はてなキーワード: 根付とは
・ただごとじゃなさそうだったので救急車を呼んだ。
・救急車到着、即行病院搬送かと思いきや、「普段服用している薬は?」「持病は?」「保険証は?」とか色々訊かれた。それが死の原因ではないけど、かなり焦ったしイライラした。
・服用薬のリストを作って、保険証と一緒にわかるところに置いておくといいかもと思った。特にある程度の年齢になったら。
2.死んだとき
・今まで特別病気とかしたことのない人だったので、ただただ急過ぎて意味が分からなかった。
・死因は大動脈瘤破裂。これと心筋梗塞と脳梗塞とくも膜下出血あたりが突然死四天王みたい。
・死んでからすぐに「どこの葬儀屋に頼むか決めてくれ、ここで」と言われた。マジか。
・結局農協へ依頼。
・シンプル火葬とかのサービスもあるけど、その辺を利用する決断をこの場で下すのは難しい気がした。故人が生前からシンプル火葬希望の旨を周知徹底しておくとかでもない限りは。葬儀業界は市場原理とかあんま無いみたいで、地場に根付いているかがほぼ全て。
・逝ったのは月曜だけど、最寄りの斎場が混んでるらしく通夜告別式は次の土日に行うことに。冬の方が他の季節より死ぬ人が多いみたい。
・「今くらいの寒い時期なら、ドライアイス敷いとけば一週間近くは平気でしょ」とのこと。そんなわけで我が家に仏が5泊。
・その日の内に葬式の見積もりとか色々もらう。誰が花をいくつ贈るかとかそんなのに気を遣う。本当はそんなことより泣きたい。
・実際、すぐ焼かないで何日か一緒にいられたのはラッキーだったのかもしれない。
・納棺した仏に顔を近づけ過ぎると、ドライアイスから放たれた二酸化炭素をめっちゃ吸い込むので注意。
・戒名たけーよ。1文字3万円くらいよ。いっそ戒名ジェネレータとかあればいいのに。
・どこの誰なのか正直よくわからない人達が何人も来る。でも、ありがたい。
・離れて住んでる親戚とかって、盆と正月と身内が死んだときくらいしか会わないね。
・アサヒスーパードライがめっちゃ届く。エビスとかプレモルは何となくダメで、こういう場だとスーパードライなのかね。ウエットな場なのにね。
・坊さんが地味めの袈裟で登場。何を言ってるのかよくわからない。
・式の司会担当のおばちゃんがやけに抑揚をつけた声で「天国から見守っていることでしょうーー」とか話す。三文芝居みたいで興ざめ、でも、泣く。このおばちゃんに3万円。
・寿司やらを皆で食べる。会場には瓶を下げてくれたりするおばちゃんが3人。このおばちゃん達に一人当たり1万円。
・嫌味なくらいに気持ちのよい朝。
・昨日よりもかなり高級そうな袈裟を纏い、坊さん満を持して登場。相変わらず何を言っているのかは不明。
・式が終わり、皆で棺に色々詰める。もう焼かれてしまう。仏をよく触る。泣く。
・「1時間程度で火葬が終了しますから」と、待っている間にまたプチ宴会。酒を飲むも、酔えない。
・「ご遺族の代表の方は、遺骨の確認をお願いします」のアナウンスを受け、席を立つ。
・頭蓋骨とか大腿骨とか、丈夫な骨はちゃんと形を保っているものだと思っていたが、かなり強い火力で焼くらしく、全部ばらばら。自分の時は、ミディアムレアくらいがいいな。
・確認とか言われても、こうなっちゃ誰のを出されてもわからんわ。
・その後みんなで骨を拾い、壷に入れて帰宅。
6.帰宅後のこと
・帰って早々に諸々の清算。いっそ前払いでクレジット決済とかにして欲しいわ。
※今ここ
<<<<<<安定して調和がとれた精神状態です。女性性と男性性や過去と未来の影響を適切に受けており、いずれか一方の両親から過度の影響を受けることなく、過去に根付きながらも未来に期待している状態です。情緒が安定しており、感情や行動を統制できる状態です。真面目に描かなかったのでなければ、やや病的で拒否的、もしくは融通がきかない性格か投げやりな性格である傾向があります。情緒的ないしは器質的な原因により性格の統合性を失っており、現実検討能力が妨げられ、自己と外界の状態を客観的に認識できずに区別できていない可能\性があります。時に露出症やのぞき趣味や同性愛などの性倒錯の可能\性もあります。場合によっては完全主義者である可能\性もあります。安定した行動をしていても、急に不安になり他からの保証を求めるたりすることがあります。自分は活力にあふれた存在であるなどと肯定的な現実自己像を持っていたり、そのように行動したいという理想像を持ったりしています。またこのことは周りの環境をあまり意識しないとも言えます。自我強度が適切で、無意識の欲求、感情、精神的エネルギーを自由に取り入れ、これらを適切に統制して表出できています。未熟性を持っていたり、現実を客観的に検討する能力が低かったり、感情を否定したり、精神的エネルギーが不足していたり、自信と決断力が欠如していたり、無力感を感じているのかもしれません。感情機能が十分に発達しないで、表面的な感じ方をして自分本位で共感性に欠け、自我が弱い傾向にあります。情緒が安定しており、自信があり、他者との接触が円滑にいっています。自分の弱点を露呈しやすいことや、空虚な精神生活や感情の鈍麻の傾向があります。現実検討力の欠如があるのかもしれません。少し病的です。現実を理論よりも感情で処理したり、自分の希望の実現が遠くにあると感じ、それを憧れていたり、現実環境に支配され自分は受動的かつ消極的であると思いこんでいるのかもしれません。>>>>>>
共産主義も社会主義も皆衣食足りてない状態、例えば戦時中とか戦後の何も無い時に政府が大きくなって
国民を分配供給の下に養う事で、貧乏から脱してやる助けをするものだ。
いま、わが国には何故共産・社会主義が根付かないのかというと、それは貧乏ではないからだ。
国民一人一人が国が保障する最低限の生活以上を享受しているためでもあるし、分配供給といった考えも経済的に格差が生じてくると
また、これまでは食糧などが分配されるために国民一人一人が働かなくても働いてる人と同じだけ与えられるといった不公平さを感じるようになったり
又、衣食足りて礼節を知るといった古の慣用から見て国民一人一人が国から自立して自ら物事を考え学んでそれをアウトプットしていく力を身に着けるようになった。
そのため、貧困を助けるためだけの共産主義や社会主義が国民から不必要とされ淘汰されていったのが現実である。
すなわちドイツやロシアが共産主義・社会主義から脱したのは豊かな国になった証拠である。
しかしながら、今後格差が大きく開ききってしまう恐れがあり、それが現実になると当然多くの国民が疲弊し貧困化していくだろう。
元増田だけど、ひどい流れになってたから、就活にいそしむ大学生にコンサル料なしで追記してあげるよ。
もともとの記事の目的は、ゲームのデータ入力ってもっとデキる人に任せた方がいいのと、高給であるべきと思ったから。
ちなみに俺は自演してないから、途中で他人に飛び火しまくっとるからな。謝っておくように。
まず「機械学習」で「妥当」な数値で「期待どおりの結果を検証」だけど、Googleで調べた単語を並べたのかな。
ググれた事は誉めるけど、そもそも俺は「ゲーム制作」について言っているから、ゲームを作ったことないなら話にならない。
・(多くの会社で下っ端のプランナーやデバッガーがやっているような)パラメータ設定
の仕事がメイン。「パラメータディレクション」や「データディレクション」って言葉でもいいか。
今は「プランナー」という肩書きがやる仕事で大体が安月給だな。
もしくはディレクターが片手間にやってる仕事だから、専任にしたほうがいい。
前も言ったけど「レベルデザイナー」が一番近いかもしれないが、そもそもあまり根付いていないし、
ソーシャルの時代でパラメータ限定の職種を高給にして切り分けてもいい気がしている。
>ゲームを熟知していて、数値に強く、バランスセンスもある人。
