はてなキーワード: 休みとは
違和感の正体に気づいたわ。
社会がコンプラを意識するほど、なぜこんなにも仕事が大変になるのか。
残業を減らせと言われた結果が、なぜ休日出勤サビ残という最悪の形になるのか。
その答えが今さっき閃いた。
結局今の日本社会の「コンプラ」って経営者が法的に有利になるためにしか用いられてないんだ。
下っ端が必死に業務改善して減らしたコストが、会社の利益にもワーク・ライフ・バランスにも還元されず、経営者の保身のためでしかない「コンプラ」に吸い上げられ続けてるんだ。
必死に仕事を早く回せるようにするたびに「じゃあバックデート処理を今度から禁止にするよ」「今度からは事前発注は全面禁止だよ」「事前の資料作成は事前発注とみなされるから禁止だけど、他社が勝手に事業の持ち込み提案したときの資料ならセーフだよ。でもウチがいらないものを持ち込まれても困るからその辺はうまく話し合ってね」みたいなことが繰り返され、何故か仕事はドンドン忙しくなっていく。
この矛盾の答えに辿り着いたんだ。
「従業員が減らしたコストは、経営者が保身のためのコンプラ改善にどんどん付け替えるから、頑張るほど仕事は増えてそのくせ給料は変わらずに休みだけが減り続ける」
これが答なんだ。
苦しみなんだ。
これを社会に強要する政府もまた日本という国の経営者サイドなんだ。
俺達のことなんて本当はどうでもいいんだ。
もう嫌だ。
働きたくない。
こんな徒労のために頑張れない
子供が小学校へ入学し、最初の夏休みに入り「夏休みどっか行きたいところある?」「ディズニーランド」となり、日曜日出発の2泊3日、地方在住の俺・妻・子供2人(姉小1、弟5歳)ファミリーでディズニーランドに行ってきた。特に目新しい情報はないし、内容も日記としてありふれたものになるが、備忘録も兼ね残しておこうと思う。
●1日目(自宅~ホテル)
地方在住なので、移動は新幹線に乗る必要がある(他の移動手段もあったが、新幹線利用は妻と子供の希望)。
未就学児は膝上であれば料金はかからないが、暑いだの狭いだの騒ぐことは予め分かっていたので、お金はかかってしまうが、素直に4人分の指定席を取った。
3座席を取って子供を間に2人座らせるというプランもあったが、子供が2人同時に「窓側がいい」とか言い出すと死ぬので、その予防策として2座席2列とした。
2座席であれば大人のスペースは実質1.4~1.6人分ぐらいになり、ゆとりができるのもよい。
東北新幹線で午前中に乗車したので、昼時に上野駅で降り、某ファミリーレストランで早めの昼食。
日曜日ということもあって「普段こんなに並ばないよね?」という店もそれなりに行列が出来ていたりした。家族で(子供は初の)東京ローカルグルメに舌鼓をうつ。
昼食後は駅に戻り、山手線で東京駅まで。上野駅構内ではプラレールの展示などをしており、地方との経済力格差を改めて目の当たりにする。
東京駅に着いたので、移動で疲れた子供のガス抜きもかねて、東京キャラクターストリートで散策する。日曜日に行ったので、まあまあの人だかりであった。
娘と妻のお目当てである「ちいかわらんど TOKYO Station」に至っては入場制限すら発生している始末で「ただ商品を見たいだけ」すら敵わず、あきらめる。
このあたりから、子供が疲労を訴えはじめる。初の東京駅で人だかりに酔ってきたのだろう。適宜おんぶなどでやりすごす。
改札口から京葉線ホーム間の徒歩移動、これが今回の行程における最難関であるといってよい。
大人でも初めて行くとまあまあ遠いと実感するぐらいの距離で、普通に歩くと疲れるし、それでも普通に歩くしかないというところがつらい。
途中「動く歩道」があるのでまあまあやり過ごせるが、地方在住で車慣れしていると、この5~600mの距離ですら、えらくしんどく感じる。
行きはまだ子供が「動く歩道」にハマっていたので、完全おんぶ移動は免れた。
京葉線で東京駅から新浦安駅まで移動する。最初は舞浜駅で降車しイクスピアリに行き、そこからシャトルバスでホテルへ行くことを予定していたのだが、思いのほか子供の疲れが早く来てしまったので、いったん新浦安駅至近のイオンスタイルで休憩がてら時間をつぶすことにしたためだ。
イオンスタイルは日曜日にしてはあまり客がおらず「都会のイオン」にそれほど慣れていない地方在住ファミリーにとっては十分楽しめる空間であった。
シャトルバスではなく路線バスなので、乗車している客はほぼ「近辺に住んでいる人」で構成されており、各バス停でまんべんなく降りていくような具合だった。
明海付近の団地群はいつ見ても壮観で、子供も大いに興味を示していた。
個人的には今川団地を見ると「ああディズニーランドに来たな~」という実感が湧くのだが、共感してくれる人があまりいない。
ホテルは目立って可もなく不可もなくだが、コインランドリーが少ないのと、近辺にも単独のコインランドリーが存在しなかったため、洗濯にそれなりに苦労した。
