はてなキーワード: 大陸とは
私はとある大阪にある空港からアクセスが便利な三つ星(正直星も付けられないほどですが)のホテルで働くアルバイトスタッフです。
ある日お客様に頼まれて加湿器を持っていこうとした際に、私は加湿器の水を入れる部分にカビが生えているのを発見しました。本当ならば清掃さんの仕事なので私が掃除すべきか迷ったので、上の方に「これ洗った方がいいですよね?」って言いました。
じゃないと、部屋中にカビが飛び散る(飛び散るという表現が正しいかは分からないが体にも悪影響だと思う)し、もしお客様が発見したらクレームに繋がるから。
そしたら「どうせ気付かんからそのままにしといて?」ほんま清掃使いもんならんわ〜業者変えた方がええやろ〜。とフロントに程近い場所にも関わらず大声で独り言を呟いていました。そんな人間が上にいる環境で、誰がやる気と誇りを持って仕事が出来るのか。
私はそれからホテルという清潔さが必要な部分を蔑ろにする点や、様々な点でこのホテルに嫌気がさし、最初のやる気に満ち溢れていた頃よりはバイトに出れなくなりました。
他にも、新人スタッフに教育をまともにしない所(見て覚えろ、教えてと言ったら私に聞くなとあからさまにイヤな顔をするなど)や、ある中年男性スタッフからのセクハラ(仕事の事もあるし電話番号を教えてと強要され教えると二人きりでの食事の催促など)、シンプルに口臭が酷いスタッフが多い(勤務中に何度も吸いに行くタバコの臭いと胃が腐ってる様な悪臭が混じった史上最悪の口臭)、お隣と大陸からの団体客を「アホ、頭おかしい、病気を持ってる」などの差別発言、私自身へも「在日韓国人?」と言った外見的な差別、聞こえる様にスタッフへの悪口を言う(上の立場の人間が)、少しでもミスをすると上の立場の人間に「アホとちゃうんか!」と言われる始末。さらには「VIPのお客様だけは絶対におもてなしを徹底して、他はどうでもええから」と平等に対応すべきであるスタッフから飛び出す驚きの迷言。この方は「インバウンドの対応したない、あいつら変な病気持っとるんや」と何の根拠もない事での差別発言。言い出せばキリがないほど、お客様の事は考えない、アルバイトスタッフはゴミ扱い、差別は日常茶飯事、部屋にベビースターのカスが転がってる(清掃があまりにもテキトー)、壁は剥がれていて老朽化が進んでいる、そんな現実がある中、スタッフの対応だけは口コミで評価されている。心では上の人間から言われる言葉に泣きながら、お客様の前では笑顔で対応しているのがフロントのアルバイトスタッフなんです。悲しいです。
だから「すいません、今日は休ませて頂きたいです」って言いました。
ごめんなさい、話題の松井珠理奈さんのインタビューをお借りしました。
早く潰れればいいのに、こんなホテル。
ただの愚痴。
『二度目の人生を異世界で』については、なんというか話が錯綜しているので、自分の中であれの何が問題なのかを整理しておきたいと思う。
これについては『二度目の人生を異世界で』がファンタジーであることを考慮する必要がある。
「主人公が5000人斬りをしたのは異世界ではなく、現実世界だ」という反論があるかもしれない。だが、そもそも現実世界ならそこから転生して異世界に行くことなどできないのであって、「異世界転生もの」における「非異世界」は現実世界ではない。『聖戦士ダンバイン』の「地上」は異世界であるバイストンウェルに比べて現実世界により近い世界として描かれているけれども、そもそもオーラロードによってバイストンウェルとつながっている時点でそこは現実世界ではないのだ。でなければ、「地上」でオーラバトラーが普通に稼働して大戦争を繰り広げるようなことは起こり得ない。そういう世界観に対する好き嫌いはあっていいが。
