はてなキーワード: 一部の人とは
10月某日、毎日実況動画を見ていた実況動画好きの私はいつものようにニコニコ動画の毎時総合ランキングを見た。そこで一位に輝いていたのはふぅ氏の『マリオメーカー問題』という動画である。
マリオメーカーにたった1人で挑んだ実況者のラジオ (18:40) http://nico.ms/sm27285739
この動画は賛否両論を巻き起こし下火になった今も『マリオメーカー』というゲームに後ろ足で泥をかけ続ける結果となった。
『マリオメーカー問題』としてクリエーター奨励プログラムやニコニコの衰退については様々な人間がすでに語っている。クリエーター奨励プログラムの問題点については数多くの方が理想にあふれ未来を憂い真面目に分析している。
しかし、彼らは『マリオメーカー問題』というものが起こった原因は『ランキングの人気投稿者の寡占』であるとしている。違うのだ。「マリオメーカー問題は任天堂のゲーム」でしか起きなかったのだ。仮に似たクリエイトゲームが『任天堂でないゲーム会社』から発売され、ランキングを独占したーーたとえばリトルビッグプラネットやマインクラフト、Project Sparkなどがーーとするならば『リトルビッグプラネット問題』は起きていただろうか。答えはNOである。ありとあらゆる『任天堂以外のゲーム』がランキングを独占しても誰も違和感を感じることはなかったであろう。それに対して『マリオメーカーは実況の幅がなくどの内容の実況も似たり寄ったりなのが問題なんだ』と反論する方には『高難易度アクションゲームの実況はだいたい同じだ』といっておこう。かつて一大ブームを起こした『アイワナ』『しょぼん』『改造マリオ』などの高難易度アクションゲームと今の『マリオメーカー』を比べてみてほしい、ゲームによって些細なギミックの違いはあるが『初見殺しで叫ぶ』『複雑なギミックをクリアして叫ぶ』『とりあえず叫ぶ』とまぁ叫んでばっかりだがだいたい同じだ。明確に違うところがあるなら是非とも提示してほしいものである。(このように叫んでばっかりの動画は鋼兵氏の動画で『ウェーイ系』と揶揄(やゆ)されたが『ホラーや高難易度で叫ぶ実況』はニコニコ初期から存在しているのだが…) マリオメーカーは『クリエイト』動画もあるのでむしろそれらより幅があるのではないか。
さて、この問題を最初に提示したふぅ氏の発言を思い出してみよう。そこに『任天堂』という言葉が出ていたはずだ。クリエイター奨励プログラムを始め、ニコニコのランキングを破壊した『悪者』であり、どう抗っても勝てない『敵』である、と見受けられる発言をしていた。
http://i.imgur.com/JsC4i0I.png
マリオメーカー問題が話題になった時、マリオメーカーを問題だとする人々の意見は動画コメント、掲示板、ツイッターなどに散見されたが、その多くが『ニコニコ動画のドワンゴ※1』では『人気アイドル実況者※2』でもなく『マリオメーカーの任天堂』を敵視するものであった。「マリオメーカーはステマ※3だ」「任天堂は汚い」「任天堂が実況者に金を払っているんだ※4」などなどである。根も葉も根拠もない誹謗中傷であるが『マリオメーカーを問題視している人間』の中にはそれを大真面目に信じている人が含まれている。ふぅ氏もそのひとりであるということだ。
先ほどの言葉を繰り返すが「マリオメーカー問題は任天堂のゲームでしか起きなかった」のである。ただし『マリオメーカー問題』が起きなくても遅かれ早かれ鋼兵氏のゆっくり解説などで「人気実況者によるランキング寡占」問題は取り上げられたであろうと考えられる。
マリオメーカー問題からゲーム実況に起こる本当の恐怖を解説する (28:53) http://nico.ms/sm27326468
ただしそれは決して任天堂ないしマリオメーカー《だけ》を貶めるものではなかったはずだ。ただし、今回鋼兵氏は『マリオメーカー問題の炎上に乗じて意見を述べる』という手に出た。つまり尻馬にのったのだ。ゆっくり解説者ないし歌い手として再生数、マイリスト数を稼ぐには一番適したタイミングであったのだ。彼の動画は彼なりに正論を言っているのだが煽動的でありまた人気実況者を侮蔑する表現が見受けられ決して良いものではない。実際彼の動画が投稿されてからマリオメーカー関係の動画は前よりも『荒れる』ようになった。どんなまともな意見であってもその意見を間に受けてバカをやらかす人はどうしても出てしまうのは仕方ないことであるのだが、鋼兵氏はもちろんわかっていてやっているのだ。……ともあれマリオメーカーを悪役としないスタンスであるはずの鋼兵氏の動画でマリオメーカー問題は再燃したのである。これがマリオメーカー問題を前身としていなければマリオメーカーは必要のない泥を被ることはなかったはずであり特定のゲームが槍玉に上げられることもなかっただろう。
鋼兵チルドレンとも称される鋼兵の意見を参考に意見を述べた「マリオメーカー問題第2世代」は「任天堂ではなくニコニコ動画を非難する」という方向性に固まった。そこで「マリオメーカー問題は任天堂でなくても起きていた」という致命的な勘違いが起きた。「第1世代は任天堂への嫌悪感」で起き、「第2世代は第1世代の影響」で起きたのである。
さて、では何故「任天堂への嫌悪感」があったのかを述べていこう。ここでは先ほど述べたように「任天堂を憎む第1世代」を中心にしていく。誰かが誰かを嫌う場合、理屈が通っているかいないかは関係なく『理由』はあるはずだ。彼らは任天堂に何かされたのだろうか。任天堂はゲーム会社である。高いクソゲーを掴まされた? ゲームの内容が期待はずれだった? ……そんな真っ当な理由があればデマによって任天堂を非難する必要はなかったはずだ。
「はちま寄稿」または「ゲーム速報@刃」というブログと「ゲームハード・業界板」という2ちゃんねるの板を知っているだろうか。私も数年前までは知らなかった存在だ。見に行くことはお勧めしないが、こんなマイナーな人間の書いたマイナーな文章を読むような人間ならとうに知っているかもしれない。一言でいえば『任天堂を蔑む場所』である※5。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲーム_(2ちゃんねるカテゴリ)#.E3.83.8F.E3.83.BC.E3.83.89.E3.83.BB.E6.A5.AD.E7.95.8C.E6.9D.BF
あくまで参考にする場所である。基本的にインターネットでは真実よりも虚偽が多いことを理解して見て欲しい。
