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2024-06-30

2023-11-27

[]参入プレーオフ清水VS千葉に決定。清水山形スコアレス千葉甲府を下す。

 来シーズンのJ1参入プレーオフが25、26日に行われ、25日のアイスタでは4位清水エスパルスが5位モンテディオ山形スコアレスドローに終わり、年間上位の清水進出今日フクアリで行われた6位ジェフユナイテッド千葉VS7位ヴァンフォーレ甲府千葉が前半に挙げた小森のゴールを守りきり、決勝にコマを進めた。

 来季のJ1は24クラブとなり、既に町田ゼルビアジュビロ磐田東京ヴェルディの昇格が決まっている。清水VS千葉12月2日国立競技場で行われ、勝者がストレート来季J1昇格、敗者はJ1の19位クラブとの参入プレーオフへ回る。引き分け場合は延長なしのPK戦で決着を着ける。

決勝進出清水 権田に代わり、大久保が大仕事

 清水山形スコアレスドローに終わったが、年間上位のアドバンテージを生かし、決勝にコマを進めた。勝てば自動昇格の12日の水戸戦に引き分けまさかプレーオフに回った。「ショックもあったが、まずは一つ乗り越えた」とMF乾貴士は安堵の表情を浮かべながらも「払拭する為にも勝ちたかったので、満足はない」と話した。

 立役者GK大久保だ。リーグ戦フルタイム出場のGK権田が16日の練習で頭部に球を受け、状態不良により離脱シーズンを通してサブの立場から味方を支え続けてきた守護神に出番が回ってきた。重圧のかかる大一番。それでも、「自分の良いところを出そう」とプロ16年目のベテランに気負いはなく、山形の猛攻を尽くセーブした。

 秋葉忠宏監督は「今日大久保様々」と殊勲の守護神を称えつつ「勝ちたかった。ゴールをこじ開けるところは来週の宿題」と満足せず。1週間の準備に全力を尽くし、昇格を懸けた集大成の90分に挑む。

千葉2014年以来の決勝進出。決勝ゴールの小森「このチームで上がりたい」

千葉が15年ぶりのJ1へ王手をかけた。前半23分に裏に抜け出したFW小森が先制ゴール。この1点を守りきった。小林慶行監督は「追加点を獲れなかったのは課題だが、選手達が最後までハードワークした結果」と称えた。

決勝は清水今季は1勝1分と負けなし。7月国立競技場でゴールを決めるなど相性の良いスタジアム小森は「緊張すると思うけど、このチームで上がりたいので、頑張りたい」と意気込みを口にした。

山形、無念のドローACL並行の甲府敗戦で昇格ならず

 山形は15年以来、ACLと並行しながら戦う甲府17年以来のJ1昇格はならなかった。

 山形は再三のチャンスをモノに出来ず、清水スコアレスドロー過去3回のPOは必ず1勝していたが、4回目で初めての初戦敗退にベテランDF山田拓巳は「個人もチームも力不足ですが、負けではなく、引き分けで終わるのは気持ち的に難しい…」と言葉を詰まらせた。

 シーズンは8連敗を喫し、監督交代もありながら、終盤の追い上げでPOにこぎつけた。渡邉晋監督は「成長速度は自分想像を遥かに超えるものだった。だからこそ勝たせたかった」と悔やみ、「この敗戦から学んで次に生かし、新たに力強い一歩を踏み出していく」と来季こそは「J1昇格」というエンディングを迎えると誓った。

 甲府は1点に泣いた。勝利以外、敗退の試合で前半に失点。後半、ウタカらを投入し、猛攻も及ばず。終了の瞬間、涙を流す選手もいた。篠田善之監督は「応援してくれたサポーター申し訳ない」とガックリ肩を落とした。

 ACLと並行しながらの一戦でターンオーバーを敷きながらの戦いがこの試合で終わったが、まだ”残り試合“がある。DF関口は「来季J2での戦いだけど、僕達にはやらなければならない事がある」と、29日のメルボルン戦に気持ちを切り替えた。

2023-11-19

サッカーを一緒に見に行くぐらいの友人が欲しくなった話

およそ15年ぶりくらいに、カシマスタジアムサッカーを観た。

30代前半男性、既婚、2歳の娘と、神奈川県で3人暮らしをしている。

私は茨城出身で、昔から鹿島は身近な存在だった。

家には、アルシンドジーコを肩車している写真が飾られていた。

アレックス・ミネイロ活躍していた時期に、鹿島への興味が深くなっていった。

多分初めて試合を見に行ったのは、2006年頃だったと思う。

当時中学生だった僕は、中の良かったクラスメイトのS藤くんとF谷くんと一緒に、カシマに行った。

F谷くんは一番前で太鼓を叩くような子だったので、S藤くんと一緒に、ゴール裏で、覚えたてのチャントを歌っていた。

ゴールが決まってS藤くんハイタッチして、オブラディを歌ったことも覚えている。

2007年10冠達成の試合は、試合の当日にたまたまチケットを譲ってもらい、

父に車を飛ばしてもらい、前半途中からスタジアムで観戦した。

バックスタンドの2階に行ったが、席が無くて父と離れた席に座った記憶がある。

勝利して、10冠が決まったとき自然と涙がこぼれ、父と大喜びした。

そして、この試合が、今日に至るまでカシマスタジアムで観戦した最後試合だった。

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スカパーJリーグの中継が始まって、DAZNに変わっても、ほぼ必ず毎試合鹿島試合は観ている。