「異世界転生もの」のようなファンタジーでないのならば、作品によっては荒唐無稽さが非難されることは当然あり得る。例えば歴史小説においてストーリーのために史実を曲げるような描写があれば、それは作者の不誠実として責められることがあるかもしれない。NHK大河ドラマが主人公を「正しい人」として描きすぎることなどはもっと非難されていいと思う。『新選組!』で近藤を持ち上げるために伊東甲子太郎が侮辱されたことなどは許しがたいと感じる。
また、ファンタジーであっても、その作品によって許容しうる荒唐無稽さのレベルというものはある。リアリティラインというやつ。ある部分はリアルなのにある部分は荒唐無稽であるようなリアリティのチグハグさもまた、作品論として批判の対象にはなり得る。「異世界なのにジャガイモ」「異世界なのにシャワー」みたいな批判である。ただ、「異世界転生もの」というのは大抵「テキトーに転生させてくれる恣意的な神」の存在を前提としており、その神がそうあれと創った世界なんだから、シャワーヘッドがあっても別にいいじゃんとも感じる。特に、『二度目の人生を異世界で』はそもそも要求されるリアリティのレベルが相当低いと言うべきである。
一番の問題はやはりこれだろう。確かに、「戦時中に数千人斬りました」なんて設定、どう考えても「百人斬り」を彷彿とさせずにはいられないわけである。「斬ったのは日中戦争下と限定されていない」という論もあるけれども、思い浮かべることまではどうやっても否定しようがない。まして大陸で黒社会にいたなんて設定も付随しているので、これを見たら不快にはなるだろう。
個人的には、「政治的に正しくない」ことを以て作品自体が抹殺されるべきではないと思うが、「政治的に正しくない」作品を無邪気にそのまま出版しアニメ化しようとした出版社その他の無能は非難したい。どうしても世に広めたいなら、ヴァーホーヴェンあたりを監督に据えてアニメ化するべきであった。
『恐らく、この栗城さん自身は「単独」とか「無酸素」とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。
たぶん、彼の周りにいる大人がなにか「美味しい都合」で、いろいろ脚色したんじゃないかな?』
『NHKも、おいおいちょっと待てよ、って思わなかったのかなぁ。不思議です。』
『栗城君は全然駄目。市民ランナー的で登山家としては3.5流 俺よりも下。
登山家じゃない。登山家をかたると本当に登山を目指した人に失礼。』
『彼は「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。
一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか。』
『マナスル登頂者のなかには、手前のコブを「認定ピーク」と呼んではばからない人物がいる。
頂上ではなく認定ピークに登ったということは、頂上手前のコブで敗退したのと同義なのだが、そういったレベルの登山者が無酸素・単独登頂の成功者としてメディアに登場するご時勢なのだ。』
『勉強しないのにお金をもらって東大を受け続けているようなもんだ…』
『判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。』
大地震や火山の噴火による世界の終わりといった物語やドキュメンタリーが大好き。
終末的な思想と言えばいいのか、世界の崩壊する物語を読んでいると、いい気分になれるんだよね。
アニメとかでは崩壊後の世界を描いている物語がほとんどで、崩壊過程の物語はほぼないんだけど。
毎日毎日生きるのがとてもつらいと、人間このような思想に浸かると楽になれるということかな。
このまま死ぬまで、ずっと単調な苦しい日々が続くだけなのだろうか。正直言って、自分の人生に絶望していると、世界そのものが滅んでくれればいいと思えることがある。