これらは別物ではなく「ゲームハード・業界板」が任天堂の悪口を書き、「はちま寄稿」と「ゲーム速報@刃」がそれを記事にしている※6。2ちゃんねるが一部の人間しか行かない、一部の人間しか知らない場所であったのはすでに遠い過去のことだ。2ちゃんねるの内容はブログにまとめられツイッターで拡散されている。なぜ彼らが嘘を撒き散らすかといえば、他人の悪口や陰謀論や対立論はとにかく『ウケ』がいいのだ。その中で『任天堂』が狙われるのかという理由だがーー簡単に説明できない程度にいろいろとややこしい。今回はマリオメーカー問題にのみ言及するためそこには触れないことにする。ただ彼らは『任天堂の悪口を言うことで利益を得ている』ということは事実である。悪口や対立論がウケるのは、先日話題になった『難民差別絵』が一部の界隈に大うけだったことからも伺える。嘘もデマも思い込みも千回言えば現実だと思い込んでしまう。ネットに慣れた人間はライト層を情報弱者と蔑むことがあるが、インターネットにいるたいていの人間はライト層で情報弱者である。私もそうだ。毎日膨大なニュースが入ってくるなかでそれが真実がデマか全てを取捨選択することはできない。毎回毎回調べるほど暇な人間も少ないだろう。この結果、『ライト層』には『任天堂は金に汚い企業』というイメージが植え付けられてしまった。
ひとが何か行動を起こすときそれは『正義』に基づいていることが多い。汚い企業である任天堂に一矢報いたいという『正義感』からマリオメーカー問題は始まったのである。
多くの人が言及していることとは逆になるが私は「マリオメーカー問題」はマリオメーカーが発売される『ちょっと』前から始まったと主張したい。すごく前でもなく直後でもない。何年も人気実況者のランキング寡占問題はあったが話題にすらなっていなかったのだ。ランキング寡占問題を聞くようになったのは今年の初夏からである。そう、スプラトゥーンだ。マリオメーカー実況がブームになる前、任天堂の発売したスプラトゥーンという対戦ゲームの実況が人気となった。ランキングがスプラトゥーンで埋め尽くされたのだ。デマを信じる人間たちにとっては悪い企業の悪い作品だ※7。正義感に溢れた勇者たちにとってはさぞ忌々しい存在だっただろう。
ところでそのスプラトゥーンでは『人気実況者によるランキング寡占』が問題にならなかった。スプラトゥーンで問題になったのは『同じゲームによるランキング寡占』だ。それは何故か。それは簡単だ。『一番人気の実況者たちのうちひとりしかやっていなかった』からだ。人気実況者にも格差があるのだが、その中で毎回マイリスト四桁以上、ランキング一位をとる大人気実況者が存在する。その中で『スプラトゥーン』の実況プレイ動画をあげたのはアブ氏だけであった。他の人気実況者は何もしていなかったわけではなく別のゲームの実況動画を出していたので『超人気実況者によるランキング寡占』は今と全く同じ割合で起きていたのにもかかわらずだ。ブームにより超人気実況者に及ばない実況者でも再生数を稼ぎやすく、スプラトゥーンによるランキング寡占は『中堅~中人気実況者』によるものが多かったのである。そして次に発売されたのがマリオメーカーである。マリオメーカーに超人気実況者がスプラトゥーンよりもたくさん食いついたのである※8。ここで批判の矛先が『同じゲームばかり』から『人気実況者が同じ動画ばかり』に変わったのだ。つまりランキングに任天堂の動画がある状況を批判する理由は『もっともらしいこと』であればいいだけだったのだ。問題はマリオメーカー問題に言及する人間であってもそのすり替えに自身ですら気づかずに「人気実況者のスプラトゥーンがランキングを独占して、マリオメーカーもランキングを独占したから『マリオメーカー問題』がおきた」と思っていることである。この点では情報ライト層のほうが真実に近いところにいる。
「スプラトゥーンがイヤで、マリオメーカーもイヤだったから『マリオメーカー問題』が起きたのだ。「スプラトゥーンで任天堂への嫌悪感が溜まり、自身の正義感が増し、マリオメーカーでも同様のことが起こり『マリオメーカー問題』が起きた」のだ。
現在の『マリオメーカー問題』と呼ばれるものは人気実況者へのアンチやドワンゴ※1への不満と結びつき、『人気実況者によるランキング寡占問題とそれを改善しないドワンゴ※1の問題』に変わった。だがそれはすでに『マリオメーカー問題』ではない。それがだれかに語られるたびに【まるではちま寄稿やゲームハード・業界板】のように表層しか触らない情報ライト層にマリオメーカーは悪いもの、任天堂は悪いものと植え付けられる。情報ライト層はまともに文章を読んで内容をちゃんと理解してくれるわけがないからいつまでたっても情報ライト層なのだ。おそらくこの記事もタイトルが目に入ればいい方でライト層には誤解されてしまうだろう。
任天堂への正義感溢れる行動から始まり変化した結果の『人気実況者によるランキング寡占問題』はすぐに下火になり、マリオメーカーへの悪評だけが残り続けるだろう。悪の大魔王である任天堂を攻撃しているはずが、いつの間にかよく分からないやつを攻撃しろ!と言われているのだ。ランキングを見ても悪の大魔王の所業である動画は減るばかりだ。急速に彼らの興味は失われるだろう。そして私に分かるのは、次に『ランキング寡占問題』が起きたならばまたそれは『任天堂のゲーム』がまた人気になった時である、ということだ。
最後に、この至らない文章を補強、訂正作業などをしてくれた友人J氏に感謝する。いなければ書くだけ書いて投げ出していただろう。
この文章を書くに至ったきっかけはグルッペン・ヒューラー氏の雑記を読んだことだ。マリオメーカー問題第2世代として分かりやすい考察、ニコニコ動画の改善点を提案している。マリオメーカーから始まった『人気実況者のランキング寡占問題』について知りたい方はそちらをお勧めする。私の書いたこの文章は『ランキング寡占問題』ではなくマリオメーカー問題を語ったものであり、ランキング寡占問題に対する言及はしていない。
参考リンク
所謂「マリオメーカー問題」と呼称される事象についての若干の雑感。 http://ch.nicovideo.jp/sovietunion/blomaga/ar889087
ShoyoFILMSを開発していくブロマガ
元ゲーム業界人による「マリオメーカー問題」に関する所感と対策
http://ch.nicovideo.jp/shoyofilms/blomaga/ar885422
http://dic.nicovideo.jp/id/5370963
http://commons.nicovideo.jp/cpp/about/
クリエイター奨励プログラム - ニコ百 http://dic.nicovideo.jp/id/4783001
※1 現在は株式会社カドカワだがわかりやすさを優先させた。少し前、カドカワとドワンゴがくっついてカドカワになった。
※2 なお、ふぃ氏は一つ目の動画が影響を与えた後の生放送では「任天堂ではなく人気実況者に向けていた」という釈明をした。しかし一つ目の動画では「任天堂に向けた批判」が明らかに見受けられているため、生放送での発言は事態の鎮静化を狙ったものであると考えている。
※3 ステルスマーケティングの略。いわゆるサクラが最も近いが表明せず広告宣伝を行うこと。任天堂が公式にステマを行ったというきろくはない。
※4 実際に払ったものもある。http://nico.ms/sm25695124 ただしここにも明記してあるとおり公式依頼であってステマ等非難されるものではない。また任天堂は人気実況者を呼んでの公式イベントなども行っている。しかし一般にニコニコに投稿された動画に対して金銭を支払っているという根拠はない。
※5 現在の状況や過去の状態、業務によるあれこれなどは置いておいて全体としての話だ。
