はてなキーワード: 生来とは
面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ
皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまいますよね。
社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、
みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。
例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。
差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。
差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます。
現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象的概念に深く依存しています。人間は単なる物理的存在ではなく、意識と自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵の価値として社会の基本的な原則に組み込まれています。これを理解することは、知的な思考能力を持つ者にとって、社会の健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準を形成する上で不可欠な要素です。
社会の制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間が平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています。差別はこの尊厳を無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象的概念を理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的な能力を示しています。
抽象的思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会的概念を理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルールや規範を認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的な成熟度が欠如している場合、その人物が社会で適切に振る舞うための教育的支援が必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。
知的なものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識や学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的に社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。
差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会の生産性や創造性は低下し、全体の発展が阻害されます。さらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的な成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります。
抽象的思考に基づく社会的判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会的責任でもあります。社会における公正と平等の原則を理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。
差別は社会秩序と個人の尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平と不利益は社会全体の成長を妨げる結果を招きます。知的なものへの憧れを持つこと自体に問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別的行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています。
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関連増田:https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#
この2つはすごく共感できる
>別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。
>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。
>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。
>ひとつの理由は合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。
>もうひとつの理由は抽象的思考だ。どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきというフィクションに現行社会制度が立脚しているのを理解しているから。
そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものをバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。
共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな
ここが YES になっちゃうようなら、ペットと共生なんて出来ないし、人間に限定しても道徳も社会規範も刑法も要らないんだなぁ
○○をしたら自分が社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物の社会化に成功したと言える
動物にだって理解させることが出来るんだから人間が理解できないわけないじゃない
これを理解させることがすべて保護者の義務だし(なのでメンヘラや開き直りDQNは保護者として不適格なことが多い)、
フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃんと認識をしていて
『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ
CU特性
あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場の人間の尊厳も尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない
アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、
福沢諭吉の大学の出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?
あとアカデミアの人間なのに自身のバックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、
それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外の学会で同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?
こういう人たちは一刀両断でバカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います
ただただひたすらにバカなだけで
こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな
自他の境界を引くコツって、自他の境界がデロッデロに溶けるほど不健全な関係の友達を1人作っとくことなのかなーと思い始めている。
おそらく私は生来自他の境界が曖昧な人間なんだけど、1人ニコイチ的な人を作れたおかげでそれ以外には被害を広げずにいられてる……と、思う。
今回は不健全な関係のニコイチをつくってみて自他の境界が改善したってことを書いてみたい。文章が子供っぽいんだけどメンゴ。
元々、他人に嫌われることは元々そんなに気にしてなかった。でもニコイチを作ってもっと気にしなくなった。
他人の気持ちが私に分かるわけない。逆も然り。合う人と合う範疇においてだけ楽しくお付き合いできればいいやって思えてる。
相手に嫌われたとしても、私は私の人生を続けていく。そりゃ好きだった子にTwitterでリムられたり、LINEを消されたりしたら悲しい、めっちゃ悲しい!!! ただそれも含めてご縁なんだろうなって、2日後くらいにはどうにか心に折り合い付けられてる。
それから、私は困っている相手を無闇に助けようとしちゃう傾向があった。そして途中で「何こいつうっっっざ!!」となって放棄しちゃう。そういう経験を3回くらい経て、最後まで責任持てない援助は始めないことにしようとやっと学んだ。
私に支援なんて向いていなかった。
コンビニのお釣りの端数を募金箱に入れたり、景品目当てで献血をして、これで救われる人がもしかしたらいるかもーって妄想し、それでちょっと気持ちよくなって終わる。この程度がウィンウィン、丁度いいってやつだと気づけた。
あとは、自他の境界以前に自分の境界がどこに引かれてるのかも結構知れた。相手との関わり云々にかかわらず絶対的に許容できない領域というか。ニコイチにやられて嫌だと思うなら、たぶんそれは自分が絶対的に嫌なことなんだろうから。
