はてなキーワード: サークル参加とは
多分、私に言い返して来たんだと思うけど、自分に言及してるよ。
>じゃあ、サークル参加が一人もいないで買いたい人ばっかりでも即売会は成立するわけですね。そうですよね???????
「なきゃ自分で書く」が二次創作だと思ってるので、多分なくならない。
一人もいなくなる前に、買いたがる人の中から作る人が出てくる。
>優れた内容描いても、喜ぶのは金も払わずにピクシブ閲覧してる読者ですよね?????
優れた本を作っても元を取れるかは、まるっきり一握りの人間だけ。
優れた本を作っても喜ぶのは、できるのを待っている読者だけとも、言えるような。
>適当すぎる本だけ作って、って、本作るのに時間とおかねがどれだけかかるか知ってる?????
知ってる。
>あなたも読み専ですよね???少なくとも「ファンとして」公式にも二次創作にも何も貢献してないのに、偉そうにしてるやつが多すぎるんです。
地方在中のオンライン専門小説書き。公式に課金しまくってて、グッズ買いまくってる。遠征してイベントで買い物もするし、とらのあなも使う。
忘れかけていた劣等感を引きずり出された。
ものすごく小さなジャンルで、サークルの数は10を超えるかどうか。
その中で好きなカップリングの新刊や既刊を買うと10冊足らず。
参加しているときは楽しかった。サークル参加する側も買い専もほとんどツイッターで繋がっているような小さなジャンルだから、
自分の本がいかに稚拙で見劣りのするものか、並べてみたら一目瞭然だった。
装丁、内容、ボリューム、全てにおいて「初めてのサークル参加だから」という言い訳でが通用しないほどクオリティが低かった。
自分の見通しの甘さ、人生経験の少なさ、感受性の乏しさ、語彙の少なさ、そういうものを一気に突き付けられた気分だった。
「お金を出して買ってもらう」商品だというのに、これだけのものしか作れなかった。
ネットで作品を公開するなら無料だし、つまらなければ読み捨てられる。所有権はまだ私にある気がする。
他人に所有されるようなものを、あんな形で作って頒布してしまって、本当に申し訳ないと思っている。回収したい。
「同じイベントで出されている本」という同列の中で、他人と同じカップリングの作品を作る。
それが批評を受ける。
ツイッターで相互になっているような人たちばかりだから、普段当たり前のように仕事をしていたり学校に行ったりしているのを知っている。
同じ条件の下で、頒布するために書いたものにこんなに差が出るなんて。
私が出したのはたかが20pに満たないエロだけのBL小説だが、他の作品の中で「たかが20pに満たないエロだけのBL小説」がいかに稚拙で、恥ずかしく、本にする価値のないものであったか、を思い知らされた。
自分なりに必死で書いたものがあんな低俗なものでしかないなんて、自分の人間としての底の浅さを知ってしまった。
どれほど努力しても、きっともうお金を出して買って貰ってもよいと自分で思えるようなものは書けない。
同人やってる人みんなすごいわ。
1年前に初めて描いた同人誌の絵や話はめちゃくちゃで。でもたくさん感想をもらえた。凄く嬉しかった。本を出してよかったと思ったし勇気を出してサークル参加してみてよかったと、本当に思った。
それから今日までの約一年間割と早いペースでサークル参加をし、本を出してきた。
その前に出した本には自信がなかった。自分の中で解釈がまとまらず、でも時間がなかったから描くしかなかった。感想なんてもらえると思えなかったし落ち込んでいたからウェブ拍手のQRコードは巻末に載せなかった。
その後、ちゃんと考えをまとめてしっかり練って描かなければいけないと思ってわたしは一冊の本をかきあげた。内容に自信はあった。話のながれも面白いと思った。
ウェブ拍手のQRコードもしっかり載せて発行した。感想はいくら待っても来なかった。相互のフォロワーさんからも来なかった。
仕方ないと思う他なくて、次のイベントのためにまた作品と自分の解釈と向き合う。
同人活動なんだから無理なんてしなくていいとわかっているけど、自分の好きなCPのサークルが、本が、一冊でも多く世の中に出れば嬉しいという一心で漫画やイラストを描いている。
同人イベントでサークル参加者に差し入れをするとき何を選ぶかという話。(主に女性向けのイベント)
こういう話は検索すればいくらでも出てくるし、正直今更こうやって書いても意味ないだろうとは思うんですが、いまだにサークルさんに対して失礼な差し入れを渡してる人が大勢いるので書きます。
何かというと、ファミリーパック等の大袋入りの菓子をバラして個包装の状態のものを渡すやつです。(カントリーマアムとか源氏パイとかトッポとか)
個包装のものを別の袋に詰め直してラッピングしたようなやつも同様です。
→賞味期限やアレルギー表示を書いた紙を同封すればOKなんてことはありません。
また、賞味期限は「大袋を開封する前の賞味期限」として書かれているものも多いです。
→よくあるのは「待機列で地べたにお菓子を並べて詰め直した」というようなやつです。
そういうことをする人がいる以上、この類の差し入れは「衛生的に問題のある可能性がある品」です。
・単純に失礼
→「差し入れ」という言葉から気軽に捉えがちですが、面識のない人に渡す以上それは「贈り物」です。
贈答品以下のものを渡すことは、「あなたにはこの程度で十分」という意思表示と思われかねません。
こういうタイプの差し入れを選ぶ人はたぶん、「安くつくから」という理由でやっていることが多いですが、そもそもサークルさんに渡すものを安上がりで済ませようという気持ちが失礼です。
500円前後の小さな箱菓子を用意するか、それが無理ならポッキーの箱を渡すほうがずっと良いですし、ポッキーを買うのも無理という人は、差し入れを渡さない方がマシです。
それでもサークルさんに何か渡したいなら、手紙が良いです。手紙は嬉しい差し入れとして一番よく挙げられるものです。
「手紙なんて書けない」「手紙書くのはめんどくさい」という人は、そもそも手紙を書くという程度の労力を払えない相手に何かを渡そうとしないほうがいいです。
・日持ちしないもの(宅配で搬出したら家で開封するのは一週間後なんてこともザラです)
・搬出時かさばるもの(ダンボールに詰めて潰れる可能性のあるものは避けたほうがベター)
など、この辺は調べたら出てくるのでちゃんと調べてから差し入れを考えてください。
「もらう立場のサークルはなんでもありがたく受け取れ」という意見もあるでしょうが、これは最低限の「渡す側」のマナーです。
もちろんカントリーマアム一個でも嬉しいというサークルさんはいるでしょうし、大半のサークルさんはそういうものでも「ありがとうございます」とにこやかに受け取ってくださいます。
でもその場ではそう言っているだけで、搬出すらせず会場で捨てて帰るサークルさんだっているでしょう。
差し入れをする人は、サークルさんに喜んでもらいたいから差し入れをするのか、差し入れをしてサークルさんと交流する自分に酔っているのか、少し考えてみるといいです。
書店(あくまで一般的な大手書店)で好きな漫画の絵が表紙に描かれている「公式アンソロジー」とやらを見かけ
思わず手に取り、同人誌というものの存在を知らされてしまった世代といえば、心当たりのある方もいるかもしれない。
当初は晴海に足を運び、会場が変わってからはビッグサイトに足を運び、ナントカ会館等で開催される小規模なオンリーで
コピー本を携えてサークル参加デビューを果たし、当時は割と楽しく活動していたと記憶している。
その後、活動していたジャンルの衰退、進路云々という人生の選択等も重なり、自身が創作してイベントに参加することが
自然となくなった。友人スペースの手伝い程度。それも楽しかった。
ここまでお読み頂いて「もしやこれは中年の懐古を元にした愚痴なのではないか」と思われた方。
恐らくそうなので、何か違うと思ったら閉じて頂いて構いません。
■とあるジャンルで同人の世界に戻ってきたら面倒なことになっていた
2010年代に入り、個人的には転職をして少々生活が落ち着いた頃、とあるジャンルで創作活動をしてみたくなった。
そこで遭遇したのが下記の面倒事だった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
情報発信の手段としてTwitterが主流になりつつあったので自分も登録して同ジャンルの人々をフォローしたのだが、
・創作者同士による「え〜〜◯◯さんの方が上手ですよぉ〜〜」的社交辞令
こういうことを言い合う人たちはだいたい心の中では自分の方が上だと思っている
・壁や誕席に配置される創作者(一部商業作家を含む)へのあからさまな擦り寄り
その時のジャンルには商業BLへの進出を狙う野心家も多かったため、奴らは必死だった
・良配置を得た創作者の「はわわわ〜〜私なんかがこんな配置を〜〜!!何かの間違いです〜〜!!!
