2013-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20131128150423

なんかもう、議論がむちゃくちゃだな。

生物多様性が「目的」だとか言うバカが居るが、なんだよそれ。

本当の生物の「目的」が何か、と言う話になれば哲学的な話になってどうこう言えないとこがあるけど、

多様性」は生物が種として生き残ってくための手段でしか無いだろう。なんで手段自体を目的にしてんだよ。

不安定に数年から数十年単位で朽ちてくのは、その多様性を実現するための手段だろ。

永遠と古い物が残ってたら溢れて困るんだから

地球上の高等生物そういった進化手段を選んでるわけで。

生物多様性なんて100%エラーのない完璧コピーを作り続けることは不可能っていう物理的な制約にともなって 勝手に生まれちゃうもの目的でもなんでもないでしょ。

とか

そこら辺から先は古典物理を越えちゃうからあれだけど、「なぜ生物細胞などの完全なコピーを行うシステムではないのか」ってのが割と解き明かすべき命題な気はするよ。

とか、馬鹿なのか?生物は敢えて2種を混合したりそこに不確定要素を大きく入れることで多様性を深めて適合者を生き残らせようとしてるんじゃん。

てか、無性生殖生物も居るわけで。無性生殖だと100%完璧コピーと言えばそうなんじゃないの?後の外的要因で変化したりはするだろうけど。



あと、本能、とか、これも言葉定義次第なんだから

ある特定のグループの性質自体をいう場合もあれば、本当にそれが備え持った外的要因無しの能力のことをいうこともあるし。

人間の男女として生まれたら、その性質としては異性と繁殖して子供を残すこと、ではあるだろう。

だが多様性の中で、その能力その物を持たない物も生まれるし、そのような気持ちにならない、と言う者も生まれる。

そのような者が生物にとって何の意味があるか、と言われると、誤解を恐れずに書けば単なる失敗でしか無いだろう。

障害を持って生まれた生物意味があるか、と言うことに関して、人間社会ではそれすら補う能力を備えているが、

通常、動物社会では見捨てられ、それが進化することはない。

多様性を求めるので、何が成功するかわからない、ランダムに作る、このことで、その時点で全く意味のないものが生まれることだってあるだろう。

そのことに関して、感情的に、「サイエンスでは測れない物が人間にはあるんだ」等とほざいてるのは笑止。

@guchinandayo サイエンスでいうなら、遺伝的に多様な子を残す事は有利なのだから乱交レイプは推奨される行為になる。サイエンスでいうなら、なるべく大勢人間を生存させるのが有利なのだからカロリー辺りの生産効率が悪い肉牛の生産は禁止しなければならない。

現にサル社会ですらレイプのような事は当たり前に行われる。いわんや他の生物は。

人間社会でそれを許さないのは、自分権利を守るために他の人間にも強制してるだけ。

また、人間は、元々非常に弱い種で、特に幼少期は他の種には見られないほど弱く、成長が遅いが、

恐らくそこには生まれてから学習」する機会を存分に与える、と言う他の生物に無い機能を実現するためのものだと思う、サイエンスで言うならば。

それを補うために、人間子供をきちんと育てる、守る、という本能を持っていて、

無駄繁殖行為はそれを妨げる事にもなるので、レイプ乱交無駄子供を産まないのはサイエンスで言っても正しい。

というか、他の生物でもメスがこれと決めたオス以外とは交尾を拒否したり、一度妊娠したらオスを完全に遠ざける行為はある。

@guchinandayo サイエンスでいうなら、生物目的とは子孫を残すことなのだから、あらゆる文化活動は時間無駄であり、農業、またはその生産性を向上させるための産業以外の産業従事する事は積極的に否定されなければならないし、全ての趣味も否定されなければならない。

人間文化的活動は、人間の知識進化の一部であるので、無駄かどうかは別として進化過程で当然発生するもの

文化無駄かどうかは別として、生物多様性で、確実に意味のある優れた物だけを産め、ということがそもそも不可能なように、確実に生物目的に合うものだけを正しく選択することは不可能。

ただし、それが長いこと人間社会根付いているのであれば、サイエンス的にも「意味」のあるものである、ということだろう。

何が意味あるかないかサイエンス的に言ってもそれがあるかないか、でしか言えない。

逆に言えば、同性愛者等も、現に生まれている以上、意味のある存在ではある。だが、その意味として、単に多様性を生むためのランダム性の中で生まれてきているだけ、と言う可能性もある。

@guchinandayo サイエンスでいうなら、生物目的とは子孫を残すことなのだから、もはや子孫を作れず、それを育む活動にも従事できない老人や重度障害者は、生きること自体が積極的に否定されなければならない。

これは確かだろう。現に、だからこそ人は死ぬわけで。繁殖行為出産後にすぐ死ぬ生物も多くいる。

人間場合は、上にも書いたが、出産後も「育てる」という目的があるため、繁殖行為ができなくなった後も長く生きる。

だが、

もはや子孫を作れず、それを育む活動にも従事できない老人や重度障害者は、生きること自体が積極的に否定されなければならない。

これが何故受け入れられないか

それは、単に人間がそこまで充分面倒をみる余裕があるからだ。

生物として、優劣があり、どこかの部分で見捨てられ、生きることを許されない境界があるだろう。

だが、種として、余裕があるかぎりなるべく多くの者を残しておくことは有利になる可能性が高い。

だが、その分他の個体負担も増える。そこのトレードオフを鑑みた上で、今の人間はある程度の者を残すようにしているのだろう。

また、そのような余裕は、各個体としても普段の活動を充分に行うために必要な物であり、サイエンス的にも無駄とは言えないだろう。

記事への反応 -
  • ヨウ素134の半数半減期からしたらむっちゃ長いよ。 生物より不安定なシステムなんていくらでもある。

    • なんかもう、議論がむちゃくちゃだな。 生物の多様性が「目的」だとか言うバカが居るが、なんだよそれ。 本当の生物の「目的」が何か、と言う話になれば哲学的な話になってどうこう...

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