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2024-05-04

anond:20240504121115

本当にお茶汲み「しか」してないのは昭和にも殆どいなかっただろうし

コネ入社お嬢様とかならいたかもな)

他の雑用もセットなら今でもいくらでもいるだろ

anond:20240503200544

10年前にうちの職場でもそういうことあったな。

事務所周りの重作業(模様替えの重機移動、炎天下の植栽剪定、重い宅配の受取や移動、etc)は男の仕事だったから、女性にそれさせられないし、せめて来客や暑い中外仕事してきた人へのお茶ぐらいは女性に淹れてもらおう、って職場内で合意して決まった経緯があったんだけど、その流れを知らない当時入社5年目ぐらいの女性を筆頭に「お茶汲みの仕事は女の仕事じゃない!」って憤慨しだしたから、「じゃあ男女関係なく自分たちのことは自分たちしましょうか」って取り決めになった。

今まで女性等が重めの宅配物受け取ってる気配があったら男らは仕事の手を止めて受け取ってたんだけど、そうすることも無くなった。そしたらある日、女性社員が「すみません宅配来たんでお願いします」って来たから俺がいこうとしたら上長が「行かなくていい」って引き止めて、代わりに向かった上長「これはうちの物じゃないね、そちらで注文した什器だよね、男の仕事も女の仕事もなくなって各々やることにしたのはそちらさんだよね」って言って仕事に戻った。

そっから女性お茶くみが復活した。

お茶汲みだけで男使い放題サブスク使えるなら安いもんだよなって思う。

anond:20240504063719

エリートボンボン意識高い系リア充陽キャサブカルクソ野郎偏執的なキモオタ弱者男性

このように様々な人種世界はいるんだけど、どの人種が強くて数が多いかは国による

エリートボンボン意識高い系の層は社会の上層グループだよね?コイツらが弱いかシステム作れないんだよ。アメリカだとGoogle入社するエリート層が任天堂ゲーム作ってるんだぞ

サブカルクソ野郎が強い=リベラルが強くなり社会運動が盛んで先進的な国になるっぽい。おまけでオタク文化弾圧され発展が阻害される。世界中のリベラルの間でブランド力が高くなり持ち上げられる

キモオタが強ければオタクコンテンツが強くなる。日本とか

シンプル日本キモオタが優秀で競争力のある国なんだよ

日本オタク産業は昔のシリコンバレーみたいなもん

2024-05-03

退職エントリー的な何か

ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校教員を3年間やってきました。

今年の3月末で退職し、技術系の会社転職しました。

教員は初めての経験でした。

始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います

いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます

—-

教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当時間質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明プレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います

とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。


まず、何を考えて教員をやったか。やって良かったこと等。

さて、私は大卒専門学校のことも知らないし教員歴もありません。

なので、経験のある社員教育OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。

新人から入社数年くらいの社員に対しては

課題解決方法提供、答え合わせまで行う。

課題解決のための材料提供のみ行い、課題解決自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分努力解決したという自意識を持っている。

③「なぜこの課題解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。

という順序で指導を行っています

こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。

基本方針

①専門知識は全て教員が持ち、必要情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係

②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者医療サービスを受けるような「医者と患者の関係

RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者武器屋関係

という3つの関係の使い分けです。

③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。

また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。


学生対応について

基本的学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生から好感度信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)

なので、登校日はできるだけ朝早く教室に顔を出しました。

学生によっては、授業の始まる30分前には学校に来ています

朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。

これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリ通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。


専門学校大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ研究室がないことです。

コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携ほとんどないように感じました。

大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事しますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。

まずクラス内の学生のつながりを強化したいと考えました。

ひとつツールなどの紹介です。

こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。

かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生自主的に使ってくれました。

特に人気があったのはMiroブレインストーミングカンバンなど)、Figmaアプリデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。