鹿島が大好きだから試合の日は何よりも優先したい気持ちがある。

でも、鹿島が大好きなくせに、カシマスタジアムでの観戦は、15年以上していなかったのだ。

何故か。



距離が遠いし、アクセスがクソ悪いかである



高校生までは同じ県内に住んでいたが、大洗鹿島線に乗ってとんでもない時間を移動しなくてはいけなかったし、

大学東京に進学してからは、さらカシマは遠くなった。(と思っていた。後述。)

ましてや大学時代、周りの友人にサッカー好きは少なく、居たとしても他サポで「カシマに行こう」とは言えなかった。

物理的に距離が遠いのである

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しかし、スタジアム観戦をしていなかったわけではない。

2014年ヴァンフォーレ甲府ホームが雪で使用できなくなり、旧国立競技場で行われた開幕戦

2015年、3-0でガンバ大阪に完勝したヤマザキナビスコカップの決勝。

2016年、完全アウェーの中で勝利したJリーグチャンピオンシップの浦和レッズ戦。

少し期間が空くが、今年はコロナが明け、子どもも少し大きくなったため、

三ツ沢横浜FC戦には家族で、新国立競技場名古屋戦はチケットが当たったので兄と行った。

しかしこれらは全てカシマでの試合ではない。

からアクセスがしやすかった国立埼スタニッパツで観戦したものだ。

ちなみに何故かは分からないが、これらすべての試合鹿島勝利している。私が勝利の女神なのかもしれない。

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今回の「モトフェス」。

開催が決定したその日のうちに、妻に

「この日、どうしてもカシマに行きたい。娘を見てもらうことになるけど、この試合だけは行きたい」

と伝え、了承を得た。

初めてスタジアムで観戦したあの頃、僕の中でのヒーロー本山雅志だった。

そんな選手引退する。カシマに帰ってくる。

行くしか無い、と思いチケットを取った。

東京からバスが出ていることをここで初めて知り(アホ)、最寄り駅が東京であることを知った(皮肉)。

幸いなことに指定席バスチケットも取れ、当日を迎えた。

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15年ぶりのカシマ

得も言われぬ感慨に耽り、いろんな記憶が蘇ってきた。

メンバーも大好きな選手ばかりだし、試合内容も素晴らしいものだった。

開始前にご飯が買えなかったため、前半最後ハラミ飯を買いに行ったら、佐々木竜太のゴールを見逃した。

でも全てが、幸せ空間だった。

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帰りのバスで、このブログタイトルのことを思った。

スタジアムに行って思ったことは、家族連れや夫婦カップル・友人同士など、複数人で来ている人がとても多かったこと。

そして、周りからそれぞれいろんな会話が聞こえてくる。

今日試合は、もちろん特殊ものではあったし、鹿島サポ・ファンしか居なかったとは思うが、

それでも各所から選手についての楽しそうな会話をしているなと感じた。

試合カシマに行くことは出来ないし、これからも年に数度のアウェー観戦がメインだと思う。

一人で行ったことは気楽ではあったが、一緒になって感動を話せるような友人が欲しいな、と感じた。

地元を離れて進学し、職に付き、家を持ち…当時の友人とは誰ひとりとして連絡を取っていないので、SくんやFくんの所在すら知らない。

スタジアムで会ったら隣であーだこーだ言い合い、中継で観戦するときWeb上で感想を言い合う、それくらいの仲の友人がいたら、もっとしかったんだろうな、と。

ちなみに、私の妻はスポーツ全般にまっっっったく興味がなく、

三ツ沢試合たまたま暇だったか家族3人で行っただけで、子どもは途中で飽きてしまい、後半はスタジアムの外で遊んでいた。

今日はもちろん誘うこともしなかったし、誘っても来なかっただろう。

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繰り返すが、今日試合は最高だった。

久しぶりのカシマスタジアムも、久しぶりの選手たちも、会場の雰囲気も、全てが最高だった。

またカシマに行きたいと思った。

から今度は、誰かとその「瞬間」の感情を、分かち合えたら良いな、なんて思う。

2023-08-31

[]歴史が変わった!PK神戸を下し、クラブ初の4強

天皇杯オレオレFC1(PK4-3)1神戸>◇準々決勝◇30日◇ロイスタ
PK戦

神戸  :大迫○、武藤●、山口蛍○、大崎●、井出

オレオレ岩田○、村松●、森永○、奈良田○、鈴木潤

 オレオレFCPK戦までもつれ込んだ激闘の末にヴィッセル神戸を破り、クラブ史上初の4強入りを果たした。0ー0の後半17分、MF前田のゴールで先制点を奪ったが、終了間際に追いつかれ、延長戦へ。DF伊藤相手との接触で負傷退場するアクシデントに見舞われながらも、守り抜くと、PK戦ではGK松尾が二人を止めて試合を決した。

