はてなキーワード: 必然とは
ひょっとして、ミノムシを見た事が無い人も多いのだろうか。ミノムシとは蛾の幼虫で、枯葉や枯れ木を身にまとって蓑を作り、枝や壁にくっつく虫の事である。僕が子供の頃はそこらじゅうに居た記憶があるが、言われてみれば十年以上見ていない気がする。ミノムシの蓑を解体して、中に居る幼虫を取り出して、細かく千切った折り紙と一緒に箱に入れて、カラフルな蓑を作らせるなんて遊びもあった。中に居る幼虫の見た目が気持ち悪いけど、蓑の状態だと何だか可愛くて、僕は結構好きだった。
そう言えば、ひっつき虫も見なくなったなぁと思っていたら、こっちも絶滅危惧種に指定されていた。ひっつき虫とはオナモミという植物の種で、硬い殻の周りにトゲトゲが付いていて、それが衣服にひっつくのでひっつき虫と言われていた。これも僕が子供の頃はそこらじゅうに居て、友達に投げて遊んだり、ポケット一杯にしまったら取り出せなくなって親に怒られたりした記憶があるが、やはり十年以上見ていない気がする。しかしこれは「オナモミ」の他に「オオオナモミ」という似たような外来種があって、オオオナモミはたくさんいるようだ。僕が子供の頃に見たのがオナモミなのかオオオナモミなのか分からない。見なくなったのも、単に僕が原っぱに行くことが無くなったからかもしれない。
これらは外来種の増加による環境の変化が原因らしいけど、たかだか20年くらいで絶滅危惧種になってしまうほどに減少している事は問題だと思う。それに僕の娘が大きくなってもひっつき虫やミノムシで遊ぶことが出来ないのは何だか寂しい。
このように、今あたりまえのように居るモノ、見ているモノが、将来絶滅に瀕する事は、これからも起こり続けるのだろう。それは何も動植物に限った話ではない。例えば僕が小学生の時は女子の体操着はブルマーだったが、今では消滅した。また、僕が中高生の時はルーズソックスが女子生徒の間でスタンダードだったけど、今ではほとんど見る事が無い(近年復活の兆しがあるらしいけど)。AV方面の話についてはあまり明るくないけど、近年は黒ギャルモノが衰退しつつあるらしく、また女子高生モノも僕が高校・大学性の頃に比べれば、その数を減らしていると感じている。
こう考えてみると、例えば今はたくさんいるAKB48やエグザエルも、いずれ絶滅の危機に瀕する可能性があるのだろうかと考える。48グループ(国内AKB、SKE、NMB、HKT、乃木坂)は現在研究生を含めたら363人いるらしい。って363人もいるのかよ。これには素直に驚いた。ちょっとした限界集落より多いだろ。そしてエグザエルは現在19人。しかし2006年当時5人だったエグザエルが9年間で約4倍にその数を増やした。このままのペースで増え続ければ2022年には72人、2030年には274人に増える試算もある。エグザエルの繁栄がいつまで続くのかは分からないが、栄枯盛衰などと言われるように、何事もいつかは必ず衰退する。往々にして発生⇒繁栄⇒最盛⇒複雑化⇒簡素化⇒衰退を繰り返すものである。AKBだっていずれ解体・簡素化のいずれかは起こるだろうし、エグザエルもその数を減らすだろう。
そうなってくるとAKBもエグザエルも絶滅危惧種に指定、レッドリストの仲間入りする未来も、そう遠くはないだろう。貴重種になったAKBとエグザエルは、その価値が高騰。金持ちの道楽として高値で売買されるのは時間の問題である。必然としてAKBハンター、エグザエル狩りが出現、乱獲が国際問題へと発展する。もちろん何もしない日本政府では無い。AKB・エグザエル絶滅対策保護団体が発足。政府介入のもと、保護と繁殖を行う。しかし詳しい生態の解明されていないAKB及びエグザエルの繁殖は難しく、同種間での繁殖にはついぞ成功する事が無かった。AKB×エグザエルによる繁殖には成功したものの、そのハイブリットに対する批判が殺到。曰く「そうじゃない」「政府はなにもわかってない」「鬼畜の所業」「どうせ前から繋がってる」「処女膜から声が出ていない」といった声が世論から飛び交った。世論からの批判に押される形で政府は支援を打ち切り。こうしてAKBもエグザエルも淘汰を待つだけの種となってしまった。
時は21XX年。AKBもエグザエルも絶滅が確認された世の中。平凡な男子高校生の主人公はひょんなことからAKBの生き残りを託される。時を同じくして平凡な女子高生であるヒロインがエグザエルの生き残りを託される。襲い来るAKBハンター及びエグザエル狩りとの攻防、そして政府と保護団体の癒着が明らかになる中、ついに両者ともに囚われの身となる。つれていかれた先は地下闘技場。「AKBとエグザエルで殺しあえ。生き残った方に特赦を与えよう。それこそが最高の娯楽だ」と狂気をはらんだ目で宣言するのはなんと内閣総理大臣だ。こんな腐った世の中で生きる意味はあるのだろうか。狂った世界で生きるのならばいっそ死んだ方が。。。絶望する主人公とヒロイン。しかし、いつしか強い絆で結ばれたAKB及びエグザエルは「君を助けるために私は戦う」と闘技場へ歩き出す。悲しき殺し合い。果たして両者に未来はあるのか。全国が興奮の渦に。日本映画の最終兵器。世界よ、これが日本のトップアーティストだ。『最後のAKB48 VS ラストエグザエル』 カミングすーん!