と元記事で言ったのはそういう事。ディレクターやプランナーよりの仕事だね。
難しいゲームにしてコアなユーザーを獲得するのかなど、そもそものゲームの方向性やターゲットを理解する必要がある。
ここを見て「よっしゃ、データサイエンティストって言葉を初めて使えるぜWWW」と思われたんだろうが、
これがメインの仕事じゃない。
スクリプト書ける方がSQLいっぱつでバックアップDBからデータ引っ張ったり、有利って程度。
MSのACCESS使うにもリレーショナルDB知っててMYSQL使える方がいいし、
現在のデータを見て今後のデータ作るときも統計の知識があるとはかどる。
あとは自分でコーディングしなくてもエンジニアとの連携を取る時も捗る。
以上。
ほめて伸ばす教育と同じ問題で部分的にはそりゃ圧迫も使ってるさ。
はたから見たら恐怖で縛ってるように見えてもプロのやっていることは「圧迫」なんだよ。
俺が言ってるのは10年以上前は「恐怖」でのしつけが一般的であったということだ。
日本には犬を番犬にするという習慣はあったがペットにするという文化は最近になって海外から輸入されたため
その浅い文化の過ちとして躾け=恐怖による服従という認識の極端な一択状態だった。
現在しつけの基本となっているのはペット文化先進国(日本と文化的な開きは優に30年を超える)であるアメリカンケンネル協会
もしくはヨーロッパ(イギリスのケンネル協会とか)を参考にされている。
もちろん犬種によって気性、気質は様々だから割合は考えなければならないが今は基本的にケンネル協会のやり方が主流となっている。
もうちょい調べれば?
ブルーギルはブラックバスの餌として調度良いので、ブラックバスの違法放流と同時にブルーギルを放流してた、という事実はあるよ?
元々ブルーギルは外国からもらってきたものを養殖しようとして上手くいかなそうだから放流してそこから日本に広まってったものみたいだけど、
ブラックバスの居る場所にさらにブルーギルを放流してた、っていう事実はあるわけで。
元々天皇が譲り受けた形のものが最初だから、それが下手に広まっちゃって、
心痛めてる、って話まであるわけで。
私は子供のころからいい子で、家にいたころはよく母の家事を手伝っていた。
お陰で大学に入って一人暮らしをするようになっても困らないですんだ。
そのせいかお正月に帰省した時に、私が提出間近なレポートを仕上げているというのに、母は家事を手伝えとうるさくてしかたがなかった。
勉強してるからと断っても、そんなに勉強が大事かと、不満気だった。
暗に私にとって勉強よりも家事の方が大切だと言っているようだった。
よって、男友達で集まって鍋をする時なども大抵調理は私の担当になる。
特に取り決めもないはずなのだが、そういう空気が流れて、それに逆らえずに私が下ごしらえを全部することになる。
その間に彼らはウイイレとかで遊んで盛り上がっている。
まあ、まともに料理ができるのは私だけだし、サッカーゲームは得意でないからいいのだけど。
そのくせ具材を用意し終わって、いよいよ鍋で煮ようとする段になって仕切りだす。
やっぱりお前の作る鍋はうまいなーなんて、仕切った奴を褒めたりしているが、いや、そのだし汁も私がとったし、あんたら茹でただけだろ…
と心の中で毎回つっこむが、口に出したら彼らなりのプライドを傷つけそうで言えないでいる。
後片付けも全部私がやる。
前、一度だけ手伝ってもらったことがあるが、手際も悪いし台所を汚すしで、ひどいものだった。
だから、手伝うと言っても自分の調理器具を人に触ってほしくないからとか、理由をつけて断っている。
彼らも暗にそれを期待している節があるように感じる。
思えば今まで付き合った相手も、家事全般ぜんぜんダメという人が多かった。
私が家事全般そつなくこなすし、なんとなくソーイングセットを持ち歩いているようなキャラで通ってるから、そういう相手がよってくるのかもしれない。
そういえば、シャツの胸元のボタンがとれて困っているのを、さっと縫い付けて直してあげたのがきっかけで付き合ったこともあった。
まるで魔法みたい!って、それどこの雫だよみたいなこと言ってたな。
結局最後は、お前の女々しいところが嫌いとか言われて別れたけど…
私はあなたの聖司にはなれなかったよ、ごめんね…
確かに私は女々しいのだと思う。
だけど、女々しいという言葉が悪口になることこそ、男女差別ではないだろうか。
私は日常の中で、私に女らしさを強制する空気を感じているし、それは絶対に存在している。
その空気に従っているだけなのに、女々しいとか人格を否定されるようなことを言われるのが信じられない。
いや、男らしくそんな空気に従えるかと突っぱねればいいのかもしれないけど、でも男らしいとか女らしいとか、やっぱり男女差別だよね。
私と同じような思いをしている人が絶対に他にもいるはずだ。
まだ男女差別はあるよ、絶対に。
最近、まわりの友人や知人から中国韓国に対する反感を聞いていて驚く。
そのときは、公に人にそんな事を言えるような状況ではなかった。
しかし、10年後の今、人々はどんどん反中、反韓になってきている。
専攻は法学ながらも、国際関係も曲がりなりにも学んだつもりだ。
その事からみて、やはり隣国の中国、韓国ともに今のような状態が続く事は望ましくはない。
そして、気になるのは、第二次大戦や日中戦争期を昨日のように語る人がこの三カ国に多い事だ。
もし、それを語れるならば、少なくとも75歳以上でなければならない。
しかし、戦争の経験もない我々戦後生まれの一般市民がなぜあの戦争を、東アジアを語るときに使うのだろうか。
アメリカを語るときに我々は太平洋戦争<あるいは大東亜戦争>をここまで強烈に持ちだすだろうか。
私は、東アジアの政治の共通の戦略として、内政運営のため、国民の目を他国に向ける、敵を作るというモノがあると思っている。
これは中国、韓国でよく話題に上がるが、ここ最近、日本もそのような傾向にあるのではないか。
少なくとも、私には、安倍首相が、自身の政治目標である憲法改正に向けてコレをテコにしようといているのではないか、と心配している。
つまり、政府が今まで解釈を積み重ねてきたものを、その時の政府の方針次第でいかようにも動かせるように私には見受けられるのだ。
肯定的に見よう。
もし、憲法が改正されたとして、今のような穏健保守派の自民党政権が未来永劫続けばよい。
そうすれば、自民党的解釈のつまり、穏健保守派的憲法解釈のまま、憲法が運用される期待が持てる。
しかし、そうはならない。
日中韓の緊張がこのまま維持されるとする。
そして、それが国際関係、また外交的文脈で正しかったとしよう。
しかし、国民は納得するだろうか<ワシントン海軍軍縮条約を想起せよ>。
このように、中韓に対する反感が根付きつつある日本で、自民党政権を維持し続ける事ができるだろうか。
企業も生き残りに必死になり、リストラも増えるかもしれない<もちろん大企業正社員はこの限りではないが、リーマンショックの時を思えばおのずとわかるだろう。また戦前の若手将校たちは大企業、財閥をも自身達の敵とした>。
懸念事項である社会保障費の維持も難しくなり、近い将来には薄くなるだろう<つまりは、若年層に負担が増加するという事である>。
この時、自民党より保守色の強い保守政権ができる可能性を我々はどれほど想像できるだろうか。
そして、その強硬派保守政党が改正憲法の下でどのようなことを行うだろうか。
愛国者であれば、日本が他国と戦火を交えこの美しい自然と伝統ある歴史や文化が破壊され、また日本国民が戦争によってその尊い命をなくしていくことに深い悲しみを持たざるを得ないだろう。
その意味から、私は、現在行う全ての事は、将来の国家百年の計と、及び自身の子孫の事を深く慎重に考えたうえで全て行動するべきだと強く確信するものであると確信する。
???
