はてなキーワード: パッシングとは
右側車線を意地でも譲らないマンが年々増えてる
最近だとプロドライバーのはずのトラック運転手ですらたまに右側キープしてるやつがいる
なので右側車線をノロノロ運転してるやつを左側から追い抜くのはそれなりに危ない(左後方は死角になりやすいため)だけではなく明確に違反行為になる
1点の違反のせいで自分が2点の違反を犯さなければならないので、基本的に左側から追越したくない
もちろん人間誰しもボーッとしていて右側車線を走行してしまうことはあるだろう
昔ならパッシングして気付かせるようなことも出来たけれど最近は「煽り運転」と言われるのが怖くてそれもできない
何台も左から追い抜かれてるのにずーっと右車線走ってるバカが多い
両者を読み比べてみて信憑性を感じるのは新潮の伊藤氏の記事のほうだ。
一方、文春の松本氏の記事に関しては捏造性を強く印象付けられる。
この違いは何によるのだろうか考えてみた。
すべてに曖昧な点がない。
昨年の出来事であり、
問題の出来事について双方弁護士を立てて話し合いを進めた結果、
物別れとなり、
その事実自体が報道するべき出来事としての根拠ともなっている。
そして、年月が異常に古い。
2008年の出来事を、まるで昨日のことのようにして書いているものまである。
確かに16年も前のことを思い出し、思い出ししてそれを無理やり文章化すれば
具体性のないぼやけきった話となるのも、
さもありなん、とも思えるのだが。
そして文春の記事の特徴として、過剰なまでの「煽り」が記事の隅々まで浸透していることだ。
松本は「○○○○○」と言い放った。
「○○○○○〇〇」
「▢▢▢▢▢▢▢」
すべてがすべて何ら証拠もないのに松本氏が発言した、と事実として書き並べられている。
新潮の記事においても伊東氏が飲み会の席で話した内容などが書かれている。
(その発言自体を記事を読ませるための「釣り」として使用しているわけではない。)
具体的に、いつ、どこで、だれが、なにをおこなったのか
無理な印象付けを行うことはせず、
書かれていることの内容のほとんどは
松本が
「○○○○○〇〇」
と言った。
というような確認しようもない不明確なことを文章の主体としている。
また、よくわからない造語を作って、いわゆる「釣り記事」のような煽りを多用していること。
報道すべき主体がないのに、無理に記事にしている印象を受ける。
あとは雪だるま式に「ネットの声」が事件化してくれるだろうとの見込みで発射されたものであるとの結論づけしか出来ない。
いつの間にか、文春の記事の低レベルさに文句をつける文章になってしまっている。
私自身が望むのは、文春はもう少し具体性のあることを書いてくれないだろうか?ということだ。
実際に性被害を訴えている人がいるのだから、もっとそこに焦点を当てて具体的で、煽りのない記事を書いて欲しい。
今のように、単なる芸人の女遊びを大げさに書きたてておけば、
などという態度でいるのは実際の被害を訴えている人たちに対しても誠実ではない。
結局は、そういう人たちを食い物にしている、という意味で文春はパッシングしている松本氏と立場が同じになってしまうのではないだろうか。
軽く傾斜がついておりアクセルを踏まなくてもスピードがついてくる。
かと思えばなんでもないところで著しく減速したり、逆に曲がりきれるのか?って思うところで加速する。
危なっかしい、そして低速。
先頭車の好き放題。
すごく邪魔に思う。
それでもパッシングやクラクションは以ての外だし、車間を縮めても、あおり運転だと思われる。
思いながら、この先頭車って、ネットにおけるインフルエンサーや声がやたらと大きいネトウヨやネトフェミみたいなもんだなあとも思う。
彼らの好き放題をまざまざと見せつけられ、こっちのやりたい「運転」を自由にさせてもらえない。
先頭車が意識してるのかしてないのか、どちらでもいいのだが、「私の好きにさせてもらう」という強いエゴは感じられる。
それに近づこうとしたらこっちが加害者になる恐怖。ますます制限された窮屈な感じ。