大人だけであれば洗濯なぞせす、着替えも好きにすればよいが、子供が居るとなんだかんだで不意に汚したりすることもあり、いくら着替えを持っていっても足りない。帰宅してから大量の洗濯物と格闘するのもそれはそれでおっくうである。荷物は予め送っておいたので移動する手間がなかったのは幸いだった。
朝食会場オープンと同時に即朝食を済ませる。朝食メニューは和・洋と極めて平均的な感じだが、スタッフが多く、ホスピタリティは高かった。
子供向けのバイキングコーナーもあり、やはり子供用なのと、夏休みということもあってほぼ戦場と化していたが、ああいうのも子供としては嬉しいのだろう。
ちゃっかりパートナーホテルに泊まってしまったので、シャトルバスは「きょうリゾートを去る人」か「これからリゾートへ行く人」でバッサリ二択となる。
日曜日に前泊したのでランドへ行ったのは月曜日だったわけだが、それでもまあまあ「これからリゾートへ行く人」が多かったように思う。
子供が休みなのはともかく大人が平日月曜日とあればそこまで混雑はしないのでは・・・という予想をしていたが、甘かった。
子供が休みであれば大人も休みだろうし、そういうタイミングを狙って来ている人も決して少なくはない。
このへん、地方に居ると「わざわざ感」が高くなってしまい、感覚としてわかりにくいところである。
BGMやゲート前の雰囲気で、一度行ったことのある大人なら否が応でもテンションが上がる瞬間だが、子供はいつもよりも早く起床したせいで「眠い、疲れた」などと言ってくる。
「もうすぐ楽しいのがいっぱいあるよ」など、抽象的な言葉で期待を盛り上げつつ、なんとかゲートを通過。
年齢が年齢ということもあり、ランドでの滞在の半分をほぼファンタジーランドとトゥーンタウンで過ごす。
40周年記念プライオリティパスは「プーさんのハニーハント」に利用したが、朝9時の段階で17時付近の案内になっていた。人気なのは分かってたけど、すごいな。あくまで平日ですよこれ。
ファンタジーランドの「キャッスルカルーセル」や「アリスのティーパーティー」などは、正味ほかの遊園地でも体験できる類のアトラクションではあるが、ランドであえて乗る、というのも年齢が年齢でないとやらないものではあるので、そういう意味での新鮮味はあった。
トゥーンタウンではたまたまタイミング良く、短時間で「ミニーのスタイルスタジオ」と「ミッキーの家とミート・ミッキー」を楽しむことができた。
気持ちミニーの方が混雑していたように思う。ミート・ミッキーはもうみんなだいたい体験したのであまり並ばないのだろうか。
昼食は「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」で頂くことにしたが、ちょうど昼食の時間帯にぶち当たっていたせいで、30分ほど並んだ。
少し早めか遅めにすれば良いのだが、きりの良い時間でなかなかアトラクションを諦めきれないというところに、ランド飯の難しさがある。
子供はお子様セット、大人はスペシャルメニューを堪能し、妻と「やっぱりランド飯はなんだかんだでうまい」と感想を交換し合う。
席は500席と多いのだが、子供連れが一挙に押し寄せてくるのもあってか、ほぼ満席だった。平日月曜日でこれなのだから、休日の混在ぶりは想像に難くない。
なんとなくだが、この店は食事というより、お茶休憩などのニュアンスで利用したほうが間違いないかもしれないと感じた。
・・・とは言いつつ、お子様メニューがあるのでどうやっても混むのは仕方ないのだが。
昼食後はワールドバザール周辺をぷらぷらと移動しつつ、近隣のワゴンでポップコーンを買ったり、アイスを買うなどして、夜のパレードまでやりすごす。
気温は34℃、上半身が汗でビッチャビチャになっていつつ、1時間に1回は自動販売機に足を運ぶような勢いだったが、あの暑さでも徹底して自動販売機(しかもPET飲料で4種類くらいしかない)でなんとかせよという感じになっているので、コンセプトの揺るぎなさは流石だなと思うなどする。まあ売り切れることはないと思われるので、その点は心配なさそう。
ちょっと前は大人用と子供用で高さの違う水飲み場がランド各所にあった気がするが、自分が探した限りでは、ワールドバザール南西のトイレ・ロッカー横にしか見つけられなかった。コロナ禍を経たせいでなくなったのだろうか?
PET飲料は持ち込み可とはいえ、リュックにパンパンに詰めてランド内を歩くのはあまり現実的とは思えないので、もうちょっと簡単に飲み物が入手できるようになってくれると嬉しい。
日中様々な場面で並んだが、行列から聞こえてくる会話のほとんどが外国語だったのは、ある種の驚きがあった。
日本語がほとんど聞こえないなと思ってはいたが、ここまでインバウンドがすごいことになっているとは思わなかった。
特にトラブルはなかったが、外国にもディズニーあるんだから少なくとも本国の人は本国のランドに行っといてくれと思うのは俺だけだろうか。
めちゃくちゃディズニーが好きで、特に日本にしかない何かがあるとかだったらわからなくもないが。キャッスルカルーセルとか別にみんなで並ばなくてもよくない?
