はてなキーワード: 繋ぎとは
https://anond.hatelabo.jp/20181020184446
遅ればせながら昨日ようやく Detonation 観て、元増田と同様に気になったけど一晩経って腑に落ちたので、こちらにぶら下げさせてもらおう。
ラストのアレ、いきなりああなって、本編中で言及されないまま戻ったアレのこと。なんだかわからん人は劇場に行ってこよう。
自爆攻撃食らってなのはの右腕消し飛んでるのに、しれっと治ってるじゃない? だから見間違いかと思ったんだけど、2週目特典アフターepによるとちゃんと(?)吹っ飛んだけどナノマシン etc. の謎医療技術で替わりの腕をくっつけた……らしい。なおソースは twitter。
正直、そのへんを本編で省略するなら、なんでわざわざそんなことしたの?衝撃映像にしたかっただけなら……ずいぶんと、安っぽい、というか、ゲスい、というか、とにかくくだらねーな、と思ったわけですよ。
で、うだうだ考えてたんだけど、あれはたぶん、古代ベルカの聖王オリヴィエの暗喩、なんじゃないか。
孤高で、自己犠牲を厭わない聖王オリヴィエは、友の差し出した手を拒絶して単身で聖王のゆりかごに乗って空に上がったわけです。その彼女には両腕が無かった。それは、誰の手もとらずに独りで逝く、という運命のメタファーなのでしょう。
一方、高町なのはもまた、(途中まではもうひとりいたけど)最後は独りで高みに上り、そして片腕を失う。でも、フェイトとはやてが追いつき手を差し出した時に、なのはにはそれを掴む手が残されていた。自分のことが嫌いな彼女は、けれど決して独りではない。そして、彼女と繋がるいろんな人たちの尽力が、失われそうだった腕を繋ぎ留める。
なるほどなー、とここに至ってようやく、Detonation まじで全部が最高だわ、と思ったのでした。
「エタァーナルゥ…フォーーース!…ブリザァァァァァァァド!」
「エターナルフォース…ブリザード…(ニヒルな笑みを浮かべる)」
「エターナルフォースブリザード…さぁ、耐えきれるかな?」
「†確実なる死への歩み"エターナルフォースブリザード"†」
「く、来るなー!」とか「近づかないで!」とかいいつつ発動
「今のはエターナルフォースブリザードではない…氷の息吹だ」
「エターナルフォースブリザード、でございます。」
「うぉぉぉお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」(発動)
「汝、美の祝福賜らば
我その至宝、
紫苑の鎖に繋ぎ止めん
10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリの希望もない恋だった。
好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢を今日、自分で選んだ。
好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。
特別可愛いわけでもスタイルがいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意もプライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。
好きだった人と同じ髪型だったからLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。
「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。
私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーとデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。
いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。
これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。
「変わった人だなあ」が第一印象だった。
その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。
2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草、視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。
それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶違いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいつももう少し一緒にいたかった。でもその感情は好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。
「ホテルで映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画を再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロールが流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。
それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。
このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。
それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。
彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋で自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬をオーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。
そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛に依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛にアクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。
「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」
保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安で心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。
告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。
「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。
8月14日。お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10時から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店で他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。
「ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後だから」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。
それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。
すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ
ていったのは確かだった。
でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人のSNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒はさらに揺れて、そう長くは続かなかった。
「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿げたことを思った。
そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所で待ち伏せをした。
彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。
彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。
2月17日、たった1時間ちょっとの時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインのチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。
2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。
10月16日。彼のSNSのひとつに鍵がついた。もうひとつのSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いのきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。
息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎ、キスをして、セックスをするんだろうな。
悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。
これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。
ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。
彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントのひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージを検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。
「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。
喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。
好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。
SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。
私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。
今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。
やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名の日記にするくらいには悲しい。
本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子だから、絶対絶対絶対、幸せになってね。
先月間違ってド文系なのにシステムエンジニア志望者向けの就活イベントに参加してしまったんだけど、ちょっと笑ってしまった
企業の人と割とフランクに話すイベントだったんだけども、誰も質問しようとしない。てかシステムエンジニア志望者向けって銘打ってんのに、誰もその方面の知識持っている感じがしない
俺はド文系だから、専門外だから、必死に講義とか本とかネットで得た情報を無理やり繋ぎ合わせて質問したの。めちゃくちゃ怖かった。でもとりあえず持ってる知識をすべて出し切るしかなかった。
そしたら隣りにいた大学生が「めちゃくちゃ詳しいですね!」って
違う、今言ったのは講義で習ったことそのまま話しただけ。しかもド文系学部の講義の。いやむしろマウント取られないかこっちはヒヤヒヤしながらやってんのよ
なんかもう、拍子抜けしてしまった。就活ってもっとみんなギラギラしてるもんじゃなかったの?いやまあイベントごとに雰囲気も違うだろうし、上見たらもっとすごいのゴロゴロいるんだろうけど、とりあえず自分は最底辺ではないっていう自信だけは少し得られた。自信だけは
最近恋愛をする話を見るときゅんきゅんするとかどきどきするとかそんなんじゃなくてただただ羨ましくなる。こんなふうに自分だけを愛してくれる人がいるなんて羨ましいなと思ってしまう。
私は18の高3でまだ先があるけどこのままじゃ一生彼氏の1人も出来ずに死んでいく気しかしなくて、陰キャでオタクでネガティブで自分に自信が無いけどそう見られたくなくて必死で化粧して可愛い服着ても社交性が皆無だし人と喋ろうとすると顔が赤くなってまともに喋れないし男の子とまともに会話したのなんて小学生の頃が最後かもしれない。
大学生になっても多分男の子と喋らずに女の子とだけつるんで終わるんだろうなって思ってるけど恋がしたいし人を愛したいし愛されたい。なにか行動しなきゃって思ってるけど何を喋ればいいのかわからない。
恋してる友達とかそのへん歩いてるカップルとか、本当にすごくめちゃめちゃ死ぬほど羨ましい。
私も恋がしたい。好きって言われたいし好きって言いたい。正直女の子でも全然いい。私を心の底から好きって思ってくれてずっと一緒にいたいって思ってくれて愛してくれるなら男でも女でもうれしい。手を繋ぎながらデートしてみたいし好きだなって思いながらハグだってしたいキスだってしてみたいしもちろんそれ以上のことを好きな人としてみたい。
誰かと恋がしたい。
Day 4-5
4日目・5日目 Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City.