当日は私は無視してください〜〜〜!!!」という心にもないムダ謙遜
本当に無視したら今度はすねて「どうせ私なんか…やっぱり実力もないのに…」って構ってネガするくせに
正直な話、あなたのツイートが面白くてフォローしているけれどあなたの創作物が欲しいわけではない、という相手もいる
こういうことを書くとだいたい「じゃあ付き合いをやめればいい」という意見が出るのだが、一度繋がってしまったものは
それこそジャンルごと変えるでもしない限り安易に切りにくい、という事情もある。もちろん私自身の性格起因もある。
そこはどうしても平行線議論になるので、いろいろな意見もあるよね、に留めておきたい。
どちらかが正しいということではないと思うので。
ありがたいことに何年か活動を続けているうちに、個人的な繋がりのないところから私の創作物を気に入ってくれる人が出てきたり
BLであったにも関わらず男性の読者さんがついてくれたりして、それなりのやりがいも感じられていたのだが
あるイベントの終了後、急激に「なんか疲れたな…」という気分に襲われ、フェードアウトする形でそのジャンルでの活動をやめた。
どうでもいい話だが、そのジャンルには大学在学中にデキ婚出産した当時20代前半の専業主婦創作者がおり、
何かにつけて「大学では◯◯を専攻していて〜就活も本当は△△(大手)を目指してて〜〜」などの「私はバカじゃない」主張や
そうかと思えば「あたしおかあさんだから」的ツイートで既婚子持ちマウントを取ろうとしてくるので、非常にうざかった。
彼女には嫌いな創作者がいて、何かにつけてはその相手をディスり「だから◯ちゃんで叩かれるんだよ…」などとツイートしていたが
彼女自身もまた◯ちゃんで叩かれていた。二人とも今頃どうしているだろうか。もう30代のはず。正直どうでもいい。
■別のジャンルで数年ぶりに同人の世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた
さて、それから数年、本当に何の創作にも関わらずにただの漫画アニメオタクをしていた私に、また新たに興味を持てるジャンルが現れた。
久しぶりに「沼に落ちた」という表現が出来るほどのジャンルに出会った私はそのジャンル専用のTwitterアカウントを作り、
同じジャンルが好きな人達と繋がり、たまに自分で描いた絵をツイートに貼り付けては一般人にふさわしい数のRTやいいねを頂いて
楽しくやっていたのだが、ここでもまた面倒なものが目に入るようになってきてしまった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
以前いたジャンルよりもさらにひどい(※個人の感想です)ものだった。
私がそのジャンルに落ちた時、既にそのジャンルが盛り上がり始めてから一年以上が経過していた。
その間に何が起きていたかを察するに、
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
私もジャンルに足を踏み入れた者としてはド新参なのだが、創作者を中心にあちこちの古参に「私など新参ですから」と
謙遜して回らなければいけない雰囲気が蔓延していて、辟易するのに時間はかからなかった。
全体的なジャンルの雰囲気としては「ご新規様歓迎!あなたもこの作品を見てください!」という呼び込みも多いのだが、
創作者に目を向けるととにかく新参が頭を垂れている様を目撃する。
そのジャンルには商業作家はあまりいないのだが、「偉い」人は「先生」などと呼ばれて崇め奉られているのだ。
気味が悪い。
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
ジャンル内で「偉い」とされている創作者の中でも、一番の人気CPで活動している一番「偉い」とされる創作者が存在していた。
一番の人気CPなので、後からハマって創作を始める人の中にもそのCPで活動したい人が多い。
・その「偉い」人をまずフォローし、
・「以前から拝見していました!ファンです!!」という挨拶で忠誠を示し、
という、もはや偉い人の宣伝媒体となることによってそのCPでの活動領域を得るということだった。
気味が悪い。
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1および2から、「偉い」彼女の創作物は「読みたいから読むもの」というよりも「礼儀として購入し、読んだら褒めちぎるもの」という
気味が悪い。
だが、「偉い」人の創作物は正直あまり好きではない。もっと言うと、その「偉い」人自身が好きではない。
知り合いなの?と聞かれれば、いいえ違いますということになる。
知り合いでもないのに嫌いなの?と聞かれれば、「あなたにもいませんか?知り合いでもないけど好きではないなと思うタレントとか」と
いうことになるが、とにかくその「偉い」人の発言の端々に自分とは合わないものを感じてしまい、受け付けないのだ。
ただ、推しCPが推しCPである以上、どうしてもTLにRTやいいね、さらには空リプまで含めて彼女を崇め奉る空気が蔓延する。
そこで私は彼女のアカウントID、ペンネーム、「先生」という単語まで含めて、彼女の影がTLに現れないように徹底的にミュートした。
それでもイベントが近づけば彼女の新刊に関連すると思しき新たな単語がTLに発現するので、それをミュートする…ということを
繰り返している。もちろんはじめからフォローもしていない。信者からすれば、私は不心得者だろう。
これもどうでもいい話だが、ここまで崇め奉られる◯◯先生とやらはどんな人なんだと思ってググってみたところ、
見事に◯ちゃんで叩かれていた。なんだ、皆が皆崇めているわけではないのだなと思うと同時に、表向きは信者に見えるあの人やあの人も
心の底ではどう思っているか分からないのかもしれないな、と思い、そっとブラウザを閉じた。
そんなこともあり、私は現在身をおいているジャンルではある意味中途半端な創作を続けている。
たまに描いた絵をツイートに貼り付けてみたり、ある程度まとまったらpixivに載せてみたり、それで満足だ。
心優しい人からはイベントに出てほしい、本を読みたいと声をかけて頂けることもあるが、上記の気味の悪い風習がなくなるか、
偉い先生とやらが去るまでは御免被りたい。
先生とやらは自己顕示欲と自己高評価と承認欲求の塊のようなお方とお見受けするので、ジャンルが盛り上がっていて
適当にキャラクターをセックスさせて崇め奉ってもらえるうちは去ることはないだろう。
昨今、同人誌の価格設定や創作活動における人間関係に疲れる等の記事が拡散されているのをよく目にする。
私はそうした疲れを感じたくはないので、今のままでいようと思っている。
なんかまたコミケの女性レイヤーは過激だ露出狂だみたいな内容の放送が地上波で流れるらしいので、先に書いてみます。因みに私はただのカメコです。
確かにコミケに於けるコスプレでは、極希に肌色が多すぎる人を見かけることはあります。
全体からすれば誤差みたいな程度に過ぎませんが、肌色が多いが故に人を集めてしまい、結果的に悪目立ちすることがあります。なにせ「過激なコスプレほどRTされたりまとめサイトで取り上げられる」のですから。
特に前回の冬コミでは、エントランスと庭園エリアに於いてはもうちょっと空気読めという主旨の注意が出ました。
では何故、彼女らはそんな露出をするのか?という問になりますが、この問題を難しくするのは単にレイヤーといっても色んな考えの人がいるという点です。
二次元をただ忠実に再現した結果、そうなってしまった人の場合はきちんと露出対策をしています。遠目には分からないかもしれませんが、タイツを履いていたり谷間はシリコンの塊だったりするものです。
「そこまでして何で肌色が多い(ように見える)コスプレするの?」と問うのは、超マイナーネタの同人誌を書く作家に「何で殆ど売れないのに同人誌なんか出すの?」と問うのと同じことです。コミケは表現の場であり、一定のルールにさえ従えば表現することを許されます。何かを作りたい、表現したいという欲求の媒体として、紙を選ぶか自らの肉体を選ぶかは表現者の自由です。
では問題は、二次元の再現ではなくご自分の肉体美を見せたくて仕方ないと思われる極一部の方々……と、いうのは実は不正確な表現だと思われます。