で、相手に嫌なことをされた時に取れる行動って、縁を切る or 主張する しかない。
私は基本縁を切って解決しちゃう人なんだけど、ニコイチと縁を切るって有り得ないから主張することになるじゃん。「ここ領域侵犯なのでどかしてくれー」って。それを伝えるためにはどこが気に障ったのか明示しないといけないし、自分なりの理由も添えとくべきかなってなって考える。
内容は「私の前で他の友達の話しないでー」みたいな感じで不健全極まりないからこのぐらいにしとくけど、これまでふんわり「なんか領域侵犯された! なんかやだ!」で縁を切っちゃってた私からすると、自分の限界と真面目に向き合う機会を得られたのもニコイチを作ったおかげだと思う。
俺は生来汗っかきで、常に脇の下が湿ってると言って過言じゃない。
この湿りをデメリットではなくメリットに思いたい。そうした着想から生まれたのが、脇の下をきのこの菌床にするということだった。
最初は半信半疑、上手くいくかどうか不安だったのだが、ある日起きると違和感が。
そこで脇の下を確かめてみると…生えていた。
ぶなしめじひとつのような小ぶりなきのこがちょこんと生えていたのだ。
それからはトントン拍子に栽培は進み、今では毎日安定した量が収穫できるまでになってきた。
なので最近は朝食のお味噌汁に入れたり、毎日のお弁当に用いたりとでとにかく重宝している。
そんな折、同僚の女性が「増田さんのお弁当って、いつも手作りなんですか?」と聞いてきた。
俺は驚きながらも「え、ええ、そうですね」と答えると「じゃあそのきのこの天ぷらも?」と続けて聞いてくるわけだ。
そうですよと頷くと「すごく美味しそう!あの、ちょっともらっても良いですか?」と彼女が言うので少しあげると「…美味しい!」というので嬉しいやら恥ずかしいやら、なんとも複雑な心境だった。
このきのこって、どこで買ってるんですか?と言うのでとりあえず近場のスーパーの名前をあげると「そこなら…あまり遠くないので、今度帰りにでも一緒に行きませんか?」なんて誘われてしまった。
Cyberpunk2077の世界では、日本の大企業が世界を牛耳っている
高度経済成長期の後に日本が衰退せずそのまま伸び続けたという世界観だ
様々な大企業が倫理よりも経済を優先しディストピアを築く中で、中でも一番の悪はアラサカという日本企業だ
世界観を共有したオリジナルアニメ、サイバーパンクエッジランナーズはNetflixで大ヒットした
よく言われる「ネトフリの一挙配信作品は日本では盛り上がらない」という風評を覆し、数多のグッズが発売され、キャラ人気は本編よりも出た
2077は洋ゲーだがわりと日本人受けする可愛らしい女性キャラが多かったのだが、アニメはよりキャッチーだった
経済ディストピアなので救急車は事前に契約結んでいる金持ちしか運搬せず、主人公の母親は冒頭で事故に遭うが助けられず死ぬ
救急隊員をしていた母親は、家では優しい顔を見せる一方で、実は職場では死者から密かに羅生門することで息子を女手一つで養っていた
この世界では生身の肉体の一部を機械と置き換えることで強化したりオシャレするのが当たり前で、母は死者の肉体から機械も剥ぎ取っていた
死んでしまったため闇市で売りそこねた品の中には、軍人が使う用の強力な機械もあり、主人公はそれを身に着けて闇バイトで成り上がっていく
闇バイトで稼いでは新しい機械を買い、どんどん生来の肉体を失っていき、最後には人間性も失っていくが、それでも全身に大企業アラサカの高級機械をつけた傭兵には勝てずに惨死する
すごく暗い話だ
でも人気が出たのは、闇バイト隆盛のこの薄暗い世の中で、生まれは悪いが這い上がろうとした主人公に共感できるところが大きかったのだろう
イベントなどでは主人公とヒロイン二人が笑顔でいるキービジュなどがよく描き下ろされるが、2/3が体ぐちゃぐちゃになって死んでるので切なくなる
王様ランキングの作者は漫画家を目指すも何度も挫折し、40代になってから始めたweb連載でヒットして売れっ子になった
しかし家族が早くに死んで天涯孤独なことやブラック企業経験、また生来のものもあるかもしれないが、非常にネガティブで愚痴が多かった
そんな彼はやがて炎上する
王様ランキング内での民族対立描写が「朝鮮人への風刺」とされたからだ
作中に登場する貧乏国は、豊かな魔法国に支援されて窮状を脱した
しかし、魔法国が神国と戦争して負けると、貧乏国は神国の味方になり、「我々はずっと魔法国に搾取され虐げられていた」と言い出した
「貧乏国は韓国で、魔法国は日本」そう主張する人が右にも左にも多く出た
作者は韓国叩きの格好の材料を与えてくれる存在として右翼の神輿にされ、またネトウヨだと左翼から叩かれた
アニメの実況も「これ韓国じゃんwww」「かの国じゃんwww」と盛り上がっていた
作者は実在の国は関係なくフィクションだと何度も主張したが、「これ韓国www」も「作者はネトウヨ!」も止まらなかった
貧乏国の風景が昔の韓国の風景と似てたり、実際に類似は多く感じたが真実はわからん