実際に世界が崩壊する局面になったとしたら、私のような無力な人間は生き残ることはできないかもしれないけど。
例えばの話、このまま春や初夏が来ずに、ずっと真冬のままの気候が続くとする。
シベリア寒気団が北半球全域に張り出した状態が1年以上続いたら、日本列島は夏季の台風通過時に猛吹雪になって、来年の今頃は列島全てが氷の世界になって固まってしまうよね。
北は北海道から、南は九州・沖縄まで一面氷に閉ざされてしまった日本。
日本列島だけではなく、ユーラシア大陸全域が氷結したことによって、太陽光が地上の氷に反射するアルベドの増加に伴う更なる寒冷化。
全世界レベルの食糧不足になったら、人類はどうなってしまうだろう。
4月~5月にかけて、北朝鮮と米国・韓国による北朝鮮の核を巡る会談が行われるらしいけど、まあ核なんか放棄する気はないだろう。
さっさと会談は決裂して、アメリカは国連軍でも結成して北朝鮮を軍事攻撃でもすればいい。
口だけの北朝鮮はあっけなく崩壊して、朝鮮半島全域はアメリカと韓国が暫定統治する。
ところが、直接国連軍と国境を接することになった中国とロシアがアメリカと韓国をけん制。そして中国とロシアもその戦争に介入して、東アジアが泥沼化する。
台湾問題や尖閣問題も蒸し返される形で、東アジア全域に戦況が拡大する。
その東アジアの戦況が、中東と欧州、ロシアにも飛び火して、あっちでも戦端が開かれたら。
シリアやウクライナ情勢を巡って、大陸西側も戦争前夜の様相になっていることを、誰も否定できないはず。
シリア情勢を巡って、NATO軍とロシア軍がウクライナ・コーカサス地域で衝突して発生する第3次世界大戦。
ロシア軍と比べて圧倒的な軍事的優位性を持つドイツ・フランス軍を中核とする陸上部隊は、ミンスク、スモレンスク、ヴォルゴグラードの諸都市を次々と制圧。
国会議員の青山繁晴先生のもとに外国人から電話がかかってくると決まって「what is moritomo」と聞かれるらしい。
それに続いて「日本に小学校はいくつあるんだ?」 「安倍は暇なのか?」と聞かれるらしい。
暇じゃねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
前回の選挙で与党が圧勝した理由は国民は「森友はもう良いから他にすすめることあるだろ」って思ったからじゃないの????
いつまで足引っ張ってんだ野党よ……
決めることは沢山あるのに、くだらないことで停滞させんな。
財務局が書類を書き換えたのはたしかに問題だけれど、こんなに長々とやることなのか?
僕にはわからない。
最近キャッシュレス化が話題で、海外じゃもう皆キャッシュレスになってて日本は遅れてるって言う論調だ。
確かに中国やアメリカはそうなんだろう。だが、ヨーロッパ(大陸)を旅行したんだがヨーロッパではそんなこと全然ないぞ。
キャッシュレス化すると一々小銭を持ち歩かなくて済むっていう人がいるが、それはない。
ヨーロッパ(ドイツ、イタリア等)で小銭がないとコインロッカーを使えない。クロークがない観光施設だとコインロッカーの使用が義務だったりする。
日本ほどじゃないがクレジットカードが使えない店(小さいパン屋、菓子屋等)も普通にあるし、少額の買い物は現金を使うのが普通だ。
ATMはそこらじゅうにあるし、100ユーロ札はほぼ使われないが、50ユーロ札(7000円相当)は普通に流通している。
キャッシュレス化には確かに色々な利点もあるだろう。だがその政策を推し進めたいからってヨーロッパ大陸の事例を意図的に無視したり、日本だけが遅れてるかのような嘘を言うのはやめろ。
Day.0
出発前
3月、人生で2度目の自分で計画した海外旅行に行くことにした。
行き先は香港。
今回も書きながらの旅行としたい。