 5人目のMF鈴木潤が決めた瞬間、クラブ初の4強入りが決まった。神戸との大一番。延長戦で負傷者を出し、10人になるアクシデントにも負けずに耐え抜き、最後タレント軍団を押し切った。鈴木潤主将は「苦しい試合でしたが、みんなで我慢しながら、耐え抜いて、みんなで塗り替えた歴史なので嬉しいです」と喜びを噛み締めた。

 26日横浜FMから中3日の神戸戦は、先発6人を入れ替えた。他クラブで出場していたFW植村、MF藤崎天皇杯は使えず、FW浅田MF子安が代役を努め、システムを3ー3ー1ー3で臨んだ。球際の強さで負けず、時折カウンター神戸ゴールに迫った。

 後半、現在得点王FW大迫勇也が投入すると、野河田彰信監督DF奈良田を投入して4ー4ー2にシフトチェンジし、ブロック形成。後半10分にはMF森下FW森永を投入して攻めの圧力を増やすと、後半17分だった。MF森下の浮き球のパスに反応したMF前田は「ゴールしか狙ってなかった」と左足で冷静にゴール左隅に決めて先制点を挙げた。

 しかし後半終了間際に追いつかれると、延長戦は終始神戸ペースに。延長後3分にはDF伊藤相手との接触で右足を負傷し、10人となったが耐え抜くと、PK戦ではGK松尾が2人目のFW武藤、4人目のDF大崎シュートを止めた。「自分止めれば、先輩達が決めてくれると信じていた」。高卒1年目ながら、今季16試合に出場も、負傷もあり最近はベンチを温める日々を過ごした生え抜き背番号31が意地を見せた。

 昨年まで2年連続17位、主力の相次ぐ大量流出フロントとの確執などで、チームは揺らぎ、開幕前の練習試合ではJ1湘南J2磐田清水J3沼津に6失点以上の大敗。「断トツ最下位J2降格間違いなし」との厳しい評価が多くを占めた。それでも野河田監督のもと、チームは若い力の躍進でリーグ戦3位、ルヴァンカップグループステージ敗退に終わったが、天皇杯では昨年王者ヴァンフォーレ甲府を下すなど、2年ぶりの8強入りを果たしていた。

 野河田監督は「相手ミスにも助けられましたけど、みんなハードワークしてたんで。(PK戦は)もうむちゃくちゃしたれと(笑)クラブの記録を塗り替えたのは、自信になると思いますね」と余韻に浸りながらも慢心なく「ベスト4ですけど、ここがゴールじゃないんでね。あと2試合あるんで、残りのリーグ戦も含めて勝てるように、全力を尽くさなアカンのでね」と話し、即次戦へ切り替えた。

 準決勝柏レイソルを破ったJ2ロアッソ熊本10月8日に対戦する。鈴木潤は「昨年J2を席巻したサッカースタイルを持つチーム。そういうチームとやれるのは光栄ですし、互いがベストゲームと言えるような試合をしたい」と話した。

2023-08-06

[]6日のホーム札幌戦へ非公開練習 野河田監督藤崎、植村ら新加入選手のベンチ入りを示唆

 オレオレFCの野河田彰信監督が4日、オンライン取材に応じた。この日は6日のホーム北海道コンサドーレ札幌戦に向けて、オレフィールドで非公開で調整した。

 2日の天皇杯4回戦は昨年王者ヴァンフォーレ甲府との厳しい戦いを逆転で勝利し、2年ぶりの8強進出指揮官は「よう走れていたし、当たり前やけど、挑戦者として、戦う姿勢を持って、やるべきことを頭において戦ってくれたとは思いますね」とたたえた。

 注目は今夏加入したMFヤゴリカルド、2年ぶりにオレオレFCへ復帰したMF藤崎FW植村の起用だ。21日に登録はされたものの、戦術面などの兼ね合いで22日のFC東京戦(味スタ)、2日もベンチ外だった。野河田監督は「最終的な決断明日から」としながらも「3人ともベンチには入るとは思いますよ」と明かした。ただ「天皇杯前田らがアピールしたんでね」と、いきなりのスタメンとはならない見通し。それでも「それぞれが違うスタイルから、そこでどんな化学反応が起きるかは楽しみなところですね」と期待する。

