はてなキーワード: 1983年とは
https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1565264055769903104
「小山(狂)
@akihiro_koyama
ネットで北村紗衣氏を批判してる人たち、ほぼ全員北村氏より若いでしょ。僕は1988年生まれの33歳だし、確か白饅頭さんも同い年のはず。雁琳さんは1991年生まれの32歳。ちなみに北村紗衣氏は1983年生まれの39歳。」
マジかよ、こいつらまだ30代前半!?それであんな前時代の遺物としか思えない女性観なの…?
意外なほどに若くてカルチャーショックなんだが。
「殺人罪の法定刑は、懲役5年から無期、死刑までと幅広く規定されています。ただ、裁判官は、その範囲内であればどの刑を選択してもよいわけではなく、他の同種の事件の量刑と平等になるようにしなければなりません。
特に死刑は、犯人の命を奪う極限的な刑罰です。究極の刑罰である以上、裁く者によってばらつきがあってよいはずがなく、その基準は確固たるものでなければなりません。そのため1983年に最高裁が、いわゆる『永山基準』と言われるものを定立して以来、それが死刑判決を下せるかどうかの基準となりました」
(1)犯行の性質(2)動機(3)態様(ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性)(4)結果の重大性(ことに殺害された被害者の数)(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状
これらを考慮した上で、刑事責任が極めて重大で、かつ犯罪予防などの観点からも、極刑がやむを得ないと考えられる場合には、『死刑の選択も許される』との判断が示されています」
https://anond.hatelabo.jp/20220701203714
↑を見て日本のマンガ史の重厚さと幅広さを実感し、媒体レベルでまとめるのは無理だと悟った
せめて出版社、掲載誌レベルじゃないと議論がとっ散らかりすぎるから一旦みんな好きそうなWJで作ってみた(ジャンプ専業とそうでない人の比較においてアンフェアな気がしたので作者単位ではなく作品単位にした)
選考基準は独断と偏見でしかなく、強いて言えば後世の作家への影響、言語化できないジャンプっぽさを重視している。ランキングではなく、連載開始順に並べただけです
黎明期レジェンド枠。現代の観点で言えばいろいろと問題ありそうだけど、サービスエロがジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実は否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。
黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品なのでは?という印象。これが無かったら東リべも存在しないよ多分。
ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般を積極的に題材として取り入れたことで現代日本の風俗、文化を凝縮したような史料的価値を持つ作品になった点を評価したい。
黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽な能力バトル」というジャンルを確立させた点を評価したい。(このジャンルのパイオニアはアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品という認識。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しとか一般社会への影響力もすごい。
あと個性豊かなキャラクターの関係性が面白い。「友情・努力・勝利」の「友情」はほとんどキン肉マンで作り上げられたイメージなんじゃないかな。
勝利や友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えるのみならず、サッカーという競技本来のリアルな楽しさにフォーカスすることで、現実社会でもサッカーブームを巻き起こした。マンガ史全体としてはドカベンがそういうジャンルのパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も評価したい。
80年代のジャンプの象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチやハードボイルドな男向けの作風の最高到達点だと思う。
90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ、日本のマンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。
国民的作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代の異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。
スポーツマンガの金字塔としてやはり外せない。勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まっている。マンガの域を超えて心に響く名言が多いのも特徴だと思う。
特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代の代表として入れておきたい。
ここに入れるのはだいぶ攻めてるような気もするが、集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例ではあるのでね。お金は正義。
ラブコメ枠から選ぶならこれかな。ジャンプの主たる読者層である10代の甘酸っぱい青春がこれ以上なく伝わってくる作品。肉感的なエロさを持った絵は典型的な少年マンガっぽくありつつ、キャラクターの内面を繊細に描き出す表現力が見事。
大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。でもなんだかんだ国民的マンガ、ジャンプの看板の地位は譲ってないのがすごい。
