はてなキーワード: えことは
職場の先輩と結婚して1年ちょっと経ったアラサー女です。子供はいません。
夫も私も二人ともそのまま同じ職場で正社員総合職として働いてる。
「愛妻弁当作ってるの?」
「毎晩ご飯作ってるの?」
とか相変わらず尋ねられるの、正直イラッと来る。
「お昼はお互い好きなもの買ってます!夜は早く帰れた日は作りますね」
なんだよ。毎日朝昼晩作れってか?そうじゃない女は妻失格か?というか女失格か?日本死ねよ。
ただでさえこっちは朝の準備に時間かかるのに、更に早起きしろと?
夫の健康のために?
そのまえに妻が忙しくて健康損ねそうなんですけど。
っていうか夫だって立派なオトナなんだから自分の健康管理くらい自分でするわ。
(我々夫婦の間では同意のうえ、昼食はお互い好きに買い食いしようということにしている)
(我々夫婦の間でもこれについて同意はしてるが、結局料理スキルが夫の方が低いので料理する比重は私のほうが高くなってしまっている)
同じ職場の既婚女性(そもそも少ない)の先輩方もそうしてると言ってたわ。
それなのに未だにこうした質問が飛び交うのは一体なんなんだ?女に何を求めてるんだ?
だからこんな馬鹿なおっさんばっかりになるんじゃないのか。日本死ね。
おっさんたちが新婚だった時代は女性が全部家庭のことをやってくれてたわけだから、
現代と違うバックグラウンドを持ってるおっさんが、一回り以上歳の離れた私と話さなきゃいけない状況になって
みたいに色々考えて自分なりに話題あわせてくれてるんだろうなってのも推測できるから、
なんか揚げ足取るようにいちいち不満を持つのもホントは嫌だよ。
でも専業主婦にはなりたくないんだよ。
旧時代の遺物みたいなおっさんたちが思い描いてる所謂『理想の妻』像と同じ女になりたくないんだよ。
社会に出ていたいんだよ。
でも私の場合、仕事してるかぎりは家事は専業主婦と同じレベルにはできない。そんなにハイスペックではない。
夫はそれでもいいと言ってくれているし、私に専業主婦は向いてないだろうからと、家庭に入れとは全く言わないし、家事分担しようとしてくれてはいる。
(それでもやっぱりこれまで実家ぐらしだった夫なので、家事の比重は私:夫で7:3くらいか)
家事も完璧にこなしつつ仕事もバリバリできるスーパーウーマンも中にはいるかもしれないけど
家事も仕事も完璧で、常に夫のために尽くし、3歩とまではいかなくても常に1歩は下がって着いてくる、そういうスーパーウーマン。
当然子供なんて産みたくない。
がんばって働いても子供産んで産休取ったらこれまでのキャリアが振り出しに戻る上に
追記(2/22)
怒りと勢いに任せて書いた記事に多くの反応があってびびってます。
落ち着いて読み返したらかなり支離滅裂な文章だったので恥ずかしくて部屋でちょっとのたうち回りました。
あたたかいコメントや賛同のコメントを下さった方も批判のコメント下さった方も含め、こんな記事を読んでいただきありがとうございます。
たったこれだけの一個人の問題で日本死ねって言うな、みたいなご指摘がありましたので、少し補足を。
完全に説明不足だった私が悪いんですが、
今回書いた職場の数人のオッサンの事例ひとつだけを取って「日本死ね」へ直結したわけではさすがになく、
職場以外の友人知人や親戚などからも「共働きだろうがなんだろうが家事は女がやってる」という前提で話をされた経験がこれまでけっこうな頻度でありました。
(言葉狩りになってしまうので普段はいちいちつっかからず適当に流しながら聞いてます。)
私だけでなく自分の共働きの友人女性たち(違う会社・違う職業)にも、私と同様の経験をした人もいます。
後出しでごめんなさい。
自分の周りがそういう環境だったので、共働きが増えてきた昨今でも
専業主婦が一般的だった時代のような「女が家事をしてるのが当たり前」という考え方が日本では未だ主流で、それを疑いなく信じてる人たちが多いと思ってました。
でも皆様のブコメ見るとそういうふうに思ってない方もいらっしゃるようで、狭い視野の中でカリカリしすぎてたかもと気付くことができました。何か新鮮でした。ありがとう。
(そもそもそういう風潮自体妄想だろという批判もありましたが、むしろ妄想であってほしい)
この風潮が私だけの妄想じゃないとしても、スルーするしか方法がないのは悔しいですが、
どうせなにか反論したところでメリットがないこともたしかですよね。スルースキルと諦めスキルを鍛えようと思います。
「女が家事して当たり前」と思ってる男性は個人的に苦手だから“私は”決してそいつの考え通りの女にはならんと言っただけの勝手な個人的意思表明であって
そういう男性と納得の上で結婚した女性のことを貶めるつもりはなく、働く夫と専業主婦で問題なく生活している方々の幸せを否定するつもりもないです。
まあそれと同じ理屈で、共働きの家庭の実態や幸せも理解してもらえたらお互い気持ちいいかなと思ってます。
私の文章が下手なばかりに気分を悪くされた方がいましたら申し訳ありません。
何にしても、ブコメでたくさんの方が励ましていただいてたように、
僕たちは社会生活の中で本能を抑えこんで生活する術を手に入れた。
しかし、その術を得ると共に、本能をさらけ出す能力を衰退させてしまった。
セックスにおいては本能をさらけ出す事によって、更なる快楽を得られると思っている。
僕たちは高度な社会性を手に入れる反動として、セックスの快楽を享受する術を手放してしまったのでは無いだろうか。
思い出して欲しい。オナニーを覚えたての頃の抑えきれない性欲と、ひたすら快楽に没入していたあの頃の自分を。今よりももっと快楽を享受していたのではないか。
(タガは理性と読みかえて貰ってもいい)
僕なりにタガを外すことについて実践をして身につけた方法論や、気がついた事を書いていきたい。
タガを外すという行為には、自分のタガを外すことと相手のタガを外すという2つの意味がある。
そのどちらにも共通する重要なポイントは、「時間をかけて外していくこと」と「繰り返し外す練習をすること」である。
まず前者について。僕達が培ってきた強固なタガはちょっとやそっとでは外れない。場所も手順も関係なしに、いきなり目の前の人に性欲をぶつけるなんて事ができる人は少ないはずだ。
普段のセックスにおいても、僕たちは徐々にタガを外す手順を踏んでいる。
雰囲気を作ったり、手を繋いだり、キスをしたり。理性を徐々に麻痺させていって、本能を出す手順を踏んでいるわけだ。
この部分をもっと丁寧に、時間をかけて行うことでタガを外し、より深く没入することができる。
いきなりだが、君はどこからがセックスだと考えているだろうか。
挿入をしてから、性器に触れてから、性感帯に触れてから、キスをしてから、など意見は様々だろう。
キスをする前、ホテルに入る前、手を握る前から既にセックスは始まっているのだ。
