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2023-07-17

anond:20230717163854

アセクシャルかアロマンティックってやつかもね

もしくはその両方

私も増田と似たような価値観で、そのうち好きな人ができるかも、と思ってたけど何も変わらないままアラサーになった

最近アセクシャルの本を読んで自分これかもなと疑い始めたところ

ゼミの後輩が飲み会に来なくてモヤモヤする

文系大学院のDなんだけど、今年入ってきたM1の後輩に思うところがあるから愚痴らせてほしい。

その後輩はなんて言うか、無菌室で培養されたって感じの純朴なヤツで、すげー勉強するし学問に対するやる気もバイタリティもある。ちなみに男。

そいつ研究に対する熱意や努力普通にすげぇなって思ってるし、俺も見習わなきゃなって自分の怠け具合に危機感を持つくらいなんだけど、そいつ、どうも協調性がないんだよね。

まず4月に一度面倒事を起こしてる。

俺らの大学院は合同研究室制になってて、専攻全体でひとつ研究室。で、教授ごとにゼミがある。分かりにくいだろうけど、詳しく書くと身バレするからこれくらいで。

研究室のグループLINEを作ってるんだが、新M1の中でその後輩(仮にAとする)だけLINEをやってなかった。

の子LINEやらない子が多いって聞くし、時代だなーって思った。

で、専攻内の連絡事項とか大事なやり取りは全部LINEでやるから、「申し訳ないけどLINEを入れてほしい」って頼んだんだ。

そしたら頑なに「入れたくない」って拒否してて。理由を聞いても「LINEはやりたくない」の一点張り

LINEをやってない子が他にも何人かいるなら、時代に合わせて連絡網を別の形に変えようとは思ったけど、そいつ一人だけだから、Dの俺ら(取りまとめ役)もどうしたもんかと思って。

じゃあメーリングリストにするか?って話も出たけど、「研究室開室しました」とかの細かい連絡をいちいちメールで流すのも…となった。

じゃあdiscordとかSlackは?って意見が出て、アカウント持ってない人は作らないといけないけど、それなら大丈夫だろうってAに話した。

でもAはそういうメッセージアプリ絶対に入れたくないらしくて、その案も拒否された。

俺はその時点でワガママがすぎるって思ったけど、入ったばかりのM1に小言なんて言いたくないし黙ってた。

結局周りが説得して、AはLINEを入れてくれたんだけど。

次にモヤッたのが、ゼミ費の扱い。

毎年大学からゼミに補助費が出て、そのお金教授ゼミ生が使い方を決める。

例年うちのゼミでは飲み会に使ってて、この3年はコロナがあったから、補助費で教授図書カードを買ってゼミ生に配布してた。

今年はどうする?飲み会復活させる?ってなって、他のみんなは補助費で飲み会やりたいって言ったけど、Aだけは図書カードがいいって即答。

結局飲み会は自費、ゼミ費は図書カードになった。

ちなみにゼミ費で飲み会をやること自体大学からも許されてる。

そういう機会でもないと、教授とじっくり親睦を深められないからかな。懇親会的な扱い。

この2つの出来事があったから、俺の中でAは「純朴すぎて協調性がないやつ」ってイメージがついた。

けど俺がアラサーから価値観が古いだけなのかなとも思ってた。

その後もAは専攻全体の飲み会とか、M同士の飲み会とか、全部欠席してる。

酒を飲むの自体は好きって言ってたから、飲み会って場が嫌いなのかもしれない。

もちろんゼミ飲み会も欠席した。

まだコロナ蔓延してるし、感染が怖くて出てないなら分かるけど。

俺が古い価値観人間&コロナに対してもう楽観的になってるから、Aに対して穿った見方をしてしまうのかな。

ただなんかモヤモヤするのは、このままだと専攻内で孤立するかもしれないことに、A自身が気づいてなさそうだから

研究って一人でやるもんだけど、一人じゃ出来ないものでもある。

同期や先輩や教授と日頃からコミュニケーションを取っていないと、ちょっと躓いた時に気軽に相談しにくいし。関係性が出来てないと気軽に質問しにくいって、院生なら分かってもらえると思う。

院生同士のちょっとした雑談とかから知識を得られることもある。

別にそれは飲み会じゃなくても、日頃から研究室で周りとコミュニケーションを取っていたらできることなんだけど、どうもAは研究室内でも周りと雑談とかあんまりしてないんだよな。

他のM1最初新歓とかでコミュニケーション取ってるから相手の人となりとか分かってて接してる雰囲気あるんだけど。

Aに対しては、なんとなく距離がある感じ。

最初に書いたように、Aはすげー勉強するし、研究発表でも人の2倍のボリュームをやってくるんだよ。

ただ中身はまだまだだから、これから壁にぶち当たるだろうなってのが見えてるんだけど。

そうなったときに、誰にも相談できなくて孤独に陥りそうな気配がしてて怖いんだ。

もちろん俺らも先輩として面倒みるつもりだけど、研究の悩みや孤独って、むこうからヘルプ出してくれないと、こっちからは手を差し伸べられないんだよ。どう差し伸べたらいいかからないし。

俺が考え方古くて要らないお節介を感じてるだけで、何も考えないほうがいいんだろうけど。

なんかモヤモヤするんだよな。

単に協調性がないように見えてしまうことにイラついてんのかな。

虐待から性犯罪から幸福

正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。

最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である

被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。

 

 当方現在アラサー祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。

 

在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。

 