ここで唐突だが、筆者個人の「ファミリーから見た、ディズニーで嫌な気持ちになるゲスト・ベスト3」を発表する。
3位は「スーベニアショップの一角を占拠して写真を取り続け、自分たちの世界に入っている謎の男女ペア」
2位は「似たような格好で6~8人1組になってイモムシのように移動・徘徊し、トイレなんかもその単位で入る女子集団」
1位は「周りを全く見ずに列を乱したり乱入したりする男女混合の大学生らしき集団」
お土産は安定のグランドエンポーリアム。正直ディズニー土産といえば、ここかボンボヤージュぐらいしか知らないというのはある。
面積がデカいので俯瞰して見れるのはよいが、時間があれば他のショップも回ってみたいなとは思った。
個人的にはホームストアやマジックショップあたりが好きなのだが、時間的な都合で行けず。
持って帰るとつらい量になってしまったため、日通の配送サービスを使うことにし、ゲート付近でプーさんに遭遇するなど、嬉しいハプニングもあった。
「一日でミッキー、ミニー、プーさんに会えるなんて、かなりイケてるぞ」と言うと、子供は喜んでいた。たぶん。
経験上、エレクトリカル・パレードの手前あたりでウエスタンランドに移動しておくと、パレード見物でわりと良いポジションが取れるということは記憶にあったので、夕飯はハングリーベア・レストランでカレーととんがりコーン(ただのシンプルなとんがりコーンだが、この「ただのシンプル感」が敢えて良い)を食す。
カレーはお子様用もあるし、なによりハングリーベア・レストランは席数が690席とアホみたいに多いので、よっぽどでない限り座れないことはない。
なによりメインメニューがカレーなので、提供スピードもめちゃくちゃ速い。
エレクトリカル・パレード鑑賞を目的としていないのであれば他の選択肢でもよいが、そうでなければ個人的にはハングリーベア・レストランを推す。
食事を済ませたあとは、ウエスタンランドとファンタジーランドの境目あたりに着席する。
早めに行くにこしたことはないが、あのあたりはそこまでがっついて前に陣取らなくても、そこそこ山車の迫力あるムーブが楽しめると思う。
19:00時点で子供はかなり眠そうにしていたが、ピクニックシートで仮眠したのち、エレクトリカル・パレードでは大いにエキサイトしていた。
LEDのお陰で終始めちゃくちゃ明るく、子供は「全部すごい」という大雑把な感想であったが、一度行った大人的には最後の提供車(日本ユニシス、今だとBIPROGYですね)を見送ったあとのサウダージ感が「まさにこれ」という感じで、なんとも言えない懐かしさで満たされた。
パレード後は流石にお土産を買う気力もなかったので、シャトルバスに転がり込み、ホテルで風呂を浴びて速攻で寝る。
パレードが終わった直後あたりの時間を使ってお土産とかうまく買えそうな気もするが、子連れだとなかなかそうもいかなさそう。
前日のパレード見物の疲れもあってか、ダラダラと起床し、ダラダラと朝食を頂く。
もう帰るとなると準備などにもあまり身が入らないが「最後にイクスピアリ行くよ」と子供に伝え、身支度をさせる。
シャトルバスでランド手前まで行ったのち、ぐるっと回ってボン・ボヤージュとイクスピアリへ。
ボン・ボヤージュでは(ランドで買えば日通で送れてよかったのに)下の子がベイマックスのぬいぐるみにドハマリしてしまい、どうせあとは帰るだけだから気合で持って帰るか!となってつい購入してしまったため、帰り足はエコバックから顔だけを出したベイマックスらしき物体がファミリーに加わることとなった。
イクスピアリでも色々と見たかったが、さすがに2日間歩き通したのもあってか「もう歩けない~」となったため、早めに舞浜を後にする。
地元にはない3COINS+plusとかついでに見たかったんだがやむを得ず。
京葉線ホームから新幹線構内まではまた地獄の長距離移動となったが、ベイマックスを使いながらなんとか鼓舞した。
これだけでも買ってよかったと言えるくらいには、頑張って徒歩移動したと思う。作品もまだ見たことないのだが、ありがとうベイマックス。今度観ます。
東京駅ではグランスタで遅い昼飯を調達し、新幹線ホームの休憩所でヌルッと休憩するなどし、無事乗車して帰宅の途につく。
東京駅は座る場所がほとんどなく、特に子供を連れたファミリー層に優しくないことこの上ないのだが、あれはもうちょっとなんとかならないだろうか。
とにかく座る場所がないので、子供は頻繁にしゃがみながら移動していた。おんぶしようにも大人の体力も無いし、だいいち前が見えなくて危ない。
新幹線の改札口横にロッカーがあって、一旦そこに荷物を預けたのち、駅構内を移動できるとか、そういうのができるだけでもだいぶ違うんだが。
帰りの新幹線は爆睡・・・という感じでもなく、遅い昼食を食べたり、買ってきた小さいお土産で遊んだりした。
小さな、ありふれた旅行ではあったが、子供の成長を実感した旅であった。
(追記 2023.8.3)
>上野で降りたんなら、日比谷線に乗って八丁堀で京葉線に乗り換えると、東京駅を回避できたのに
最初それもちょっと考えたんですが、できれば東京キャラクターストリートに行きたいとなったので止むなく・・・でした。
>まだ小さいから連れてってつて言われないけど正直今のディズニーの値段は日帰りでもキツいわ
自分の場合は、コロナ禍で3年くらいどこにも行けてなかったので、3年分積み立てていた旅行貯金を崩したような感じでした。
ただそれでも高いは高いですよね。
道中頻繁に「まあ、ディズニーだし、それなりに、な!」みたいなやりとりを妻としたりして、物価高を痛感した旅でもありました。
>「都会ではこれが楽しいんだ」と教えてやりたい
田舎だとなかなかできない「人がいっぱいいるゆえにどうにもならないことがある(アトラクションで並ぶとか、電車で座れないとか、店が混んでるとか)」を、ギリギリ「楽しい」とのバランスを取りながら体験できるのが、ディズニーランド旅行なのかなと思いました。人馴れしてほしいというのも確かにあります。
ただ、あんまり小さいと覚えてないかもしれないというのも、わかります。姉はたぶん覚えていると思いますが、弟はどうかな・・・。
目的地であるディズニーリゾートから一番近くて一番デカいイオン、という感じで行きました。
ゲーセン(GiGO)とかあるし、急に子供の何かが必要になってもデカいイオンがあれば大丈夫かなと。
最初はイオンモール幕張新都心へ行く計画も立ててたんですが、今考えてみると無謀すぎますね。
>「車でまとめて移動してホテルにぶち込んで後は勝手にやらせる」方式の家族旅行しかしたことがない