雰囲気のいい店に入る。体に触れる。恋愛やセックスの話をする。互いの緊張を解いて、リラックスした状態を作る。この時点から既に前戯は始まっていて、お互いのタガを外す段階に入っている。
まあこの辺は(よく分かってないけど)恋愛工学にでも譲るとして、この段階を過ぎて、ホテルに入ってからもコトを急いではいけない。
時間をかけて全身の愛撫をするのだ。という話は有名だけど、同時に自分も愛撫をされよう。首筋や背中、内ももまできちんと愛撫してもらおう。
(書いていて、この辺はセックスハウツーと大差ないと思ったので手短に終わらしておく)
一つだけ書いておくと、舞台装置としてのホテルという空間は非常に有効なので大いに利用しよう。
セックスだけをする場所であり、他のものに気をとられるものがない。
どれだけ声を出しても問題がないし、部屋が汚れる事を心配する必要もない。また、家だと普段の生活を思い起こして覚める事がある。
僕は同じ人とセックスを繰り返す事が好きだ。上記したプロセスを何度も繰り返す事で、互いにタガを外し、より深く没入する事ができるようになる。
繰り返せば繰り返すほど、タガを外すことが簡単になってくる。
愛撫を繰り返せば繰り返すほど、体が快楽を享受しやすくなってくる。
催眠術では催眠にかかればかかるほど、より深く催眠にかかる事ができるそうで、それと同じことだと思っている。(この辺は書くと胡散臭が増すけど)
オナニーをすることだけに集中しているだろうか。何か他の作業をしながらオナニーをしたり、他の事に気を取られていないだろうか。
性器以外の性感帯を愛撫しているだろうか。
タガを外す練習は一人でもできる。時間をかけてタガを外す練習を繰り返す事で、タガはより簡単に外れやすくなる。
逆に言えば、理性によって抑圧されていなかったり、本能を出す練習を繰り返している人たちだ。
これを聞くと、タガを外すことに戸惑いを感じるかもしれないが、それは違うと言っておこう。
僕達が身につけるべきは、タガを外す術を手に入れる事であり、理性を自分でコントロールする方法を身につけるという事だ。
その方法を身につけてしまえば、理性によって、自分の強固な意志によって性欲や本能のコントロールをすることができる。
本能によってコントロールされている状態とは違う。
ここまで長々と書いたけれど、ここに挙げた方法は間違いを含んでいる可能性が大いに高く、また各人に最適な方法とは言えない。
これ、めっちゃわかる。
私もアラフォーなんだけど、私たちの時代は、耐え忍ぶのが美徳で、なるべく人に譲りなさいというのを
私たちの時代は結婚率は98%とかで、親の世代のほとんどの人が結婚していた。
だから、年頃になれば当たり前のようにお見合いが持ち込まれて何もしなくても女の子は結婚できるのが
当たり前だと思われてた。
バブルもまさか崩壊するなんて思ってなかったくらい、世の中は浮かれてた。
でも、いつのまにか、どん欲に自分から動いた人しか結婚できなくなっていったし、
ずうずうしいくらいに主張できた方が、結局、望んだものを手に入れられるし、
そのほうがいいんだってわかってきた。
婚活は口で言ってるだけ。
この債権を持ってるのも国民な訳で、「とはいえこれを取り立てる権利を持ってる人も国民の内の誰かです」って言えばいいのにね。
銀行に預金して利子もらってる人も、保険とかの金融商品持ってる人も、銀行や保険会社の運用資金に国債が含まれてるので、元をたどれば国債の購入費を金融機関に出資してる。
とはいえ、買ってる人が100%日本人じゃないからそんな単純化できないけど。
ってのは、インフレによる結果的な目減りじゃなくて、財政引き締めによる償還ってことを目指すなら、国債によって、あるところから金を引っ張って、社会保障とか建設ににカネをばら撒いて平準化しようとしてる流れを止める事なんで、再配分は止めますよって事でしょ。
国債の発行目的が変で、金のあるところにますます流れてますよ的な事は考え直さないといけないけど、考えなしに「国債発行=国の借金が増える=国民の借金が増えるだから止めなきゃ」みたいなもの言いは欺瞞だと思う。
それは、ベッキーを攻撃しているのは他でもない同性である女性だということだ。
例えばイスラム教やヒンドゥー教の国では、女性を穢れたものとして罰するのは男性たちの役目だ。
諸外国の反応を見る限り、ベッキーの一件も同様に考えているように思える。
過去の女性タレントの貞操問題を掘り返してみても、彼女らを社会的に追い詰めているのはすべて女性たちだ。
あのアイドルが丸坊主にしたのだって、男性からの被害者を演じることで同性の攻撃を回避しただけにすぎないんだ。
もちろん女性全員がそういう考え方を持っているわけではない。
でも、一部の女性からの強烈な攻撃が集中することで社会がそう対応せざるを得ない状況に陥ってしまっているのが現実だ。
すくなくとも、わたしの観測範囲ではベッキーに同情する男性はいれども、非難する男性は皆無だった。
今回の件において、ベッキーが許されることが男女平等と取るか、それともゲスが罰せられることが男女平等とるかはとてもデリケートな問題だ。
おそらく、男性側はベッキーが許されればいいと考えるし、女性はゲスも罰せられるべきだと考えることだろう。
この違いこそに、日本が抱える性差別の根本的な問題があるのだ。
男性諸君は、なぜ女性がベッキーを攻撃するかを考えたことがあるだろうか。なぜ自分たちはベッキーを許せると思えるかを考えたことがあるだろうか。
それは、女性は抑圧されていることが当然なのに、男性は抑圧されないことが当然な世の中だからだ。
女性は貞操観念を大事にし、一途に尽くすことこそが美徳として教えこまれているのに対し、男性にはそんな教育なんてない。
せいぜい浮気はダメくらいなもので、その裏では多数の女性にモテることがステータスとまでいわれるきらいさえある。
こんな下らない美徳と、レイプされた女性がムチ打ちにあうような美徳とどこに違いがあるというのだ。
そんな美徳に抑圧されているからこそ、禁忌を犯した人間を責めることで自らの境遇を肯定するのだ。
つまりこれは、性差別が生み出した先にある同性間の差別なんだ。
そのことを紐解かなくては、日本における性差別の闇を暴くことはできない。
正直に言うとわたしはおっさんだ。だけど、心は乙女だからわかる。
これから本当の意味で日本が性差別ない国になりたいと願うなら、おっさんにわかるはずがないだなんてそんなつまらないことで性差別しないでほしい。
それは逆もまた然り。
「あのときに暴言をはいておいた方がよかった!」と後悔することもあるだろう。
俺みたいなコミュ症の非モテが「俺は性欲が暴走しすぎて視野狭窄だ。もっとちゃんと女性を愛せるように努力しよう」というふうに自己批判して、イライラや悪意をがんばって抑えこんだとする。
で、結局それでも何も得られないまま死んだらどうするの?