きっと長くなる。気が向いた人が読んでくれると嬉しい。
あと、誤植は多分沢山あるけど、気にしないで欲しい。
さて、なぜ香港に決めたのかというと、昨年の台湾旅行が自分としてはとても良く、「意外と一人でも海外に行けるものだな」と思ったのと、台湾で現地の料理を食べたことで、香港や大陸の人はどんなものを食べているのか興味を持ったこと、そしてこの界隈で話題になっている、2次元バーコード決済をこの目で見て見たかったからだ。
また、自信を持ったとはいえ、語学の怪しい自分にとって、台湾の次に行きやすい海外はどこかとなった時、香港か韓国くらいしかなさそうだ、というのもあった。
ただ、今回は、現地ガイドが入出国に付き合ってくれた台湾と違い、全くの1人となる。
ハードルは1段、いや2段くらいは上がったと思う。
旅行には達成目標を定めて1個1個クリアして行くタイプだけど、目標のいくつかは低めに設定した。
まずは出国して、空港からホテルにたどり着き、英語か広東語でチェックインすることからだ。
今回の出発便も前回と同じ様に羽田発の早朝便。
旅行になるといつもそうなのだが、夜の移動や待機時間に眠ることができなくて、こういう時に定刻まで眠れる人が羨ましいと思う。
とはいえじっとしているのも辛いので、現地で言葉が通じなかった時のために、メモ帳にイラストを描いたり、簡単な広東語のおさらいをしたりした。
広東語に関しては本を買ったり、3ヶ月間、広州や香港の人のYouTubeを見たり、香港ポップスのMVを見たりしたが、聞き取れるまでに至らなかった。
同じ発音でも発する声の高さで意味が変わる広東語は、単純に「話す、聞く」というフィジカルな部分がとても難しい。
翻訳アプリに広東語を話して翻訳させるという手段で練習したが、どれくらい通じるものか。
広州出身のレイちゃんがYouTubeで教えてくれた「片思いの相手を呼び出して告白する時のシークエンス」を使う機会はなさそうだ。
ところで、深夜の羽田空港国際ターミナルで周囲を見渡すと、共に出発を待つ人達がやけに若い。
ベンチの向こうでは、大学生と思しき男子の一団がUNOらしきゲームをやっている。
Day.1
上晝・晏晝
機内に日本語が飛び交ったせいか、やや弛緩した気分で香港国際空港に到着したのは現地時間で11:15分頃。
長い長い入国審査の列に一瞬うんざりしたが、審査員は列を誘導して次々と人を通して行く。
さすが世界でも有数に人が行き交う空港だけあって、手際がいい。
1.「日帰りで深圳にいき、翌日広州に行くために必要なものはあるか」
3.「オクトパスカードが欲しい」
「我想去深圳一日遊、下個聽日、想去廣州。要乜嘢?」
「◯×◯×◯×…」
しまった、ちょっと懸念していたけど、「決まり文句は話せるのものの、聞き取れない」というのは思った以上に深刻だぞ。
なまじ話せるだけに、向こうもちゃんとした広東語で返してくる。
かなりビビったものの、いかつい面相と違って親切なにいちゃんは、「乜嘢?」と聴き返してくれて、「日本人はビザはいらない」と笑顔で答えてくれた。
しかし次の両替はもう少しハードルが高く、言っていることを聞き取ってもらえなかった。
「港幣」という単語でなんとかクリア。英語の方がまだマシだったかもしれない。
オクトパスカードの購入も一悶着あり、「我想買八達通」と言うと、「いくつかの選択肢があるが何が欲しいのか」と多分言っているであろうことを聞かれ、当然答えられないので、お互い困り顔で天を仰ぐという有様。
「weit here」指さされた列に並び、列に従ってたどり着いたカウンターでなんとか購入することができた。
ちょっと凹むが、一応やりたいことは1つひとつクリアしているのであり、60点くらいのクオリティであると納得するしかないかぁ。
それにしても腹が減った。
昼の時間だ。
