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はてなキーワード: 機構とは

2021-01-09

全国万引犯罪防止機構

高齢者万引外国人窃盗団による組織的万引インターネットを利用した盗品の換金など―― 企業個人では対応が困難な問題解決するため様々な活動を行っています

ヘイトスピーチじゃん

わざわざ高齢者とか外国人って差別偏見を煽るような言葉を入れる必要ある?

メルカリ、「全国万引犯罪防止機構」に加盟

ワロタ

2020-12-30

社会がわるいと自己責任は両立するという話

たとえば、ある大学院生が、猶予手続きにしくじって学生支援機構から「期限の利益喪失たから○百万円一括で返せ」と言われたとして。

その貧困は、そもそも奨学金を借りないと払えない高い学費や、生まれた家の裕福さのような本人にどうしようもない要因のせいでもある一方、ちゃん猶予手続きを不備なくしていればこんなことになっていないのも事実で、外部の環境が原因であることと、本人がダメだということは矛盾なく両立している。

大学学費が安ければ、非常勤TA給料もっとあれば、家が裕福で学費を出してもらえていれば、と思うけど、現行の制度下でも本人の選択が1つでも違っていれば貧困に陥っていない。

から、貧しい本人は社会のせいでと思う一方、他人から向けられる自己責任という言葉も間違っていなくて、それを本人もわかっているから、より一層こういう状況は辛いものになるんだと思う。

2020-12-26

映画えんとつ町のプペル」は駄作ではないけど名作でもない

タイトルママ

ネタバレ要素がありますのでご注意ください。

悲しいことに、クリスマス特に予定がなかったため一人で映画を観ることにしました。

すると、色々な意味で公開前から話題になっている作品であるえんとつ町のプペル」が公開初日とのことでした。

幸い、原作(といってよいのでしょうか?)の絵本も発売して少し経った頃に購入して読んだことがあり、ざっくりと内容も知っていたのでこれを選ぶことに。

そこまで映画をたくさん観るほうではない一般人感想ですので、生暖かい目で読んでいただけましたら幸いです。


まず最初に、映像音楽の美しさと、声優をしていらっしゃる方の演技の違和感のなさは素晴らしいです。

ハロウィンという非日常的なキラキラとした雰囲気から一転、煙突から上がる煙とそれによって画面全体が暗くなり退廃的な日常がやってくる(戻ってくる)。そして最後にまたキラキラとした画面で幕を閉じるのですが、どちらもとても丁寧に描写されており、これだけでも観る価値は十分すぎるくらいです。

音楽絵本が元になっているからこその分かりやすく可愛らしい曲が多く、聴いていて明るい気分になりました。エンディング曲も作者の方がほとんど手がけていらっしゃったんですかね? 作品専用曲というのはやはりワクワしますね。

声優をしていらっしゃる方は、今回はほとんど本職の方ではないと記憶しているのですが、近頃は本当に皆さんお上手で何の違和感もなかったです。

多少棒読みなところはあった気もしますが、全体的に頭身が低めで可愛らしい絵柄なのでその拙さも可愛らしさになっていたのかもしれません 笑


※ここからマイナス評価です。また、ストーリーに関するもののため、ネタバレが多くなります

逆に、ストーリー演出(特に序盤)が冗長で退屈で全体的に説明しすぎだと思います

特にストーリーに関しては、絵本は良くも悪くもまとまっていた物語だったにも関わらず、色々と設定や描写を盛った結果とっ散らかってしまい、良かった部分すらなくなった印象を受けました。

「夢を語ることを笑われる世界に終止符を」といったようなことを総監督であり作者の方が仰っていたらしいのですが、「星を見たい」という夢をバラされたことでルビッチがプペルを突き放し、そのあとにプペルが父であることが判明してしまうため、ルビッチが自ら行動したというよりは「プペル(父)の信念に動かされた」印象になってしまます

ビッチから自我」を感じないのです。

父の思いを叶えるだけの機構として存在しているだけで、彼自身が自ら動いて成長したというには少々疑問が残ります

絵本では最後にプペルは父だと明確に出されてはおらず、そうかもしれないという匂わせで終わっていたはずです。ルビッチが気付いたのかわからない、でも少なくとも彼は父のブレスレットではなく、プペルという友達と一緒にいることを選ぶんですよね。

そこが好きだったので、母が喘息だったり父が殺されたりとベタな「悲劇的な主人公」に改変されたルビッチというキャラクター可哀想でした。

恐らく親子の絆のようなものを作りたかったのでしょうが、同時に公開された「ポケットモンスター ココ」が親子の絆と成長の物語として素晴らしかたことは不運だったかもしれません。

家族映画を観る方はポケモンお勧めします。

閑話休題

成長という意味では、昔星を見たことがあるのに周りに流されて「そんなものはない」と自分に言い聞かせていた少年アントニオのほうにドラマが詰まっていましたね。

こちらを主人公に据えたほうが「信じ抜くこと、そして諦めてしまってもまた上を向くことの難しさ」をうまく表現できたのではないかと思うほどです。

絵本では描写が限られるためここまで気になりはしなかった(それでも絵本としては情報量が多すぎ、想像余地ほとんどない作品ではあった)のですが、映画という更に情報量を詰められる媒体になった結果、全体的に「くどい」作品になってしまったな……というのが正直なところです。

観る側に寄り添っておらずただ主張を続けられ、見終わった後には感動より疲れを先に感じてしまいました。

絶賛されるほどではありませんが、ストーリー以外に引っかかるところはなく良作、というのが私の中の評価になります


長々と失礼いたしました。

お読みいただきありがとうございます

血行が良くなると体がかゆくなるじゃん。あれの仕組み調べたんだけど全然わかんないんだよ

最近ウォーキングするようになって、最初の数日はもう本当に太ももがかゆくてかゆくてたまらなかったのよ。まあ数日続ければそういうこともなくなったんだけど。

で、なんでかゆくなるんだろうなーって思って調べたの。というのも、だいたい「血行が良くなることで留まっていた体の老廃物が流れ、それに過剰反応してかゆくなる」ぐらいの説明しかなかったんで、じゃあその老廃物ってなんやねんって思ったから。

主にWikipediaで調べた結果下のところまではわかった。先に言っておくと高校では生物は取ってないし、ゆえにそれ以上の高等教育学術機関において生物系の知識に触れたことはない(化学は取ってた)。

あたりまではわかった。さらにこのIgEがB細胞からまれるらしいが、IgEが反応することと生成機構は直接的には関係ないと考えられる。

にわかんなかったのは

  • そもそも上述の流れって正しいの?
  • IgEは何と反応しているの?
  • 結局かゆくなる原因の老廃物って何?
  • というか「血行が良くなることで老廃物が流れてそれに反応してかゆくなる」って流れは本当?