ひとに迷惑かけないように禁欲的な善行をつらぬいた結果として天国に行けるならいいけど、そんなふうに報われるという信仰をもたない人間はどうすればいい?
というか、女性との出会いなんかねーよ。どうせセックスさせてくれない女ばかりだし、この世の全部の女に対しては「セクハラ受けて精神を病め」とか「レ○プされて死にやがれ」としか思わん。
ここ最近、ジャニオタしててずっと楽しくない日々が続いている。
軽く自分のことを話すと、私は掛け持ちジャニオタ2年生のド新規で、KATーTUN、NEWS、Kis-my-ft2のFCに入っている。
もともと二次元オタクだったせいか、ジャニオタ独特の担降りという考えは無く、追いかけたいと思った子を追いかけた結果の3グループ掛け持ちだ。
というか、好きなだったものを断ち切れない性格なのかもしれない。今だって前の二次元ジャンルの漫画もグッズも持っている。
とにかく、今まで辞める/辞めたいという概念が無かった。
理由の一つとして、熱が冷める時は他のことにハマる時であり、そのままスライド式でジャンルを移動しているからである。
まぁつまりは、今回初めて他のことにハマってもいないのに、熱も冷めてはいないのに、ジャニオタをとてつもなく辞めたいと思っている。
今回っていうかジャニオタになってから何回か辞めたいと思ったことはあるけども、こんなに持続して嫌気がさしたのはよっぽどだなと思い自分の考えを整理するために筆を取ったわけです。ここまでが前フリね。長いでしょ。
なぜ辞めたいのか。
1つ目。私は同担が好きではない。
ここからイッタ~~イ話をするから正常な人はブラウザを閉じることをオススメする。
読んだ後の責任は負いません。それでもいいよっていう菩薩の心と変な好奇心をお持ちの方は遠慮なくどうぞ。
私は自担に半リア恋をしている。
いや、リア恋って言ってもいいか。
バカにされるのが嫌というまさにバカみたいなプライドでリア恋を名乗るのを避けていたが、匿名だから気にしないことにしよう。
好きな人が各グループに1人ずつで3人いっぺんに恋をしていると言えばそうではない。
だが、経由はしている。
説明すると、KATーTUNにハマり、1人に恋に落ち、NEWSにハマり、違う人に恋に落ち、Kis-my-ft2にハマり、また違う人に恋に落ちている状況だ。
前述した通り、熱が冷めるのは他に落ちた時なので、スライド式で恋に落ちている。それも2年間で3人に。
二次オタの時と違うのは、KATーTUNもNEWSも冷めておらず普通に好きだということ。
まぁそれは置いといて。
これに尽きる。
繋がっている人に嫌われそうなので、今までひた隠しにしてきたけれど、ふと思い立ってHNを変えてふわふわ偽装をしたアカウントを作ってみた。
本気愛と名乗るのはまた変なプライドが邪魔したので、独占欲強め、○○担の安定さんいる人ごめんなさいみたいな感じで。
結果もっとこじらせた。
前は見ないフリをしていただけだったが完全に拒否反応が出ている。
ついでにこのおかしな頭で某けいじばんを覗いて、信ぴょう性もクソもない女のタレコミを見てさらに病んだ。
(何故某けいじばんを覗いているのかは後述にて。)
もう正直何がなんだかわからない。
自担と出会って付き合うシュミレーションしてたお花畑な私どこいった。
まぁいつか自担と付き合えると思ってる時点でだいぶ問題だけど。
もともとコミュ障で自意識過剰野郎な私は、現実世界だろうがネットだろうが人と話すのに精神力を消耗する。
最初は好きなアイドルのことを自由に呟きたいだけのツイッターアカウントが、いつしかみんなと話すためのアカウントになっていた。
そこで楽しいのならいいけどもいかんせん私はめんどくさい人間なので、繋がりタグでフォローされないと凹んだりする。
どうだ、気持ち悪いだろ?