内容だけで釣り判定しないでよ。
内容以外のどこで判定しろと?
ちゃんと釣り針があるか見極めてよ。
ただの悪口と変わらないよ
悪口www
自分の辛い事実書いて釣り判定されて悲しかったの?可哀想にねwww
じゃあ書くなよ。アホか。
突拍子もない起こり得なそうな事実を書くならそれが釣り判定されるのは大前提として書けよ。
それがほんとに事実で、絶対に世の中に伝えなきゃいけないことなら実名でどこかに書けよ。
どうしたって匿名で、ってんなら、その事実を確証させる何かが無ければ信じてもらえないに決まってんだろ。
事実、ネットにある「実話」で匿名だったりで有名なものはほぼすべては嘘なんだから。
中には「ケーススタディ」としてあり得なそうな事実を話し合う、ということが大事な場面もあるが、
こんな所で盛り上がるのは、単純に、あり得なそうなことが、ホントに起こったんだ???ってことが理由なんだから、
その「釣り」がある程度文化として根付いて、2chみたいに最後に晒したりするならいいが、
こんな投げっぱなしの所でしかも元増田とそのトラバが見分け付かずに誰がどう反応してるのかさえ全く分からない場で
もともと、もっと違った方向のサービスだから流行ったんじゃないのか?
今や、増田は2ちゃんねるの劣化版、ならまだいいが、小町の劣化版に成り下がってる。
なんなの?
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2281.html
**以下引用**
ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」
個人的な経験と感覚で正確性も何もないものですが、ブログのコメント欄(現在は閉鎖)では上から目線の人や、自分は何でも知っているぞというスタンスの人の方が、幼稚な主張であることが多かったです。
また、有名人でも「自分はすごいぞ」という言動をなさる上杉隆さんなど虚言癖のある方が、論理性のまるでない主張をして一人悦に入るところが見られます。
そういった私のイメージが思い込みじゃなくてある程度一般的な傾向なのかも……と思ったのが、次の話です。
アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信は1位
(略)Education.comと言うサイトのコラムでは、アメリカにおける教育の現状を冷静に分析しており、要約すると以下の5点を問題に挙げています。(中略)
2. 国際比較をすると明らかに学力が低い
国際ランキングでは数学が25位、科学が21位。2002年に落ちこぼれの子を出さない誓約を立てながら、8年後の実情はミシシッピで14%、ニューヨークで30%、そしてカリフォルニアで24%のみが数学を習得している。また、全国では24~34%の子供だけがその学年レベルの読みを習得している。驚くことに、数学のレベルの低さとは別に、他国と比べてアメリカの生徒が数学に1番自信を持っているとの結果が出ている。(中略)
・アメリカの子供はいわゆるダニング・クルーガー効果"Dunning-Krugereffect"によって、自信が1位になっているのかも。
・ダニング・クルーガー効果:無能な人ほど自分の能力を過大視するという心理学。認識の偏り。知能の低い人間ほど自分をかなり知能を高く見積もる、あるいはその逆の認識をするケースが往々にしてある。
http://labaq.com/archives/51674348.html
このダニング・クルーガー効果に関する話は後々やりますが、上記で省略した部分も気になるでしょうから載っけておきます。
1. 現在のアメリカでは教育に対する予算カットが頻繁に行われているが、問題はお金だけではない
インフレ率に合わせて、生徒一人当たりに費やされる金額が30年間に4300ドルから9000ドルへと倍増したものの、成績が全く上がっていない。他の低予算の国よりスコアが悪い。(中略)
3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない
他の専門職では失敗をすると失職したり資格を剥奪されるのに比べて、ほとんどの教員はふさわしい資質を持っていなくても職を失わない。イリノイ州では57人に1人の医者、97人に1人の弁護士が資格を失っているのに対し、教師は2500人に1人のみ。巨大化した組合が、教職を2年務めると終身雇用という契約を結ばせるためである。
4. チャータースクール(民間運営の新しいタイプの学校)が質の悪い公立の学校の代わりとなっている
普通の学校でうまくやっていけない子たちのバックアップとなっているが、良い結果を出しているチャータースクールは5校に1校しかないのが現状。
5. 子供を学力別に分けることは不公平であり、多くの生徒の成功を奪う
学力別に生徒を分けることはアメリカでは一般的に行われているが、中レベルから低レベルの位置にいる子供に不利な可能性がある。この学力別システムは1950年に始まり、20%のみが大学に進み、30%が専門職(会計士、経営者、その他の大学の資格を必要としない職)、そして50%が肉体労働者になる。
「3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない」ですが、アメリカの先生は日本の比じゃないほどレベルが低い、より正確に言うとレベルの差が激しいようです。
私はそれはきちんとした教員制度がないせいであると聞きましたが、「終身雇用」ってのもびっくりですね。
学力別に生徒を分けた後が問題であり、この場合下位を切り捨てにしているからということでしょうが、その層に適した教育を重点的にやるということは理論上は可能です。
学力別に生徒を分けないということは高校を全部学区別にするなどして、レベル別にしないということになりそうですが、そうしたとしても結局大学は学力別に生徒を分けます。
世界大学ランキング2012-2013 東大はアジア1位で27位(3つ上昇)で1位だったマサチューセッツ工科大学(MIT)への入学を学区制にしましょうとは、さすがに誰も主張しないでしょう。
あと、こういう風に現在学力別に分ける状況にありながらも、なお「1番自信を持っている」というのも不思議な気がします。
普通はこうやると自信を持つ生徒が減りそうなものですが……。
こちらを広げると話が逸れていきますが、先の「アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信だけは1位」の波紋です。