明日の早朝便でホーチミンを去るため、今夜は空港で明かす事となり、しっかり眠っておきたかったのだが、明け方に少し微睡んだだけで余り眠れなかった。
旅の緊張と自律神経の不調の前では、睡眠導入剤の一錠では頼りなかった様だ。
変な所で居眠りをして置き引きやひったくりにでもあったら事なので、少し動き方を組み立てる必要がある。
今日と明日、一番でしなければならない事は、言うまでもなく「健康や財産を損う事なく、無事に帰りの便に乗る事」だ。
既に損なってしまっている自律神経に関しては仕方がない、せめて悪化しない様に易しい日程を組もう。
おそらくこの旅の栄養面で一番お世話になった、ホテル ニューワールド サイゴンでの朝食を終え、サークルKにお茶や水の買い出しに向かう。
そうだ、必ず通るエレベーター前の、あの暗紫色のアオザイを着たエレベーターパーソン。
毎日入れ替わるのに、全員美しい。
1Fから Ground floor 行きに乗換えを案内してくれたのは、目がクリッとした愛嬌のある美人。
「Oh..., What a thing, you were beautiful agein today !」
ちょっとウケた。
「Do you want to go the ground floor?」
「Yeah, have a nice day.」
サークルKでお茶と水を物色していると、お土産にうってつけのモノを発見した。
インスタントコーヒー。コーヒーこそホーチミンの象徴だ、この旅行でも何杯飲んだか分からない。
昨夜眠れなかったのもコーヒーの飲み過ぎかも知れない。
アイス用とホット用、それぞれをカゴに押し込んで、ついでにクーラーに並んでいた「恋しいミルクティー ダーリンすごく会いたくて」とハート満載のラベルに書かれたボトルも押し込んだ。
日本語ではあるが、あまりにスイートでストレート過ぎるワードセンスとカラーリング。日本法人のローカル商品や香港製の可能性もあるが、直感的に台湾製だと思った。あの人達は歌って踊って食って恋する人達だ。
店を出て裏のラベルを見たら、やはり台北市に本社を構える食品会社のモノだった。
ホテルに戻りシャワーを浴びた後、恋するミルクティーをデスクの端に置いてタスクを整理する。
忘れ物のチェックやチップの様な、何時ものチェックアウト時タスクにプラスして、荷物の預かりと、チェックアウト後のラウンジでの休憩を交渉できれば良いだろう。
味もやはりスイートだった。
残金の計算など幾つかのタスクをこなした後、この旅行記を書いていると、チェックアウト時刻が速足で近づいて来る。急がないと。
今度こそ調味料を正しく全て入れてお湯を注ぐ。
程なく出来上がったカップ麺は、当然初日の無味とはえらい違いで、あっさりしているが食欲のない時にも食べられそうな上品な味わいだった。
やる事が多いので、食べながら荷物を整理し、休憩交渉のメモを書く。
11:50
残りのスープをかっ込んで、ついでにメモパッドにも感謝を描き込んで、チップと共にベッドに置いて部屋を出た。
「Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City.」
台湾人に当てられた訳ではないが、メモパッドにはハートが踊った。
ホテル ニューワールド サイゴンのフロントパーソンは、荷物の預かりも、22:00までのラウンジでの休憩も快く応じてくれた。
さすが貨幣価値の概算で1泊6〜7万円ほどのクラスのホテルだ。
日本人スタッフに電話を繋ぎ、意味の取り違えが無いか確認する程の丁寧さ。
このホテルに泊まれた日々は、嘘や大袈裟でなくGreat days だった。
Good night, and good luck.
夕食のアテならある。
店の多さといい、お一人様歓迎のライトな雰囲気といい、日本で言うところの丸亀製麺の様な店だろう。
折角異国に来てチェーン店かよという人も居るだろうが、自分は食感のヌメッとしたもの以外であれば、大体において「美味い美味い」と言って食う人間であり、メンタルに不安があるこのひとり旅では、店の気軽さこそが重要だった。
Pho 24 を目指し通りを歩くと、やがてフォーならぬ、丸亀製麺ホーチミン店が見えて来た。
見知った店とはいえ、流石にここでは食わない。
しかし、日本企業のベトナムローカルメニューというのは気になるもので、店外の大判メニューを見てみる。
物の本で知ったのだが、中国で進出したラーメン店で、当初醤油ラーメンが全く売れなかったらしい。
どうも中国人感覚では、トンコツに比べて醤油スープは手抜きに感じるらしい。
おそらくは似た事情だろう、アジアにおいて日本麺の象徴はトンコツスープなのだ。
Google map を見ると、Pho 24 の目と鼻の先に統一教会があったので、まず向かう事にした。
行きすがらにテニスコートがあり、お父さんがテニスを楽しんでいる。
コートから5分も歩かないで辿り着いた統一教会は、シンとしていた。
当然といえばそうだろうが、ライトアップもない。
夜の教会を撮ったものか逡巡したが、スマホの写真に収めて、一礼した。
さて夕食だ。
Pho 24 でカウンターのメニューを見ると、なんと練乳で作るベトナムプリン、バインフランがあるではないか。
かくして夕食は牛肉のフォーとプリンという珍妙な組み合わせとなった。
実のところ、フォーの本場は北部から中部であり、南部のここホーチミンを象徴するのはフーティウらしいのだが、この際、何を言われてもいい。
直ぐに運ばれて来たフォーは、腰もへったくれも無かったが、不調を抱え不安定な食欲には丁度いい食感だった。
一緒についてくる青菜をどんどん入れる。バジルの香りが心地いい。トウガラシは一切れでエライ辛さだった。
エッジがピンと立つしっかりした固さだったが、甘さは優しかった。
それより、流石にあんまりだと思って追加注文したライム茶の方が甘い。
ホテルに戻る前に立ち寄りたい所がまだあって、それはスターバックスだ。
スターバックスに向かって歩いていると、ホーチミンに来て初めて欧米人に声をかけられた。