※6 現在は2ちゃんねる全体転載禁止されているがほとんど同じことを行っている。
※7 今回の件とは直接関係は無いがこちらも「突然流行ったからステマだ」のような言いがかりがつけられていた。実際は一年前から注目され様々な広報をへて時間の決まった体験会を行ったため動画が同時に上がったため突然動画が同時に上がっただけである。
※8 推測になるので欄外なのだが改造マリオが流行っていたという土壌とマリオという誰でも知っているゲーム、さらにクリエイター奨励プログラムにより明確に白と宣言されたものでスプラトゥーンという誰もがランキングに上り詰めたという前例があったうえで任天堂自信作として多数の広報がかけられ知名度も最初から高いとあらゆる理由と要素が組み合わさった結果の爆発と思われる。
「来場者数は4倍に増えた、貸出数も2倍に増えた、だから我が町にも!」
かと思います。
いやいや、癒着があるからだ!みたいな嫌儲の人たちの意見は無視して、行政サービスにとって利用者数って売上かそれ以上に意味があるものなので。
だれからも税金という形で前払いしてもらってるのに、一部の人間だけ享受できるではいけないわけで、広く全ての人が享受できないといけない。
そうなると、指標はどうしたって利用者数や貸出数、来館者アンケートになる。
そう考えると、あの来場者数や貸出数の増は魅力的で、来館者アンケートもいいときてる。
経費がかさんでも、そりゃ任せたくもなるでしょうよ。
それに対して、「○○が破壊される」「○○が失われる」というのは「利用者数や貸出数では測れないものがある!」と言うのと同じなんです。
一番簡単なのは、利用者数でも利用者満足ではなく、「アーカイバとしての価値が重要!」という主張ですが、どうやらそうでもない。
だったら、今までの成果を、こんなことをしてきた、こういう成果があった、それがこう失われた、そうやって示さなければならない。
たぶん、端を発したTカードの問題から来てるのでしょうけど、個人情報の問題はごもっとも、考えなければいけないけれど、嫌儲の話はややこしくするだけ。
市としては、来場者数や貸出数の増は魅力的で、それによってCCCが儲けるかどうかは関係ない。
公共事業で儲けることが悪というなら、土建屋はどうなるんだということで。
例えば大学等なら、
「整理されたライブラリーが用意されることで、研究が捗る。貸出数があろうがなかろうが、ライブラリーは常に揃えておく必要がある。」
といった具合に。
それが出来てない。
「取りづらい!」「分類が悪い!」みたいなことを言ったところで、
「でも来館者は増えてるよね?満足度アンケートもいいよね?しょうがないよ。HAHAHA」
になるのは当然かと。
http://anond.hatelabo.jp/20151002003234
の著者が
http://blogs.yahoo.co.jp/ut_kankyo/42274104.html
「当会が問題と考える点」(東大 キャンパス環境の改善を求める有志)を読んだ。
匿名ブログでくだをまくことしかできない私と違い、実際に駒場の学生支援課と駒場図書館と交渉されているそうで、その実行力に敬意を表したい。
その上で、「東大 キャンパス環境の改善を求める有志」の会の方々は、主に駒場キャンパスでの問題に取り組まれているようなので、本郷キャンパスへの「学外者」立ち入りに関する所感を以下で述べてみたい。
というものだ。
本郷キャンパスへはじつに様々な人たちが出入りしている。センター試験と2次試験以外の日に、もっともよく見かける人たちをあげてみるだけでも、これだけいる。
これだけの人たちの立ち入りを制限して、正門でいちいち入構手続きを求めるのはさぞかし大変だろう。
とはいえ、本郷キャンパスが観光地化しているという指摘はあたっている。
毎日のように大型バスが何台も大学前にやってきて、中高生や観光客の団体が列をなしてキャンパス内に入ってくる。日本国内からだけでなく、中国、韓国、台湾といったアジア諸国からやってきたらしい団体もよく見かける。
これらの人々が固まって道を塞いだり、騒ぎながらセルフィー棒で写真をとっているのを見かけて、眉をひそめる東大生がいたとしても全然おかしくないと思う。
しかし、「学外者」の立ち入りを完全にシャットアウトすることは難しいのではないかと思う。本郷へやってくる人たちのなかにはきっと、東大に漠然としたあこがれを持ってやってくる人もいるのだろうし、そうした人たちに対して大学も悪い顔はできないだろう。
キャンパス内を物珍しそうな顔で歩いている中高生が、10年から20年後には、彼らを迷惑そうに見つめる東大生をはるかにしのぐ立派な研究を東大でやり、場合によってはノーベル賞も取ることだってありうるのではないだろうか。
先日話題になった世界大学ランキングでトップ10に入っている大学で、私が訪れたところはいずれも、東大よりはるかに観光地化が進んでおり、観光客でごったがえしていた。大学の主要な建物の周りには土産物屋が立ち並び、大学のロゴが入ったパーカーやTシャツを売っている。その周辺にはカフェやレストランがあり、一つの経済圏を形成している。
大学の方もまたしっかりしたもので、歴史的な建物やカレッジは入場料をとり、一日のうち限定した時間帯に立ち入りを許している。立派な美術館やカテドラルを持っている大学(カレッジ)は、これらの入場料から収入を得ている。
こうした大学で観光客と学生とのあつれきが問題になりにくいとしたら、先のエントリでも述べたように、もともと大学と周辺の街との境界線があいまいだからだろう。
東大の場合、キャンパスの内と外の区別がかなりはっきりとしており、キャンパス内が手狭なので、そこに多数の人が一挙にやってくると、学生はストレスを感じやすいように思う。
本郷キャンパスでは現状で、研究棟に「学外者」が団体で入ってくることはないので、研究室にこもっているかぎりでは、「学外者」との間で問題が生じることはない。
「学外者」が大声で話すことがあったとしても、現状では、研究棟の造成工事や、総合図書館の新設・改築工事の騒音のほうが、はるかにうるさい。
問題が生じるのは、学生と「学外者」が共有するアメニティスペースや、「学外者」の団体立ち入りを許している施設だろう。
まず、キャンパスに立ち入る「学外者」のうち、もっとも人数が多いのは修学旅行の団体であるが、彼らは門の前にしゃがんで集合したり、狭い道で立ち止まったりして完全に通行を遮断することがあり、引率の教員もそのことに気づいていない場合がある。
また、修学旅行生やウオーキングツアーの団体が昼時に中央食堂へいっせいにやってくると、数十分間の間、学生にとっては食堂の機能が完全にフリーズしてしまう。このため、12時から13時までのあいだ、「学外者」の利用は遠慮してもらうよう依頼する貼り紙が入り口にある。しかしこの制限がかかる時間帯の直前にやってくる団体は結局制限時間帯になってもいる場合があり、あきらかに貼り紙を無視している人々も制限時間帯に複数いる。授業の合間や、実験や論文執筆の合間をぬって食堂を利用したい学生にとっては、食堂が一体誰のために、何のために存在しているのかわからないと憤慨する時があっても無理はないように思う。