 幼少期、5歳頃に両親が離婚してから母親虐待が始まった。

そもそも母親子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレス精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行罵声を浴びせかけた。らしい。

 

「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体記憶はある。

 大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。

思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。

からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。

から虐待記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。

勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである

 

 小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母から虐待が止まった。

どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。

 道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。

僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。

心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。

 先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。

とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいかからなかったが故の虐待だったのだろうか。

 

 それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。

結果、どんな子供が出来上がるか。

 自己コミュ障チー牛オタク誕生である物心つく前から虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ち理解できなかった。

そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である

 中学生時代黒歴史のもので、学校ではオタク友達ボカロ歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。

この先の話に大事ことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリレイプ物の動画同人誌にのめり込んだのだ。

 後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。

そんな歪んだ僕は、ネカマ公言している当時高校生男の子と、マビノギ結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。

 

 あまり詳しく書くと、コミュニティガイドライン抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。

時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪

1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院送致された。

 

 結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。

何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。

 僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。

自分感情を抑える術も知らず、何時しか自己正当化するようになっていた。

相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。

ここまでは、割とある話だと思う。小学中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。

 

 だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存であるしかった。

もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。

依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存代替が効く」という違いだと言う。人は電車バス依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。

依存患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。

僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。

 

 話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。

道行く美女或いはタイプ女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的ダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。

「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。

自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。

 

 よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述発言は、認知が歪んでいないと出てこない。

こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。

 

 僕の通った精神科では、専門の性依存カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。

認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間から第三者視点を交えて、初めて矯正できる。

1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。

 ストレス関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、

性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのであるご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。

 だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。

 

 話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味恋人とのコミュニケーションストレスを上手く解消している。

ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分感情欲求に振り回されることは無くなった。

 

しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。

事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。

 

 ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。

「傷つけた被害者のことや、被害者家族のことを考える必要は無いよ。関係いから。」

僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。

 

 けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。

僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。

なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せ成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。

そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。

 

理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。

 

 性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。

少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。

 

 ただ、僕にも曲がりなりにも過保護バカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか

この人達は、正に「関係ない」のではなかろうか。

いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである

 

 だから最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズケーキを買う。

これで良いのか。これで良いのだろうか。

色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会迷惑まりない。

 

 二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親あんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。

 

 

拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。

 

ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。

恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。

被害者に関しては、捕まった後に賠償金謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。

総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。

 

2023-07-16

彼氏射精回数が減ってる

元々私の性癖として攻めるのが好きでホテルデートだったら手や口での射精も含むと1日に4〜5回、多くて6回とか射精させてたけど、最近3〜4回目で「ごめん、今日はもうこれ以上出ない」って言われる事が増えた

8歳上の彼氏から、実は若い子が好きだから私と付き合っていたけど私が25歳になってアラサーになったせいで魅力がなくなって興奮できなくなったんじゃないか不安

口や態度では好きって言ってくれてても、事実として前より興奮しなくなってるって事は少しずつ冷められてるんじゃないかなって思う

例えば私がダイエットしてめちゃくちゃ細くなったりとかして変わったら戻るだろうか

2023-07-15

気になる人ができちゃった!!!!!

でもわたし相手アラサーだし、大抵の良い人にはもう誰か良い人がいるんだよな〜〜〜〜!!!

興味深すぎてもう少し知りたいなこの人のことって思うの、これやばいよ、好きの手前じゃん

2023-07-14

寿命をあげたかった

バイト先で教えていた高校生女の子交通事故で亡くなった。

俺を挟んで一緒に教えていた同い年の高校生男の子と付き合っており、部活恋愛学校生活勉強と何事にも一生懸命でいつもニコニコしている良い子だった。

悲しくないと言ったら嘘だが、いくら教え子とは言えアルバイトだし他人だしでそんなに大きなショックは受けなかった。

ただ、人生は本当に何が起きるかわからないなと思った。

俺の兄は小学生骨肉腫と肝転移の手術、中学生で肺転移の手術と抗がん剤を行った。母も父も祖父母も俺も口には出さないが「兄は高校卒業まで生きられない」と思っていた。

兄は抗がん剤が終わり肺炎で生死を彷徨った後に退院通信高校卒業大学卒業し今では営業職に就いている。30代を無事に迎え、上司取引先の人と毎晩飲み歩き、休日は両親や俺に悪態をつきながらFPSをしている。

