はてなキーワード: 根付とは
今は不景気と政府が新卒一括採用を見直さなかった結果が就職氷河期と内定取り消しでやむなく新卒カードを切り終えた人たちが若者全体の3人か4人に1人の割合になった。
このせいか知らないけど最近は既卒職歴無しは珍しくなくなった空気が就活市場に根付きつつある。
でも、僕のように内定取り消しに合ったような子がやっぱり新卒カードを切り終えて既卒になってるんだから
実感として新卒枠もそう大した事じゃないとさえ思うようになってきた。
危機感が薄らいだというか、今年もまた政府発表で新卒者の就職率が飛躍的に向上したと言うけど、一方でその割合が非正規が半分以上という事なので
実質的に見れば就職率はむしろ下がったと言えるんじゃないだろうか。
厚労省ないし政府発表の就職率というのは、これまで“正規雇用社員”になった人の割合の事だったのに時代の流れから、今ではただの正規非正規関係なしの名目就職率が
正直既卒職歴無しは今でも腫れ物扱いの企業も多いと思うけど、でも時代は『非正規雇用も就職になる』のだから、僕も安心できるというものだ。
東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。松江に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。松江の武家屋敷みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。松江駅そばのシャッター街のが人が居なくて綺麗。あとさ、みなとみらいにある横浜ランドマークタワーって建造も松江出身者が関わっているんだよね。横浜があまりに労働者がないからって、出稼ぎしてたみたい。真実は知らない。
それに、繁華街も松江のスターバックス前の方が密度があって栄えているイメージ。横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京のベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京の属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点松江は、米子や出雲に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、横浜はポプラが少ない。松江は多い。横浜に大盛りライス文化が根付いてない証拠。横浜ってガストっぽいんだよ。
過去から脈々と受け継がれるプログラミング文化がない。米子から松江にRuby本買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。Perl(笑)が横浜の限界だもん。学生向けのRuby教室とか、プログラミング書籍コーナーにおけるRuby本の比率とか松江のがダントツに多い。街ゆく人も、松江の方がRubyistが多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。まつもとゆきひろみたいな言語的分担がない。『初めてのPerl』よりも『初めてのRuby』の方が薄いしね。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点島根大学は総合大学だし、山口大学にも肩を並べる大学。山陰の政財界に多数OBを排出している。レベルが違う。
あと、島根は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。琴引山(松江市から車で1時間半)ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて松江ぐらいしかない。あと横浜は言葉が汚い。下品。なんだダベって。松江のようなだがぁ、だがぁって素朴な感じがない。田舎の港町そのまま。
まあ総合すると、
西宮(大阪と神戸の中間地点にある街)出身、現在は都内(多摩地区)在住の者だけど、色々違和感。
神戸の北野みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。
山手の方行ってみた?
そのみなとみらいの栄え具合とハーバーランドの寂れっぷりを比べて悲しくならないかな……。
神戸も横浜も東西に細長いだけという意味ではよく似た街なんだけどね。東半分と西半分で文化圏まで違ってしまってるというのも。
ファッションとかはそうかもしれないけど、たとえばスポーツとかクラシック音楽とかは神戸はお寒い限り。阪神タイガースも兵庫県立芸術文化センターも西宮に取られてる。その点横浜は規模はともかく質では東京にも対抗できるよ。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点神戸大学は総合大学だし、旧帝大にも肩を並べる大学。
これはまあ同意。関東人の早慶崇拝は意味不明。入試の難易度はどうか知らないけど、研究レベルとか考えたら関西では神大(もちろん神戸大。横浜の方では神大と書いてじんだいとよみ神奈川大のことらしい、とまあこれは余談)はおろか大阪市大や京都工繊大の方がマシかもしれん。
あんたが使ってる「じゃん」が横浜弁なんだけどね……。
それに、神戸弁って「なんどいや」とか「ふざけとお」とか、お世辞にも上品とは言えないようなものも多いんだけどね……。
そもそも、神戸の西半分は旧国名でいうと播磨で、もはや大阪弁よりも岡山弁に近い世界になってる。
川崎はむしろ尼崎みたいなもん。尼崎が大阪の延長なら川崎が東京の延長。
それにさ、関西に来てから横浜がウザすぎるんだよね。神奈川出身って言ってるのに「横浜?」て聞き返してくる確率8割以上。横浜じゃないから神奈川って言ってるのに!