総合図書館は、現在は工事中で「学外者」の見学を受け入れていないが、それ以前はキャンパス内ツアーの経路に入っていた。中に入る「学外者」は、大きな声で話すということはないものの、多数の人達がドカドカと足音を立てて閲覧室に入ってくる。彼らは勉強中の学生の姿やノートを、好奇心いっぱいで覗きこんでから、無言で立ち去っていく。このようなことを毎日のように繰り返されて、いい気持ちがする人はいないだろう。
医学部前の広場は、日暮れ時は、愛犬家の交流スペースとなっている。犬と人が遊んでいるのを見るのは心和むひとときであるが、一部の人は、人通りが最も多い昼休み時に犬を連れて狭い道を歩きまわっており、さすがに周囲への配慮が足りないのではないかと思われることがある。
キャンパス内でただくつろいだり歩きまわったりしたい人を追い出してしまったら、そこは学生にとってもさぞかし息苦しい場所だろう。
とはいえ、学費を払って真剣に勉強している学生が、配慮が足りない一部の人々の行為に対して黙っている必要はないのではないだろうか。
キャンパスにやってくるさまざまな人が快適にひとときを過ごすことができるように、お互いの存在に気づくことができるように、声を上げることは、全然おかしいことではないと思う。
たとえば、
大学の教職員は、学生が集中して学習できるように、もちろん日々配慮しているだろうが、かれらは幾分年をとっているため、細かいことには気づかない場合がある。
年を取ってくると、10代後半から20代前半の学生は、教職員にとって、生理的に、まったく別の生き物に感じられるようなので、学生の細かい要望に応ずる善意があったとしても、そもそも相手が何を望んでどのように感じているのかわからないのではないか。
また、任期がない教職員は基本的に国家公務員のメンタリティを持ち続けている(彼らは文部科学省の社会保険に加入している)ので、自分がクビになるリスクがない限り、何らかの業務改善をしても得られるインセンティブはそれほど大きくないという認識を持っている。なので、文句をいわれないかぎり、学生の要望を察知して自分から動くということは、あまりない。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/10/03/152346
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20151004/p1
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/10/05/131646
私の印象として、いわゆる「古参」の方々は徒党を組んでるわけではないとは思う。徒党を組んでるのはむしろ新参の方々であろう、と。ただ「古参」の方々は「サバイバー」としてある種の意識は共有してると思う。で、その意識ってはやや穿った見方をすると「俺達のローカルルールを飲めない奴は出て行け」ってなところが出てるかもしれない。実際は、空気がよめない奴を見下したりやゆする程度のプレッシャーだと思うけどね。それでも新参の人からしたら嫌だろうし、弱い人は耐え切れなくなっちゃうんじゃないですかね。
この「ローカルルール」意識の押し付けが極端なものになると↓のようにサバイバーの自己正当化になって、かなり醜いものになります。
『初狩り』とか本当に笑わせんなよって話だよな。その初心者さんは、なんで対戦台に金入れて座ってんの?ニコニコ気持ちよく遊びたいだけなら家でドラクエか縄跳びでもしてろよ。ゲーム業界の発展がががとか頭狂ったように口にするけど、対戦台に金入れて文句言う奴が何人居ても発展せんわ。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
そもそも対戦ゲーム業界・ゲームセンターの発展ってなんなんだ。社会から溢れたクズが怒りを不満を哀しさを、犯罪に至る前に持ち寄る場所じゃないのか。品行方正が重んじられる清らかな社交場として新規さん(笑)で栄える事があれば、それはゲームセンターの役割としては『衰退』してないか。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
礼儀正しく優しくみんなで楽しみたい奴らはまずゲーセン来んなよマジで。Eじゃない普通のスポーツやればいい。10;どうしても対戦したいなら、初狩り?されたら相手に直接掴みかかれるバイタリティを携えて行くか、現実を受け止めて黙って練習するしかないだけの話じゃないのか。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
@inoVSVSVSVSVSVS これ負けた本人が言ってるんじゃなくて曲がりなりにも金入れてる当事者の正当なプレイ権利を見てただけの他人がネットに広めようとしてるのがヤバイな— シロいたち (@Siroitachi) 2015, 10月 5
本当にケースバイケースなんだろうな。連コインにしても、俺が店長やってたゲーセンでは、アツくなってる奴の真後ろに並んで小銭の音鳴らす時点でマナー違反みたいな空気すらあったよ。『どうしても自分も今こいつと戦いたいから代わってくれ。すまん。』って頭下げて代わってもらうのが普通だった。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
@inoVSVSVSVSVSVS トゲトゲした『敵だらけの空間』の中で認められてく認めてく素晴らしさ。ムッチャおっかない外見のヤンキーの兄ちゃんとかが好意的に誉めてくれて嬉しかったなあ。いまはそういうの無いだろうな。だからかコミュ能力低い癖にコミュ求める奴もおおいよな。— ピノAB7 (@pinoAB7) 2015, 10月 5
@pinoAB7 相手の現金を潰しあう空間だもんね。初狩り、カツアゲ、恫喝されましたあたしかわいそううううううううって書き込む場所が無かったからこそ、それに自分のリアルの体で向き合うしかなかった。だから何かが育まれたんだろね。『てめえ入ってくんなよ』から始める出会いが消えてる— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
ダメですね。すでに言ったように欠陥があるんですよその方法、なにしろ一部の人間が必ず反省ポーズを解除するし、それを止める有効な手段を俺もあんたも誰も持ってませんからね。
無理なんです。
残念でしたね。
それより中国みたく強硬に行った方がいいよ結局。まぁこれは俺個人の考えだが。いずれにしろ「反省が唯一の手段」は自明じゃない。それだけ覚えて帰ってちょんまげ
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、申請しようとするのは承服できない」
問題になること自体はいいよ、そもそも公式見解と違うようだし。
でもその反応が気にかかる。「一部の人間がこうやって反省してない姿を見せるからいつまでも許されない」
ツッコミどころが多すぎる。
なに簡単に人の心コントロールしようとしてるのよ怖いわ。それとも「反省してるポーズだけ見せとけ」ってことですか?永遠に?金を渡しながら?