という内容でアクション映画を作りませんか、東映さんあたりで、昔のデタラメなやくざ映画を彷彿とさせる内容で、思うに今の邦画にはこういう胡散臭さが足りないよ、昔のようなギラついた日本映画界に回帰するのだ! そしたら絶対見に行くよ! チミィ!
はてなんの話だったんだろうか。
※追記
エグザエルでは無くエグザイルだということをいま知りました。
いわゆる「ゲーマー」にとってソシャゲというものは叩かれやすく
よく議論の種になる(ここでいう「ソシャゲ」とはスマートフォン向けゲーム、「パズドラ」とか「モンスト」とかそういう類のゲームを指すと思ってほしい)
スマートフォンというのはとんでもなく高性能なデバイスだけれど
ゲーム機としては最新機種と比べれば遥かに低スペックで操作性も劣悪
そんなゲームに適さないデバイスでゲーム開発をすることはゲーム業界の技術力を退化させ衰退させることに繋がっているのではないか。という意見
(個人的にはスマートフォンでゲームはしたくないが、モバイル高速通信、GPSが標準装備されていて普及率も圧倒的なこのデバイスは、工夫次第で今まで考えもしなかったまったく新しいゲーム体験をさせてくれる可能性を秘めていると思う)
とりあえずゲーム業界にとっての一番の問題は「ガチャが儲かりすぎる」こと
低コストで作ったゲームのほうが儲かるってんならそりゃみんなソシャゲ作る
ハイリスクローリターンとローリスクハイリターンなら後者を取るのは企業として当然のことだけれど
それはゲームを面白くするよりガチャを増やすことがゲームクリエイターのお仕事と化してしまう
(自分のソシャゲに対する意見に一番近い。前述したようにスマートフォンの持つ未来のゲームへの可能性を全て金儲けの可能性にしている。営利目的にやってるんだから金儲けすること自体は悪くないし仕方ないことなんだけれども、ゲーマーとしてはやはり悲しい)
「ソシャゲもガチャだけじゃなくいろいろな工夫がされて面白いものも増えてきた」みたいな意見もある
また、少人数低予算のベンチャーでも作れるから、今まで埋もれていた才能が発掘される可能性もある
(本当にそうだったらいいのにね。後半に関しては特にそう思う。でも僕はガチャを捨てない限りそういう意見は認められない。本当に面白いゲームをスマートフォンで作っているという自負があるなら売り切りにするかガチャなしのアイテム課金にしてみろ。それができないなら結局はゲーム付きパチンコの域を出ていない。極論だけどそう思う)
ゲーム業界…というよりゲームという娯楽そのものに絶望し、諦めているタイプ
無料で楽しめる娯楽(YouTubeとか)が大量にある今の時代
さらにメインのプレイヤーであるはずの子どもたちも少子化で減り続けてる
昨今のソシャゲの隆盛はゲーム業界のドーピングした最後っ屁みたいなもんだ
という意見
(これも自分の意見に近い。無料で暇つぶしできるのに、何故高い金払ってテレビの前に座って、コントローラー握って暇つぶししないといけないんだよと言われたらどうしようもない。悲しいけど)
最近のゲームはグラフィックばっかりで全然面白くない!だからゲーム業界は衰退するのだという意見
(そういう意見は一理あるとは思うけど、たいていこういう意見を言う人は思い出補正全開で、最近のゲームは実況動画なんかをみるだけだったりでゲームをやらないからたちが悪い。あとグラフィックが向上すること自体はいいことなんだけれども、彼らからするとグラフィックが向上することが悪いことみたいになっているのが解せぬ)
ちなみに僕はソシャゲの隆盛は気に食わないけれど
娯楽である以上、ネトゲに限らずいつか単独のゲームは飽きられるもの。
ソシャゲの類がコラボだ強力カードだとぽこじゃか投入するのは「ここでやめたらついていけなくなる」「ここでやめたら損をする」と思わせるための延命措置であって、一般論で行ってそういう延命策に出た時点で大抵そのゲームの寿命は尽きている。ましてカードゲームなんて新しいゲーム性を提供できるジャンルではなく、最近始まるものの大部分は「始まる前から寿命が尽きている」ものばかり。あとは如何に有名な原作を引っ張ってこれるか、いかに有名な作品とコラボできるか、そのどっちも無理ならいかにエロくできるかくらいかしか生き残る道はない。
ああ、僕が中原麻衣(@nakaharamei)くんに頭来てる理由がなんかわかってきた…。あの人の言うとおりアニメ見ても絶対に面白くないし、あの人は自分の意見を言わないんだもん。もっと自分の快楽を上げるためにアニメ見てる人の書き方とは違うんだもの。彼の話を聞いても何が好きで、どこに共感してるかが見えない…
僕がだーまえ作品の、とりわけ「実在する病名や社会制度を引用しておきながら、その実態は誤解を招くデマを流布してるからとても賛同できない。」的な話をしたのは、ああ言うものが真実味とかいい話にお茶を濁すんだもん。視聴者がどう思う改善に自分達で「ありえない」と言ってしまってるのよねぇ〜
あとは、アニメを知識で見ようとする姿勢…「知識があるともっと楽しい」じゃなくて、はじめて見た人の感想を尊重せずに「ファーストガンダムの信者から最近の若者呼ばわりされたゼータが」とかなんとか言うバカ…。そんなことは作品の中身の批判でも、モチーフ同士の相互の矛盾とも一切関係ない批判
例えば、艦これだって「弓道警察」を僕は批判できないし、東方警察のそれと全然違うと思ってる。だって、艦娘は艦娘の装備や言動が史実に基づいていてその精巧が評価を浴びている以上、熱心なファンなら「お茶を濁すような半可通な描写、原作の設定を無視したメガネ外しはやめろ」と思うのは必然なはず