(これは道交法を違反しろということではないです。こっちが法を守った運転であってもストレスがたまる前走の運転というのがあるのです)
追い抜いたら犯罪になる。ともかく「手を出したらこっちの負け」感。
募るイライラはコーヒーや音楽などの嗜好品で癒やすほかない感じも似ている。
ネットも斯様な先頭車たちが大暴れしてても魅力があるのはドライブ自体の楽しさもさることながら各種の嗜好品にもある。車窓の景色や同乗者との会話もある。
「自分で事故を起こさない」ためにできる安全行動は ブレーキを踏むことだけなんですよ
まず これをなんとかひねって腐すのがすべての事故の根源
ヤバいと思ったら停車すればいいだけ
停車して危険なことは何一つない
これになにかしら「そうではない場合もあるし実際そういうこともあった」として結局運転はなんでもあり
うまい人がうまく運転するといいだけなので下手なやつらはだまってろみたいな話にしてご満悦になりがち
しかし車間をあけて危なかったらブレーキ踏むことすらできない人が運転のなんたるかを知っているとは到底思えない
まずなによりも当たり前すぎて話にもならない話として 車の運転で操作ができるのは前方についてだけ
バックはできないの?バックミラーみないの?ウインカーださないの?とかいうほんとくだらない話は小学生までにしておいてほしい
屁理屈で返すならバックするときは前方はどっちでしょうか バックする方向でしょう
その反対方向について一体なにができるんですか ウインカーをだす?パッシングする?クラクションを鳴らす?
それをしたとかするとかは自分でやった気になりますが その効果はどこに発揮されるんですか それを見て行動に移してくれた赤の他人だけでしょう?
あなたがハンドルを右に切ると車は右に曲がります 左に切れば左に曲がります アクセルを踏めば加速をします 前に向かってね
左にまがるよとサインをだしたのに見てなかった パッシングの意味くらい理解してほしかった クラクションを鳴らしたのに気が付かなかったのは相手だ
どれも車の操作をしただけで車の挙動を制御するという意味での「操作」についてではないですよね
やった気になって操作だなんていうのは小学生までにしておいてほしいです
車間をあけてさえいれば「前方の操作ができる自動車の運転」をしていれば回避できるはずです
もちろん状況によってはそうはならないことも割合もかわることもあります
いまはその「特別な条件」の話ではないです
唐突に停車したり前にわりこんだり速度感覚の認識しづらい状況でのとか そういう特殊なケースにおいての特殊なコツを話しているところではありません
「基本的に自動車の運転は前に向かってしかできない」ということです
周りから見てとか 安全で事故を起こしていないだけの人にそれ以上を求めたりということをするのはナンセンスだということです
次に ブレーキを踏むこと以外に自動車が安全になる方法はありません
加速をして回避とか 状況にあわせて走行するとか 巻き込まれたときに自分が一番損害の少なくなるように取れた行為などはあるかもしれません
「自分から事故を起こさなくする「ためには「停車する」しかないのです
他にもいろいろある自動車の動作で 他のなにをしたら自分が事故を食い止められるのか
ブレーキ以外にはありません
自分でブレーキを踏んで安全が確保できる位置に自動車を移動させる その連続が安全運転です
山道で遅い車がいたから?高速道路で危険な運転の車がいたから?赤信号ぎりぎりでつっこんでくる車がいたから?割り込んできた車がいたから?
なにがあってもブレーキです
他の運転者の何に干渉できる装置が車にはついているんですか? なにもついてないんです
あなたがなにかをアピールする装置はついていますが それを見て感想を抱いてそれについての対応した行動をとってくれる人にサインを送る機械だけです
前の人の速度が遅かったら それについて安全な距離を保ち事故を起こさないように走行する ただそれだけです
路面がぬれていたら 落ち葉が多く散っていたら 砕石がちらばっていたら おかしな路面をみつけたら どう走行しますか?
かっこよく加速して車をすべらせますか? 危険な路面こそ心が弾みますか?
