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はてなキーワード: 必然とは

2016-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20160129105251

理研っていうか日本サイエンス業界童貞力が強すぎて、いつかああいう異常者が入り込んで事件を起こすのは必然だったとは言えると思う。

2016-01-27

余計な一言

いつも通り、少なめにごはんを炊いた。

量が少ないというなら、

「ご飯、次からもうちょっと多めに炊いといて」

これだけ相手に伝えれば、十分だ。

その後、「これじゃ栄養が採れない」などと文句を言い出す。

はっきり言って不愉快だ。

栄養が足りないというなら、卵でも焼いて勝手に食えばいいし、別に食パンを焼いて食べるなどすれば良いだけのことだろう。

面倒なら牛乳でも飲んでればいいし、食後にヨーグルトを食べるなどいくらでも足りない栄養を採る手段はある。

「その最後一言が余計なんだよ!」と指摘した。

当の本人は、相手がそれで不快になるとは一切思っていないどころか、こっちの受け取り方が悪いかのように思っている。

要するに、"気にするな" ってやつだ。

何故、その一言を付けたのか、問いただすと、「なぜ、炊く量を増やすのか相手に伝わらないから」とのことだった。

文面からは伝わらないかも知れないが、ぼそぼそと暗い感じで、その余計な一言を加えるものから理由はともかく、不快気持ちになるのは必然だ。

それについても指摘したが、「疲れてるから」、「スーパーレジが混んでたから」だと。

投げ掛けた言葉相手がどう解釈するかは、その場の雰囲気相手の考え方によって異なるものだ。

「そんなつもりは無い」と後から言ったところで、嫌味として受け取られたなら、その言葉は、嫌味を指す。

相手がどう受け取るかはわからないわけで、無意識に言った一言相手にとっては、不快だったことはよくあるだろう。

指摘されたなら、次から気をつければ良いだけで、「おまえの受け取り方が悪い」などと言い返す必要はないと思うのだ。

2016-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20160124173414

アフタヌーンに戻ったという環境の変化もあるだろうけど、

バイオメガ5巻の半ばあたりから作風がガラッと変わってきて、

シドニア連載時はセルアウトしたんじゃないか?というぐらい、

良くも悪くも毒が抜けたように思った。

弐瓶作品には東亜重工だったりガウナだったり

共通世界設定みたいな物があることが周知されてるけど、

それはある種ナルニア国物語のような、壮大な創世記の一部として各作品意識されてるからだと思ってる。

バイオメガの終盤からシドニアあの世界での転換期だったと思う。

バイオメガハルマゲドン旧体制崩壊/根絶の史実であり。

それでもなお、生態が変容するほどの時間軸を経ても続いてることでガウナの脅威性を示し、

融合という形でそこから再生を明示することで次世代への希望を匂わせたシドニアの騎士

またBLAMEからバイオメガ中期までは

敵(異形の物)とのボーダー曖昧主人公という逆説的に強調するヒロイズムが見られたのが、

バイオメガシドニアでは敵に飲まれ異形化した人間と、

それに抗うように旧時代人間らしさを引きずる主人公という逆転が起こっている。

まりガウナを取り込むことで融解するという、

融和的なようで獰猛な何ともいえないシドニアラストをもって、

BLAMEの頃の世界観は一掃されたんじゃなかろうか。

変な言い方をするならシドニアはこれまでの弐瓶ワールドに一旦区切りをつけるための物語だったので、

綺麗に収束していったのは必然と言うか宿命みたいなものだったのかもしれないということ。

http://anond.hatelabo.jp/20160124072652

袋叩きにされた件は、最初攻撃して煽ったのが原因だと説明したはず。

その後に、全員に攻撃すれば袋叩きにされるのは必然でしょう。

それと文章が非常に分かりにくく、説明する気が無かった。

もう少し自分がした事も思い出してみると良いのかもしれないね

人間というのは自分がしてあげた事、された攻撃について30倍よく覚えている。

まり全部読み返してみればもっと冷静になれるのかも知れない。

ここは匿名で書ける場所

きっと彼女達なりにストレスの発散をしているんだよ。

2016-01-15

君と僕は、同じ空を見ていると思っていた

今日は空が赤いんだ。」

そんなメールが来て、僕は僕は空を見上げた。

君と僕が住んでいる街はとても遠い場所だったけど、僕の街も空が赤かった。

はいてもたってもいられず、窓から外に出た。

そして、君に電話をかける。

「俺いま、外にいるんだ。こっちも空が赤いよ。」

その時、僕は気づき始めていた。

君が僕を好いていてくれること。そして、自分気持ちは「恋愛の好き」とは違うものであったこと。


....