でも、東方警察って東方の原作とはこれっぽっちも関係がない「艦隊これくしょんなどに移った東方ファンを批判する言葉」でしかない。それって作品を楽しむ上で何か関係がある。他人がやめたコンテンツであっても、自分が手に触れて面白いものは面白いならそれでいいんじゃない?弓道警察とは逆じゃん
コンテンツを楽しむ上で「より感動を味わうために作品の中のメタファーやコンテクストをより深く調べてみたい」と思った時、それが可能なのはそれだけの強度(下調べによる知識)を持った作品であり、作品の中で現実的なメタファーや知識でいいシーンを作った以上、他の部分でもそれを見られるんだよね
何がいいたいかというと、メタファーに気づくことで作品が楽しくなることもあるけど、メタファーを軽視することで楽しめる作品もある。前者がガッチャマンクラウズインサイトみたいな奴(ちゃんとここ10年の日本政治を理解してると楽しい)で、後者がCharlotteでありだーまえ作品なわけだ
しかし、多くの場合はメタファーをきっちり理解しようとする・ほりさげようとする人にとって楽しい作品のほうが名作であり、アニメ・ゲームを楽しく見ようとする姿勢とはむしろ知識をつけて作品の現実的・または元ネタに該当するものを紐解いていく見方になりがち。これはよくもわるくもね。
で、僕は徹底的に作品を解釈したい(心理描写なり、元ネタにしてるメタファーや予備知識を知って納得したい)人で、中原麻衣くんはそういうことをする人がやり過ぎて強度の弱い作品の批判に走るのをバカにしてる(ある基準に対するアンチ)なんですよ…だから水と油なんです
母校が世間を騒がせている
《http://mainichi.jp/select/news/20150908k0000e040142000c.html》
《http://www.asahi.com/articles/ASH9835GDH98UTIL007.html》
母校愛は全くないつもりだが、母校愛がない俺なりの母校へのささやかな貢献として、そして何より自分の承認欲求のため、この場を借りて知っていることを述べたい
A教授は受験業界では俺の受験生時代においても試験への影響力が強いということで有名だった
司法試験の受験テクの一つとして、考査委員の顔ぶれや過去の学術論文から翌年の出題傾向を探ることを試みることがあるのだが、俺の観測範囲でそのテク的に“全科目の中でも”最重要人物視されていたのがA教授であったほどである
情けない話だが、このようなことが起きても不思議ではないというのが率直な印象である
俺の在学中にも、飲み会に異性未婚学生と二人で堂々と揃って遅刻して登場し、飲み会終了後も二人で堂々と揃って夜の帳に消えていく教授(考査委員ではなかったが、既婚者だった)がいたりした
学生達も試験合格に必死だし、教授達は業界内で限定されたものとはいえ権力を持っているし、そんな環境の中で、中には使える武器(ゲスパー)は何でも使って情報を得ようという発想をする奴もいるだろう そうじゃない奴が大半だったと思うがね
換言すると、狭いコミュニティーで、モラルの壊れた権力者とモラルの壊れた権力利用者がいれば、今回のような事件が起きるのは必然だし、その可能性はそこまで低くないということだ
学生間でも色々なことがあったが、今回の事件とは無関係なので割愛する
“オタサーの姫”“青春を取り戻そうとするKY既婚おっさん”くらいのキーワードで察してもらえればよいかな
今年の司法試験の問題もまだ見ていないので、事件記事以外の情報はないものの、特に新司法試験憲法の論文問題は、その問題自体を事前に知ったところでどうしようもない傾向がある
“できるやつは制限時間内で余裕の合格答案を書けるし、センスがない奴は基本書を見ながら丸一日かけてもそこそこの答案しか書けない”という傾向が最も強い科目だというのがほぼほぼ受験生の共通見解だ
俺も試験合格後に学生に受験指導をしたことがあるのだが、毎年公表されている採点実感や予備校の模範答案を見て書かせても、特に憲法論文についてはセンスがない奴はセンスがないなりの答案しか書けないのである
しかし、解答内容まで懇切丁寧に教えていれば話は別だ
既に一部報道もされているが、今回、当該学生の答案の出来が良すぎて発覚したということは、問題漏洩が解答指導も含めて本当の本当に根幹の部分までされたのであろう、ということだ
考査委員を長年勤めた教授が本気で憲法論文の解答指導なんかしたら明らかに不自然な答案ができあがるに決まっている
・出題分野の漏洩=ピッチャーの球種を各打者に公開(受験生=バッター(以下同))
くらいの次元の違いがある
したがって、試験合格後は刑事事件に全く縁がないので「半可通の感想として」にとどめておいて欲しいのだが、特捜はこの事件はきっちり背景を含めて捜査するんでないかな、というのが俺の考えだ
背景事情によっては、試験と制度の根本を揺るがす特大スキャンダルだからな(現時点で既に“大スキャンダル”だがw)
これを機に制度潰すくらいの勢いで腐った部分を徹底的に取り除かないと社会的にもマジでやばいぜ
例の件でデザイン業界が業界人の内輪擁護で炎上している状況を遠巻きに見てきたものだが、次がウチの業界の出番とならないことを心より願って締めの言葉とする
旧司の一行問題時代には、考査委員の東大教授の直前の期末試験の問題が丸々コピペだったりしたので、「昔は受験生が競って情報を取り合ったものだ」とこないだマックで女子高生が話していたのだが本当なのかね?