勿論可能性としてそういう人もいるのかもしれませんが、わざと肌色を見せるアレンジをしたり布を捲って肌色を見せようとする方々は所謂コスプレROMをサークルで頒布するROMレイヤーと呼ばれる方である可能性が高いです。
確かに表現の手法やアレンジは各々の裁量であり、自由であるべきです。しかし、年齢制限を課しているROM収録のコスプレとほぼ同じ衣装をそのまま外に持ち出すのは果たして適切なのでしょうか。別イベントやサークル参加日にROMを買いに来いよ、という広告塔に見えて仕方ありません。
先の冬コミの庭園でも約1名、臀部にサークルスペースを書いたタトゥシールを貼り付けたROMレイヤーの人を見かけて大変残念に思いました。
(尚、多少は注意文の効果があったのか、毎度治安の低下を叫ばれる庭園は(その人が来たとき以外は)平和に感じたことを付け加えておきます)
漫画を読んで、絵を描いて、HTMLで絵サイトを作って、二次創作を知り、夢小説を知りハマり、
BLを知りハマり、アニメイトに通いグッズを買い漁り、初めて同人誌即売会に参加し、
定期的に即売会に参加するようになり、twitterで同じジャンルのファンと交流し、
初めて即売会にサークル参加し、定期的に即売会にサークル参加するように…
22歳になったくらいまでは「こんなん絶対一生オタクじゃんwwオタク楽しいww」って思ってたんだけど
26歳に差し掛かった今、もしかしたらこのままオタクを卒業するんじゃないかというくらい情熱が薄れてきてて…って話。
・体力的にしんどくなってきた
20歳で制作会社に就職してから、平日はほとんど朝から深夜まで仕事(残業)。
平日にオタ活するには睡眠時間を削るしかないが、それをすると翌日の仕事がままならない。
それでも23歳くらいまでは睡眠時間削りに削ってでもなんとかやっていたけど、
24〜5歳になってからはさらに大きい仕事も任されるようになり、責任も重くなり、
しっかり7時間は寝ないとどうにもならない=趣味の時間は皆無。
コンスタントに本出してアニメ見てゲームして漫画読んで…ってできてる社会人同人作家すごいわ。どうなってんの?
そんな感じで自然とオタコンテンツに触れる機会そのものが減ったのがわりと大きくて、流行りに追いつけなくなった。
・現実に目を向けるようになった
もう25歳を通り過ぎ、「こんな歳になって恋人もおらず漫画やアニメで騒いでるだけではまずいのでは?」と思うようになった。
あとtwitterとかで「結婚しました」と表明する同人作家や同ジャンルのオタクが増えて急に焦る。
皆いつの間に恋人見つけてプライベートも充実させてるのか。すごいな。
加えて、そもそも二次キャラにガチ恋しがちな性格だったのが災いして、
推しキャラがどんどん年下になっていくのに耐えられなくなってきたのも強い。
学園ものとか(高校生か〜何年前だっけ…)から始まりそのまま落ち込んで楽しめなくなった。
Twitterを長くやっていて、絵を上げるとそれなりに反応がもらえてそこから交流もでき、
最近ではちょっと何かあると炎上し、学級会開催、また仲の良かった人のジャンル移動など、見ているのが辛いことが多くなった。
けど、長らくやっていたおかげで切るに切れない・見てしまう→落ち込むのコンボ。完全に自分の問題だけど。
また、そのキャラやジャンルが好きで描いてるのは間違いないが、絵を上げて反応が増えるともっとほしい…という承認欲求が強くなってしまい。
先に描いたように仕事との両立が難しくなり描ける頻度が減ると、目に見えてフォロワーが減っていくのがすごく悲しくなる。
また、知り合いの絵師の絵が伸びてるのを見ると描いてないくせに嫉妬し、一体何のために絵を描いてるのかわからなくなってきた。
そんなこんなでSNSを見る機会をかなり減らすと、これまた良くも悪くも情報が入ってこず、熱が冷めてきたと感じてる。
あらゆる創作物(特に二次創作)に対して否定から入ってしまうというか、
抱いた疑問点について想(創)像力で補完したりといったことができなくなり、純粋に創作物を楽しめなくなった。
それどういう設定の世界の話なの?
都合よすぎない?ありえなくない?
って感じ。
帰宅してご飯作って食べて、お風呂に入って、髪の毛乾かしたら疲れて何もできず就寝。
週末は平日の疲れが溜まっているのか昼過ぎまでだらだら寝ては、平日にできなかった家事をして土曜が終わり、
日曜にちょっと趣味の時間楽しもうとするも、何から始めようか考えてるうちに終わる。
今までオタク活動しか私にはない、それが私だ!と思っていたのに、この体たらく。
こうやってオタクではなくなっていくんだろうか。
オタ以外の友達もほぼおらず、二次元が恋人だったので三次元に恋人なんておらず、
このまますーっとオタクを卒業したら私には何が残るんだろうな。
消えてえ
はじめて匿名ダイアリーってのに手を出してみる。作法みたいなものも分かってないし半分くらいキレてるから粗相があるかもしれないけど許してほしい。
わたしは同人女というか同人を始めようとしている女だ。因みにBL。今とてもしんどい。何がしんどいか書く。
よく話題になったりつい最近もTwitterでそれ関連のツイートがバズったりしてたけど、BLにおいて文字書きってめちゃくちゃ生きづらいなって思う。文字書きのくせに文章が下手? すまんな。
わたし自身はサークル参加したことがないから、当然「小説(笑)」「小説にお金払えないよね」みたいなのに出くわしたこともない。よくそういう話聞くよね〜程度。でも怖いもんは怖いんだなこれが。
絵が描けない(絵描きじゃない)っていうだけで色々不利だなと日々感じる。いやオタク活動をするのに有利も不利もないと言ってしまえばそれまでだけれども。
例えば、創作クラスタなら経験したことがあるだろう、○○の創作クラスタフォロー祭り系のタグ。あれで文字書きが文字書き以外と繋がるのは至難の業だ。だってアレ絵描きさんと繋がりたいタグは併用されてることが多いのに文字書きさんと繋がりたいタグは大抵併用されてないんだぜ。創作BL好きさんと繋がりたいタグも同様。要するに文字書きは多くの場合"繋がりたい"の輪の中に入れてもらえない。僻みのような気もする。
あと界隈で影響力のあるオタクってのもだいたい絵描き(少なくともわたしの観測範囲内では)。そりゃ絵の方が物事を伝えやすいのは分かる。でも流石に同じこと言ってるのに絵描きの方では盛り上がっててこっちには何の反応もないとかだとちょっとどころではなく凹む。全体的に僻みのような気はしてる。
一応言っておくとわたしは絵が全く描けないわけじゃない。文章を書く方が好きっていうのと、1枚絵はともかく漫画を描くほど絵への情熱が持てないってので文字書きをやってる。
好きで文字書きやってるなら我慢しろとか言われそうだけどそういうことではなくて文字書き蔑視酷くない?! ってとこから来た話だからよろしく。
作品を世に出すからにはできるだけたくさんのひとに見てもらいたいし、誰にも見向きもされなかったら悲しい。このあたりまではたぶん誰でも思うことなんだろう……と思いたい。
ただこれが前の項で挙げた絵描きへのコンプレックス・劣等感と合体するとやばい。本当にやばい。どうせ弱小ドピコ小説サークルなんて誰にも需要ないし。出したところで「小説(笑)」って笑われて終わりでしょ、みたいな。被害妄想とも言うな? メンヘラ風に言えば「私のことなんて誰も必要としてないんだ……マジムリ……リスカしょ」的な感じ。
需要があろうとなかろうとわたしはわたしの作りたいものを作る!くらいメンタル強くなれたらいいんだけど、生憎わたしはそこまで強くないし承認欲求が消えてくれない。一次創作なら比較対象がないからまだいいけど二次創作はどうしても周りと比べてしまうからキツい。メンタル強くなりたい。
うん。
番号つけて羅列していこうとしたら2つで収まってしまった。
そりゃあわたしだってドスケベな漫画は素敵だと思うよ。小説より絵の方が需要あるのも分かる。だって小説って長い文を読む力がなきゃ読めないもん。小説を楽しむにはある程度の教養が必要だし、文読むの自体嫌いな人もいるし。それは多少仕方ないところもある。
でもだからって文字書きが蔑ろにされていいわけじゃない。需要がないから? 文章なんて誰でも書けるから? 知ったことか。何であれ創作物には創作物としての価値があるだろうが!
