はてなキーワード: 大陸とは
我が驍勇にふるえよ天地を六巻まで読んだ。これは、あれだね。中世ヨーロッパ風のファンタジー世界を舞台にした三国志演武ですね。
巻数が増えるたびに猛将が雨後の筍みたいに集まってくる。喩えが猛烈に悪いけれど誘蛾灯に群がる虫みたい。それぐらい新キャラに事欠かない。
しかしながら、たくさんの仲間たちひとりひとりが特徴的かつなおざりな描かれ方をしていないのがすごいと思った。、それぞれの活躍と恋の行方が気になります。
また物語がものすごくテンポよく進むのも特徴だと思った。これはライトノベル一般にいえることなのかもしれない。
けど、この作品は一冊が終わるごとに、すぐさま一回り大きな規模の戦いに向かっていくから、わくわく感がすごかった。いろんな要素がそれぞれに雪だるま式に膨らんでいく物語になっていると思う。
時々性的な描写で眉をひそめてしまった部分があったけど、連戦に次ぐ連戦かつ勝利がほとんどなので爽快な気分で読めるものいいと思う。
今後はどんな戦争の広げ方をするんだろうってのがちょっと気になる。大陸を平定するのかな?統治とかもろもろもの問題がありそうだけど。
あと、六巻の進軍って中央にお伺い立ててたんだっけ?勝手に他国の造反軍と連合して大丈夫なの?いろいろ準備している間に連絡したのかもしれないけど、外交上大丈夫なの?
高橋大輔以降の数人だけだから、独壇場でもなんでもないんだよなぁ。
フィギュアスケートもアジア人がメダル取れるようになったのは、伊藤みどり以降だからね。伊藤みどりは超絶天才。男女通してフィギュア選手で一番の天才じゃないかな、伊藤みどり。
伊藤みどりまでは、フィギュアスケートは技術よりも美しさを競うバレエ的なスポーツとされていたんだよね。そこに、圧倒的な技術と強さで伊藤みどりが殴り込んでいった(伊藤みどりは芸術点も高得点を獲得してたから、技術しかなかったわけではない。念のため)
その影響で採点方式もどんどん変わって、6点満点の旧採点方式から一つ一つの要素を細かく採点する新採点方式に変わった。白人の独壇場だったフィギュアスケートにアジア人や黒人が増え、上位に絡みだし、今では世界ランク1位2位を日本人が占めてるし、中国人のボーヤン、中国系アメリカ人のネイサンが活躍してる。四大陸でも日本女子が表彰台独占したしな。
(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語が不自由になってました。恥ずかしい。
後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。
そして、さらに恥ずかしいことに、最後の段落抜けてました。大急ぎで追加しました。
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ちょっとフランス語を翻訳してみたくなったので、最近の増田の流れで、一つ記事を訳してみました。
Leïla Slimani (レイラ・スリマニ)というモロッコ出身のフランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。
なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランスを代表するもの、英米系からのmetooブームに対する、大陸系からの批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています。
現在も、テレビの討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事の署名者の一人です)が「レイプの最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。
フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグは使用されていて、意味は「あなたの豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。
「あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事の文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。
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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。
でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞の能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。
「ウザがらせる」が正しいです。
「不器用・勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳から生まれたものであって、原文にはそうした解釈の余地はありません。
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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。
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通りを歩く。夕方、地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツとハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いでタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場で子どもに乳をあげる。賃上げを要求する。
こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利を要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由を要求します。私は、私の平穏と孤独の権利を、恐れることなく前に進んでいく権利を要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。
私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全と尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。
というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。
私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコートに射精した誰かに。私の出世に何が必要か理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。
私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的な見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分を定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。
私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。
そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場で場違いなものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きます。うずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています。
カイロ、ニューデリー、リマ、モースル、キンシャサ、カサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪、誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。
私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒の世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。
http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913
よくぞ俺の気持ちを代弁してくれたという喜びが五大陸を駆け巡っている。全くもってその通りなので増田にお年玉をあげたい気分ですよ俺は!あけましておめでとう!