ツールの使い方、どんな図面ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生自主的に動いてくれました。

統制が取れた、良いチームワークができたと思っています

統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。

フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。


もうひとつ放課後教室開放です。

1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校基本情報勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。

あとひとつ就活の利用です。

卒業の1年以上前内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生フォローを手伝ってもらいました。

面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報学生が1番詳しいです。

教員就活支援担当のいうことより、同年代学生経験談の方が、説得力もありますし、学生真剣に聞いてくれます

さらには、就活フォロー名目で、学生との1on1に当てていました。

自己PRネタ探し」などの名目で、学生経験などをかなり詳しく聞くことができます普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。



授業について

私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。

実技メインなのは助かりました。

技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。

技術リーダー仕事は「自身スキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。

受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。

特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバー技術知識経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術ベースCRM自体学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。

引き継いだシラバスからデザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います

実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。

このあたりは、工夫というほどではないですね。

専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。

なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。

逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります


この辺り、授業進行・クラス運営技術ではなくアートだなと強く感じました。


優秀な学生への対応

基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・

ただ、できる学生からと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。

で、そういう学生には「こちからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。

直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。

結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。

総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。


成績・出席率の良くない学生対応

高校時代の出席率が良くない学生は、(高校入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。

ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当オンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。


人数はそう多くないのですが、高卒資格入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生コミュ力結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり就活が大変になるということです。


調子の良くない学生典型例として心療内科受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります

私の場合心療内科受診を勧めた学生受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています

対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。


前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソ大人通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者担任連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソ通用しないことは気づきます基本的には保護者から先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。

やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。

出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月から新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、

一方で補習中ずっと説教モード教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。

保護者面談について

事前に全く想定していませんでした。

私自身、大学どころか、高校中学先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。

とりあえず

保護者スポンサーステークホルダーとして対応する」

「できるだけエビデンスを揃える」

で臨みました。

成績の良くない学生就職を控えている学生保護者との面談特に重要です。

「もうすぐ社会人なのだから自分決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちももとよりそのつもりです。

単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。

最新の就職事情がわからない。自身IT系人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去学生活動事例、本校学生就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。

大学就活に関する情報ネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。


保護者自身も、保護者懇談を予想していなかった人もいます

先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。

教員を辞めた理由について

1. とにかく忙しい。

去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった

その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。

2.やることがなくなってしまった

2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった

3.学科長の方針独自すぎる

校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。

4. 他教員と話が合わない

4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。

スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。

実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。

4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした

成果の出ない授業の担当は、本当に苦痛でした。

5.他教員が働かない

関係者以外の目に触れた実例として卒業式の例を。

私は卒業生・保護者来賓の方の誘導係でした。

2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーター誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めはひと月前である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる超一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、相当いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だろう。卒業間近には、就職活動終了者との懇親会に招待された。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。日記によるとスポーツ推薦で入った子だった。授業はきついのだろうか。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