長い金髪を後ろでくくった髭の男。
「A little.」
嘘だ。
しかし、言わんとする事は大体わかった。
男はエストニアからやって来て、この通りで財布を落とし無一文だという。
幾らでも良いからくれと。
絶対嘘だ。
だけど笑ってしまったので、少し渡す事にした。
200,000ドン。
男は手元に折りたたんで持っていた札束にそれを加えた。
持ってんじゃんか。
「Are you came from ?」
「Japan.」
男と握手して別れた。
「Thanks.」
「Good night, and good luck.」
辿り着いたスターバックスではグリーン&ホワイトティーなるモノを頼んだ。
何が出てくるかと思ったけど、ちょっとリッチな抹茶ラテの様なモノだった。
2階席の端に陣取り、男とのやりとりを女友達にLineしていると、不意に声を掛けられた。
カードを見せられる。
どうもフェアトレードか何かで革製のアクセサリーを売っているらしい。
手を振ってもその仕草だけマイルドに無視されて引き下がってくれないし、手元のドンも多分あと1日半で使い切れないほどある。
1つ買い求める事にした。
「Thank you.」
「Good night, and good luck.」
眺めてまた逡巡した。
50,000ドン位は痛くも痒くも無いが、これが安全だという保証は?
アクセサリーにチップを仕込んで跡をつける事だって出来るかもしれない。
荒唐無稽と思えるだろうが、ここ数日で見たホーチミンの発展ぶりならあり得ないという保証もない。
明日の夜は半野外のタンソンニャット国際空港で明かすのだ、危険の仄かな香りさえ纏いたくない。
人が信じられない嫌なヤツだと思いながら、アクセサリーはスマホの写真にだけ収めて、スタバに置いていく事にした。
こんな手段を想像できるなんて、自分には犯罪者の才能があるかも知れない。
いや無理だな。
見え見えの嘘を前に「笑ったから」という理由で金を払ったお人好しに詐欺など務まる訳がない。
少し頭をよぎったのは、俺は彼女に振り回されたのか、振り回したのかという事だった。
ホテルに戻ると、夜もすっかり暮れているというのに、白い制服の女学生が車止めの前でたむろしている。
よく学生を見かける旅だな。
通り過ぎてエレベーターに乗り込むと、2組の制服がエレベーターのドアにマイルドに挟まれながら飛び込んで来た。
「ヤバイよね、私達」
「おいおい、大丈夫か?」
女学生は一瞬戸惑って尋ねて来た。
「日本人ですか?」
「そうだよ。」
「えー、なんだか嬉しい!」
「俺もだよ。」
Ground floor から1階までの僅かな会話。
「Good luck.」
それだけ声を掛けて、女学生と別れた。
まあ良いか。
やりたい事は大体やった。
部屋に戻ってシャワーを浴びよう。
ホテルに戻ってシャワー浴び、今日の顛末を旅行記に書いた後で、例の曲のMVをDLした。
ホテルのwifiで決済情報のやり取りをすべきでないので、一応レンタルwifiに繋ぎ直す。
よくよく考えれば通信業者はZTEで、これが信用できるかといえば怪しいと言えなくもないが、さすがの中国企業も共産党の指導で個人の決済情報を抜いて金をチョロまかす様な、大胆にセコイ真似はしないだろう。
DLが始まると、レンタルwifiの使用量がみるみる増えていく。
DL終了だ。
アップテンポの曲だが、今日のエンディングテーマには相応しいだろう。
画面の中に、まだ訪れていない風景や、見覚えのある建物が映る。
そうだ、曲の中に「夕立もきっと来る」というフレーズがあったが、まだ来てないぞ。
4,000年に一度の美少女の神通力も、事、天気に関してだけは通じないみたいだ。
残り1日半。
夕立で俺を振り回す事は出来るかな?
【8】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|4日目・5日目 Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City. へ >>
コンテストみたいなものがあると思うからそれに応募する、とか決めなよ。
短編でも中編でもいいよ。普段のメモ以外のところから持ってきてもいい。
ひとつ書き上げるということを経験すると、見え方が一段階上に上がると思う。
最初から最後まで書く、ということは自分でひとつのものを何度も読み返して推敲し、構成や細かいところの修正を重ねる作業が絶対必要になる。
ディテールを詰めて完成させたものは反省点が多く見えると思う。
あー、最初からここはこうしとけばよかったなとか、こういう繋ぎって難しいんだなとか。
その次はそのあたりを踏まえて、もっといい作品が書けるようになっている。
じゃあ次の20年は?
それを半分と考えて、半年は?
半年で一作。
一作仕上げるには、ネタ出しをいつまでに終わらせるか?プロットは?構成は?仕上げは?いつまでにやればいいか?(小説の書き方は知らないのでふわっと言ってます)
スケジュールを逆算して、いつまでに何を終わらせればいいということが見えていれば、あとはそれをこなすだけなのでいいと思う。
工程ごとに細かく締め切りを決めれば、自分が今何をするべきかが見えてくる。
それを繰り返していけば全部終わったときには完成してるよ。
自分が過去そういう人種だったのと、今でも気を抜くとそう口走ってしまいそうになるから自戒でもあるんだけど、「なんでもいいよ」「どこでもいいよ」ってとんでもない悪だよな。
そもそもの話、どちらかが自分の意見を通したいタイプでもう片方が「なんでもいいよ」タイプなら悪ではなく、相性いいジャーン! スムーズに話まとまるね! ってなるけど、お互いに意見を出して決めたいタイプと「なんでもいいよ」タイプは分かり合えなさすぎてほんと地獄。
「なんでもいいよ」っていう人の意見的には
・ほんとになんでもいい
・「なんでもいいよ」が優しさだと思ってる
いや悪魔か? それが優しさなら優しさはき違えてない?? 優しさをカケラももっちゃいね〜〜〜〜〜やん??
