレビューがなかった。リーダーと開発者数人という構成の場合、まず開発者は全員下請けでリーダーは技術の心得がない場合が多い。そうなると彼らの成果物の良し悪しを図るのは目に見えるシステムの挙動と実施されたテスト結果のExcel報告書だけになる。これが非常に非効率で、少しコードを読めばわかる明らかなバグや仕様理解の齟齬が頻発していた。特に受入試験と呼ばれるリリース直前の顧客側での最終確認や本番稼働中におけるhotfixは全機能をきちんとテストせずにデプロイされることが多く、そのhotfixがさらなるバグを引き起こしたりもしていた。
そもそもテストを書けという話だがテストが無いプロジェクトに足すのはかなり大変なので、レビューサイクルをきちんと回すだけでもかなり変わる。実際、私が入った案件ではすべてのコミットに目を通すようにし、明らかな問題は都度指摘することで品質の向上に繋がった。欲を言えば他の開発者にもレビューしてもらいたいが、下請けの彼らの工数を増やすことは嫌がられる。
無難にプロジェクトをこなすことと新しい技術を試すことの両立こそ技術者の腕の見せどころだと思っているが、ほとんどの場合それは許されなかった。新規にせよ継続にせよ案件を受注する段階で営業やマネジメント層と顧客間で「今回は過去に実績のあるこの技術でやります」という契約が結ばれているからだ。その技術(言語やフレームワーク)がいかに古く、保守性も将来性もないものだとしても受注できればよいし、その技術のサポート切れか何かの拍子で再度リプレイス案件でも受注できればさらにラッキーぐらいの考えでいる。
また横に倣えが加速してさらに悪い事に、同じアーキテクチャ・ネットワークを再利用するために既存のサーバに新システムも相乗りすればよいという発想も珍しくない。「資産の再利用によりコスト削減」という触れ込みだったが、ただでさえスケールしない低スペックのオンプレミスサーバ上で複数のアプリケーションサーバを運用した結果、予想通り耐障害性が下がった。
また、Oracleのライセンスが高いという理由で一つのDBインスタンス上に10数個のシステムが同時稼働しているなんてこともあった。1つのシステムが高負荷なクエリを投げたせいで関連する全システムが共倒れになったこともあったがOracleのバグとして報告していた。
新人の頃にOJTでstaticおじさんの下に付いたことがあった。そのとき担当したのはPerlでデータ連携用のバッチを書くという開発業務だったのだが、最悪の思い出だ。
まずプログラム構造仕様書というのを書かされた。メソッド単位でのモジュールを全てExcel上に記述し、処理の順番と内容を説明するという謎資料だった。あまりに意味がわからなかったので「UMLのクラス図を書けばよいのですか?」と聞いたら「Perlにクラスなんて必要ない。構造化プログラミングを研修でならってないのか」と返ってきた。「俺が前に書いたPerlのバッチがあるから参考にしろ」と言われ、あるリポジトリをチェックアウトして見てみると1ファイル4,000行の.plがいくつか並んでいた。その時の私は何もわかっていなかったのでそういうものかと思ってしまったが後で調べて明らかにおかしいと気づいた。
また、そのプロジェクトのメイン言語はJavaで、Eclipseを使っていたのでPerl用プラグインを入れてコーディング・デバッグをしていたらやめろと言われた。理由は「Eclipse上で動くPerlが信用できない。サクラエディタで書いてプリントデバッグすれば充分だ」と言われた。その時の私は何もわかっていなかったので、プラグインの品質が悪いとかそういう話かと思い「じゃあvimで書きます」と言ったら「サクラエディタにしろと言っただろ!」と一喝され、vim vs サクラエディタという史上類を見ないエディタ論争が起きた。
SI業界の中では高いのかもしれないが決してよくはない。4年目(たぶん25歳)ぐらいで残業込みで年収400万にやっと届いたがそこからほとんど変わっていない。30歳の先輩に聞いたところ「500万前後、残業してない場合の月の手取りは未だに20万切ることがある。残業抜きでは新婚生活が厳しい」と言っていた。いわゆる年功序列がきっちりしていてこのまま続けてもしばらくは給与が伸びないということがわかった。
個人での貢献で差がつくのは±10万程度。その程度ならいっそ無くてもいいのでは、と思う。というかそもそも生産性をきちんと評価する制度が存在しない。これはどの組織でも難しい問題だと思うが、形骸化した評価制度で上司の気に入った人間にS評価を付けているだけならいっそ止めたほうが時間の無駄にならなくてよい。