それから一年以上が経って気がついた。

空が赤かったのは、偶然じゃない。ただ街の街灯が赤かっただけだってことに。

偶然の巡り合わせは、ただの必然だった。僕たちの見ていた空は違う空だった。

しかすると、君の見ていた空も、ただの街の街灯だったのかな。

2016-01-13

親の反対もそれなりの理由があって、覚悟を試されてるんだよ。

コンピューター世界に行けないと生きている意味がないので、

死を選びますぐらいの覚悟なのか?

それぐらいじゃないと技術世界は厳しいよ。

社会人になれば嫌でも嫌な仕事をしていくので、その練習だと思えばいいよ。社会人は、嫌な仕事を好きになる工夫を一杯持ってるんだよね。コンピュータ医学中間にある仕事なんてさがせば見つかるだろうし。医学勉強無駄になら無い。意味があって学んでいると思うこと。努力を怠ることなく日々生きて、天命があって時が来たら道が開けるんじゃないかな。

引っ掛かるのが、大学受験のチャンスはあった。

けれど、医学の方が試験に受かった、というところ。守護霊か何かも、そちらへ引っ張ってるような気がするから必然があって、間違ってもないような気はするけどね

http://anond.hatelabo.jp/20160113012757

2016-01-11

日本はまだ賢いよ。暴動を起こしても、この状況が何とかなるとは考えないだけ、他の国よりマシ。

実際、テロを起こしても日本崩壊が早まるだけ。ますます現状を悪化させることを理解してる。

日本には、独裁者も超金持ち存在しない。悪者がいない。ただ全体が愚かで知恵がないだけ。あと全体的に精神が幼いだけ。政府も目一杯やってこの状況。消去法と必然によって最善を選択してる。政治現場を知らない人間は、もっと理想の選択ができると思ってるけど政治現場はそうじゃない。

日本の政治家はまだ、サンドバックになりながら、日本のために働いてくれる、他国と比べ優しい方だ。日本強者がいるとしたら激務をこなして経済を支えている超人であって、これを叩くと完全に日本崩壊してしまうだけ。

2016-01-10

http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20160108/1452245937

最近は、ネットは変わったということを言う人も一巡して、そんな声も聞かなくなった気がするんだけど、読んでたらため息でるなあ。

斯く言う私も、学生時代は日陰者だったわけだかバリバリ社会不適合のオタク気質な人たちの影から匂い立つエネルギッシュさというのを肌身を通して感じていたつもりだ。ある時期までは、アニメを見ているとかラノベ的な小説を読んでいるというのは強烈なスティグマだったのを記憶している。

ネットの変質を端的に表しているのは動画サイトなんじゃないかと思っている。もしかしたら、自分がウブなだけかもしれないんだが、かつては狂酔なバカ(良い意味)が動画を上げていたんだけど、最近はどうも表面上バカ動画であっても金の匂いがする。金が掛かっているから自制が働いてツマラン動画になってる。megwinお前だよ。

一方で、技術はかなり進歩している。MAD動画編集なんて、指数関数的に技術が向上しているから1年経てば古くさくなっていると感じる。その技術をさ、金のためじゃなくて、おもしろ動画のために使ってくれよ。

ネット一般社会化していったのは、普及率に向上に伴う必然だけど、悲観するひつようはない。このネット上に(あるいはネットでないどこかに)、かつてのネットのようなフロンティアがあるはずだ。アフィに汚染されてない、金のためじゃなく、バカ騒ぎがしたいから画面に向かうヤツがいるはずさ。

2016-01-09

被差別者矛盾してもいい

新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク

山口浩 / 経営学

http://synodos.jp/society/15869

について、まぁすこし前に流行った弱者男性と同形の議論だよね基本は、そして弱者男性議論と同様に根本的に間違えてる部分がある。

被差別者矛盾しても構わないのだ。

山口氏は単純なロジック問題として語ってしまっている。

これに対してコメントを見てみると

それ以前に当事者運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います

LGBT包含しにくい勢力をLGBTと同等の勢力と多数派が認めればいいだけでは。少数者はひと固まりになるべきてのは押し付けに過ぎない

分かるけど「お前らの運動思想的に無矛盾じゃないからニセモノ!」って足引っ張るのはやめような。オタクオタクで頑張れ。共闘はできなくても互いに応援はできるはず

ロジックというよりは戦略面での反論が多い。

考えてみれば当たり前だ、そもそも論理を貫き通せばそれでOKなら、差別のものがとっくの昔にこの世にないはずだ。となれば必然運動論理を超えた、つまり矛盾を含むことになる。

論理的には山口氏は正解だろう。「性的少数者は守られるべきか?」「多様性擁護されるべきか?」という直截な疑問にLGBT側の多くの人間留保を付けずに「YES」と答えられないのではないか。そして留保を付けた途端、この教条絶対性は揺らぎ、次なる理由を求められることになる「では、なぜLGBTだけが?」「その理由は?」

理由など無い、たまたま自分かあるいは近しいところにその当事者がいたとか、そういう理由ならあるだろうが。論理的説明は無い。

こうした運動にとってロジックは「根拠」ではなく「道具」に過ぎない、ってことをわかってない。まず第一に「ある特定差別解消」という恣意的目標があり、ロジックは都合のいいものだけ後付けされる。そんなことはわかった上で、なのかもしれないが。

 

なぜ矛盾してもいいのか?