「なんでもいいよ」ってそもそも考えること放棄してるじゃん。そこにいくら優し〜〜〜いありがた〜〜〜〜い気持ちつぎ込んでたとしても口から出た言葉は思考放棄一択。
え? 私と遊ぶってなってご飯行くってなって「どこでもいいよ」「なんでもいいよ」って、ご飯行く場所考える時間すら使いたくないってこと? 案すらだせない? まじでそんな時間使いたくねーってんなら帰るけど? ってならん?
まーーーでもそんなこと言わないから「そっかー、じゃあ今食べたくないなーってやつとかある?」って聞くじゃん。「特にないかな」 しゃらくせぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!! そういう奴に限って「じゃあ中華でここのお店にしよっか」って言った途端「中華か〜…気分じゃないな〜」とか言うだろほんと害悪滅んで〜〜〜〜!!!!
そんでさすがに嫌になって「◯◯も考えてよ!笑」っていうじゃん。そしたら「うーん…」ってなって沈黙。気まずくなって「私は今和食の気分かなー、◯◯は?」って聞くとする!!!!「じゃあ和食!」じゃあってなに〜〜!!!?!便乗してんじゃねぇ〜〜〜〜!!!!
別にお互い食べたいものが「和食」「洋食」と別れたとしても友達なら「今日は洋食にして、今度和食にしよっか」ってできるじゃない? たとえ次ほんとに和食じゃなくてもいいのよ私の場合は。お互いの意見をだして妥協案が出せる過程が重要なわけ。たとえその場であなたの「洋食」が選ばれなくても、その人の意見がたまたま通らず妥協案となってしまっただけで、意見が通らないイコール人格否定ではない。
だからもっと意見を言ってほしいのよね。意見というか気持ちを。些細なことでいいよ。トマト食べたくないとか、今は安い肉が食べたいとかそんなことでいい。
意見を出さないことを悪だと思ってほしい。先にもいったように人によるけども。ほんとに。自分の意見を通したくてたまらない人にわざわざ無理をしてまで意見する必要はないと思うけど、考えて、とかどうする?って聞かれたら最終的に明確な答えがでなくても考えてほしい。
書いてて思ったけど「どうする?」って聞いた時に「どうしようね?」っていう奴も同類だからな。Ah…、っていう繋ぎの言葉の意味ならいいけど「どうしようね」で意見したつもりになるな。オウムのが賢いわ。
「なんでもいいよ」を優しさだというなら母胎からやり直してきてほしい。
自由党の対応は連合と不仲だからだろう。文句は言うが票だけ寄越せと言う立場。その上市議会吉田系会派には森裕子の元秘書がいる。
自民系だが反原発色を強めるなど、仮に吉田が当選した場合小池百合子化するんじゃないか?と前から思っており不安なところ。
推薦を出すと政党間の主導権争いが起きるため(旧民進党も共産党もお互いあいつのせいで負けたと新潟県知事選の責任を擦り付け合っている)、これ以上の体制は作れない。
推しが神ってよく言うけどね、私にとっちゃ推しはマジで宗教なんです。人生を生きる道しるべなんです。私の辿った道は絶対よいこはマネしない方がいいやつだから、自戒もこめてここで一つ纏めてるんですけどね。脈絡もないから絶対すごい分かりづらいし、めっちゃ重いけど、こんな人間もいるんだ、程度に流し見しといて。
小さい頃から親の転勤がさかんで、引っ越しばかりではあったけど、とうとう海外転勤になった。言語が通じなくて、文化も生活習慣も違くて、それでも勉強はしなくちゃいけないし、友達はつくらなきゃいけないし、死ぬほど頑張った。そもそもそれまでは幼かった私は日本で一生過ごすもんだと思ってたから、何の心の準備も無かったし、本当に地獄だった。その頃のことが実をいうとあんまりよく思い出せない。思い出せるほど何か考えてなかったからだ。毎日毎日、必死に勉強して、それでだましだまし、何とか現地の子と同レベルになった私は、本当にあの頃よく頑張ったなと思う。もしも日本に残れていたら、の事を考えるたびに泣いていたから、そのうち考えないようになった。
それまでは特にアニメや漫画に興味があるわけでなかったけど、小説は好きで図書室に一生籠もりたいと考えていたくらいだったので素質はあったんだと思う。
おおげさだと思うかもしれないけど、あんまりいきなりの事だったから、引っ越しても、現地の学校に通っても、友達を作っても、始終私には現実味が無かった。本当に、何だか悪い夢を見ているような毎日で、だからあまり思い出が無いのかもしれない。そんな私にとって、パソコンを開ければスクリーンの向こうにいつでも広がる日本語のアニメや漫画は、唯一現実を繋ぎ止めてくれる依代みたいな物だった。んな大げさな、って思うでしょ。実際に体験してみ、私があそこで心折れなかったのはひとえに推しと優しい家族のお陰だから。あそこで生きることを放棄しなくてよかったよほんとに。推しに会えたからね。