一瞬、マクドナルドで済まそうと思った昼食だが、空港を散策すると、チャーハンとか、カレー煮込み的な何かなど、いかにも香港っぽいものを出している店があったので、せっかくなのでそこにする。
「loast goose,milk tea」何より食券売りのお姉ちゃんが怖かったので、無理をせず英語で注文する。
食券を渡してしばらくするとおばちゃんが叫んだ。
「ンーロッパーツァッ」「あ、5687番か、俺だ」数字の読み方勉強しといて良かった。
やはり南洋の中華料理は台湾と似ていて、全体的にあっさりしているらしい。
でも全部食べたら丁度いいような味付け。
下晝
地下の無印良品には日本語のパッケージの商品が並んでいて驚く。
ローカライズされてないんだな。
オクトパスカードを買っているので移動が楽。
日本の気候に合わせてきたので、香港の蒸し暑さに少し参りながら、尖沙咀駅に降り立ち、地上に出ると、その光景に圧倒されてしまった。
香港は狭くて人が多い。
人の多さもその人種も、行き交うスピードもエネルギーも尋常ではない。カオスだ。
平日の昼でこの有様だと、旧正月のようなイベントにどうなるのか想像もできない。
この異常なくらいエネルギッシュな街で暮らすというのはどういうことなのだろうか。
蒸し暑さと人のエネルギーに当てられて少し疲れてきた。
尖沙咀のちょっとだけ外れにあるホテルが今回の宿だったが、実際見てみると思った以上に大きくて驚いた。もう少しアットホームなホテルじゃないかと勝手に思っていたので、少しビビる。
さてここで次の目標、「英語か広東語でチェックインする」だが、レセプションの小柄なお姉さんに広東語がまったく通じない。
それでもカタコト英語でチェックインはできたが、「日本語できる人いますか」さえ通じず、ちょっと凹みつつモチャモチャやってると、50代くらいの女性に声をかけられた。
「何かお困りですか」日本語だ。
「英語部のリーと言います。何かお困りでしたら、お伝えください。」
助かった。
これでシャワーの使い方がわからなくても、失敗して鍵を部屋の中に忘れて閉めてしまってもなんとかなる。
もちろんそんなことがなければ一番だが。
尖沙咀がどんなところかと問われれば「新宿と銀座と青山と道頓堀を配分がどうとか考えずにグチャっと混ぜて、そのまま沖縄に放り込んだような場所」だ。
ヴィトンの斜向かいに怪しいインド系の人達がたむろする巨大な雑居ビルがあり、そのあいだのヤシの木が植えられた大通りを2階建のバスが怖いくらいのスピードで次々と疾走する。
件の怪しい雑居ビル、重慶大厦で両替をしながら「こんな暑いところでこのエネルギーで生きていて疲れないのだろうか」と思った。
それにしても尖沙咀はいままでちょっと記憶にないくらい騒がしい街だ。
ガイドブックによると中環から上環にかけては、ややゆったりしたエリアらしい。
途中、MTRを乗り継ぎ、地上に出る。
どこがだよ、ここも騒がしいじゃねーか。
お茶を買いに行くまで元気が持つだろうか。
メロンパンとの違いが気になっていたパイナップルパンは、クッキー生地をつかっているもののふんわりした食感で、甘さ控えめな代わりにバターががっつり挟まっている。
やはり南洋中華料理は甘さや塩味は優しいが、油は惜しみなくねじ込んでくる。
ちなみに「ビンサッ(アイスで)」と頼んだが、ホットで出てきた。やはり広東語が怪しい。
挨晩・夜晩
台湾と香港では飲まれているお茶が違う。ここ香港でもお茶を買うことにした。
比較的リーズナブルにお茶が買えるという、事前に調べたお茶屋さんに向かう。
件の店は庶民的と紹介されてた割りには綺麗な店構えで、「意外とお高いかもしれないからゆっくり選ぼう」と思ったら、入るやいなや「どのお茶を選ぶの?」とお店の女士。
あまりの出足の速さに面食らってすっかり飲まれてしまいそうになる。