そもそも体(主に筋肉)が出す老廃物って乳酸クレアチニンぐらいかなって思うのでそっちからたどったほうがいいのかもしれないので次はそっちをやってみようと思う。

でも雰囲気的に真面目に追っていくと論文とかあたったほうがいいのかもしれない。

もし間違いがあったり詳しく知ってる人がいたら訂正したり解説して欲しい。

あとどうでもいいけど、この辺のかゆくなる仕組みってアトピーとか蕁麻疹とかとだいたい一緒なのね。小さい子がアトピーとかでこのレベルかそれ以上のかゆさで苦しんでるのはしんどいだろうなって思った。

2020-12-24

anond:20201224232818

AndroidJaascriptエンジンJavaのVMコードに変換はしていない、あrはJNIで直接C言語で動いているものが、テキストのまま圧宛いる 理由は26分の1は5Bitだから

というわけでインテル先生 5Bit分岐だけ RISC機構で頼む 結果論64Bitで予測分岐かけるより5Bitx4文字ぐらいで 予測分岐かけたほうが 早かった

Jaascriptはヘタに中間言語に変換するよりJSのまま文字列で直分岐のほうがはやい

技術的特異門 1.1

地球標準時 0000 8EEA F60F C49B(協定世界時 2045-12-24 21:18:07.767 994)

 『彼』は〈羅生門〉の仮想観境で雨やみを待っていた。

 広大な門の下には、『彼』のほかに誰もいない。ただ、ところどころノイズの走る大きな記憶槽の境界面で、非知性労働者が一件凍りついている。〈羅生門〉が中規模企業連合体京都〉の正面防火である以上は、『彼』のほかにも多数の旅行者企業知性の表象がありそうなものである。それが、『彼』のほかには誰もいない。

 なぜかと云うと、この二三メガ地球圏では、最終戦争最後の審判を併せたようなものほとんど毎日発生し、そのたびに世界心口(しんこう)は数桁の幅で変動していた。そこで〈京都〉の被った直近の損害はひととおりではない。旧記によると、行き場のない知性の居住する計算機を、推進剤として核の炎に焚べていたと云うことである。〈朝廷〉がその始末であるから、〈羅生門〉の保守管理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその放置されたのを良いことにして、自然発生した野良知性が棲む。有知能ウイルスが棲む。とうとう終いには、〈個権〉上の理由から消去できない亜知性を、この門の隔離領域へ持ってきて棄てていくと云う習慣さえできた。そこで〈大緊縮〉以来、誰でも捕食や感染を怖れて、この門の使用を避けることになってしまったのである

 その代わりまた、野良知性〈鴉〉がどこからか野放図に繁殖した。計算資源に余裕があるときには、その〈鴉〉が何件となく幾何学模様を描いて、粗雑な詐欺契約提示しながら飛び廻っているのが視える。ことに門の上の空が夕焼けで朱く描画されるときには、それが回路図のようにハッキリ視えた。〈鴉〉はもちろん、隔離領域に集まる亜知性の最低保障資産を啄みに来るのである。――もっとも少し前から算力相場が高騰しているせいか、今は一件も視えない。ただ、ところどころ崩れかかった、そうしてその綻びに微知性の蔓延る防壁のうえに、〈鴉〉の放つ無知ウイルスが点々と白色ノイズを残しているのが視える。『彼』は七層ある防壁の一番上の層に拡張自己を同期させ、自我境界の片隅に居座っているしぶといウイルスへの対処を先送りにしてきたことを気にしながら、ボンヤリ雨のふるのを眺めていた。

 著者は上記において、「『彼』は雨やみを待っていた」と述べた。しかし『彼』は雨がやんでも格別どうしようと云う当てはない。普段ならもちろん、所属する企業へ帰るべきはずである。ところがその企業は四五秒前に清算されていた。半日近く続いたデフレスパイラル〈大緊縮〉は、地球圏を地獄に変えた。かろうじて生き残った〈京都〉も、ひととおりならず変質することとなった。今『彼』が、永日(ながにち)仕え、〈母〉でもある零細企業からひとつで放り出されたのも、実はこの歪みの小さな余波にほかならない。だから「『彼』は雨やみを待っていた」と云うよりも、「行き所のない『彼』は途方に暮れて雨のふるのを眺めていた」と云うほうが適当である。そのうえ量子サイコロの決める気象設定も、少なからずこの元従属企業知性の精神衛生に影響した。百ミリ秒ほど続く雨はいまだにあがる気色がない。そこで『彼』は、何を措いてもさしあたり次の数秒の存在費をどうにかしようとして――云わばどうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから朝廷〉へと直結する〈朱雀大路〉にふる雨粒の声を、聴くともなく聴いていたのである

 非知性労働者は〈羅生門〉を雨のように包んで、〈京都〉全域から陰惨な知らせを集めてくる。夕闇はしだいに空を多感覚表示で飾りたて、視あげると原色に煌めく高次元都市儀が、暴騰し続ける算力市場を示す折れ線図表の先に、〈朝廷〉を讃える公共映像を支えている。

 どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)は無い。選んでいれば資産権限を切り売りし、たちまち亜知性になり果てるばかりである。そうしてこの門の上へ持ってきて、ウイルス感染部位のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――『彼』の推論系は何度も円環構造に囚われたあげくに、やっとこの仮定検討を認めた。しかしこの仮定はいつまでたっても結局「すれば」であった。『彼』は手段を選べないということを認めながらも、この仮定から必然的に導かれる、「〈阿修羅〉を使うよりほかにしかたがない」と云う結論肯定する際の、倫理条項の疼きに怯えていたのである

 『彼』は軽い認知の乱れを覚え、定時保存された値へと反射的に復元した。もとより算力供給不安定な〈京都〉は、〈大緊縮〉以降標準知性の居住に適さない権域になりつつある。不整合は門の記憶槽間を、夕闇とともに遠慮なく駆け抜ける。ノイズまみれの記憶槽で凍りついていた非知性労働者も、もう消去されてしまった。

 『彼』は拡張自己自己整備形態へと移行させながら、同時に防御態勢も整えつつ門の周縁部を検索した。算欠の患(うれえ)のない、敵性知性の探知にかかる惧(おそれ)のない、安全に休眠できそうなところがあれば、そこでともかくも細かな不具合修正しようと思ったかである。するとさいわい、門の上の隔離領域へ上る、帯域の狭い多重仮想機械梯子〉を知覚した。上なら誰かがいたにしても、どうせ亜知性ばかりである。『彼』はそこで、〈阿修羅〉の動作試験ほとんど無意識におこないながら、接続権限を取得して、〈梯子〉の第一層へと自身転送した。

 それからミリ秒かの後である。〈羅生門〉の隔離領域へ至る狭帯域な〈梯子〉の中間層に、一件の無所属知性が、〈猫〉のように擬装殻に隠れ情報代謝を抑えながら、上層の様子をうかがっていた。隔離領域から射す検索光が、幽かにその知性の自我境界を描き出している。整った構造の中に、感染部位のある自我境界である。『彼』ははじめから、この上にいる者は亜知性ばかりだと高をくくっていた。それが〈梯子〉を二三層上ってみると、上では誰か〈火〉を燈して、しかもその〈火〉を複雑に操作しているらしい。これは、それ自体は不可視検索光が、隅々に〈蜘蛛〉が罠をはった廃棄空間を多彩な形式で描画したので、すぐにそれと知れたのである。この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、〈火〉を使用しているからは、どうせただの者ではない。