一方で俺も、おそらく彼氏学校先生や両親も「これから先の明るい人生」を信じて疑わなかった女の子は一瞬で亡くなった。

人生は何が起こるかわからいから、生きている今日明日を後悔しないように生きたいものだ。

俺は大学卒業後に大学院でドロップアウトアラサーで未だにアルバイトしている。

今日を後悔せずに生きたいと思っても、どうすればそんな生き方が出来るのかわからないので結局バイトして、親の飯を食い、兄とゲームをする。

俺の寿命をなくなった彼女にあげたかったな。

2023-07-12

結婚をすることでのみ『普通であることが証明される。みんな『普通』になりたいか結婚願望があるはず。もしないならソレは『異常気取り』の中二病」みたいなの

まだ生き残ってんだよな、マジでさ。

アラフィフがそういう価値観に染まったまま抜け出せないのは幼少期の洗脳もあるからしゃーないと思う。

0~20まで常識としてゴミコレクションしてしまったらゴミ濃度100%の純粋ゴミ常識誕生するのはしゃーない。

でもアラサーぐらいでも結構いるんだよね。

「俺、結婚したいんだよね―。やっぱ『普通であることって大事じゃん?」みいなの

それを計算でやってるなら、まあ税制とか社会システムにおいて有利なのはマジョリティになるよね票田的な理由から、ってことで納得できる。

でも『普通』に対しての信仰心証明として結婚という儀式を行う人間が20代の中にもまだいるんだよ。

これは驚くべきことだよ。

普通』を証明することによって目に見えない何かが得られると本気で信じているんだ。

高齢者支配する日本社会における『免許証』みたいなものとして結婚を捉えているんだろうか。

マジでよく分からん

国が出産結婚奨励するのは分かるが、それに対して乗っかるかどうかは単に自由意志に過ぎないのにそこに過剰な意味見出してるっぽいんだよな。

そしてその理由が『普通結婚するから』に収束してるっぽいのが恐ろしい。

おいおい一億火の玉が『普通お国のために死ぬから』で玉砕した頃と変わってね―じゃね―かよって話だ。

はだしのゲン国民愛読書でなくなった悪影響がこういう所に出てるのかね。

ファシズムの恐怖を語るコンテンツちゃんワクチンを接種してない世代が、ゆっくりとその毒に染まりだしたとかなんか?

夢、もうだめかもわからんね

アラサーなんだけど、夢を追いかけて5年。

今日夢への道が絶たれた。年齢的にタイムリミットだった。

いや〜めちゃくちゃ頑張っても無理なことってあるんだな!色んな人に手伝ってもらってお金かけて結婚適齢期捨てて死ぬほど努力してもダメだった。無駄な5年を過ごしてしまった。

本当に悲しい時って笑いが出るんだね。

でも5年、無駄だったけど楽しかった!辛かったけど生き生きしてた気がする!なんかヤケになってるだけかもしれないけどやっとちゃんと終われるわ!才能なかったから才能商売なんてスタートラインにも立てなかった。人生そんなもんだよね。そういうことあるよね。

これから人生どうしようかな。

なんかもうどうやって過ごしたらいいのかすらわかんないや。

anond:20230712135737

はてな若者はいない

アラサーになる25歳になったらまたお越しください

2023-07-11

プロポーズってなんかすごいな

親友プロポーズされた。おめでとおめでと。喪女仲間を15年続けてきたのに二十代後半になって彼氏ができてアラサーになってあれよあれよと同棲にてプロポーズ

びっくりしすぎて祝いの言葉が出てこなかった。ごめんね。

私は彼氏できたことないからわかんないけどよ、プロポーズってすごいよな。他人存在を認めてもらえて一生一緒にいようって約束するんだもんな。勇気がいるし覚悟がいる。

なんかすごいな。素敵。私は誰かに好かれたことないから憧れるな。

置いていかれたのは寂しいけど友達幸せになるのは嬉しいね。おめでとう。

私はたぶん誰にも見染められないまま死ぬなっていうのがわかるので諦めてるけど結婚ラッシュはやっぱりちょっと羨ましいな。

セーフティネットとしての有害ホモ

知り合いの近況を人づてに知り、思うところあったので書いておく。

Twitterを通して知り合った、アラサーの男がいた。増田と同年代のこの男を、Aくんとしよう。

Aくんと知り合ったのは、の別の男性きっかけだった。この人をBさんとしよう。BさんはTwitter上で趣味の合う知り合いに声をかけ、しばしばオフ会をしている人だった。僕も声をかけてもらって、予定があえば参加していた。少ないときは3,4人、多いとき10人くらいの参加者がいただろうか。ファミレスカラオケなんかでだべって、普段はできない趣味の話ができるのでよい息抜きになっていた。

ある時、Bさんがこう相談してきた。知り合いでAくんというやつがいて、オフ会に呼ぼうか迷っている。かなり変わったやつで、言動が失礼と感じる人もいるかもしれないが、増田さんとは大学の専攻も近いようだし、話があうんじゃないかと思っている。次、限られた人数で会を催して、Aくんを呼んでもいいか、と。Bさんは仕事柄、学問にかかわることにアンテナをはっていて、しかしいつものオフ会メンバーでは学問的な話題にならないので、そういう雑談ができる場がほしいらしいのだ。増田オフ会によばれるようになったのも、そういう話ができそう......という期待からだったようだ。

AくんのTwitterをみてみると、しばしばネタツイートをしていて、そのなかには信じられない下品ものもあった。しばしば昭和天皇コラ画像をつくっては貼って大喜びしているようで、これがアラサー男性ツイートとは到底思えず、陰キャ大学生のノリをいまだに捨てきれていない感じが痛々しかった。しかし、Twitter上ではこうでも、さすがに実際に会ってこのノリでコミュニケーションをしてくることはないだろうと、呼んでも大丈夫ですよ、とBさんに軽々しく返事をしてしまった。これが大きな間違いだった。陰キャ大学生のノリを引きずる痛々しいアラサー男性がそこにいた。

Aくんは天皇いじりや反出生主義、そして女叩きをイケてるインテリギャグだと思っているようだが、増田はただ愛想笑いを返すしかなく、その愛想笑い肯定的な反応と勘違いしたAくんは益々不謹慎ギャグを連発した。ときたま真面目なトーンでBさんが話題をふって学問の話をしたりもしたが、Aくんは自分の専門分野以外のことでは自信満々に偏見に満ちた見解を連発する。端的にいってインターネット再放送しかできない人間だった。なぜおれはこいつの独演会に付き合わされているのだろうといたたまれなくなり、適当理由をつけてそそくさと中座した。