「あ、ちょっと見るから」と止めて一旦ははなれたけど、3分もしないうちに「どれにする?」圧倒的なスピード感だ。
「じゃあ普洱と白牡丹と・・・」初めからある程度決めてなかったら飲まれて鉄観音とか買ってたと思う。
入店から決済まで、あまりのスピードに高かったのか安かったのかさえも判然としない。
路地裏でやっと見つけた静かなバーで、アジア風のサテ風味の麺とビールで夕食をとって、ホテルに戻ることにした。
香港の人はよく食べるというが、なんとなくわかった。
とにかく食べないと、この街のスピードとエネルギーについていけない。
中身は雑貨屋さんで何をパクったのか判然としないが、そんなことを気にしていてはこの街では置いていかれる。
街中に沢山ある両替の店の多くはレート的にはボッタクリであるというが、店もお客もやましい空気は微塵もない。
中環駅のホームでなぜかウェディングドレスを着た女性を見たけど、この街なら何でもありだ。
ホテルに戻る道すがら、漢方茶のカフェで、女性がボーッとしていた。
きっと明日に備えて充電しているのだろう。
食べて、稼いで、友達と騒いで、恋をする。
この街は、人間の欲望の明るさを全力で肯定して前に進む空気に満ちている。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
○朝食:なし
○昼食:ご飯、豚汁、ひじき煮たの、ほうれん草茹でたの、秋刀魚焼いたの
○お便り返信
増田へのトラバを増田の書き方で書けば無制限なんですね、知らなかったです。
ただ、それでも水曜日ぐらいまではお便り返信のコーナーがあります。
確かに美味しいんですが、ここ最近駅弁の価値はおかずの種類の数が重要なのでは? という価値観が強くなって来ていて、幕内を優先しがちです。
僕が考えたお家に帰った時に迎えて欲しくない等身大フィギュア、綾波レイ。
こう「名古屋に帰って来た!」という感覚も相まって、スジャータはよいのかもしれませんね。
褐色の恋人が時間だけじゃなく名古屋という場所に戻って来た感覚をお知らせしてくれているのです。
とっきの! 川を越え! はるか遠い大陸目指して! 夢を見るたびに! ひっとは! 旅の途中!
確かに、レジャーとしての東京出張を楽しめる状況なら、そうかもですね。
どうしても、この日記は夜寝る前に書くのと、僕が一日あったことを振り返って書きたいことをかくせいで、嫌なことばかりが残りますが、楽しいことも…… 楽しいことも……
僕が考えた、連休に似ておりかつビーダマン用語としても使えるエロい言葉、連射。
コンシュマーのDLゲーですらセールになるとポチる習慣があり、アホみたいに積んでるので、その道はもう破滅しかないと思い、手を出してません。
僕が考えた、はややーが似合いそうな女性声優の好きそうなパン、ケチャップパン。>>
じゃあ電電公社をやめたのも致し方ないのかあ……
僕が考えた、パンティーよりもパンティーなパンティー、パンティー。
僕が考えた、私がモテないのはどう考えてもお前らが悪いで提唱された「しんちゃんは家族全員でエロゲに出てる」という主張に変わる、家族全員がエロゲに出ているアニメ、衛宮さんちの今日のごはん。
僕が考えた、庵野秀明が榎本温子の結婚式の祝辞で言うわけがない言葉「雪月花の3人で結婚が最後になるのがあっちゃんだとは思いませんでした」
なくし物探しのベタですが、財布が冷蔵庫から出てくるとか、携帯が洗濯機とか、割とよくありますよね。
ですね、疲れているときこそ徹底しないとなんですが、しんどかったです。
僕が考えた、スケスケパンティーより恥ずかしいパンティー、女児パンツ。
今週わりと頑張ってたんですが、金曜日だけ気が抜けました。
ケンチキが何ピースと書いていないことによる叙述トリックです。
今週は金曜日以外サラダを食べたので、一週間でみればましな方だから!
