はてなキーワード: クール・ジャパンとは
言いたいこと:「少女小説をラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。
いま、ライトノベルのオールタイムベストを選出する作業が進められている。
ラノベが社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価軸である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評の存在が必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。
あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベの歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。
ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまうものだ。ラノベ150選も例外ではない。
その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。
これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独のガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。
合理的な判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである。
増田は、ライトノベルや少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史そのものについてはともかく、ライトノベルと少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。
今のままでは企画者氏があまりに不憫なので、これについて簡単に解説しておこうと思う。
ニフティサーブのSFファンタジー・フォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説の話題を別会議室に独立させるにあたって、管理人の神北恵太氏が命名したものである……
もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ的作品はそれ以前から存在していた(存在→命名の順であってその逆ではない)
そのようなラノベ的小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人やコミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンルの代表的なレーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。
言うまでもなく、コバルト文庫は少女小説の代名詞というべきレーベルである。つまり、命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。
(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫やティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)
以後、他メディア化の機会などの関係で男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。
2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。
この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。
まずは2013年、とある文学研究者がツイッターでこのような発言をしている。
少女小説・ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。
それまでの一般的なラノベ定義・史観を覆す、非常に大胆な主張である。
ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。
それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である。
この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説が歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。
詳細は省くが、
少女小説は戦前からの少女文化独自の伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンル、ライトノベルは戦後のマンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である
ということだ。
この、市井のオタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説≠ラノベ論の出現により、少女小説⊂ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説がラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。
日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベや少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベの定義や歴史を語るなら必読と言っていいだろう。
これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説をラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。
(フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化(少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)
この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年の現在にいたっても、更新される気配は特にない。
お分かりだろうか。
つまり、少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ。
現在では、ラノベの定義・歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。
企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。
加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説側から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。
結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。
少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分は少女小説もラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。
分かるが、少女小説をラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。
オールタイムベストの企画者氏は現在、文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党の国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情の材料にもなる予定らしい。
こうした活動の文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……
長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。
追加しときました。
核心部分が何で匿名やねん
「ラノベのルーツの1つは少女小説である」と「少女小説はラノベである」は意味が全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)
“ラノベのオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。
逆に言うと、ラノベではないがラノベのオールタイムベストに入れろ、は通らない。
排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。
クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベルや未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………
リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判のトーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。
wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルからの出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まり」コバルト入ってるやん
はい。
その話を本文に書いています。
その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。
ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……
その「知らん研究者のお気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。
たとえとして適切か分かりませんが。
ナンパを不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外からは判断できないものとします。
「パクれば儲かる」「タダで見れ消費するより更新頻度が高い」
というあたりだったのだと想像する。
ファンは居ても、どうすればお金を払ってくれるかというのが弱かった。
ゲームや3Dのアセットなどもそうだが、パクってそのまま海外販売するのは普通に起こっているし、
アニメや漫画の画像はグッズにして海外販売というのも起こっている。
ペーパークラフトなど、データであるものは、そのまま海外で販売だ。
漫画だったら、日本に住んでいて、発売日に買ってデータ化、翻訳して海外で印刷して販売。
日本語圏、英語圏以外に輸入して広めているわけだ。(中国語以外も含めている)
日本食は海外にも広まっているというが、グーグル・マップで海外を調べればわかるが、
わざわざ日本から食材を輸入して和食を作るなんてやっておらず、現地の食材でそれっぽく作られている。
食材に関しては各国規制があり、輸入しようとするとそれなりに面倒だったりするだけでなく、
おそらく味付けが合わないとか、見た目とか、どうしようもない所がずれている気がしてならない。
日本人からすると日本の食材を使った店があるとありがたいのだろうが…。
CJK混ざったアジアンレストランも多く、そもそも本場の味を知っている人が居ないので、
見た目がそれっぽければパクリ放題だ。
シャインマスカットだって、世代が進んで味が日本の物と変わろうが見た目がそれっぽければいい。
輸送の問題もあろう。米国の日本食材扱っているスーパーだって、日本で冷蔵するものが冷凍されて売ってたりする。
安く大量に生産し、大量に輸出するという米国と日本は差別化する必要があり、
高級路線を進めたわけだが、量は出ない。
農作物だったら、1世代しかちゃんと育たず毎年種子メーカーから種子と肥料を買わないといけないとか、
そういう防衛もない。
あとはオープンにするのと、国内でノウハウを閉じるのを上手く選別しないと駄目ってことじゃないだろうか。
密閉・密集・密接はすでに我々が完成している!!