そんなこんなだから、推しにどっぷり。腐り始めたのもネットで違法アップロードされてた同人誌をみちゃったのがきっかけ。ごめんなさい、今はもうそんなことしません。推しにお金を貢ぐのがいいんだよね。話それたけど、とにかく検索能力を駆使してサイトを駆け巡った。全然未成年だけど十八禁の小説も読みまくった。本当にごめん。結局サイトのどこかに隠されたパスワードを見つけられなかったこともしょっちゅうあったわ。その頃から、特定の作家さんの存在を認識して、「同人作家」という概念も覚えた。最近はツイッター等で作品を投稿する作家さんが多くて、「その作品を作ってるのはロボットじゃなくて一人の人間だという認識がしにくい」なんて言われてるけど、サイト時代も割とそういうの難しかったと思ってる。似たようなサイトを毎日、毎週、毎月ひたすら検索かけて飛び回っていたから。
私の場合は、綺麗なデザインのホームページで、特徴的な絵柄で、日常的なお絵かきログ以外にも「何これ欲しい」って思えるようなハイクオリティの同人誌のサンプル等を綺麗に纏めて陳列してくれる作家さんがいて初めて、「このサイトを作ってくれてる、こんな推しの作品を作ってくれる特定の人間がいる」って認識できた。
支部の存在を知ったときも、正直「何だこれ胡散臭いな」って思った。皆そんなこと無かった?私はそんなことあったから支部の存在を知ってから登録するまで半年かかった。でも前述した綺麗なホームページの作家さんが支部を使ってて、サイトで見たのと同じ同人誌のサンプルが上がってて、初めて支部はまともな交流フォーラムなんだって認識できた。今まで見てきた沢山のサイトと支部が初めて繋がった感じ。その作家さんとは今は推しカプもジャンルも違うけどずっとフォローしてる。推しカプとは関係ない、推し作家なんだよ。本当にありがとう、つらい日々に貴女の綺麗な水彩絵や、幸せそうに体を寄せ合って笑う推しを見てると、それだけで救われた。生きていけると思った。
支部は本当に神だったね。推しが、色んな人の推しが、簡単に手に入る。神っつーかドラッグだったわ。ほらよくあるじゃん、神と交信する為にドラッグ使ってトランス状態に陥るやつ。私にとっては完全にあれだったわ。支部を通して推しと交信してた。
最初は年齢制限とか全然分かんなかったから単純に十八禁作品はアップロードできないのかと思って、「支部はいいけど十八禁の作品無いのが難点だよね~~~」とか思ってた。ある日とあるシリーズものの中に不自然に一話かけているのに気づくまでは。皆、シリーズ物の中に十八禁の作品がある時は、キャプションにその作品のリンクを貼っちゃだめだよ。私みたいな、支部の管理下に置かれていた駄目な未成年が年齢制限に気づいて誕生日を変えに行っちゃうから。マジで本当にごめんなさい。懺悔懺悔、推しに懺悔。
あと、小さい頃からパソコンやネット環境は惜しみなく提供してくれた親に感謝。
新しい学校では言語スキルの上達もあって、もう少し親しい友達が出来た。日本に比べてオープンなオタクや腐文化には優しいところだったから割とオープンにいけた。某巨人ブームも良くなかったよね、今までアニメなんかドラえもんくらいしか見た事なかった学級委員長が一夜にして腐るとは誰も思わないじゃないか。あのブームは本当にやばかった。もう、何か、やばかった。察してくれ。
でも成績は下がった。みるみる内に下がった。もともとだましだましやってきたもので、周りの子は塾に通ったり、来年の内容まで予習してるのに、私はその日その日を食いつなぐのに精いっぱいだったから、まあ普通に考えてそう簡単に差が埋まる訳ないんだ。新しい学校は優秀で頭のいい子が多かったし。私は焦ったけど、焦れば焦るほど悪化していく気さえした。あの頃が一番鬱だったかもしれない。中二病だったし。どんどん、自分が生きる意味や存在価値が分からなくなって、とにかく死にたいと思った。もともと勉強は得意な方で、読書が一番の趣味みたいな子だったから、海外に引っ越してそのどちらも取り上げられてしって、更に悩みを共有したり一緒に遊んだりする友達もいなくなると、存在価値が本当に揺らぐんだ。ついでに言うと、私の夢は言語に、もっと言うと日本語に関わる物だったから、母国語で義務教育を受けきれなかった私にとって、希望に満ちた夢は一瞬で絶望になった。日に日に日本語に変なアクセントがかかるのが分かって、辛かった。(大事な事(日本語)は全部二次創作に教わった。支部に駐屯する野生のプロの先生方、本当にありがとうございました。あなた達に救われた人間は、確かにいます)思い描いていた輝かしい理想に私はきっといない。もっと何か、別の道を探さなきゃいけない。でもどうして?その道を進みたい訳ではないのに?私にはどうしようもなかった理不尽に進みたかった道を閉ざされたのに?私の生きる意味って何だろう、どうして私こんなところにいるんだろう。私はここで一体何をしてるの?私がここにいる意味とは??