会社から貸与されるノートPCは低スペックすぎて開発には使い物にならない。なので開発者は基本的にデスクトップを使用せざるを得ないのだがこれもメモリ4G、1.2GHz程度で大したマシンでもない。本当に開発する気がない。
いつの間にかどこかで意思決定がされていて、関与する機会がほとんどない。だがほとんどの社員がそれで良いと思ってる。失敗しても自分が決めたことじゃないから上層の責任だ、そう言えるので楽だから。
情報共有をしない、というか意図的にしないようにしているとまで感じる。連絡はメールと添付ファイルベースで行っているし、共有のファイルサーバなんてのもあったが一部のフォルダは権限を持った人間しか見られない。何で他の部や課が行った過去の見積や提案資料が自由に見られないんだよ。
ソースコードのリポジトリも同様。外部に公開しないのはまだわかるが、プロジェクト外にすら基本は公開していない。別に奪われて困る大した技術もない。
会社が用意した提案資料共有サイトみたいなのもあったが、それに至ってはもっとひどい。課長以上もしくは部長から承認を与えられた者のみ閲覧可能。共有とは。
どうでもいいことを決めるにも承認や根回しや説得が必要になる。それがプロジェクトの利害関係者ならまだわかるものの、まったく関わっていない上長(課長や部長、時には部門長)を通さないと進まないという異常さ。
利益率向上のためにコスト削減ということがしきりに言われており、過剰なコスト削減対応が生産性の低下を招いている。たとえば顧客に見せる資料以外は白黒で印刷しろ、みたいなルール。色がないために情報が伝わりにくい。というかそもそも印刷せずに各自のノートPCで見ろという話だが、先述したようにノートPCは低スペックすぎるので多くの社員がデスクトップを使っている。ITとは。
本当に無駄としか思えない承認・申請フローの煩雑さに加え、使っているシステムの使い勝手も悪く、ひどい日は一日がそうした事務作業で終わる。しかもそのシステムは自社で以前開発したものだというから泣けてくる。こんな作業が定常的に発生するのでいっそ事務員を派遣で雇うべきという提案が何度もされたが、課の予算をオーバーするから無理だという回答しか返ってこない。
表向きは社員の健康促進という触れ込みで残業時間削減を全社的に取り組んでいる。残業減らせと声をかけただけでは誰も帰らないので、勤怠システムと入退館管理システムを監視し、削減できていない組織や人間の評価を下げるようになった。
その結果、サービス残業が復活した。30時間を超えると部長に説明しないといけない、50時間を超えるとその上へ…みたいなループ。表向きの残業時間削減・コスト削減としては成功したかもしれないが、社員の残業時間を管理するとかいう無駄な仕事を増やしたし、管理される社員のストレスとサービス残業に繋がったので下策だと思う。
他人の残業時間をExcelにまとめる仕事があって、そこに給与が発生してると思うと泣きたい。
そもそも無駄な作業や工数至上主義で作業効率が悪いから残業しているので、残業が少ない奴が偉いと一斉に舵取りしただけでは生産性をちゃんと評価できていないことに変わりはない。一昔前の残業多い奴は頑張ってて偉い、というのと本質レベルで何も変わっていない。
http://anond.hatelabo.jp/20160116085640
ここでも書かれているが、無職ニートを続けるのはある種の才能だと断言していい。
不幸なのは、現代社会(というか人間に限らず集団社会)ではむしろ害悪でしかないことだけど。
これにプラスアルファで、クリエイティブな才能とかを兼ね揃えていたら、なんとかやってける可能性がある。
でも普通なら1年も持たないし、3年5年と続くと絶対に自分もそろそろまともに・・・という気分になる。
だけどニートの暇すぎて死にそうになるような生活が、どういうわけか肌に合う俺のような人間もいる。
やることが多すぎて暇じゃない、ニート楽しすぎワロタwwwwなんてのは、ただのビギナーかまだまだ若さが溢れてるだけだ。
朝起きる、適当にサイトを見て回る(と言っても数は極端に少ない)、溜まったアニメのリストを眺める(視聴するまではなかなかいかない)、
Googleの真っ白なスタートページを眺めて、パソコンを離れて部屋の中を歩き回って、またGoogleを見て、また歩き回っての繰り返し。
これを日が暮れるまで続けて、腹が減ったと思ったらなんか食って、思っても面倒なら食わないで、気付いたら三日間ぐらいナチュラルに断食してたり、