そうなるかもしれませんが 事故を回避するためには停止する 安全な速度で走行するでしょう
なぜ前方に遅い車があるときだけ 落ち葉や砕石のときとは違って「前の車が」どうのなどというのでしょうか
冠水していたらいつも山道を走ってる俺からすれば 路面がけずれてちらばっていたらいつも山道を走行している俺からすれば なんて思いますか?
遅い車もただそこにある あなたが走行するタイミングにそこにあっただけの状況です あなたが干渉してどうにかできる何かではないのです
路面がでこぼこしていたら加速せずにはいられない 路面がぬれていたらアクセルを踏まずにはいられない 暗闇だとライトを消して走行せずにはドキドキできない
なんて癖があるのなら「前方に車がいたら車間をつめてあおらざるを得ない」なんてことがあるかもしれません
しかしそれが安全ではないこと 安全になんら寄与しないこともおわかりいただけるのではないでしょうか
遅い車が気になるならブレーキを踏んで停車する やりすごしてから人のいない道路で好きなだけ加速をすればよいでしょう
最後にあなたがどれだけ運転が神レベルに上手くて仕事が忙しくて車の性能もとても高いとしても運転する限りは事故のリスクはあります
どれだけ加速しても回避しても運が良くても状況が味方してくれても走行している限りは事故を起こします
停車している車がすべりおちて事故とか停車している車につっこんで事故とか違法中が事故を誘発するとかあるかもしれません
自動車がいろいろな状況で事故の要因とはなりえていますが「自動車の走行によって起こされる事故」とは全く別物です
車でなくてもそんなところにそんな鉄塊を置いていたら自動車以外でも事故は起きます
自動車は移動が可能ですが鉄塊です 自動車事故が起きるのは走行中だけで停車していれば鉄塊と同じです
あなたが他人の所有する鉄塊についてご自身の自動車運転にからめて問題があったり不満があったり運転技術でどうにかなるなら
しかし他人の所有物の他人の操作はあなたがそれについて全体に関与しなければ何ら意味をもちません
運送会社の社長さんでいらっしゃって部下の運転手の運転について というならば社の方針としてとかで責めてもよいかもしれません
しかし赤の他人の前方で運転されている方についてはなにも干渉することはできません
相手を危険な目にあわせたり事故を起こしたり巻き込まれたりする可能性を低くするためにはブレーキを踏む
回避をするためには停車をする以外にはないんです
うまいテクニックもすごい操作もコツもノウハウも豆知識もいらないですし ないんです
どんな状況であれ それを人が運転していたとしても 他人のつくった状況に巻き込まれて迷惑しても
あなたが取れる安全行動はブレーキを踏んで停車すること これだけです
他の人についてもそうです
遅い車がいたとか危険な走行をしてきたとかゆずらないとかまき散らしてるとかこういう奴らは危険な走行だと
もしそんなものを見つけたり見分けたり見かけたりしたときには ブレーキを踏んで停車です
いきなり停車したらあぶないし停車こそほかの車を巻き込んで危険 なんて話で腐す方もおられるかと思いますが
それも前方の操作です どこで停車するか自由な程度には車間を取るべきだとされているのでいつでも停車はしていいはずです
とはいえ状況に応じて停車の位置や方法を考えなければなりません
それは停車するまでは走行している車なので責任もって走行を完遂すべきとするところです
とりあえず停車するとかブレーキを踏むとか以外で快適で安全でよりより運転のコツを自分自身以外についてお話されることは
まったくもってナンセンスです
ご自身がほかの方とはまったく関係なく快適に走行をする方法をお持ちならば そのアイデアは大いに披露してもらえればと思います
一体いつからか知らないがずーーーっとハイビームで運転してた。誠に申し訳ない。
少なくとも帰省のために昨日と今日で新東名でトンネル通って来たときは常に迷惑をかけていた。
一昨日以前については、ペーパードライバーだし、夜は運転しないからそんなに被害者は居ないはず・・・と信じたい。
思い返せば、浜松の手前くらいで後続車がハイビームで照らしてきてて「自分も気を付けなければ・・・」と思ったのに、その時点でやらかしていた。
しかも「こういう時ってどうやってやらかしている車に伝えるんだろう?」と他人事のように考えていた。数十分後に答えを知ることになるとは思わなかった。
ひょっとしたらあの後続車も、俺に伝えるためにわざわざ後ろについて照らしてきたのかも・・・?いや、それならパッシングするよね?