個人的には(地方在住ということもあり)車の方が良いんですが、妻と子供が圧倒的に「公共交通機関での移動スキー」なので、そこで折れました。
電車で移動すると旅先で酒が飲めるというのが逆に新鮮で、そこだけちょっと嬉しかったです。
(追記 2023.8.4)
やっぱりそのくらい人気なんですね。ちいかわ人気は地方に居てもそこそこ実感してたんですが、東京キャラクターストリートともなると混雑具合は別格ですね。
東京駅でアクセス至便というのが、一層難易度を高めている気がします。
長いが、暇つぶしに読んでくれれば嬉しい。正直、これでどうこうというより俺としてはアウトプットすることで気持ちを整理する面が強い。
後々出てくる友人には今でも頭に来てるんだが、それでも文章にするとまだ情が残ってるところもあるのだと再認識したことは発見だった。
いきなり脱線したが話を戻そう。
高校時代に予備校で知り合った友人がいた。たしかたまたま隣の席だったのがきっかけだったんだと思う。高校は違ったがウマが合い、
予備校ではお互いの高校の友人をさしおいていつも一緒に話をしたり、飯を食っていた。
受験の辛い時期も励ましあって過ごした。大学は違ったが、長期の休みになると自然と地元に戻ってきて毎日遊ぶ、そんな日々が続いた。
その後友人は誰でも知っている大企業に、俺もそれなりの企業に就職した。よく社会人になると疎遠になると言うが、俺たちはそんなことはなかった。
就職して10年以上たち、友人には嫁も子どももできたがそれでも相手の奥さん含め必ず1年に何回かはどこかで会って近況を話したりした。
雲行きが怪しくなってきたのは俺が会社を辞めて自分で事業を立ち上げてからだ。
色々根回しをして退職したが、やはり事業を立ち上げた直後の数年は厳しい時期もあった。旅費や飲み費も厳しかったがそれでも友人とはいつも通り会って近況をお互い話した。
当然、事業が厳しい話もした。
友人も俺の事業がどうなっているか気になっていたみたいで、色々聞いてアドバイスやらなんやらをくれていた。
しかしこのあたりから異変を感じ始める。あるタイミングから「友人としてのアドバイス」から「コンサルとしてのアドバイス」に変わってきた。
友人は週末はビジネス勉強会を立ち上げて興味のあるやつらと勉強してると言っていたのを思い出した(マルチとかではない純粋な勉強会)。
どうも自分が勉強したことのアウトプット先にされている感じがした。
最初は友人としてのアドバイス100%だったが徐々にその色は消えていき「コンサルとしてのアドバイス」が100%になった。
彼の中で「俺は素人、自分はビジネスの勉強をしたプロ」という序列を作られたのだ。
このあたりから友人に不信感を持ち、これまで隠し事なしでいたが、徐々に自分の事業に対する考えやロードマップなどは真剣に話さなくなくなった。
一方でこの時は「そう感じる」ぐらいで、決定的なものはなかった。人によっては親身にアドバイスくれてるじゃない、と言う人もいたかもしれない。
しかし、それが決定的になったのは2人でカフェで話をしていた時だ。
俺は友人と雑談ができればそれでよかったのだが、どうやっても俺の事業の話に戻される。その時も結局したくもない事業の話をすることになり、
そして彼はカフェを出る時に「コンサル費」といってレシートを俺に流したのだ。
※これまではどんなことがあっても貸し借りなしの必ず自分で頼んだものは自分で払うというルールがあった。
俺は「あ、ああ、アドバイスありがとう」会計したのだが、釈然としなかった。雑談として久しぶりに集まったはずなのに偉そうにしょうもない
本人はすごいことを言っていると思っている様だがそうではなかった。奇をてらう必要はないが彼の話はどこまで行ってもどこかで聞いたことのあるビジネス論だった。
俺の考えを聞き、否定してアドバイスする。その様式が常に続いた。俺が毎日必死に知恵を絞って考えだしたアイデアを簡単に否定してああしろ、
こうしろと言ってくるのに耐えられなくなってきた。
「こいつは安定した給料もらいながら片手間で週末にちょろっと考えてリスクを取らず俺にアドバイスして気持ちよくなってんのか。
俺がお前のアドバイス聞いて結果しくじって路頭に迷ってもコイツは知らぬ存ぜぬを通すだろうな」
そう思うと友人に対して怒りが出てきた。
友人は帰る時にこういった。
「そういえば会計ソフトは入れた方がいい。Freeってのがあるから、それを導入しよう。俺が半額出してやる。ただしお前が営業利益やら全部教えて、
俺がその会計をやることが前提だ」
ここで俺は「もうダメだ。今日限りでコイツと会うのはやめよう。メッセージのやり取りだけにしよう」と決めた。
その後はのらりくらりと会うことを断り、メッセージのやりとりだけにしていった。しかし、それも終わりが来る時がきた。
俺「どうもこうも俺はこの仕事が好きだし、この分野も好きだ。この分野がこれから盛り上がれば良いと思ってるし、
そこに俺が関われたら最高だよな」
俺「・・・」
この瞬間、友人は他人になった。ここで20年の友情に幕が閉じたのだ。
その後事業は順調に伸び、市長から名指して呼び出されて役所でプレゼンするぐらいまでは認知度も上がった。
今でも季節の変わり目には「会おう」という連絡が来るが、一切無視している。彼に会うことは2度とないだろう。
腹が減ってたら冷凍してある食パンにゆで卵を食う時もあるけども、まあコーヒーだけの日が多い
夜は家にストックしてある、米そばうどんパスタから主食を選んで、納豆や豆腐、食いたいものがある時はスーパーの惣菜と一緒に食う
もちろん、食いたいものがある時は出掛けて食うし酒を飲みに行くことも多々ある
初めて投稿する。
誰か助けてほしい。
もう15年くらい、食事と仕事とトイレ以外は寝たきりで過ごしている。必要な用事があれば出かけるけど、それだけ。無趣味、スマホで延々とTwitterやはてなを眺めている。休みの日など病人と変わらない。
30代前半 女
155cm 48kg
注意力が散漫なため服薬中。低血圧
体型としては肥満ではないが、実は5分歩くのもしんどいし、座った姿勢を保ってられない。家でご飯を食べ終えると、すぐに横になってしまう。仕事中はさすがに座っているが、多分めちゃくちゃ姿勢が悪い。運動したり姿勢を気をつけたりして体幹を保たないとやばいだろうなと思うけど、気力がなくて、考えるのはいつも明日。
20代半ばまではこれでも危機感があった。皿洗わなきゃとか洗濯しなきゃとか、痩せたら人生変わるかなとか旅行に行ったら楽しいかなとか。たまに一念発起して料理をしてみたり。あと何時間歩いても疲れなかった。気力はなかったけど。時々やる気が湧いてきて、そういう時に資格の勉強をしたり就活をしたりしていた。