嘘つき次第稼ぎまくってやる!!
品切れの紙様が来たッ マスク!!!
怠慢なら絶対に敗けん!!
バーリ・トゥード(なんでもあり)でも今年はやめろ!!
韓国宗教団体から炎の病が蔓延だ!! 新天地 イエス教会!!!
ルールの無いステマがしたいからスポンサー(広告代理店)になったのだ!!
老人の身勝手が今 路上でバクハツする!! 巣鴨商店街 歩行者天国だ―――!!!
風邪気味のブラック(法令違反)ソルジャー ミツビシ・エレクトリックだ!!!
感染の本場は今やニューヨークにある!! オレを止められる奴はいないのか!!
アメリカ合衆国だ!!!
コロナウイルスだ!!!
マスクはオレのもの 売り切れる前に思いきり買い思いきり漁るだけ!!
傍迷惑に更なる磨きをかけ ”テポドン”北朝鮮が煽ってきたァ!!!
中国四千年の蠱毒が今ベールを脱ぐ!! 武漢から アウトブレイクだ!!!
治すも壊すも思いのまま!! 厚生労働省だ!!!
若年者層がわるいんだ―――!!!
暗黒街で磨いた実戦コロナ!
実害だったらこの話題を外せない!! 超A級懸念事項 経済崩壊だ!!!
超一流老害への超一流の忖度だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ
不謹慎はこの男達が完成させた!!
俺たちの税金が帰ってきたッ
俺達は君を待っていたッッッ布マスク2枚の配布だ――――――――ッ
加えて重症者発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!
不要不急 桜見物!!
……ッッ どーやらもう一名は到着が遅れている様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
第一章 前提
1.キズナアイに限らず、理系男女はSF好きなんで、こういうサイボーグ的なやつは心の奥底では嫌いではない。
2.ただ表現をなりわいとしない理系男子がしかけると、だいたい一般女性や理系の女性にひどい嫌悪感を抱かせて失敗する。
2-1.実例 ロボット学会(掃除婦)、日本化学会(理系を志す一般高校生女子に向けた記憶に残したくない惨状的メッセージをユーチューブにアップロードして即日削除)
2-2.理由 ポリティカル・コレクトネスと表現の機微について普段から1秒も考えてない人が5分で考えたデザインを発注した。
2-3.結果 なんかほんときもい。無理。
2-4.社会への波及効果 もちろん規定の金額と期間で受注した絵師は何も悪くないため、絵師のファン・潜在的好感者も巻き込み「うちの神絵師に何してくれる」「あの絵柄はいい絵柄だ」「エロくないからいいじゃん」と反論大炎上
3.なんで理系オタク女子としてはとても複雑。後輩に楽しく同じ道を選んでほしいのに、女性として幸せになりたいならこんな男女差別ひどいとこ来るなとも思うし、萌え絵がただで見られるのはちょっとうれしいけど、どうみても嘘くさい無理やりな男女平等的表現みせられバレバレだから誰もこないから嬉しくなくて、そもそも、あの絵師ならパイオツ/メカ/童画を塗らせてなんぼだろ、本来単行本を出す時間をこんなんに割いてくれて個人的にはうれしいけど同好の士には申し訳ない、みたいな。
第二章 今回の例について
1.メディアがNHKだったから女性弁護士が驚いてたけどこんなもんしょっちゅうだよ。はなほじ。あっでも遠回りにいつもお世話になってるかもなので表立って反論は言いたくない。
2.ただし、いろんなタイプの人をいくつも無視して踏み越えてツギハギ表現しようとしたNHKはほんとに下手だねーと思う。どんな気持ちかっていうと
2-1.ノーベル学者らの定義を正しく、厳密に、省略せず報道してほしいという気持ち。
2-2.一般女性の、いちいち脅迫的な萌え美意識をおしつけられずに情報を得る目的が達成されるだけのテレビを見たいという気持ち。
2-3.Vチューバー支持者の、うちの子は至高の癒やしアイドルだという気持ち。「○○ちゃんはそのままで十分かわいい」
3.結果 だれがみてもバカバカしい。ノーベル賞の解説は先クール放映されたばかりのはたらく細胞の7話で(萌え絵でなく)ちゃんとわかるってツイッターでもりあがってる最中にわざわざ萌え絵キャラだ。なら男性チューバーもアシスタントのアシスタント役(立ってるだけ)で出せよ。クールジャパンつながりにしようとしたのか、ひどいジャンル違い。
4.さらに旧帝大卒理系女子から一言いわせてもらうなら クール・ジャパンを唱えるより東京医科歯科大学とか氷山の一角の女性差別を先にどうにかして国際競争力をあげろよ、男は本当単細胞的に頭わるいから、過去も将来も女という生き物を使いこなせず男の考えた性役割(=遠回しなお母さん)におしこめつづけるばっかり。(たとえばフッ素と塩素は、素材として違うとはいえ互換性が相当あるようにそもそも神がつくってあるのに、素材の色が嫌いだからフッ素だけ使わないとかやってたら何も研究が進まない。それが人間の男女ではまず片方しか見ないのが普通。バカ?)。
5.クールジャパンについて 原画さんアニメ監督さんばかりでなく下積みの動画さんにも給料もっとやってくれ。声優は東京以外でもイベントやってくれ。
スポーツかどうか?っていう議論はともかく、オリンピックでやる必要あるか?