それはそもそも第一の目的が「論理性の追求」などではなく「ある特定差別解消」だからだ、この目的のもとに、手段の(特に論理的正当性は言ってしまえばどうでもいい。そもそも論理的であるべき(矛盾すべきでない)とする論理的理由は無い。それは常に(他の場面でも)戦略的ものだ。

そう、戦略だ。ここに山口氏の主張をベタに受け取る上記の反論の未熟さが伺える。彼らも分かってるはずだ、ここにはコンスタティヴではない、パフォーマティヴな意図が隠されていると。

被差別者矛盾してもいい、そのことには論理的正当性すらあるが、一方で戦略的にはよろしくない。大半の人間馬鹿から矛盾してもいい」ことを理解できないし、となると論理的矛盾論理的ではなく戦略的な足かせになる。

彼らがやるべきは「その言い分は戦略的にまずい」とコンスタティヴに言ってしまうことではなく、山口氏と同様にパフォーマティヴな意味を獲得する論理ゲームに参加することだ。

彼らは勘違いしている。これは「論理的正当性」という称号を賭けたただのゲームなのだ。これを獲得すると「説得力」という全然論理的には役に立たないが戦略的に役立つものが手に入り、逆に負ければ論理的には全く問題ないにもかかわらず戦略的には大きなリスクを負うことになる。

彼らは文章の表層に表れる論理ゲームしか見えていない、その上空で展開されるメタ称号争奪戦略ゲームが見えていない。彼らは「論理より戦略考慮しないと」と言うわりに自らの戦略的位置・意味には驚くほど鈍感だ。正しいことを言ってればいいわけじゃない。

論理ゲーム勝敗戦略ゲームの戦況に影響を与えるということ、この簡単な事実を前提とした意見は残念ながら今のところあまり見られない。

2016-01-06

ツイッターで沢山書けるようになったらブログ存在意義を失うな

少なくともブログツイッターを併用してる人達ブログを使う意味を失うと思う。

今までわざわざ分けて書いていたのを1つにまとめられるようになるのにあえてしない理由がない。

見てくれている人の利便性を考えたらそうしない理由がない。

記事に対するコメントもそれへの返答もリプライサクサク

ブロガー同士の繋がりだって可視化されやすくなってグループの作りやすさも段違いだ。

昼間は軽く短いつぶやきをして、夜になったらそれについて少し詳しく話すことだって出来る。

発言連続性や時系列が分かりやす可視化される。

ツイッターで起きたことについて少し詳しく話しますのでブログ見てください何てこともなくなるし、

ブログで起きたことについて少しツイッターで話させてくださいなんて前置きする必要もない。

全部ツイッターの上でやることが出来る。

キャラクター発言の内容を使い分けたいならサブアカウントを作ればいいことだ。

メインアカウントでの発言の補足にサブアカウントを使ってメインアカウント発言引用したりも出来る。

同じSNS内だからスイスイだし違和感もない。

見てる側にしたってメインアカウントサブアカウントを同じTLやリストで流せばブログツイッターという二つのメディアを見なければいけない頃よりよっぽど便利だ。

ブログという文化ミニブログの出現によって脅かされ遂に合併吸収されるのだ。

子供が老いた親を取り込むのである

世界弱肉強食代替わりは必然なのだ

2015-12-22

今のはてな運営主語目的語曖昧動詞形容詞けが過激な語りを求めている

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2015/12/22/155416

この嘆きはよくわかるが、仕方がない。はてな運営自体がそういう風になっているのだから

現在はてな運営の態度はこうなっている。「直接相手を名指しした場合、そこそこまともな批判でも通報されたら記事を消せ、と機械的に処理される。」「それでいて直接相手を名指しない形で悪口を言ってくる増田ブロガーはてな運営通報しても「第三者からみてあなたのことを言ってると明らかじゃないので対応できません」といって対応してもらえない」つまりはてな運営の態度を忠実に解釈するのであれば、「主語目的語を薄めて (主語がぼやけている代わりに、特定の誰かを批判しない)」「動詞形容詞過激にする (あきらかに語る内容に比べて表現煽りになっている)」というものはてなにおいては最適解ということになる。はてなにおける最適化とは、虚空に向かって過激発言をすることなのだ。みんなが自分の庭に井戸を掘って「王様の耳はロバの耳」に類する鬱憤を吐き出すのが理想の姿なのであるサラリーマン社畜といった特定の誰かをささな抽象的なイメージに対してはどれだけ過激悪口を書いても良い。それでいてそういう発言をする人間ちょっとでも「それは言いすぎだ」と批判をすれば「匿名暴力」「魔女狩り」「罵声を浴びせる人たち」となるのだ。そういう人間がいまのはてなブログ運営の答えなのだ

