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はてなキーワード: 絶版とは

2022-07-27

not for meは古い

これからdelete for me(私のために消す)、terminate for me(私のために抹消する)だ

嫌いなものはこっちが我慢するのではない、徹底的に攻撃して潰すのが必要

作品なら出版停止や絶版発禁や作者の断筆に追い込め

2022-07-25

結局Web3とやらは、なにを読めば判るんだ?

Web3ってなんか流行ってんなー、本読んでみようかなーと思ったのに、もう回収?

絶版本として高騰するんかな。

あとWeb2.0とか言ってたのに、Web3.0とは言わないんだな。

マイナーバージョンアップなどしないってことか?

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-06-07

anond:20220606161919

ロケットガール」「タイム・リープ あしたはきのう」「星の、バベル」(絶版スマヌ)

映像作品を入れて良いなら「恐竜惑星」を見るのだ

2022-05-15

anond:20220515151845

あれ面白いと思うけど、やらかし云々より打ち切り絶版の方がデカいと思った

華中華みたいな事情ならともかくなー

2022-05-08

違法アップロード漫画を読んでいるの…?

何が起こっているんだこれ。

差別を描いた漫画を公開したページのブクマページにリンクしていた。ホットエントリからは消えたので URL を削除)

絶版お蔵入りとはいえ、まだパブリックドメインではない漫画違法アップロードであっているのだろうか。

読む側は違法ではないが、読む人がいるか違法他人権利侵害する人がいる。だから読まないのが当然だと思っていた。

まして読んだことを公言している人がこんなにいるなんて。

閲覧していないから、状況を勘違いしているのだろうか。

でなければ、権利とか自由とかを主張したり、遵法精神が欠如した行いを批判したりしていたのは何だったんだ…全員の過去ブコメ確認したわけでは無いが、こんなに無批判に行われる行為なのだろうか。

海外サーバのようだが、日本では国会図書館で閲覧できるらしいのに。

自分おかしいのだろうか。まだ信じられない。

追記 2022-05-08 20:45)

ホットエントリからは消えているようだ。

素直な気持ちだったのだが、あまり稚拙でむやみに強いので信じられないは撤回

読むこと、読んだと公言することではなく、あまりに無批判な(例えば咎めコメントが人気コメントに無い)ことに驚いたのだが、それをうまく書けなかった。

コメントを消した方がいるようで申し訳ない。何かを感じたことを記述し公開した意義はきっとあったのだろうにとも思う。

2022-05-04

anond:20220504170935

絶版になってると二度と手に入らないよ

2022-04-28

日経たわわ広告問題視する人・しない人の特徴と、その考察と、いろいろ。

 特徴

問題視する人:


問題視しない人:


これは、SYNODOSに掲載された田中辰雄氏の記事( https://synodos.jp/opinion/society/27932/ )

の図4と図5から抽出したもの。それぞれの特徴が意見にどれくらい影響するかは、記事に当たってほしい。

なお、#をつけた項目は統計的有意ではない数字によるものだけど、参考までに載っけとく。

ここでいう自由正義かというのはちょっと説明必要で、

放送禁止用語ポリコレ言論表現活動を萎縮させている」「差別発言ヘイトスピーチ天皇侮辱表現規制禁止すべきではない」「反日的発言下劣発言社会的に許容されるべきだ」「言論には言論のみで対抗すべきだ」などの意見賛同するかどうかをいう。

言い換えると、言論表現に法的規制はもちろん自主規制もすべきでないし、社会的配慮不要と考えるか、十分な理由(社会正義)があるなら一定規制配慮はやむなしと考えるか、かな。

調査を行った田中自身は、

広告問題視する人が多いのは、既婚者、クリエイター痴漢厳罰を求める人、フェミニズム賛同である

とのみ記述しており、問題視しない人については記載なし。


 考察(仮説と将来予想)
増田

男性は[女子高生表象を「性的アイコン」と捉えがちで、]「萌え絵」=[男性目線のいやらしさを含んだ]漫画アニメ調の絵に慣れているため、「萌え絵広告にも違和感が薄く、容認である。年齢が上がっても意見はそれほど変わらない。

女性は[女子高生表象を「子供時代のかつての自分」と捉えがちで、][一般的漫画アニメには男性と同様に触れていても、]「萌え絵」に触れる機会が少ないためか、「萌え絵広告には違和感を抱き、批判的になる。また、年齢が上がり、女子高生との年齢差が大きくなるほど[高校生子供に見え、]批判的になる傾向がある。