その後、高速降りてその後バイパスに乗ろうとしたあたりでやっと気づいた。というか、気付かせてもらった。
見知らぬ先行車が妙な位置で突然路肩に停めて、ハザードを焚くもんだから、どうしたんだろう?と思って視線を向けると、
なんか怖い顔してこっちに向かって、手をグーパーしてるではないですか。
この期に及んで俺は、「はぁ?点灯はしてるよ?もう暗いし・・・・」としばらく気が付かなかった。
約4年前に、20代前半だが免許を返納しようと考えてる人へ。を書いた者です。⇒https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190424130233
今回思うことが前からちょっとあり、書いてみようとした次第です。長文で失礼します。
タイトルの通りですが、再取得して約2年になります。私が返納をした日は東池袋で母子2人が事故死した事件の10日前なんですが、匿名ダイアリーで書いたところキツイコメントもあり削除しました。ブックマークには残ってるので興味ある方はどうぞ。
さて、返納したわけですが再取得しました。理由は時間が経つにつれ便利なカードだと気づいたからです。ちなみに返納はしないでくださいね!と言いたいわけではありません。私は20代でも運転に自信の無い方、事故を起こしたり、また起こす前に返納することは今でも肯定的な考えです。
日本の道路交通は法定速度を守りなさいと言ってるわりには、もたもた走れば後続車に迷惑だと言いがかりをつけられ、社会の矛盾でありふれてると考えているからです。ちゃんと正しく守ってるのに悪者になるのは耐えがたいことだと私は感じます。免許を持てば、仕事では運転しなさいと同調圧力は掛けられると思います。下手な運転で人の命を奪えば遅いわけですから、自分の運転が危険と感じたら勇気を持って返納してほしいと思います。
閑話休題、運転免許証は公文書なんですが、一度取り消すと返納取り消しが出来なくなります。もし、返納したら、また教習所に通いなおして卒業するか、一発免許で取得しない限り車は動かせなくなります。私は教習所に通い直し、一度学んだ教習項目をまたやったわけですが、本音を言うとめんどくさいです。その代わりもう一度通い直せて良かったとも思っています。教習所は免許取り消しにならない限り一回しか行きませんが、一度公道で走行してからまた学び直すと違った視点で気づきを得られたからです。たとえば、フットブレーキの踏み方を工夫するだけで、車がカックンブレーキにならないとか、横断歩道上に人が渡り歩いていたら交差点内で右折しようとする車をパッシングで譲るべきではないとか自分では気づかない視点を得られたことはほんとに貴重で安全運転の向上に結び付いたと思っており通いなおせて良かったなと思いました。
ただ、一度公道を走っているので補助ブレーキを踏まれたときはイラっと来た時もありましたが、プライドを捨ててもう一度学び直せるチャンスだと思ってやり直せたことはとても貴重で良かった経験です。
ちなみにはじめの技能教習で運転が上手いことを突っ込まれたので返納した事実を言ったのですが、原簿に書かれてしまったのか、8割の確率で他の指導員の方に返納を深堀りされました笑
1回目の教習ではMT選択でしたが、エンストした時の注意が怖かったので2回目はAT選択にしました。1回目の教習所はかなり厳しかったんですが、2回目の教習所は優しい人が多かったのも2回教習所に行ったことで気づけたことでした。教習所選びはほんとに大事です!