最近年齢もあってか全てにおいて意味を見出せず、本当に何もする気が起きない。1週間くらいは同じコップを使ってるし、皿や箸も5日は平気、外出予定がなければ家で汗をかいても風呂に入らないし、風呂入るのが面倒でドタキャンしてしまう。でもとにかくいつも疲れてる気がするし、家事も何もできない。待てど暮らせどやる気など一ミリも湧いてこない。
仕事にはなんとか行けてる。リモートが多いから、風呂に入らなくていいし着替えたりしなくてよくて助かってる。
でも転職してから一年程度だけど、仕事の勉強を少ししないといけないのに、全くやっていない。職場ではヘラヘラ転職したてだから…ってことでやってきたけど、そろそろボロを隠せなくなってきて居づらくなってきた。とにかく何もかもが面倒だし、しんどい。このまま本当に居づらい感じになってきたらやめると思う。
どうしたら人生のやる気を取り戻せるのかなあ。
擬態して社会に平日溶け込むだけで本当にしんどい。お皿洗う時間なんて1秒もないように感じてしまう。
みんなはどうやって生きてるの?
一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。
登場人物は
レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる
結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな?
家族ってある程度は本能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。
うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。
でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。
私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間におすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。
それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子はデリケートだから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ
これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかに、そもそも親2は出産は無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティの友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。
親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitterで同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。
話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。
だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトにからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。
すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校の図書館に虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。
あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観にすっぴんショーパンキャミサンダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相に通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。
私の学校生活が全部親たちの幸せを審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。
「こんなに理想的な家庭!ナチュラルな私たち!子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔とPRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。
そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休みに男子と外で遊べないようなタイトなスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代はスポーツが好きで男子の友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。
別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。
当時はあまりにも男と話せないから、自分もレズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌いが寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。
親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズとバイは後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。
母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだから、ノンケ親だけを「同性愛に無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。
うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力の限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。
話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。