  ※[ ]の中は、仮説のための補助線的な仮説。

時間の経過とともに容認する人が増えるかはなんとも言えない。

男性目線のいやらしさを含む「萌え絵」が今後、より一般的になる(=日常風景に溢れ、女性向けの作品にも女体の強調表現が増える)場合は、男女とも慣れ、現在よりは容認的になる。ただし、クリエイター層は「萌え絵広告批判的な傾向があるため、日常風景創作作品に「萌え絵」が広がるかは消費者需要による。

また、現在の若年層女性が将来年齢を重ねると、未成年を描いた「萌え絵」に批判的になる可能性がある。

田中氏版

若年層は漫画アニメ調の絵に慣れているため萌え絵広告容認である時間の経過とともに容認する人がしだいに増えていく。


考察に違いが出る背景

田中氏は調査生データを持っている。記事には記載されていない判断材料があるのかも。増田生データを持ってない。SYNODOSで調査結果の記事を読んだだけ。

田中氏は男性データ考察使用せず、全体のデータ女性のみのデータから結論を出している。増田は反応に男女差が大きい理由が気になったので、男性データ比較しながら考察した。

考察の流れについては

https://anond.hatelabo.jp/20220426233859

https://anond.hatelabo.jp/20220427230024

に書いた。散漫な文章申し訳ないけど。

あとこれもついでに

https://anond.hatelabo.jp/20220428000622


で、何が言いたいの?

藁人形叩きはあまりうまくないってことと、社会調査は便利で楽しいよってこと。

自分意見が異なる人の像はよく見えないので、ステレオタイプ投影してしまい、反論はしばしば藁人形叩きになってしまう。

たわわ広告問題視しない人には、問題視する人が「オニババみたいな顔で若い女の子を苛めている性嫌悪クレーマーバサフェミ」に見えているかもしれない。

問題視する人には、問題視しない人が「女の子身体を舐め回すように視姦してるロリコン変態非モテオタク」に見えてるかもしれない。

でもそれが本当の姿とは限らない。

最初に挙げた特徴は、あくまでも統計的な傾向なので、個々の人を見ると外れてることも多いはずだ。殆どに当てはまっていても逆の意見だということだってあり得る。

ただ、様々な属性の人が問題視したりしなかったりしてることは分かると思う。

たわわ広告問題視してる人が、

漫画が好きじゃない未婚男性」「自分でも漫画イラストを描いている既婚女性」「漫画のことはよくわからないが、年頃の娘のいる既婚男性」のどれなのか、

問題視しない人が

漫画が大好きでよく読む若い女性」「漫画のことはよく分からないけど、アイちゃんと同世代の娘がいる女性」「漫画が好きだし、自由を重んじたいと考える男性」のどれなのかなんて、透視できないよね。

ステレオタイプ藁人形攻撃したって、反論したい実際の相手に届く訳がない。

社会調査統計は、ステレオタイプを壊す助けになる。何より、あーでもこーでもと考えるのはとても楽しい

田中氏の調査結果について、より妥当解釈をされた方は、ぜひシェアしてほしい。

意見の男女差の詳細を見てみよう

田中氏の記事の図2(全体。n=3154)・図3(女性のみ。n=1585)では、単に問題視するか否かではなく、たわわ広告を見てどういう意見を持ったかを少し細かく聞いている。

男性のみ(n=1569)の割合グラフ記事内になくて不便なのだが、その他の数字から逆算して、以前の増田簡単な表にしたので、再掲する。

ちなみに計算電卓と紙でやったので、どなたか検算してくれるとありがたいです。

意見そう思う(女) 思わない(女)そう思う(男)思わない(男)そう思う(全体)思わない(全体)
1.男性目線のいやらしさを感じる 45.6%43.9%22.5%68.2%34.1%56.0%
2.新聞広告としては不適切34.8%50.5%14.7%71.8%24.8%61.1%
3.女子高生性的に扱っており問題32.1%54.8% 13.8%74.7%23.0%64.7%
4.はっきり言って不快23.5%64.8%5.8%83.1%14.7%73.9%
5.性的な要素はあるとしても問題ない範囲52.1%36.7%64.2%25.8%58.1%31.3%
6.女の子が可愛くて素敵50.4%38.1%64.7%24.8%57.5%31.5%
7.全体として表現自由範囲46.8%41.4%63.5%27.9%55.1%34.7%