あと教習代に関しては費用は誰が出したんだとか突かないでくださいね。
当時警察署にある書類に生年月日欄平成が無かったことが、警察としては若い人間が返納すると想定してないことにショックを受けました。制度上年齢関係なく誰でもできます。年月が経ち、20代でも返納したとツイッターで公表した方や、免許を取って1日で返納したインフルエンサーの方もいましたから時代が変わってきて嬉しいです。
一つこれだけ言いたいのですが、日本社会はほんとに同調圧力が強いので、レールから外れたり常識から外れることはほんとに恐怖なことでもあります。しかしその恐怖から逃げて交通事故被害者を生み出したり悪者になる前に出来ることはこれからの時代大切ではないでしょうか。
自分の意見が昔は通じてたからそれが世界の常識と言うのは、自分のことしか考えず今の現実を直視しない臆病者でもあると思います。
4年前に書いたもので、一時停止で捕まって運転に合わなかったという理由で返納したことも一つの事項として書いたわけですが、違反で切符切られたその腹いせだろ?子供だよとコメントもありました。
最後に一度返納すると取り直しに時間と費用、そしてめんどくさいことを伝えたいこと、また一から教習所に通いなおせて運転の見直しが出来たことが運転をするうえで自信にも安心感にも繋がることも伝えたいです。私が担当してくださった女性指導員の方も出来ることならもう一度教習所通いなおして一から教習を受けてみたいとおっしゃってました。めんどくさいからやめた方がいいですよと僕は言いましたけどね笑
生き生きと先陣を切ってフェミ叩いて、周りに「名誉男性扱いされながらよく言ってくれた!フェミどもザマァ!あなたは立派な女性だ!真のフェミニストだ!」とヨイショされてたのに、
ふとしたきっかけで「お前も所詮女だ!フェミと同じだ!敵だ!」って掌返されるパターン多すぎィ!
フキさん
性欲をなくす薬が作られたらいいねと言ったら「ファシスト!ナチス!」と罵倒され炎上し「フェミニスト」とされてしまった。
フェミニスト「福祉として性欲抑制剤を投与すれば男は性加害で苦しまず幸せになれる」当然の炎上に「正しいのに何故怒られるの?」 https://togetter.com/li/1772270 #Togetter @togetter_jpより
藤本由香里さん
表現規制に反対してくれる素晴らしい真のフェミニスト!として持ち上げられ、実際にあらゆる努力をして非実在青少年規制反対運動を成功に導いた功労者である。
だが、これフェミで「フェミニズムは一人一派」と発言したことで「所詮こいつもクソフェミだ!規制派だ!そもそもフェミを名乗ってる時点でおかしい!」と叩かれまくった
#これフェミ vol.3後の藤本由香里氏の発言への批判とそれをアンチフェミからのパッシング認定する辺りの流れの保管 及び 第三者である自分の雑感 https://togetter.com/li/1752899 #Togetter @togetter_jpより
水戸泉さんもそうだった
「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」の反対署名を集め、自分の仕事の時間を削り、諸経費自腹であちこちに頭を下げてお願いして、個人情報の管理や協力者の安全への配慮に神経を尖らせ、作家100人とか法曹や大学学長にお願いして英訳もして国連に抗議声明を出した方である
フェミ叩きもきっちりしており、持ち上げられていた
そんな水戸泉さんがツイッターで「所詮女だ!負の性欲!弱者男性の敵!」と叩かれ、
「体の汚れた女、殺してやりたい」という殺害予告や性的嫌がらせ仕事先への嫌がらせまでされたそうな
それで今は表現規制反対運動から手を引き、ミソジニーオタク嫌いになっている。かつての仲間からは敵認定されてる模様
水戸泉先生、「アルファオスを持ち上げて弱者男性を差別した!女の本能!負の性欲!」と叩かれる https://togetter.com/li/1577224 #Togetter @togetter_jpより