はてな村かかりつけの医師がこんなことを書いていたがこれは必然の結果だ。

http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151107/1446854595

もしかしてはてなブログが俺の攻撃性や煽り性を引き出しているんじゃないか?」

はてなブログは、トラバによる明確なつながりを捨てた。それによって虚空に向けて叫ぶ人材を求める仕組みになった結果、人とのつながりを求める人間表現自体には過激さが求められるようになった。それでいて、直接個人に言及することを憚るよう運営は求めた。言及する対象抽象的になればなるほど、人間発言が雑で大げさなものになっていく。その結果、具体的な話よりも、ぼんやりした、中身の薄い、それでいて表現けが大げさな記事が目立つようになった。なにせ、どれだけ価値があろうとも、具体的ななにかに関する直接的な言及は一切アウトなのだから価値あるものは何も蓄積されない。アニメラノベ作品についてさえ具体的に言及すれば天狗が襲い掛かってくるという噂が広がるに及んで、もはや人々は自分事以外で他人については何も語れなくなってしまった。はてなでは糸電話のような慎ましやかな通話はもはや消失し、拡声機をもって大声で喚く人間が盛り上がりそれをはてな村の老人たちがやれやれと嘆きながら何もしないという、発展性の全くないコミュニティと化した。誰も他人の話をまともに受け取ろうとしない。 ただみんなが自分の話を聞いているという妄想だけを頼りに大声で自分の言いたいことを喚くだけだ。 はてな村にもはや以前のようなつながりは存在しない。 


知ってか知らずかはわからないが、はてな運営自体がそれを望んだのだ。 我々は運営がのぞむように均されていくのだ。

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151216150611

>本当に「鼻持ちならない、海外自慢の人間」になるのか、

それとも、「馬鹿だと公言するほうが評価される社会

という自身が抱いた偏見に打ち克って生きて行くのか。


この場合階層を越えている悩みが大きい。

異なる言語を使う異なる価値観グループの両方を見て、

かつ、自身価値観が、どちらかに寄っていると、寄っていない方のグループから叩かれる。すると、人間誰しも叩かれると、その人間嫌悪するのは当然の反応。

異なるグループは、異なるグループを叩くのが必然なので、

対策としては、別グループから叩かれても、痛くも痒くも無いように聞き流す境地が必要。ハナクソと言われたら、「誉め言葉だ」と思うみたいな。

また、嫌われて離れていったらラッキーっと思う。さらに良い人との新たな出会いが待っているんだと思う。

だけど、複雑な利害関係が絡み合う場合や、出られない共同体にいる場合は、嫌われても嫌っても、どうせ離れられない。

価値観が合っているグループとは良しとされるので、価値観

直すこともできないし、使い分けられる量にも限界がある。完全な二重人格になら無い限り、異なる価値観を完全に切り替えるのは不可能

2つのグループならまだましな方で、社会には、5つも10個も異なる価値観グループ存在する。その全てに属そうと思えば、まあ、10人格を使い分ける特殊能力必要。これは、もう想像を絶する苦しみ。そして、それだけ努力しても今度は多重人格だと罵られるので、

どこまでいっても罵られる、のはかわりない。

この苦しさが分かる人間には、人との違いに寛容なので、分かってくれる人も存在する。

そして、日本世界意識の2極化は進んでいて、溝は深くなりつつある。

違いをどこまでも受容していく人、違いをどこまでも否定する人。

逆向きに進んでいるので、10年も経てば、ものすごい差。


しかし、決して日本は、

馬鹿だと公言するほうが評価される社会」では無いと思うよ。

居心地がよく弱いもの同士群れてるだけで評価はされていないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151216150611