 ホーム3連戦の初戦。札幌攻撃の中心だったMF金子拓郎がクロアチアディナモ・ザグレブ移籍したが「そんなん、誰がいないとかで自分たちに自信がつくことはないやん」と油断はなく、「嫌な事をする選手がおるから」と菅大輝、浅野雄也らの名前を挙げながら「プレッシング言うても、この暑さやから、体力無駄に減らしてもしゃーないんでね。この時期はメリハリ良く戦えるかが重要」。攻撃的に出つつも、時間帯によっては我慢しながら相手の隙を突く。そういう戦い方を指揮官は描く。

 チームはリーグ戦4試合勝利天皇杯でまず悪い流れを食い止めた。「ホーム3連戦なんで、当然勝利は目指さなアカンところ。選手はみんな分かってるし、こちからは何も言う必要ない」。信頼する選手と新たな戦力を加え、共に残り試合を戦い抜く。

天皇杯準々決勝は神戸に決定

 天皇杯準々決勝の組み合わせが4日に行われ、オレオレFCヴィッセル神戸8月30日ロイスタで対戦する事が決まった。

 また、天皇杯実施委員会中野雄二委員長が4日、都内浦和サポーター暴走事件の現状を説明した。2日に名古屋VS浦和試合後、100人以上の浦和サポーター暴走名古屋応援エリア侵入して警備員職員ともみ合いに。最後愛知県警も出場する事態となった。

 中野雄二委員長は「現時点では調査中」と前置きし「警備がどうであったかなど今後の検討課題がある。二度と起きないように、クラブまたはサポーター運営している都道府県協会の方も含めて協力して、安心安全大会を作っていく」としながらも「今後の進捗次第では厳正な処分もある」と話した。

 浦和はすでに3日に処分を発表。侵入を主導したサポーター31人に、浦和の出場する9試合への入場を禁止リーダー1人を16試合入場禁止侵入したサポーター45人を厳重注意とした。また、4日には田口代表取締役社長須藤伸樹マーケティング本部長が明日5日に会見を開くことも発表した。

2023-08-02

[]オレオレFCが昨年王者甲府を破る“金星“!先制されるも鈴木潤の代役MF前田が4得点に絡む活躍、2年ぶりにベスト8進出

天皇杯甲府1-4オレオレFC>◇4回戦◇2日◇ロイスタ

 オレオレFCが、昨年王者J2ヴァンフォーレ甲府を4-1で破り、2年ぶりの準々決勝進出を決めた。

 脳震盪の影響でベンチスタートだったMF鈴木潤に代わりスタメン出場したMF前田が4得点に絡む活躍で、昨年王者から金星を奪った。前半4分に先制点を献上するも、同40分に前田PKで先制点を奪うと、後半9分にはFW森永のゴールをアシストするなど大車輪活躍だった。前田は「昨年王者との対戦だったので、胸を借りるつもりで戦った。予想通りの厳しい試合でしたけど、中断前のリーグ戦で勝てていなかったので、今日しっかり勝ててよかったです」と、安堵の表情を見せた。

 チームはこの夏、MF藤崎らを補強した。中盤が本職の前田は「そうじゃなくても、自分自身プレーは良くなかったので、正直、危機感しかなかった。今日ダメなら、残り試合もベンチに入れない。そういう覚悟で臨みました」。結果が欲しかった一戦を最高の形でアピール鈴木潤の代役として牽引したが「まだまだ課題もあるので、もっと向上していきたい」と満足はなかった。

 これで2年ぶりに8強進出を果たした。それでも前田は「ここがゴールじゃない。前回果たせなかったベスト4、それ以上を目指して頑張りたいです」と話し、再開するリーグ戦に向けても「今日出た課題甲府さんに勝てた自信を胸にリーグ戦に向かいたいです」。冷静に話す口調にも、自信をみなぎらせた。

○…脳震盪の影響でベンチスタートだったMF鈴木潤が後半20から実戦復帰した。得点はなかったが、キレのあるドリブル披露した。「本当は最初から行きたかったけど、監督から『コンディションがアカンやろ』と言われたので…」と苦笑いしながらも、「動けていたので、大丈夫です」と完調をアピールした。

 リーグ戦再開となる6日の北海道コンサドーレ札幌戦(ロイスタ)に向け、野河田彰信監督は「(鈴木潤は)復帰したばっかで、コンディションのところがあったから、ベンチにしたんやけどね。動きは悪くなかった。(再開初戦の先発復帰は)そら、そのつもりで」と示唆鈴木潤も「日曜日は先発で行きたいです」と意気込みを口にした。