フェミと生き生きと戦い、「こんな素晴らしい正論をいうあなたを姫呼ばわりするフェミはクソですよね!」とヨイショされてきた表自女性達が、「所詮お前も腐女子だ!女だ!だから同罪だ!クソだ!お前ら腐女子は何もしてこなかった!!」と味方から撃たれまくって、それに対して悪態をつけば益々ヒートアップしてほら見ろ女は敵だ腐女子は敵だ姫しぐさだと叩かれている。
藤本由香里さんも水戸泉さんも今回叩かれたくりした議員を支えていた星崎レオさんも、しょうがないよ。
だって、表自戦士にとってもっとも尊い表現規制反対運動は、苦労して国や法に働きかけることなんかじゃなくて、ネットでフェミとレスバすることなんだから
思えば、ナンパ男にキモいと言ったJKが殴られた事件でも、キモいという言葉は加害だ許されないと吹き上がるアンフェにセカンドレイプだと苦言を呈していたのはアンフェ女性だったな
「女はうっすらフェミ」というのは本当なんだよな
フェミな面をどうしても捨てきれない
アンフェ姫、ミサンドリーフェミよりある意味タチが悪いのもいるよ。見知らぬ男に盗撮冤罪着せたアンフェ姫もいたし。パパ活まがいなことしてぴえんしたアンフェ姫もいたような。
弱者男性のセックスボランティアだかをしていた豆腐ちゃんもなんか、弱者男性の敵になったし。
「絶対盗撮してるよね?そうじゃなくても、こんな携帯の持ち方しないで欲しい」新藤加菜さん、電車内でのスマホマナーを呼びかける https://togetter.com/li/1882575 #Togetter @togetter_jpより
なんというか、アンフェ女性は表自、アンフェに関わるの控えめにしたほうがいい
今は「素晴らしい良識的な女性だ!フェミどもによく言ってくれた!」とヨイショされていても、いつ「所詮女だ!女はクソ!」と掌返されるかわからんのだから
おれはおそらくリベラル的思考かつオタク的趣味があるけど、リベラル的視点から見ると「ラインを超えている」「限度を理解していない」と感じる表現があったり、オタクとされている人間の中に擁護できない攻撃性・排他性を発揮したり、よく分からない群れ意識で敵と認定した人たちに噛み付いている人たちがいるとは思う。(その一方で、オタク的クリエイティブへの不当なパッシングや、オタク的な物事への強すぎる嫌悪を持っている人たちもいる。)
オタクかリベラルかで物事を分けることはできない。オタク的なものが常に無辜だとも思わない。正当に批評され、社会的位置付けの中でルールが整備されていくべきだと思う。この辺りのバランス感覚を欠くと、よく分からない対立を発生させることになると思っている。
特にオタク的であることと、保守/革新的・右翼/左翼的であることは関係がないはずだが、なぜかそれを結びつけてしか考えられない人は結構いる気がしている。
オートライトというのは暗くなったら自動的にヘッドランプが点灯する仕組みだ。
周囲が〇〇ルクス以下になると点灯するとか厳密に法律で定められている。
これによりランプの点灯忘れなどが防げれるのだがひとつ困ったことにこのオートライトはオフにできない。
いや、オフにできたらオートライトによる点灯忘れを防ぐという目的が果たせないので当たり前といえば当たり前なのだが
困ってしまうのはちょっと高架下に入るだけでヘッドライトが点灯してしまうことだ。
その高架下から右折する場合などで対向に同じく右折車がいる場合などモロにヘッドライトの光を浴びせかけることになる。
停車中には一時的にライト消すということはかろうじて出来るものの少しでも動けば再点灯するので不便極まりない。
その他にも夕暮れ時など光量が安定しない時間帯にはライトがパチパチと点灯消灯を繰り返してしまい場合によってはパッシングしてるように勘違いされるケースも有る。
というわけで運転者の方々でオートライトの義務化を知らないかたもいると思うがどうか意味不明のヘッドライトの点灯の仕方をしている車を見かけても怒らないでいただきたく願います。
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220723-211448/
これ見て思い出したけど、レースゲームの中でも首都高バトルって神ゲーだったな
東京・名古屋・大阪の首都高を夜な夜な走ってバトル相手見つけてぶっちぎったら勝ち