もっと認めてほしいです!! 文字書きだってBL書いてるんです!! 創作活動してるんです!! 同じようにキャラを愛してるんです!! 絵描きの方が凄いみたいな風潮やめろ!!(欲求に素直で横暴で率直な発言)
こんな事考えてるからしんどいばっかりで楽しく創作できないんだよねぇ。どうにかなんねーかなこれ……
追記
反応をもらって少し考えてみたんだけど、承認欲求を満たす手段として同人をしているというよりは、同人するにあたって自分の中にある承認欲求を無視できないっていう感じなんだなって。同じことかな? 別のところで満ち足りればそんなこと考えずに同人ができるのかもしれない……どうなんだろう……承認されたことがないから分からないぞ……
平成生まれ、今までずっとROM専だった私が、結婚してから同人活動を始めたらとんでもなく楽しいっていう話。
腐女子になったのは小学生だったかな?きっかけは従兄弟に読ませてもらった某少年漫画のweb二次創作小説。今までそんな世界があることを知らなかった私はそれはもうのめり込んだ。だって今まで原作しか語られなかった好きなキャラの、過去や未来やifが読めるなんて!元々本を読むのが好きだったのもあって、好きな作品のありとあらゆる小説を、漫画を、BLもオールキャラギャグも夢も読みまくった。
ただ、きっかけがwebだったから、イベントの存在なんか知らなくて、もちろん二次創作雑誌も知らなくて、リンクやサーチを廻ってはROMするだけの毎日。周りの友達にそういう話は一切しなかったから、感想などをいう人もいないし、自分で二次創作もしないし、ただただ読むだけの受け手だった。
ROM専だったのは、自分の知らない物語を読むのが好き、から入ったせいで完全雑食なのも理由だと思う。本当に駄目なものがなくて、周りには沢山の知らないお話があって、それだけで満たされていたから。自分で創作する必要がなかった。
もうどうしても感想とかを言いたくて、ツイッター垢をとって。そこからイラストを描きはじめて。ツイッターでみんな即売会の話をしてるから興味を持って。
実際行ったら私の知らない世界だった。みんなとってもキラキラしてた。熱気が凄かった。一体感があった。みんなの好きが溢れてて、テンションマックスになって、思わず涙ぐんでしまった。
スポーツとかで感動した時とか、心臓破裂しそうになってドキドキして、涙が出そうになるときあるじゃん?あれと同じだった。本当に凄かった。みんな、こんな楽しい空間を知ってたのか!!って思った。
一度その空気を味わったらもう駄目だった。向こう側の空気も知りたくなった。一般参加でこんなに最高の空間なら、サークル参加してしまったらどうなるんだろう?って。気がついたらサークル申し込みをしていた。
サークル参加するからには、なんとしてでも本を出したかった。スペースの上に本があるのに憧れたから。全然慣れないイラストで、人生ではじめての入稿をした。
最近はいいよね、知りたいことは大抵ネットに載ってるから。同人友達がいなくても、気軽に聞ける人がいなくても、自分だけでなんとかなるもの。
当日。
3人の人が本を買ってくれた。まさかだった。実はジャンル最大手CPなので他に沢山の素晴らしい作品があったから、お世辞にも上手いとは言えないイラスト本(愛と気持ちは込めたけど)に出すお金は余るとは思えなかったから。だって凄くない?沢山あるスペの中で、沢山ある本の中で、限りある予算の中で、私の本を買ってくれるなんて!!って。3人だよ3人。凄い。
他にもハンドメイドグッズを出してたんだけど、わざわざお品書きを印刷して買いに来てくれた方とか、通りすぎようとして戻ってきて買ってくれた方とかいて。本当になんかもうサークル参加してよかった、って思った。
買ってもらえたとき、買わなくても立ち止まって見てくれたとき、もう心臓バクバクで。例えるならスポーツで一発逆転大チャンスのときみたいな興奮で。これは病みつきになってしまう、って思った。
同人誌出したら、出さなかった頃の側にはもう二度と戻れない、って言われる理由がわかった。
誰にも買ってもらえなくても、全然気にしないつもりだったから余計にそう思ったのかもしれない。
このジャンルにはまるまではROM専だったから、イラストなんか描いてなかったし、お世辞にも上手いとは言えない絵で。
ただ大きなジャンルだからサンプルはまあまあの人に見てもらえたんだよね。それだけでもテンション上がってて、もう満足だった。
沢山の人に見て欲しいとか、勿論承認欲求もある。でも元々ROM専だから感想もらえたらラッキーぐらいのテンションだったし。サークル参加の空気を吸いたかっただけで参加したから。
でももう私は知ってしまった、他人に自分の創作物を認識してもらう快感を。手にとってもらえる感動を。イベントの空気を。参加者の一体感を。あれはシャブだね。本当にすごい。死ぬほど楽しい。やばい。語彙力がないけど本当に本当に筆舌に尽くしがたいものがある。
ここまで書いて結婚のけの字も出してないことに気づいてしまった。
同人活動にはまるのに年齢は関係ないし、遅くてもすごく楽しんでるよ、って世の中に言いたい。私は今毎日楽しいし、次どうしよう、って何を描こう、って思ってる。
勿論パートナーの理解があるからこそ楽しめてる、っていうのはあるけど、結婚してるから、って思わなくていいよ、って言いたい。
タイトル通り、逃げたくなるのに(何度も逃げているのに)それでも何かを書きたくなるからつらつらと吐き捨てていく。
始めて世に文章を放流したのは中学生の頃だった。「二次創作」という言葉の意味もよく分からないまま、某巨大掲示板のリレー小説に参加した。好きな作品が題材だからめちゃめちゃ楽しかった。
しかし何回か参加したが、残念ながらどれも完結しなかった。リレー形式は難しい。匿名掲示板だと荒れることもあるからさらに難しい。ほぼ一人で回すようになってしまって、モチベーションが低下して離れてしまったこともあった。
じゃあ最初から一人でなら大丈夫かと思ったのに、一人でも無理だった。
始めて本を出したのは大学生の頃だった。Twitterアカウントを作り、Pixivアカウントを作り、サークル参加をして本を出した。
「素敵な話をありがとうございます」「あなたの文章が大好きです」「続きを楽しみにしています」と言ってもらえたのに、参加したイベントでいの一番に買いに来てくれる方がいたのに、しばらくして連載していた作品を完結させないままアカウントを削除し活動をやめた。
原因は、人との関わりの中で傷つくことがあったからだ。
先述した通り、多くの人が暖かい言葉をくれた。心無いことを言う人はごく一部だけだった。そのごく一部のために「もう嫌だ」と思ってしまった。比較的仲が良かったはずの人にネットに投稿していた話をパクられた挙句その人の話の踏み台にされたが、そんなことをするのはもちろんその人だけだった。
数回オフ会にも参加したのに、何度も顔をあわせて本を読んでくれていた人たちにも何の説明もしないままただ逃げ出してしまった。
もうやめようと思ったくせに、マイナーだけどドハマりした作品に出会って、新しいTwitterアカウントでひっそりと楽しんでいる。そして懲りずに文章を書き始めた。さらに本を出したいと考え始めた。
また知っている人に裏切られたら怖いと思うのに、誰かと語り合いたい欲求が強くなってきて、勇気を出して話しかけるかの瀬戸際にいる。もし万が一前のジャンルの人と顔を合わせることになったら、なんと言っていいのかもわからないコミュ障なのに。
マイナージャンル、Pixivはやっていない、かつ誰とも交流してない状況で本を出してもまず手にすら取ってもらえないと冷静な自分は思うが、本という形で残したいとも願う。
こうして何も考えずつらつらと書くことすら楽しい。考えていることを垂れ流すだけだから気持ちが良い。
完結させられなかったらどうしよう、逃げてしまったらどうしよう。嫌な思いをしたらどうしよう。頭の片隅にこびり付いてるのを見ないフリをしている。浮かぶ話を日々書きため、コツコツと妄想を続けている。
人に見せる気はないが、一次創作も書き出した。今は決して見せる気はないが、そのうち人に見せたくなり、感想が欲しくなり、承認されたくなるだろう。
きっと似たような思いをしているのは私だけじゃないだろうし、皆はどうしているんだろう。
追記
反応ありがとうございます。甘えんなってぶっ叩かれると思っていたから素直に嬉しいです。
やっぱりこうしてネットの海に放り投げた文章から(ただのチラ裏でも)背中を押す反応をもらえるというのは何にも変えられない経験だと改めて実感しました。顔も名前も年齢も何もわからない相手に暖かい言葉を交わせるって本当にすごいと思う。
ちょっと長い話になる。
少し前になるが、冬コミのことだ。
コミケにサークル参加するのは2回目だった。二次創作で、成人向けの漫画を出した。
コミケは2回目だが、オンリーや地方のイベントには出ていたので、全体として本を出すのは15冊目くらいになる。
それまでのイベントでだんだん売れるようになっていたから、調子に乗っていたのかもしれない。
余計な議論が起きそうなので具体的な数字は出さないが、持ち込んだ部数の3分の1もはけなかった。
それまで尻上がりだっただけに、余計に凹んだ。
それもあって、冬コミ前はとても緊張していた。
売るために参加しているわけではないが、自分の本が誰にも求められてないのでは、という不安にかられた。
絵で少し仕事もはじめていた時期だったので、胃を痛くしながら当日を迎えた。
結果として、完売こそしなかったものの、ノルマとして設定していた値より多く頒布することができた。
売り上げでおいしいお肉も食べに行けたし、手伝ってくれた友人にもごちそうできた。
問題はそのあとだった。
Twitterで、知り合いの作家の完売報告の嵐を見て、モヤモヤした気持ちが生まれてしまった。
午前中に完売しているサークルが多く、タイムラインはうれしい悲鳴で満ちていた。
その時つい、「悔しい」と、そう思ってしまったのだ。
俺も過去に予想外の人気が出て完売したことがあったが、その時は後から買いに来てくれた人に対してとても申し訳無く思ったものだ。
その点今回は、赤字にはならなかったし、喜んで来てくれた人もたくさんいた、欲しい人にも行き渡っただろう。