2023-08-01

[]野河田監督自分達のサッカーが出来るかどうかよ」2日の天皇杯甲府戦は主力中心明言 昨年王者撃破で2年ぶりの8強へ

 オレオレFCは2日、2週間ぶりに再開する公式戦で、天皇杯4回戦、昨年王者ヴァンフォーレ甲府戦(ロイスタ、午後7時)に臨む。1日はオレフィールドで完全非公開練習を行った。野河田彰信監督スタメンについて「主力がメインになるよ」と明言。「昨年王者やし、苦戦はある程度はな。その中で、いか自分達のサッカーが出来るかどうかよ」とポイントを挙げた。

 甲府とはコーチ時代2018年に一度だけ対戦経験があり、1勝1敗だった。「守りは元から固かったよ。勝った試合も点獲るのに苦労したからな」と振り返る。あれから6年、カテゴリーは違えど昨年王者との対戦に「天皇杯カテゴリー関係あらへんがな。あったら天皇杯じゃなくなるて。昨年王者に、自分達のサッカーが出来るか。その辺は楽しみな部分の方が多いよ」と挑戦する構えだ。

 26日から毎年恒例の静岡県伊東市で3泊4日のキャンプを敢行。連日酷暑が続いたが、MF藤崎FW植村ら新加入選手との連携戦術を深め、負傷者もゼロと手応えを掴んでいる。植村、藤崎は他クラブで出場したため、規定により天皇杯は出場出来ないが「そんなん全然、何とも思ってないよ。ええやつを使うだけ」。22日のFC東京戦で脳震盪のため途中交代となったMF鈴木潤主将は復帰の見通し。新加入選手ポジションが被るMF前田FW浅田らの奮起に期待を寄せる。

 同杯で4回戦に進むのは、2021年以来(20年は新型コロナ禍で不出場)。勝って8強入りを果たせば、その時以来となる。その時は準々決勝で同年優勝した浦和に敗れた。「一発勝負は難しいけど、昨年王者に勝つことで自信になるし、次に進んでいきたい思いが強くなるからな」と野河田監督。中断前のリーグ戦では4試合勝利。悲願のタイトル奪取へとつながる大事な再開初戦。挑戦者として昨年王者撃破を目指す。

2023-07-13

[]【天皇杯オレオレFC磐田に5発快勝。前田が1G2Aと牽引「自分が引っ張るつもりで戦った」次は昨年王者甲府と対戦

天皇杯オレオレFC5-2磐田◇3回戦◇12日◇ヤマハ

 オレオレFCJ2ジュビロ磐田に5ー2で快勝。18歳のMF前田は1得点2アシスト活躍でチームを勝利に導いた。

 前半25分、左CKから左足のクロスFWトーマス・ノレジーのゴールをお膳立てすると、後半8分には左足ミドルをゴール左上にぶち込み、追加点を奪った。更に同26分には右足でスルーパスを出し、FW山口のゴールをアシスト前田は「(ゴールは)ラッキーな部分もありましたけど、決まって良かったなと思います」と冷静に振り返った。

 前節・柏レイソル戦はスタメン出場も精彩を欠き、前半だけで退く悔しさを味わった。この試合は「自分が引っ張るつもりで戦った」。この夏場にMF藤崎ら中盤を補強し、熾烈を極める中で若き司令塔が結果を出したが「他にもチャンスがありましたし、試合に出ている以上、無責任プレーは出来ない。もっともっと自覚を持っていかなきゃいけないと思いますし、今日の出来は正直、最低限です」と自己評価は厳しかった。

 

 野河田彰信監督前田について「あのくらいは出来るよ」と辛口評価試合についても「2失点はアカン。今まで積み上げてきたことが何一つできてへん課題は全部やね。これじゃリーグ戦で勝たれへんよ」と2失点した守備攻撃面でミスがあった事を口にし、今後の修正点とした。

 次戦の4回戦は昨年王者J2ヴァンフォーレ甲府と戦う。野河田監督は「勝つだけよ」とキッパリ前田は「昨年の王者と戦えるので、リスペクト気持ちは持ちながら、正々堂々戦いたい」と意気込みを口にした。

○…オレオレU18所属MF後藤が後半42分に出場。地元磐田凱旋デビューを果たした。少ない時間帯だったが、持ち味のボール奪取でピンチを摘み取った。後藤試合後「子供の頃から憧れていたクラブで、自分の勇姿を少しだけ見せられたのは良かった。(磐田には)来年J1に上がって欲しいですし、自分向上心を持って、頑張ります」とエールを送った。

2023-03-23

山梨ラップ

何やっても負けないヴァンフォーレ甲府

鳴り止まない俺たちへのファンファーレ

都留文ダーイ(問題なーい)

学院ダーイ(脚が早ーい)

2023-02-04

2030年までにJリーグは縮小を余儀なくされる

以下、根拠を述べる

DAZNとの契約2028年に満了となり、更新されない見込み

現在Jリーグ資金DAZNから毎年150億以上もらえる放映権料が中心だが、この契約2028年までである

DAZN日本参入当初は配信ビジネス広告目当てであり、配信事業赤字予定で、カジノ事業本丸と言われていた。しかしそのカジノ事業日本では望み薄となったため、配信事業だけで利益を得ないといけなくなった。近年コンテンツ削減と値上げが繰り返されているのはこのためだ。