だいたいどんな原則であれ一人の例外もなくコントロールなんてできるわけないでしょ。永遠に無理だわ。ドイツにだって一部はいるだろうよ想像だけど。
仮に日本国民全員がいっせいに反省のポーズをとって一度許されたとして、そのあと反省ポーズを解除した途端にまた炎上するわけでしょ、怖いわ。
だいたい南京大虐殺もなにもやっていない俺が何故?反省しなくちゃならないの?え?俺じゃない?政府の人間だけ?どういう理屈なのかわかるようでわからんわ。
外交を有利に運ぶためのカードとして、という意味なら何故「反省」だけが有効カードだと信仰されてるのかわからんわ、なんかそういうデータあるんですか?むしろ中国みたいな強硬な態度の方が結果的によくね?だって「全員一致で反省」のポーズ取らないと成功しない大技でしょ、何の組体操だよ、怖えーよ、エクゾディアかよ。
だいたい責める方も責める方だよ。なんで「日本人(政府)全体が反省しないと許さない」とか意地悪設定なんだよ。鬼か。反省した奴から順々に許してけよ、可哀相だろ反省したのに許されてない奴が。どういう思考回路してんだよ。
で、なんで可哀相なはずの「反省したのに許されてない奴」が嬉々としてんだよ。マゾかてめぇら。自分のマゾに他人を巻き込むな。
マジでなんで政府の人間とかいう俺に何の関係もない奴が反省のポーズ取らないと俺まで巻き添えで日本全体が許されないの?金払い続けて嫌なこと言われ続けるの?それ我慢しなくちゃならないの?
そもそも政府が慰安婦とか認めたり、他国でもやってることを他国のやったこと以上の意味を持つかのように反省を示すこと自体に不快になってしまう人間のことは無視ですか。それともそんな感情持ってはいけませんか。いけないっつったってそういうもんじゃないだろ感情って、どうすりゃいいんだよ。また感情のコントロールですか、怖いわ。
「日本とか日本政府はお前じゃない、日本や日本政府の反省はお前個人の反省じゃない」
って言われてもそう思えるかどうかはまた別だろ。
そんなこと言ったら表紙に描かれたアンドロイドのメイドはお前じゃないし、海女さんの萌えキャラはどの海女さんでもないし、ブレンディ行きの女子高生もお前じゃねーよ。アンドロイドがメイドになろうが海女さん萌えキャラがエロかろうが濃いミルクを出し続けようが誰の気にすることでもないんだよ。
でもそういうことじゃないんだろ、そういう表現に傷付いたりする奴が面倒だがいるから気を使って差し上げろよって話だろ、じゃ、なんで俺は気遣われないの?クズだから?非国民だからですか?それとも日本国民だからですか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2015/09/30/abe-refugee_n_8219324.html
ここの人気ブコメトップ3で叩かれてるid:●renet●erretさんのブコメが人気ブコメに表示されてない。
叩かれてるようなコメントって何かなと思って他の人気ブコメも見たけど表示されてない。
スターもろくにつかないようなひどいコメントだったのかなと思って、
そんだけスターあるブコメならカラースターブコメの次にトップで表示されてもいいのに。
人気コメントに上がるコメントは、数が少なくてもよりたくさんの人に黄色スターをもらってるってこと?
そういう自演スターでは人気コメントには入れさせないよっていうはてなの方針?