がむしゃらな努力は報われない。方向がちがけりゃどんなに頑張っても目標には届かないからね。その日その日を生きてきた私には、目標も努力の意味も分からなくて、次第に疲れて、やる気をなくした。ふさぎこむようになって、私のこと心配する家族とも喋りたくなくなった。反抗期だったしね。とにかく放っておいてほしかったし、何も考えたくなかった。
比例するように、推しへの依存は強まっていった。毎日、推しカプの小説を読んだ。それが無いと落ち着かなかったし、不安だった。息をするように支部にログインして、慣れた手つきで推しカプの検索をして、新しい作品が無いかチェックして、無ければ過去の作品を繰り返し繰り返し読んだ。推しを見ている間は自分のことなんて忘れられたし、何も他の事は考えなくて良くて、ただ推しのことを考えていられたから、本当に幸せだった。要するに推しを使って現実逃避をしていただけなんだけど、でも推しはそれを咎めてこないでしょ。上手くいかなくてむしゃくしゃして、どうすればいいのかも分からなくて、楽しいことが無かった訳ではないけど、それでも辛い私を推しが受け止めてくれた。
別に、推しやその生き様から希望を貰ったとか、頑張ろうと思えたとか、そんないい話じゃない。ただそこにいてくれるだけで良かった。何があっても、変わらず推しがそこにいてくれるのが心の支えだった。ただそこに推しがいてくれるだけで、生きていけた。それで、生きていたから、次の一歩を踏み出せた。
そんな日々を何年か続けて、やっと心の整理が出来て、ちょっとずつ、自分と向き合おうと思えるようになった。そういう時の心のワンクッションに、推しはなってくれた。重点を置くジャンルを移動するとほぼ同時期に、また親の転勤で、私はまた荷物を片付けて、また仲良くなった友達と空っぽになった自分の部屋と家にお別れをして、引っ越した。
推しとはお別れなんてしないけど。好きな作品はいつまでも好き、好きなカプはいつまでも好き、好きなキャラはいつまでも推しのまま。ずっと私を支えてきてくれた、大事な推しだから。弊社は推し殿堂入りシステムを採用しております。
ここらへんでさ、推しに対する思いがなんか重いなって察しのいい皆さんは気づくでしょう。そうこれ、私にとっての推しが「不変の何か」「道しるべ」「希望」であるんですよ。何かを思い出させません?宗教ですよ。神。絶対不変の神。人が神に縋るのは、神なら不変を貫きつつ全ての不安や煩悩や幻想、全部纏めて受け止めてくれるからですよ。生きるって本当に難しくて大変な事だから、皆ぶれない信念に縋って生きていこうとするんですよ。生きている人間からは得られない、あの絶対的な安心感。私は無神教だから~とか言ってたこともあったけど、あんなの嘘っぱちでしたよ。私の宗教、推しだったんです、この頃から。
新しい環境、新しい学校。ここは前にいた所より社交性を求められた。そして勘の良い皆さんなら気づくと思うけど、そう、ここまで勉強に精一杯で、時間があれば推しをキメて精神安定を図っていた私は、社交性を一切高めてこなかったんですよ。簡単に言えばコミュ障。そもそも海外に来た時点で言語が通じなくて性格一転したからね。人と会話して意思疎通図るのがいつの間にか苦手になってた。それだけの言語スキルを手に入れてからも社交に対する苦手意識はぬぐえなかった。
それでも、割といけた方だと思う。苦手でも、人と関わるのが嫌いなわけではなかったから。新しい学校は、私と似たような人生辿ってきた子が結構いたから、それもあってか、割と簡単に馴染めた。
いや実はそんなことなかったかも。友達関係でいっぱいトラブルも起こしたし、悩みもいっぱいあった。でもそれ以上に楽しい思い出があったから、嫌なことは簡単に上書きされちゃったんだと思う。勉強も楽しかった。成績も上がった。新しいことにも沢山挑戦できた。心残りや後悔はやっぱりあるけど、ホンマに何でもかんでも楽しかった~~~
でもね恐ろしいことにね、楽しい時間はね、続かないんだよ。おっそろしいわ。
大好きな学校はね、卒業しなきゃいけないし、大学ね、受験しないとアカンのよ。おっそろしい。私の場合は大学でまた海を渡って、まら違う国に渡る計画をなんとなく建てていたから、今まで何だかんだずっと一緒にいた家族とも離れなきゃいけない。また違う環境、また違う言語。(いや言語は前の時より準備あったけどさ、それでも外国語ってことには変わりないじゃん)どうすんねんマジで。大学受験でもれなく鬱になった。人間の身体って割と簡単に限界が来るんだよ。だから皆本当に、睡眠と食べ物はちゃんと取らなきゃだめだよ。一日八時間寝て。家族や友達に沢山迷惑や心配をかけた。もう二度と救急車の厄介になりたくない。
ここでもやっぱり、未来についても目標とかなかったんだよね。私には推しがいればそれで良かったからさ。大学に行こうと思ったのも、流されて、なんとなく。っていう部分が多くてさ。私にとってはまだ、日本にあのままいられなかったその時から、どの道を進んでも同じような気がしてた。
一方で相変わらず、推しへの愛を募らせ、イベントの度に支部に上がるサンプルに歯をぎりぎり言わせてた。ついったで作家さんをフォローするようになったのもこの頃。凄いよね、雲の上の存在だと思ってた作家さんにマシュマロで感想送れちゃったりするんだよ、しかもその感想に返事が返ってくるんだよ。やばいでしょ。マジやばい。イベントなんか参加したことないし、多分これからもそうなんだろうけど、作家さんと交流できるって本当に画期的だよ。自分で作品を書くようにもなった。日本語変じゃないかな、文法おかしくないかなって、不安になりながら上げた作品に、反応が返ってくる。ブックマークされる。見てくれる人がいる。感想を送ってくれる人までいる。嘘でしょ。やばい、好き。推しが好き。こんなに幸せな気分にさせてくれる推しが好き。
そうやって毎日毎日最低3時間は支部とついった巡りに時間をかけてたから、睡眠時間を削るしかなくて、それで生活リズムと体内時計狂い始めたんだよね。笑えねえ。絵や文だけじゃなくて動画にも手出しちゃったんだよね。えむえむでー、人力、偽実況。たま~に夜更かしするならいいけどさ、もともと身体強い方じゃなかったから、毎日2、3時に寝る生活は三年も持たなった。あとあと簡単に鬱になったのも、身体を壊したのも、完全にそういう無理な生活習慣が祟ったなって思ってる。周りの人は私が勉強頑張りすぎて身体壊したんだって思ってるけど、もうマジで全然そんなことない。推しに会いたくて会いたくてどんなに忙しい時でも推しに会う時間確保しようとして身体壊した、ただの馬鹿。皆は絶対真似しちゃだめだよ。寝てねマジで。