親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業に内定!英才教育でバイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。
結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供欲しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。
親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。
なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親がいるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。
それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気の言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親か毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。
私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。
差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターンの家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピーな子供さんもいるでしょう。
でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者も当事者も子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外で暮らして養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。
社会制度を変えることに必死で、普通に子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。
圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。
最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。
これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。
(追記)予想以上に多くの人に見ていただいてびっくりしています。最後の方にコメントで寄せられていることについて一部回答と説明を追加しました。
【本文】
初めての投稿
30代男性
身長173cm
体重76kg
高専卒
工場勤務
拙い文章なので読みづらかったらごめんなさい。
増田は高専を卒業して適当に決めた地方の工場に就職した。一応大企業の工場なので給料はそこそこ良くて、交代勤務ということもあり比較的自由な時間が多い職場だった。学生時代は専ら夜型人間で毎日来る日も来る日も、メタルギアオンラインをやって夜ふかしして授業中にうとうとするような生活をしていた。いつも寝不足気味だけど少し寝れば動けたため自分はあまり寝なくても大丈夫な人間なんだと思っていた。就職してからもはじめのうちはそんな生活を続けていた。
三年目になって責任のある仕事を任され始めたときに、苦手な人が自分の上司になった。
その人はとにかく揚げ足をとったり重箱の隅を突くようなことを言うことで有名だった。増田は無事その上司からロックオンされてしまい、それから3年間は地獄のような生活だった。交代勤務による不規則な生活に加えて、上司からのストレスで眠たいのに寝れない状態が続いた。眠れないからゲームをする。更に眠れなくなる悪循環に陥っていたと思う。ゲームをやめろよって思うかもしれないけど、その時は日々のストレスの捌け口がゲームしかなかったから辞められなかった。
いよいよ夜勤明けでも寝られなくなってきたので、休みの日はマック2セットと酒をどか食いして気絶するように無理やり寝ていた。おかしくなる前の1ヶ月は、2日間徹夜は当たり前、3日間徹夜することもあった。
そんなある日2回連続で遅刻した。一回目はその日の記憶があまりない。あとから聞いたら、結構重要な仕事をとんでもなく雑にこなして周りに迷惑かけたうえに、時間になると次直に交代してすぐに消えたらしい。
二日目はっきり覚えている。職場からの電話で起きた。時間は朝10時。遅刻だ。しかも、なにやら頭の感覚がおかしい。とりあえず目を覚まそうと浴室にいき、シャワーを浴びる。シャワーから出たとき時計は10:40になっていた。体感5分ほどしか浴室にいなかったのに時間が経ちすぎている。浴室内での記憶がなくなっていた。とにかく会社に行こうと車に乗った。また記憶がなくなるのはヤバいと思ったのでしっかり目を見開いて信号の色を声に出して運転したが、最初の信号以降の記憶がなく気がついたら会社の制服を着てロッカールームにいた。仕事場に行き上司に一通り怒られたあと、夜勤明けの後輩と引き継ぎを行った。その後輩の日本語が何も聞き取れなかった。正確には、聞き取れてはいるんだけど意味を理解する前に記憶から消えていく感覚だった。これはちょっと面白かったのを覚えている。もう一つ、引継書に書いている文字が浮き上がって踊っていた。これはうつ病だったり統合失調症の症状で聞いたことがあったので、あ〜これかーって感じだった。認めたくなかったが、その光景を見て多分だめだなって思った。その後仕事で使う設計図見ても何も意味わからんし、そんな状態で仕事などできるわけもなく、上司にギブアップし頭の病院に行くことを伝えた。
診断は双極性障害。心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。この3年間で貯金を含めて1000万くらい無駄遣いしていた。決まって散財するのは冬だ。車を買い替えること3回、友達に30〜50万あげたこともあった。趣味の道具で部屋は埋まっていた。これは躁状態によるものだったのだそうだ。