フォロワーの○○さんはフォローされて早速仲良くおしゃべりしているのに私はこんなアホなことしか言ってないから嫌われてフォロー対象外になったのかって勝手に考える。
さらにリムられたりブロられたりなんかしたらさらに落ち込むし逆にブロックかましちゃったりする。
自分で書いてても本当に気持ち悪いなこれ。できれば誰かポジティヴな人と心交換したい。
これだけで、私がいかにツイッターに向いていないかお分かり頂けたであろう。
だからこそ匿名で書ける某けいじばんは居心地がよかったし、新しいふわふわ同担拒否のアカウントは自分を偽っていたのでやりやすかった。
(リア恋なんだから偽ってないだろと思われるだろうが、喋り方を意識的に変えていたので自分としては違う自分を演じている気分だった。)
結果逃げた先でこじらせているわけだけど。
まさに本末転倒。
今はもう独占欲うんぬんではなく、こんな気持ちを忘れ去って自分のことにお金かけたいというのが一番の思いだ。
たかがアイドルのためにこんなお金使って、嫌な思いして、何やってんだろう。
ツアーの振り込みもしてあるし、CDの予約もアルバムの予約もしてるし、雑誌も買うつもりだし、ふわふわアカウントでもまだ呟いてるし、某けいじばんだって覗いてるけど、虚無感しかない。なにもしたくない。
きっとこんな記事上げたって、私はツアーに行くしCDとアルバムと雑誌を買うし、某けいじばんも覗き続ける。
あーあ。ジャニーズが二次元の人だったらこんな苦労しないでジャンル楽しめたのに。
同じ人間だからこそ恋に落ちてどっぷりハマって抜けれないの知ってるけど。
どうしてもジャニオタやめたくて、友達に勧められたあんスタとやらを始めてみたが、3次元アイドルを体験したせいか思うように楽しくない。
でも、恋に落ちて追いかけるあれ程の楽しさはやってこない。
なかなか自分の意思で辞められない。だからと言って現状維持も出来なくて、止められない。
芸能界が止まれない世界だからこそ、オタクもそれに引っ張られていくわけで。
書きながらちょっと落ち着いて来たので、少しずつでもグッズとか雑誌の整理から始めようかな。
多分すぐには降りれないけど、ゆっくり離れて行ければいいなと思う。
ここまで書いておいてなんだけど、KAT-TUNのオタクだけは辞めません。多分。
いや、本人たちに苦しめられたりするけど!実際脱退とか三日三晩の勢いで泣いてたけど!!
NEWSやKis-My-Ft2は本人たちもそうだけど、それを取り巻くオタクの自治っていうの?なんてーの?その辺に割と嫌気がさすことが何度もあったわけで。
現場行ってもツイッター見てても胃を痛めないのが唯一KAT-TUNだっただけです。
(脱退でだいぶ胃を痛めたのはまた別の話)
ここまで後先考えず長々と書き連ねて来ましたが、KAT-TUNだけゆるく続けられたらいいなという結果になりました。
まぁたとえ今卒業出来なくても、また同じことを繰り返して胃を痛めるでしょう。(笑)
…その頃には身も心もボロボロになってそうだけど。
最後まで読んでくださった方いるのかって感じですけど、ありがとうございました。
ジャニオタ卒業にはこうしたらいいよ!みたいなアドバイスあったらコメントください。
するっと元サヤに戻りそうなんで。(笑)
夜中から書き始めたのに気づいたら朝になってしまってつらいので寝ます。おやすみなさい。
※2/8 追記
結局寝てないです。
そんなこと書きにきたわけじゃなくて。
「某けいじばんで見た女のタレコミ」ってちょっと表現がおかしかったかなって思ったので訂正しに来ました。
女と一緒にいるのを見たって書き込みがあったっつーわけです。
それだけ?って思うかもしれないけどリア恋()は病むんだよ!めんどくせえことにな!
あ、あと深夜の薄暗い気持ちを独り言として吐き出しただけなのに意外に見られててびびりました。
「これだからジャニオタは」ってどのへんがこれだからって思ったんだろう…私二次オタの時も夢豚で同担拒否だったから多分「これだからアニオタは」っても言われちゃうな……とか考えてました。笑
ちなみに悲劇のヒロインごっこ大好きだし恋に恋するタイプですけどジャニーズに身をボロボロにしてる私に関しては上記通り虚無感しかないです。いや…リア恋の相手だもん…結ばれたいでしょ…わざわざ悲劇にする意味…。(こういうところがこれだからジャニオタはって言われる)
ディベート大好き人間だからちょっと追記を利用して対抗しちゃったけど、(こういうところがこれだからジャニオタry)
乳児と幼児の時代を終え、“子供”と呼ばれ始める 4歳からの10年間で、すっかり大人になってしまう女の子がいます。
すなわち 14歳なのに見かけは大人です。
30人にひとりくらい、つまり1クラスにひとりくらい、おっぱいのサイズが もはや子どもではないという子がでてきます。
子どもを妊娠できる身体と性欲を持ち、周りの子と自分が異なることを怖がらない 14歳
子供のために設計された学校という世界に飽き足らず、大人の世界に生きたいと思う 14歳
学校の先生なんてあんまり稼いでないんだなとわかってしまう 14歳
大人達相手にいっぱしのセックスアピールを始める(もちろん知らないことは多々あるけれど、の)14歳
この子たちは、4歳からの 10年間、かなりのスピードで成長します。
いきおい 14歳になると、その貞操観念がいきなり緩くなってしまうんです。
なぜなら、この期間に彼女たちは「売春して補導されても」罪にならないという法律が、あまりに“過保護”だから。
もちろん彼女らは、中学、高校、大学生活をそれなりに楽しみます。
友達と遊び、好きな本や雑誌や映画に(今ならネットやゲームや SNS に)熱中し、クラブ活動にいそしみ,
ちょっとでもいい彼氏を探せ、という大人の口車に乗せられて自分磨きしてみたり、援交してみたり、“まあまあ楽しい”青春時代を過ごします。
が、貞操観念はそのバストサイズと反比例して、かなり低いレベルに抑えられています。
彼女らは 14歳で既に「妊娠できる身体と性欲」を持ち始めているのに、それを発揮できる舞台もなければ、