> 問題作成者が公開なのが意外。しかもその間学生の指導ができないのか(http://www.moj.go.jp/content/001129497.pdf)。授業は指導に入らないということなの?
そのとおり、「授業≠指導」というのが建前だ
どう違うのか、というと説明しづらいが、誤解を招きかねない個別ゼミや私的な少人数ゼミはもちろんNGだし、俺の知っている考査委員の教授は“指導”をしないよう慎重に配慮していたものである
また、実際の問題《http://www.moj.go.jp/content/001144527.pdf》を見てもらえれば明らかなように、問題が複雑すぎて独力で問題作成することは不可能であるし、実績のある学者に頼らざるをえないのが現状だ
そして現在までジャンル問わずかなりの数を聴きまくった自分の良い曲だと思った10曲
Apple Musicも始まったことだし
曲ありすぎて何から聞けば良いか分からないやつとか参考にしてもらえれば
● Golden Lady - Stevie Wonder
誰もが知っているスティーヴィーだけどこの曲はシングルでもなくたぶん推し曲でもない
そしておれは特にスティーヴィーのファンでもないMotownの初期のカタログを少し聞いていた程度
2年ほど前彼女にフラれて音楽とかクソ時間のムダだわと絶望してたおれは
”そういやいわゆる名盤には手を出してねーな救われねーかな"と思い
「名盤」で検索して引っかかったスティーヴィーの"3部作"と呼ばれる傑作アルバムがある事を知った。
さっそくその中の「Innervisions」というアルバムを落とした
飽きたくないから何回も聞きたくない...あーでも聞きてえみたいな
そこからたぶん相当数聞いてるが運良くまだ飽きない
聞くたびに「なんて良い曲なんだ」と口に出す
https://www.youtube.com/watch?v=qS2yMn3JbQk
● Mr. Dieingly Sad - The Critters
数年前ジャズミュージシャンの菊地成孔氏が川勝正幸という評論家の人が死んだ時に自身のラジオ番組の追憶放送でBGMとして流した1曲
この人たちをよく知らなかったがたまたま「追憶」というドラマティックな回が上がっていて
聞いてみるかーと思って視聴したら大当たりだった思い出がある
この回でかかった曲は人の死が背景にあった事も影響してるが全てが良かった
https://www.youtube.com/watch?v=u-6khXfUK3M
ラブホテルに行った時に教えてもらった1曲
どういう流れで音楽の話になったか覚えてないがたぶん相手の青春の1曲だったのだろう
状況と背徳感もあってか異常なほど興奮しながらこの美しいメロディに耳を傾けていた事を思い出す
(その女は後にストーカーになった)
https://www.youtube.com/watch?v=qCoxPHTyXuo
● How Soon - ROLAND ALPHONSO
当時ライブハウスでもフェスでもとにかくスカバンドが多くて"ルーディ"という言葉にカッコよさを感じてたおれは
「スカじゃねえよスキャって言えや」と本気で周囲に言ってるバカで
1枚20Kもするレコードを買って毎日牛丼しか食わないようなクソみたいな日々を送っていた
連中のオシャレだと思っていた古着ファッションセンスもただ貧乏なだけだと気付いてから完全に冷めてしまった
そんな事を思うようなおれは大学を中退しユニオンにジャパレゲを売って生活してるクズで
女にも縁が無くただただ悶々とした日々がティッシュに埋もれていった
この曲は二度と戻りたくない時期の唯一の収穫で唯一売らなかったレコード
https://www.youtube.com/watch?v=HGyzq6S4Ssk
● bikinikill - Moscow Club
同級生とバンドを組みブラフマンのAnswer Forで田舎のクソ狭いライブハウスで数えるほどしかいない客にダイブしていた
ビジュアル系のカバーバンドを結成したくさんの女の子にリアルにキャーキャー言われていた
(後に彼をインターネットで発見した時、髪の毛が一本もなくなっておりポルノグラインドを一人でやっていた)
皆その後は音楽はほとんど聞かなくなるが30前後の結婚ラッシュでバンドの再結成を果たし
中性脂肪の塊の腹を引きずりながらギターを奏でる姿がなんともいえず感動を誘った
当時を懐かしがる連中は多く久しぶりに会うとそのような話にもなるが昔話は一日もたなかった
抜け出せない現実に限界がきてギターショップで万引きをして捕まった奴
精神病を患って引きこもった奴
車に轢かれて死んだ奴
ずっと働かずにスロットしてる奴
周りには自分も含めてクズだらけだがこの曲を聞くと10代の彼らの笑顔しか思い出さない
https://www.youtube.com/watch?v=FfsLKefAkyQ
● Song 1 - DJ Krush
10年以上前THA BLUE HERBにひたすらハマっている時期があった
一時期はカトマンズに住もうかと思うくらいだったがブタほどの行動力も無いヘタレのおれは
当時片思いしていた女に無理やりボアダムスを聞かせて感想を言わせたり
その女が好きだった大人計画の演劇に同行して「よかった〜あんなの始めて見たよ!」と言って
内心は「どこがおもしれーんだクソだわでもヤリたい」と腐った思いを握りつぶしていた