僕の好きな悪ポケモンに出番が多いといいなー。
○調子
はややー。
花粉がひどくなるらしいので、今のうちに散歩を楽しんでおいた。
割と遠くにお惣菜が色々売ってる定食屋さんがあるので、そこを目指して歩いたんだけど、ひじき煮たのは美味しいなあ。
●3DS
○ポケとる
Sランク648個。
残り、52個。
話が盛り上がってきた。
ヴィーラさんが非常にいいキャラだ。
だけど、この子はシナリオでは仲間にならないみたいなので、ガチャを回すしかないみたい。
とはいえ、ガチャ課金はしないと決めているので、気長に無料石を貯めて出るのを待とう。
ただ、この人について思いを馳せていて気づいたのだけど、僕は「好きな女の子がいる女の子のお話」よりも「女の子が好きな女の子が好きな女の子をみつけるお話」の方が好きなのかもしれない。
18年3月時点での勢力図を書いた。反省はしてないけど、指摘は随時受け付ける。
帝王:b:id:death6coin(国力:67,709)
太古より存在する大陸最大の国家。帝王自ら旗を振り、自国の発展に勤しむ。文学、芸術、哲学などの文化的活動も盛ん。その圧倒的な国力であらゆる戦地に恐ろしいスピードで現れる。
国家元首:b:id:sds-page(国力:32,217)
大陸2番目の巨大国家。国内の施設はブロックでできている。科学の発展が目覚ましいが、内政やサブカル、貿易にも力を入れる。スピードや戦法に目立った特徴はないが、死の国に次ぐ国力でやはりあらゆる戦地に現れ一定の戦果を獲得する。
大国故に誰もが認知しているが、誰もよく知らない国。国王を筆頭とし国中が穏やかで、誰もがサブカルに身を委ねながらのんびりと暮らす、理想郷のような様相を見せる。隣国のみならず大陸全土において盛んな貿易、資源分配を行なっており友好国が多い。
女王:b:id:msdbkm(国力:26,824)
三大大国に匹敵する国力を有しているが、勢力争いからは一線を画しており、莫大な国力で余裕の内政を行う。女王のライフワークなのか、あちこちに財宝を放り投げては、それを求めて各国が争う姿を見て楽しんでいる。
魔王:b:id:vlxst1224(国力:8,972)
深淵の底から各国の争いを覗き見ながら、機が熟したタイミングで颯爽と現れ全てを根こそぎ奪っていく闇の王。国力やスピードでは他国に及ばないながら闇の者たちの支援により常に広大な戦果を獲得する。なお、光に弱い割によく光指す戦地に出没する。
雲上人の血を受け継ぐと言われる特権階級を持つ者達の連合国家。基本的に積極的に争いに参加はせず国力の増大に努めている(クマ出没の報告は結構ある)
参謀兼コック:b:id:sabacurry
東西南北の海を縦横無尽に駆け回る海賊団。その驚異的なスピードと、船長の失敗を恐れない切り込みで大陸全土にその存在を認知されている。また、一国を治めていてもおかしくない優秀な武将を参謀として持つ。なお、基本的に船上は無法地帯でノーパンだったりパンティー一丁だったりと他を寄せ付けない下ネタ振りを見せる。
大陸を渡り歩く旅芸人の一座。かなりの資本を有しているものの勢力争いには興味はなくサブカルの匂いを求めて今日も旅を続ける。一座が現れた際は少しだけ和やかなムードが訪れる。
西方の山に住む長老。大陸の生まれたわずか半年後に生を受けたと言われる。ちょくちょく小娘のふりをして下界に顔を出す。内に強大なパワーを秘めると言い伝えられているが真実は不明。家に帰ると酒を飲んで床で寝る癖がある。
考古学者兼冒険家。大陸中の遺跡を巡り、頻繁に解いてはいけない封印を解いて大陸に火種をもたらす。各国から高いポストでの専属化を要請されるが、本人は自己評価が低くマイペースで発掘を続ける。