フルに発揮しなければ達成できない職業も許されていないからです。
おっぱいの大きい彼女らにとって“いい彼氏を見つける”などというのは、大して難しいコトではありません。
なかには、そんなことに意味はないでしょ?と理解してしまう子さえいます。
(前者はヤリマンビッチ 後者は「地味だけど脱いだらすごい」系女子なので、全員が性的な優等生なわけではありません)
彼女らが 14歳ではなく 18歳だったら、収入を上昇させるための夜のアルバイトは自分で探すでしょう。でも 14歳では、それは非合法。
だから彼女らは「そこそこ楽で、そこそこ稼げる」援交生活の数年を経て、(一部は高校中退で)18才となり、夜の世界にでていくんです。
社会にでると当然、収入カーブが大きくなります。働くオッサン達は、学生風情なんかより、よほどリッチで、養分に富んでいるからです。
でも 10年たつとまた、収入カーブは鈍ってきます。30歳くらいから、今までほど稼げなくなる。
ロリコンで草食化が進む日本の男性社会では、既に30分で3回はイカせられるテクのついた 30歳にも
「奇跡の美熟女」だの「もえこ(24)←吉原年齢」だのといったポジションしか与えられません。
彼女らは婚活して結婚相手に依存するという選択肢を持っています。
だから、退店したりAV卒業して、世間体をもう一度、大きく改善することができます。過去はいずれバレますが。
ただし、この年齢では既に「売れ残りだし、貞操観念もないので」世間体より、違法店やワリキリを選ぶ人もおり、そういう人は、えげつない性病に感染することになります。
30歳以降の違いについては、本人の意思による選択なのでどっちでもいいんですけど、
いずれの場合も、14歳から 18歳のおっぱいのマネタイズが最大化されてない、というのが、す ご い も っ た い な い 。
ちなみに30人に一人じゃなくて 1万人に一人くらいの傑出した子(各学年で、全児童あわせて 10名から 20名)は、14歳でかわいい顔して爆乳って子もいます。
紗綾とか篠崎愛とか、ちょい古いけど大沢あかね(俺は好き)とか、10代で週刊誌グラビアとか着エロ児ポとかに出演しちゃう子。
そういう子達は 14歳の時には既に「 > こいつはデケエ! < 」と誰にでもわかる巨乳になっているため、多くの場合、芸能コースに乗り換えるんです。
なので、14歳以降の露出度が、10歳-14歳の時より更に高くなる。
問題は、「そこまでじゃないけど、チャンスさえあれば、かなり脱いでくれる」という、クラスにひとりいるかいないか、くらいの子。
こういう子向けの芸能コースが存在しないため、彼女らは 14歳のところで(体目的で近づいてきた自称・芸能プロ社長と)寝てしまう。これハメ撮りなんですよね。
100人にひとりというのは、日本全体で見ればそれなりの数(一学年で1万人から2万人)になるわけで、
その人数 × 10年分のおっぱいがマネタイズされてないというのは、国全体としては大きな損失です。
今これらの子の多くは、保健体育の授業くらいでは性欲が満たせないため、ドンキホーテで買った“バイブ”とか“ピンクローター”みたいな玩具で遊んだりもするんだけど、
そんなのたいしたチャレンジじゃないんだよね。
オナニーってのは基本“ひとり”なので、そんなもんに頑張っても大して成長しません。
この“ 100人にひとり”の子が 14歳の時に必要なのは、そういった「2ch女神向けの目標」ではなく、「ひとりの大人としての目標」なんです。
彼女らは今、「十分、大人の世界に入っていける状態なのに、数年もの間、周りが未成年ばっかりという環境で、児ポ扱いされながら過ごす」ことになり、そんなんじゃ俺らの股間が最大化するわけない。
とはいえ大学からは自由度も高まるので、「こんなスピードの成長ではヤバイ」と気付き、
学生時代からハッピーメールに登録したりFC2動画に覆面出演(でもフェラのとき顔出し)したり、就職を待たずに大人の世界に飛び込むことで、成長カーブを早めに戻す人も最近は多くなってて、
その場合は露出が抑制されてる時期が最小化できるので、かなりマシにはなってます。
それでも 4,5年の間はメディアへの露出が無駄に抑制されており・・・全くもってもったいない。
ひとつの対策としてニコニコ動画(生主)というのがあり、できるかぎり無駄な露出を増やそうとするわけですが
それでもやっぱり「中学生」「高校生」という枠を超えた体験はさせてもらえない(=垢BAN)。
彼女らが 14歳からあんな過保護な法システムの中に放置されず、もっと実践的なエロスワールドの中で鍛えられてたら、経験人数が10代で3桁に上る可能性が高い。
今、大学在学中の 19歳でAVデビューしてる人の中には、法律という枠組みさえなければ、15歳の時にはデビューしてただろうという子がいるんです。
性風俗店での活動(勤務)だって、20歳ではなく 15歳からでも十分やってける。そういう子が 100人にひとりはいる。
ふつーにデリヘル嬢やらソープ嬢として(大学生と同じくらいのパフォーマンスで)働ける14歳の子も少なくないです。
彼女らがせめてスピードを落とさず成長できていたら・・・もっと早く、エロスな社会を見ることができていたら・・・・もっともっと男性をイカせたはずなんです。
実はこのカテゴリーに自らが属する人であっても、自分の貞操観念が 14歳から 18歳にかけて緩んでたことを意識してる人はそんなに多くない。
楽しい時期であったことは確かだし、「終わりなき日常をまったり」生きる“援交してましたー”みたいな達成感によって、一応の満足が得られちゃってるから。
このため、「この 数年が無駄になってる! 次の世代のこの数年を救わねば!」という問題意識が醸成されにくい。
「 2クラスに 1人 × 10年間」という、無駄に放置されてる巨大なおっぱいをどう晒していくか。
これが、国全体でみた時の人材育成上の大きな課題であることを、もっとみんな理解しましょう。
産む機械を育てるべき国家が、自分のおっぱいネットに晒したくてしかたない色情狂の足かせになっているなんて、ナンセンスでしょ?