そして契約者数も伸び悩み。具体的な数字非公表だが、「公表したくない数」であるためだ。

こんな状態なのでもう事業としては頭打ち2028年を以てDAZN日本から撤退するだろう。

そしてJリーグは大きな資金源を失うことになる。

バス運転手不足によりスタジアムへのアクセスが激しく悪化し、観客動員が壊滅的になるクラブ大量発生する

Jリーグスタジアムは駅チカになく駅からシャトルバスアクセスするのが前提のところが多い。J1ではアルビレックス新潟アビスパ福岡だけだが、J2ブラウブリッツ秋田モンテディオ山形いわきFCザスパ群馬栃木SC水戸ホーリーホック町田ゼルビアヴァンフォーレ甲府ツエーゲン金沢清水エスパルス藤枝MYFCジュビロ磐田徳島ヴォルティスレノファ山口大分トリニータVファーレン長崎ロアッソ熊本過半数上りJ3ヴァンラーレ八戸福島ユナイテッド松本山雅SC相模原アスルクラロ沼津など過半数クラブホームスタジアムシャトルバス前提のアクセスだ。

これらのチームは近年社会問題化してきてる「バス運転士不足」の煽りをモロに受ける。2030年を迎える頃は「シャトルバスが出せない」状況に陥り、スタジアムに行きたくても行けない層がかなり出る可能性が高い。

長崎など一部のチームは駅チカへの移転計画が進んでいるが、殆どは野放しであるバス運転士老衰とともに消えゆく運命だろう。ひとつ予言しておくが、今後5年以内にシャトルバス輸送中の事故を起こし、それをきっかけにシャトルバス依存チームは観客激減が巻き起こるだろう。

結論 日本サッカープロリーグは無理があった

エンタメ界隈では「今後Jリーグは苦しい」とみる有識者多数派を占めつつある。スポンサーになるにはコスパ野球バス相撲フィギュアスケートカーリング等と比べて悪い、試合数が少ないのでインフラ整備の優先度が上げられない、頑張ってもワールドカップベスト16が精一杯で夢がない、そのワールドカップに出るにはJリーグから出ていかないと事実上厳しい…サッカー以外のエンタメがいっぱいある日本では、サッカープロリーグはいろいろ無理があったのかなと。

国技たる相撲世界NO.2である野球、そこらへんの体育館アリーナで出来るバスケ、冬の視聴率であるフィギュアスケート、土日の余暇を潰せる競馬、かなり安いお金メダル争い常連チームに近づけるカーリングなど、他にもコンテンツはいっぱいあるのだから

2022-12-06

サッカー日本代表PK戦に弱くなった、たった一つの理由

あのPK戦はひどかった。トーキックしか蹴れない素人プロ相手PK蹴ってみて止められたような感じだった。

昔の日本代表PK戦に強かった。2004年アジアカップなどが未だに記憶に残っているが、W杯だと2戦2敗。

原因は単純。これまでW杯PKを外した人は全員「高校サッカー経験者」である。今回外した3人が全員そうであり、2010年駒野例外ではない。今回決めた浅野高校サッカー経験者、2010年に決めた3人も高校サッカー経験者、つまり部活組。

W杯PK戦に限っては「ユース組の成功率0%、部活組の成功率100%であるのだ。これは偶然とは言えないだろう。

なぜユース組と部活組で違ってくるかについてだが、部活組は学校看板を背負ってサッカーしており、特に高校サッカー選手権におけるPK戦生殺与奪がかかるシーンだ。プレッシャー半端ない

ユース組は別に所属チームの看板は背負っている感はない。クラブユース選手権とかでPK戦をやる機会はあるが、高校サッカー選手権と比べると悲壮感やプレッシャーが天地の差。

この経験の差は、今の日本サッカーの仕組みでは、代表クラス選手については大人になっても埋まることはない。

プロになってから所属チームのカップ戦PK戦を行うことはあるが、代表クラス選手はそのPKを蹴る機会はほとんどやってこない。カップ戦決勝戦を除いて原則代表活動期間に行われるからだ。これは日本でも海外でもほぼ同じ。

まり高校までのPK戦経験がそのままプロになってからPK戦スキルになってしまう。厳しい環境でのPK戦経験して来なかったユース組が代表の中心になった今、PK戦に弱くなったと言うことだ。

今回、自ら立候補して第1キッカーになった南野や第2キッカーの三笘はボールを持った時点で顔面蒼白だった。極度にプレッシャーがかかるシーンでのPK経験していなかったが故のものである。蹴り方も方向が読まれやすインサイドキック。今時、高校サッカー選手権都道府県大会でも見ない低レベル(インステップで蹴るのが今の標準)。可哀想だが、J2ヴァンフォーレ甲府選手に蹴らせた方がまだよかっただろう。唯一決めた部活組の浅野は目が座っていた。吉田は論外だった。