残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有な作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたらなんだかんだ冨樫の右に出るものはいない。
純粋なギャグ枠から一作入れたかった。読者をただ笑わせるパワーにおいて、この作品を超えるものはジャンプ史上ないと思う。
サスペンスを主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品って大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになると思うんだけど、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品な気がする。
趣味の多様化、出版不況といった逆風を跳ね返せる力がマンガにはまだあると示してくれた功績がデカい。それは単行本の売り上げや映画の興行収入より何倍も価値がある。
今のジャンプ、ジャンプ+がどんどんジャンルレス化している主たる要因はやはり藤本タツキだなーと思う。コンセプチュアルでありながら大衆性、少年ウケを奥底に秘めた感じというか。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツキフォロワーが無限に産まれそうな予感がするので入れておく。
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
“本日のTop Newsです。R星によるU星への侵攻は激しさを増し、死者数は20億人、負傷者数は100億人にまでなりました。”
「本当にそうね。。ささいなことでもしたいからレイチューブに寄付でもしてみない?」
「そうだね。今までしたことなかったけどしようか。初めてだし、再生回数少ないのが良いな」
「そう、それならこの霊はどう?」
『1983年、ユウスケ、総再生回数0、自虐ネタで笑いをとっていたがスベリにスベった人生』
「うーん、この霊はフォローが難しそうだね。やはり再生回数が多い霊が良いかもね」
「それならこの霊はどう?」
『1929年、Annelies Marie Frank、総再生回数約40兆、『アンネの日記』の著者であり戦争によって悲劇的な生涯』
「うん、この霊にしよう。ただこれから生活も厳しくなるし、寄付は800億円でも良いかな。。」
『再生してくれて本当にありがとう!貴方に頂いた寄付は私と同じように亡くなっていった人々や悲劇的な死を遂げた数々の魂を再生していくために大切に扱っていくね。』
3022年への空想
誰向けでもない
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1990年代前半を舞台にした漫画『血の轍』では、主人公の母親がツナマヨおにぎりを朝食に出すシーンが度々ある。
自分はこの漫画の主人公より一回り年下なんだけど、家でツナマヨおにぎりを出された記憶がない。長い間ツナマヨおにぎりは店で買うものなイメージだった。
ふとツナマヨおにぎりはいつから市民権を得たのだろうと気になって調べてみたら、1983年のセブンイレブンでの発売が初とのことだった。
コンビニの新製品が一般家庭の味として降りてくるのはもう少し後だろうから、血の轍の主人公の母親がツナマヨを作った1990年代前半がやはりツナマヨが浸透した時期と重なるかも知れない。
初出はニュータイプのほうが新人類より先。しかもその時の「新人類」のルビは「ニュータイプ」
「新人類」を最初に「新しいタイプの若者」の意味で使ったのは、確認できる範囲では『月刊ACROSS』1983年6月号(パルコ出版)の特集記事「今、新人類(ニュータイプ)たちが時代を先導する」です。この記事を企画・執筆した同誌の元編集者に直接聞いたところ、「新人類」と名づけたのはその本人で、参考としたのはSF作品や『機動戦士ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」だったそうです。「新人類」に「ニュータイプ」とルビが打ってあったのもそのためです。そして、この記事で「新人類」の代表的存在として記事の冒頭で取り上げられていたのは、当時14歳の女流棋士として注目されていた林葉直子さんでした。
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20160331-00056069
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ishikawataiga/status/1478664032702054402
ちょっと調べただけで、
って情報がすぐ出てくるのになぜそうしようとしないのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c0363c38ce03c2937d3d0e75e8dc901195b684a
今年2月下旬、品川で起きたクラスターでコロナに感染して以降、体調不良が続くなか、ジャヤンタさんはこの10月、職員による制圧でケガを負った。その後、ようやく仮放免が認められたものの、わずか2週間で再収容された。
今年2月下旬、品川で起きたクラスターでコロナを発症したジャヤンタさん。2カ月で体重が13キロ減少した彼は、その後も体調不良が続き、7月には2度目のコロナを発症した。
8月以降、脚の痺れから歩行が難しくなり、車椅子を利用するようになり、食事を摂っても吐いてしまうため、弁護士や支援者との面会にも、バケツを持参するようになっている。
「一緒の部屋には、熱がある、咳をしている、血圧が上がっているなど、コロナの症状が見られる人がいました。私も熱や喉の痛みがあり、普通の食事を出されても食べられないので、具合が悪いからおかゆにしてもらいたいと頼みましたが、そのときに出されたのはお湯をかけただけで煮てもいない、塩も振っていないごはんでした」
ジャヤンタさんが再収容されたと聞いた石川議員は、11月29日に品川に足を運んでいる。
「車椅子で現れたジャヤンタさんは面会中も、時折バケツに嘔吐していて、再収容によって体調が悪化していることは明らかでした。外にいる間は温野菜やフルーツ、うどんなど、胃に負担の少ない食事をし、リハビリもおこない、少しずつ回復していたけれど、この日の昼食は冷めたハンバーグとあじフライだったそうです。