そういうわけでAくんの印象は最悪だったわけだが、Aくんにとって増田はBさんと同じく「気安く話せる仲間」として認識されてしまったようで、しばしばTwitter上で遊びに誘われるようになった。あの不愉快独演会に付き合わされてはたまらないので理由をつけて断っていたのだが、美術館企画展にいくことをツイートしたことでその美術館近くまで押しかけられ、不本意ながら食事をご一緒する羽目になったりしたこともあった。オフ会ならば人数がいるから多少ましだが、サシであうのはほんとうにつらい。よくBさんはこいつと二人で出かけたりできるものだと感心していた。

そんなこんなでAくんとつかず離れずの距離感をたもっていたが、Aくんに恋人ができて状況が大きくかわった。AくんはTwitter上である女性アカウントに熱心にリプライをおくっており、好意をよせていることはもろバレだったのだが、どうやらそれが実ったらしい。Aくんは昭和天皇コラ画像を連投するかわりに、恋人と仲睦まじく過ごす様子を逐一Twitterで報告するようになった。恋人はAくんの趣味にも理解があるのだと誇らしげにツイートしていた。

Aくんはそれを祝福してほしいのだろうな、と思った。Bさんや増田のような「気安く話せる仲間」たちに。でもそうする気には到底なれなかった。それが非モテである増田やBさん、オフ会参加者たちへの自慢のようにみえたから。「オタクくんたちもはやくライフステージすすめないとw 恋人なんてすぐできますよw」とつぶやくAくんは、言葉と裏腹にお前らにはぜったい彼女できないだろwと嘲笑しているように思えた。

あれだけ女叩きをしていたのに、虫がよすぎないか?内心そう思っていたが、それをつぶやいたりはしなかった。しかしBさんはちがった。「あんないかれたやつにも恋人ができるのか」「あんだけ女叩きしといて彼女できたら去勢されちまったなw」「反出生主義をうたってた男がせっせと生殖活動とはねえ」と、名指しはしないながらも明らかにAくんのことを指しているとわかる様子で罵倒していた。Bさん、あんたもAくんのこといかれてると思ってたのかよ......と驚いたのだが、それはそれとしてBさんの気持ちはよくわかった。

これにAくんは激怒した。いかれたやつとはなんだ!おれはお前らのように女叩きはしていない!(嘘だろ......と増田は思った)恋人いるからといって生殖するとは限らないだろ!女叩きで連帯しているお前らのような有害ホモ集団とは金輪際縁を切る!と激烈なツイートを連発し、Bさんを謝罪させた後、ブロックした。「有害ホモ集団」との縁切り宣言はまもなく実行にうつされ、増田を含むBさん主宰オフ会参加者は一様にブロックされた。これでAくんと増田の縁は切れ、平穏な日々が戻ってきた。その直後に新型コロナ流行がはじまって、Bさんのオフ会自体も開催されなくなってしまった。

そしてつい最近。Aくんが大変なことになっているらしい、とオフ会メンバーから聞き、久しぶりにAくんのアカウントをのぞいてみた。Aくんの身におこったことは、増田想像はるかにこえていた。なんと、あれほど仲睦まじかった恋人Twitter上でDV告発され、それを名誉毀損で訴えるのだと息巻いていたのだ。しかも、Aくんと恋人あいだには息子がいるらしい。あの、反出生主義こそが正しいのだと息巻いていたAくんに、子供......。子供恋人に渡したくないAくんは、実家の両親とともに子供を育てる気でいるらしい。Aくんはかつては実家暮らしで、しばしば自身の両親の毒親ぶりをおもしろおかしく語っていた。恋人ができて、ようやく毒親から救ってくれる人が現れたと喜んでいた。そのAくんが恋人破局し、結局両親にすがるのか......。

恋人ができたときもそうだったが、Aくんには首尾一貫した考えというのがそもそもなく、そのときどきで都合よく自己認識を変える癖があるのだろう。

さすがにここまでの経緯が気になって、ツイログで遡ってAくんの足跡をおってみた。この三年半あまり、Aくんにはいろんなことがあったらしい。増田たちをブロックしてまもなく、恋人妊娠したようだ。その後、新卒からつとめていた企業から大企業転職し、年収が一千万を超える!これで嫁さんと子供を養える!と大喜びしていた。おれを叩いていた有害ホモ集団諸君年収千万越えてるかな?と、そのツイートをみてもいない増田たちをあおって鼻息荒い様子だったが、数か月後、どうも雰囲気がかわってきた。成果物クオリティが低く、上司に叱責された。在宅勤務でのさぼりを疑われ、強制出社を命じられてしまった。そして、試用期間が終わって、どうやら解雇されそうだ......。Aくんはあまりにも赤裸々に、身辺の状況をつぶやいていたようだ。そしていまは、アルバイトをしてどうにか糊口をしのいでいるらしい。パートナーへのDVが事実かどうかは定かではないが、もしほんとうだとするならこの経済的不安定な状況が原因なのかもしれない。

そして恋人から解放され息子を両親に預けたAくんは、自分趣味に没頭しているようだった。これがほんとうのおれだったんだ!といわんばかりに。

もしAくんに恋人ができず、「有害ホモ集団」とずーっとつるんでいたらどうなっただろうか。増田はしばしば不快な思いをしただろうが、それでも不幸な子供がひとり生まれしまうことはなかったはずだ。祖父母に育てられること自体が必ずしも不幸とは思わない。でも、一方がDVをインターネット上で告発し、一方がそれを名誉毀損だと訴える両親のもとに生まれしまたことは、幸福なことだとはいえないと思う。反出生主義はただしかった。少なくともAくんにとっては。