厳しい局面でのPK戦大人になっても経験できる機会を増やさないといけない。例えば、Jリーグ高校カテゴリリーグ戦高円宮杯プレミアリーグプリンスリーグなど)で90分やって決着がつかなかったらPK戦にして、勝ったら勝ち点+1(引き分け勝ち点プラスする)というのもアリかもしれない。地域チャンピオンズリーグと言う地域リーグ関連の大会でも実際にやっている方式だ。地域CLはこの勝ち点+1JFL(実質4部リーグ)への昇格有無を分けることもあるし、Jリーグで導入したら優勝や残留、昇降格を分けるケースも出てくるだろう。

PKは運と言ってる限りは今の状況からは脱せない。

追記

中田英寿の事例を反証として書いてる人がいるので追記する。

中田PK戦成功体験がなく、失敗体験しかないままプロ入りした。当時の韮崎高校で、高3の選手権予選決勝でPK戦で敗れている。中田本人は成功していたが、すでにプロ入り後のことを気にしていて心そこにあらず、だったようだ。これは「外したら何もかも終わるというプレッシャー経験」にはならないだろう

https://nirasakisoccer.hatenablog.com/entry/2020/06/15/111615

2022-12-04

anond:20221204130529

Jリーグプロ野球よりも税金優遇されてるよ

2020年から親会社損金算入がJリーグにも認められるようになったし、Jリーグ試合を行うスタジアムの利用料はほとんどが減免されている。

例えば今年天皇杯優勝したヴァンフォーレ甲府本来支払うべき利用料の1割も払っておらず、天皇杯優勝した直後に「さあスタジアム利用料、本来の料金で払ってもらいましょう」という話が出てきたぐらいだ。

税金投入額で言ったらプロ野球Jリーグになる

2015-10-12

09~14シーズン就任初年度でJ1昇格出来たチームは何チームか

っていうのを書こうとしてせこせこ表を作ってたんですが匿名ダイヤリーって

画像アップできないんですね、30分くらい無駄にした。

最近ツイッターで「Jリーグどうでもいい記録マン」っていうネタをちょくちょく見かけます

自分も好きでTLに流れてくるのがちょっとした楽しみになっています

自分あやかってちょっとタイトルネタを調べてみた。

2009 J2

チーム監督何年目
優勝
ベガルタ仙台
手倉森 誠
2年目
2位
セレッソ大阪
レヴィークルピ
3年目
3位
湘南ベルマーレ
反町 康治
1年目

2009年は3位のベルマーレが1年目で昇格

2010 J2

チーム監督何年目
優勝
柏レイソル
ネルシーニョ
2年目
2位
ヴァンフォーレ甲府
内田 一夫
1年目
3位
アビスパ福岡
篠田 善之
3年目

2010年は2位のヴァンフォーレ甲府が1年目で昇格

なお、内田監督はこの年限りでクビになってしまった後任はあの三浦俊也

2011 J2

チーム監督何年目
優勝
FC東京
大熊 清
2年目
2位
サガン鳥栖
尹晶煥
1年目
3位
コンサドーレ札幌
石崎 信弘
3年目

2011年サガン鳥栖が1年目で昇格、

この5年間で初昇格かつ就任初年度は鳥栖のみ。

2012 J2

チーム監督何年目
優勝
ヴァンフォーレ甲府
城福 浩
1年目
2位
湘南ベルマーレ
曺貴裁
1年目
PO勝者(6位)
大分トリニータ田坂 和昭
3年目

2012年甲府湘南の2チームが1年目で昇格、

複数いたのは5年間では2012年のみ。

2013 J2

チーム監督何年目
優勝
ガンバ大阪
長谷川 健太
1年目
2位
ヴィッセル神戸
安達 亮
2年目
PO勝者(4位)
徳島ヴォルティス
小林 伸二
3年目

2013年ガンバ大阪が1年目で昇格。

2014 J2

チーム監督何年目
優勝
湘南ベルマーレ
曺貴裁
3年目
2位
松本山雅FC
反町 康治
3年目
PO勝者(4位)
モンテディオ山形
石崎信弘
1年目

2014年モンテディオ山形POを制して1年目で昇格。

終わりに

09~14年の間に就任初年度で昇格出来たチームは5チーム。(6例あるが甲府が2回昇格)

なんだかんだで毎年1チームぐらいはあるようだ。

2015年J2ももう終盤ですが今年はどうなるのでしょうか。

自分の応援してるチームはもうダメそうなので来年に期待します。

それじゃあまた!