人生は、ローグライクだ。

さて、ゴールデンウィークですね。

入学入社、異動からはや一か月がたちましたが

皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。

安心してください人生何度でもやり直し可能ローグライクの繰り返しです。

というわけで、この人生というものを、ローグライクとして分解してみる

まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする

その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる


STR 9

INT 10

DEX 8

CON 12

WIS 9

LUC 10


こんなもんでしょうか。

から筋力、知力、器用さ、体力、精神、運。

MMORPGを思い出しますね。


これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げ可能

例えば

STR筋トレ

INTは読書、会話。

DEXピアノタイピング習字

CONは走る。

WISはパワハラを受ける。

LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。


ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。

身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。

最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、

そういったことまでアップデートで追加されているよう。


そして現代戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。

戦前戦後日本でも食うものにも困る人がいた時代

からさまなBAD TRAITを持つもの、あまりステータスが低い人間

成人する前に原因不明のまま亡くなった。

あくまで、原因不明。よしなに。

種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。


翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら

先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。

もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。


どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと

成人まで生きていける社会

否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。

自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。

さも、日本社会が、戦前戦後と比べて不幸せな国になったかのように。

それも当然そのはず。

社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、

十の誕生日を迎える前に亡くなっていた時代があるのだから

しか現代では、そういう人間もあまねく救える社会になった。

それ自体はいいことではある。

けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せ生活を送れるようにすること、

これはセットでなくてはならない。

もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。

その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。


少々、本題に入るまでに時間がかかってしまいましたが…

ここまでが、大前提


ここからが、人生は配られたカードプレイするしかないのさ

ということへのアンチテーゼ


ここまで述べてきたのが、私たちに配られたカードの話。

まれ持った能力特性。変えられようが無いこと。神様どうか。

わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。

変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して

何とか生きていけるのが現代社会であり

それは全て先人たちの努力試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。


そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。

バリアフリージェンダーフリーレースフリー


さてそうした時に、だ。

配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、

一体なにが大事になるのだろう。

この人生というゲームにおいて。


実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?


いずれも違う。

人間という漢字、これは本当によくできている。

人の間。人々の間に潜むもの、それが人間ということらしい。


つまるところ、デッキ構成だ。

自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。


まれ持ったデッキ構成、というものはある。


毒兄 毒親 自分 毒親 毒姉 


これはもう詰みかもしれない。


母親 先生 自分 親友 友達


これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか


ところで、ダンバー数というものがある。

1人の人間が、社会接触を保持している関係の人の数のことらしい。

150人くらいが、社会交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、

3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。


よく聞くだろうビジネス関連の格言のようなものに、

あなた年収は、自分の近しい周囲の5人の年収平均値になる。

というものがある。


これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、

実際は両親や兄弟も含めていいのではないかと私は考える。

最も会話をするのがその層なのだから


からもし、年収以外にも、性格民度などあらゆることが

5人の平均値になるのだとして。

あなた中央に、左右に両親、その端に親友先生

といったようにするか。

はたまた空っぽギャル半グレヤンキー毒親、クソ教師

というデッキ構成するのか。

果敢にも、孫正義イーロンマスクジャックマー、ウォーレンバフェット

とするのか。


それは、どこまでいってもあなた自由であり、

人間として生まれあなたに、唯一許された策になる。


ここで唐突自分がたり

おれは、幼少のころからインターネット世界にのめりこんできた。

周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキからだ。要するにいじめられっ子だ。

それは、社会人になってからも続いた。


一人っ子だった自分デッキには、両親以外には1人親友いるかいないかで、

あとはインターネット上に様々な年代の知り合いがいた。

親を周囲の四枚に加える必要は無かった。

月一回程度は気に掛けてくれたから。

自分安心して、自分以外の四枚を構成していった。

高校大学地元を出て海外に行ったこともある。

高校でも大学でも、大体の場合10以上年の離れた人間を入れていた。

年代人間と会話するのも面白いものだが、

年上の人間は優れているか別にして、必ず別の視点提供してくれるからだ。


そうして何十年か過ごしてきて、いま。


デッキ構成は常に変化しているが、

一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか


こうして、時代の潮流と自分の肉体・精神的な変化に応じて、

周囲のデッキを変えていく必要がある。


これが、俺が人生デッキ構築型ローグライクと呼ぶゆえんだ。


ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、

仕事子育てなど、人生ターニングポイント的なところになる。


仕事なら、どういうデッキならつつがなく攻略できるのか。

攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。


子育てもそう。

どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。

お互いの両親の支援はどうか。


自分短所に対する態度もそう。

ADHDから

"仕方ないよね"といって周囲の人間対応させるのか

"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールアシストするのか。


目が悪いから、パイロットを諦めるのは仕方のないこと。

そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。


そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。

手持ちのデッキが悪くても、環境が悪くても、他責にせず

自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。

決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。


さて。4月に入って、

どの部活に入るのか。

どのサークルに入るのか。

どの会社に入るのか。

どの仕事コミットするのか。

逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。


あなたの"デッキ"は決まりましたか

はたまた、あなた意見希望は通りませんでしたか


もちろん、あなたも人"間"です。

あなたが人々に影響を与えることもできるのです。

グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。

自信がない?