有害ホモソーシャル集団は、Aくんを、いやその子供を救うセーフティーネットになれただろうか。増田たち非モテの男たちは、子供を救うライ麦畑捕手になれただろうか。それはわからない。Aくんは不愉快で、救いようのないやつだ。でも、その子供には、どうにか幸福な道が、祝福された道があってほしいと願う。

anond:20230711164755

アラサーワイもJD時代運動食事制限特にしてないのにめっちゃ細かったわ

教員職員もたぶん若い頃は細かったはずやで

anond:20230711125336

アラサー年収800万以上の未婚男性って時点でかなりの激戦(地頭いい、は具体的にどのラインを求めているのか分からんし、ある程度年収と相関があると仮定してここでは捨て置くが、全く言語化出来てない印象を受けるので極めて危険信号ではある)

見た目のスペックが高けりゃそれなりに戦える可能性はあるだろう(少なくともマッチングはするだろう)が、ライバル20半ばと考えると29という年齢はかなりギリギリライン

30過ぎたら待っててもいいねしてくれなくなるので、今すぐにでも行動すべき

20代のうちに自分からガツガツいけばワンチャンはあるかもな

2023-07-10

結局のところどのコンドームいちばん良いわけ?

あと猫を痩せさせるにはどうしたら良いわけ?

というのが目下の二大悩み案件今日も元気に生と性を謳歌している25歳労働者、昨夏気が狂っていたときドラッグストアで買ったどう見ても業務用だろってな風の12個入り×3パック=36個のコンドームと、それを装着するためのめちゃくちゃに生々しいシリコン製の直径は親指くらい長さは前腕くらいの極太極バイブレーションというかディルドというかまあ所謂大人のおもちゃ引っ越しの際に燃えないゴミにくるめて捨てました。

まあ、つまるところできたのですよ、この一年で。彼氏が。彼氏の前はセフレが。わりに、たくさん。

ドラッグストアで血眼になってコンドームを探し回ったあと、気が付いたんです。多分この肌色ぷにぷにした血管まで浮き出ている擬似おティンを挿入したとてわたし鬼のよう欲求の穴が埋まるわきゃないと。ていうか、気がついたっつーか、実際に入れてみてわかったっつーか。

行為必要なのはティンだけではない、ティンを挿れるときにかかる成人男性体重なのだと。あの圧迫感、内臓が押し上げられる浮遊感。めちゃくちゃな重力処女を半ば自棄になりながら捨てたときに考えていたことは痛いでも気持ちいいでも嬉しいでも悲しいでもなく「うわこれタワテラじゃん」だった。

みんなタワー・オブ・テラーって知ってる?ディズニーのやつ。なんかエレベーターみたいな箱に椅子が並んでてそれに座って高いところから一気に落ちる、かと思いきや急浮上してまた落ちる、を数回繰り返してエレベーターの主人がなんかニタニタ笑いながら我が屋敷へようこそみたいなことを喋るアトラクション。あの浮遊感が好きでたまらなくて、わたしディズニーには一度しか行ったことがないのだけれど、その一度のうちに2回乗った。慣性の法則っていうのかしら、そこにあった胃とかなんやかやの内臓が、急に下落する体についていけなくて、ふわっとする感覚。叩きつけられたと思ったらまた急上昇して、それに間に合わなくてぐっと強い力押し付けられる感覚飛行機の離着陸に似てるなと思ったのは大学4年生、就職活動ではじめて新千歳行きの飛行機に乗った夏。はじめての飛行機なのにはじめての感じがしなくて、何に似てるのかなと脳をくるくる回してみたら、タワー・オブ・テラーと、セッ久だった。

うーん、似てるなあ。それ以降飛行機は大好きになりました。擬似行為から馬鹿野郎が。親が泣くぞ。

あいいのよ、そんな話は。それでね、コンドームをたくさん買ったでしょ、去年の夏に。たったひとつディルドに着けるためだけに。アホらしい。だからね、たくさんフレンドを探すことにしたの。今の時代はいいわね、ちょちょっと親指をスマホの上で動かすだけでしたい男の子女の子もそうでない人も、たくさん見つかるんだから

近年流行りのマッチングアプリとやらを使う人々の間では、ホテルに行く前にお茶したり居酒屋で飲んだりしてから、うーむこの顔面ならやれるなとかこいつはおっぱいが大きそうだなとかそういう品定めをしてから夜どうするかを机の下に組んだおみ足で探り合うのが正攻法らしいのだけれど、だるくね?それ。顔とかは全然どうでもいい、体もそんなに期待はしてない、ただただチンコが勃ってくれればそれで良い。それでもって勃ったとき引っ越しとともに別れた極太極ディルドを上回るスペックだったら尚良い。

まあそんなご立派なものをお持ちの殿方には滅多に出会せないもので、それは別に良いので、ただただ圧迫感。わたしはわりに細身で、164センチの45キロなのだが、ちなみに貧乳であるが、まあそんな感じなので175センチ60キロくらいあってくれればもう何も言わない。自分より10センチ高く10〜15キロ重ければ、最中重力を感じられるから