4年に1回しか無い大会だから大会毎にゲームのタイトルコロコロ変わるのに?
世界大会って意味ではEvoで十分盛り上がってるし、同レベルの大会はこれからも新設されるだろ
オリンピックでやるんならダーツ、チェス、オセロ、囲碁だろ(将棋と言いたいところだけど世界の普及率がなぁ..)
冒頭でも書いたけど、スポーツであるかどうか?っていう議論なんかどうでもよくて
むしろ今が一番の成長期だし、興味のない連中に晒して「こんなのスポーツじゃない云々」みたいな
的外れな批判もらうくらいなら本当にやりたい連中で盛り上がって大きくするからほっといてほしい
すでに対戦配信をコンテンツとして十分楽しめてる身としてはオリンピックなんかこっちからお断りだよ って感じ
それらを踏まえた上で言わせてもらうと、普段クール・ジャパンだの技術大国だの言っておいて
https://www.fashionsnap.com/article/2018-02-20/jk-7type/
とそのレポート
http://www.kogoma-brand.com/report/7632/
を読んだんだけど、ここで扱われてる「サブカル女子」が
”ファッションには興味がなく他人から何を思われようが関係ない。服は親に買ってきてもらう
かネットで購入することが多く化粧品には興味が無い。自分の”推しキャラ”のモノ(アイドル
のライブやグッズなど)には惜しみなくお金を使う。時間をかけていることは、「ゲーム」
「読書」部活はしていない。一人の時間が好きだが、同じ趣味を持っている仲間のコミュニ
ファッションと化粧にはオシャレ云々抜きにしてかなりこだわりあって、いわゆるオタクカルチャーではなくて音楽とか読書とかいろんな場所に行ったりしてるイメージなんだよね
もちろん女子高生だからって言うのもあると思う。しかし、「オタク」と「サブカル」をごっちゃにするのはなんか違うんだよね。
https://zip-fm.co.jp/program/sck/
”SCK(サブカル・キングダム)。週末深夜にお届けする若者世代のためのプログラム!「マンガ」「アニメ」「アイドル」「ボカロP」「歌い手」など、世界が注目するクール・ジャパン・カルチャーをいち早く、深く紹介!”
だし。
俺が思うサブカルJKはバイトを頑張って買ったドクターマーチン履いてバンドのライブに行きまくり、岡崎京子のマンガ読んでるような女の子なんだよ!!!