安心してください

何も、指揮することだけがリーダーシップじゃないのです。

あなたステータストレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります


さあ、春です。


巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。

わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。

なんでお前そんな役職採用された?

デカプロジェクトPMを中途入社1年の奴がやってるんだが、びっくりするような事しかしないからずっとびっくりしてる。

まずツール選定。社内の状況のヒアリングもしている様子は無く当初は「確認するまでもなく把握してるのか〜すごいな〜」と思って眺めてたんだけど単純に何を確認すべきか分かってなかった。当然既存ツールとの連携方法メリデメ確認していないし開発工数も分かっていない。

見積もり比較して経営会議にかけたと言うので(事前共有無し)見積書を見せてもらった。5000万の決裁を取っていた。見積もり依頼するための要件実態に則しておらず、慌てて確認すると恐らく3倍の費用必要になる。1.5億。なんでこんな見積もりになったのかと聞いたら、「○○さん(部下)が以前別のプロジェクトで使っていた資料から引用した」と。本人に確認は取っていないらしい。それに○○さんのプロジェクト限定的ものだったので当然見積もり要件も異なる。しかもこのプロジェクト性質から考えれば○○さんではなく部下にもっと適切な見積もり要件を出せる人がいるのに、その人には何の連絡もしなかったらしい。何故かと聞いたら「なんとなく」。開いた口が塞がらない。

しかし同じ条件で見積もりを取っているならある程度金額感での比較はできるかもしれないと思い、他のツール見積書を見た。確かに一見高く見えるが、3倍にした時に重量課金分の比率が低いツールもあり、コストで考えると導入を決めたツールの分が悪い。

更に目に入ったのは同僚がPMをやっている別のプロジェクト使用しているツール見積もり。関連するプロジェクト同士なので同一ツールを使うのはメリットが大きい。予算も悪くないし、新規導入じゃないので見積もりから削られ項目も出てくる。しかし俺は目を疑った。同僚のプロジェクトを名指しして「○億円の赤字」と書かれている。算出根拠資料を見たけど、どれもこれも実態に則していない。どこからこの数字から出てきたのか聞いたら「エイヤで出しました」とドヤ顔

俺も関連するプロジェクトPMをやっているんだが、危機感しかない。関わりたくない。しかGW中だと言うのになぜか会社携帯が鳴っている。名前はもちろん例の人。憂鬱

anond:20240502110846

長すぎるのでClaudeに要約死てもらった。39cぁうで。

我が社に一人の上司あり。数年前に入社し、理論を重んじる人なり。

部下たちに次々と本を薦めたが、読む者は少なかった。読んだ私には、さらに本を貸してきたが、結局のところ、読んだ者への特別な扱いも、読まぬ者への制裁もなかった。

彼は、データ分析を命じたが、その指示は曖昧であった。私は尋ねたが、「全てを網羅し、3日で仕上げよ」と言うのみ。こんなデータが役立つはずもなく、案の定、日の目を見ることはなかった。

会議では、現場問題点を指摘するばかりで、根本的な原因を探ろうとはしなかった。

彼は外部のコンサルタントを好んだが、必要データを持ち合わせておらず、多くの案件が立ち消えとなった。それでも幾つかの案件は通ったが、費用対効果は疑問であった。

コミュニケーションを避け、定時で帰宅する姿が目立つようになった。上司承認が滞り、業務に支障をきたすようになった。

そして、ついに彼は退職することとなった。退職の際、私は彼に進言した。「理論は大切だが、現実と結びつけねばならぬ。コミュニケーションを怠ってはならぬ」と。しかし、彼からの返事はなかった。

彼が去った後、職場は何事もなかったかのように活発に動き出した。まるで、最初から彼などいなかったかのように。

人は承認欲求を持つものだ。それを忘れてはならぬと、私は自戒の念を込めて、この一件を記すのである

anond:20240502062858

利用しといて言うんだ

もし子供新卒入社するってなったらどうするの?