>本当に「鼻持ちならない、海外自慢の人間」になるのか、

それとも、「馬鹿だと公言するほうが評価される社会

という自身が抱いた偏見に打ち克って生きて行くのか。


この場合階層を越えている悩みが大きい。

異なる言語を使う異なる価値観グループの両方を見て、

かつ、自身価値観が、どちらかに寄っていると、寄っていない方のグループから叩かれる。すると、人間誰しも叩かれると、その人間嫌悪するのは当然の反応。

異なるグループは、異なるグループを叩くのが必然なので、

対策としては、別グループから叩かれても、痛くも痒くも無いように聞き流す境地が必要。ハナクソと言われたら、「誉め言葉だ」と思うみたいな。

また、嫌われて離れていったらラッキーっと思う。さらに良い人との新たな出会いが待っているんだと思う。

だけど、複雑な利害関係が絡み合う場合や、出られない共同体にいる場合は、嫌われても嫌っても、どうせ離れられない。

価値観が合っているグループとは良しとされるので、価値観

直すこともできないし、使い分けられる量にも限界がある。完全な二重人格になら無い限り、異なる価値観を完全に切り替えるのは不可能

2つのグループならまだましな方で、社会には、5つも10個も異なる価値観グループ存在する。その全てに属そうと思えば、まあ、10人格を使い分ける特殊能力必要。これは、もう想像を絶する苦しみ。そして、それだけ努力しても今度は多重人格だと罵られるので、

どこまでいっても罵られる、のはかわりない。

この苦しさが分かる人間には、人との違いに寛容なので、分かってくれる人も存在する。

そして、日本世界意識の2極化は進んでいて、溝は深くなりつつある。

しかし、決して日本は、

馬鹿だと公言するほうが評価される社会」では無いと思うよ。

居心地がよく弱いもの同士群れてるだけで評価はされていないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151216150611

>本当に「鼻持ちならない、海外自慢の人間」になるのか、

それとも、「馬鹿だと公言するほうが評価される社会

という自身が抱いた偏見に打ち克って生きて行くのか。


この場合階層を越えている悩みが大きい。

異なる言語を使う異なる価値観グループの両方を見て、

かつ、自身価値観が、どちらかに寄っていると、寄っていない方のグループから叩かれる。すると、人間誰しも叩かれると、その人間嫌悪するのは当然の反応。

異なるグループは、異なるグループを叩くのが必然なので、

対策としては、別グループから叩かれても、痛くも痒くも無いように聞き流す境地が必要。ハナクソと言われたら、「誉め言葉だ」と思うみたいな。

また、嫌われて離れていったらラッキーっと思う。さらに良い人との新たな出会いが待っているんだと思う。

だけど、複雑な利害関係が絡み合う場合や、出られない共同体にいる場合は、嫌われても嫌っても、どうせ離れられない。

価値観が合っているグループとは良しとされるので、価値観

直すこともできないし、使い分けられる量にも限界がある。完全な二重人格になら無い限り、異なる価値観を完全に切り替えるのは不可能

2つのグループならまだましな方で、社会には、5つも10個も異なる価値観グループ存在する。その全てに属そうと思えば、まあ、10人格を使い分ける特殊能力必要。これは、もう想像を絶する苦しみ。

この苦しさが分かる人間には、違いに寛容。

そして、日本世界意識の2極化は進んでいて、溝は深くなりつつある。

しかし、決して日本は、

馬鹿だと公言するほうが評価される社会」では無いと思うよ。

居心地がよく弱いもの同士群れてるだけで評価はされていないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151216150611

>本当に「鼻持ちならない、海外自慢の人間」になるのか、

それとも、「馬鹿だと公言するほうが評価される社会

という自身が抱いた偏見に打ち克って生きて行くのか。


この場合階層を越えている悩みが大きい。

異なる言語を使う異なる価値観グループの両方を見て、

かつ、自身価値観が、どちらかに寄っていると、寄っていない方のグループから叩かれる。すると、人間誰しも叩かれると、その人間嫌悪するのは当然の反応。

異なるグループは、異なるグループを叩くのが必然なので、

対策としては、別グループから叩かれても、痛くも痒くも無いように聞き流す境地が必要。ハナクソと言われたら、「誉め言葉だ」と思うみたいな。

また、嫌われて離れていったらラッキーっと思う。さらに良い人との新たな出会いが待っているんだと思う。

だけど、複雑な利害関係が絡み合う場合や、出られない共同体にいる場合は、嫌われても嫌っても、どうせ離れられない。

価値観が合っているグループとは良しとされるので、価値観

直すこともできないし、使い分けられる量にも限界がある。

しかし、決して日本

馬鹿だと公言するほうが評価される社会」では無いと思うよ。

居心地がよく弱いもの同士群れてるだけで評価はされていないよ。

2015-12-09

ファッション界に理系進出を!

私は常々理系嫌いを公言し、論理よりも感情重要と思っているが、ものには限度ってものがある。

「この夏は通勤ストールとふわふわハットで彼のハートをズキュン。」意味わからん

禅問答前衛芸術か?

今のファッションには理論が足りない。

ファッション界に理系進出をつとに望む

ふわふわハットの論理的定義は?この夏に通勤ストール必然である論理的根拠は?