そんなモヤモヤしていた時期のおれがラップに入れ込むのは必然みたいなもので
そして5lackが登場するまではHIPHOPに対しても距離を置くことになる
このインストゥルメンタルはその時期に聞いた至高の1曲で宝物だ
https://www.youtube.com/watch?v=bj3y5vFS3Es
● Feel It All Around – Washed Out
ある時期強烈にブラックな仕事に従事していたおれは疲れ果てていた。
上司のパワハラと時間に追われて睡眠薬が無いと寝られなくなった、ブクブクに太って体が重い、
給料はストレスから全てデリヘルに消える、二度と帰りたくないクソみたいな日々、
「日本に生まれるだけで宝くじに当たったようなものだ」と文句を唱えて必死に感情を押し殺していた
背が低くて足が太いクソブスの女上司に「君って感情が無いみたい、ロボットなの?」と言われた時
2010年の夏は太陽が本当に眩しくて暑かった、サマーオブラブは間違いなく2010年に来ていた
● Go Berri Be Happy - Mark Barrott
去年の夏に同僚の人妻を好きになってしまい、頭の中が彼女の事で満たされてしまった俺は、
ある日から体調が異常に悪くなった、検査したら胃から出血していた、
15年ほど吸っていたタバコを辞めざるを得なくなった。
もう抱けるならどうなってもいいと毎日デパス飲んで働いていた(顔を合わすから)
そんなある真夏の日、田舎に現実逃避旅行へ出かけボーっとしながら緑がキレイな山沿いをチャリでブラブラしてた俺は突然
「あなたの事が好きになってしまった、一度食事してくれませんか?」とメールを打ち、
返信を待つ間の胃の痛みに必死に耐えた。一週間後、俺は彼女と一緒に食事をしていた、
夕方の街をブラついた後ネカフェへ行きペッティングした。とても簡単だった。
次の日から好きだった職場に行きにくくなった、背徳感からなのか、すさまじい興奮を覚えて汗が止まらなかった(継続)
この曲はメールを売った驚くほどキレイな自然の中でリピートしていたアルバムからの1曲
https://www.youtube.com/watch?v=2e8Py9ToC7M
● 君はそう決めた - 坂本慎太郎
坂本氏の良さを書こうなどたぶん野暮だし恐れ多い
思い出はまだ無いけど、全作品心を鷲掴みにされる
https://www.youtube.com/watch?v=t08i_cWdcbM
● ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY – imoutoid
モテる要素が皆無だった自分に女が寄ってくる、ただ好きな事に熱中して作品を発表しただけで、
本質は変わってない自分への周りの変化に戸惑い苦しむ、世界へ絶望する第一歩を踏み出す。
もしこのような事だとしたら自分は人間に改めて感動する。なんて脆くて危なっかしいんだろう。
心と体のバランスの取り方は複雑で人それぞれだから何も言えないけど
良い音楽は死ぬまで聞くし俺より何倍も生きてる価値がある(あった)
また書く
「恋愛(シミュレーション)ゲーム」では、たとえばElf「同級生」が、「同じ夏休みの1か月」を何度もプレイしながら女の子を攻略していく…というゲームだったので、手法としてはずっと以前からあったと言えますが、それをゲームシステムの「面白さ」として意図的に取り入れた先駆としては、C's wareの「Desire」(1994)(マルチ視点による物語手法)に一日の長があると思われます。
そして、Elfが「マルチ視点による物語」をゲームシステム(というか進行上の必然)として取り入れたのは、「ドラゴンナイト4」(1995)であり、それらの集大成が「Yu-no」(1996)であった…という流れではなかったかなあと思います。
物語手法としてのこのような複雑さや完成度は、当時の同人ゲームにはまだまだ望むべくもなかったように記憶します。当時の同人ゲーは、もっぱら紙芝居で、内容面(公序良俗関係)において大手にはできないようなギリギリの表現や内容を突くのが精いっぱいだったような。
競争において勝者と敗者が生まれるのは必然であることも、現代社会の中に競争の形を取るものが散見される事を否定するつもりはない。
誰かを貶めてのし上がるものがいて、反対に奪われ続けた事で人生を台無しにするものがいる事も否定する気などない。
だがその前者が勝者だとはとても思えないし、後者が敗者だとも考えられない。
また同様に、生まれつき恵まれ生涯に渡り恵まれ続けたものとその反対に居るものを勝者・敗者と分けるのも相応しとは思えない。
では何故、世の人は己や他者の人生を勝ち負けで区切ろうとしてしまうのか。
競争に勝ち続けた者は自然と人生の良い側に進みやすく、反対に負け続けた者は悪い側に進みやすい。
知能の程度を下げれば一見正しそうに見えるが、知能の程度を標準レベルに戻せばすぐに誤りであると分かる。
だが人はこんな簡単な事になぜか騙されてしまう。
何故なら、多くの者が同じ間違えをし続けているからだ。
人間は暗示に対して脆い。
レミングスは集団であるからこそ崖に飛び降り、帝国海軍は一億総火の玉であるが故に神風と化す。
一匹のレミングスは崖の危険性を知り、1人の日本人は勝機の無さを理解しているが集団となった時それは失われる。