もちろんアニメなどのオタク文化が日本のサブカルチャーなのは理解してるし、むしろサブの中のメインだと思うけど
「オタク」と「サブカル」って明らかに別のものだった気がするんだよな
映画化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説の文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンルの生存に寄与したから存在しているだけだ。
かつて読者には、怒りが必要だった。
かつて読者には、喜びが必要だった。
かつて読者には、哀しみが必要だった。
かつて読者には、楽しみが必要だった。
1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。
かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込みが必要だった。
<list:protocol>
<p:その他パンフ等を入念にチェックする>
</list>
「大丈夫。わたしは観られる」
そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。
「やあ、読者。七年ぶり、だよね」
「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」
「ええ、言うわ。『仕方なかった』」
わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒がパトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。
「わたしにとっては、仕方なくないわ」
「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界(SF)をね」
「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」
わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。
わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
業界の幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才の夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」
わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。
それを憎んでいたのは、
誰よりも否定していたのは、
「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形になっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーションと早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」
性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。
「ここはね、アニメのスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」
「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画と台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」
わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。
これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識。
「そうして突き入れられて、台本を修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンのなかには、LINEスタンプも新装カバーもコミカライズも特集もトリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」
「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。
「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」
「どうしたらいいか、わからなかった。
この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間が自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から、自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」
そうだ。商業的健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブな感想を常に提出しつづけなければならない空気。ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和と協調と新作を生むと皆が信じている社会。
「何を」
「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭な視点の限界を突破できるってことに」
「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あんな桜Trickを作ったわけじゃないのね」
「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界を肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」
「この世界にとって完璧なプロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
「わたしは、笑わなかったよ」
感動げな大自然の映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからかニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。
「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンルが要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」
「あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」
伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。
「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝の天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」
「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分の民族が本来はそう在ったはずの風景に」
「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」
「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやかな復讐になるのかな」
「え」
「SFは死ぬ必要がなかった。だから早川はコンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」
「……そう、なのかな」
「あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」
「そうなのかな」
わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。
「どうやって」
そして、わたしは席を立った。
久しぶりに『批評空間( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/ )』を覗いてみたのですよ。
いやぁ~ 昔と変わりませんなぁ。
ノベルゲーだからテクノロジー上の大きなブレイクスルーがないのを割り引いても、ゲーム内容・ファンの意識には往年を偲ばせるものがあります。