追記。
サバカレーさんありがとウ
1427850224@twitterってのが31個中27個もスターつけてるだけだったんだね。
やっぱり少人数によるスター水増しは人気の条件としてカウントされないってことか
まあ当たり前っちゃ当たり前か
ちなみにぐぐったらサバカレーさんと地味につながりがあった
これはロジカルな話では全く無い。
過去の私の経験からくる個人的感情であることを先に記しておく。
嫌いな理由は以下の通り。
全く淫夢と関係のないジャンルに対して、淫夢語を使用して場を荒らす。
自分たちが勝手に住み着いておいて、「ファミリー」認定し、その後は自分たちのものとしておもちゃにする。
一度おもちゃとして認定されれば、個人サイトを潰そうと、住所を特定しようと、彼らにとっては「マナーを守った健全な遊び」でしか無い。
また、何か潰したとしても、彼らにとってはおもちゃの1つでしかないので、何の反省もしないし、すぐ次のおもちゃで遊ぶ。
自分たちのおもちゃに出来そうなものを見つけると、ひたすらに突撃を繰り返し、
ツイッターや各種メッセージ機能に対して、延々と粘着を続ける。
(自分が経験した限りでは、特に何も反応しなくとも、2年間ほぼ毎日淫夢語による荒らしが続いた。もちろん今も。)
その上で、少しでもそれに対して愚痴をこぼそうものなら、嫌なら見なければいい、近づかなければ良いと主張する。
悪いのは一部の「淫夢厨」であり、自分たちは善良な「淫夢民」であるから悪くないという主張の元、突撃や粘着を継続する。
しかもその際に、無関係ジャンルへのむやみな「語録」の使用に対して諌められているのに、「語録」を使用して返答したり、
彼らの言い分では「迷惑をかけずに自分たちの中で平和に遊んでいたのに周りが過剰反応しているだけ」らしいので、
サイトを荒らして閉鎖させたり、内輪サイト用URLを流出させて拡散させたり、元々の住人に対して中傷を行うのは、迷惑をかけない遊びの一環に過ぎない。
◆普通の日本語や、昔からあるスラングもすべて「淫夢由来」とみなし、仲間認定あるいは煽りのネタにする
文章の中に「なぁ」「どうぞ」や、カッコつきの熟語(言うなれば(爆笑)みたいな別に淫夢関係ないやつ)が含まれたりすると、
それだけで無条件に淫夢の仲間として淫夢言葉でコミュニケーションを取ってくる。拒否するとその後は、発言に少しでもそれが含まれていると、淫夢言葉を使っている、として煽りの材料にする。
自分が過去に言われた限りでは、「どうぞよろしくお願いします」も、淫夢言葉だそうだ。意味がわからない。
どんなジャンルでも多少は変な人は居るものだが、淫夢は「一部の荒らし」に限らず、
そもそもジャンルとして他人の人格・著作物・コンテンツ(名称・企業イメージ等含む)を毀損して遊ぶのがメインの遊びのようなので、
変な人に当たりやすいのかもしれない。それとも、偶然ごくごく一部の人間だけから被害を喰らい続ける私が極端に運が悪いだけなんだろうか?
まあ、もしかしたらiPhone使ってないのかもしれないけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20150919145704
この増田とかその中で紹介されている記事とかからすると、iOSのアドブロック機能の話題がネットの一部で盛り上がっているらしい。
アドブロックのせいで、広告に依存していたエコシステムが崩壊する!
お前ら、広告のお陰のネットただ乗り野郎のくせして、なんでそのエコシステムの崩壊を後押しするんだよ!
とかなんとか。
で、アドブロックいいねぇと思ってる「ネットただ乗り野郎」の一人としてこれを書いているわけなんだけど、こういう意見に納得できない理由が二つばかりある。
なのでそれを述べていってみようと思う。
例えばこのエコシステム崩壊を心配しているこの記事自体にもいろいろ書かれているが、結局、アップルが今回やったことによってネットの広告が無くなるわけでも何でもないでしょ。
色々、アップル様からの規制が入ったりしてやりにくくなるのかもしれないが、でもそれは「変化」であって「崩壊」ではない。
世の中は常に変化し続けるものであって、その変化によって直接に損失を被る(かもしれない)人達はそれに文句を言ったり、「危機」を叫んだりもするが、それ以外の人達からしたら、何を大げさなとなる。
それに、今、「エコシステム」の危機を叫んでいる人達も、ネットの発展によって損失を被ってきた、テレビなり出版なりの苦境に共感して反ネットを叫んだりしなかったんだろ。
一般ユーザーがそんなの気にするわけないじゃん。
二つ目は、「エコシステムの崩壊」云々を言っている人達全員ではなくて、一部の人達について。
で、ネット広告邪魔だなと思っている一般のネットユーザーに、そういう人達は「エコシステム」の為に邪魔に耐えろと言っている。
いや、それは結構ですよ。そういう事が必要な時はあると思います。
でも改めて書くけど、今回の問題の根っこにいるのはアップル様だよね?
日本の、とくにネット業界でのアップル人気を考えれば、「エコシステムの崩壊」を言っている人達の結構な割合もiPhoneなりマックを使っているよね?
そういう人達はおそらくアップル製品が好きで使ってたんだろうと思うんだけど、一般ユーザーに個人的利益に流されずに全体善を考えろというのなら、そういう人達も当然、アップル製品は捨てるんだよね?
今回の問題はアップル様の巨大な権力が根底にあるんだから、一般ユーザーに「エコシステム」のありがたみを説くくらいご立派なのなら、個人の好みは置いといて、全体善の為にアップル製品は捨てるよね?
まあそれでアンドロイドに行くのも別の巨人を助けるだけだから、スマホについてはなんとかWindowsフォンを手に入れるか、それともFirefoxフォンか。
パソコンもLinuxか、最近はマイクロソフトも善良になってきているようなのでWindowsか。
俺は既にそうだというエコシステム崩壊論者はともかく、そうでない論者さんたちはまず、全体善の為の自己犠牲を見せてください。
いやつまり「一部の人間の意見だけが採用された結論」や「同調圧力下の結論」は「集合知」の定義に反するってこと。
「はてなの集合知って同調圧力が強くて糞だよな」というのは間違いで「はてなって同調圧力が強くて糞だから集合知とは言えないよな」が正しい。
SEALDsってバカっぽいから一緒にされたくはないんだけど、正直戦争なんて行きたくないんだよね。
戦後70周年っだけ?なんか戦争映画とか当時の状況とかよくテレビで流れてるけど、人が死ぬ勢いが普通じゃない。
戦争なんて参加すれば死ぬようなもので、その後の世界のためとか言いながら自分の人生がそこで終わってしまったら何の意味もないでしょ。
戦争でもしないと貧しくて困るような国だけが戦争すればいいじゃない。
右翼とかが騒いでるだけで近隣国とも仲がいい日本が何で戦争に参加せざるを得ないような法案を通そうとしているの?武器って儲かるの?
頼むからこのまま平和でいさせて。明日も誰に文句言われるでもなくゲームしてたいしアニメ見てたい。
みんなもそうやって引きこもってればいいのに。一部の人間の欲に振り回されるのだけは本当にがまんできない。
よく「女性は嫌なのにはっきり言わないからわからない、嫌いだったらはっきり言って欲しい。そしてできればどこが悪いかも言って欲しい」という男性の意見を目にするんだけど、例えば「メールの量が多すぎる。返信を返していないのに追撃を送ってこないでほしい。」とか言われてて、傷つかないものなの?