そもそも「完売」とひとくちにいっても、部数にもよるし、流行や知名度など要因は様々だ。
何も悔しがることはないはずだった。
だけど何か、「完売することが成功の指標」でありステータスかのように、その時は感じてしまった。
何より悔しいのはそのことだった。
自分の目標も達成して、なんの問題もないのに、結果を喜べなかった。
そんな自分にげんなりもした。
特に最近はSNSですぐ他人の成功が目に見えるので、こういうことはままあると思う。
はじめに謝るけど私は文章が上手くない。
自分の心の整理としてここに書いておきたいだけなので、誰かにマウントとるつもりも全くないし、自分が特別な人間だなんて思ったこともない。
小学校から大学に至るまでいじめられたことばかりだし、人の輪に入って気さくに話すこともできない、人間の落ちこぼれだと思う。自分のことをずっと人間の落ちこぼれだと思ってきたから、誰かを見下すなんてこと考えたことない。自分がいちばん下で、いつも輪の外で、入る勇気もなく、馴染む努力もしない、できそこないだから、当然だ。
…こういうことを書くと、アスペっぽい、とかコメントがつくのかな。顔の見えない他人なら、なんでも言えるその強さも私にはないので、すごいなと思う。でもはてな匿名だから、コメントは自由にやってもらっていい、私も匿名で書いてるんだから、しょうがない。
絵を描くのは昔からずっと好きだったから続けていたけど、それで漫画を描くのはちょっとやってみたことがなかった。
二次創作ですこしばかしのページ数の漫画もどきみたいなものを描いたことはあったけど、最初からオリジナルでキャラクターを考えて、ストーリーを考えて、なんてことが自分でできるなんて考えたこともなかった。
あるとき、地元で創作漫画のイベントがあると聞いて友人と行ってみた。
すごくいいイベントだと思った。みんなが好きな作品を描いて発表して、漫画を好きな人しかいない空間、本当にすごいと思った。自分にもできるだろうかと思った。あの中で、漫画を描いて、売って、誰かと繋がることができるだろうかと。
一番最初の漫画を描いたのはわりとすぐで、直近のコミティアに申し込んで、サークル参加をした。最初の同人誌は25部刷って、完売だった。
冊数はどうでもよかった、完売したことすらもどうでもいいことだった。
ただ私の、私が部屋の隅で、人の輪の外で、そこに憧れながら、自分の脳内だけで繰り広げてきた理想の物語が、たぶんみじめな妄想が、かたちになって、かたちになったら誰かが買ってくれて、読んでくれて、それだけが嬉しかった。
はじめて誰かとコミュニケーションを取れた気がした。
多分はじめて誰かに、自分の思っていることを正確に伝えられた気がしたのだ。
何回か参加しているうちに、同人誌を読んで、感想を呟いてくれたり、メールをよこしたりしてくれる人もできた。有り難くて涙が出た。
コミティアに参加して、同人誌を出して、誰かに手渡す瞬間だけ、人間とコミュニケーションを取れている気がした。まっとうなコミュニケーションを、できている気がして、本当に息がしやすかった。多分私にはこれしか自分の考えを表せる手段がないのだと思った。それくらい、本当に楽しかったし、幸せだったし、コミティアという場所があることに死ぬほど感謝した。
スペースにも、編集者だと名乗る人や、委託の人が来るようになって、自己紹介だけして去る人もいれば、スペースに居座ってひたすら喋り続ける人もいた。
一度、「漫画の描き方を教えてあげる」と言われたこともある。どうして描いたことのない人がそんなことを自信満々に言えるのだろう、と思ったし、そもそも私の友達でも知り合いでも師でもない人に、なぜそんなことをされなきゃいけないんだろうと思った。
不思議に思ったけど、声をかけてくれたやさしそうな編集者の人に、ネームを送ってみることにした。
今思えば、ちょっと卑しい期待もあったんじゃないかなと思う。もしかしたら漫画家になれるかも、とか。それは本来の目的ではなかったはずなのに、たぶんそこで道を見誤った。
これは今見返すとそりゃ通らないな、と思える未熟なものなのだけど、その時は一ヶ月くらいかけて100pちょっとのネームを送った。その時は当然、通らなかった。
そのあと、小さい賞をとったり、読み切りをいくつか載せてもらったりして、お金をもらうこともできたから、編集者の人と知り合ったのはよかったこともあった。
でも、編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。漫画を描いていると言うと、漫画家が将来の夢なんだねと言われる。
でもそうじゃない、そうじゃなくて、ちがうのだ。私はコミュニケーションがしたいのだ。誰かと繋がるために同人をやってるのだ。
雑誌に載って漫画家になることが目的なんじゃなくて、雑誌に載って、もうすこし知名度があがれば(これは雑誌の大きなメリットだと思う、というよりこれ以外にお金以外でメリットなんてない)同人誌を買ってくれる人も増えて、もっとたくさんの人と繋がる体験ができるんじゃないかと思ってやってるのだ。要するにずっと手渡しをしていたい人なんだな、私は。
でも、悲しいことに新人の漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式のSNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。
それなのに、連載を連載をとせっつく。うるさい。その間にもコミティアで会った編集者からメールが来る。連載か単行本に興味はありませんか、無いよ。無いんだよ。わかれよ。そのふたつがあれば、誰でもホイホイ描くと思うなよ。それは、それはとても失礼だ。
絵が多少描けて、それなりに話が構成できれば、そういう話はいくらでも来る。
でも、ゆっくり育てなきゃ、みんな枯れちゃうよと思う。せっつかれて描いて、何度も没にされて、絵が下手だって言われて、画力あげましょうねって言われたりする、そして描いた漫画は楽しいだろうか。編集者の人ってどの立場からものが言えるんだろう。なにか契約を交わしたわけじゃないのに、彼らは妙に…偉そうだ。うん、えらそうだ。不思議な人たちだ。関わりたくない。そう思うようになってしまった。
漫画を否定されることは、自分の子どもをぶたれるような気持ちなんじゃないかと思う。
もちろん、私に子どもはいないから、これは比喩だし、実際に子どもがいたらたぶん子どもがぶたれたほうが腹が立つと思う。
でも、漫画を子どもに例えた時、私の描く漫画は何才くらいだろうかと思う。きっと、4才とか、それくらいなんじゃないかな。まだ幼稚園児だ。編集者に何を言われても、きっと意味がわからなくてぽけっとしてるんだろう。まだ育ちきっていない子どもに、難しい言葉を投げつけて、ひたすら否定して、殴り続けたら、子どもは正しい行いをするようになるだろうか。
これは極論だし、比喩にしても行き過ぎているから、ちょっと微妙かな。でも似たような気持ちで、私は私の子どもが訳もわからずぶたれているのを見ている。かわいそう。私の技術が育っていないばかりに、そういう扱いを受ける。しかも身内でもなんでもない他人から。私の責任だろう。私が未熟だからだ。私のせいだ。
そう思って、漫画を描く足が止まった。私のせいで、私の漫画が愛されない。ゆっくり育つことも許されない。なら描くのをやめた方がいい。そう、思うようになった。
でも、まぁ、結局、描くのはやめられなかった。
だから今も描いているし、読み切りも載る。相変わらず宣伝はされない。期待されてないってことだと言う人も居ると思うし、私もそう思う。でもお金はもらえるし、宣伝はされないけど読んだ人は同人誌を買ってくれたりするから描いている。
で、結局何を言いたいかって言うと、コミティアに参加している人全員が全員、漫画家になりたくて漫画を描いているわけじゃないってことを、編集者には理解してほしいということだ。
人の数だけ漫画があるように、人の数だけ、その人が漫画を描く理由がある。
漫画を描くときの衝動は悲しみだったり、怒りだったり、嬉しさだったり、さみしさだったり、お金がほしいってことだったり、有名になりたいってことだったりするのかもしれないけど、それぞれの理由があって、みんなこんなことをやっている。
どうしようもない衝動がなければ、こんなことはしないし(だってかなりめんどくさい作業だ、同人誌を作ると言うのは)、続けようとも思わない。
私に、他人と繋がりたいという理由があったように、他の人にもいろんな理由があるだろう、と思う。
編集者は、そこを理解するとことからはじめなくてはいけないのではないのだろうか、と思うのだ。
というか、これは私の願いだ。そこを理解してほしい。いろんな理由があってやっている。そこをわかってくれないと、私たちは繋がれない。ずっとディスコミュニケーションのままだ。プロになれる、ということだけを目的にしたままで、走り続けられる人間と、そうでない人間がいる。
そうでない人間の描く作品には、価値はないだろうか?そうじゃないと私は思う。
誰だって漫画や小説や、作品を作る能力がある。衝動があれば、誰だってなんだって作れる。そしてきっと、違う誰かに届いて、その人を震わせることもできると思う。誰のどんな作品にも、その可能性は必ずある。
それを信じることから、信じて育てることから、始めてほしいと思う。
切に願う。最近は、没にされ続けて描くことをやめた人が多すぎる。
コミティアに参加する。コミティアはいろんな作品を受け止めるでっかい大皿だ。
間違いなく最高の場所だと言える。神格化しすぎて気持ち悪いかな、でもごめん、私は死ぬほど好きな場所なんだ。
でも一度、趣味で描いている人たちばかりの空間で、仕事をするということについて考えてみてほしい。
雑誌にも、単行本にも、夢のない時代で、どうメリットを提示するのか。そろそろ考えるべき時なんじゃないだろうか。もちろん、考えてる人もいるんだろうけど、私はまだ出会ってないので。潰しにきたんじゃないのなら、個人個人を尊重して仕事をしてくれ。お願いだから。
…タイトル、「コミティアに来る編集者がしんどい」にしてしまったけど。
いやでも、編集者の悪口を言いたいわけじゃなくて(十分悪口になってしまった気もするんだけど)、自分の思考整理というか、そういうあれなので…支離滅裂な文章になってしまって申し訳ない。やたら長くなったし。やっぱり文章書ける人はすごいな。私には、やっぱり漫画の方が合うんだろう。