たまになぜか気が向いたらアニメでも映画でも小説でも一気に消化して、気に入ったら同じものを1年でも2年でも毎日毎日見続けて、
春になったら散歩でもしてみようかと思って、10時間以上も膝が痛くなろうが構わずに毎日歩き続けて、かと言って色んなところに行くわけでもなく住宅地を徘徊、
欲しいものがあっても数日後には綺麗さっぱりその気持ちも消えて、それを知ってるから何も買わずに何もせずにいることに子供の頃から慣れていて、
ただ床に座って壁を眺めていて、瞑想するわけでもなく、壁のシミを数えるでもなく、それが自然とできてしまって暇とは思っても決してその退屈が苦痛には感じない。
これが異常なのかどうかは知らないけど、多くの人にはやろうと思ってできることではないということは知っている。
俺の親族にはなぜか無職ニート引きこもりが一時は6人もいたが、それでも10年プレイヤーは俺の他にあと1人だけだ。
連絡を取り合っていたが、社会復帰していった彼らは常に暇であることを嘆いていた。
まあ、金の問題もあったんだろうけど、それ以上に退屈が苦痛だったんだろうな。
自分で言うのもなんだが、俺はべつにコミュ障ってわけでもないし、対人恐怖症でも人見知り気味でもましてや鬱病でもない。
進んで誰かに関わっていくわけではないが、親とも親戚とも明るく普通に話せるし、人の目を見てありがとうと言えるぐらいの心の余裕はある。
これでも20代は就職していたこともあったけど、辞めて、ニートして、就職して、辞めて、ニートしてを4回繰り返した。
ブラックもホワイトも経験したが、仕事や人付き合い自体はべつに苦痛でもなく、辛くてもまあなんとかやれてた。
それでも、やっぱり1年もするとニートに戻りたくなる、というよりもあの退屈と非生産性が恋しくて堪らなくなる。
在宅ならいいのかと思って、アフィを3回試して、ラッキーなことに3回とも月20万以上をコンスタントに稼げるようになったけど、
やっぱり何もしないでただ日が暮れていくだけの日々が恋しくて仕方なくなって、ある日すべてを投げ出してしまう。
株とFXにも手を出してみて、株は失敗したけどこれまたFXでは運が良くて、それでも稼ぎ続ける気には到底なれなかった。
適度に刺激にある生活、これが俺にとっての退屈なんだと気づいてからは、もう10年もほぼ何もせずにいる。
たまにこうして気が向いたら、なんかアクション起こしてるけど、前回は去年の夏だかに2chに数行書き込んだぐらいだな。
やりたいことも、やることも、なーんにもない。
べつに無感情なわけでもないし、素直に感動もするし、だから心が麻痺してるってわけでもないだろう。
但し書き入れようかどうしようか迷った部分だったから、なんかうまく伝えられなくて申し訳ない。
我が家でも、普段の朝昼夜に分類されるような正規の食事であれば着席待ちをすることの方が多いです。
ただ、正規の食事でも「先に食べて―」と言ったり言われたりで待たないこともよくあるし、
「半端な時間だけどちょっと腹減ったから納豆ごはんでもシバこうぜ!」ぐらいの軽い食事なら、
バラバラに食べ始めるのはそれこそ「よくあること」という家です。
彼女もあくまでも箸が出てなかったことが気になっただけで、先に食べ始めた部分が気になったわけではないようです。
件のケースであれば、私は仮に彼女が先に食べ始めていても気にしないし、同じように箸が出ていなくても何も気にしなかったと思います。
むしろ、食べるペースが私の方が速いので、食べ終わりのタイミングをある程度合わせるためにちょっと待つ必要がないからラッキーとか、
せっかくだから久しぶりにレンゲで納豆ごはんを食べよう!とか、5歩くらい余分に歩くからついでにツイストしとくかイェーとか、そんな感じだろうと思います。
一応、このあたりの反応に関して、自分が恐らく少数派であろうことは自覚しています。
箸が出てなかったから残念な気持ち自体は想像できているつもりです。
以前の私なら、お新香はパックのままでも気にならないし、納豆は自分の分だけ出していました。
色々と指摘を受けて訓練して「納豆いる?」と声をかけて確認するように自分の中でルール化してみたりして、
絶賛気を付けているわけですが、結果いつもと違う部分で手落ちがあって、やっぱりダメだったって感じです。
お互いの為にも、ということを考えると、
彼女の年齢的にも早く結論を出した方がいいのだろうな……と考えていますが、お互いに情があるだけになかなか踏み切れないでいます。
今は彼女が「自分がどうしたいのかゆっくり考えるための体力をまずは別居して回復したい」ということなので、一旦預けているような状態です。