・ダニング・クルーガー効果もこの現象の原因ではあると認めるが、どっちかと言うとこれは、アメリカの教育が自尊心を増大させていることが一因のように思う。
良いことを実行させるよりも、文化の良いと思わせる点を強調している。アメリカより科学などで抜きん出ている多くのアジアでは、それほど自尊心を強調しようとする概念がない。でもそれなりに満足を得ているか、自尊心が高い国より幸せだったりする。それは幸福の本質が単に自分のことをどう思うかだけではないからだ。
だから失敗を認めたり、訂正をすることは自分自身の見方を脅かす。これが全てを説明してるとは思わないが、好きな解釈のしかただ。
・自分が何をわかってないかをわかってない状態ってやつだな。同じことがスペイン語を学んだときに自分にも起こったよ。習い始めた最初の1学期が終わったとき「もうスペイン語はだいたい何でも言える、次の学期では何をするのかな」。次の学期が終わる頃「やっと過去形が終わった。うわまだ何もわかってねーじゃん」。(略)
・世界にNo.1であることを宣言し続けなくちゃいけないのなら、深刻な不安定さを象徴している。そういう間違った自信が国を滅ぼす。皮肉にもこの手の崩壊をもたらすやつらこそが、愛国者と呼ばれたりしている。
・宣伝工作もだよ。「世界で1番の健康保険」とか「世界1の憲法」とか「我々の民主主義がすばらしすぎるので輸出しよう」とか、「世界1自由な国民だ」とか。
・その「自由」ってのに引っ掛かる。過去15年で5カ国(スコットランド、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ドイツ)に住んだよ。で、一番不自由な体験をしたのがアメリカさ。
・単に他の国が、いちいち「我々はナンバーワン!」とか「U-S-A U-S-A!」とか叫ばないだけだ。ちょっと恥ずかしいだろ。オーストラリア人より。
・記事によると同じ試験を受けた他の国の子供たちは、「一番出来るというわけではない」と答えている。(略)
・実際アメリカは世界的には偉大な大学を持って、研究者も世界中から集まっている。それからお金もだ。研究するための莫大な金を持っている。
・確かに世界でもベストといえる施設だが、研究者たちの70%は少数派の民族だ。(アジア人とか東南アジアとか)
・少し誤解を招いている。サンプルのサイズに大きな問題がある(アメリカは他の国と比べて大人数を教育し、さらに国がそれを無料で提供している)。試験の点数は35%もいる黒人やヒスパニックの悪い成績により引き下げられている。アジア系アメリカ人は平均541点で、上海、香港、日本、韓国と似通った点数である。ヒスパニックではないアメリカ人は平均525点でカナダの524点、ニュージーランド521点、オーストラリア515点に匹敵している。それとは対照に平均のヒスパニックは446点、黒人441点である。
・その書き方だとアジア人、黒人、ヒスパニックはアメリカ人じゃないみたいだな。
・カナダもマルチ民族で白人ばかりではない。オーストラリアやニュージーランドもだ。なのでやはり全体として悪いんだよ。
・違いは民族から来るというより文化からだね。他の文化に比べて、学習することを強調するサブカルチャーもある。
・1年レジで働いたが、みんなお釣りがいくらになるかわかってなくて、小銭を嫌い、余計に請求されても感謝していた。
・「近代の基本的な問題の原因は、愚か者が確信しきっていて、賢い者が疑問でいっぱいだからだ」―バートランド・ラッセル
オーストラリア人としてアメリカに6年住んだ経験から、両国の差を次のように考える。
アメリカ人は「NBAにプレイできるように頑張る」とか「NBAでプレイがしたい」というより、「NBAでプレイをするんだ」といった風に育てられる。自身を肯定することが根付いているんだ。利点としては自信を持つことで実現につながるし、ポジティブ思考であり、自分を信じることにつながるが、欠点としては、自身に対する錯覚や思い違いにつながることがある。
オーストラリアでは偽の謙虚さが根付いていて、自慢したり、何が得意だとかは絶対に言わない。がんばるしベストは尽くしても、自分が人より優れているとは思わない。昔はこれが尊敬すべき方法と思っていたが、今は2つの観念の間にはさまっている。アメリカに住むまでは自分が何かを得意だとは思わなかったし、ネガティブなコメントを恐れて言うべきことを遅らせたりした経験もあった。アメリカの「出来る」という態度や大げさな褒め言葉やサポートは気に入ってる。オーストラリアの真面目に働くところや謙虚さも気に入ってる。
最後にバランスの良い意見が載っていましたが、ダニング・クルーガー効果は全体的な傾向であり、絶対的なものではありません。
場合によりけりであり、世の中では自信を持つことが大事という主張がむしろ多いように、これが良い助けとなる場面も存在します。
過ぎたるは及ばざるが如しで、極端に自信がないこともまた問題となるでしょう。
といった点を踏まえつつ、ダニング・クルーガー効果の別のところの説明です。
ダニング・クルーガー効果(Dunning-Kruger effect)
(略)これは、コーネル大学の2人の研究者の実験による理論として1999年に発表されたもので、「知識の少ない人間が、もっと知識の多い人々より自分の方が物事をよく知っていると思い込む」現象のことです。実験に当たって彼らが立てた仮説は以下の4つで、結果的にそれらがほぼ証明されたのです。
1. 無能な人々は、自分のスキルのレベルを過大評価する傾向がある。
2. 無能な人々は、他者が持っているスキルを正しく認識できない。
3. 無能な人々は、自分の無能さがどれほどのものかを認識できない。
4. こうした人々も、本質的にスキルが向上するような訓練を施されれば、それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる。
http://ogasawara.cocolog-nifty.com/ogasawara_blog/2011/06/dunning-kruger-.html
「それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる」とありますが、能力がない人ほど自分の間違いを認めることができないというのは、最初に書いたコメント欄、有名人だけでなく、職場の人を見ていても感じます。
もう一つのブログはかなり詳しいですけど、ダニング・クルーガー効果以外の話です。しかし、内容的には同じ傾向の話があります。
それほど自信のない人のほうが、より成功する?