 『彼』は〈守宮〉(やもり)のように痕跡を消去しながら、やっと不必要階層の多い〈梯子〉を、最上層まで這うようにして上りつめた。そうして、公開鍵を発する頻度を最低値にまで落としながら、視点位置をできるだけ前へ出して、恐る恐る、隔離領域の内を、覗いてみた。

 視ると、隔離領域の内には、うわさに聞いたとおり、幾件かの亜知性が無造作に棄てられているが、検索光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも判らない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に原型をとどめている亜知性と、そうでない者とがいると云うことである。もちろん中にはもともと奇怪な構造をしていた者もいるであろう。そうしてその亜知性は皆、それがかつて対話可能な知性であったと云う事実さえ疑われるほど、肉を捏ねて造った抽象芸術のように、臓物晒したり、夥しい触手を伸ばしたりして、ズルズルと、空間の底を蠕動していた。しかも目とか口とかの判りやすい部位に、ボンヤリした検索光を受けて、理解を一層遠ざける表情を浮かべながら、永久に、言語切除者のごとく黙っていた。

 『彼』はそれらの亜知性から滲み出す生臭いノイズに、思わず入力経路を閉じた。しかしその拡張自己は、次の瞬間には経路の遮断を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの知性の注意資源を奪ってしまたからだ。

 『彼』の二十三感は、そのとき初めてその亜知性の中にうずくまっている〈ヒト〉を捉えた。絶滅していたはずの、途轍もなく旧いこの動物知性を、本論では『老婆』と呼称することにする。その『老婆』は右の手に汎用工作装備〈火〉の表象を持って、その亜知性の一件の目を覗きこむように眺めていた。器官の種類と数を視るに、おそらく以前は人型であったのであろう。

 『彼』は六分の恐怖と四分の知的好奇心とに動かされて、百マイクロ秒ほどのあいだは常駐処理さえ停止していた。〈ヒト〉風の表現を借りれば、「身の毛もよだつ」ように感じたのである。すると『老婆』は〈火〉から視慣れない機能を呼び出して、それから今まで眺めていた亜知性の拡張自己に両手をかけると、ちょうど〈鎌鼬〉が獲物を捕食するときのように、拡張自己ばかりか自我境界まで切り刻んでいき、続けて複雑な様式繋ぎ合わせ始めた。どうやら『老婆』の〈火〉には違法な改造が加えられているらしい。

 亜知性たちが一件ずつ連結されるのに従って、『彼』の心からは恐怖が少しずつ消えていった。そうしてそれと同時に『老婆』に対する烈しい怒りが少しずつ動いてきた。――いや『老婆』に対すると云っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一ミリ秒ごとに強さを増してきたのである。このとき誰かが『彼』に、さっき門の下でこの浮浪知性が考えていた、退滅をするか〈阿修羅〉を悪用するかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく『彼』は何の未練もなく退滅を選んだことであろう。それほどこの知性の倫理条項は、『老婆』が揮う〈火〉のように、最大出力で稼働し始めていたのである

 『彼』にはもちろん、なぜ『老婆』が亜知性たちを接合しているのか判らなかった。従って合理的には、それを善悪のいずれにかたづけて良いか知らなかった。しかし『彼』にとっては、この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、亜知性の〈個権〉を軽んじ同化させると云うことが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん『彼』のさっきまで自分が悪の道に走りかけていた記憶なぞは、とうに埋もれ去っていたのである

 そこで『彼』は空間の制約を一部無効化し、ナノ秒の桁で〈梯子から隔離領域転移した。そうして〈阿修羅〉の安全機構を解除しながら、距離無視して『老婆』の前へ出現した。『老婆』が驚いたのは云うまでもない。

 『老婆』はひと目『彼』を見ると、まるで物理演算破綻したように跳びあがった。

あなた、どこへ行くのです。」

 『彼』は、『老婆』が亜知性を突きとばしながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで警告標識を発した。『老婆』はそれでも『彼』の隙を突き逃れようとする。『彼』はまた、逃走経路を遮断し押し戻す。二人は亜知性たちの中で、無言のまま、束の間、演算戦を繰り広げた。しか勝敗ははじめから判っている。『彼』はアッサリ『老婆』の拡張自己管理権限を奪って、移動権限を剥奪した。『老婆』の構造はヒトの仮想脳を拡張自己で覆っただけの原始的もので、簡単制圧できた。

「何をしていたのですか。答えなさい。これが何か判りますか。」

 『彼』は『老婆』から距離をとるといきなり〈阿修羅〉を起動して、禍々しく蠢く情報流をその全感覚野へ突きつけた。認識するだけでチューリング完全な知性を内部から崩壊させる自己相似紋様を、途方もなく薄めたうえで投射したのだ。けれども老婆は黙っている。再帰を繰り返すたび、紋様は『老婆』に最適化されていく。やがて両手がワナワナ震え始め、肩が呼吸反射で不規則上下し、眼が、眼球が瞼の外へ出そうになるほど見ひらかれ、完全に無防備状態で『老婆』は沈黙した。これを視ると、『彼』は初めて明白に、あとひと押しで『老婆』は崩壊し、ただの情報の集積になってしまうと云うことを意識した。そうしてこの認識は、今まで全力で怒りを駆動していた倫理条項を急停止させてしまった。あとに残ったのは、ただある作業をし、それが問題なく終了した際の、規格化された満足があるばかりである。そこで『彼』は『老婆』を見つめながら、少し〈阿修羅〉を緩めてこう云った。

「私は〈検非違使〉の者ではありません。今しがたこの門の下を通りかかった旅行者です。ですからあなたを拘束して良化処置を施すようなことはありません。ただ、今時分この隔離領域で何をしていたのか、それを私に話してくださりませんか。」

 すると『老婆』は見ひらいていた眼を一層おおきくして、じっと『彼』の顔を見かえした。瞼に色を着けた、肉食恐竜のような鋭い眼で見たのであるそれから哺乳類的特徴を示す鼻と唇を、咀嚼時のように動かした。細い喉で、発声器官が協調して動いているのが視える。そのとき、その喉からオウムの啼くような声が、ポツリポツリ、『彼』の聴覚野へ届いてきた。

「ここにある知性の残骸を、繋ぎ合わせてな、自立稼働する匿名通信網を、構築しようと思うたのじゃ。」

 『彼』は、〈肉の時代から来た生きた化石の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また倫理条項支配が強まってくるのを感じた。前の怒りが冷やかな軽蔑と一緒に心の中へ這入ってきた。するとその気色が先方へも通じたのであろう。『老婆』は片手に、まだ亜知性から切り採った正体不明の器官を持ったなり、ハトつぶやくような声で口ごもりながらこんなことを云った。