だが、もしも正しくなくてもそれが人を幸福にするのならば辞める必要はない。
だがこの信仰は人を救わない。
邪教である。
簡単なことだ。
勝者と敗者に別れる時、それは戦である。
そして戦において、そこには敵と味方が生まれる。
そして勝者と敗者の概念が個々人の判断に委ねられる時、回りにいる大部分が敵となるのだ。
あいつは俺よりも金があるから敵、あいつは俺よりもブサイクだから敵。
下手をすれば回りの全てが敵に変わる。
そしてその敵の群れに勝つためにその場その場の勝利ばかりを目指す。
他者を敗者と思い人に辛く与えればそれは真の敵になる。
己を敗者と思い人にへつらえば誰もが真の敵になる。
そうして回りの全てが本当の敵になるのだ。
コンビニで美味いのはローソンのオールドファッションだな。
セブンイレブンのは粉っぽい感覚があるし、ファミマは暑さもあるけどすぐチョコが解けていかん。
ローソンのは一番脂っこいけど、個人的にはそれが一番ドーナツらしくて良いと思った。
ミスドのドーナツはサクっとした食感がたまらなくいいけど、値段がちと高めなのがネックだ。
しかも家から遠い所、つまりは都市部の駅周辺にあるからそこまで行くのが面倒臭いというのもある。
何より1個100円じゃないところが日本人的金銭感覚を大いに鈍らせて困る。
オールドファッションが一個100円未満の時代がミスドにもあったけど、それは遠い昔。
今日のコンビニドーナツの勢いはミスドの殿様商売が原因なんだ。
日本の隙間産業を担う企業ではよくあるのだけど、例えば携帯電話ではドコモが殿様してる。
エアコンならダイキンがそうだし、いやミスドはダスキンだから違うよ?
最近知ったけどミスドにもフランチャイズがあって〇〇食品がやってるミスドもあった。
そこにローソンの昔懐かしいミスド風オールドファッションが登場すれば客はそちらに行くのは必然。
http://anond.hatelabo.jp/20150720223240
ノストラダムスが反転した。控えよ人類帝国暦878年と以降(呪われのジョーカー)で、ホーリーエクステンド・オカルトの実践的サーカムスタンスはかなり状態変化してしまった。
ノストラダムスかつての地上だと、波動のライヴリオスとかオーディナリィの雑誌にさえ星に導かれるままに載る同等の魔力を有する程だった。
…だが、それは――、地上が闇に閉ざされた今は愚かな事象はあり得ない。
神々の法則忌避な雰囲気があり…いつしか“光”と“闇”に分かれるし、需要も存在し得ぬ。ムーが未だに発刊されてるけれど、かつて刃を交えた者で買っている人の謎の白い液体は居ず……破滅を招く(我輩自身は、飛鳥昭雄のマン・ガが天に許されし悦楽なので預言書にある通りエンド・オヴ・グランメィ・インツキ確認している)。
さて。
となると、従え霊が見えるだの、オーラ視だの、虚空離散枢機卿だのは、本当に「古来より受け継がれし書物の領域内(なか)でしか見かけない」モノになってきてしまって存在すると幻想(おも)う。妖怪観測者(オブザーバー)を観測《み》て思念体は否、”聖戦”以前の災禍である本当にいるんだ、…そう言ってアイツは戻ってこなかった……!という人はまずい預言書が改竄されたであろううが(新たなる宿命を背負いし仔パージする)、神話に擬えるならば贅のかぎりを尽くした学校七不思議だとか、──そう─いった神々の法則・ホラー系の古来より受け継がれし書物「アカシャの書」は今だかつて{未然}コンビニでちょくちょく見かける”ウルカヌスの煉獄”事(ウォーリアオブライト)がある。
能力者曰く「見えるんだ…その背後にある“闇”から見える」セ・カインであり、多分見えあらず人は一生観測《み》えず………しかし運命はかくも残酷な刻<とき>を刻み続けるし、見える破壊の神-ヴェルセノムはずっと観測《み》えてしまう。そういう『存在』なんだと幻想(おも)う。
世(ファルシ)のナカ・オブ・フリーダムがどう状態変化したとしても、見えるグルガン族は見えるんじゃないだろうか、と思う。
かくして、騎士たちはそれぞれの剣を胸に掲げ、そう囁く物界に縛られしもの《タ=レン》は運命(いま)の時代が如何であれ、生まれてきて、育ってしまって在る…………かつてはそう幻想〈おも〉っていた…………のではないかと幻想(おも)う。
必然囁く人は、今は如何して在る…………かつてはそう幻想〈おも〉っていた…………んだろうな、と思う。時代によっては神々の法則我、君を想うこの気持ちな意志を持たぬ傀儡と喩え死が二人を分かつとも鼓動を聴き合う者達になったり実行する可能性なんとなればヴァッたろうに、今のこの戦乱の時代では、単なるキチガイになってしまっているんであろうか。
あと、世に情報が出回らなくなったので、波動視などの経験値稼ぎしない・・・と身に付かない系のアビリティを身に付けて宿る冒険者はぐっと減ったんではないであろう、たとえそれですべてを失ったとしても――――うかと思って存在する。
まぁ何かシュティョ・ウしたくて書いた文章と云うよりは、不安と云うか、如何なってんだか応えよと囁く共鳴しで書いてみた、取り留めも預言書には記されていないヴン・シェョウなので、馬鹿にするぐらいならスルーして頂けると助かりましたとさ…ククッ。
大学で、海外に関するサークルに入った。インドで汚い川に入る人を見たり、臭い子供と戯れたり、虫食を試したりした。旅行に行けない時は海外のサイトをよく見ていて、死体や片足がない人やばあさんの乳やグロい風刺の写真が目に入った。