彼のハートをズキュンを数式で三行以内で表せ。

2015-12-05

卒業式にもでなかったし、成人式もでなかった

節目の行事と言われるものは避けてきた

人の結婚式にも極力出ない

そのこと自体に後悔はないけれど、もう普通にはなれないんだなとは思う

普通のひとたちと共有できる体験が少ないんだから必然なんだけどね

2015-11-29

日本産業

圧倒的なスケベ心から放たれる人口増加と意地汚さで精神論人海戦術ゴリ押し戦略を繰り広げてきたが

そのおかげで自動化やマネジメント技術が磨かれなかった

またパワーの源であるスケベ心も行き過ぎて世界屈指のエロ産業を生み出してしま

そこで消費され他に向かなくなった

エロ産業で性欲は解消され人口は減少の一途

得意の人海戦術が使えなくなった

技術も無ければ人もいない

もはや終了である

必然の敗北である

2015-11-16

アニメ批判」がいかに泥沼か

http://anond.hatelabo.jp/20151114203911

http://anond.hatelabo.jp/20151115051501

 

何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。

から、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。

自分発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。

すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。

でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点しか見れないのだろう。

私は2chアニメスレに、何度か優れた考察をするブログURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。

「でも○○のパクリから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。

 

もはや、ネットネガティブ思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。

事実アニメスレなんて、ほとんどがアンチ巣窟になっている。

はいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。

しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから監督脚本を責め立て、自分理想を延々と垂れ流す。

なぜそういう姿勢になってしまうのか。

 

ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。

そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター至上主義」を煽る文化に一因があると思える。

魅力的なキャラが何より大事から特定キャラsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。

また、「キャラ脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。

もちろん、アニメ化以前からキャラクター確立している作品もあって、一理ある場合もある。

だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。

なぜなら、既存キャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。

なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。

常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。

 

もうひとつは、アニメ作品を視聴する基本姿勢問題だ。

限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブ行為だ。

大事なことほど明確に描かれず、テーマ不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味評価される芸術だ。

から、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。

だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。

そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。

そういう人にとっては、アニメ違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。

だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。

アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。

すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来姿勢には戻れなくなる。

その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。

作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。

アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。

これが、アンチ言葉で説得するのが難しい理由でもある。

 

また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。

その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。

それが実際はトンデモ批判でも、通っぽさが伝わるとROMにわか層には説得力をもって伝わるのだ。

ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやす環境に生きている。

この手の重箱の隅批判公益を生むこともある政治行政への批判あたりならまだマシだ。

が、アニメ漫画なんていうのは、趣味自分が楽しむためのもの

こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。

それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。

2chのような便所の落書きにとどまっているうちはまだいい。

こういうネガdis思考twitterLINEまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。

それも、最初ネタのような形で伝播するのだ。

軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。

もっと作品クリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク気質の人。

大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。

 

結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。

しろ、そういう人が目立つの時代必然と考えたいという話。

目の前に広がる不快な現状をみて、

その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさん元増田なら、

ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。

どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。

そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。

ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、

でもリアルSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。

つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的評論的な物言いをしたくなる時も、

それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。

 

しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても

「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。

一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。

なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから

ああオトナになるのは本当に難しい。

2015-11-15

後味の悪いフレンチ

パリにおけるテロの一報を聞いた時、シリアイラクの『まっすぐな国境線』を私は思った。

『ISを空爆しているかテロに遭った』という単純な話ではないのだ。

少なくとも、禍根は360年以上前まで遡る。

現在、我々が『国』と呼んでいるのは『国民国家』のことだ。

その『国民国家』が軍事力相互牽制し合う秩序、『ウェストファリア体制』ができたのは1648年。西欧という、極小の地域で生まれた。

18世紀以降、西欧諸国はこの『国』という真新しい概念世界中押し付けていく。

日本例外ではなく、武力による恫喝ウェストファリア体制に組み込まれた。

明治維新と言えば聞こえは良いが、列強外交圧力に屈服したにほかならない。

ウェストファリア体制押し付けで、最も割を食ったのは中近東アフリカだろう。

かの地域に『国』などなく、あるのは氏族社会日本では部族(tribe)社会と呼ばれるが、国際的には氏族(clan)を用いる)だけであったし、今もそうだ。

氏族社会にとって『国』は不要どころか、不自然国境線独立民族戦争を生んだ悪魔と言って良い。

9.11を含むテロには、300年来の恨みがあるのだ。

うまく想像できない人は『明治維新に失敗した日本』を想像すれば良い。

成り上がりの強国に植民地支配され、解放後もモノカルチャー経済貧困に喘ぎ、近代化できずにいる日本想像すれば良い。

恨みを持たない方が不思議だろう。

宗教関係ない。これは政治問題なのだ

英仏露が中近東を引っ掻き回した、100年前の一次大戦も『国』の押し売りであった。

これら地域の『後始末』を押し付けられたのは米国だ。

同情しなくもないが、被害諸国から見れば悪の統領である9.11必然だった。

時に米国と対立するフランスだが、両国同盟関係は100年以上も続いている。

サルコジ以降はNATOにも復帰したから、軍事同盟国でもある。

パリにおけるテロは、9.11スケールダウンさせただけで、構造は同じだ。起こるべくして起きた。

日本は?