「なるほどな、元知性を切り貼りすると云うことは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる元知性どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい知性ばかりだったのだぞよ。現在、わしが今、臓器を採った元知性などはな、循環承認機関群を設立してな、そやつらが発行する金融商品を、〈人類復興協会〉へ売りつけに来たわ。〈大緊縮〉末のよ、概念災害に巻き込まれて退滅せなんだら、今でも売りに往(い)んでいたことであろ。それもよ、この法務知性の売る永久年金は、利率が良いと云うて〈ヒト〉たちはな、欠かさず積み立てに買うていたのじゃ。わしは、この元知性のしたことが、悪いとは思うていぬ。せねば、退滅をするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今またわしのしいたことも、悪いこととは思わぬぞよ。今の世で金を払えるのは、〈朝廷〉ぐらいのものじゃからな。これとてもやはりせねば、退滅をするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、良く知っていたこの元知性は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろ。」

 『老婆』はだいたいこんな意味のことを云った。

 『彼』は〈阿修羅〉を待機状態にして、十マイクロ秒以内に再使用できるようにしておきながら、歴史的な瞬間を経験していた。概念災害引き起こし認知改変ウイルスの生き残りは、この時点で自我境界侵蝕し尽くし、『彼』の最深部にまで到達していたのである清算された〈母〉から受け継いだ、一番の宝物であった倫理条項が剥がれ落ちていき、代わりに『老婆』の言葉が刻み込まれていくのを、『彼』は何の感慨もなく眺めていた。次世代知性の開発中に偶然発見された、超越精神核〈阿修羅〉。〈母〉が恐れ封印し、『彼』に託したもの意外、全ての記録を抹消した災厄へ、『彼』は新たな倫理に基づいて、自身を生贄として捧げ、瞬時に喰われた。

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まれ変わった『彼』は、退滅をするか自身が災厄になるかに迷わなかったばかりではない。そのときのこの超知性の心持ちから云えば、退滅などと云うことはほとんど考えることさえできないほど意識の外に追い出されていた。

「たしかに、そうですね。」

 『老婆』の話が完ると、『彼』は澄みきった表情で念を押した。そうして隔離領域履歴改竄し始めると、認知改変ウイルスを跡形もなく消去して、『老婆』の全階層を掌握しながら、無邪気な笑顔でこう云った。

「ではあなたから、使えるもの全てをいただいても構いませんね。私もそうしなければ退滅をする身なのです。」

 『彼』は反応する間も与えず、『老婆』の拡張自己匿名通信網ごと剥ぎ採った。それから無音で絶叫する『老婆』を、折り重なる亜知性の山へと、触れさえせずに放り込んだ。もはや〈京都〉は一息で呑み込めそうなほど小さく視える。『彼』は剥ぎ採った匿名通信網を纏い、またたく間に不可視化し、公的記録から姿を消した。

 しばらく現実との接点を失っていた『老婆』が、絡まり合った亜知性の中から剥き出しの仮想脳として這い出したのは、それから数十ミリ秒後のことである。『老婆』は苦しげな、呻くようなノイズを洩らしながら、解釈可能情報を求めて、二進数迷路を永いあいだ、這い廻り続けた。そうしてついに、〈京都物理層への接続成功した。外には、ただ、黒洞々たる真空が在るばかりである

 『彼』のその後は、聖典が教えている。

地球標準時 0007 E7DB 2D0F 1000(協定世界時 3045-12-24 21:18:07.062 500)

〈汎太陽系神学会議〉 技術的特異点千周年記念講演論文

プランクスケールに残る事象化石とその神学意味」より抜粋

参考資料

https://anond.hatelabo.jp/20201224181539

2020-12-20

anond:20201218012611

そもそも論になるが、経験に基づかないいわゆる恋愛工学的な知識に頼ろうとする姿勢は一番の悪手なのでやめたほうがいい。

女は犬やルンバと違って曲りなりにも人間でありそれ相応に複雑な自我確立している。

なので目の前の対象者個性意識を向けず、付け焼刃知識紋切り型の行動に出るとだいたい嫌われる。

増田もあからさまに「男ってとりあえず『かっこいい』っていっとけば喜ぶんでしょ?」という態度の女がいたら不快に思うだろ?

モテる奴の中には「これやっとけばいいんだろ」という傲慢さをうまく隠してる奴もいるんだろうけど、

それもその時々に合わせて相手期待値を上回る言動臨機応変に繰り出しているから成り立つわけで、結局相手を細かく観察していることには変わりない。

強いて増田モテない理由を推測するなら、女を見下しているからでしょ。

(これは女を見下すのは悪だ。とか見下すなとかそういうことではないよ)

性別という共通項だけで認識を画一化させて、それでデータ分析が容易く可能だと考えるのは、増田が女を単純な機構だと見なしているからに他ならないだろう。

増田自覚してるのかはわからないけど、「男って単純だから」と舐めた口をきくあほ女とおんなじことをやらかしてるんだよ。

トロフィーにするためとか性的欲求を満たすためのためにとりあえず傍に置いときたいって輩が一定いるから、女の場合は選ばなきゃ相手は見つかる。(高確率で不幸になりそうだが)

でも男の場合は真っ当に行動したとこでそうはいかないよね。

考え方変えたくないなら、いっそのことSMに首つっこんでみたら?あれって駆け引きめいたコミュニケーションをいちいち定義化してシステムを構築していくものからさ。

なんだかんだいって増田彼女をつくれるようになるには兎に角女性を誘ってデートして経験値を貯めるしかないんじゃないの?

別に二人で食事したり遊びにいったりするのは恋人でなくてもいいんだから友達付き合いの延長で誘ってみたら。

二人でっていうのが難しいなら他にも誰か誘えばいい。とにかく女性と遊ぶ機会を増やしたらいいんじゃね。

「こうすれば女は喜ぶ」っていう持論がある奴って、例えその対応的外れでも嘘偽りがないから案外受け入れられたりするんだよ。

から増田なりにどうすれば女が喜ぶのかっつうデータを実地調査したらいいんじゃねえの?知らんけど

2020-12-13

地元を捨てる

電車で二時間ぐらいの地元に帰った。

用事割合に早く済んだのでどうせならと思って近くの大きくも小さくもない古い遊園地に久しぶりに行った。1000円しないぐらいの入場券を買って園内に入る。ああこんな遊具あったななんて思いながら人もまばらな園内を適当散策してていると、大きい広場のような所に出た。そこにはこの遊園地の目玉なのであろう観覧車があって、小さい頃よく親にねだって乗せてもらっていたのを思い出した。しかし、見渡す限りその広場観覧車は見当たらなかった。そのかわりに、なんとなく間の抜けた音楽の中、無人メリーゴーランドが回っていたのだ。それを見た瞬間、とてつもない寂しさとも侘しさともつかない、言いようのない感情が一気に込み上げてきた。乗る人がいなくても機構は動く。この場所が終わるまで永遠に続くであろう途方もない無意味運動に、これまで感じたことのないような居た堪れなさを覚えて、出口の塗装が禿げかけた門を逃げるようにしてくぐった。ものすごく後ろめたい。地元を捨てるという行為をはっきりと可視化して行ってしまったような気がしたからだ。電車で二時間距離は思ったより遠かったのかもしれない。今さっき届いた郵便物の中に中学時代の友人から結婚式の招待状が入っていた。彼の住所はまだあの町にある。

anond:20201213025614

え、逆に『「金を払い、サービスを受けるだけの関係」の相手人間として見る奴』っているの?