道路上には一般車も走ってて、その間をすり抜けながらバトルするのが醍醐味
こんなグレーな感じのゲームなのにメーカーからライセンス許可貰ってて実車で走れる
ゴリゴリに改造して首都高湾岸線で300km/hバトルとか胸熱すぎたし
300km/hで料金所突破の瞬間は玉ヒュンすぎて最高だった
男の乗用車の前を横切ろうとした黒い影は、一瞬だけヘッドライトの明かりに照らし出された後、車体の下で厭な音を立てて消えた。
轢いてしまった。避ける余裕は無かった。
夜の闇の中、男の運転する車が走っていたのは、道路照明灯も無い山中に在る、曲がりくねった峠道だった。車道の両側に設置されたガードレールの向こうには、ただ鬱蒼とした森が繁茂していた。
こんな人家も見当たらない山中にも、ノラ猫はいるのだろうかと男は思った。その猫の姿は、ヘッドライトに照らし出された時間がほんの一瞬であったにも関わらず、男の網膜と脳に明瞭に焼き付けられた。
仔猫を咥えて車道を渡ろうとした母猫。明るい光によって一時的に白く変化したアスファルト舗装の路面の上で、猫の母仔の姿は不思議なほど黒々としていた。
そして、男の車の方を向いた母猫の眼に反射したヘッドライトの光は、フロントガラスと眼を通過して彼の心を突き刺し、獣とは云えど生命を奪ってしまったという、逃れ難い罪悪感を刻み付けた。
しかし、車を停められるような路肩の空間が無かったことに加えて、夜の暗い山道を一刻も早く抜け出したかったがために、男は一時的に車を停めることも無く走り去った。出来ることならば速やかに、猫を轢いた場所から遠ざかりたかった。もしも街中で起きた出来事ならば、男は可能な限りアクセルを踏み込んだことだろう。しかし、初めて通る曲がりくねった夜の峠道が、それを赦さなかった。男は不本意ながら、控えめな速度で乗用車を走らせるしかなかった。
忘れるんだ。いちいち些細な出来事に心を奪われていたら、運転ミスをして事故を起こしてしまう。たかが獣の一匹や二匹を轢いたぐらいで、それが何だと言うのか。そう自分に言い聞かせながら。
きっと、あの母猫は、予期していなかった明るい光に照らされたことで、恐慌を来たして道の真ん中に立ち止まってしまったのだろう。馬鹿な獣め。そのまま走り抜ければ、お前は轢かれずに済んだのだ。馬鹿な獣め。お前が悪いんだ。俺は悪くない。馬鹿な獣め。お前の仔猫が死んだのは、お前のせいだ。お前が悪いんだ。俺は悪くない。俺は悪くない。馬鹿な獣め。
しかし、一旦芽生えた罪悪感は、それを拭い去ろうとすればするほど、猫を轢いた場所から遠ざかるほど大きくなり、男の心の中で、どす黒い滲みとなって広がっていった。
「ぬわあああん」
何だ。今、聞こえたのは何だ。いや、本当に何かを聞いたのか。気の所為ではないのか。
「ぬわあああああん」
聞こえた。
聞こえただけではなく、男には見えた。
男を追跡してくる二つの眼が、明々と車のバックミラーに映し出されたのを。
その双眼は、今や光を反射してではなく、それらが自ら、禍々しいほどに眩しい光を放っていた。
「ぬわわわああああああんん」
恨みを込めた鳴き声のようなものが、男には聞こえた。それがくぐもって聞こえたのは、我が仔を口に咥えているからであろうか。男の車を背後から追うものの前面には、生気が抜けた何かが、力無く垂れ下がっているように男には見えた。
「ぬわわわああああああんん」
「あああああああああああああああ!」
恐ろしい鳴き声を、男は聞きたくなかった。しかし、両手で車のハンドルを握っていては耳を塞ぐこともできず、已む無く男は、あらん限りの大声で叫ぶことで、その鳴き声を掻き消そうと試みた。
道路照明灯も無い、曲がりくねった夜の峠道を、男は車を走らせ続けた。しかし、曲がりくねった道だから速度を抑えているとはいえ、それでも少なくとも数十キロの速度が出ていた。そのはずなのに、男の運転する車は一向に、背後から追い迫る何かを振り切ることが出来そうになかった。
いつになったら、この峠道を走り抜けられるのだろうか。この峠道には、果たして終わりはあるのだろうか。この夜は、終わるのだろうか。あの猫から、逃げることは出来るのだろうか。自分は、正気を失わずにいられるのだろうか。