・単純労働は全て機械化されているため、経営者か一部の頭脳労働者しかいない
・アメリカの庇護の下で、国体は維持されているが、そもそも遠隔勤務で国境を跨いで働くのが主流の社会においては、国民にとっての国家とはサーバーやインフラの管理者ぐらいの意味合いしか持っていない(税金は管理費ぐらいの感覚)
・寿命は伸びて、250歳ぐらいまでなら生きることは出来る(ただし、経営者か頭脳労働者限定)
・総人口の10%未満だが機械が不得意な領域をカバーする伝統芸能人、伝統料理人、伝統業界人のようなものは存在している(特殊単純労働者)
・機械化社会に反発する反社会勢力は沖縄に拠点を構えて前時代的な生活を営んでいる(平均寿命は80歳ぐらい、2018年ぐらいの生活水準)
・寂れてしまった六本木の街では、総人口10%未満の特殊単純労働者が200年前の伝統を守りながら慎ましく暮らしている(テレビ、クラブ、ミズショウバイ、バー、カフェ)という名で知られている
・現代生活に馴染まない、反社会勢力や特殊単純労働者は容易に犯罪に走る傾向があり、沖縄や六本木ではロボット警官と犯罪者(飲酒罪・喫煙罪)が逃走劇を繰り広げる光景が日常的である
・沖縄の反社会勢力は大陸の反社会勢力とも強い関わりを持ち、ボーエキやシホンシュギいう伝統文化により生活水準の維持を試みている(2050年のシンギュラリティ以降に誕生した者から見るとインカ帝国の生贄文化ぐらいの衝撃を感じるらしい - ヘイキンカブカという占いで族長が政を判断したり生贄を決めるイメージ)
・中東に全世界の反社会勢力の拠点があり、アメリカの政策により物理的に隔離されている(2018年でいうとガザ地区のようなイメージ)、経営者や頭脳労働者から生成された子孫にも遺伝バグが発生する場合があり、生体検査や行動ログにより事前検知されると中東に輸送されると言われている、アメリカ主導の政策であるが、日本も従属しており同様の手法で「沖縄送り」という政策を実施している
今話題のセクハラパワハラ問題。それらに目を通していたら自分の過去の出来事が蘇ってきた。昔勤めていた小さなデザイン事務所で自称「クリエイターの誰もが目指す到達点に達してしまった」社長に毎朝5時まで残されて「俺の何処がそんなに凄いのか言え」と言われていた。(だれも凄いとは言ってない)
こういうタイプの面白いところは「社長の凄さは五大陸まで響き渡りますよー」みたいな馬鹿にした褒め言葉をも真に受けてご満悦になるところ。あんたが大将!みたいなことを言うと、顔を真っ赤にして身悶えして喜んでいたのが最高に馬鹿みたいだった。
と同時にそれが恐いところでもある。ここまで強制的に無理やり褒めさせているにも関わらず、その褒め言葉自体は相手の本心であると疑わない。後日「世界一なんて冗談に決まってるじゃないですかー」と言うと、目を点にして「え?冗談なの?この前世界一って言ったよね?」と真顔で聞き返された。その時の完全に瞳孔が開いてる目を思い出すとゾッとする。
褒め言葉を真に受けるのでどんどん図に乗り、妙に心を開いてくる。挙句身体の関係にまで発展しそうになったが(あくまで一方的に、相手の中では進展していることになっている)僕はゲイではなかったので断った。
それから露骨に社長を避けるようにしたら、飲みの席で言い争いになりその場でクビにされた。こうやって振り返ってみると発達障害なんじゃないかという気もしてきた。情緒がなく言葉を真に受けるあたりが。
短期間で辞めてしまったので、次の面接などで理由を聞かれ、社長の話をしたら「社内のことを漏らす人間は信用出来ない」「ストレス耐性が低い」というようなことを言われ不採用が続いた。それからは「自分が至らなかった、心を入れ替えて働きます」という風に退職理由を変え、なんとか次の職が見つかった。
今の職場では新人歓迎会で新人にお酌しようとすると「何するんですか!やめて下さい!」と言われる。自分の頃と違って今は新人さんがしっかり自己主張できる時代なんだなぁと感じる。
台湾や香港の人が中華人民共和国側のことを指すときに大陸側、大陸系と書くのはしばしば目にする。
追記
中国大陆(中文) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E9%99%86
台湾、香港、澳門から来た外来語として使われているか、別のトラバにあるように学術的な大陸の意味で使われているかは文脈を読まなければいけないようだね。
今日見聞きしたところによると、戦前の日本は空前の人口過剰な状態で、それによる諸問題を回避するために、政府も戦時下までは産児制限を認める方向性で動いており、南米や満州などへの海外移民も推進されていた。
大陸への侵略も人口問題解決のためという要素があったということだった。
とすると、人口減少の始まった今の日本に戦前と同じ目的で他国を侵略する動機はなく、日本が侵略戦争を起こすことを懸念して有事法制の是非を論じることはあまり意味がないことになる。
かつての裏返しで、むしろ人口の多い、あるいは自国民の食い扶持に困っている他国から日本が軍事的に侵略されることの方が現実的に起こり得るということか。