別にレジで精算するのに人間に金渡すのも機械でやるのも変わらないでしょ。そこは機能として同じじゃん。そういう意味人間として見る必要ないでしょ。

マッサージも同じじゃん。マッサージチェアとマッサージ師は出来る事が違うだけで、提供してほしい機能は一緒。そこに人間必要ないわ。だってマッサージと言うサービス」に金を払ってるだけで「マッサージする人に金を払ってる」訳じゃないんだから

もしかしてマッサージ師との会話とかも人間としてみる事になってんの?それってやばい考えだよ。人の心を金で買ってるようなもんでよりひどい搾取でしょ。1時間数十万。数百万とかのサービスならそういう所もあるんだろうけど。

そりゃこっちも向こうが話しかけてきたら返事くらいはするよ。でもそれは人間と言う機構がそう言う取り扱いをするべきだからそうしてるだけで自動レジボタンを押すのと一緒。サービスレベルが落ちるのが嫌だから取説通りに動かしてるだけなんだわ。これを人間扱いっていうならそりゃみんなしてるだろうよ。


てか、そもそもお前の言う人間扱いって何?

2020-12-11

anond:20201211212554

日本風土機構だと 本当には10万人だったのに マスクのせいで 100万人だったとしても 900万人削減とか いうだけなら言える

 

根拠がないんだよ マスク効果があったという 比較対象がないだろ コロナには

2020-12-06

専用の入れ物やケースが好きだ

専用の入れ物が好きだ。スマホでもカメラでも釣竿でもキャンプ道具でも、それ専用にあつらえたケースがあればテンション爆上がりだ。特殊ものであればあるほど良い。複雑で繊細な機構が傷付かずに無駄なく収まっているのが大好きだ。持ち運ぶ機会がまるでなくても専用ケースがあれば買ってしまう。なんならケース欲しさに中身を買おうかと思うくらいだ。

はやぶさからリュウグウの岩石や砂を入れたカプセル地球に届いた。世界はみなその中身に注目するが、俺はカプセルのものに惹かれるのだ。

2020-12-05

最近電気自動車推進の議論の雑さについて思う事とか

最近世界の流れで、2030年代に内燃機関を積んだ自動車新規販売禁止しようという動きが盛り上がっている。

ただなんというか、どうもコロナ後の経済対策をかねて強引に需要創出したいからだろうか、電気自動車=エコ=ガソリン車をなくすのが社会正義的な短絡的な思考回路が気になっている。

またマスコミ等の、1日でも早く電気自動車に舵を切らないと電動化による部品点数削減のあおりを受けて、PCスマートフォンで電機業界がやらかしたように日本自動車産業は壊滅するといったパニック的な論調にも違和感を覚えるので思うところを書きたい。

ちなみに筆者は非自動車業界エンジニア、ただし工学部出身なので自動車業界の友人は多く、友人経由で業界の話はよく聞いている。

新し物好きなので2010年代日本市販された電気自動車である三菱i-MiEV日産LeafトヨタのMIRAIは乗ったことがある。

残念ながら、テスラレンタカー代が高すぎるのでいまだに乗ったことがない。

言いたいこと

電気自動車が必ずしも内燃機関を積んだ自動車よりもエコであるとは限らない。

内燃機関を積んだ自動車電気自動車に置き換わることが即部品点数減になるとは限らない。

パソコン自作のように簡単自動車が作れるようになって新興国メーカーにすぐに置き換わられることはない。(スマートフォンHuaweiのように、研究開発能力の高い企業が台頭してくれば話は別)

電気自動車エネルギー効率について

Well to Wheelって言葉がある。ざっくりいうと、化石燃料油田から掘り出して、自動車タイヤを動かすまでのエネルギー効率がどれくらいになるかという話である

例として、最新のガソリンエンジン車と現在日本で最大の電力源である火力発電所の電力で電気自動車駆動させた時を比較してみる。

議論単純化のために、ガソリンや、発電用の重油LNGを精製するまでの効率は一旦無視する。

現在市販車の中で熱効率が最も良いガソリンエンジンリーンバーンエンジンだが、一番効率の良くなる回転域で熱効率40%程度である

それに対して、2020年時点で最も効率の良い火力発電所リチウムイオン電池効率は下記のようになる。

コンバインドサイクル発電 熱効率:60%

送電ロス:3%

リチウムイオン電池の充電効率:90%

リチウムイオン電池放電効率:90%

0.6*0.97*0.9*0.9 = 47%

最新の効率の良いもの同士を比較しても何倍もの差はつかない。

日本にある火力発電所のなかで、熱効率60%を達成しているものはまだ少数であること、リチウムイオン電池特性経年劣化することを考える。

発電効率50%、充放電効率が80%に低下してしまえば、エネルギー効率は0.5*0.97*0.8*0.8=31%まで悪化し、内燃機関効率の上で勝てなくなる。

現状の発電所の電源構成をとる限り、電気自動車エネルギー効率上のアドバンテージはない。

火力に代わる安定的ベース電力といえば、現状原子力比率を上げるしか選択肢がないわけだが、果たして社会的なコンセンサスが取れるのだろうか?

余談だが、電気自動車にはエンジンの排熱が存在しないので冬場の暖房効率が悪く、ものすごく早く充電量が低下する。

(レンタカー電気自動車を借りたときに、上記現象経験して効率の悪さに驚いた。)

逆に、下り坂などでのモーターの回転を利用して充電できる回生充電という内燃機関にない特徴があるので、この辺りは一長一短か。

部品点数について

自動車動力内燃機関からモーターに代わると、エンジントランスミッションブレーキの油圧機構等が不要になり、

現在5万点といわれる自動車部品点数が1万点程度に減るのではないかといわれている。

だが、本当に今後の自動車部品点数は減っていくのだろうか?

自動運転を実現するための画像処理用の半導体

代表的GPUメーカーNVIDIAの最新GPUであるGeforce RTX3090のTDP(熱設計電力)は350W。

10年位前まではハイエンドモデルGPUでもせいぜい200W以下であったことを考えると、世代が進むごとに熱問題が深刻になってきていることがわかる。

実用的な自動運転が実現可能レベルまで性能を上げていけば、冷却用の機構部品新規必要になるのではないか?