斯くして精神病院への通院と薬の服用が始まった。抗精神薬と睡眠薬を処方された。睡眠薬を発明した人はすごいと思う。あんなに寝られなかったのに飲んで15分で7時間寝ることが出来た。抗精神薬は正直よくわからなかったが今良くなってるから効いているのだろう。会社を休職すると辞めてしまいそうだったので、保健室通学みたいに会議室へ出勤して雑用をちょこちょこやるのを半年続けて、だいぶ頭がはっきりしてきた頃、友達に進められてやったマッチングアプリで出会った女の子と付き合うことになった。
これが本当に良かった。彼女のお陰で生活リズムは整い、部屋は片付き、風呂に入るようになった。やっと人間に戻れた気がした。
それからの回復は早かった。その後交代勤務には戻らなかったが日勤として仕事ができるようになり、その彼女と結婚した。子供はいないけど仲良く暮らしててあの頃を考えると、今は最高に幸せな日々を送っている。
まず1つはプライドがなくなった事。自分をよく見せようとか、理想の自分でなきゃいけないっていう強迫観念から開放された。いい意味でプライドを捨ててありのままの自分でいられるようになったと思う。
2つ目は人にやさしくできるようになったこと。増田は元々冷たい人間だと言われていたが、本当に辛いときに彼女や先輩、後輩にかなり救われ、今までの自分があまりに醜く自己中心的だったことを思い知った。同時に自分のような人間を救いたいと思うようになった。
久しぶりに会う友達からは同じ人間じゃないくらい変ったと言われる。
双極性障害を、経験して人間的には成長できたと思う。精神疾患も悪いことばかりじゃないと今は前向きに捉えている。
(追記)
結構批判とかくるかなと思ってビクビクしてましたが、思いの外暖かいコメント、励ましのコメントが多くて皆さんの優しさを感じました。
回答するコメント
読み返してみたら確かに「理解ある彼女」がすべてを解決してハッピーエンドになりました!って内容ですね。
実際、彼女のお陰で生活を立て直せたのでその認識で間違いはないです。
ただ後出しで申し訳ないですが、元々増田は、中学生の時以来彼女はおらず、女といるより一人で趣味を謳歌していたほうが楽しいじゃん、と思ってるタイプでした。コミュニケーションの取り方も自分の考えをまずバーっと喋ってあなたはどう思ってるの?みたいな、一般的な女性からすると苦手なタイプだったと思います。はっきりしているので男友達はそれなりにいましたが。
そんな性格でしたが、うつ状態に苦しみ、自信とプライドが地に落ちていく中で導き出した結論は「悩みの答えは自分の中にはない」ということでした。自分の理論ではうつ状態から抜け出せない事がわかったので、とにかく人の話を聞いて、その人が話す言葉の背景を想像して、色々な価値観を否定せずに、様々な可能性に目を向ける癖をつけました。
多分その結果、タイミングよく「理解ある彼女」と巡り会えたのだと思っています。
あと、嘘くさくなってしまうので入れませんでしたが、うつ状態真っ盛りのときに父親が交通事故でなくなったことも、心境の変化のポイントだったと思います。ただ色々重なって職場ではとんでもなく不幸なやつだと思われてました(笑)
これもたしかにそうですが、わざと鬱病という表現にしました。諸兄には不要だったかもしれないですが、双極性障害より鬱病って書いたほうがイメージしやすいかなと思ったためです。変更はしませんが、これで迷惑がかかってしまった人がいたら本当に申し訳ないです。ごめんなさい。
実は増田が苦しんだ3年間のうち最初の2年間だけその上司の下で働きました。ある時その上司の言動に限界を感じて所属長に直を変えてくれと懇願して移籍することができました。しかし1度起きた双極性障害の波はどんどん大きくなり3年目で破綻しました。その上司はステップアップして今も私と同じ職場で働いています。特に何のお咎めも無いですが、増田は上司を恨んでいません。その人はその人で家庭や仕事で問題を抱えていて苦しんでいるようなのでお互い出会ったタイミングが悪かったと思っています。間接的ではありますが、その上司がいなければ妻と出会えなかったと考えるとむしろ感謝しています。
最後に
これを見て増田と同じような症状や悩みがある方は勇気を出して病院に行ってみることも一つの解決方法だと思います。病院に行けば治るとは言いませんが、病名がついたことでホッとした自分がいました。仕事や人間関係がうまく行かないのは自分の能力が低いからだと自分を責め続けていましたが、病気のせいだとわかって少しだけ自分を許すことができました。だめな自分を許していく道のりの最初の足掛かりとなりました。死のうかと思うこともありましたが、今では生きててよかったと思えています。どうかあきらめないで自分を許す道を進んでください。
Twitter(今はXになったようだが)をやっている飲食店にお願いしたい。
本来は直接言うべきなのかもしれないが、いかんせんどこに住んでいるのかがバレてしまうため、はてな匿名でぼやかせてもらう。
臨時で今日お休みします!みたいなのは最近の投稿だから少しスクロールすれば見つかる。でも、少し先の予定を考えるときに月初に出たカレンダーを月末に探しに行くのはものすごいスクロールしないといけないからめちゃくちゃ大変。自分の好きな店は定休日は不定休なのでツイート参照!ってプロフに書いてるけど、その不定の休みを探しに行く労力が結構かかる。
ほどほどとは言ったものの、自分的にはない方がいい。上記と合わせてたまに多分エゴサしまくって全部にRTしたり引用RTでご来店ありがとうございました!ってやってるところがあるけど、お店のアカウントに求めてるのはそうじゃない。見たいのは営業予定とか、今やってる限定商品である。
正直それが鬱陶しくて近所の飯屋リストに追加するのやめたお店とか結構あって、もったいないと思っている。ご飯どこ行こうかって思ったときにそのリストを見て決めてたりするので、ご来店ありがとうございましたやりまくっている店はリストから抜かれるので候補に入らない率が上がる。できればいいねや個別リプにしてTLを埋め尽くさないようにしてほしい。
ちなみに体感だけどこれをよくやるのはラーメン屋のアカウントが多い気がする。
ここまでぼやいたけど、個人的にTwitter(インスタでもいいけど)やっててくれているお店は現在進行系でちゃんと生きてるんだなってわかって安心感はあるのでそれだけで評価が高い。コロナで色々大変だけどどこのお店も頑張って欲しい。
水星の魔女でラウグエというBLカプが成立しなかったのは不自然だといって公式に抗議している腐女子のX(元Twitter)のアカウントね
水星1期の頃から、1期と2期の間の供給が何もなかった期間も含めて、毎日朝から晩まで大量にツイートし続けてるのね、休みなくね…
彼女のことが好き
タバコ吸ってるのかっこいい
腕細い、肌白い