by creiajp on 7月 12, 2012 • 12:30 未来の人事を見てみよう
The Worse-Than-Average Effect: When You're Better Than You Think
平均以下効果: もし自分が思っているより自分がマシだった場合
http://www.spring.org.uk/2012/06/the-worse-than-average-effect-when-youre-better-than-you-think.php
そして、
Less-Confident People Are More Successful
それほど自信のない人のほうが、より成功する
http://blogs.hbr.org/cs/2012/07/less_confident_people_are_more_su.html
最初の記事で話題になっているのは、Worse-Than-Average Effect (もしくはBelow-Average Effect) で、ここでは「平均以下効果」と訳しました。(中略)
"もし自分が何かが得意だったとき、同様に他の人にとってもそれが得意だと思いこむ傾向があること。したがって、もし自分が得意な物事において難しいタスクにぶち当たってしまった時に、自分の能力を過小評価してしまう〔なぜなら他の人は得意に違いないから〕"(中略)
この説を唱えているクルーガーという学者は、一般的にはダニング・クルーガー効果で知られています。(中略)
"人々は、チェスやギャグ、ジャグリングやプログラミングといった、ステレオタイプ的に難しいとされる能力について過小評価する傾向がある。"
ということで、自分がある程度学習して出来るようになった能力は、自分でも出来たんだから誰でも追いつけるはずで、自分はそれほど大したことないはずだ、という思い込みですね。実は習熟するまでにはそれなりの時間を投資しているにも関わらず。
http://www.creia.jp/blog/2012/07/12/6
平均以下効果はダニング・クルーガー効果の"逆パターン"だそうです。
本当はよくできているのにも関わらず、そうではないと思う方ですね。
なお、"それほど複雑ではない簡単な内容については、先のダニング・クルーガー効果のほうが当てはまる確率が高い"そうです。
ということは、高度な分野においてはダニング・クルーガー効果はあまり現れず、平均以下効果の方が現れやすいということでしょうか?じゃあ、今日の最初で書いた上杉隆さんは例外になっちゃいますね。
どうにも扱いの難しい「自信」の取り扱いですが、Harvard Business Reviewに載った2番目の記事では、自信のない人のほうが、より成功する、という説を唱えていて、このメディア上ではコメント欄が200近くに達して軽く炎上しています(笑)。(中略)
"自分への自信は低い時に限って助けになる。"
とのこと。ただ、extremely low (極端に低すぎる) のはダメ、とのことで、その案配がどうにも難しいところなのですが。
先のクルーガーの「平均以下効果」が発揮されているような自信のない人のほうが、自信満々の人よりも成功する要因は、以下の3点にあるとのこと。
1.Lower self-confidence makes you pay attention to negative feedback and be self-critical
低い自信はネガティブなフィードバックへの傾聴を促し、自分自身に対して批判的になれる
2.Lower self-confidence can motivate you to work harder and prepare more
低い自信はさらなる勤労・勉強と、さらなる準備に向けたモチベーションを起こさせる
3.Lower self-confidence reduces the chances of coming across as arrogant or being deluded
低い自信は傲慢になったり勘違いしたりといった傾向を減らしてくれる
他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5
適度に謙虚でかつ貪欲にという姿勢が大切なのかもしれません。
(12/8追記:こういうコピペがあるそうな。
「パソコン詳しいですか?」
工学系「(寄せ集めで自作PC作ったくらいだし…)いえ、そこまでは…」
情報系「(周りの奴のほうが詳しいしな…)まぁ、人並みには…」
文系「(パソコン?毎日YouTube見てるしな…)あぁ、詳しいっすよ」
2012-01-10■僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった しのごの録
"(中略)高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。
総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。
また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。(中略)昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。(中略)"
対する返信。
"私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。(中略)一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。(中略)
時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか(中略)自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。(中略)ほんとうに惨めな気持ちでした。
幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。(中略)微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。(中略)
「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。(中略)(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)
http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
ダニング・クルーガー効果と平均以下効果のどちらかが現れるかの境目とも関係するんじゃないかな?とちょっと思ったので、ここで紹介しました)
なんかもう、議論がむちゃくちゃだな。
生物の多様性が「目的」だとか言うバカが居るが、なんだよそれ。
本当の生物の「目的」が何か、と言う話になれば哲学的な話になってどうこう言えないとこがあるけど、
「多様性」は生物が種として生き残ってくための手段でしか無いだろう。なんで手段自体を目的にしてんだよ。
不安定に数年から数十年単位で朽ちてくのは、その多様性を実現するための手段だろ。
生物の多様性なんて100%エラーのない完璧なコピーを作り続けることは不可能っていう物理的な制約にともなって 勝手に生まれちゃうもので目的でもなんでもないでしょ。
とか
そこら辺から先は古典物理を越えちゃうからあれだけど、「なぜ生物は細胞などの完全なコピーを行うシステムではないのか」ってのが割と解き明かすべき命題な気はするよ。
とか、馬鹿なのか?生物は敢えて2種を混合したりそこに不確定要素を大きく入れることで多様性を深めて適合者を生き残らせようとしてるんじゃん。
てか、無性生殖生物も居るわけで。無性生殖だと100%完璧なコピーと言えばそうなんじゃないの?後の外的要因で変化したりはするだろうけど。
ある特定のグループの性質自体をいう場合もあれば、本当にそれが備え持った外的要因無しの能力のことをいうこともあるし。
人間の男女として生まれたら、その性質としては異性と繁殖して子供を残すこと、ではあるだろう。
だが多様性の中で、その能力その物を持たない物も生まれるし、そのような気持ちにならない、と言う者も生まれる。
そのような者が生物にとって何の意味があるか、と言われると、誤解を恐れずに書けば単なる失敗でしか無いだろう。
障害を持って生まれた生物に意味があるか、と言うことに関して、人間社会ではそれすら補う能力を備えているが、
多様性を求めるので、何が成功するかわからない、ランダムに作る、このことで、その時点で全く意味のないものが生まれることだってあるだろう。
そのことに関して、感情的に、「サイエンスでは測れない物が人間にはあるんだ」等とほざいてるのは笑止。
@guchinandayo サイエンスでいうなら、遺伝的に多様な子を残す事は有利なのだから、乱交やレイプは推奨される行為になる。サイエンスでいうなら、なるべく大勢の人間を生存させるのが有利なのだから、カロリー辺りの生産効率が悪い肉牛の生産は禁止しなければならない。
現にサルの社会ですらレイプのような事は当たり前に行われる。いわんや他の生物は。
人間社会でそれを許さないのは、自分の権利を守るために他の人間にも強制してるだけ。
また、人間は、元々非常に弱い種で、特に幼少期は他の種には見られないほど弱く、成長が遅いが、
恐らくそこには生まれてから「学習」する機会を存分に与える、と言う他の生物に無い機能を実現するためのものだと思う、サイエンスで言うならば。
それを補うために、人間は子供をきちんと育てる、守る、という本能を持っていて、
無駄な繁殖行為はそれを妨げる事にもなるので、レイプや乱交で無駄に子供を産まないのはサイエンスで言っても正しい。