考えるだに恐ろしい。

フランスと同じではないか。違うのは『ISを空爆していないこと』だけだ。

日露戦争の時は『列強に一矢報いた第三世界の星』だったかもしれない。

しかし、その栄誉はすっかり摩滅し、今は跡形も無い。

イラク戦争を支持・派兵し、米国同盟国で、米軍海外基地(規模では世界第二位)を有している。

湾岸戦争の時のように、大金をバラ撒くのか? 口だけの『平和外交』を続けるのか?

馬鹿にされるだけだろう。

そう遠くない将来、日本は『ツケ』の支払いをさせられる。債務免除はない。

2015-11-07

レイシスト新聞朝鮮日報

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/07/2015110700529_2.html

コラム】中・日と対峙する韓国生存懸けて原潜建造計画を推進せよ

 偶然にも韓国海軍が観艦式を行った数日前、日本海上自衛隊も観艦式を行っていた。海自質的には米国に次ぐ世界第2位と評価されている。今年の海自の観艦式には韓国から駆逐艦が参加したが、現地に行った海軍関係者の話によると、海自の偉容もかなりのものだったという。日本国民全体が海軍に大きな関心を寄せていることもあり、観艦式の参加チケットは一時8万円近い高値で取引されていたという。その日本が少しずつその野蛮な姿、いわば日本人本来のものかもしれない姿を示し始めている。必然かどうか分からないが、われわれの命綱である南シナ海でも尋常でない雰囲気が漂い始めている。

よその民族を「少しずつその野蛮な姿、いわば日本人本来のものかもしれない姿」と平然と憎悪表現を使用するレイシスト新聞が、大手紙の一つとなっているのが韓国の現状である

産経でもお目にかかれない表現である

これが差別でないなら、何を差別と呼ぶべきだろうか。

日本左翼は、こんな新聞が、最大規模の発行数を誇るような国と友好関係を結べるという妄想をいますぐ破棄すべきである

2015-10-26

味や値段に関係なくミスドが美味しくてローソンドーナツを買わなくなった

一番の理由は袋から取り出してそれを保温器に詰めてるのを見てしまった事が大きい。

やっぱり手作り100円のミスド業者かつヤマザキドーナツとじゃ前者選ぶよね。

ローソンドーナツはよくよく食べ比べてみると、保温状態にもよるけど、食感がネチャっとしてるし

味も大味でひたすら甘いだけって感じがある。

ミスドオールドファッションは食感がサックリしてるおかげでローソン同様の甘さも上手く中和できてると思う。

そういう意味じゃローソンドーナツは手頃な値段で売ってるから使えるんだろうけど

からって何個も大人買いしたくなる程の良さはあまりない。

ミスドにしたっていつも3,4個しか買った事ないから、6個とか10個とか買いたいと思った事ないし。

要するに僕はドーナツに対してあまり積極的でなくなったと思う。

過去形なのはローソンドーナツを箱買いしてた事があるから

それだけ好きだったのに、あの店員が袋入りの二個入った山崎ドーナツを悪びれもなく保温器に移し替えた場面が

買うたびにフラッシュバックされてしまうからだと思う。

あんなに好きだったローソンドーナツより手作り感のあるミスドを選ぶのは必然だったと言わざるを得ない。

2015-10-25

偶然か必然

職場に送ってもらって、裏口まで歩いていると自転車に乗った彼が普段していないマスクを着用してしんどそうな顔をして現れた。

彼を見て、一瞬、私の動きが止まる。

こちらを見ている、気がした。

そんな訳ないと自分に言い裏口の扉をくぐる。

後ろから、彼が着いて来る。

急ぎ足になった私は、彼が来ているか確認する為に振り返る。やっぱり着いてきている。彼も仕事があるのだから当たり前だ。

また私は彼を確認したくなる。だってこんなにも偶然会える事を願っていたのだから

けれどさすがに後ろを何回も振り返れば怪しいだろうから我慢して、ゆっくり歩けば彼が後ろから追い抜いてくれるかもしれないのに、あまりの偶然に私は焦って急ぎ足で歩いてしまう。