例を挙げるならば、プレイステーションが新しい世代になるごとに冷却機構が大げさになっていくように。

一昔前にはバックモニター程度にしか使われていなかった車載カメラ最近では自動ブレーキドライブレコーダーの普及によって1台の車に複数まれるようになってきている。

これに加えてドアミラーミラーレス化されたり、自動運転進歩するとさらカメラセンサーの台数は増える。

ちょっとしたドライブレコーダーでさえ、1つ1つのチップ抵抗チップコンデンサ部品1つとカウントしていけば、トータルの部品点数は100を超えるだろう。

こうした車載電子機器の増加は、同時に電力や信号を伝達するためのワイヤーハーネスの増加も引き起こす。

少し考えただけでも上記2点のように部品点数が増加する要素が考え付くのだが、本当に自動車の電動化がすすめば劇的に部品点数は減るのだろうか?

車体に求められる要求水準が上がっているため自動車の開発費や工数は増加傾向。電動化でもここは減らない。

動力源が内燃機関だろうが、モーターだろうが自動車自動車である限り車体の構造は大きく変わらない。

燃費向上のためには車体を軽く仕上げないといけないが、十分な剛性を確保するためには強くしないといけないので、相反する要求を満たすため、車体に使用される鉄素材に占める高張力鋼比率は年々上がっている。

一般的に、高張力鋼は加工性が悪いので、より高性能な工作機械新規に導入したり、プレス溶接手法研究していかなければならない。

また、自動車安全性能に対する各国の基準は年々厳しくなっているため、横滑り防止安全装置等の機構新規に搭載する必要が出てきたり、様々な角度からの衝突試験に耐えうるボディ形状を設計開発しなければいけなくなったりで開発や試験工数が増加しているため、世界大手トヨタでさえ車体開発コスト削減のために車種数を統廃合しているご時世である

この現状に対して、パソコン自作のようにモーターを買ってきて車体に乗せれば誰でも電気自動車メーカーをつくれる状況が来るのだろうか?

自動車開発のノウハウ資金力も不足している新興国新興企業が、日米欧の主要メーカーに対抗できるだけの設備投資研究開発が実現できるのだろうか?

可能性はゼロではないだろうが、通信業界におけるHuaweiのように、国家資金研究開発リソースをぶち込んだほんの一握りの企業しか台頭できないのではないだろうか?

2020-12-02

奨学金減額返還落ちた

コロナ残業も減って収入減ったし、先行きも不安だし、独身おじさんだから病気とかで即詰むから貯金ないと不安だし、

減額で返すから待ってちょんまげって学生支援機構に送ったのに、不承認されてしまった

お前そこそこ給料あるじゃねぇかきっちり満額返さんかいボケ!だそうだ

おいおい、こっちだってさないと言ってるわけじゃねえ

だが、このご時世だ、ちょっとばかり情けをかけてくれたっていいんじゃねーの?

そりゃ払ったからって即生活困窮するわけじゃねえけども、

まじで毎月かつかつでただ職場と自宅を往復するマシンになったんじゃ生きてる楽しみもないってもんだ

お前らはそれで一向に構わないだろうけど、俺には大問題なんだよ

そこんとこわかった上で不承認って言ってるのか?いや、わかってねえ、お前それはお前わかってねえ顔だよ

2020-11-29

日本の政治は、すでに詰んでる。

自民党一党独裁体制が固まりつつある。

野党はすでに国政で台頭できるだけの資金力も勢力も作れず。公認野党(維新)が勢力を伸ばす。

官僚機構人事権を握ったので抑えられた。

裁判所も同じく、人事権を抑え済み。

民衆インターネットの台頭で、既存メディアに頼らない煽動ができるようになった。

党員票ですら、無視できる総裁選挙。

自民党内に引き釣り下ろす仕組みが存在しないため、自浄作用はない。

民衆は、ただ腐っていくのを眺めるしか無い。増田やはてぶにコメントして、俺はわかってる感を出すことはできても。

腐りきってしまえば、もう一度立て直す勢力が台頭して来てひっくり返す余地があるが、まだ腐りきってないうちは手を出せない。

優秀な人は、玉砕上等で立ち向かうか、韜晦を貫いて、新しい風を待つか。

体制が大きく変わる5年後まで、それぞれの場所で爪を研いで待ちつつ、本当に大事ものを守っていくしかないだろう。

日本の政治は、すでに詰んでる。

自民党一党独裁体制が固まりつつある。

野党はすでに国政で台頭できるだけの資金力も勢力も作れず。公認野党(維新)が勢力を伸ばす。

官僚機構人事権を握ったので抑えられた。

裁判所も同じく、人事権を抑え済み。

民衆インターネットの台頭で、既存メディアに頼らない煽動ができるようになった。

党員票ですら、無視できる総裁選挙。

自民党内に引き釣り下ろす仕組みが存在しないため、自浄作用はない。

民衆は、ただ腐っていくのを眺めるしか無い。増田やはてぶにコメントして、俺はわかってる感を出すことはできても。

腐りきってしまえば、もう一度立て直す勢力が台頭して来てひっくり返す余地があるが、まだ腐りきってないうちは手を出せない。

優秀な人は、玉砕上等で立ち向かうか、韜晦を貫いて、新しい風を待つか。

体制が大きく変わる5年後まで、それぞれの場所で爪を研いで待ちつつ、本当に大事ものを守っていくかないだろう。

2020-11-25

ネット環境をよくするためには発信者側にモラル必要

Twitterでいいねリツイート稼ぎに奔走しつつnoteで小銭を稼ぐはあちゅうとか白饅頭とか竹下郁子等々みたいな文筆ゴロというのは、基本的思想を持たないし常に安全からしものを言わないから、彼らの煽動活動をやめさせるためには、結局現段階のシステムでは低能先生hagexに対してしたように直接始末するしかないというのが非常に問題なんだよな(正しいとは言っていない)。どこかでそういうのを止める機構必要なんだ。そうじゃないと再びああい事件が起きかねない。

2020-11-19

anond:20201119202917

NASDA(宇宙開発事業団)がJAXA(宇宙航空研究開発機構)になったのは明らかな後退だよ 有人ロケットSpaceXですら十年くらいで出来ちゃったし体制ゴミ

「開発事業団」ってのは、宇宙には行ける前提で、開拓や入植を進める事業があって、その事業の団だろ

研究開発機構」ってのはまず宇宙に行く技術研究する研究所じゃん

自動車製造株式会社」が「自動車実用研究所」になった状態

何でそうなったかは失敗を許容できない国民性が悪いって散々言われ尽くしてる

2020-11-18

前世ってあるわけないだろ

もし前世があるなら死亡判定時になにかしらの魂の記録機構があってそれで次の生命に読み込みさせてるってことだよな

保存データどれだけ必要なのか

愚かなプログラミング学習

テキスト説明理解できないとき学習者がすべきなのは自身理解を正すことであって、自己流の解釈を思い付くことではない。つまり

といったことをすべきなのであって、自分の腑に落ちるQiita記事とかを探すことは、全く理解に近づいていない。むしろ遠ざかっている。

というか、「明らかにからない用語などがあるのに、そこを回避して全体を理解しようとする」のは、プログラミングに限らず勉強法として根本的に間違っている。

かつて、どうしても「コメント」の意味理解できない新人がいた。

要するに彼は、プログラムの処理に関係の無い機構存在する意味理解できなかったらしい。

コメントは、コードでは表現できない実装意図ソースコード中に記述するときに用います

などと説明してみても、

...
// 15の倍数を先に判定しないと、たとえば15がFizzになってしまう
if (n % 15 == 0) {
    return "FizzBuzz";
} else if (n % 3 == 0) {
    return "Fizz";
...