というか、他の生物でもメスがこれと決めたオス以外とは交尾を拒否したり、一度妊娠したらオスを完全に遠ざける行為はある。
@guchinandayo サイエンスでいうなら、生物の目的とは子孫を残すことなのだから、あらゆる文化活動は時間の無駄であり、農業、またはその生産性を向上させるための産業以外の産業に従事する事は積極的に否定されなければならないし、全ての趣味も否定されなければならない。
人間の文化的活動は、人間の知識進化の一部であるので、無駄かどうかは別として進化の過程で当然発生するもの。
文化が無駄かどうかは別として、生物の多様性で、確実に意味のある優れた物だけを産め、ということがそもそも不可能なように、確実に生物の目的に合うものだけを正しく選択することは不可能。
ただし、それが長いこと人間社会に根付いているのであれば、サイエンス的にも「意味」のあるものである、ということだろう。
何が意味があるかないか、サイエンス的に言ってもそれがあるかないか、でしか言えない。
逆に言えば、同性愛者等も、現に生まれている以上、意味のある存在ではある。だが、その意味として、単に多様性を生むためのランダム性の中で生まれてきているだけ、と言う可能性もある。
@guchinandayo サイエンスでいうなら、生物の目的とは子孫を残すことなのだから、もはや子孫を作れず、それを育む活動にも従事できない老人や重度障害者は、生きること自体が積極的に否定されなければならない。
これは確かだろう。現に、だからこそ人は死ぬわけで。繁殖行為や出産後にすぐ死ぬ生物も多くいる。
人間の場合は、上にも書いたが、出産後も「育てる」という目的があるため、繁殖行為ができなくなった後も長く生きる。
だが、
もはや子孫を作れず、それを育む活動にも従事できない老人や重度障害者は、生きること自体が積極的に否定されなければならない。
これが何故受け入れられないか。
生物として、優劣があり、どこかの部分で見捨てられ、生きることを許されない境界があるだろう。
だが、種として、余裕があるかぎりなるべく多くの者を残しておくことは有利になる可能性が高い。
だが、その分他の個体の負担も増える。そこのトレードオフを鑑みた上で、今の人間はある程度の者を残すようにしているのだろう。
また、そのような余裕は、各個体としても普段の活動を充分に行うために必要な物であり、サイエンス的にも無駄とは言えないだろう。
やっとここまでこれた。
五年前から地道に彼女を調教してきたのだけれど、ようやくここまでこれた。
あの日「うんこ食べろ」と言ったとき、彼女の普段のセックス中には絶対見せない「あきれ顔」をみて、
俺は「よし、こいつに日常的にうんこを食わせる習慣を作ってから結婚しよう」と誓ったのだ。
そう、この話は、俺がようやく(彼女はもう三十路だ)、大学生の頃から付き合ってきた彼女にプロポーズできるという話なのだ。
俺が、なぜ彼女にうんこを食わせるようになったのか、それは大学の頃にインターネットで見つけた調教サークルがキッカケだった。
その調教サークルは大阪で活動していて、インターネットに写真をアップロードしたりしている、ちなみに今でも活動中。
実は最初は調教してもらうつもりで、サークルのチャットに参加したのだが、そこの面々が思いの外軟弱、というか女に対して姿勢が低かった。
(もちろん、今思うと、サド/マゾの関係とチャットのそれは別物であり、彼らは大人としてちゃんとしていた、という話で、俺が子供だった)
昔からイジメる側に回る事が多かった俺は、大学でもその鼻を叩きおられておらず、
「こんなエグいことやってるオッサンもこんなもんか」と完全に舐めきっていた。
そして当然、そんなオッサンの意味わからない命令を聞く女たちのことは、俺の思い通りになって当然だ。
そう感じていた。
俺はその調教サークルのチャットで、ガキながらもぐいぐい参加して、周りを引っ張っていた。(というか、振り回した)
そこではメール調教なんかもやってたんだが、リアリティに欠けるというか、文字を読んでもしょうがねえ、と思っていた。
だから、早くオフ会に参加したかった、けどそんな今思うと空気の読めてないガキを大人の集まりに誘ってくれるわけもなく、
チャットで女やオッサンたちに上から目線で指摘してばかりいた。
「そんなの生温い、俺なら小学校辺りで脱がせる」だの「24時間箱に詰めるだけが何が面白いんだ」だの「時計を飲み込ませる? 意味わからん、どうせ飲ませるなら薬とかにしようぜ」だのだ。
今思うと恥ずかしい。
そうこうしているうちに、気づくと俺は社会人になっていた。
高校の頃から女と半年以上続く事のなかった俺だが、今の彼女とは合コンで知り合って、なんとなくセックスをして
なんとなく付き合うことになり、なんとなく切れることなく続いていた。
それは、ちょうど就活で忙しく、文系特有の過去の引き出しの文章を右左するだけの卒業論文があったりと、まあそれなりに俺らしく他毎に集中していたからかもしれない。
調教サークルの面々とのチャットはすっかり日常的になっており、
その頃には俺の上から目線もなくなってきて、さらに言うとチャットがCGIのそれから、外部に漏れることのないIRCチャットに移行したことで、
逆にそういう「調教」というものに興味を抱かなくなっていった。
そんなある日、調教サークルの面々に、ヤフーブログでやっているある日記を紹介してもらった。
調教ブログ等とは違い、ご主人様は登場せず、その女子高生一人だけの淡々とした日記。
その中でその女子高生は、必死になったうんこを食べようとするのだ。
そんなブログだった。
今思い直しても、本当にそんなブログがあったのだろうか? とわけがわからなくなるのだが、本当にあった。
(釣りかどうかは、よくわからないし、どうでもいい。中身はおっさんだろ? とか当時は言われていたと思う)
ほんの数週間の間更新して、あっというまにヤフーに消されていた。(当たり前だと思う)
だったが、俺はその「自発的」に「うんこ」を「食べる」という行為に、完全に心を奪われていた。
けれど、その女子高生のように「自発的」に「うんこ」を「食べる」というのは、もう完全に俺の思考の外にいた。
なんで命令もされてないし、無理矢理つっこまされたわけでもないのに、うんこを食べるんだ?
バイブだの、露出だの、縄だのじゃない、本物の意味での調教だ。
彼女の価値観を変える、彼女がうんこを食べたいと心の底から思うように改造する。
その一心で、まずは調教サークルのメンバーや、他の調教ブログを読みふけり、色々と研究をした。
結果わかったのは、生まれながらに頭のネジが外れたキチガイみたいな奴が少なからずいて、ブログを更新していた女子高生もおそらくそれだと言う事だ。
つまり俺は、彼女の頭を支えているネジを外してやらないといけなかった。
最初のその結婚を決意させた呆れ顔の日は、無理矢理口を開かせ、口の中に押し込み飲み込ませた。
「ライターであぶられたくなかったら食え」や「針を通されたくなかったら食え」といった、痛みよりはうんこを食べる方がましだと、彼女の頭に思い込ませたかった。
だが、半年たって気づいた。
こうじゃないだろ? と。
この先に待っているのは、ただ暴力におびえて俺の言う事を何でも聞く女だ。
そんなものはこれっぽっちもいらない。
それもあの呆れ顔のままで。
これは彼女にとって幸せなこと(些細なことでいい)があったときは、うんこを食べさせるという方法だった。
本当に些細なことでよかった、彼女は花とゆめという漫画雑誌を買っていたので、毎月5日と20日に雑誌を買って帰ってきたら、うんこを食べさせた。
(この頃はまだ無理矢理だ)
他にも、外食で彼女の好物である鶏皮を食べたときや、彼女の好きなお笑い芸人が爆笑オンエアーバトルを勝ち抜いてオンエアーされた日、
そんな彼女の中の些細な幸せを徹底して、うんこを食べることと結びつけてやった。
やたらとテンションが高い日が続いたと思えば、うっとうしく泣いてばかりいる日が続いたりしていた。
だが、少しでもそうに傾いたら、うんこを食わせた。
そうしていたら、うんこを出さなければ、食べなくてすむと勘違いしたらしく、
身体が便秘症になっていった。
浣腸してやってもよかったのだが、その態度がムカついたので、俺のうんこを食べさせてやったり、
一晩中公衆便所を一緒に回り、うんこの落とし物を見つけて食べさせてやった。
普段の生活の中で、俺に対して厳しくなったのだ。
そう、俺のスイッチが入るタイミングが分かってきたのだろう、そして
「うんこを食べる」ときと「うんこ食べない」ときで、スイッチを意識的に切り替えるようになったのだろう。
俺はそんな彼女の浅ましい態度にムカついた。
とにかく、俺は彼女が「自発的」に「うんこ」を「食べる」人間にしたかったのだ、
うんこ食べるモードに切り替えるのではなく、自発的に自分の力で食べて欲しかった。
幸せうんこサンドイッチ作戦のとき以外、彼女には一切話しかけなかった。
結果としては、これが正解だった。
ある日彼女の方から「今日はお昼の日替わりランチが天津飯だったので、うんこを食べます」と宣言したのだ。
それが、一年前の夏だった。
それ以来、彼女は最低でも月に一回は、自分からそう宣言するようになった。
俺は彼女の中に、うんこを食べることが根付いたことが嬉しかった。
ようやく、結婚できる。
長かった、苦しかった。
でも、すべてが報われたような、晴れ晴れとした気持ちだ。
そいつはただの馬鹿だから勝手にそいつを全体の対象者にすんなや。
数学は人間が作った道具に過ぎないに決まってんだろうが。アホか。
でだ、問題は、そのアホみたいな順序決めを、一生そのまま使えるのか?って話だ。
一歩中学に入ったら、そのアホみたいな教えは180度変わって「間違い」になる。
なんでわざわざ小学校の時に「間違え」を教えなきゃいけないんだよ?って話だろうが、アホか?