●追記
なんだか、考えていたよりも反響があって、驚きました。
みなさんのコメント、ひとつひとつ、読ませていただいています。
自分の考えを整理して、せめて落ち着いて生きていきたいと思って書いただけの文でしたが、これに対して、さまざまな立場の方が自分の考えを話してくれていて、いろんな考え方を知ることができてとても興味深く、嬉しく思いました。
私の考え方はきっと私なりに歪んでいますし、これが正解という考え方は無いのだと思います。だから、こういう場で、さまざまな考え方に触れられたことは本当に有り難かったですし、私の文は置いておいて、いろんな立場の人が自分の経験を話してくれたことに価値があったと思うので、とても良い機会に巡り合ったなと感じています。
ありがとうございました。
ここからは本当に蛇足な私なりの結論なので、読まない方がいいかもしれないです。
人によっては不快に感じる人もいると思うので、嫌な人は読まないことをおすすめします。
いろんな方の意見を読んで、よくよく考えてみたのですが、いや、ちょっとこれは正直情けないし自分でも厚顔無恥…!という感じなのですが、本腰を入れて、編集者と向き合ってみようと思いました。
同人は私の大好きなことなので、それはちゃんと続けたままで、でも商業でも、よく思い出してみたら、ツイッターで読み切りの感想を呟いてくれた人がいたり、コミティアでスペースに来てくれた時に感想を言ってくれたりしたことがありました。
それに、担当の編集者も、いつも「今回の読み切りもいいですね」みたいに言ってくれていました。
私はもうすっかり人間不信になっていたので、「なんであんな大したものでもない作品にこんなこと言ってくれるんだろう、リップサービスかな、別にそんなのいいのに」と思って、話半分に聞いていましたが、これ、すごく読者の人に失礼だと思いました。一番最初の読者である担当にも失礼ですね。失礼…失礼すぎますね。もう最悪だと思います。
同人は私のやりたいことのメインではありますが、商業でも確かに他人と繋がることはできていて、それはないがしろにしていいことではないのだと思い直しました。
私は漫画を描きます。それは同人でも商業でも変わらないことです。
私は誰かに向けて描くことをやめないし、たぶんやめられないし、それはどの場所でも変えなくていいことだと思えるようになりました。プロ意識?とかよくわからないので、そういうのはとりあえず一旦おいておきます。
煩わしい色々なもの抜きで、シンプルに、とりあえず漫画を描きます。楽しく。自分のペースで。「なんだ、いろいろ書いておいてこんな結論かよ」と思う方もいると思いますが、こんな単純なことに気付くまで、時間がかかるやつもいるんです。
世界にいろんな人がいるように、コミティアにもいろんな人がいて、私みたいにごちゃごちゃ悩んで愚痴って立ち止まってるやつもいて、それがたぶん、この世界の面白いところなので。
まずは私も編集者という他者への理解と、そして尊重を。お互いの目的を擦り合わせる努力を。これは私個人の反省として。自分がしてもらう前に、自分がしてみようと、そう思いました。
0:サークルチケットが必要な人間は本来サークル参加組であり、その手伝いをするからこそサークルチケットが渡される。サークルチケットをいまお前が手にしていない、その時点でお前はただの買い専野郎であり負け組だ。そのことを肝に命じろ。
1:普段から人間関係を構築しろ。Twitterでもなんでもいい、とにかくサークル参加組の人間との交流を深めろ。他人は負け組のお前にサークルチケットを融通する理由がない。他人からの信頼なくしてサークルチケットは与えられない。
2:言葉に出せ。「サークルチケットくれないかなー(チラッチラッ」は一番ダメだ。サークルチケットがほしいのはみんな同じだ。かまってちゃんにかける情けはない。
3:自分がなにを相手に与えられるか示せ。ただでくれるわけがないだろう頭を使え。代理購入するとか、売り子を手伝うとか、いろいろあるだろう。もし他人が自分に優しくしてくれると思ってるならお前は本物の馬鹿だ。なおちなみに売り子は金の管理が絡むので自分から言い出しても受け入れられにくい。相手から言ってくる以外に期待するな。
4:欲張るな。サークルチケットは始発組や徹夜組の努力を易々と越えてくる協力な武器だが決して無敵のカードではない。サークルチケットでも手に入らないものはある。諦めるべきときに諦めるということも重要だ。
もう何年も行ってる恒例の場所なんだが、今回は主催が消えてなんだかんだてんやわんやあった。
終わった後のアフターで謝罪会見的なものが行われたのはもはや言うまでもない。ここまではまあそこそこある話。
当然、そこで主催に言いたいことを言え、あとでTwitterとかにぼやぼやつぶやかれても拾えんしという感じで、何人かが質問してたが他は誰も質問せず、ああ、意外とみんな心広いなぁと思ってた。
私は(前日に主催が復活したのだが、その理由には)納得してなかったけど言い訳を聞いても仕方ないので次はちゃんとしてくれとしか思ってなかったので、みんなそんな感じかな、と思ってた。
ところが。次の日、仕事が終わってからTwitterを開いてみるとまーたくさんの愚痴が流れる流れる。
「実は許してない」
「一般参加者はいいかもしれないけどサークル参加者にはうんぬんかんぬん」
最近、この界隈とかかわるのが少しつらくなってきてたし、そろそろ潮時なのかもしれない。
私は、なぜスタッフが「後でTwitterでぐだぐだ言うくらいなら今言え」と言ったのか。それはもちろん拾えないとか云々とかもあるだろうけど、何よりそれを見てこうやって気分を悪くして、二度とオンリーはおろかそのジャンルに触れたくなくなる人が出てくるかもしれないからなんじゃないかな、と思うわけだけど、そういうのにはやはり皆さん気が回らないんですね。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは言うけど私はそのコンテンツ自体は今後も楽しんでいくけど、そのファンの方々とかかわるのはもうやめよう。そう思った。
そこの同人も書いてたけど、もうやめよう。モチベーションが無くなった。
他、華麗な爆死といえばコレかな…
http://www.netprice.co.jp/netprice/special15/goods/295371/
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/03/news102.html
ここから考えると、立派にサークル参加やり遂げるようになって、エライなぁ、叶姉妹
多分ここで、男オタク向け展開は向いてないって悟って
真木よう子の件、もしもあのまま続いていたら、実際のところ準備会はどんな判断を下したのだろうなーってのはちょっと気になる。
(以下は完全に「もしあのまま真木よう子がサークル参加できてたら、どうなっただろうなー」という妄想です。実際には起きなかったことです。)
もし仮に準備会が「問題なし」として彼女が参加していたとしたら、1つの前例ができることになるよな。
そしたらそのあとに続くであろう流入を「NO」とは準備会は言えなくなるわけで、
そうなっていたら「有名人が」「CFで資金集めて」「プロを雇って作ったハイクオリティの創作物が」「個人サークルスペースで頒布され」「有名人とファンが交流する」って事態が広く行われるようになったんだろうなと思う。
ふと思ったけど、それってある意味では出版業界的にも痛手だろうなぁ。
今までだったら出版社に入っていたであろう利益がほかに流れるってことなわけだし。
コミケのありようも変容しただろうな、と思う。
いつまでも変化しないコミュニティというものは存在しないだろうし、変化するなら変化するでまぁそれも1つの形ではあるけど。
準備会が「良し」とするなら参加者側はどうこうできる立場ではないだろうし。
現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています。
なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケや同人誌即売会というイベントにサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的な目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。
ただ、自分にも真剣に応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。
まず、問題は一つではなく複数あり、複数の問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。
また、「真木よう子にコミケ参戦を促した黒幕が別にいるから彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。
まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から。
「オタクは普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女の表現する機会や表現する自由を奪った」という記事や意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上「オタク」と略す)の中で「写真集を作成する」という行為自体を否定している人はほぼいなかったと思う。写真集を作成し、彼女が写真やエッセイ等で自分自身を表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクトが頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。
ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境や手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。
これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング」自体は資金集めの手段としては画期的であるし、彼女を応援するファンが支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケのアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。
正式にルール化されていなくても、アマチュアサークルで作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品が同人誌でも写真集でも雑貨でもCDや映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分の作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神がベースに根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。
「クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である「自分達の制作・頒布するものは基本的に自分達の資金力・能力の範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。
多くのオタクが拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。
コミケの企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブースに出展する企業とコラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)
何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品の頒布者とそのファンが交流できる場でもある。ただそれは、あくまで作品を頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。
コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルのブースは基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークルに迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的の場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下の灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。
そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者・彼女のファンを問わず、真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女のファンとコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブースで作品を頒布するサークルに迷惑行為や被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。
こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所がコミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング・握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり、芸能人とファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切としか言いようがない。
これは、自分の推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あんな過酷な空間に推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である。
あとこれは、個人的な意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人とファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケを私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流が目的ならば別の会場をブッキングするべきである。
もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチと対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人とアマチュアサークルのコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女のファンの方々にも是非知って頂きたい。
これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディングで写真集を作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。
毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人だからたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性も高まるのでクラウドファンディングで資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクからの反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。
この辺は所属事務所の規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートでコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークルと形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金を所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所側から何も文句は言われないのか?というところも疑問である。
コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所と相談するなり、事務所を移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画を理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。
今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンやコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやすい仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。
これは、かなり個人的な意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から、特に暴力的なツイートを引用して、謝罪文を投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見を引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言を引用した意図が全く意味不明だった。
正直、自分のファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女の擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。
世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手の負の感情を助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべきである。
逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクやファンも沢山いたのだから、そういう意見を尊重し引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタクの意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。
このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNSの煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだから、SNSで発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所で情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。
最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身がSNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。
…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。
いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!