作者の載せている部屋の写真が汚いことを理由に精神病認定、性的なニュアンスはないが子供が多く登場することで小児性愛者認定もあった
病んで連載は2021年で止まり、作者はとうとう中傷者の一人である女性を訴えた
訴訟中でも他の人による中傷は止まらず、またネットに強い有名弁護士を雇ったが弁護士とも対立していくようになった
中傷書き込みをできるだけ見たくなかったのに、証拠集めや反論文書などに目を通さなければいけず、ますます病んでいく
一人だけが叩いているのではなく、集団で悪口言って盛り上がっているので、書き込みを読みながら泣いていたという
相手女性は「いいねですら3件しかつかずRTは0なので作者の名誉は低下していない」と反論
だが、弁護士に依頼して証拠提出した段階では確かに3件だったが、開示請求して削除される寸前の時にはもっといいねが多かったしRTもあった
作者は「相手女性が嘘をついている」としていいね数の多いスクショを更に証拠として提出したがったが、
弁護士は「次回期日も迫っており、主張立証はすでにし尽くしているので更に証拠提出する必要はない」と返答
相手女性は泡沫アカウントなので、いいねやRTが多少増えたところで影響がないと弁護士は判断したようだが、作者は納得がいかない
メールで言い合いを続けた末に、弁護士は「信頼関係が損なわれた」として代理人から降りた
他の弁護士に変わり、出したがっていたいいねが多い証拠スクショも提出
結局最初の弁護士から通算して2年かけたのに、200万円の請求に対しわずかな額の支払い命令しか出なかった
途中で相手女性は50万円での和解を求めてきたが、それで折れたほうがまだマシなぐらいに安かった
最初の弁護士がダメなせいだったのではと作者は途中から女性よりも弁護士の方に怒り、
車→車3台乗り継ぎ。総額900万ほど。2台目の車はエアロ付けたりで数十万余計に金かけたけど、これからは最低限の維持費しかかけるつもりはない。車がないとできない経験多数で概ね満足。
バイク→免許と合わせて50万ほど。所有してたとき体調がイマイチで殆ど乗らず。セル無かったのも一因だと思う。暑い、寒い、濡れるという当たり前のことが許容できず。年とったらリターンライダーやろうかと思ったがシンプルに危ないしもう乗らないかも。完全に無駄遣い。
自転車→これも体調イマイチであんまり乗らず。ランニング飽きたらまた乗りたいと思う。
服→200万くらい?ギャルソン、ヨージとか買ってた。車買ってからあまり興味なくなりフェードアウト。若い時に着たいもの着といて良かったとは思う。今は無印とモンベルがあれば十分。
カメラ→総額75万ほど。今のマウントはX。普段カメラ持ち出すことはあまりなくてほぼ山専用。次はGRとかでいいかな。
旅行→季節ごとに行ってるが、行きたいところは大体行った。これからは行きたい宿とか目的地一つだけ決めてのんびりする方向にしたい。これからが本当の意味で旅行を楽しめるかも。
ダム→カード集めてたが日帰りで行けるところは大体貰った。カードがドライブに行く理由になって近くでピザ食べたり、一生来ることなかっただろうなってところに行けたのはいい経験だった。
筋トレ→病気になって腹圧上がるようなことするなと言われてやめた。腹筋バキバキの写真撮っといて良かった。
ランニング→月間100キロ程度のファンランナー。走ってると気持ちよくてこれからも続けたい。
見た目が明らかにマイナスならそこにこだわり続けないで趣味とかステータスとか面白さに振らないと
女性の疑いがかけられているがこれがもし女性なら見た目の清潔感は120%に整えた上でステータスじゃなくて人間的魅力を磨きまくってお祈りしかないんだよな…と思ったり
最近は自称非モテ弱者男性の嫌がらせじみた言動の数々のとばっちりで非モテが苛烈に叩かれる風潮があるけど本来は恋愛弱者自体への好感度は恋愛ステータスでジャッジするような人間以外には無関係なのであまり気にするべきではない
女性だと拗らせて攻撃的だったり距離感を間違えたり言動がおかしかったりする男性に迷惑をかけられた経験がある人も多いのでなおさら恋愛できないことを人格や人間性の問題に結びつけて批判してしまいがちだがそういうのは迷惑をかける人に向けているのであって他にモテない原因がある人は別問題だと開き直らないと
逆に明らかに顔に原因があるとわかっているのにまだ清潔感とか言っているところ(清潔感は顔じゃないって散々言われてるよね)が自分は見た目において大きく人よりマイナスなのだという自覚が足りず、目の前の女性じゃなくてネットの言動を見ているような認識のズレがあるように感じる
見た目でのモテなんて生来持って生まれた人間以外は逆立ちしても手に入らないのだから欲しがってしまっているのだとしたらそれが間違いの始まりと思う
SNSやり過ぎなだけ。
地頭が悪い上に努力もしてきていないのに、余計な知識だけを切り取った"意見"を持って、自分が正しいと勘違いしたバカが増えているだけ。
自意識過剰なだけ。
プライドを捨てろ。