2024-05-01

anond:20240501214316

まれ変わってもマイクロソフト入社できるわけでも無いだろうけど、一生フェルミ推定やってろ

ピアノ調律師個人教室一般家庭よりもコンサートホールの数の多さが影響するんだけどな

まともにコンサート行ったこと無いのがばれたね

24歳、軋んで痛む足 成長期記録を始めよう

小学3年生くらいの頃、私は夜が怖かった。

お化けや暗闇に怯えていたのではない。

私の宿敵は、成長痛だった。


毎晩、眠ろうとしてベッドに入ると、自分の足から、膝から、骨が軋む音が聞こえた。

実際にはそんなもの聴こえていなかったのだと思うのだけれど、少なくとも当時の私は聴こえるなあと感じていた。

ぎゅ、ぎぎ、という音。私と、私の身体の痛みと、ふたりぼっちの夜は本当に怖かった。痛くて、心細くて、不安だった。


「お母さん、膝が痛い。眠れない。」

普段は甘え下手の子どもだったけれど、あまりの心許なさに痺れを切らし、藁にも縋る思いで母に痛みを訴えても、子どもの成長痛を目の前に母親ができることなほとんどない。

困った顔で湿布を貼ったりマッサージをしてくれたが、結局、無理やり目を瞑り布団に潜り、なんとか眠りにつくまで、その痛みはずっと私から離れてくれなかった。


24歳になり、もちろん今は、足が軋むことなんてなくなった。

東京に出て、お酒ライブハウスの楽しみを覚え、夜が大好きになった。


それなのに、今度は朝がたまらなく怖くなってしまった。


昨年の夏に、新卒入社した会社を1年半で退職した。

1年半で、といっても、入社してから研修期間が8ヶ月ほどあったため、実務自体10ヶ月程度しかしていない。

その後、3ヶ月ほどフラフラしたのち、現在業務委託という形で働いている。フリーランスWEB編集者だ。


何時に起きても誰にも怒られないし、満員電車に乗らなくていいし、今日みたいに2駅先の大好きなカフェ仕事をすることもできる。

働き方にも、内容にも、ほとんど制限がない。

企画書名刺があれば、会いたい人に会い、尊敬する人と仕事ができる。


持ち前のフットワークの軽さ、衝動性、興味範囲の広さ、好きなものへの熱量、適度なミーハーさ。

自分性格を鑑みれば、今のこの生活に飛び込んでみたのは正解でしかない、と思う。


それなのに、私は毎日暇さえあれば怯えて、泣いている。


不安なのだ毎日、ああ、また朝に追いつかれた、という感覚が拭えない。

楽しさとか、ワクワクを食い殺してしまうほどの、強靭で凶暴な不安が、ずっと私の背中を睨んでいる。


仕事をしなければいけない。

仕事をしなければいけないのは、食っていかなければいけないからだ。自活しなければいけないからだ。

仕事をしなければいけないと、食っていかねばいけないと思えば思うほど、自分の心と身体が硬く閉じていくのを感じる。

しなければいけない仕事なんてないのに、自分で決めたこと、始めたことのはずなのに、だんだん食っていくための仕事になっていく。

1つのさなエラーが、まるで致命傷のように見えてくる。

なんで他の同級生たちができていることが自分にはできないんだ、親孝行もまともにできていないよ、だなんて、ステレオタイプなつまらない比較自己否定を、気づけば繰り返してしまっている。