問題視する・しないは様々な要因、論点で決定されている。

のそれぞれに、価値観漫画アニメ調の絵に対するリテラシーが反映されることで、

問題ない」派の中には

「どこが性的なの?こんなん全然エロくないじゃん。露出も少ないし」

「やらしいおっぱい女子高生最高だなもっとやれ」

性的不快だが、未成年性的表現であれ、表現自由観点から広告規制はすべきでない」

かわいいお人形さんの絵ね😊」

という人たちが共存し、

問題ある」派の中にも、

エロカワで好きな絵柄だけど、この子制服着て通学カバン持ってるし、中高生でしょ?子供じゃん。子供エロカワな広告を堂々と新聞が載せるなよ。しかも何のつもりだよ、このボタン

「いやらしい。大きな胸して、はしたない」

性的な絵はちょっと……いきなり人前では見たくないかな。朝、電車の中で見てびっくりしちゃった」

漫画などという低劣なもの日経新聞ともあろう大メディアが。ふざけとるのか」

という人たちが同居している。

繰り返しになるけど、藁人形叩きはうまくない。無駄悪感情応酬になるだけだ。

せっかく俗世のしがらみなく、様々な他者意見交換ができるネットにいるのだから藁人形だけじゃなくそれぞれの意見に目を向けてみないか

  ※漫画アニメ調の絵に対するリテラシー表現の読解力)と、男性から性的視線male gaze)を感じ取るセンサーのようなものは、一部重なるにしても異なるものだと思うけど、田中氏の問題意識から外れていたのか、それぞれの影響を今回の調査項目では測定できない。意見の男女差とクリエイターの傾向が考察材料にはなる。

増田スタンス

「で、お前は『どっち側』なんだよ?」と、敵か味方かが気になる人もいるかもしれない。『どっち側』かは、以下に書くことで自由判断してください。自分としては、別にナントカ陣営に属しているつもりはない。

日経たわわ広告について、



最後

改めて、これほど興味深い調査結果を無料で公開してくれた田中辰雄氏に感謝したい。

前2回の増田からリンクをしなかったが、

https://shin-fedor.hatenablog.com/entry/2022/04/24/220716

真摯な長文には感銘を受けた。増田という匿名スペースから言及になり、失礼。

追記2022/04/28 19:37

だいたいいつも投稿ボタンを押してから書きたいことを思いつくんだよな。

女子高生表象男性にとって「性的アイコン」とされがち、と書いたけど、小学生とは扱いが違うということ。

ランドセル背負って黄色帽子かぶった女の子の、洋服の胸の部分がぱつんつんではち切れそうな様子を高い画力とこだわりで たわわ)) に表現されたら、その漫画新聞で全面広告されたら、違和感いかな。

それは、小学生性的存在という意識一般的ではないからだと思う。昔、というか女子高生ブーム以前は、高校生もそうだった、と思う。

それが表象の力ってやつ。

マニア向け?としては、90年代身体はオトナ♡な女子小学生ソフトエロコメもあった記憶はある。石川さんという漫画家の「よいこ」。あれが日経の全面広告になったらビビる

現代なら題材的に、青年誌では難しいかもしれない。女子小学生表象が当時一般的性的アイコンだったからではなく、田中氏の表現だと「ジェンダー論の広がり」によって、「身体だけオトナ、頭脳と心はまだ子供の女子小学生が繰り広げるちょっとエッチコメディ漫画」、普通性的存在とは見なされない女子小学生性的に見ることのギャップギャグで済まない方向に、社会は動いたと思う。

  ※言うまでもないが、絶版しろとかそういう主張じゃない。「昔の漫画」として読まれるのでなく「今の漫画」として始めるリスク一般青年誌は取らないだろうということ。漫画は今でも入手可能だと思う。

追記2。2022/04/28 19:55

オタク」の変質はあるように思う。

黎明期オタクリテラシーが高く、創作批評評論ものしたもの記憶している。現代オタクは、リテラシーがさほど高くない消費者割合が高いのではないかと……。批評評論を難癖・攻撃と捉えてしまうようなタイプの。