あと、批判されてしまいそうな「察して」話なんだけど、メールの返事がそっけなかったり遅かったりしても「これは脈ないな」と気づかないのはなぜなの? まあこれは男性だからというわけでなく、男女とも気づく人の方が多いと思うので、ごく一部の人に限った話だと思うけど純粋に不思議。例えば営業や勧誘の案内とかも、しつこくすればするほどと尚の事好感度が下がるというのは想像がつきそうなものだが。
セクハラの相手は元友人。私の秘密を知り、それをタネに恐喝をされ半年間以上恐喝とセクハラを繰り返している。
具体的には、パソコンでの作業中机の下にもぐってスカートの中を見られる、太ももを触られる、服をめくられ写真を撮られる、等。抵抗はするものの、脅されたり敵に回すのが怖いため、少し強めに”やめて”という以上のことができない。私が我慢すれば何もかもうまく回るんだったら我慢したほうが楽だって思ってずっと我慢してきた。
”結婚しよう”と言われた時も、彼を敵に回さないため”うん”と言ってしまった。
また、その友人は私に味方を作らせないためか、他の学校関係者や友人との関係も制限され、必要以上に親しくする、楽しそうに雑談をする、笑顔を振りまく、お礼を言う等をすると秘密をバラすと脅してくる。我ながらうまいやり方だと思った。
そんな気持ち悪いことをされている事、それ自体が恥ずかしいのでしばらくは誰にも言えなかった。
それに、何より
”ブスの自意識過剰”
というふうに、思われることが本当に嫌だった。
もし私が美人だったら
って思ってもらえるかもしれないけれど。
というわけで、地元の友人には恵まれているのだけどやっぱり一部の人にしかこのことは言えていない。
っていうかこういう目に遭うまで、”セクハラや粘着をされるのは美人だけ”っていう偏見が私の中に少しばかりあったので尚更。
さすがに最近はエスカレートしてきて、もし勝手な行動をしたら撮った写真を学校の人達にばらまくということをほのめかされているので勇気を出して学校側に相談。これは立派なハラスメントだそうで、校長の判断によっては停学や退学などの処分が下るそうだ。
でも、処分が決まったあとも怖い。
私は例の制限のせいで、現在学校内に親しい友達は無し。その元友人は普通に友人関係を築いている。
そのことからきっと、もし停学・退学の処分が下っても、学校の皆からしたら私が彼を停学・退学に追い込んだ酷い加害者ということになるんだろうな。
彼は上手くやったなって思う。やり方もそうだけど、ターゲット選びも含めて。
なんだそりゃ?
国政なんてそもそも国民の気持ちなんかと無関係に行われるもんだ
僕の気持ちを理解してぇ~ボクそんなこと思ってないも~ん!って
気持ち悪いんだよ
なんでも相手のせいかよw
× 炎上に参加する人間を、群集心理に煽られただけの、主体性の無い暴動市民だと決めつけている
○ 炎上に参加する人間は、群集心理に煽られただけの、主体性の無い暴動市民である
× 今回の炎上は、東京オリンピックのことを「ビジネスの一環」と考えている一部の人間が、「俺たちのオリンピック」と考えている多数の国民の気持ちを理解しようとしなかったことが発端
○ 今回の炎上は、東京オリンピックのことを「ビジネスの一環と考えている一部の人間が主導している」と決めつけた多数の国民が、その不満をいけ好かないデザイナーに向けたことが発端
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
実はこれは、「劇場のロゴのパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨そのものは組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。
しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。
劇場ロゴのパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。
前者は、著作権の問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。
後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美のポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。
要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴのパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。
その意味で、深津貴之 氏の見解そのものが意味を持たない。ありもしない仮想敵を攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物を攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象を否定しているだけにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。
このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要なものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg
なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。
このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。
(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーだからだ。)
さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。
とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)
3.専門家に任せるか?
深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。
しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html
ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人が勝手に決めてしまったからだ。(そして佐野最終案に決まった。)
また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインのジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。
デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。
・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。
・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)
・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)
・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)
・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。
(大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)
・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。
これらの問題が続々と判明した。このことから「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意を無視して、「専門家の判断に任せよ」というのは、問題をデザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題の所在を理解していないと言える。
自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。
今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場側だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)
今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。
最後に一つ。
深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムのデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターンの出来映えのような見方によって決まったのだ。
そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。
自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである。
専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。
追記。
id:sisya 参照元のエントリを全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。
本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか、依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨。
だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギーの弁護士だけだ。日本人のほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。
この事件の問題点は、ベルギーの裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)
もちろん、本項でも、著作権を問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係も問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)
依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギーの弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮の記事に書いてあるので、そちらを読んでください。
一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性だけが問題となります。たとえば、ミッキーマウスの著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます。
なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。
id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です
それを前提とした上で、“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています。五輪エンブレムのデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。
端的に言えば、「パクリデザイナーの作品を五輪に正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的な問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。
本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。
誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解を否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。
ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端や酒場でおしゃべりするための話題。
今回の騒動は、佐野デザインを五輪エンブレムに正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。
一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。
深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。
その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。
id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。
この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。
しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。
深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。
「大衆はデザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定の役割があったと言えるでしょう。
※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。
id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん。
まとめ:
この問題の本質は、最終案が劇場ロゴのパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまり、デザインの問題ではなく、法律違反をした作者のデザインを五輪に採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題をデザインの専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザインの専門家に任せよ」という主張は、今回の問題の本質からは外れている。
「暗い情念」「ルサンチマン」五輪エンブレム取り下げ以降、こうしたワードでネトウヨ、もしくはネット民を批判するコメントが増えている。
ひとつは群集が個人に襲いかかる絵としての佐野炎上があって、これに疑問を持つのだろう。
また普段から反社会的なヘイトを繰り返す存在が、まるで正義を成したかのように扱われることに戸惑いも感じてるかもしれない。
かねてからネットに苦々しい思いをもつ人たちは、この機会にその思いを吐き出しているようだ。
ただ今回の騒動が、デマにもとづくものではなかったことだけは理解するべきではないだろうか。
今回の熱狂を生んだのは、ネトウヨからその外にいる普通の市民にまで画像の盗用が広く周知されたことだ。
本来なら五輪はみんなのものであるはずが、一部の人間に歪められているという感覚とそれに反発する機運は、どちらかと言えば市民革命などに近いものだ。
だとするなら、反権力や市民感覚を標榜する左派系の人たちこそがしなければいけない案件だと思う。
しかし左派系の人たちは、デザインの権威に寄り添い、市民感覚を中傷し、大衆の機運を否定する。
この国は凄くねじれていると思う。
そうだねそのとおりだね。
・・・で? それなんか反論になってんの? そもそも人が何を問題にしてるかもわかってないくらい頭が悪いからこういうこと言い出してんの?