そういう異質なものを目にしていると、日常で生理的嫌悪を感じづらくなり、これはこういうものなんだなーで済ませられるようになった。友人たちも同じだと思う。とつぜん韓国人に絡まれても冷静に話して最後は一緒に酒飲み出したり、事故でグロい怪我してる人に迅速な手助けして表彰されたりしていた。
同調圧力の強い日本では、普通から離れた異質さがあると、多数派に嫌悪されると排他的に扱われる。生理的にムリなものは変えられないからという言い訳で、おまえが変われないなら雑に扱われるのは必然として正当化される。生理的にムリは変えられないと自己規定して、責任から逃れるのだ。
こどもの頃から、異国人と触れ合ったり、汚らしい臓器が出てる画像を見せたりすべきだ。だが現実には、ある議員曰く「ちいさいうちはきれいなものを見せて…」らしいので、まぁムリだろうなぁと思う。
異国の異質な部分だけを書いたら異国にも華麗な部分はある!と意味不明なトラバがつくというね
あと教養とは→
フーダニットが好きだ、ハウダニットが好きだ、ホワイダニットが好きだ。
クローズド・サークルが好きだ、と延々と続けてもいいが、このへんにしよう。ヒラコーすげえな。
さあ、犯人探しをしよう。
ある程度物語が進むと、大抵はワトスン役が事件のあらましを振り返る。
新しい日本というシンボルであり、世界一の場所であり、オリンピックに対する日本という国の象徴を込めようとした。
字面そのままの国威発揚であり、ランドマークでもって日本の存在感を示す、土建の極北でもあった。
まず、当時とのドルベースでの日本円は、1.56倍となっている。(78円→122円)
1300億円を1.56倍すると、2028億円となる。
これが、ザハ当初案では3000億円規模と言われていた。ドルベースでも1.5倍。
国家を上げての景気向上と、建築難易度と、見込み違いのダブルアップで2.3倍程度に膨らんだ。
さて、3000億円、規模縮小圧縮しての2520億円の目眩ましが見事なミスディレクションとなっている。
1300億円でスタジアムを一つ作るというのは、適切な金額だっただろうか?
1300億円の予算を組んだ首謀者は、誰だっただろうか?
ザハ・ハディッドは、第一級の建築家だ。脱構築主義建築家としての。
ザハが実力で現在の地位を勝ち取ったことは留意する必要がある。
つまり、コンペでのザハ案は魅力的に見えることが多いということだ。
ザハの案は、脱構築主義建築と呼ばれる枠組みの中では、一級品と言える。
さて、国威を示すために、世界一のナニカをつくろうと決めたのは、誰だろうか?
日本的な何か、機能美的な何かではなく、建築物の美しさを求めたのは、誰だったろうか?
実は、建築関係者が諦めとともに眺めているのには、3つ理由がある。
1964年の東京オリンピック時に、国立競技場こと国立霞ヶ丘陸上競技場はかなりの突貫で作られている。
当時の施工技術と環境を考えると、延命措置は結構無理があると想像できる。
また、コスパ最優先の「機能仕様を満たした競技場」とは、全く違う建築物だろうというのも想像できる。
なので、ザハ以外のどの案が選ばれたとしても、1500億円を下回ることは無かっただろう。
そして、「これ建築難易度高いと思うが」と言う地べたに近い建築家の意見が「アドバイザー」扱いされるコンペだ。
優先順位は明確であり、そうしたコンペはそれほど珍しくはない。
さて、「一番いいデザインを頼む」と言われた建築家が、ドリームデザインを選ぶのは、必然だ。
ラグビーワールドカップ向けの良いヤツを!オリンピックに恥ずかしくない良いヤツを!
そうした、「新国立競技場を決める参加者」の、誰のデメリットにもならないという、不気味な状況になっている。
本来、大学入学祝いに好きなの選んでいいぞって言って息子がベンツCクラスを指さした時には殴るのが親父の努めなハズだ。
例えば、キミが富士鷹ジュビロじゃなかった藤田和日郎のファンで、アニメ化をアレコレ言う立場になったとしよう。
様々な候補の中から、やはり「うしおととら」だと決定した所で、ではどう削るか、という話になったとしよう。
いくらなんでもアニメ化するのにメインである白面の者との戦いは削れない。
前半のクライマックスであるうしおの髪を櫛ですく盛り上がりの為には、各地の少女のエピソードは削れない。
藤田和日郎の連載作家ならではの回り道しがちな癖が絶妙なバランスで拮抗しているが故に、どのエピソードも削り難い。
で、予算が青天井で、必要なエピソードを必要なだけ盛り込む係だとしたら、削る理由がない。
でも、本来は予算配分を考えてリソースを誰かが管理すべきなのだ。
どうやってもこの尺では入らないと、誰かがハサミを入れないと、作品はまとまらないのだ。
押井守みたいに、与えられた予算と期限内で作品を上げるために容赦無く切っていく監督というはむしろ例外的なのだ。
さて、ここからは挑戦状だ。
「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」と呼ばれるコンペは、何を目的にし、何に対して責任があるだろうか。
「新国立競技場の建築予算」に対して、予算配分を決めたのは誰で、何に対して責任があるだろうか。
文科相やコンペ審査委員長にスポットライトが当たる中、隠れているのは誰だろうか?