数年前に解散した ウイテンボハルドさんの政党 が提案する方法は、いい案だし、ひとつの可能性だと思います。
でも国全体が動くのは時間かかる。
だったら、自分にできることは何かないのか、ちょっとだけでも妄想してみたい。Yes!ロリータNo!タッチだけどね。
はすみとしこは自分を「ホワイトプロパガンダ漫画家」と定義しているが、私はそのホワイトを白色テロみたいな意味だと勘違いして、最初は彼女のことをおもしろい奴だなと思っていた。
白色テロとは、国家権力が反体制派をおさえこむためにテロをおこなうこと。要するに権力側がおこなう暴力的な弾圧のことである。
つまり彼女は「わたしはサヨクや在日を弾圧する漫画家だぞ!」と自己定義して、そういう国家主義者ぶりを露悪趣味でネタ的に演じるオバサンなのだなと思った。
ところが、ホワイトプロパガンダとは、決してそういう意味ではなかった。
自虐ネタなんかではなく、大まじめに輝かしい自画自賛をするための言葉だったのだ。
やや乱暴だが、「本当のことを効果的に広めよう」というプロパガンダが「ホワイトプロパガンダ」であり、「嘘の情報をばら撒いてやろう」というプロパガンダが「ブラックプロパガンダ」であると言い換えてもいいかもしれない。
彼女が自らを「ホワイトプロパガンダ漫画家」と名乗るのは、こうした背景があると考えられる。
(中略)
おそらくはすみは、「正義」のためにあのようなイラストを描いているつもりでいる。彼女にとって「ホワイトプロパガンダ漫画家」は、「サヨク達」のブラックプロパガンダに立ち向かう「白馬の騎士」のような輝かしい肩書きなのではないだろうか。
今更だけど、ドン引きした。
しかし一方で、たとえば実業の世界で従業員数百人規模の新興企業を立ち上げつつ村ブロガーやってたら、嫉妬ややっかみや誹謗中傷で叩くのが、この場所なのだった。
功なり名なりを遂げたら匿名で活動したほうがマシな(というかそうでないと囲んで出る杭を叩く)文化をもつこの国において、ブロガーなどというのは、実際もっているかどうかを棚上げしつつ「持たないこと」を売りにヘンテコテキストバトルを繰り広げるのが最適戦略なのではないか?
病人、ネグレクト被害者、鬱、無職、なんでもこい。むしろ、世間ではネガティブだと思われている弱点属性が武器になる!
「俺のような弱者でも必死に生きている」というアピールをしつつ、健常者や一般的生活者に対して「傷つけられた! 君たちの放つ充実した幸福の波動に、ボク傷つけられた! 弱者の気持ちを想像できない強者の傲慢! 自己責任社会の被害者を救え。謝罪を要求する!!」とわめくのが、この村における階級闘争の実態なのだ。
強肉弱食の逆ピラミッドが今日もうなりを上げているぞ。がおーんがおーん(ぱおーん)。象さんはちょっと顔を隠しておこうね。オフ会で出会っちゃう人たちの話題は、周囲を無差別に傷つけてしまうんだぜ。たとえここが村であってもだ。
「我ら五人衆、この通りお館様にご忠誠をお誓い申し奉りまする」
武勇で名高い五人衆は、揃って喜多川右府に対し、地面に這いつくばるように平伏した。
しかし、その言葉に反して、五人衆の筆頭である中居弾正は、怒りと絶望に覆われていた。
中居は、まるでその怒りを抑えこむように、いつしか自分の手をつねっていた。
彼ら五人衆を見出し、股肱の臣として、ここまで育て上げた飯島摂津守が、突如、その主君、喜多川右府に反旗を翻したのだ。
原因は、主君による飯島摂津守への嫌がらせである。家中の諸将たちが見守る中、何を思ったか喜多川右府は、刀に刺した餅を飯島摂津守に突き出すと、「食え!」と屈辱的な命令を発したのだった。
もし、これを断れば謀反者として一族郎党滅せられる・・・飯島摂津守は、武功を立てお家を支えてきたという自らのプライドをぐっと飲み込むと、目をつむりながら餅を頬張ったのだった。
しかし、飯島摂津守は、自らの居城へ帰り着くと、主な家臣を集めて「もう我慢ならぬ」と、声を絞り出すようにぶち上げた。
「俺は謀反を起こす・・・ただ、皆を巻き込みたくはない。去りたい者は、今すぐここを去るがよい」
家老となっていた五人衆の筆頭、中居弾正は、すぐさま前に進み出ると、「我らには摂津守殿に多大なる恩義がありまする。たとえ地獄であろうと地の果てであろうと、我ら五人衆は一心同体。殿にどこまでもついてゆくとお誓い申し奉りまする!」と申し出た。以下、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵も、声を揃え「おう!」と答えたのだった。
そして、五人衆は血判状を書き上げると、それを木村内匠に託して城を下がった。
木村には妻子があった。
その夜、帰宅した夫を見て、奥方のお静はすぐにその異変に気づいた。
「お城で何かありましたか?」
お静の疑問を黙殺すると、「今日はもう疲れた。すぐに寝る」と言って、そのまま寝てしまった。
翌朝、木村は妻に問いつめられていた。
夜のうちに、持ち帰った血判状が妻の手に渡っていたのだった・・・
「もしご謀反がお館様の耳に入りましたら、幼い若君もろとも滅せられまする!どうか、お考えをお改め下さいませ!」
「既にお館様のところへ」
「なんということを・・・」
「もちろん、“その場の流れで血判状を書きましたが叛意は無い”と付け加えて・・・」
「それでは・・・それでは、わしは同輩を裏切ることになるぞ」
「これも、お家を守るためにございます」
もう何もかも終わった・・・木村は観念すると、事の経緯を他の五人衆に打ち明けた。
「なに、この俺が話をつけてやる」
そして、城は一戦も交えること無く落城した。
家老五人衆の翻意を知った城主、飯島摂津守が観念し、「家臣には罪はない」と言って、城から逃走してしまったからだ。
余談だが、城に残された飯島一族百名余りは尽く捕らえられ、市中引き回しの上、六条河原で次々に斬首され、鴨川が真っ赤に染まったという。しかし、果たせるかな、飯島は喜多川右府の死後も生き続け、後に、茶人として復活している。
これまた余談だが、いち早く謀反を主君に注進した事になった木村内匠は、喜多川右府の寵愛を受けて取り立てられ、飯島に代わり摂津一国を任せられて大出世を遂げるが、家臣に裏切られて自害している。また、五人衆の筆頭・中居弾正を含む4名も、この事件の後は歴史の表舞台から姿を消してしまうのであった。
★☆☆☆☆
4巻3話。
あるとき、不安神経症のためにハリに拒否反応を起こすBJの患者に対してハリを打ち、けいれんを起こしてしまう。
借りを返すべく、BJのからだの中で弱い腸に効くハリを打って去る。
ほぼ無敵の能力者相手に、ちょっとしたほころびで勝つみたいな構図。
テーマも、人間だけが手術とかするのおかしくね?っていう、すでに何回か出てきたもんだからとくに新鮮味もなし。
尖端恐怖症的なオチはもうかなりの苦し紛れにしか見えなかった。
手術だの 薬だのに たよんなさんな
くだらねえこった…
人間のからだ なんてものは もともと切ったり すてたりできる しろものじゃねえ
うでは たしかに すごいが……
古和医院
ピノコ愛してる
六等星
二度死んだ少年
勘当息子
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白 いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
上と下
U-18は知っていた
なんという舌
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
万引き犬
奇胎
からだが石に…
ダーティー・ジャック
新郎が新婦に食べさせるときは「一生懸命働いて一生困らないようにするからね」
新婦が新郎に食べさせるときは「美味しいご飯を作ってあなたを待ってます。健康管理も任せてね」
という掛け声でやるけど、定型句とはいえこれなんとかならんのかね?