家族の話、ちらほら出てきたでしょ。小さい頃から国を離れたわたしは、「国がない」人間なんです。そりゃ法律的に言えば日本人だけどさ、故郷と言われてピンとくる場所も無い、地元ってどこだか分かんない、自分の国がない。私みたいな子に結構会ってきたけど、私らみたいな人は、結局どこ行っても余所者なんですよ。それが何年もかけて向き合ってきた私のアイデンティティだから、今更どうこうは言わないけど、でもそういう根本的な寂しさはやっぱりあるんです。いつだって、そんな私の帰る場所は、私の家、家族がいる場所で。でもそんな家を、家族を私は、離れなきゃいけない。一人で生きていかなくちゃいけない。何にだって終わりがある、別れはいつかくる、それを十分に分かっていた気でいたけど、全然分かってなかった。私の家は、絶対安全なシェルターは期限付きだったんだ、いつまでもそこにある訳じゃなかったんだ。それがなくなったら、私は本当に何処にも属さない、この世界の余所者になってしまう。いざそんな現実に直面して、そんな底なしの不安を感じて、辛くなりました。
またも不安に比例するように、夜更かしして推しに会いにいくようになりました。寝るのが怖かったんです。だからぎりぎりまで起きていて、推しに慰めてもらってた。寝たら、明日が来てしまう。明日なんて来なくたってよかった。ずっとこのままでいたかった。どこにも行きたくない、どこにも行きたくない。そう考えるうちに足はすくんで、本当にどこにも行けないような気さえしてきた。
この頃から親が趣味に物申すようになってきてたんですよね。前は私の精神状態が良くなかったから目瞑ってもらってたようなもんで。結局その頃も変わらず、推しに縋って現実逃避をしてただけだった。そろそろ社会に独りで出る私が相変わらず逃避し続けるのを心配に思ってくれたんでしょう。「もっと他に、するべきことがあるんじゃないの」って口を酸っぱくして言われました。
そうこのとき、私は推しに依存してはいけないと自覚しました。こんなんじゃ推しに私の人生狂わされるだけだって。前までは、推しに人生狂わされても、それでいいかって何となくなげやりに考えてたんですよね。でも違うんです。推しに縋って生きてきたのはいいけど、これで廃人になってしまったらそれは推しのせいになってしまう。これまで私を生かしてくれた推しにそんな迷惑をかける訳には絶対にいかないんだ。バランスを、妥協点を探さなきゃいけない。これからもずっと推しに会いたいのなら、推しに縋っていただけの不健康な関係じゃなくて、ちゃんと一人で前向きに生きていけるようになって、推しに何かを貰いながら何かを返せるような、そんな健康的な関係を築いていかなきゃいけない。推しに貰った希望を、何らかの形で推しや社会に還元しなきゃ。そう思ったから、何となく頑張って、ここまでこれました。今はとにかく就職して推しに貢ぎたい。推しが私に善行をしろと言っている。
......いやこれ、話飛びすぎだろって思うでしょ。ごめん、ここ本当は間の3000文字くらい推しと私に関する話あったんだけど、簡単に身バレする内容だったので削るしかなかった。とにかく、本当にそういう人生の細かい、肝心なところまで推しが絡まってくるんです。推しがいてくれたから。推しがただ、そこにいてくれたから、あとは私が勝手に進んだ、進むことが出来た。私みたいな何においても中途半端な半端者でも受け入れてくれて、ずっと変わらずそこにいてくれるんですよ。振り返ればいつも、そこには推しがいたんです。推しがいるから世界平和を願える。推しが私をまともな人間にしてくれた。
やばいでしょ。推しが情操教育に良すぎる。いや私はどちらかと言えば悪い例なんだけどさ。これからもきっと私は推しに縋って生きていきます。本当はね、推しに申し訳ないと思ってる。私の身勝手な都合で、推しを勝手に神様に祭り上げてしまった。私が生きる上での寂しさや不安を一方的にぶつけて、一方的に縋っていく、不変の存在に、勝手に仕立て上げてしまった。でも今更改宗なんてできないんですよ。心にいつも推しがいて、そのスポットは最早ぽっと出の何かが簡単に成り代われる物じゃないんです。そして心にいつも推しがいるから、今日も希望を持って、人に優しくしようって思えるし、今の道を進んでみようと思えるし、例え命の果てに、私の存在の果てに何も無かったとしても、それでも歩んでいこうって思えるんです。生きて、いけるんです。
何度かに分けて、金を貸していた。金額は伏せるけど、合計すればまあそれなりの額だ。
今思えば貸したのは間違いだった。親友のためを思えばこそ、貸すべきじゃなかった。
金が自分とそいつを繋ぎとめてる気がして、それがなにより嫌だった。なのにそいつの生活は一向に改まる気配がない。このぶんだと全額返してもらうには20年以上かかりそうだった。
別に是が非でも返してもらおうなんて思っちゃいないけど、20年以上もの間ずーっと嫌な気分を頭の端っこに抱えたままこいつと付き合っていくのか、と考えた時、もうダメだ、辛い、と思った。
「絶交する。アホには付き合いきれん。金は返してもらわなくていい。もう連絡してこないでくれ」と矢継ぎ早にLINEで伝えて、しばらく待ってブロックした。アホはお互い様だけど…
昔、役所務めの親戚から勧められた見合い相手が、役所の税務をやっていた。
今もやってるかもしらん。いや、都会は知らんが役所の公務員は担当が一定期間で変わるはず。それだけじゃない。見合いを勧めた親戚は役所で福祉に強い人だったと聞いている。見合い相手が軽く相談の体で親戚にぽろりとして、いつの間にかに近所に、生活圏に把握されかねない。これは妄想か?田舎なんだ。ありえなくないのだと思う
医師の提案を渋って、詳しく知りたいと言ったら人に説明させようと言う。説明はありがたいものの、看護師や受付で「あなたは障害支援を受ける人に該当している」ほか説明と、受付で待合室にいる全員に聞こえるように言われた。看護師にも受付の人物にも、軽蔑が目に浮かんでいた。