兵庫県というと「神戸?」と言われ、「西宮、ほら、甲子園球場があるところね」というと大阪府出身だと思われる俺の立場はどうなりますかねorz
メレ子さんのブログに行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。アメーバに勝ってるのって、はてブだけじゃん。まず、はてダがショボい。障害の時に出るシナモンの画像だけだよね、はてなが誇れるのって。アメーバのアメピグみたく、個性豊かな個人のアバターが残っていない。まあ闘争の歴史があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てかはてなは街並みが汚いよね。アメーバの芸能人・有名人ブログのが華やかで綺麗。あとさ、はてなブログやってる吉野香織ってオフィシャルも更新頻度もアメーバなんだよね。はてながあまりに著名人がいないからって、貸してあげたみたい。
それに、ニュースもアメーバニュースの方が密度があって栄えているイメージ。はてなニュースはでかい箱物って感じ。はてなが誇る学歴だって、友達いなかったから勉強しかすることなかっただけじゃん。あと、ハフポのベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、はてなってハフポの属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点アメーバは、seesaaや魔法のiランドに対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、はてなはアイドルが少ない。アメーバは多い。はてなにファッション文化が根付いてない証拠。はてなっておっさんくさいんだよ。過去から脈々と受け継がれる若者文化がない。seesaaからアメーバにブログ読みに行く人は沢山いるが、ハフポからはてなは全くない。はてな女子(笑)がはてなの限界だもん。オシャレなモデルとか、美容師とかアメーバのがダントツに多い。ブロガーも、アメーバの方がオシャレな美男美女が多い。そういうのは、はてなは全てハフポに奪われてる。文化的分担がない。『ちきりん』よりも『しょこたん』の方がセンスいいしね。
だいたい、はてなブログってほぼ情報商材じゃないか。個人ブログなのにアフィカスばっかり。その点アメーバブログはアフィカス少ないし、mixiにも肩を並べるコミュニティ。アイドル・モデル→主婦ブロガーに多数OGを排出している。レベルが違う。
あと、アメーバはゲームがあるところが素敵。はてなみたいなぼんやりとしたサービスとは違う。アメピグではナンパが出来る。ゲームもあってチャットもあって、おまけに歴史があって栄えているサービスなんてアメーバぐらいしかない。あとはてなは言葉が汚い。下品。なんだこれはひどいって。アメーバのようなモダンでハイソな感じがない。田舎の村そのまま。
まあ総合すると、
東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。神戸に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。神戸の北野みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。神戸の旧居留地のが開けてて綺麗。あとさ、みなとみらいにある日本丸って建造も母港も神戸なんだよね。横浜があまりに名所がないからって、貸してあげたみたい。
それに、繁華街も神戸の方が密度があって栄えているイメージ。横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京のベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京の属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点神戸は、大阪や京都に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、横浜は古着屋が少ない。神戸は多い。横浜にファッション文化が根付いてない証拠。横浜ってイオンモールっぽいんだよ。過去から脈々と受け継がれる若者文化がない。大阪から神戸に服買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。ルミネ(笑)が横浜の限界だもん。オシャレなカフェとか、雑貨屋とか神戸のがダントツに多い。街ゆく人も、神戸の方がオシャレな美男美女が多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。関西みたいな文化的分担がない。『ヨコハマ買い出し紀行』よりも『神戸在住』の方がセンスいいしね。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点神戸大学は総合大学だし、旧帝大にも肩を並べる大学。関西の政財界に多数OBを排出している。レベルが違う。