食べさせるシーンそのものは仲睦まじいくその二人の性格が出て面白くて好きなんですが、このセリフが専業主婦の昭和な時代すぎて薄ら寒くなる。
会場やドレスなどは華やかでスタイリッシュなのに、そのセリフが流れると「こいついつの時代の話してんの?」と思ってしまう
共働きがほとんどのこのご時世食事づくりなんて夫婦二人でやるものだし、健康管理なんて個人の自己責任でしかない。
この前出た結婚式では旦那さんが料理好きで、料理は旦那さん担当。
妻のほうが掃除好きで掃除担当(料理は別にできないわけじゃないけど)
こんな感じでプロフィール紹介された直後に冒頭のアピールされても「あれ?」となってしまう。
自分自身も料理は完全に夫と妻で分担の家庭なので(作れる人が作る)やはり違和感。
今の時代はそういう家のほうが多いと思う。
正規の職に就いたら就いたでなにもできねえこれどうすんだよ頑張りようがないよってなる気がする。
人生に意味なんてないんだろうけどそれにしても意味がなさすぎて意味がわからない。
正しく働く人という立場になったら頑張ることもできるかもしれないがなにもしてこなかったという負の実績があるので頑張りようがない
ポンコツだから。
「自分を変える」、ね、それなんだよな。
他人と会話できない、筋道立てて物事を考えられない、日常会話ができない、行動力がない、目標を立てて継続的に努力ができない
常に今、今、今だけがあって目先の困難から逃げようとして360方塞がりの袋小路の泥沼にはまり込んでいくんですね。
ハローワークに行く?それがなにになる?
行かないことでなにかができると思ってるわけじゃない。
しかしね、「今までなにもしてきませんでした正直言って働きたくないですけどそういうわけにもいかんので職に就こうかと思うんですが
非正規ってお先ダークネスですよね正規ならダークネスじゃないってことでもないとおもうんですけど
なにができるのかわかりませんなにかしたいってわけでもないですスキルはありませんし会話すらできないですし大学卒業後は全部空白期間みたいなもんですさあどうしましょう」な状態なわけ。
こんな愚痴をハローワークで開陳してもなんにもならないですさ。
土曜日も出勤なのでハローワークに行ったことはありません。別にこんなもんさっさとやめて職業訓練でも行った方がまたサイコロ振るみたいな感じでなにかを変えるきっかけになりそうな気はするんですが。
「素人が安易にプロのやることに口を挟むのをやめろ。」というが、口挟んでるのは理数系研究者。利害関係者だから。だからリプで大半の親が教師より教養が無い的な話があるけれど、十分に教養がある人が発言してんの。教育のプロではないけどね。
そして、あなたは身分を明かしていないが、小学校の先生なの?違うでしょ。さすがに×つけるのは小学校の先生でも一般的ではないと思う。
(ちなみに私も教師だが小学校ではないので自信はない、世代は違うが元小学校教師の母に尋ねてみたら×は絶対つけないと言っていた。中学受験が一般的になった今だと、(受験に合わせるような採点をするなど)事情が違うかもとは言っていたが。)
まあ、デザインの件然り「素人が安易にプロのやることに口を挟むのをやめろ。」という問題意識はわかるが、こと本件に関しては小学校の教師は「勉強を好きにさせるプロ」ではないですよ。
> 授業でやるテストなんて、授業を聞いていたか、身についたかの確認なんだから、授業で教わった方法以外で答えると×になるのは当然だろう
という態度自体が批難されているの。
それは、教えられたことを教えられたようにできる人間は育てるけれど、自発的に理数系のことをやり続ける人間は押さえこむことになるから。
くらいの反論ならまだアリだと思う。
学校が認める人の価値ってやつをタスク消化しか評価してない弊害だね
タスクさえこなせばサラリーがいただけるって餌付けが成功してる
作業効率とか目的達成の具体的な評価というところで、リーダーシップの発揮や全体における功績の評価とか
自己啓発とかそれにみあった報酬とか用意してないのは教育環境として低コストですむしね
ほめるとかいった言葉だけですむコストなんだけど精神的なみたいなことで出し惜しんだりしてる
突出した評価とか報酬とか不平等とか差別とかもいわれるんでしょう
そのおかげで自分の仕事だけしておけば面倒なことをしなくてすむ機械になりきれば
平穏無事にすごせるってシステムはそれはそれでいいもんだとおもう
してない人は毎朝目標をみんなの前で大声で発表したりしてるの?