てのを、月曜日のたわわのロゴへの言及と反応に感じた。

https://togetter.com/li/1878738

追記3。2022/04/29 0:11

興味深い話があり興奮してしまった。

https://anond.hatelabo.jp/20220428103925

既往研究では化学物質等の危険ものについて、子供の有無に関係なく30代から40代女性が他の属性よりも危ないと感じやすいという一般的傾向が確認されている

子供の有無に関係なく、というのがポイントで、その年齢になると、危ないものをより危ないと感じやすくなるのだ。

割と良く知られていることなので、なんであのアンケート調査者が既往研究について触れないのかは謎だ。

田中氏は計量経済学専門家からかも。統計調査仕事でも、分野が違うとな。

てか自分もいま知った。まあ少し齧っただけの素人だし…

その研究 Permalink | 記事への反応(4) | 19:01

2022-04-19

anond:20220418214932

ぷよ碁で勝てるようになったがみん碁や囲碁クエの初級で躓いたという人には、『ヒカル囲碁入門』がおすすめ。本読むのはダルいスマホ一本で完結させたいひとは、『ヒカル囲碁入門』の著者・石倉先生囲碁勉強アプリインストールしよう。

ヒカル囲碁入門レベルまで行ったら、絶版だけど『明解初級囲碁読本』がおすすめ解説図を見て石を並べなくても、文章読むだけで少し強くなれる。

2022-04-09

anond:20220409135948

絶版本は高いからそっちの意味でも無理

ちなみに小6に青空よませる端末もたす親も無理

2022-04-03

anond:20220403210711

ご指摘ありがとうございます。目の覚めるような思いです。

提示した対偶について当てはまらない同性愛の方が存在しうることに気づいていましたが、問題提起をしたい欲が勝りました。

挙げていただいた書籍絶版のようですが取り寄せてみます

2022-03-21

俺がディープステート陰謀論にはまったきっかけは「至道流星」のラノベを読んだからだった

追記。言っておくが、あくまで私がハマったきっかけであって「至道流星」は何も悪くない。あとこの増田で書いてるのは羽月莉音の帝国じゃない。電撃SSガールっていう作品だ(絶版。のちに「世界征服」っていう名前再販されてる)。もちろん羽月莉音も大好きだぞ。


おれはしょうきにもどった!

ってなわけで俺がDSを信じていたころの話をしたい。

俺は数年前までディープステート陰謀論をなんとなく信じてた。

今更ながら思い返すと、きっかけはなんかのブログ(「スゴ本」かまなめはうすのどっちかだったはず)で知った「至道流星」のラノベを読んだからだった。元々「ダビンチコード」の影響でイルミナティみたいな言葉に興味を持っていたという素地があったがきっかけは間違いなくこのラノベだ。

ストーリーは一人のJKが、己の頭脳だけを使って世界の富をかき集めて成り上がっていくというもの

ただの高校生大人たちをビジネス鎧袖一触にしていく様といい、主人公戦闘力である資産額がドラゴンボールもびっくりな勢いでインフレしていく様といい、テンポが早くてハチャメチャに面白かった。なろう作品好きな人絶対に読むべき。なろうの俺ツエエ作品を極めたような作品から。(後から知ったけど、これは陰謀論ネタとして大真面目に取り扱った作品だったらしい。まじめすぎて信じちゃったZE!)

しかしそんな最強の彼女も、DS的な存在ロスチャイルドモデルだと思われる)には歯が立たず敗れてしまう。

彼女は再起を誓って一度野に下り、そのあと2で神殺しに挑む。

あらすじだけでも面白そうでしょ?

当時の俺には衝撃だった。立ち居振る舞いは優雅で穏やかでありながら、ラノベ主人公でも勝てないラスボスがいるとは!

しかもそれは現実存在モデルにしているというのだから鼻血モノですよ。


なので、ろくに本を読まない俺が興味を持ってロスチャイルドって単語を調べるとまぁわんさかDS陰謀論の本が出ていたので片っ端から読んだ。


で、これがまた面白いんだ。普通の人は、ロスチャイルド歴史といってもワーテルローの戦いナポレオンの負けに信用3階建て全力ベットしてぼろもうけしたくらいの話しか知らないと思う。あとは第二次世界大戦アメリカ資金調達で非常に重要な働きをした、当たりくらいかな。

ところが、陰謀論の本のなかでは彼らはもっと暗躍している。そして人々の目に見えないところで世界を操っているみたいな設定になっていた。血族一人一人の経歴からから調べ上げていかにこいつらが傑物であるかを語っていた。