けど見るの疲れた時とかは言って肩肘張らないところ
多分デートで細いって思われたくて朝と昼抜いてきたところ
めっちゃ甘えてくるところ
好きぴ〜!って言って抱きついて来た時かわいすぎてびっくりした
朝こっちが寝ちゃって話せなかったから少ない休み時間で電話かけてきてくれたところ
結婚できたらしたいなぁ
職場のおっさん、自分の嫌いな年下上司が今年度からうちの係の係長になった途端狂ってうつ病で休職した。
もともと扱いにくい性格でメンタルの休職歴もあって周りから疎まれてたけど、これまでは普通に仕事もしてたし別にそこまでやばいやつだとは思ってなかった。(独り言と鼻歌は若干うるさかったが)
それが年度変わった途端年下上司を攻撃するような独り言を1日中繰り返すようになり、業務上必要な連絡すらしなくなって、これはやばいなと思ってたらGW明けに突然診断書持って休職しますだってよ。
そいつが専門職の上にこれまで属人的な仕事のやり方してきたせいで(他人に自分の業務教えないし触らせない)、なし崩しで後任にされた事務職の俺は何もわからんまま業務だけ振られることになった。
引継ぎもなし、データの保存ファイルは全く整理されずぐっちゃぐちゃ、紙のファイルもぐっちゃぐちゃ、明日(診断書持ってきた次の日)の社外関係者との会議で話すこともお任せします~って丸投げ。
係の他のやつらも、おっさんの仕事が分かるの同じラインの増田さんしかいないですよね~って空気で俺に仕事投げてくるし。
それでも1か月だけ休んで戻ってくるって言ってたから耐えたけど、その後8月まで延長。
それで昨日、やっぱり11月まで延長しますってさあ。
なんかもうほんと疲れたわ。
これが一応引継ぎもされて書類もデータも整理されてた状態だったら、病気でも仕方ないと思えたかもしれないけどさあ。
1日中他人を攻撃してる元気があったならそれくらいやってから休めよ。
俺はかつて弱者男性だった
30過ぎたおっさんの俺でも惚れてくれるJKとかいてなんのかんのあってエッチできたり、家が上流で婿養子で引き上げてくんねぇかな〜と
しかし俺はある日、書類やメールの字面一字でも間違えたら憤死するんじゃないかという勢いで発狂するキチガイ上司や、さらに昔派遣時代にいった初日にガールズバーの女に色目使った使ってないで殴り合いの喧嘩が発生したキチガイブラックIT企業のおっさんたちを見て気がついた
「底辺業界で頭おかしいオッサンがいっぱいいるのは当然として、一般的に勝ち組強者男性に入る性能を持つのになんでこんな頭おかしいおっさんそこその数いるんだ?こんな奴の金玉の精子から配合された子供に、俺の大好きなトウカイテイオーちゃんやダイワスカーレットちゃんや、秦良玉ちゃんやブラダマンテちゃんみたいな、スレてなくて性格良くて人懐っこくて体つきがエチエチな美少女なんて生まれ得るんだろうか?」
「いや、そもそもこんな時代が時代なら、ナチスドイツの時代に生まれてたなら、命令だからでガス室のボタン16連打してもむしろ誇ってそうなほど腐れ官僚的な奴に股開いて子供を産みたいと思うような美少女がいるのだろうか?」と
休みの日に都内の仙台坂上(セーラームーンとかリリカルなのはとかプリズマイリヤとかの住んでるところのモデルらしい)周りを歩きながら見て周り、単純な確率論で計算した結果を見た時、俺の身体は氷川神社の向かいのアルゼンチン大使館あたりの前の道路で宇宙と一体となって大悟した
「勝ち組だって生まれでいい教育や地位を受け継いだキチガイみたいなのが一定数生息してる生態系が構築されてる以上、その輪の中で生まれいづるそんな美少女いねぇんだな」と
それから俺は悟りを開いてチー牛弱者男性から「大人の男」になった
弱者男性たちも思考を突きつけて悟りをひらけばきっとその生きづらい悩みも解決できるだろう
俺は弱者男性たちが目覚めるのを信じている
母が熱中症で亡くなった。
癌恐怖症で、少し体調不良が起これば膵臓癌だ、大腸がんだ、悪性リンパ腫だ助けてくれ、と騒ぐ母だった。そしてそのたびに近くに住む私か夫か息子がクリニックに連れて行き、近くの総合病院の勤務医だった時から診てもらっていた気に入りの医師から「心配ないですよ」という診断を貰いに行くのが日課だった。
以前から同居を勧めていたが、父と共に暮らした思い出のボロ家を出るのが嫌で頑なに一人暮らし。そのため毎年「ガンより熱中症に気をつけろ」と口を酸っぱく言っていた。エアコン代をケチる癖に毎晩ハーゲンダッツを食べていたのが母らしい。
昼寝しながら亡くなったようなので、正直ホッとしている。2人に1人が癌になる時代で、あれほど大騒ぎする心配性の母がいざ癌になったら落ち着けるのに一苦労だっただろう。特に母は、病院嫌いで大腸がんが手遅れになり、チューブに繋がれながら「家に帰してくれ!」「痛い!」とのたうち回っていた父の死に様を見ている。
父を看取り、憧れていたパリにも行けて、孫も曽孫も可愛がれて、独り身になってからは好きなだけ旅行行ったり友達と遊んで、もう十分満足したでしょ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230730203009
いやそうはならんやろ感
さっきまさに寝るのかい!ご飯かい!どっちなんだい!!!って状態になって結局ご飯にしたが
うち7ヶ月だけどご飯の時間ってだいたい決めてるし、ねんねのタイミングもだいたい読めるし
いうてワイも平日は全然見れてないが、休みの日は予定立てるの子のご飯時間ベースで動く事になるし、だいたいわかんじゃね感が
子みてる段階でぐずったら、タイミング考えて飯か寝かせるか都度一瞬相談して決めるじゃろ的な
「家に帰りたい欲が薄まるから」
いやまじでけっこうこれ大きいと思うんだよね。
独身男性や女性って基本的には「早く家に帰りたい」なわけじゃん。
「早く家に帰って休みたい」「早く家に帰ってあれやりたいこれやりたい」「早く家に帰ってあれやらなくちゃいけないこれやらなくちゃいけない」なわけですよ。
だから仕事中もどうやったら早く家に帰れるかしか考えていないわけ。
でも子持ち男性は違うのよ。
早く家に帰りたいと思ってないの。だって早く家に帰ってもいいことないから。
「早く家に帰っても嫁や子供がいるから休めない」「早く家に帰っても別の用事押し付けられるだけでやりたいことはできない」「家のことは良くも悪くも嫁が管理してるから手出ししない」
だったら無理して早く家に帰る必要ないし、なんだったら会社にいた方が気が休まるし、ついでに残業しておけば金ももらえるし上司の覚えもめでたいし、ってなるわけよ。
いや、みんなの言いたいことはわかるよ?
「女性ですけど、家で休めるわけないよね?」