SNSを辞めろ。
目の前に集中せよ。
たとえば、クソみたいな上司10選!だとか、○○というブラック企業が~とか、パワハラ上司辞めさせたった!w
別にそれを読んだ人間が直接的に被害を受けていないにも関わらず
架空の、悪い上司を空想上でやっつける。超気持ちいい。追放物もそう。99.9%は当人に課題があるのに。
ハマりにハマると、現実においても上司も実は悪いことをしているのでは?という妄想に憑りつかれる。
(架空の悪い夫をやっつけるのも同様。勝手に妄想で自滅していくSNS中毒系専業主婦)
最近では分かりやすい"悪"が現実世界では目につかなくなった。
(※減ったかどうかは知らないが、同数だとしても巧妙に隠れてやっている可能性はあるだろう)
でも人間の、そういう上の人間や金持ちの人間をぶっ叩きたい生来の素質みたいなものが、ここ数百年で無くなったわけじゃない。
だからこそ、そうした醜い欲求を、有料の陰口文章で満たさざるを得なくなる。
上司は悪いものだ、社長は悪いものだ、社会は悪いものだ、政治家は悪いものだ、金持ちは悪いものだ。
世間がそう見ているのだな、と認知すると、そのポジションにはなりたくないと思ってしまう。
実際はそうでもない。ただ自分の素質と選び取った環境が悪いだけ。
特に新卒一括採用で定年まで、みたいなメンタルで挑んで失敗すると、人生終わった感が強くなるし
自分は社会不適合者なのか、と自分を責めることになるか、燃え尽き症候群に陥るか。
もう少し、3回くらいまではガチャしとくか!くらいのメンタルで挑むのが吉。
で、SNSは見ない。誰がいくらもらってるだとか、何時に上がってるだとか、お前に関係ねえだろが。
それを原動力に仕事を頑張る、資格を取る、そういう方向に変えられるのならいいが、ほとんどの人間にとってはストレスにしかならない。
で、そうなってしまった、認知の歪んでしまった人間は組織において何に対しても協力的になれない。
上の人間にも協力的ではないし、周囲にも足を引っ張るよう扇動する。
で、何でおれは評価されないんだと、喚き散らすか、追放物で溜飲を下げる。
自分は悪くない、評価してくれない業界が、会社が、上司が悪い。
自分が活躍できない社会が悪い、制度が悪い、政治が悪い、国が悪い。
自分が産まれてきてしまった国が悪い、親が悪い、時代が悪い、地域が悪い。
日本に生まれてきただけでもまず1/10くらいの賭けには勝っているというのに。
まともな職場というものはもう、一部上場の中の本当に上澄みしか残らないだろう。
あるいは、まともな既得権益を確保できていて人格の良い後継者がいる非上場企業か。
これからの求職者は大変だね。自分たちで自分たちの居場所を狭めていっているんだから。
そうなったらどうなるか分かるでしょ。まともなポジションは身内で固めてアウトソーシング♪
今すぐにSNSを辞めろ。
はてな?はてなはいいよ、ぜんぶ架空の話だって前提をみんなきちんとわきまえているだろうからね。
SNSが悪くなったのは、"日常"を切り取って身内で共有するだけのものだったのが、広告や企業が入り込み過ぎて"架空"になってしまったこと。
それは元々、オールドメディアが担っていたはずのことで、みんな同じようなおとぎ話を信じられていたのに、
たくさんの"架空"を隣にある"日常"として捉えられてしまうことに問題がある。
SNSに浸るということは、24/7をハレに変えてしまうこと。
ケがあるから、ハレを楽しむことが出来るのに。
日常がすべて非日常になってしまったら、日常が色褪せて輝きを失うことは道理。
信じるおとぎ話は一つでいい。
治ったと思っても、今度こそあんなに苦しい思いしないさせないと思っても、再発するから。
もう脳の不可逆的な癖なんだろうな。いくら認知行動療法とかやって考え方を改めたってあの特有の頭のもやが突然やってくるんだ。本当に突然。
軽い軽いストレスでもすぐに脳はもとの癖に直ろうとしやがるから、必死に、いろんなものを失わないように押しとどめなくちゃいけないの、それがずっと続くと思うと眩暈がする。押しとどめるための気力だって病前ほどには戻らないから、押しとどめきれなくて動けなくなってしまうときがある。こんなのが一生?勘弁してくれ。
増田がうつになったのはよくある話で、新卒で配属された部署が合わなかったのと、生来の強すぎる自責思考(まあこれは来歴とかいろんな要因があると思うから詳しくは書かない)が最低の絡み合い方をして、どんどん自分を追い詰めていった結果なんだろうなと自分では思ってる。悪化は緩やかだったけど、重症のときは会社から飛ぼうとした(迷惑)。本当に希死念慮に押しつぶされると他のこと何も考えられなくなるからな。理由もなく急に来るんだよ、便意と同じだ。