その日が来ることをお待ちしております。
話題の「真木よう子コミケ参戦表明→炎上→辞退→クラウドファンディング中止」の一件についてツイッターでぼそぼそやっていたところ相互フォロワーから「こんな荒れた話題俺は見たくねーんだようるせえ!」と空リプが来てやりづらかったので此方にまとめる。
別に批判をしたいわけでもなければ攻撃をしたいわけでもなく、ただ自分の中で感じたことを吐き出してまとめたいだけである。
◆全体的に
個々の問題自体はそれほど大事ではないが、どれも元々コミケが抱えていた問題であり、それをよく思っていなかった人々からの不満噴出にも繋がったのだと思う。
コミケと言うのは、よく言われる通り「全員が参加者」という前提のイベントである。
販売者と顧客という立場ではなく、サークル参加者と一般参加者だ。要はイベントに参加した全員で作り上げるもの、という意識が強い。
そして、この大イベントが薄氷を踏むような、あるいは綱渡りをするような危うさでこれまで続いてきた、という認識の人が多い。
一つでも対応を誤れば、二度と開催ができなくなる可能性もある。
忠告するコミケ参加者側に対して「運営でもないくせに」「そんなにえらいのか」という指摘もあったが、だからこその忠告だろう。
◆写真について
また参加表明の際に出回った画像に、コミケ開催中にビックサイトの内部で撮られた写真があった。
「あれは撮影禁止区域での撮影ではないだろうか?」「周囲に写っている人へ了承は取ったのだろうか?」という疑問が呈されていた。
混雑していない場所だった為恐らく明確な撮影禁止区域ではなかったろうが、そうだとしても周囲へ写っている人への了承は得られていない可能性が高い。
その上クラウドファンディングという大金を集める告知と共に出回ってしまった為、「営利目的での使用」にかかる可能性もある。
それを持ってしてまず、「ルールをよく知らない、影響力の大きな人が来てしまった」と言う認識が広がってしまったのだろう。
◆クラウドファンディングについて
クラウドファンディング自体は悪いものではなかったと思う。
前例があるのは知らなかったが、それなら尚更問題はなかっただろう。
ただ、800万円と言う目標金額は大多数の参加者には大金も大金だ。
それだけ集めるなら会場費も込みにして、別のところで別のイベントを開いた方がお互い幸せなんじゃないか、という疑問も湧くのは仕方のないことに思う。
◆会場について
キャンプファイアにて公開されていたクラウドファンディングで募集した金額の使い道には雑誌の制作費・支援者へのリターンにかかる費用という文字はあっても、当日会場で係る経費や混雑対策費などの文字はなかった。
コミケに普段来る層と、真木よう子の写真集を買いに来るファン層はほぼかぶらないだろう。
となれば単純に真木よう子ファンの分だけ来場者数が増え、その分列を作るスペースが必要になる。
周りには列で正面を潰されるサークルも出てくるだろう。
しかも交流をしたいと言うことは、ともすれば本人が手売りをする可能性もあり、手法として嫌われる牛歩にもなりかねない。
列の整理や混雑対策も持ち出しと(一応)考えるならば、尚更コミケでわざわざ狭いスペースを間借りするメリットは、会場の面から見るとない。
◆写真集について
自分が初めてコミケへ行った時、既にコスプレエリアは大盛況だったが、まだコスROMへの風当たりは強い時期だった。
三次元の人間が被写体の「写真集」は、コスプレをしていてさえオタクには馴染みの薄いものだったのだろう。
現在、以前よりコスROMへの当たりは柔らいだろうが、そうでない生身の人間の「写真集」となると、抵抗があるのもわからなくはない。
交流が目的と言うのもコミケのルールに明確に反してはいないだろうが、それでもサークル参加者は自分の作った「創作物」にこそエネルギーを注いでいる人が多数のはずだ。
そんな中写真集は作るがどんな方向性かも決まっていない、と言われてしまっては「そんな、やりたいことをやる場所へ来て、やりたいことがわからなくて進路が決まらない学生みたいなこと言われても……」という話である。
◆ツイッターでのやり取りについて
本人はよくファンともツイッター上で交流していたようであり、もしかすると一番厳しげな意見に返事をすることで、やんわりと忠告してくれていた人々への解答にしようと思ったのかもしれない。
だが結果的には、これまたネット上では嫌われている、同情心を誘い自分は手を汚さず周囲の人々に攻撃させるファンネルと化してしまった。
果たして悪意があったのかなかったのかまでは推し量ることが出来ないが、悪手であったことは確かだ。
「いやなら見るな」と言っていた人がいたが、テレビと違い現地に行ってしまえば見る見ないの話ではなく、上記した「会場について」の問題に直面することになる。
真木よう子一人の為に真木よう子ファンが増え、その分会場は狭くなり、移動に支障をきたすかもしれない。
そう考えるととても「いやなら見るな」で片付く問題ではなさそうだ。
◆辞退・中止が発表されて
案の定「オタクは心が狭い」だの「そう言ってオタクを貶す人々には来てほしくなかった」だの対立が発生している。
叶姉妹並みの対応をしてほしかった訳ではなく、様々な疑問点を解決すれば、受け入れられた部分もあったとは思う。
大体書きたいことを書いたのですっきりした。
おしまい。
https://togetter.com/li/1133190
https://www.instagram.com/p/BAB-5y9mBW1/?hl=ja
おおよそ1年半くらい前から真木よう子はオタクアピールを行っていた。
そして今回のコミケで一般として参加→サークル参加発表の流れ。
叶姉妹も1年くらい前からコミケに興味あるアピールしだして、一般参加からサークル参加発表の流れだったと記憶している。
更に今回DMのスクショから判明した「コミケの芸能人枠」の存在。
これって邪推だけどやっぱり一貫して裏で糸を引いてる人物がいるんじゃないかね。
おそらくは北尾修一が絡むその前の段階で。