2013-10-28

静岡ダービーと悲願の清水エスパルス

磐田リーグ通算対戦成績16勝5分22敗で迎えた第30節ジュビロ磐田vs清水エスパルス

この試合は1/34ではない特別な1戦、静岡ダービーだった。

ジュビロ磐田ヴァンフォーレ甲府静岡ダービー試合結果によっては今節で降格が決まる。

清水エスパルスサポーターにとっては今までの屈辱を晴らす一戦でもあった。

実際には試合開始前にはヴァンフォーレの引き分けは確定しており今節で降格は免れていたが…

ここからは私が知る(調べた)静岡ダービー歴史を記す。

Jリーグ黎明期

Wikipediaより

磐田サポーターの間では、Jリーグ設立時に磐田の前身であったヤマハ発動機JSL一部(当時)屈指の強豪であったにもかかわらず、「市民球団」を標榜する清水に参加権をさらわれた、という意識が未だに根強く、清水戦を特別視する人も多い。一方、清水サポーターサッカー王国清水としてサッカー文化根付き各年代代表選手を送り込み“サッカー王国”といわれる静岡を牽引してきたのは清水という自負がありJリーグ参加チームで唯一“サッカー王国静岡清水”という名前のみで参戦できたことを誇りに思っている多くのサポーターがいる。

Jリーグ加盟に際して、ヤマハサッカー部も当初は初年度からの加盟を目指そうとした。しかし、清水市(現・静岡市から市民組織クラブチーム清水FCエスパルス母体)が結成され、Jリーグ加盟を目標に立てていた。

だが全国大会の出場歴が全くなく、資金や選手補強などの面で劣る清水FCに対し日本サッカー協会プロ検討会は経営資金力強化、並びに当時は静岡県に複数のチームを加盟するのは時期尚早ということでヤマハサッカー部とのチーム統合を提案するが、ヤマハはあくまでも単独チームでのJリーグ参加を目指すとしてこれを拒否。

またヤマハ自体もプロチーム設立へ向けた法人化手続きや、ホームスタジアムの整備などの準備面で清水に遅れをとったのが災いし、結局初年度参加メンバーから落選することになる。ヤマハはこの後1992年地元企業マスコミ団体などとの協力によりプロ化を念頭に置いた「株式会社ヤマハフットボールクラブ」を設立し、1993年ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格の権利(2位以内)が与えられる準会員制度適用第1号(他日立柏レイソルフジタ湘南ベルマーレ)となり、その年のリーグで準優勝してJリーグ昇格を決めた。

この時点においては清水エスパルスサポーター側にはジュビロ磐田に対する対抗意識はなかった。

しかジュビロ磐田側にとってはJリーグ加盟を奪われたと思われていた。

経営面や施設面で不備があったにもかかわらず…。

1998年

1994年4月6日初めての静岡ダービーが行われる。この試合清水エスパルスが勝利した。

しかし、5月18日から1996年4月27日まで8連敗を喫する。

さらに、1997年にはジュビロ磐田清水エスパルスよりも先にリーグ優勝をした。

このあたりから清水エスパルスサポーターに対抗意識が芽生えてきたようだ。

ちなみに初めて「蛍の光」を清水エスパルスに歌ったのが1994年5月18日。以後ことあることに歌うようになる。

1999年

年間チャンピョンを決めるチャンピオンシップにて清水エスパルスジュビロ磐田に負け初の年間優勝を逃す。

2005年

清水エスパルス降格の危機の際ジュビロ磐田サポーター

「俺達は清水が滅ぶまで戦い続ける磐田を見て死ね」の横断幕を掲出する。

「A name of kingdom IWATA と 今までの獲得タイトル」を記した大型フラッグを掲出する。

「A shame of kingdom SHIMIZU と Empty?」を記した大型フラッグを掲出する。

ジュビロ磐田清水エスパルスエンブレムを天秤に載せた」大型フラッグを掲出する。

ゲーフラでは「J2 死水」や「ROAD TO J2」などと掲出

蛍の光」を合唱する。

2011年

「ゴトビへ核兵器作るのやめろ」の大型フラッグを掲出する。

この事件により清水エスパルスジュビロ磐田のコアサポ間で行われていた交流がなくなる。

2013年

ジュビロ磐田降格の危機の際清水エスパルスサポーター

「降格?嘘だよね?バーカアホメガネジュビロくんの絵」の大型フラッグを掲出する。

ジュビロ磐田フラッグに穴をあけJ2」と記したフラッグを掲出する。

「J2 チャレンジ 一年生」「格下」「A Shame of Kingdom?(笑)」「片道切符の島流し」などとゲーフラを掲出する。

「勝利は続くよどこまでも」を合唱する。

おわりに

Yahooニュースコメント欄にいろいろ書かれていたので増田してみました。

今回の出来事について当然賛否があることでしょう。

ただ、こういった歴史があったうえでのことなのです。

しかしたらこれも静岡サッカー文化なのかもしれません。

歴史は続いているのです過去があって今があり未来があるのです。

 
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