幸い、今は毎日泣いて早退するような状態でもぼくの意思を尊重して会社に居場所を作り続けてもらえたから、一進一退だけどなんとか勤め続けられているけど、ずっと頭にもやがかかりつづけてずっと悲しいんだ。こんなに恵まれた環境で自分のやりたい仕事をやらせてもらえてるのに、喜びも楽しみも病前に比べればほとんど感じられないし、頭だってまったく働かない。こんなはずじゃないのに。もっとできるはずなのに。感情も不安定だから、不調な時に無理な業務をすると涙が止まらなくなる。それでもなんとか手は動かすけど、成果物なんて人に見せられないほどひどいことがほとんどで、またダメだったが積み重なっていく。上司が手を止めて話を聞いてくれるのも申し訳ないから、自分でコントロールしたいのにコントロールする気力すら残されてない。どうにかして抜け出したいのに、全然治らない。治ったと思っても、いとも簡単に再発する。増田は一回目のときにもう大丈夫だと思って自己判断で通院を辞めて、より重症化した形で再発したからうつの再発率の高さに関する研究の信憑性は高いと思ってる。
頭の良かった病前の自分に戻りたい。ずっと動いてる自分に戻りたい。意欲や喜びを感じられる自分に戻りたい。感情の安定した自分に戻りたい。体力のある自分に戻りたい。頭の靄を取っ払いたい。
いくら望んだって戻れない。うつ病が完治じゃなくて寛解だって言われるのもこういうことなんだろうな、と最近は思う。治ったって思ったって、最大HPもMPも減ったままだし、引き金があればまた真っ逆さまだ。
希死念慮は死にたいな~くらいのものじゃなくて、急き立てられるように死ななきゃいけないって観念から逃れられなくて、いてもたってもいられなくなっちまうんだよ。そこに理由はない、というか理由なんてなんでもいいんだよ。上で便意みてえな希死念慮って書いたが、便意を覚えたときにああ肉を食ったからか、じゃあ肉を食わないようにすれば間隔を伸ばせるかなとかそんなこと考えないだろ、それと似たようなもんだと思えばいい。生死を左右する行動観念が理由なくやってくるってのはなかなか恐ろしいぞ。
うつ病で失ったものも戻ってこない。増田は幸い周りに本当に恵まれて仕事は失わずにいられているけど、精神病者の枷から逃れられる日は来ない。
調子が良くなったと思ったって病前と同じくらい元気になれたと思えた日なんて一度もない。ずっと心のどこかが悲しいんだ。
自分はなるわけないと思ってるやつ、それでいい。その性格でいい。ただ、一度でも病識を得てその恐ろしさ、避け方を覚えておけ。なるわけないと思われてた人がうつ病になって地位を失った例なんていくらでもある。
なるかもしれないと思ってるやつ、全力で回避しろ。うつ病は不可逆な病気で一度かかったら普段の落ち込みなんて比にならない、まさに"精神病"としか形容できない日々が待っている。大切な人にも心配&迷惑をかけることになるぞ。
なりたいと思ってるやつ。やめとけ。お前が想像するようなメンヘラちゃんじゃない。精神病の世界に足を踏み入れるな。本音ではそんな奴にはなってみろよ、って言いたいところだが人類みんな幸せがいいからな、言わないよ。みんな笑顔で生きようぜ。
まだまだうつ病界隈ではひよっこだから、この後に何が待ってるかなんてわからんけど、界隈を見てると10年、20年なんて人間もいるから基本的には完治しねえんだろうな。
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厚生労働省はセルフケア……メンタルの自己回復を図ること、を大々的に推してる。
そのくせチュートリアルさえ提供せず、子どもたちの自助に任せっきりなのは…、怠慢でしょ。
メイクはセルフケアや恋愛スキルだったり、ときに武装の意味も持つ。
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男社会が女にメイク圧力を掛けてくるのは事実だし、それは許す気はない。
でも、女性が自らの意思でお化粧をして、まさしく武装なり、セルフケアをするのは自由だ。
だけど男子児童は一切興味を持たなかった。私がフェミニズムを学ぶ前の、だいぶ前の話。
当時は、男の子ってそんなもんかなぁ、と思っていたけど。
でも今では、実は男女の脳は、CTスキャンの精度で物理的に全く同じことを知った。
女性の文化を見下して「くだらない」とみなす社会の歪みは、素直で敏感な子どもたちに伝わってしまってる。
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今まで、女性にとっての地獄の時代が続いてきたことのバックラッシュに過ぎないと思う。
コメントにも同様の意見があるけど、少なくとも私はこれを支持する立場。
だけど見方を変えると、男の人の不幸率と自殺率は相変わらず相対的に低いままで、この数字だけをみると辛いのは男性、であるかのように見える、そうです、不思議ですよね。
今まで男性たちはケア役割を女性に押し付けてきた。女たちをまるでケアを与える道具のように2級の存在として扱って、人間扱いしてこなかったわけね(今でもVtuberに癒しを求めておいて、感謝する代わりにイラストサイトでは彼女らを好きに脱がしてたりする。ひどい)。
でも女に気を許されるほど理解のある男性は少ない。都合良く利用されるとリアルの人間は怒ります。叱られた結果、多くは女を、清潔感やメイクなどの女性文化ごと見下して、遠ざけてきた。