あと、神戸は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。六甲山ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて神戸ぐらいしかない。あと横浜は言葉が汚い。下品。なんだダベって。神戸のようなモダンでハイソな感じがない。田舎の港町そのまま。
まあ総合すると、
正直横浜より博多の方が魅力あるよね。なので、総合的には神戸>博多>横浜くらい。
追記
あ、俺は厚木出身神戸在住だから、横浜のことも神戸のこともよくわかってるよ。横浜初めてみたいな書き出ししたけど、実は高校の時に何度も行ってます。その上での評価です。
追記2
おいおい、東京に近いのは、横浜じゃなくて川崎だぜ?だったら川崎の方が都会になるやん。あと横浜は「ぼんやりとした平地」と表現しただけで、真っ平らとは言ってない。まあ神戸と比べて見なよ。横浜なんてメリハリない平地だから。
もっと言うと、今の横浜なんて江戸時代はクソショボイ寒村だったからね。栄えてたのは現在の金沢区の方。横浜市は歴史を偽造するために後から金沢区を無理矢理編入させたって噂。現在の中心部で比べるなら神戸の方が江戸時代はまだ栄えてたよ。歴史を勉強しようか。
それにさ、関西に来てから横浜がウザすぎるんだよね。神奈川出身って言ってるのに「横浜?」て聞き返してくる確率8割以上。横浜じゃないから神奈川って言ってるのに!その度に厚木だよ、へーわかんない、の繰り返し!そりゃ、誰だって横浜嫌いになるって。こっちにきて余計に横浜嫌いになった。
日本代表戦、私はこう見た 4氏に聞く サッカーW杯(朝日新聞 2014年6月26日付39面)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11209795.html
サッカーファンで知られるコラムニスト・小田嶋隆さん(57)は「サッカーは進歩しているが、メディアが成長していない」と指摘。「テレビ番組は、サッカーと縁の薄いアイドルや芸人を呼んで応援報道を繰り返し、期待感だけをあおるものが多かった。日本サッカーの将来につながる番組づくりを」と求めた。4年間の強化の方向性は間違っていなかったとみる。「短期決戦に運・不運は付きもの。一喜一憂せずに『たかがサッカー』ぐらいに受け止め、粛々と強化を進めることも、サッカー強国への道だ」
小田嶋隆が発する床屋政談・テレビ批評・サッカー論議については低レベルなものが多いが、このコメントも輪にかけて酷い。だいたい、このオッサンが本当にサッカーのことをわかっているのかどうか甚だ疑問だし、そんな小田嶋にW杯の識者コメントを求める朝日新聞もどうかしている。
まず「メディアが成長していない」と書く。まるで『サッカーに無知なマスコミどもはサッカー通の俺様に跪け』と言わんばかりの上から目線である。そもそも、日本サッカー不毛の時代であった1960年代で世間の話題になったのはメキシコ五輪での銅メダルくらいで、海外サッカーの試合もテレビ東京が細々と中継録画で放送してたのだから、そういう時代と比べると新聞やテレビはもちろん、インターネットとかエル・ゴラッソみたいなサッカー専門紙まで創刊したのだから、メディアは少なからず成長しているのがわかる。
だからと言って、サッカーが日本の国民的スポーツになったかといえば、答えはNoだ。プロ野球人気が陰りを見せ始めた1990年代にJリーグが発足しサッカー人気が高まるかと思いきや、テニス、バレーボール、水泳、ラグビーなどそれまでプロ野球の陰に隠れがちだった競技もスター選手の登場で人気に花が咲いた。こうして起こったのが『趣味の細分化』である。もちろん競技人口においてはサッカーのほうに分があるが、これほど趣味が細分化した現在においてサッカーを国民的スポーツと決めつけるのは無理があり過ぎる。ましてや欧州や南米みたいに“文化”としてのサッカーが日本には根付いていないから尚更だ。
ひとつ、例え話をしよう。企業が新商品を世に送り出すとき、如何にして巧妙な宣伝をおこない自分たちの商品を世間に浸透させるのか。最も手っ取り早いのが「有名人の起用」だ。宣伝効果は絶大だし、有名人側も名前は売れてイメージ向上にもつながるから一石二鳥だ。しかもライバル企業も違う有名人を起用して対抗してくるから、宣伝・広告費は各企業において重要な支出のひとつになってくる。これと全く同じことをやっているのが、日本のスポーツ界である。日本のスポーツ中継やスポーツ番組には必ずと言っていいほど有名人やその競技の元スター選手などが解説者として登場して、世間の注目を集めようと努めている。サッカーも例外ではない。世間的に“広く浅い”層にいる人たちは、有名人の出ないスポーツ中継には関心を持たないし見向きもしない。コアなファンたちはとっくの昔にBSやCSの“専門的な”番組に見入っている。答えは明白なのだ。