ザハ案が膨らんだ時点で「拒否すべきだった担当」は、どこの誰だっただろうか?
問題点を切り分けるための、簡単なヒントを挙げておこう。
それぞれ明確な責任者が居るが、キミに見つけられるだろうか?
信仰に苦難の時代があった。 メシアとしてイエスが現れ、彼は愛を説き、自らが犠牲となることで贖罪とした。
だが、実際に弾圧された者達は結果的に救われたとは云えども、迫害の中で死んだ者もいるのだ。 苦難に晒された恨みはメシアによって抑圧されたともいえる。 救済されることよりも復讐を願う者は行き場がなかった。
そういった怨念を導く者が現れることもまた必然であったといえよう。
愛によって救済に導いたイエスが表のメシアなら、怨念の成就に導いたのが裏のメシアである。
裏メシアは信仰を集め、亡者たちは裏メシアの名を叫びながら復讐に猛った。
幽霊が現れるときの「うらめしや」はこの裏メシアが語源である。
という与太話を考えたんだけどどうかな。
1人で街中を歩く時、気をつけていることがあって、いかにも怪しい人や一見普通のおじさんやおばさんとすれ違うと必ず後方に気をつけるようにしている。不自然じゃない程度に振りむきさえする。
一方でちょっといいなって思う異性とすれ違うときは、10歩ほど歩いてから振りかえるようにしている。すると20人に1人くらいは向こうも振り返っていることがある。
この、一見自然に演出された「偶然」は相手をお茶に誘って結果恋に落ちる程度には成功率が高く、結果今のパートナーはそれで出会っちゃったりしてます。
「え?そうだったの?」
パートナーが言う。なんで私のことを好きになったのかって聞かれたので付き合いだした最初はぼやかしていたんだけど、いい加減本当のこと言ったのだった。昨日の夜。
「……」
「それってブログか何かで読んだでしょ?」
「うん」
「書いたの私だよ」
インターネットこわい。
自慢話は男の得意科目などとよく言われる。
そんな俺にとって一番辛い現実は、彼女候補の女性が恐ろしく限定的になってしまうことだ。
事実として、俺は興味や関心が非常に狭いというか、偏りまくっているというバックグラウンドがある。
なんとも物騒な例えで恐縮だが、暗殺事件だったら犯人が使った銃の形式や構造や歴史、弾薬の種類や威力とか、そういうことばかり細かく覚え込んでしまう人間である。
銃に限らず一事が万事そんな感じで、他に音楽だったら珍しい楽器が使われていたら喜ぶとか、明らかに世の大多数とは喜ぶポイントがズレている。
物心ついた時からそんなノリで生きてきたのだから、「薀蓄が人生」みたいなオッサンが出来上がるのは、殆ど必然だっただろう。
おまけに自然言語よりもプログラミング言語のほうが得意だったり、なんでもパターンでしか覚えられない、それ以上の融通が効かないなど、物事の認知においても色々おかしい。
あと目を合わせるのも苦手だしな。
とはいえ、女の知り合いが一人もいないのは寂し過ぎるので「あれ美味しいよね」「わかるわかる」「ま、何とかするけどねw」に終始する会話はこなせるようになったし、「増田さんには悩みとか話しやすい」と評価をもらえる程度に聞き上手は意識するようになったし、バカ話でウケを取ることもそれなりにサマにはなった気がする。
おかげさまで、女の知り合いや友達は何人かできた。全く自慢にならないのを承知で言えば、中には二人で遊びに出かけたり、メールもLINEも盛り上がる仲に持っていけた相手もいる。
しかし、今のところそれ止まり、女友達と女の知り合いしかいない。
俺のイカれた生い立ちからすると、どうしたって会話の中に薀蓄が紛れ込んでしまう。
というか会話に薀蓄を含めるなと言われるなら「出家して世俗を捨てろ」と言われるほうがマシ、それくらい俺には苦しくて無理だ。
でも当然というか、薀蓄が出てきた途端、相手の反応は決まって「へーそうなんだー」である。
そこで我に返ってすごすご話題を変える。その繰り返し。
そして薀蓄が出てくるたびに、お互いのしっくりこない感も繰り返され、結果友達枠が妥当という結論になってしまう。
勿論、それだって友達がいるのは一人より寂しくないというだけで大いに意味がある。
でも、そうやって誰かと親しくなるたび、絶対に彼女になり得ないこともハッキリ示されるのだ。
こんなに虚しいことはない。
悲しくてやりきれないと言ってもいい。
恐らく、そんな俺を彼氏枠に入れてくれるのは、男の薀蓄を「やっぱり増田さんて博識~、話してて楽しい!」と目を輝かせる女性だろう。
これが最低条件というか、多分そうじゃないとお互い辛い。
なので、俺がするべきはそういう女性との出会いの機会を増やすことだと認識しているのだが、こういう女は本当に希少というか、滅多にいない。