この一年出会った殿方は10人行くか行かないか身長体重もチン長も各々それぞれてんでばらばらといったところ。

お堅い仕事をなさっている真面目くんはちょっと人体の付属物としてはありえない大きさ太さだった。申し訳なさそうな顔をしながら2回出した。ああこの人は小中学生の頃からお山の大将なんだろうなってタイプ営業マンは顔もスタイル特筆すべき項目は何もないはずなのにちょっとした仕草や行動で人を惹きつける魅力があった。女の子を可愛がり従わせることだけが生きがいのアラサー男は死ぬほど前戯が上手かったけどよくよく観察してみたら既婚者であることがわかった。手首に傷があるのをめざとく見つける男は他の女の子にも同じように声をかけているようだった。

そんな彼らを前にして、業務用のコンドーム差し出すことは憚られた。だからいつもコンビニに寄って適当な箱をひとつペットボトルの水を2本、レジメビウスを2箱買って、男たちと待ち合わせた。彼らは大抵車で迎えに来た。車にも性格如実に現れていて、わたしいちばん信用できるなと思った人はジムニーに乗っていた。でも彼は一度会ったきり連絡が取れなくなった。ますます信用に値する人間だなと感心した。

そんなこんなで余りに余ったコンドーム、36個のうち消費できたのはせいぜい10個くらいで、3箱あるうち2箱は開封すらせずに捨てた。しかも使ったシチュエーションだってホテルゴムを使い切ったりあるいは裏表逆にしてしまって捨てざるを得ないとき、翌朝もう一回となったときポーチから取り出して「ゴムあるよ♡」と言う、その5秒間くらいしかなかった。いやいや冷静に考えたら昨日の夜買ったサガミオリジナルの箱があるやろうが!なんとかバタフライひらひら飛んでるじゃろうが!でもね、お勃ちになられたおチンをお持ちの殿方はね、あまりそういうことに考えが及ばないみたい。昨日の夜買ったアイスが溶けてるとか、ペットボトル麦茶がもうないとか、これから生乾きのタオルでもう一度体を拭くことになるだとか、そういうこと全て。射精をするまで視野狭窄なるみたい。だからわたしはすかさず業務コンドームを取り出して、これつけてって言う。つけてあげるよって言うときもある。口でつけてあげよっかって言うとものすごく嬉しそうな顔をする。はいはい、わかったわかった。

そんなこんなで頑張って消費してみたけど、実戦で使えたのはほんの僅か。36個チャレンジは失敗に終わった。

手元に残ったありえない量のコンドームと、企業努力の末信じられないほど生々しい出来に仕上がったディルドを前に、途方に暮れたよね。あーあ。ちょうどいいタイミングで引っ越すことになったし、自治体指定ゴミ袋にまとめてポイ。燃えるのか燃えないのかわからなかったから、要らない鞄とか靴とかベルトとかと一緒にまとめた。装飾品、その他として。

コンドームを使い切ることが目的なのか手段なのかもはやわからなくなってきた時点で、詰んでるなーと思った。ゲームとして成り立つ範疇を超えたのよね、つまり。なんのゲームなんだかわかりゃしないけど。そんなこんなしてるうちにちょうどいいところにちょうどいい男が現れたので、付き合うことにした。セフレ状態になってた男たちの連絡先はもう知らない。彼らが今どこで何をしているのか、いや探そうと思えば直に連絡しようがしまいが、わりに簡単に見つかると思うけど、心の底から興味がないからそういうことはしない。ただ今は、彼氏の好みのコンドームが知りたい。

anond:20230710084152

洞察力だよ。アラサーと言う言葉が生まれ

15年が経ち、わざわざ使うやつは原義を知らない。

アラサーを迎えてしまった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった

anond:20230710064317

over30s。オバサー、なっ!

日本語は正しく使おう

#正直に生きよう

アラサーになった。

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

田舎在住アラサー女の見合い事情

このたび結婚するので覚え書き

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スペック

アラサー近畿田舎まれ

ニート

同人活動もする腐女子

大学時代ミスコンに出された程度の見た目

実家田舎本家だけどそこまでお金は無い、むしろ分家の親戚は大金持ちがいくつも

サマーウォーズの縮小みたいな家

家事結構出来る

兄弟はいない

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大学時代から付き合ってた彼氏と別れた。

理由はあっちが風俗に行ってそれだけならいいんだけど、病気を貰ったらしく私に移したので愛想尽きてバイバイ

都内で働いてたけど仕事セクハラ受けて嫌になって実家に帰った。

のんびり実家家事手伝いしてて、よくしてもらってる親戚の家にお礼に料理持っていったり色々してたら見合いする運びになった。祖父母や親は一人娘に甘いのでニートしてても小遣いくれるようなおうち。むしろ結婚して東京にずっと暮らす方が嫌だったらしいのでニートでも家にいるほうがいいと口を揃えて言った。親族もみんな帰ってきてくれて嬉しいって言ってた。

ここでよく女は下方婚をしないって言うけど見合いになるとそれが顕著すぎて、私にお見合いを持ってくる人(数十件あった)はみんな挙って「会社経営開業医等のお金持ちのお家」「最低でも子供の代までは一生働かないでいられる」「新築を立ててあげる」「同居はない」「真面目で優しい男の人」「ご両親も優しく絶対同居は無い」は必須事項だった。釣書を持ってくる人全員これを言ってた。