その教えが、単に大きな枠組の中の「一部」であり、簡単なことだけ最初に教えよう、というならいいんだよ。
だがしかし、そこで「嘘」を教えて、あとからそれは説明のための嘘でした、なんて言って誰が納得する?
他の事でそんな説明あったら誰も納得しないだろ?
ましてや小学生だ。まだ何も知らない段階でそれが「正しい」と教え込まれる。
そうするとそれが絶対の概念として根付き変えられなくなって、中学に入ってからも可換だということを受け入れられずに挫折する奴が増えるだけだろ。
だから利点よりも弊害が大きすぎるって言ってんだろ。
朝鮮期の春画にもたびたび散見される、おっぱい丸出しチマチョゴリ。
春画の内容は、両班らしき役人が賎民らしき下女の乳を揉んでいたり、洗濯する女性を覗き見たり、所構わずレイプしたりというのが多い。
チマチョゴリは男性の性欲を満たすべく、胸の部分が開いており、乳房が露出している格好となっている。
その殆どが男性社会の顕れなもので、今のように胸を露出させない格好を見ると逆に安心する。
日帝時代に朝鮮に入植して文化を与えた事を知れる数少ない証拠なのかもしれない。
それ以前の朝鮮時代は、女性蔑視の世の中だったわけで、欧米文化とかキリスト教のおかげだという意見も確かにあるが、
戦前の朝鮮向けに出てる朝日新聞に当時の文化背景について描写されている。
いずれにせよ、日本帝国がやってきたのは何も侵略だけじゃなかったという事だ。
事実、台湾や東南アジアにも侵略した歴史はあれど、それを咎めるメディアをあまり見ないし、むしろ好意的な意見が多い。
だからって日本がアジアおよび朝鮮を侵略した歴史は事実として残るし、それを非難するのも分からんではない。
日本だってGHQが来たときには大分恨んだもので、当時としてはGHQ以上に日帝を恨んだというのが大きいか。
そのため、現政権が改正案を出すまで、ずっと日本国憲法は遵守されてきたのだから、多分そう言う事なのだろう。
話は戻るが、韓国には日本の伝統文化がある程度根付いたおかげで、朝鮮時代まで続いて来た女性蔑視社会は少なくとも女性の社会進出が達成されるまでに
回復したといえる。
但し、日本という国は仏教伝来以降は非常なミソジニストであるから、現在のように女性の社会進出がなされていても一方で雇用であれば賃金の少ない閑職であったり結婚あるいは出産後は寿退社という形で退職に追いやられるのが必定となっている。
にも拘らず韓国では女性蔑視社会でありながら、現在は女性大統領が統治している。
ただ、韓国という国は、朝鮮時代から続く特殊な社会であることに注意したい。
韓国でもある程度女性の社会進出がなされていても、それはある一定の中産階級以上の女性であって、中人未満の女性たちには、殆どが望まれない婚姻を強制的に結ばされている等と現代社会においても女性蔑視社会である事に変わりはないだろう。
ただ、韓国では一足早く国家の首長に女性がなる等、一応女性の社会進出を世界中に完璧に示した事だろうが、日本では戦後、未だに女性の首長は立っていない。
それどころか、皇族に関しても女性天皇が立つ事に否定的な意見が集中していることからも、日本社会には未だ根底には女性蔑視の風潮が漂っている。
こういった部分を直す事の方が日本人としてのみならず、一介の男性女性としてよほど重要なのではと感じている。
日本が他の先進国に劣って見えてしまうのは結局、韓国のような目に見える形を持たない、それ以上に陰湿な女性蔑視社会が根底にあるためではないだろうか。
無論、日本に限らずアジアでは女性がとにかく蔑視される風潮が未だにある。
インドやイスラム圏を見ても強姦事件が発生すると男性は放免で女性は冤罪であろうと死刑に処される所を見るにその風潮は根深いというしかない。
その中で、アジアでもとりわけ特異な女性蔑視社会を享受する日韓両国を見ると悲しくなってくるのは何故か。
韓国の伝統衣装を見てもこうなのだから、現在の韓国を生んだ日本では今もってたくさんの女性が社会進出を妨げられているに違いない。
さて、今回も感情の整理と現状の把握と、いつかこの気持ちを思い出せるように。
それでは始めましょう。
彼女とお別れしてしばらくが経ちました。
意外とそんな気分にもなれずに大人しく過ごしております。
彼女ありきの浮気などといったどうしようもないレベルの名言まで飛び出す始末です。
本当にどーしよーもねーなー。
某SNSで彼女がいい別れができたって書いてて(ネトストこあい)
それだけが、まぁ救いです。
少し渡す物があったので、彼女にメールをして、それでまた連絡するって言われて、
あぁ、これでもう自分から連絡することもないのだろうな、と思いました。
意外なくらい、淋しいくらい、彼女の居ない日常に慣れていきます。
ただ、気付けば身の回りの物に貰ったモノが意外と多くて、
彼女の存在が日常に根付いていたのだなぁ、愛されていたんだなぁと思います。
そして、不在を強く感じるのです。
今もまだ好きだけど、戻れるとかは思っていなくて、こうやって過去になっていくんですね。
別の側に居てくれた人が去っていってとても淋しく思ったり、
気分転換に久々に行ったコンパが人生で一番盛り上がらなくて死にたくなったり、
それでもほとんど喋ってなかった女の子が気に入ってくれて後日二人で飲みに行ったり。
飲みに行けばすごく素敵な女の子で、そのままスムーズにホテルに行ったり。
すったもんだでちんちんかもかも。ちんちんかもかもって言いたいだけですけど。
その女の子はどうやら僕を気に入ってくれている様子だし、
可愛いと思うし、一緒に居て楽しいし、セックスは気持ち良いし。でも、それだけ。
好きだなぁとか、付き合いたいなぁ、とかは思えない。
若い頃ならそのまま次にいけたのに、まだちょっとそういう気分にはなれない。
いや、きっとそういう気分になれないんじゃなくて、きっとそういう気分になりたくないだけ。
もう少し、彼女と付き合っていた日々の、余韻に浸りたいんだと思う。
映画のエンドロールの後の感じ。本を読み終えて本を閉じて目を閉じる時のあの感じ。
だって思い出主義者だもの。くだらない感傷に浸るのが好きなのです。
人はずぶとくてたくましいな。ほんと馬鹿だしすごく愛おしいや。
余談ですけど前回書いたアレは、賛否両論ですごく面白かったです。
アレはホント知り合いには見せられない。
自分の知り合いがあんな文章を書いてたら、どんな顔をして会えばいいか分からない。
自分で読み返して、我ながら気持ち悪かったです。
すごく自分に酔っていて、すごく自分大好きな感じが出てて、すごく名文だと思います。
あんな文章は今は書けないもん。あの文章は、あの時にしか書けなかった。
別れたての一人でモヤモヤした寝れない夜の布団の中でこそ、書けた名文なのです。
この文章も、いつか黒歴史となる日がくるのでしょうね。
その日がとても、楽しみです。
http://anond.hatelabo.jp/20131031224610
「俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。」は上から目線で言い過ぎかなぁと思ったけど。私は同じ気持ちにはなれないけど理解はできる。こういう人、私の周囲にも多いから。
「こういう人」っていうのは、アニミズム信仰は宗教に含まれるとか、宗教学的にはこういうのも宗教に含まれてねって話をされて、「だからなんだよ、学問的にはどうこうとか知らねーよ、俺の中では宗教じゃないんだから宗教じゃねーよ」みたいに感情的に否定する人、って意味なんだけど。
宗教どうこうに限らず、「俺の価値観を揺さぶるんじゃねーよ」って人、ってことね。
そういう人の学歴を誰かに統計とって調べてみてほしいと思う。煽りとかじゃなくて。
その中に大学生や大学卒業者が結構いたら、その考えって損してるなあと思う。
大学に何しに行ってるの?or行ってたの?と感じる。
大学って、新しい知識や考え方を好きなだけ学べる場でしょ。
そういう知識を得るって単純にわくわくしないかなあ? 「こういう考え方もあるんだー!」って気づきを貴重だと思えないのかなあ?