★★★☆☆
萌はお嬢様。
昔両親を殺したけど心神耗弱で釈放された天才科学者真賀田四季が世間で話題。
所長のオッサンも殺害される。
もともと原作も気になってはいたけど、実際に手が伸びるところまではいかなかった。
アニメ化するってきいて、ちょうどいいと思って見た。
原作の膨大なテキストを適度に取捨選択してバランスよくまとまってた感じ。
直近で見たノイタミナがガリレイドンナだったり残響のテロルだったりしたせいで、12話で過不足なく構成されていたということだけで普通以上の評価をしてしまうくらいには、ノイタミナへの期待度は下がってる。
各話ごとだと書きづらい感じしたから全部まとめて書こうと思ったけどそれはそれで難しい・・・
1.6倍速で見たのもあるけど、結局真賀田四季が両親を殺した理由とオッサンを殺した理由がよくわかんなかった。
愛の形はいろいろあるからって感じの会話を犀川はやってたけど特別な理由はないってことなのかなあ・・・
なんか釈然としない。
これに浅野いにおのキャラデザが割り当てられた意味がよくわかった。
スカした気だるげな空気とか意識高い系が好きそうな会話だらけで、
浅野いにおっぽさがムンムンしてた。
でも実際のアニメで動いてる絵は、いい意味で浅野いにおっぽさがなかったからよかった。
原作とか漫画版はしらんけど、浅野いにおのスカしたキャラデザはどうも好きになれないから。
カメラワークによっては作画が大変になるところとか、物理演算的な無機物にCGをうまく使えば、アニメ制作のコストも下がるし視聴者も違和感を持たないからウィンウィンだね。
もともと、原作の一番最初のページに書かれている文字だけ見てオチがわかったとか豪語してるヤツがネットにいたんだけど、自分で文字を見てもそれがわからなくて悔しかったから読んでなかった。
今考えたらそんなことありえなくて、それは書き込んだ人間のただのハッタリ、自分を賢く見せようとする幼稚で見栄っ張りなプライドの現れでしかなかったけど、それを見抜くことができるほど自分も大人ではなかった。
なんつって。
西尾維新読んだあとに影響されるのと一緒で、作中のやりとりに影響されてこんな文章書いてしまいたくなる。
うーんしかし長台詞は、半現実とでも言えるアニメに持ってくると、不自然極まりないな・・・
大きな展開やアクションなどの派手なシーンがないから、記憶に残りにくい。
毎週見てたら先週の話を忘れてて見る気なくなってたと思う。
テンポも遅いし。
イッキ見で正解だった。
つーか劇場版にすればよかったのに。
あと印象的だったのは英語ネイティブのキャラ(真賀田四季の妹)がちゃんと英語で話してたところ。字幕つきで。
ジョジョで多国籍のメンバーがみんな日本語話してるのおかしくね?っていうはてな人力検索があったけど、このアニメはそういう現実に即したところはちゃんと気を遣ってるんだなと感じた。
これメフィスト賞第一作なのかー
クビキリサイクルでの天才をテーマにするところとか、孤島をテーマにしたところとか、サイコロジカルでの密室研究棟での殺人事件とか、最後のネタばらしの仕方とか、至るところにオマージュがあったんだな・・・
なんで今さらこんな古いのをと思ったけど。
確かにアニメより実写向きだわな。
犀川が考えこむとなんか内面世界みたいな描写になるけど、そこに何の意味もなかったのがいただけなかった。
本人も再三言っていた、その人物にしか見えない世界っていうのを表現したのかもしれないけど、あんなの見せられても結局何の意味もなかった。
変な鳥っぽいのやら黒い苦しんでるような人が地獄っぽいところにいるような描写やら。
アニメならではのトリップ表現といえば聞こえはいいけど、ぶっちゃけ見せ方は空振ってたと思う。
途中までは割とまともに推理してやるーって思ってたけど、これが出てきてから諦めた。
原作ではどういう表現になってて、それをなんでこういう表現にしたのかが非常に気になる。
密室に入る時点で真賀田四季は妊娠しており、密室内には二人存在していた。
そんで本当は殺害されていたのは真賀田四季の娘で、真賀田四季は逃げおおせる。
子どもがいるっていうネタバレは後から考えてみるとちょっとあんまりな気がするな・・・
追記
ネタバレ部分は移動させました
子供が通う幼稚園の生活発表会に行ってきた。園児がこの日のために一生懸命練習した歌や踊りを保護者に披露するのだ。ここの幼稚園は園児数が多く、市で一番大きなホールを借り切って行う。
自分の子供の出番はそれはそれは楽しいもので、涙さえこぼれそうになるほど感動的なのだが、他人の子の舞台は正直苦痛でしかない。
合計3時間の会で自分子供が出るのが姉妹合わせて30分ぐらい。残りの2時間半は、他人の子。ホント辛い。どうも感情的にフラットではなく、マイナス側に振れるようだ。去年もそうだった。
終わった後、知り合いのお母さんに、「○○ちゃん(うちの子)上手やったねー!」といわれても、こっちは相手の子がいつ出てたのかさえ知らないもんだから、あははは。と言うしかなくて、ちょっと気まずい思いをした。
人の親としてどうなのよ。と自分でも思うが、実際そうだから仕方がない。
いったいなぜなのか?ちょっと考えてみた。
まず、全く興味のないものを強制的に観せられるのは苦痛。というのは誰もが思う事だろう。
では、なぜ全く興味が無いのか。
切り分けたいのが、これが例えば大物演出家が園側にいて、エンターテイメントとして完成されたものであれば、それは誰が出ていても楽しいだろう。当然だ。
でも実際は知らない子供が歌ってるだけだ。お父さんお母さんに見せるため一生懸命練習したんだろう。でも他人の子というだけで全く響いてこない。自分はこんなに冷酷な人間だったのか?
そして、長い。ひとつの演目で長いものだと30分とかだ。こういう事はこの会の趣旨として違うとは思うし、求めてもいけないとも思うのだが、もう少しテンポよくやって欲しい。
ひとつ、ホールでやっているのも原因なのかもしれない。舞台と客席。上で書いたように観る側はつい自然と興味や楽しさを求めてしまうのではないか。
いったい誰の子なら楽しいと思えるのか。友人、兄弟、会社の人の子ならどうか。
わからない。
他の方はどうなんだろう。特に父親の方に聞いてみたい。