逆に私のことは「若くて綺麗な女性」「お料理がとても上手」「こちらでずっとおうちのある本家お嬢さん。お墓も大きなおうち」というのが売りだった。

田舎のため部落でないかとかも重要事項なため一番最後はめちゃくちゃ効いたらしい。

本家から婿取りって話は子供ときはあったんだけど、祖父母や両親は別に嫁に行きたければどうぞって感じで終わってた。いまは昔ほど田舎も家や苗字に拘りはない。

そんな感じで結婚することになったんだけどいざするとなれば親族みんな揃って「嫌になったらすぐに帰っておいで」「子供連れてでも嫌になったら電話一本で迎えに行く」って言ってる。

下方婚って恋愛結婚が前提だからまれ価値観なんだなって思った。少なくともお見合いなら尚更弱者男性は肩身が狭い世界だと思う。

田舎在住アラサー女の見合い事情

このたび結婚するので覚え書き

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スペック

アラサー近畿田舎まれ

ニート

同人活動もする腐女子

大学時代ミスコンに出された程度の見た目

実家田舎本家だけどそこまでお金は無い、むしろ分家の親戚は大金持ちがいくつも

サマーウォーズの縮小みたいな家

家事結構出来る

兄弟はいない

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大学時代から付き合ってた彼氏と別れた。

理由はあっちが風俗に行ってそれだけならいいんだけど、病気を貰ったらしく私に移したので愛想尽きてバイバイ

都内で働いてたけど仕事セクハラ受けて嫌になって実家に帰った。

のんびり実家家事手伝いしてて、よくしてもらってる親戚の家にお礼に料理持っていったり色々してたら見合いする運びになった。祖父母や親は一人娘に甘いのでニートしてても小遣いくれるようなおうち。むしろ結婚して東京にずっと暮らす方が嫌だったらしいのでニートでも家にいるほうがいいと口を揃えて言った。親族もみんな帰ってきてくれて嬉しいって言ってた。

ここでよく女は下方婚をしないって言うけど見合いになるとそれが顕著すぎて、私にお見合いを持ってくる人(数十件あった)はみんな挙って「会社経営開業医等のお金持ちのお家」「最低でも子供の代までは一生働かないでいられる」「新築を立ててあげる」「同居はない」「真面目で優しい男の人」「ご両親も優しく絶対同居は無い」は必須事項だった。釣書を持ってくる人全員これを言ってた。

逆に私のことは「若くて綺麗な女性」「お料理がとても上手」「こちらでずっとおうちのある本家お嬢さん。お墓も大きなおうち」というのが売りだった。

田舎のため部落でないかとかも重要事項なため一番最後はめちゃくちゃ効いたらしい。

本家から婿取りって話は子供ときはあったんだけど、祖父母や両親は別に嫁に行きたければどうぞって感じで終わってた。いまは昔ほど田舎も家や苗字に拘りはない。

そんな感じで結婚することになったんだけどいざするとなれば親族みんな揃って「嫌になったらすぐに帰っておいで」「子供連れてでも嫌になったら電話一本で迎えに行く」って言ってる。

下方婚って恋愛結婚が前提だからまれ価値観なんだなって思った。少なくともお見合いなら尚更弱者男性は肩身が狭い世界だと思う。

2023-07-09

祖父との思い出

祖父は私のことが大好きだった。

小さい頃は近所の公園まで連れて行ってくれて、もう少し歳が大きくなると自転車の後ろに乗せてイオンまで連れて行ってくれたり、お祭りに連れて行ってくれたりしたことをよく覚えている。

夏休みほとんど親の実家に帰る家だったから、子供の頃の夏の思い出は大体がこんな感じだ。

私が20歳くらいの頃だ。

祖母祖父が家に遊びに来ることになった。

祖父祖母父母私で食事に行った。4人乗りの車だったので、私だけ自転車で店まで行き帰りをすることになった。店も自転車20分くらいだし、仕方ないことなので特に何も思わなかったのだが、車で帰ったはずの祖父は私の帰りを道の途中で待っていてくれた。

心配だったのだろうか?まさか待ってくれているとは思わなかった。いいのに、と思うが同時になんて優しいんだろうと感動した。かなり印象深い思い出の一つだ。

そんな祖父も、近年は認知症を患って周りの人間のことを忘れたり、思い出したりしていた。詳しくないが、進行はかなりゆっくりだったのではないかな、と思っている。

私はもうアラサーになっており、さら一人暮らしをしている。なかなか祖父祖母に会いに行くのは難しくなっていたので母が実家に帰ったタイミングビデオ電話で少し話したりしていた。

ある時のビデオ電話だ。

母が祖父に「この人誰だか分かる?」と聞いた。私のことだ。「わからん。綺麗だなあ」と言った。

私のことを忘れていたことが辛かったのもあるが、それでもまだ私を褒めてくれるんだなという思いでグチャグチャになって通話を切ってからおいおい泣いた。

私の名前は覚えているけど…と言っていたところもまた嬉しいような悲しいような気持ちになった。

去年会いにいった時は私のことを時々思い出していて、テレビ電話と実際に会うのでは違ったりするのかな?と思った。よく分からないが、たまにでも思い出してくれてたのは嬉しかった。

そんな祖父が先日亡くなった。私の31歳の誕生日だった。

周りの人のことを忘れたり思い出したりする祖父は、性格こそ穏やかだったし前と変わらなかったように思うが、私と遊んでくれていた頃の前の祖父とは厳密には違う人だったのかもしれない。