こんな己の貧弱さを、まあいっか、と許してあげるほどのゆとりもない。

朝が来るたびに、もうやめてしまいたい、痛い。人生を前に進めるための足取りが、いつまで経ってもおぼつかない。


家族もいて友達もいて恋人もいて、だけどこの痛みを誰かが軽くしてくれるわけではない。

何か悪いことをしているわけではないのに、無慈悲に襲いかかってくるこの痛みは、あの頃の成長痛と同じだ。

いつも、この新しい痛みとふたりぼっちだ。


先日、とある仕事の打ち合わせで、フリーランスの先輩とも言えるライターの方にこの成長痛の話をした。

日記を書いてみたら?」

彼女は、フリーランスになってから増田日記を書き、それを自費出版したという経験を持つ。

「今、私からあなたはとても可能性に満ちて眩く見えるし、大丈夫だといってあげることもできる。

だけれど、確かにあなたの痛みを肩代わりすることは誰にもできないし、他人が何をいってもあなたはきっと不安なままだと思う。

でも、そんな気持ちすらいつかの食い扶持にしてやる、って、泣きながらでも歩けば、気づいたら思いがけない楽しいことに出会えるはずだから。」


しかしたら同じことばかり書いてつまらない日記になってしまうかもしれない。

だけど、私は、毎日自分を苦しめる痛みを成長痛だと思いたい。


成長痛記録、闘病記録、ということにして、痛みとふたりぼっちの日々をここに残してみようと思う。

甘ったれ根性なしの私が、新しい痛みに立ち向かう姿を記録してみよう。

いつか、痛みで軋む音に悩まされていた日々を、エピソードトークにしてしまえる日がくるまで。

anond:20240501143855

年上を最近の人ってなんやねん

最近入社してくる人が、という話ならお前の会社が落ちぶれてるだけだろ

教科書通りに謝ることすらできない人たち

昭和生まれの俺としてはさぁ

なにか仕事上でミスをしてしまったら

いつだれがどこでなにをどうして、なぜそれが起こりどう対策するのか、そして謝罪

このぐらいが教科書通りに当たり前にする報告だと思ってたのよ

教科書通りに謝罪報告して、上司から「お前本当に反省してんのかよ!」って言われるぐらいまでがテンプレかなと思って生きてきたんだけど

最近の人たちって、若者に限らずこの教科書通りすらできない人たち多いんだね

ミスってあれ壊しちゃいました。まぁしょうがないですね。』

とか、俺より年上の人(中途入社の部下)が言い出すから、びっくりしちゃった

そういう人がこの2年で2人見つかった

もうやだこのヘルジャパン

anond:20240501132933

HEY!社は決まった学校に秋ごろ訪問して

就職担当先生から推薦してもらって(ここで入社は100%決まる)

会社見学

面談

内定式

やな

インターハイ行く運動部キャプテンで成績トップとか

割と有能

適任者がいない学年もある

EZ

anond:20240501100700

もう令和だからExcel関数や誰もメンテ出来ないマクロでドヤるのやめてほしい

 

あと、Azure認証とTeams がデファクトスタンダードで、

Teamsに関してはEU独禁法違反懸念対策別売りするねってやってるターンなので、

AzureやM365Apps(MS Office)使ってないアピールするのもやめて欲しい

つか、広告業メーカー製造業だと専門職でもバリバリExcelとか使うやで

独自マクロライブラリまであったりするし、なぜかExcelOracleやBIツールに取り込んで〜みたいなこともしたりする

(そんな運用にするなよ・・・とは思うが、その運用を変えられる自信あるなら、該当企業に乗り込んで変えてみてどうぞ)

 

ちな、元増田の下記について触れるなら、YESだね

これってうちが採用してる大卒レベルが低いだけで、大企業新人だったらそんなことは当たり前にできるもんなんだろうか。

 

大学、ましてや名前がある程度知られている大学卒業をしておいて、高卒でも問題ない会社入社したり、高卒でも問題ないポジションにいるヤツは、すべてポンコツと見做して良い

でも、自分自身能力で余力のある場所いるから強いだけで、そうじゃないところへ行ったら自分ポンコツ側の人間になると思うので、他人には優しくね?