これがねえ、また楽しかったよ。悪のように描かれているが、この人間たちは優秀であり、世界を滅ぼそうと考えているわけじゃない。むしろこいつらが世界を牛耳っていてくれるなら、我々は平和なのだみたいな描き方をしていた。そういう意味でも、難しいことを考えたくない俺には心地よかった。



今ならわかるが、そんな世界に都合のいい存在はいない。ロックフェラーロスチャイルドも確かに一時期は凄かったし今でも相応の勢力はあるが、今は別に世界を牛耳るほどの力はないのだ。イタリアにおけるメディチ家みたいなものだと思えばいい。一時期は本当に一部地域支配するくらいの力があったが、今はそこまでの力はない。没落こそしなかったものの新しく生まれマイクロソフトGoogleアップルにぬかれたのだ。そもそも、一人一人の人間が追跡出来て私生活まで公開されてる人間陰謀くそもない。


そのことに気づいたのはいつだったか。確か何かの動画で「大統領選挙の結果を覆したサメ襲撃事件」というのを見たのだ。その動画めっちゃ面白くてその人の動画を見るようになったのだが、その人がこれまた面白陰謀論否定動画コンテンツとしてやってた。

それまで陰謀論をわかりやす面白否定してくれる人が全然いなかった。陰謀論にハマっていたからこそこれらの動画がこれまた最高に楽しかった。自分の考えの間違いをズバズバ斬られていくのはく、悔しいけど気持ちいいビクビク!

その動画ではダビンチコードの話もあって自分陰謀論を信じる土台であった話も崩れてきた。そのあたりから、ようやく自分で疑うってことができるようになった。一度疑いだすと後はすぐだった。

ここまで読んでくれた人にはわかると思うけど俺はすっごい馬鹿なのね。バカだったからDS陰謀論を素直に信じてた。

でも不思議と後悔はしてないよ。俺はSNSでそういう陰謀論にハマってる人たちとかかわったことはなかったしただ自分面白いと信じていただけなので引き返しがついた。信じている間は、すごく楽しかったし、むしろ感謝していると言ってよい。数年間仮面ライダーとかプリキュアアニメみたいなフィクションにハマっていたようなもんだと考えるようにしてる。プリキュアとか仮面ライダーディープステートみたいな存在を描いて単純化してるしね。

まともな人間であればプリキュア仮面ライダーから卒業するように、俺も30すぎのころにDSから卒業できた。それだけだ。

2022-03-13

anond:20220313223432

大学先生とかが、 〇〇は名著です。手に入れられる機会があればぜひ。

と、絶版本を勧めると、熱心な学生研究者が買おうと殺到して値が上がる。

2022-03-04

5月から国会図書館ネット閲覧が可能になる

サービス概要

当館のデジタル資料のうち、絶版等の理由で入手が困難なものを、利用者自身の端末(スマートフォンタブレットパソコン)等を用いてインターネット経由で閲覧できるサービスです。国立国会図書館デジタルコレクション資料の本文画像を閲覧できますサービス開始当初は閲覧のみですが、令和5年1月を目途に印刷機能の提供を開始する予定です。

利用できる資料

国立国会図書館デジタルコレクション提供している資料のうち、絶版等の理由で入手が困難であることが確認された資料著作権者等の申出を受けて、3か月以内に入手困難な状態が解消する蓋然性が高いと当館が認めたものを除く。)が対象です。具体的には、「図書館送信資料」約153万点(令和4年1月時点)の範囲内の資料です。

とあるんだけど、これ娯楽として楽しめる範囲のものとか含まれそう?

図書館送信資料」に含まれ図書って>昭和43年までに受け入れた図書震災災害関係資料の一部 約56万点 なってるんだけど

たまにこれから絶版本が読み放題みたく言ってる人がいるんだけど1960年代までじゃないのかな

2022-02-19

anond:20220218162536

石原慎太郎に対してはいつもいつも上野先生が擦られるけど、上野先生マザコン少年の本が絶版に追い込まれたり、移民に関する発言謝罪に追い込まれたりと、決してキャンセルとは無縁ではないんだけどな。