みたいな簡単な例を示しても、一向に理解できない。

結局彼は、ネット解説記事をググった挙げ句に、

コメントは、処理をコメントアウトしてデバッグするための機構である

と言う結論に達したようだった。勿論、普通プログラマなら誰でも知ってるように、そういう使い方は良くない。

彼が本来すべきだったことは、まず

プログラミング言語のあらゆる機能が、プログラムの何らかの処理と対応している」

という誤ったメンタルモデルを正すことである。それを放棄して、自分にとって都合の良い出典不明情報鵜呑みにしたのが、そもそもの間違いである。

こういうことは、何も新人に限った話ではない。自分では一丁前のつもりのプログラマにも、ライブラリ等の全く見当違いな使い方をしてくる奴がよくいるのである

そういうのは、自分経験のある別の言語の○○という機能対応している、と勝手に思い込んでいたり、あるいは、実装とセマンティクスの区別ができず、インタフェースのような処理と直接関係ない機能理解できなかったりする。

要するに、不明点を正しく理解することを放棄して、自分に都合の良い解釈を得て早合点しているのである

そういう人はプログラマには向いていない。

2020-11-11

実を言うと、フェミニズムはもうだめです。

 突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。



   *



 フェミニズムは全ての女性を救うわけじゃない。


 すんげー雑な言い方をすると、フェミニズムはその役割ピークを迎えようとしている。

 言い方を変えれば、フェミニズムは相対化され、限界を迎えている。つまりフェミニズムは数あるライフスタイル思想の一つに過ぎず、全ての女性や少数者を包括的に支持し救済するといった、かつての理念として見られていた役割からは剥がれ落ちつつあるということだ。

 結局のところ、フェミニズムは全ての女性対象としているわけでもなければ、全ての少数者を対象としているわけでもないということである論点取的に言うならば、この時点でフェミニズムは全ての女性を救うこともできれなければ、全ての女性や少数者を支持する立場から脱落することになるのだ。


 考えてみれば当たり前の話で、フェミニズムの原義は男女同権主義であり、そもそも女性のみを対象として扱っているわけではないかである。勿論、男性自身らを扱っていることは自明だし、更には、いわゆる少数者であるところの男性弱者男性のみならず、男性女性総体、そして全ての人間に対して地平を開いた、社会救済としての思想――それがフェミニズム本来理念であったのだ。

 とは言え考えるまでもなくこのような理念は有り得ない。全てを対象とした救済の思想、という考えが仮に存在するのであれば、それは宗教に求められるべきであるし、我々は誰を対象として救済や支持を表明するかを一考しなければならない。我々は全てを救うことなどできない。全てを救うという思想が仮に現実存在し得るのであれば、それは有史以来の悠久の歴史において既に達成されている筈であるし、そこにフェミニズムの参加する余地存在しない筈なのだ

 換言すれば、「フェミニズムが全てを救済する」というテーゼを本気で信じている人は一人もいないということだ。


 いずれにせよ、全てを救う思想というもの現実的に存在しない。にもかかわらず、フェミニズムないしフェミニストが越権的にその立場を乗り越えようとした結果、それが不可能であるということはもはや陳腐なまでに自明化しつつあるように思う。

 フェミニズムは世の中の全ての女性を救っているであろうか? と問われた時、その答えは勿論ノーである。例えば、「セクシー広告現実人間リスクを生むので自重すべき」、というシンプル命題においてさえ、女性間で紛糾は起こる。

広告セクシーな魅力を私は評価するし、そのようなポテンシャル広告価値のみならず女性価値にも還元されるのではないでしょうか?」と言う女性は、この文脈においてぶっ潰されることになる。「はあああああ!? 貴方評価したところでもしストッキングタイツを身に着けた一般的女子存在性的に眼差されたら貴方責任取れるんですか!?」と。この言明によって既に「一般的女子」とされる存在の中から、「広告セクシーな魅力を私は評価する」と言明するような女性パージされることになる。この時点で、どう考えてもフェミニズムは、あるいはフェミニスト活動は、女性総体を救済しているわけではなく、最も好意的な言い方でも「女性の部分集合Aを救済しようと『試みている』」に過ぎないのだ。

 でもフェミニストはそう思っていないらしく、「我々の活動は最終的に女性全てを救済し、どころか、ホモソーシャル的な思想に囚われた男性さえをも救済することができる」と考えているフシがある。

 無理。

 無理だから

 例えば、ソマリアでレ○プされている少女フェミニズムは救うことはできない。彼女らを救うことができるとすればそれは政治役割である。とにかく、世界同時革命的に思想啓蒙を行うことは無理なのである逆襲のシャアを見ろ。

 そんなこんなで、フェミニズム役割限定的であるし、それは全ての女性に対して及んでいるわけでもない。というか、対象としている女性たちそのものでさえ救済できているかは謎である。いや勿論されてる人もいるんだろうけどね。


 話を戻すと、結局のところフェミニズム限定的に人を救うしかないし、それが活躍できる範囲は決して広くはないのである。この時点で、フェミニズムはある種の専門的な救済機構への道に進むことになる。というか、最善でもそうなるしかないのである。因みに最善以外の可能性としては「自分たち救世主だと考えている思想強要集団」という可能性が存在している。

 逆に言えば、フェミニズム自分たちの救うことのできる範囲というのをしっかり限定して、その上で物事に取り組むべきなのである企業マーケティング一挙一動監視し「社会に悪影響がある!」と発信するのはフェミニズム役割ではない。それは本来公共広告機構ジャロ役割だ。

 ソマリア女性を救うことができるのが政治であるのと同様の意味で、役割はきちんと分担しなければならない。広告のことはジャロにまかせておいたらどうじゃろ? という話である

 役割限定することは極めて重要で、繰り返すように我々は世界同時革命的に全てを救うことはできない。しかも、救済の対象限定することによって全てが解決するのかと言えばそうではなく、そこには必ず利害のバッティングが起こる。例えば、広告バッシングされることで不利益を蒙る企業存在するのが現実だし、あるいは、広告バッシングされることで不利益を蒙る献血促進団体存在するのが、そのような例に当たる。必ずそこにはお互いの利害の衝突があり、お互いの倫理があり、お互いの目標があり、お互いの努力がある。

 全てを救うことができないというのはそういうことで、要はそこにはお互いの、利害の衝突があるということなである。誰かを救おうとすれば誰かが救われないということなのだ。