そういう気分にはなれねぇなぁ・・・なら、とりあえず金稼ぐと良い、死ぬほどどうでも良くなる

やはり金・・・!!金は全てを解決する・・・!!

https://anond.hatelabo.jp/20240423172913#

女性ばかりの職場が最高だった

増田31独身女性。4年前に今の会社転職した。

増田所属する事業部は8年前にスタートした新規事業部。約50名が所属

会社本業は他にある。

本業は男女比率6:4くらいだが新規事業部は1:9で女性が圧倒的に多い。役職者も1人を除いて全員女性

増田上司女性

男女比7:3だった前職や他と比較して、女性ばかりの職場の良いところを挙げていく。

仕事性差がない

前職では高いところの物を取る、荷物を運ぶ、というような仕事男性がやることになっていた。そして書類の整理とか電話対応飲み会の店決め、事務用品発注女性。とくに雑務に関しては明らかに男女で役割があった。増田はそれが結構嫌だった。

今の職場は小柄な女性でも高いところは脚立を使って自分で取ってるし(近くに男性がいても)、重い荷物台車を使うか女性数人で協力して運んでいる。

増田は171cmあってスポーツもやっているので小柄な細身の男性と比べたら肉体的に出来ることはそう変わらない。

それなのに前職では男女で仕事が異なることに違和感を覚えていたので、今は過ごしやすい。

セクハラパワハラがない

前職でもあからさまなセクハラは無かったが「女の人としてどう思う?」とか「こういうのは女の人の方が得意だから」とか言われるのが地味に嫌だった。別に女性代表してるわけじゃないしと毎回思っていた。

また、声を荒げる人がいない。前の上司男性で縦にも横にも大きく、本人も自覚なく大声で話したり注意するので毎回ドキリとした。今はそういうのは全く無い。

時間に厳しい

上司、同僚たちが介護育児やらで忙しいので、始業ギリ出勤、終業時間になった瞬間に帰宅するのが普通

終業5分前からみんなトイレを済ませ、通勤用の靴に履き替えて、鞄を足元に置いてスタンバイしている。増田入社当初、始業20分前には席に着いていた「早く来るな」という同調圧力に屈した。もちろん嬉しい。

前職は始業ギリに出勤なんてあり得なかった。

意見が言いやす

みんながみんなプライベート優先なので喫煙室飲み会ゴルフで話が決まるようなことが全く無い。(そもそも飲み会がない)

手順に従って意見を言って、妥当性があれば採用される。社内政治に腐心する必要がない。

以前の会社仕事以外のことでも上司評価が変わるので、気を遣う時間が長くて結構疲れていた。

有給MAXで使える

付与される有給25日、毎年全部使える。使っていないと周囲から使うように促される。増田は2週間休んで海外に行ったりしている。

上司によると、「育児介護している人だけが有給フレックスを使うから不公平感が生まれる。全員同じくらい休めばそのようなことはなくなる。」とのこと。残業もほぼない。毎月平均して3時間くらい。

総務部の友人によると、有給MAXで使ってるのは増田所属事業部くらいだという。

⑥嫌なやつがいない

上記のように余裕がある職場なのでみんな大らか。少しいる男性社員もこの雰囲気に馴染めるタイプの人なので柔和だし接しやすい。

たまに変な人(悪口を吹聴する人、上司に過剰な媚を売る人)も異動して来るが、そのうちに毒気を抜かれて馴染むか、半年くらいで他の事業部に行く。本業事業部にはギラギラした人がたくさんいる。