フェミニズム的言説にポリティカルコレクトネスが力を貸せるのは、あくま弱者である女性を守り、強者である男性に対抗するときだけ。

草津松戸の件でも正直ギリギリだった。

勢い余って障碍者外国人性的マイノリティといった別の弱者言葉の刃を向けた日には、さすがのフェミニズムポリティカルコレクトネスに見放されるんだよ。

石原慎太郎上野先生、たぬかなのなかで唯一最後までキャンセルされずに済んだのは石原慎太郎

まり日本社会がそれだけ男尊女卑ってこと。

まさに東大入学式祝辞で擦られた通りの社会だよね。

2022-02-11

最近読んだBLと非BL

 数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生新刊(非BL)を買うために温存中。

 ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BL定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的ハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。

 まずは久しぶりにちゃんと「商業BL」の漫画から

極夜』(文善やよひ)

あらすじ

 世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。

 ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人ツクヨミ天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。

増田感想

 これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。

 特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。

 事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトル単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。

 文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品ちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。

 エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。

 しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品シーモア無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずはいられない。


『綿柎開(わたのはなしべひらく)』(長野まゆみ



概要

 16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代現代的な話だから幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。


増田感想

 普通に現代ものなのでビビった。登場人物ちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字字形にやたら拘るところはいもの長野先生だけれども。

 こんな短い文章ボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒風景描写が死んでいないとは。熟練プロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイトフジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。


ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。


『チマチマ記』(長野まゆみ




あらすじ

 猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当カガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。

 そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイコマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから一年間の記録。

増田感想

 だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。

 長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかい単語長野作品に登場するとは、その事自体萌え萌えしい。

 だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物カロリーが高くしか健康に悪いという現実ビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーことなんて! 普段現実離れした作風なのになんでそこだけリアルシビアなのか謎。極力カロリー塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブしか……。

 昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。

 難易度高過ぎロハス暮らし描写勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。

2022-01-26

anond:20220126180421

でも「読んだことがない絶版本の内容を想像してSFを書く企画だってSFファンに潰されましたし・・・

2021-12-27

出版社絶版本をネタにしたので怒るっていう感情がどうにも共感しづらい

理解はできるが

どうして絶版になったかって売れなかったからだし

どうして復刊しないかって売れそうにないからだし

あーでも、もしも遅筆の作家twitterで遊んでるツイートしてたら「はよ書け」と小言の一つも言いたくなる感情と近いのか?

だとしても怒ったり実際に小言を言ったりはしないが

絶版本の復刊クラウドファンディングでもあったらいいのかもしれんけれど

著作権問題や、契約問題かいろいろあるのだろうから難しいのかもしれんな

2021-12-24

まだ使える物を売らずに捨てる人は流通の阻害と言う点で転売ヤーと同じ事をしている

自分フリマアプリメルカリヘビーユーザーである

レトロゲーム絶版本の収集趣味なのでゲームショップ本屋で手に入れられない、手に入れられても法外な価格で売られている品物を安く手に入れるのに活用し主に買う側として月に娯楽に使える金額の半分以上の万単位の金をメルカリでの買い物に注ぎ込んでいる。

ツイッター等のネットでは転売ヤーや一部のマナーの悪いユーザーけが悪意を持って切り取られているが実際には善意利用者が圧倒的に多く最低価格の300円や相場より安い金額で品物を譲ってくれる人が大勢いる。

そんな中ネットではメルカリを使わないと公言している人が大勢いる。

理由転売ヤー存在だ。

欲しいものを買う権利を不当に奪う転売ヤーが憎い気持ちも十分にわかる。

だがそれを理由メルカリを使わないのは品物を欲しい人の手に渡らないようにすると言う点で転売ヤーと同じだと思っている。

まだ使える物を捨てると言う行為は欲しがっている人のいる中古品流通を阻害する行為だ。

まして限りある資源であるレトロゲーム絶版本は一度捨てられたら二度と同じもの生産されることがなく取り返しがつかない。

そもそもメルカリが潰れたとして転売ヤーヤフオクや他のサイトに移るだけだ。

転売ヤー憎さにメルカリを叩くのは単なる八つ当たりだ。

名前が書いてあってもページが抜けていてもいい、お願いだから捨てないで欲しい。売って欲しい。

自分が血眼になって探し回っている物が捨てられているのを見たときどれほど辛く悲しい気分になるか考えて欲しい。

転売ヤーを憎むなら転売ヤーと同じことをしてはならない。

まだ使える物を粗末にする物に転売ヤーを叩く資格は無いのだ。

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