話すたびビックリされるんだけど、基礎的なスキンケアさえ頑なにやらない男の人は驚くほど多いの。
——そうしてるうちに、男性のセルフケア能力は退化していった、これは統計で証明されてる事実。
お化粧にはセルフケアの効能があって、女子会には傷を舐め合う意義があるのにね。
ケアの価値を軽んじて女の仕事としてまとめて捨て去ったのを今更後悔しても、もう遅い。
暗がりでの女性主義への反発を最近も見たけど、もはや人間扱いが何を意味してるのかさえも分からないようだった。ネットの片隅でお互いを罵りながら陰口を言い合う様子は、外から見るとイビルにしか見えない、そして孤立は加速する…………、そんな悪循環があると思う。
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不幸率以前に、まずスキンケアね
男性は生まれつきセルフケア能力が低いとか言うけれど、男女の脳に性差はないって証明されてるんですよ。
お化粧どころか一番基本的なスキンケアさえしないのに、不幸率が高いって。
違うでしょ。
甘え率が高いんでしょ。
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「男は生きづらいです。でも男らしさは捨てません」
頑なに男らしさを捨てようとしないのな。
男が生きづらいって主張して、それが認められているのに。
モテなくていいんだよ、って男にアドバイスしたら顔真っ赤にしてキレられて、
あーーー問題解決を目指してるわけじゃないんだー、って思った。
モテに執着するなら確率的に一定数モテない不幸な人が生まれるのは当然の論理的帰結だと思うけど。
「男って不幸なの」
…あらら? ? 男らしさと縁を切った? セルフケア効果があるメイクはしてる?
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悪いけどそれ、個人的には間違ってると思ってる。「メイクや男性同士での傷舐めなども含めたセルフケア全般ができない」のが丸ごと、生まれつきセルフケア能力が低い男性の特性なんだよ。
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男は薄っすら嫌われる、女は薄っすら好かれる、というネットミームがあります。
広く受け入れられている格言ですがしかし、事実ではありません。
男は薄っすら嫌われるんじゃなく、好かれるようなことをしてこなかったのでしょう。
好かれる努力をしないのに
「薄っすら嫌われる」
「男は不幸率が高い」「男だって生きづらい」
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だってセルフケアの方法教えるつってんのに、メイクにまるで関心持たずに
なんだもの。
むしろ、弱者男性の生きづらさをもっと語ってほしい、それのほうが生産的かな。
弱者男性が差別されてるというけど、具体的にどうして欲しいのか。
弱者男性問題への解像度を増すために声を上げてほしい、耳を貸すから。
だから、代わりに信頼してほしい。
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私は一応フェミニストの端くれ。
先生方には及ぶべくもないけどフェミニズムを思想として活動してるアカウントです。
専門外だけど、弱者男性の救済になるように動いたことがあります。
男性は統計的に※ ケア能力が低いことが知られていて、にも関わらず一部の男性は女性文化を見下してます。
女性のやってるような女々しい事をやってられるか、とばかりに拒絶するんです。
それでいて「男の不幸率は高い」とおっしゃる。
だけど弱者男性になんとかセルフケアとしてのメイクを勧めようと働きかけました。
男性のミソジニーが悔しかったのが大きいけど、頑なに不幸から抜けようとしない人たちがもどかしくて。
それを聞かせてくれよ
※ 男女の脳には違いがないと証明されてるようですが。
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メイクしないのが不平等の可能性は? 私の周りを見る限り、女の文化を見下してメイクどころか基礎的なスキンケアさえ頑なにやろうとしない男性って結構いるから。そのくせ、ムダ毛処理せずにショートパンツ履いて外出して男女平等とか言ってたり、セルフケアの効果があるメイクをしないのに男の不幸率が高いとか喚いたりしてね。他愛がなくて愛想が尽きちゃうよ。女の努力ナメてる男の人が多すぎだと思ってる。
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同意。
ってか本当のところはもっと酷いでしょうね。
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逆逆逆ゥ!