論点そこじゃねえわな。乳袋の元ネタが現実かどうかは問題じゃないのにバカが問題勘違いして騒ぐからややこしくなるんだわな。超迷惑。ろくにわかってないくせに、ちょっと知ってるくらいで土足でこの問題に入り込んでこないでほしいわな。
ブルマは結局男性の目線が気持ち悪いから規制されたわな。旧スク水はどうかしらんけど似たようなもんでは?
問題は気持ち悪いかどうかってことと、一部の人間向けじゃなく公のキャラとしてふさわしいかってことの2点だわな。
二次元特有かどうかなんて、実にどうでもいい話なのに勘違いして吹き上がってるやつってバカだわな。
エロゲー業界みたいでちゃたろー信者がわいわい盛り上がってるのは好きにすればいいわな。
今回問題になってるのは公の場で、一般市民相手にこれを町の代表キャラですっていうのがダメだって言ってるんだわな。
単に場をわきまえろって話だわな。
にもかかわらず、争点を大幅に勘違いして、わけわからん擁護するバカが出てくると、オタクってやっぱり超気持ち悪いし頭悪いので死ねばいいのにという結論になる。
頭悪いオタクに限って、周りから攻撃されたら感情的反発からろくでもない擁護を始めたあげく、僕はオタクを守ってるんだっていう英雄的気分に浸って暴走するから超迷惑。
お前らの様な馬鹿は、頭のいい人の活動を検索して、その人を援助してればいいんだよ。赤松先生の足の指でもなめてろ。
乳袋の元ネタがーとかいって騒ぐ程度の知能しか無い馬鹿は自分の頭で考えるな。馬鹿が自分で考えても誰も幸せにしない。こういう救いがたいレベルの馬鹿ですら自分の頭で考えて見当違いの方行に暴れだすことを考えると、ちきりんの煽りは罪深い。
がんばることは基本的に良いことだ。なにごとも頑張らなければ成功はない。
それはそれとして、本邦には誰かが頑張ったことを過剰に評価する風潮がある。
そりゃがんばったんなら成功しようがすまいが褒めてあげればいいんだろうけれど、一部の人たちは「◯◯ちゃんはすごくがんばった」ことを外部へ向けて印籠代わりに使いたがる。往々にして頑張った本人ではなく、頑張ってる◯◯ちゃんを応援する人びとが、だ。
「がんばること」は尊いので、成果物に対するあらゆる批判を封殺することができる。
関わったスタッフはみな血反吐を吐くような努力をして作品を作りました。
アイドルは下積み時代に地べたを這いずるみたいな大変な思いをしました。
うちの社員は毎日残業続きですが誰も弱音を吐いたりせず有給も会社です。
しかし、その結果として、クソみたいな映画やマンガや曲や小説やプロダクツが生産されてしまった場合はどうなのだろう。
Q1. 誰かのがんばりを知ってしまった、がんばってもない俺らはその腐った成果物を批判する権利はないのか。
Q2. 彼ら彼女らのがんばりは仕事をこなす上で当然の努力であり、趣味以下のレベルで消費する俺らにはそんながんばりなど関係なくはないのか。
Q3. いかなるプロセスを経ようはモノはモノであり、俺らは直接にモノそのものと向き合うべきではないのか。
問いに対する答えはこうである。
A2. もちろん関係ある。
神風特攻を思い出してみよう。甲子園の思い出ヘッスラを思い出してみよう。24時間テレビのマラソンを思い出してみよう。
人はなぜがんばるのか、努力するのか。それは「たとえ今は使えなくても、将来有用な経験となるから」ではない。
ジョージ・ミラーも言っている。「真の英雄とは、他人にために犠牲となれる人だ」と。たぶんこれはジョーゼフ・キャンベルからのパク、引用だと思う。
真の努力人とは、自分のためにがんばる人ではなく、他人のためにがんばれる人だ。
俺たちはもっとがんばりを評価すべきだ。むしろ、がんばりだけを評価すべきだ。
Aさんが2時間かけて作った最高品質のプロダクトより、Bさんが二十時間労働を百日つづけて作ったクソプロダクトのほうが価値は高い。その価値を市場価値や世間的な評価に反映させるべきだ。
なぜならがんばれるということはそれだけ真剣だということだからだ。思いがつまっているからだ。真剣な人は傍目からどれだけ滑稽におもえても、偉いのだ。
効率や品質などという上辺だけの評価軸に踊らされるべきではない。もっと人間を見よう。モノの内部に宿った魂を見よう。
がんばってできない人は、がんばらなくてもできる人より、時間や金をかけている。その見返りを与えてやってなにがいけない。
考えてもみろ、俺たちだって人のことを言えるか? がんばらなくてもできる人か? がんばってもダメだろ? いつも努力の方向を間違えてしまうだろ? おもいやりだよ。共感だよ。それ自体がドラマで、製品に組み込まれているんだよ。
だからがんばりへの評価と製品への評価を切り離すべきではない。
過ぎた時間はもう戻らないと分かっているのに手っ取り早くやりなおせたらいいのにと思ってしまう。
あの時ああしていればのたらればなんて何度自分で思い何度人から聞いたことか。
全部錯覚なのに。
それなのになぜか「強く願えばやり直せる。願う気持ちが足りないから覆せないんだ」というファンタジーな思い込みをしてしまう。
実に非論理的だ。
どうしてこんな気持ちになるのだろうか。
終戦のこの時期になると同じように「あの時別の道を歩んでいれば日本は今頃~~」と夢物語を語る人が出てくる。
その多くが単なる仮定の話で場をもたせているだけなのだが、ほんの一部の人間は本気で時間を巻き戻してやり直そうとしているように見える。
現代人の後知恵が時を超えて昔の日本人に届くと本気で信じているかのように、彼らはあの頃の失敗をやり直すべきだとしきりに叫んで同意を求めている。
そのことを割りきり心のエネルギーは今を生きるためだけに使うべきだというのに