でも、あの頃の祖父と会えなくなることと、もう祖父とは会えないことはやはり全く違う。

もう90も近いしかなりの大往生だった。

詳細は聞けてないが、おそらく老衰のような感じなのではないかと思っている。大きな病気はしていなかったはずだ。

それで90近くまで生きられるのはなかなかにすごい事だ。

なので、良かったなあと言う感情で悲しみを和らげることができるのはありがたいことだ。

まだ心の整理はついてないし、ふとした時に祖父との思い出を思い出して涙ぐんでしまう。本当にかわいがってくれていたなあと改めて思う。私も祖父のことが大好きだった。

お葬式には行けなかったが、今祭壇に囲まれ祖父遺影なんて見ようものなら号泣してしまうだろうから行けなくて良かったと言う気持ちが少しある。四十九日には行く。

父方の祖父は私が小さい頃に、祖母中学生の頃に亡くなったので、親族が亡くなるのはかなりひさしぶりのことだった。友人や知人を亡くしたこともない。ペット金魚しか飼ったことがない。それも小学生の時だ。

人と比べたことがないからわからないが、どっちかと言うと死に触れることが少ない人生のような気がする。

私はもういい大人だが、大人になったからと言って辛い事や悲しい事とうまく折り合いがつけられるようにはなってない。

自分自分の地続きでしかないんだなあと強く思った。当然のことなんだろうが、考えたことがなかった。

50になっても80になっても同じように大切な人の死はつらいんだろう。

から毎日大事に生きようとか周りの人を大切にしようとか、やっぱりそう言う結論になるんだけどそれがなかなか。前者は特に仕事をしてたら無感情のまま1日が終わっている。難しいな。

今の気持ちを書き起こしておこうと思ったので、めちゃくちゃだが終わり。

2023-07-08

anond:20230707220934

アラサーならお固そうな方が抱きたくなるよ。

適当漫画アプリで「経理」で検索するとそれっぽいのいくつか出てくる。

2023-07-07

どうやったら抱きたいアラサーになれるか

抱きたい女の方程式公式がわからない。

好きな人はいる。「抱いてみたいな」くらいに思われたらもうこの人生上がりだと思う、実際抱かれなくてもいい。

ただ、その「抱いてみたい」に至る、相手にそう思わせられるすべを知らない。

普段自分は、よく喋る、面白い、みたいな感じのイメージだと思う。わからんけど。

本を読むのも映画を観るのも好きだし、お笑いも好きだ。痛くない程度に日常会話にそれらから得た「おもしろエッセンス」を散りばめている。つもりだ。他者から評価はわからない。

でもそれは、友達と、知り合いと、だから発せられるし、効果があるものだ。「好きな人に」じゃない。

好きな人の前で、自分の振る舞い方がわからない。

これまでに二人の男と付き合い、セックスまでする関係になった。けど、何かよくわからないままに別れた。どっちも20代前半だった。

その二人と付き合ったとき、二人きりでいるとき、いやらしい雰囲気になったとき、致しているとき自分は「何かで見た、読んだ」行動しか取ってない。

かわいい彼女」っぽい行動は、全部小学校の頃に読んだりぼんやら姉が読んでたマーガレットやらから得た言動コピーだった。

「致すときセクシーな感じ」は、映画とか面白半分で見たAVで見た行動の模倣だった。

結局自分は「何かしら見たこと聞いたこと読んだことあるものからしか「ハマる」会話とか流れとかを学べない。そしてそれしか知らない。

二十代前半ならまだ、まだギリ許されたんだろう、だから恋人ができた。

しかし今、四半世紀以上生きた状態で繰り出す「りぼんとかマーガレット主人公っぽいかわいい行動」は、ただの「痛い女」で、同世代とかそれ以上の人には響かない。年下にも引かれる。AVリアルじゃない。

好きな人10歳年上で、優しくて、おおらかな人だ。私から見たらめちゃくちゃ大人だ。そんな人にりぼんやらマーガレットに載っているガキのテクニック通用しない。

りぼんなかよしちゃおも、付き合ったら終わりだった。マーガレットとか別フレとかも付き合うまでのプロセスと付き合ってからの悩みを描いて終わりだった。たまにセックスしても、そっから主人公が何か精神的に成長して終わりだった。

アラサーの、働く女が好きな人意識してもらって、「抱きたい」に至るまでのプロセスを描く漫画なんてなかった。リサーチ不足かもしれないが。

そもそも「何かしらの媒体から得た知識」を基に恋愛してコミュニケーションして抱き合うに至るのが間違いかもしれない。

誰かの模倣ではなく、「好きな人」その人を知り、話し、聞き、探り、それでやっとその人の「好きなタイプ」になれるんだろう。

三十前後にもなって、「ありのままわたしを愛して」なんて思わない。

こんな人間の嫌なところを抽出して人型に成形したようなクズを愛する変態なんていない。

飾らない自分を愛してなんて思わない。

化粧しなきゃ外に出られない。

けど、じゃあ誰が私を抱いてくれる。

どうやったら私はあの人に抱かれる。抱きたいと思わせられる。

私が得た「人間社会で生きていく席」は話すポジションだった。

可愛い美人セクシーは既に埋まっている。

空いてる席は「男性とも対等に渡り合える(マンスプレイニングに対抗できる)賢くて話が面白い人」ポジションだけだった。

けど、それじゃ私はあの人に抱かれない。あの人を抱けない。

私はあの人を抱きたい。抱かれたい。

いい女と思われたい。

また会いたいと思われたい。

せめてキスだけでもしたいと思わせたい。

あの人に求められたい。

誰か私に抱きたくなる女性モデルを教えてくれ。

2023-07-04

anond:20230704163927

アラサーくらいの話かと思ったら40代かよ

そんくらい奢れよ

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