答えを持たないまま、男は夜の峠道を走り続けた。
* * *
トラックの運転手は、前方を走る乗用車に向かって大きなダミ声で毒づいたが、その声は相手に届いていない様子だった。沢山の積載物を載せたトラックで山道を走行するのは、只でさえ気を遣う。それが夜で、曲がりくねった峠道となれば尚更である。それに加えて、ノロノロ運転をする前方車両と遭遇したのだから、いっそうトラックの運転手の苛立ちも募った。
トラックの運転手は、何度もヘッドライトをハイビームに切り替えてパッシングし、何度もクラクションを鳴らした。それなのに、前方を走る乗用車の運転手は、後方を確認することも無ければ、脇に退けて道を譲ることもしなかった。リアウィンドウから見える乗用車の運転手は、何やら頭を振りながら声を出しているようにトラックの運転手には見えた。カーオーディオで音楽でも流して、歌でも歌っているのか、後方車両の存在に気づいていない様子だった。
迷惑な話だ。早く道が分かれて、この乗用車と行き先が別になるといいのに。しかし、あいにく一本道が続き、このままトラックは暫く乗用車の後を着いて行くしかなかった。
苛立ちを募らせた運転手を乗せて、乗用車の後を走るトラックには、仔猫を咥えた母猫の姿を記号化した運送会社のトレードマークが、黒々と印されていた。フロントバンパーには、走行中に何処からか飛んで来た、黒く汚れた小さな布切れが引っ掛かって、力無く揺れていた。
* * *
男の乗用車の前を横切ろうとした黒い影は、一瞬だけヘッドライトの明かりに照らし出された後、車体の下で厭な音を立てて消えた。
轢いてしまった。避ける余裕は無かった。
夜の闇の中、男の運転する車が走っていたのは、道路照明灯も無い山中に在る、曲がりくねった峠道だった。車道の両側に設置されたガードレールの向こうには、ただ鬱蒼とした森が繁茂していた。
音楽は聴いたときの体調とか周囲の環境とかでまったく印象が変わってしまうことがある
同じ曲を毎日聴くとしても、あれ?こんなに速かったっけ?と思うこともあれば、なんか遅すぎないか?と思うこともある
コンサートなどでメンバーに同じ拍子が電子音で聴こえる耳に装着する機器、クリッカーと呼んだりもした気がする、があるが、
あれがないとドラムやベースから加速していってしまうことがある
思うにずっと弾いていると色々と音の感覚が麻痺してくるというのもあるし、心拍数が上がるからでもあるんだろう
だから、最初から弾いていってアクセルが入って速くなっていくのは違和感がなくて問題がないが、
途中参加で演奏する人からすれば、こいつらなんでこんなに速いんだ?みたいに思うこととかあるのではないだろうか
商業音楽だろうがクラッシックだろうが何だろうが、すべての音楽の原点は原始人が炎の周りで踊るようなものだったはずである
それは基本的に太鼓がベースであり、音階はないがリズムがあり、規則性があった
規則性はリズムだけでなく音階にも当てはめられ、それが数学と音楽の関係に結びついた
しかし、なぜこの周波数の音が気持ちが良く、なぜ不協和音が不快なのか、
一方で半音ずれたことによる不快な和音が気持ち良く感じる人がいる、もしくはディミニッシュパッシングだっただろうか、
音が上昇、下降するときに半音で移動するというのは非常に心地よく感じられる、ことがある
これはベース音が単音であれば単なる半音であるが、コードとしての当てはめ方はいくつかあると思う
それがいわゆる5度進行であったり、ディミニッシュコードで補間するというものである
このディミニッシュコードは単体では深いな音に属するように思われるが、安定したコードの間に挟むと美しくさえ感じるのである
ある局所的なエネルギー最小値から別の最小値、凹みから凹みへ移動するには山を越えなければならない
音によって感情が作り出されることがある
逆にそのときの感情によって音に対する感想が大きく変わるのである
そういう点から考えるならば、職場に最適な音、音楽、食事中に最適な音楽、
フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の…」のムードオルガンではないが、望ましい感情を音楽から作ることもある程度は可能であろう