件の教授が教鞭執ってる大学の学生だって、新しい知識を得るために大学入学したわけでしょ。で、文化人類学的なことが学びたくてこの教授の講義履修したわけでしょ。
(違うのかな? 就職のためだけに大学入って、単位取るためだけに履修したのかな。それってえらい時間とお金の無駄だな)
それで最初の授業で、無宗教だと思っていた自分の根幹に実は宗教的なものが存在すると知らされる。
「おー!」ってならない? 面白いなーってならない?
自分の価値観が絶対で正しい、だから他者に否定してほしくない、そういう自分大好き超大切!な人でも、生きていくうえで普段困ることとかは特にないかもしれないけど。
でも、その凝り固まった考えで大学行くのは絶対勿体無いよと思う。
大学教授から教わるものって、最先端だから、逆を言うとまだ定説として確立してないものも多い、すごく危ういものもある。
だから「この教授はアニミズム的なものを含めて宗教だって言ってるけど、それって正しいのかなあ」って疑問を抱くことは否定しない。
それを議論するのはいいことだと思う。そうやって学問は成熟するんだから。
でも議論にもなってない、「宗教学上の定義とかどうでもいいんだよ、気づきなんていらねーんだよ」派の人は本当、大学で何がしたいんだろうと思う。
今までの自分の価値観を否定されるのは怖いって気持ちは分かるけど、だからって「教授むかつく」「態度が気に入らん」って個人攻撃に走られてもなあ……
もっと冷静になろうよ。
自分は教授の言うことの何が受け入れられないのか。それはどういう素地から来る感情なのか。
そうやって自己を見つめ直す体験って貴重だし面白いと思うんだけどなー。
面白いと思えない人でも、そういう考え方ができないでどうやってレポートやら論文やら書くのかなと思う。ネットの丸写し?
あと、ちょっと違う話になるけど「『宗教信じてますか?』と言われて『信じてます』と言わないのは現代日本人として正しい」みたいな意見は正しいかも。
私も初対面の人に「はじめまして! ところで私、××教の信者なんです!」とか言われたら、勧誘されるかもと思って身構えるし。
対磐田リーグ通算対戦成績16勝5分22敗で迎えた第30節ジュビロ磐田vs清水エスパルス
ジュビロ磐田はヴァンフォーレ甲府と静岡ダービーの試合結果によっては今節で降格が決まる。
清水エスパルスサポーターにとっては今までの屈辱を晴らす一戦でもあった。
実際には試合開始前にはヴァンフォーレの引き分けは確定しており今節で降格は免れていたが…
磐田サポーターの間では、Jリーグ設立時に磐田の前身であったヤマハ発動機がJSL一部(当時)屈指の強豪であったにもかかわらず、「市民球団」を標榜する清水に参加権をさらわれた、という意識が未だに根強く、清水戦を特別視する人も多い。一方、清水サポーターはサッカー王国・清水としてサッカー文化が根付き各年代に代表選手を送り込み“サッカー王国”といわれる静岡を牽引してきたのは清水という自負がありJリーグ参加チームで唯一“サッカー王国静岡・清水”という名前のみで参戦できたことを誇りに思っている多くのサポーターがいる。
Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、清水市(現・静岡市)からも市民組織のクラブチーム・清水FC(エスパルスの母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。
だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会のプロ化検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指すとしてこれを拒否。
またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化の手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年に地元企業やマスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年にジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度の適用第1号(他日立→柏レイソル、フジタ→湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。
この時点においては清水エスパルスサポーター側にはジュビロ磐田に対する対抗意識はなかった。
しかしジュビロ磐田側にとってはJリーグ加盟を奪われたと思われていた。
経営面や施設面で不備があったにもかかわらず…。
1994年4月6日初めての静岡ダービーが行われる。この試合は清水エスパルスが勝利した。
しかし、5月18日から1996年4月27日まで8連敗を喫する。
さらに、1997年にはジュビロ磐田が清水エスパルスよりも先にリーグ優勝をした。
このあたりから清水エスパルスサポーターに対抗意識が芽生えてきたようだ。
ちなみに初めて「蛍の光」を清水エスパルスに歌ったのが1994年5月18日。以後ことあることに歌うようになる。
年間チャンピョンを決めるチャンピオンシップにて清水エスパルスがジュビロ磐田に負け初の年間優勝を逃す。
「俺達は清水が滅ぶまで戦い続ける磐田を見て死ね」の横断幕を掲出する。
「A name of kingdom IWATA と 今までの獲得タイトル」を記した大型フラッグを掲出する。
「A shame of kingdom SHIMIZU と Empty?」を記した大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田と清水エスパルスのエンブレムを天秤に載せた」大型フラッグを掲出する。
ゲーフラでは「J2 死水」や「ROAD TO J2」などと掲出
この事件により清水エスパルスとジュビロ磐田のコアサポ間で行われていた交流がなくなる。
「降格?嘘だよね?バーカアホメガネとジュビロくんの絵」の大型フラッグを掲出する。
「ジュビロ磐田のフラッグに穴をあけJ2」と記したフラッグを掲出する。
「J2 チャレンジ 一年生」「格下」「A Shame of Kingdom?(笑)」「片道切符の島流し」などとゲーフラを掲出する。
「勝利は続くよどこまでも」を合唱する。
Yahooニュースのコメント欄にいろいろ書かれていたので増田してみました。
今回の出来事について当然賛否があることでしょう。