キャリア不安がなくなった

前職は日本型企業だったので、どんなに有能な人でも女性であれば課長まりだった。

今は部長も他の役職者も女性ばかりだし、自分も真面目にやっていけばキャリアを築けるんだと安心出来る。

転職前は女性ばかりだと陰湿だったりするのか?とか少し思っていたが杞憂だった。

上司によると、立ち上げ時は全員女性本業ではお荷物とされる時短社員や育休明けの社員が少なくなかったらしい。

そういう人達と、フルタイム勤務の独身人達が公平に働けるように色々調整したら今の形になったという。

書いていて思ったけど、今の社会では育児介護女性偏重しているから、女性だけで仕事を回すには今の事業部のような形にせざるを得ないんだよなぁ。

プライベート仕事に捧げ、育児介護も妻に丸投げできるような人ばかりが出世していったら、なかなかこんなふうにはならないと思う。

男性にも子供はいるし、親の介護がある人もいるし、それこそ体が弱い人だっているのにね。

増田独身で何のしがらみもないけど、今の働き方は本当に良い。 

いつ戦線離脱する人がいても良いように常にバッファがあるので、産休介護休職に入る人がいてもそんなに仕事が増えた感じはしない。

あと、体の不調を同僚や上司相談やすいのも良い。おかげで仕事の調整をしてもらいやすいし健康的に働けている。

 

給料31歳で役職なし、残業ほぼなしで年収550万くらいだから給料も悪くないと思う。

事業部好調特別賞与が出てるのも理由だけど。

とにかく、転職して良かった!

女性ばかりの職場最高!

anond:20240430153631

いやいやホントなんだって。俺その時代入社前で見てないか取締役記憶が美化されてる可能性もあるが、2000年代半ばくらいの時はマジでめっちゃ満員だったらしい。

それがどうもすごい良い記憶になってるみたいでさ、困ってんのよ。

東京区議政治家名前を書けるだけ書けという入社試験にすれば昔から東京在住の人だけを高得点に出来るでしょう

2024-04-30

家賃補助に期限があるらしい

会社制度家賃補助があるが、期限があるらしい

支給期間は入社から◯年って感じだ

こんな会社が多いと思わないか身バレを防ぐため一応年数は伏せる

 

家賃補助が消えれば、年収にして数十万が減るわけだが、悪質だなとしか思えない

普通に会社をやめるきっかけになるだけなのに、それがわからないのだろうか?

新人だけいれば良く、ベテランはいらない方針なんだろうか?

もしそうなら良い設定だとは思うが

それとも、◯年もやめずに努めてるなら、年収が数十万減る程度じゃやめないだろうと思ってるのだろうか?

 

年齢的にも30歳を過ぎると転職ハードルが上がるからそれを加味してるのかもしれない

しかし、最近はどんどん転職が増えてる時代

普通に転職できるだろう

 

とりあえず、◯年までに転職先を見つけろってことなんだろうなと受け取っておく

anond:20240430084612

30年前の氷河期大企業大卒で入ったんだが高卒も一緒に採用していたよ。

大企業高卒で入る奴は地方商業高校を優秀な成績で卒業した女子が多くて、既に簿記3級くらいなら当たり前に持っており、みんな大卒顔負けの有能ぶりだった。

あの時代地方だと女子大学やる余裕がない家があって、そんな家の子は当たり前に商業高校から大企業就職していた。

入社した最初上司自分より年下の高卒3年目の女性で既に主任やっていた。めちゃめちゃ仕事ができる人でたくさん学びがあった。

俺がポンコツ大卒なだけなんだが(それでもMARCH卒だが)

いまはそういう子たちも大学に行くのだろうか。

anond:20240430113720

就活イベントコンパニオン雇ってる会社なんてホントにあるの?

人事部関係なくても数年前に入社した先輩として他部署若い社員を出すのが普通では?

俺もそれで休日出勤させられたことある

anond:20240430115232

入社3カ月は研修も兼ねて会社全体の業務を知る意味も兼ねて

人事部預かりで

採用業務に協力してもらえばいいだろ

ウチはそうしてる

人事部は上手いこと一番かわいい子を持っていく

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