今の彼はこういうものは食べられないし、食べても吐いてしまう。まずは体力を回復させるべき人を食べられない状態のまま収容し続けている。入管がやっていることは拷問に近いと思います」
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20211129-00270226
今回、筆者の取材に応じたのは、スリランカ人男性のジャヤンタ・マルダケ・スガット・クマラさん(47歳)。2000年に来日し、日本で結婚したが、その後、離婚したために在留資格を失ってしまった。また、母国スリランカ内戦では現在の政府と応戦していた勢力に属していたため、帰国すれば迫害される恐れがあるとして、難民認定申請を行ったが、昨年3月に東京入管の収容施設に収容されてしまった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kanaedoi/20201013-00202884
1983年から26年間続いたスリランカ内戦は2009年、政府軍が「タミルイーラムの解放の虎(LTTE)」を武力制圧させて終結しました。その際、スリランカ国軍は反政府勢力LTTEの戦闘員だとして人びとを次々に拘束して連れ去りました。そうして連れ去られた夫や兄、弟、息子は音信不通となり、多くは二度と戻ってきていません。当時の大統領は、マヒンダ・ラジャパクサ大統領。そしてその弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が国防次官。この兄弟が率いていた当時のスリランカ政府は、国軍が関与した失踪を認めず、失踪者の行方や消息を明らかにすることも拒んだのです。失踪者家族は、恐怖と暗闇の中にいました。
実は2020年現在、希望があった時代は過去のものになってしまいました。失踪者家族はまた絶望の淵に追い込まれているのです。2019年11月、弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が大統領に選出され、兄マヒンダ氏を首相に指名し、再びラジャパクサ兄弟政権が誕生したことがきっかけでした。
第二次ラジャパクサ政権は、前シリセナ政権の国連人権理事会での約束をさっそく破棄。さらに戦争犯罪の疑いがかかる将校たちを出世させ、内戦の中でも特に悲惨な残虐事に対して行われていた国内調査を中断したり、スリランカで有罪を宣告された数少ない国軍兵士の1人(子どもを含む民間人8人を殺害した罪)に恩赦を与えたりしました。
それだけではありません。社会は再び分断されつつあります。現ラジャパクサ政権は、人口の4分の1を占めるタミル人とムスリムへの敵意をむき出しにしています。そして、ジャーナリストや人権活動家、弁護士はもちろん、私が会った失踪者家族さえもが、監視や脅迫を受けるようになりました。第一次ラジャパクサ政権に蔓延していた恐怖の空気が戻ってきてしまったのです。
内戦終盤から内戦終結後も、第一次ラジャパクサ政権は全土で強権的弾圧を続けました。首都コロンボでも、政権に批判的だった著名なジャーナリストたちが路上で暗殺されたり、拉致されて今も行方不明のままになっている事件が起きています。スリランカではかつては表現や結社、集会の自由がおおむね認められていました。しかし第一次ラジャパクサ政権下では、恐怖が社会を支配していました。
ラジャパクサ兄弟が2019年末に政権復帰を果たした結果、スリランカの私の友人たちは、弾圧を避けるために、あらゆることをしなければならなかった時代に戻ってしまったといいます。
ペットボトル入りの飲み物は、俺が学生だった80年代後半にはあったぞ。ペットボトルという言葉を知らずに買って帰って学生寮で飲んでたら、誰かがそれをペットボトルと呼んで話しかけて来たので初めてその言葉を知った。
デュポン社のペットボトルは1974年にペプシコーラの飲料容器に採用され、世界初のペットボトルの応用例となった[2]。
日本では当初は食品衛生法にPET樹脂の記載がなかったため清涼飲料用には使用できなかった[2]。1977年にキッコーマンと吉野工業所がしょうゆの容器を開発し、その後1982年に飲料用に使用することが認められ、同年より日本コカ・コーラ(1983年から全国展開)、1985年からはキリンビバレッジ(当時麒麟麦酒)が1.5リットルペットボトル入り飲料を発売。以来、多くのメーカーで使われるようになり、それまでガラス瓶入りが主流であった1リットル以上の大型清涼飲料の容器はペットボトルに取って代わられた。
ポケモンは初代とその次位しかやってないおっさんだが、4人が別々のチャートでわいわいしながら走るRTAは終始楽しめた。
・CUPHEAD
高難度アクションゲームとしても有名な本作
クソゲーと名高い本作。「上から来るぞ!気をつけろ!」や赤くない扉に対して「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ」のセリフが有名。
名言織り交ぜた実況で楽しめた上に本イベントで世界記録を達成した。
映画の演出のような技を使いながら戦うヒーローのアクションゲーム。カプコン製。
RTAゲーマーにゲーム時間の高速化や遅延を持たせてしまったら後は分かるね?とんでもないスピードでボスを瞬殺していく姿に感動する。
精密なプレイが要求されるはずなのに喋りながらやっていて恐ろしい。
クソゲーオブザイヤー受賞作として有名でめちゃくちゃなバグで有名なゲーム。通称ダメジャー。
ついでに正常なハズの挙動の野球すらメチャクチャだと教えてくれるとんでもゲーのRTA。
恋愛シミュレーションゲームとしてジャンルを作り上げたヒット作。
そんな恋愛ゲームだが、RTAの時短の為にとにかくヒロインを放置したり、イベントをスキップしたりとメチャクチャな生活を見せてくれて
とてもヒロイン攻略ができているように見えないが、その結末やいかに。
・DanceDanceRevolution SuperNOVA
非常に高難度のチャレンジをプレイするが、こんなの無理だろと思わされるゲーム側の嫌がらせっぷりに注目
・新・北海道4000km
全く知らないゲームだったが、1983年当時の北海道の交通手段を再現したというゲームで解説の方が北海道を紹介してくれることもあり
いくつかのパターンがあり、明確になっている方がやや少ない