ロッカーに着く。私はドキドキと高鳴る胸を落ち着かせる為に深呼吸をした。

会えたのだ、本当に。

ずっと願っていた、偶然で。

私が買い物をしに行けば会えるのは当然なのだ

けれどそれだけでは嫌だと、同じ館内で偶然見つけた求人広告電話をして働き出した。

同じ館内で働いている人としていつかは会えるかもしれない、すれ違って挨拶が出来るかもしれない、と思って毎日を頑張った。

今日はまさしくニアピンではないか。もう少し働いていたら本当に彼と挨拶を交わせるかもしれない。もう少し、あと少し。

その日までどうか辞めないで。挨拶だけだから。きっとそれより高望みはしないから







なんて、全部作り話でした。チャンチャン♪

2015-10-16

テレビ局は、「お笑い」で視聴率を稼いでいるから...

(少なくとも現代の)お笑い芸人あたりは、ヨゴレ芸をはじめとして、人サマ(および抽象化したもの)を差別して笑いを取っているのが沢山...もっとも、古典落語でもアホを題材にしているものは沢山あるけど

矛盾させたら、テレビ局にとって簡単でオイシイだろう「バラエティ番組」が綻びてしまうからね。営利団体以上の尊厳を捨ててきているメディアにとって、都合の良い基準を使うことは必然かな。

http://anond.hatelabo.jp/20151016104153

チビ」はあまり聞かないけど、「ハゲ」「デブ」については、関連スポンサーを応援する意味でも、今後も差別対象にされつづけていくことかと。

2015-10-12

MMOで中身の性別誤認されて告られたことを思い出した

自分自身は女、使用キャラ男性

相手は女性自己申告)、使用キャラ女性

今はもうサービス終了してしまったあるMMOで、あるプレイヤー告白された。

男だと思われていたらしい。

そのMMO文字チャットが主流で、音声チャットは一部の廃人プレイヤーが使ってるぐらいだった。文字しかなければ、性別は偽りやすい。

はいえ、自分はネナベをやるつもりは毛頭なく、なんならサブキャラ女性だった。もともとネットゲームデビューPSODC)で、あの作品性別キャラ性能の一部だったので、必然、「使いたい性能で性別が決まる」文化であり、中でも凝り性の人々は、使用キャラによって口調を変えるぐらいのことはやっていた。

使用キャラプレイヤー自身アバターではない。けれど、女性キャラが「俺」と言ったり、男性キャラが「あたし」と言っていると、口調とビジュアルがなんとなくそぐわない感じがする、だから操作キャラに合わせる形で喋り方のほうを変えてしまう。

そんなスタイルに慣れ親しんでいたせいで、男性キャラ操作している時は男性として違和感がないように、女性キャラ操作している時もまた違和感がないように、喋る癖がついていた。

漫画の顔と吹き出しの組み合わせを考えるようなものなんだと思ってた。その「吹き出し」のイメージも、きっとPSOのせいだ。

そしたら、男性キャラプレイしている時に知り合った人から、見事に勘違いされてしまっていた。中身の性別を隠してはいなかったけど、狩りやらに出かける時にわざわざ「中身は女なんですよ」なんて言わない。そのまま何度かパーティーを組んで遊んでいるうちに、惚れられていたらしい。

まり人が来ないエリアに呼び出されて、好きだと言われた。中身が好きだと。

大慌てで中身は女だと説明したが納得してもらえるには時間がかかった。結局、ふだんの自分の口調で喋るように修正し(これが私にはつらかった。ドラゴンボール悟空の吹き出しに「あたしも宿題やってないよー><」と書き込むような辛さなのだ)、なんとか受け入れてもらった。

彼女にとっては、操作キャラアバターで、当然プレイヤーキャラクター性別は同一、ということだったんだろう。

そのMMO女性キャラ比率が高く、その中には当然、多くの男性プレイヤーが含まれていたと思うのだが……もちろんその逆だって

今思い返すだけでも、異性キャラを使っていたプレイヤーを両手で足りないほど思い出せる。

私のようなスタイルプレイヤーにとって、文字チャットキャラクターの見た目に合わせて内容を変えるものだ。

その口調も、時には考え方すらも、自分自身イコールではない。

誰もがそうしているとは言わない。けれど、自分の多数の操作キャラの間に人間関係すら構築し、例えば兄と妹をそれぞれにキャラメイクする遊び方だって確かにある。そして私は今でもPSO2で、男性キャラ女性キャラそれぞれをちまちまと育成している。

もうチャットに明け暮れるほど遊べてはいなくて、フレンドも作らない万年ソロだけれども、もしもチャットする機会があったなら、それぞれに口調は違ってしまうと思う。

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