でも誰もしない。
心の交流が描かれるマンガはクッソいいのに、幼少期から男は読まない。
男は論理、女は共感なんて言ってる人いるけど、それシンプルに男が感情面を無視してるだけですから。
不幸率とかセルフケア能力の低さとかの統計って、女性差別の証拠なんですよ。
アンチフェミだかなんだか知らないけど、男性の生きづらさを訴えてる人って結構いるけどさ。
聞くたびに思う、男の人って女性差別しておいて自業自得で不幸になってるだけだよね? って。
「女を踏んでる足が痛い」と嘆いてるようにしか聞こえない。
折に触れて、出産予定月をまたいだほどの生来の出不精からすると少し気が触れて、旅行することもある。するとその土地にはその土地のジジイがおり、ガキがおり、折々の少年時代があるんだと感じる。商店街通ったり、ローカルの電車に乗ったりしてるとね。
するとここで自分が過ごしてたら、とか、ここの方言使うことになるんだろうか[1]とか思ったりする。でもすっとそれを止めて景色を見たりする。いつからこんなにあきらめよくなったっけ。
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少年時代、というよりアカチャンマークツーくらいの時代、小学一年生上がりたての時に、道徳だか国語だかで冊子をもらった。教科書でもなくプリントでもなくワザワザ冊子なので夏休みの宿題だったのかも。家で読んでひっそり大泣きした記憶がある。
たくさんの動物に囲まれた白人のガキが表紙にあしらわれたクソ冊子。読んでいくと相棒の犬と仲良くなっていく様子、今生の別れ、葛藤、他のペットを飼えるようになって優勝みたいな流れだった。
ガキからするとそんな本邦における精神の発達過程のネタバレとかどうでもよくて、なぜゴールデンレトリーバーは死ななくてはならないのか、根本的に死んでしまった問題は解決されていないのでは、と飲み込めず泣き出し、親にまで提訴した。冊子を読んだ日は当時飼い始めたゴールデンレトリバーを抱きしめて寝た。
で、「諦め」っていうのが抵抗できない大いなる力、自然だの物理だのへの唯一の対策だと覚えたんだ。俺の犬は奇しくも高校の夏休み前最後の登校日に死んで、一日泣いて、諦めた。ここ進研ゼミでやったやつだと思ったけどそれからペットは飼わなかったし、黄色人種なので冊子の表紙みたいにはならなかった。
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だから自分の環境がこうだったらなーみたいなどうしようもない憧れは小学生の体感する夏休みより早く終わる。
[1]自閉症傾向が強かったり、発達がユニークだったりすると共通語のTVや共通語文書から言葉を学ぶので方言は身に付きにくいらしい
「政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル。
ちゃんと学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディングの戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。
つまり、小池が「親しみやすい雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。
そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家は自分のキャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。
逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的に演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来の性格そのもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。
政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。
ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分のキャラを演出していくようになるでしょ?
あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画の主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。
「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。
人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事なことなんだよ。
いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。
クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?
ああいうのって要するに自分の趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分のブランドを変えていってるわけよね。
そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?
自分のスタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。
「スタンスに押し込めて他人を単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画やドラマの主人公の定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。
部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。
そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。
前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分で自分にレッテルを貼っていくわけよ。
「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。
学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドルや政治家になると全然変わるわけよ。
悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?
まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。
石丸は「ロジカルな分析に対して誠実であろうとした結果、現代に蔓延る政治屋やマスゴミをシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?
今は割とロジカルキャラが人気の時代だから結構皆似通ってるけど「理論が大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。
こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。
まあ石丸の場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。
そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家は結構いるわけです。
つまり、蓮舫・小池が私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。
今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。
まあ元増田は最初から「小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸も蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。
石丸も蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います。
まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。
今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います。
どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。
そこが理解できてなかった人、貴方の人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?
貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的な立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。