障害支援を受けたら、自分は病院には太い客…いや羽を切られたカモになる。二年も病院を変えられないようだ。
高い検査も気兼ねなく、患者にいろいろさせられるからというのもあるのか。いや、じっくりと治療に当たるために支援を受けたほうが経済的に助かるから素早く勧められただけなんだろう。
妄想的な考えを否定したいが、ああもはっきりひどい扱いや軽蔑を看護師や受付に露にされるともう来るなといわれたようでつらい。
ネタ元:
なぜ日本は人工知能研究で世界に勝てないか 東大・松尾豊さんが語る“根本的な原因”
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1809/18/news011.html
結論から言うと、私はそこまで悲観してない。ビジネスとして非常に厳しい状況にあるのは確かだが、研究領域としてはアメリカも中国もまだ入り口に立ったに過ぎない。
AIの話をする前に、今のコンピュータの話を少ししておこう。皆さんの目の前にあるパソコンとかスマホの話だ。
これらに入っているCPUとかメモリとかは、究極的にはたった "NANDゲート" という立った1種類のゲートの組み合わせで表現可能だという事を聞いた事がある人は多いだろう。この NANDゲートというやつは、こういう簡単な演算が出来るにすぎない。
0 * 0 = 1
0 * 1 = 1
1 * 0 = 1
1 * 1 = 0
たったこれだけ。たったこれだけの素子の組み合わせで、計算機でもメモリでも何でも作れる。たったこれだけしかできない素子であっても、これを何十億個という規模で組織的に繋ぎ合わせ、その上でソフトを走らせれば PC やスマホになる。極論すればね。もちろん実際には、もっと効率の良いやりかたに最適化されているが、それは枝葉末節の話だ。
話を戻してAIの話だが、この話の始まりは人間の脳みその研究と繋がっている。 長年研究されてきたにもかかわらず、人間の脳みそについて解っている事と言えば、部位ごとの大まかな機能と、あとは細胞レベルの話で、全容解明などというにはほど遠い団塊にある。ただし、ここで1つ、非常に重要な発見が数十年前にされている。 1つの脳細胞は、驚くほど簡単な事しかできない、という事だ。1つの脳細胞の働きをコンピュータ上でシミュレーションすることは、今や簡単なことなのだ。
感の良い人は、ここでおわかりだろうか?
NANDゲートのような単純な素子であっても、それを何十億個という規模で組み合わせれば、コンピュータを作る事ができる。
そして、人間の脳も、どうやらその構成単位は単純な事しかできない脳細胞であり、それらがどのように組織化され、繋がっているかという事を解明していけば、脳みそを再現できるんじゃないか?ということだ。その構成単位である脳細胞の事は、すでに解明されているのだ。
例えば40年前に、「NANDゲートを十億個ほど詰め込んだチップを積んだ携帯端末が、やがて普及して、だれもが携帯するようになるだろう」なんて、信じる人はごくわずかだっただろう。でも現に、現在そうなっている。
ということを踏まえるならば、現在既に1個の脳細胞の働きは解明されていてシミュレーション可能なのだ。それを何億個か何兆個かくみあわせたようなものが将来実用化される可能性は? ゼロではないんじゃない?
そこに賭けている人たちが居る訳だ。その大きな構造の中で、現在のAIというものを見ないと、本質を見誤ると思う。
女です。
告白は何度かされたことがある。一回だけいいよって言ったことがあるけど、それは単に仲のいい友達が何か頼んできた(この場合は付き合ってほしいという頼み)からいいよって言っただけだった。実際付き合ってる同士らしいこともしないですぐに別れよってなった。その時も私は仲のいい人が頼みごとをしてきたからというくらいのノリでいいよって言ったしそれで別れた。
一回だけ告白をしたこともある。でもこれは単に「告白する」というシチュエーションに興味というか憧れがあっただけだった。相手のことは普通に仲のいい人だと思ってたけど付き合いたいと思ったことはないし、何よりその彼を選んだのは既に彼には付き合っている人がいて、私の告白にイエスと言わないことがわかってたからで(なかなか最低だと思う)。単にそういうことをする自分に酔ってたんだろうね。若気の至りです。
じゃあ同性愛者かっていうとそういうわけでもたぶんない。そもそも他人に対して性欲を感じたことがない。
AVは普通に見れる。男女、男男、女女どれも見たことがある。でも興奮したりはしない。普通に見てるだけ。例えばドラマとか動物のドキュメンタリーとかそういうのを見てるのとあまり変わらない。
オナニーはする。でもする理由の大半はそうすることで寝つけるからという理由。なんか疲れて眠れる気がするんですよ。
手を繋ぎたいという気持ちはよくある。私は少し仲良くなるとその人と手を繋ぎたいと思うことがよくある。それを恋愛感情と言えるかなと一時期考えたけど、その先のことに一切興味もないしイメージもないからたぶん違うんだと思う。キスをしたいとか思ったことはない。
他人に興味がないわけじゃない。むしろ大あり。その人が考えてることがめちゃくちゃ気になるし、下世話な話をするとその人がどんなセックスをするのかというのも気になる。この点について気になる度が高いのは男性相手だから、無理やり判断するなら私は異性愛者かなと思うけど単にセックスは男性の方が能動的なものという固定観念を持っていて、能動的なほうにより興味があるだけかもしれない。
人を好きにならないということでもない。友達のことはとても好き。ここで言う好きというのは、例えばその人が楽しそうだと私も楽しいとか嬉しいとか、その人が幸せに生きてほしいと思う気持ちとか、その人と一緒にいると楽しくて幸せだな〜と思う気持ちとかそういう感じ。
好きという感覚はあるけど、世間的に言う恋愛感情みたいなのは全然わからなくて、関係性とか全然わからない。アセクシャルとかノンセクシャルとか巷には色んなカテゴライズがあるけどとりあえず、「私とあなた」っていう関係でいいじゃんと思う。
よくわからないんですよ。最近、年齢的にもなのか恋をしないのか?みたいなこと言われるけど、わからないものをどうやってしたらいいんですかね。