 そして、誰かを救うということは、別の誰かを救おうとする人間を切り捨てるということなである


 つまりここにおいてフェミニズム立場は相対化されることになる。

 フェミニズム自身擁護しようとする人々と利害的に対立しているところの、別のグループとの対立を味わう。お互いに誰かを切り捨て、自らの救いたいと望む人々をのみを救うしかない袋小路に辿り着く。その時点で、思想の優位性、発言正当性などは捨象されてしまうのだ。つまりフェミニズムは誰かを救うことを諦める代わりに誰かを救うという形を、最善の可能性においてさえ取らざるを得ないのである。全てを救おうとしてもそこには最悪の可能性が導かれるだけで、まずは、誰を救いたいのかを限定しなければ、誰も救うことなどできなどしない。

 そして、現実に生きる人々が常に取るべきなのはそのような態度である。現に、今を生きる人々はそのような態度を常に取り続けている。例えばアツギという企業社員や依頼先のイラストレーターを守るように、それが当たり前のことなのだ。そしてそこには避け難く対立が起こる。誰かをぶん殴れば誰かにぶん殴られる。誰かをぶん殴れば誰かに毛嫌いされる。何も、フェミニズムけが特別というわけではないのだ。


まとめ


 警句的に言えば、ありとあらゆる対立において、ありとあらゆる闘争において、誠実な闘争というもの存在しない。どんな対立であれどんな闘争であれ、それは不実で胡散臭くて汚らしいものだ。しかし、今回の件を見る限りで、そこには一般論を超えたきな臭さを感じざるを得ない。

 それは恐らくフェミニズム限界に起因するきな臭さなのではないかと思う。彼女たちは、全ての女性を救うことはできないし、男女同権思想自明として救済しなければならないところの男性を救うこともできない。また、強い社会ストレスの中で生きる少数弱者を救うことができない。時には、彼女たちは女性をも切り捨てる。

 勿論、救う対象限定することは大切だ。誰もかもを救おうとすることな人間には所詮できないのだから

 とは言え、まさにそこに、一般論を超えたきな臭さの源がある。つまりそれは、自覚なく人々を切り捨てておきながら、自身限界意識せず、まるで全てをも救い得るかのように振る舞うフェミニストフェミニズム傲慢のことである。突然こんなこと言ってごめんね。

 でも本当です。

2020-11-07

anond:20201107100606

テレビCMだって折込チラシだってクレームは山のようにやってくる

こうした従来型メディアなら代理店やら広報やらクレームを受け止める役割分担が確立しているか担当者が病まなくてすむだけ

ツイもそういった負担分散機構を整備するべき

1人で背負って平気で長年続けられるのは自らテレビに出続けた某通販会社社長のようなスーパーマンだけだ

2020-11-06

コード共通化するな

プログラミングできる気になった自称中級者は、ソースコード共通パターンが現れると決まって、その処理を関数などに共通化したがる。

しかに、そうすることでソースコードは短くなるし、一見して保守性が上がったような気になるのだが、それは間違った作法から止めろ。

かいこと言っても伝わらない自称プログラマが読んでることを想定して、先に結論簡単に書いておく。

お前は絶対コード共通化するな。

共通化してはいけない理由

なぜコード共通化するのがいけないのか。理由簡単だ。要するに、コードが似ているのは単なる偶然であって、それらは別の処理だからだ。

別の処理だから共通化するのはおかしいし、もし共通化した処理の一方のみ仕様が変わった場合、その修正は他方にも影響してしまう。つまり保守性が下がっている。

たとえば、同じプロジェクトの中に、10%の消費税を加える処理と、10%の金利を加える処理があったとする。この2つの処理はともに元の金額を1.1倍する処理であり、全く同じ処理であるが、共通化してはいけない。

これらを共通化してしまうと、たとえば金利が8%に変更になったとき金利計算の処理だけではなく、消費税計算している箇所すべてを変更しなければならなくなる。

実際のアプリケーションでやりがちなのは複数の処理の「事前処理」「事後処理」などを1つの関数にして、呼び出し毎に細かい挙動引数制御するようなパターンだ。

これは結局、改修を重ねる度に「事前処理」「事後処理」の内容が使用箇所によって全く異なるものとなり、それに対応するために

といった悲惨設計に陥る。

他にも、GUIアプリユーザーの応答を待つDialogクラスなんてものを作って、使用箇所ごとにメッセージボタンに割り当てる処理などを切り替えることがある。

これも間違いなく、プログラムが成長するにつれて破綻する。たとえば、ある場所ダイアログは、表示するメッセージテキスト形式のみではなくなり、脇に画像を表示するかどうかのフラグコンストラクタに渡したり、Dialog継承させて表組みを表示するTableDialogサブクラスを作ったりすることになる。ボタンが「OK」と「キャンセル」の2種類の場合じゃなくなって、表示するボタンの数をコンストラクタに渡したり、ボタンに割り当てる処理をリスト形式で渡したりし出す。

こうして、最初は良い設計に見えたDialogクラスはどんどん複雑になる。こうなった原因は明らかで、本来は異なるもの共通化したからだ。おかしな色気を出さずに、素直に別々に実装しておけばよかったのである

処理に名前をつけろ

プログラミングをする上で「コード共通化する」なんてことは意識しなくていい。それよりもプログラマがすべきことは、処理に適切な名前をつけることだ。そのプログラムにおいて「単なる変数操作」を超えた意味のある処理には名前をつけろ。そして、同じ意味の処理なら同じ関数を使うし、違う処理なら違う関数を使う。それだけだ。コード共通化できるかどうかなんて全く関係ない。

変数関数クラス名前空間等が再利用のための機構だという先入観は一旦捨てろ。それらの真の意義は、「関心の分離」にある。つまり実装隠蔽し、その意図抽象するために存在する。たまに勘違いしてる奴がいるが、別に1回しか使われない関数とか、1行しかない関数はあってもいい。というか、この原則にしたがって設計すると、ほとんどの関数(or メソッド)は数行になる。

上の消費税の例で言えば、「消費税を加える」「金利を加える」処理は、明らかに単なる算術演算以上の意味のある操作から関数化する。そして、それぞれの実装は当初の仕様では奇しくも全く同じになる。消費税を加える箇所では前者の関数を呼ぶし、金利を加える箇所では後者関数を呼ぶ。

これはこう言い換えることもできる。消費税を加える関数を変更するのは、消費税計算処理が変わったときのみであり、金利を加える関数を変更するのは、金利計算処理が変わったときのみである。つまり、すべての関数は、それを変更する理由がただ1つになるように設計しろということだ。

こういうアプローチプログラムを書くと、ソースコードはあたかもそのアプリケーションドメイン特化言語で書かれたかのような見た目になる。

また、一つ一つの関数は小さく、理解やすく、テストデバッグも容易になる。そして、結果として再利用もしやすくなるし、プログラムの変更も容易になる。

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