まず物語のパターンが古典落語や歌舞伎並にテンプレ化されてるじゃないですか。
パーツの組み合わせが変わってるだけなんですよね。GoogleのDQNやIBMのワトソンでもシナリオ書けそうです。
次、ユーザー層。
ゼロ年代くらいのファン層がまんま繰り上がってオッサンになっている印象を受けます。
発売日の延期、修正パッチをネタにして騒げる人たちなんかは、ワシントン条約で保護すべきでしょう。
エロゲ界隈は真性オタの牙城と言いますか、原理主義者の聖域のままであってほしいですね。
電車男以降、オタクがライト化するのに抗して生まれた"キモオタ"概念が近年ベタになりつつあるのは懸案事項であります。
『オタキング→ダイエットに成功したサブカル博士→家族をシェアするイロモノ』というキャリアを"詰んで"しまった岡田斗司夫には失望しました。
経産省の旗振りのもと、AKBや深夜アニメと一緒に『クール・ジャパン by 秋元康』なんていうプロモーションされたら海外のファンコミュに亡命します。
仏教(円教)と(悪魔とか愛とかの用語から)キリスト教との対比という
メタなプロットになっていて、最終的に仏教思想が大事だよねっていう、
キリスト教をdisるというか、思想の高低浅深を表しているとも思った。
ある意味クール・ジャパン戦略の深い部分ともいえるんでねーの。
話題にならないし儲からないからで、仏とか神 vs 悪魔みたいな構図とかが、
個人的には、個々人に引き寄せて考えるとどうかっつーほうに興味があって。
やっぱり叛逆の物語のまどかの最終形態が人としての理想と言えるなんじゃないかな。
世界中、宇宙中の困難を抱えている人の苦しみを引き受ける覚悟を持ちながら、
人として生きる。
それぞれのその瞬間その瞬間の立場で自分らしく人として生きる。
これに尽きるんじゃねーの。
人でありながら仏。
仏でありながら人っていう。
よくまー、ひとつの作品に落とし込んだわ。
「義務教育や高校段階で育んだ「我が国と郷土を愛する態度」をいっそう確かなものにし、
大学教育で育成される高い個人的な能力を、我が国と郷土のために使おうとする意志へと結びつける必要がある。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai11/s5.pdf
「無批判な欧米基準への追随や経済的利益の追求に警戒心を抱きつつ、日本文明の幸福基準を明確に自覚し、その上で外国人と対等に交流・競争できる能力をもった人材を養成目標とする。」
「日本語でしかアクセスできない有用な情報・知識を確保し、日本語の国際的な地位を高める。」(その発想はなかったわ)
「大学にも「日本文明」について学ぶ講座を必置する。その内容について有識者でガイドラインを検討する。」(日本文明ってなんでしょう。)
「外国語能力や理系・経済の能力は、日本文明を防衛するための重要な手段と位置づけ、すでに提案されている様々な手段を用いて強化する。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai7/s10.pdf
「理系や経済に焦点が当てられているために、文明論的な視点、すなわち、S・ハンチントンのいう「文明の衝突」(あるいは「新帝国時代」)という世界認識が欠落している。」
「グローバル化の捉え方を 180 度転換させ、日本が如何にして世界に対応するかではなく、如何にして世界に日本を理解させ、日本人の生き方を受け入れさせるかという発想に切り替え、
単なる大学の生き残り策ではなく、国家的な文化戦略の一翼を担う政策として大学改革を位置付け直す必要がある。
その意味で日本文化を世界に売り出す「クール・ジャパン」戦略との連携を考えるべきである。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai6/s5.pdf
「体罰と暴力はともに言語的表現の貧しさの結果でございます。これは相手をやっつけたいなら舌戦で罵倒したりするのが一番よろしいのでございます。
これは今の学校教育が作文教育におそろしく力を入れていない、そして読書力がない、本も読まない、そういうことだろうと思います。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai4/gijiroku.pdf
「一生に一度も幾何も代数も英語も使わなくていいという日本人が立派にたくさんおりますので、その人たちを解放してやっていただきたい。
他の人たちも、そのことでTOEFLなどが楽になります。高校からの英語も必要ありません。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai7/gijiroku.pdf
「マラリアと同じように、現世にはほぼ解決できないと思われる負の状況が必ずある。病気、死別、歪んだ性欲、などがそれに当たるだろうか。」
「マラリアに対してはめいめいが持つ免疫によって発症しないように用心するのと同様に、苛めに対しても、自ら対抗する精神の強さを持つ以外にほんとうの解決策はないだろうと思う。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai2/sankou09_2.pdf
「全ての若者たちが大学に安心して行けるような、安心して生きられるようになりましたら、どんどん人間は堕落すると思います。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai9/gijiroku.pdf
日本がヤバいってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
そんな国が普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃっててとか言ってたら、中国にGDP今年あっさり抜かれて
一人当たりGDPでも今じゃピーク時の8割。他の国当然伸びてるのに。しかも先進国下位だよ、下位。
考えられない。人口維持出生率2.08とか言ってるけど日本の出生率といえば1.32で、人口自体減ってるし。
しかも信じられないのが、子供を生みづらくてただでさえ人口自体が減ってる国がさらに
年間自殺者3万人もいるどころか、20代と30代の死因の1位は自殺。クラスに1人は自殺で死ぬ。
もっと楽すればいいじゃんとか思ってたら、世界的に見て異常な労働時間。
サービス残業当たり前の長時間労働なのにバカンスが当たり前の欧米人も呆れる程の超低労働生産性。
世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。最近ずーっとこんな状況。頭使ってるはずなのにこれ。
しかも、非正規雇用率が30%を突破。3人に1人はこれ。不況でまだ全然増えるはずだし
新卒採用に偏ってて、若者の非正規雇用率なんかもっと高いのにこれ。もうキチガイの域。
伸びしろありすぎワロタ。戦後65年間何かやりようあったはずなのに今これ。何気にヤバい国になってる。
んで今度は日本の漫画・アニメ。気がつけばとっくに下り坂で、騒いでいたのは関係ない人たちだけ。
日本の漫画産業5000億円なのに、日本の10倍の潜在規模のあるアメリカで175億、フランスでも60億円弱にしか過ぎない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091009/206762/?P=3
「蚊」とかいうてますけど、
「これまで」がむしろ異常だったわけで。
そんなこれまでの半世紀を保護政策のおかげ(?)で
生き残った日本の「蚊」たちに、やっと絶好の時代がやってきた、
それがこれからのアジアの時代。
これから本当にアジアの時代になっていくとすると、
日本の蚊たちが再成長し、それに引っ張られて日本も再成長していく可能性はおおいにある。
というのも、人は自分に近いものをより好意的にみるいきものなので、
アジアの人々は欧米企業よりも同じアジアの日本企業のものを好意的にみる。
実際、アジアの人々にはアジアで最初に先進国となった日本や東京に対する憧れや、
「ジャパン・パッシング」なんてのは欧米の日本に対する見方であって、
「規制緩和せよ」、といまだに言われ続けている日本とは異なり、
アジアの新興国はシンガポールのようにマーケットが比較的オープンな国が多い。
もちろん日本企業がこれからも客観的に見て価値のある商品を作っていくだけでなく、
自身をアジア企業と定義しなおして、ローカライズに不可欠なその国の人材にとって魅力的な企業となり、
かつ積極的にとっていったりする必要はある。
現状、その点で欧米の世界的企業に圧倒的に遅れをとっているので。
いずれにしても、アジア人の日本に対する「ひいき目」というのは確実に存在する。
楽しいのはこれからだ。