https://twitter.com/shiomura/status/479237918519590913
この発言がきっかけの都議会のセクハラ野次問題。思ったことをつらつら書こうかと思います。
最初に言っておきますが、これを書いているのは普通の女性会社員です。
セクシュアルハラスメント 一般的には男性→女性への性的嫌がらせのこと。
露骨なこと(触るとか、じろじろ見る)意外にも言葉のハラスメントもある。
今回は言葉のハラスメントだなぁと思いつつニュースを見てました。
あんまり私は都議会の実情を知らないので本当のところはわからないけど、きっと都議会はまだ古い
男女雇用機会均等法等で女性と男性を平等に扱おう!なんていう話にはなっていますが、それでも
心の中に根付いた考え方とか風習等はなかなかなくならないんじゃないかなーって思います。
(そもそも、男性と女性を平等に扱うのは無理なんじゃないかと思い始めている私もいますが、
それは追々機会があればまた加工かと思ってます。)
とか
「家内というぐらいなんだから家をしっかり守っていればいい。そもそも働くなんて生意気だ!!」
と思っている方が少なからずいたのではないかと。
私も一人の女性としていろいろと働いておりますが、私の勤めている会社も割と古臭い考え方の
根強いそんな会社なので、女性なんて・・・と思っている方がいるのは正直事実です。
表に出す方はさすがに減ったようですが、きっと思っている方はいるでしょう。
実際、そういう発言、対応をされる方は少なからずいますし、仕方ないことだと思っています。
社内ではハラスメント研修等を行ってそういうのが減るようには努力しているようですが、
古臭い考え方はなくならないと思います。表には出さなくても思っている人は絶対にいるでしょう。
だから、私は逆に言われても仕方が無いと思って仕事をしています。
日本の社会は「出る杭は打たれる」文化。そんな男性社会の中でバリバリと働いていれば
男性からすれば面白くないでしょう。今回もそういうパターンだったのではないかと思います。
だったら、いわれない環境を後ろに作ればいいじゃない。言われてもニコニコ笑い飛ばせるように
なればいいじゃないとい思い私は仕事をしてきました。
「お前が言うな大賞」なんていう言葉もありますが、実際に出来ない人、やれてない人から
日本で女性が働くにはそれだけの覚悟がいること。本来必要ないのかもしれませんが、それだけの
普通、年長者に対して敬うという精神すなわち孝道が根付かなかったのは学校というよりはむしろ親に責任があると思う。
親のしつけが悪いから中学生が暴言を吐いてしまうし、何よりも課外活動で勝手な行動を取った行為に対してのみ学校側に責任があると感じる。
問題は、被爆者への配慮が十分になされていなかった学校側の責任であるし、生徒自身が負わなければならない義務であった事。
特に後者の場合、課外活動に参加する意思を持たなかったにも拘らず逆恨みから被爆者の講和会場に勝手に入場して身勝手にも騒ぎ立てた悪逆非道の行為を
見咎めて注意したというだけで、暴言を吐いた事。
これは悪鬼のする事だ。
こういうのは同じ日本人として認められない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.lovepiececlub.com/news/2014/05/01/entry_005132.html
この発言があったラジオ番組、今週放送の「爆笑問題カーボーイ」と「伊集院光の深夜の馬鹿力」はどちらもpodcastを配信しているし、ネット上にいくらでもアップされている。その元の音源も聞かずに、お手軽に炎上させることを目的としたネットニュースを読んでこれだけ批判的な記事を書く事は短絡的だ。もともと持っていた自分の主義主張を周りに撒き散らすためのネタぐらいにしか思っていないのだろう。この記事を読むだけだと、太田光と伊集院光の発言について誤解する部分があると思うので、ラジオを聞いていない人にもわかるように解説したい。
まず、太田光の発言についてだが、太田光はそもそも映画を観ていないし、映画の中身については一言も発言していない。「今すごいヒットしているから」と話題にあがっただけだ。その上で「映画館で皆が一緒になって歌を歌うらしい」という話を聞いてキモイと発言しただけである。「アメリカではそういう文化は昔からあるが、日本には根付かなかった。時代は変わってしまったのか?」とも発言している。「ブサイクが~」のくだりは深夜ラジオではよくあるリア充批判というか、浮かれた世間批判であって女性批判ではない。もしこの映画館で歌う客が、男女半々くらいで、それなのに上の発言をしたならばそれは偏見に満ちた女性批判だと言えるが、実際は圧倒的に女性の方が多いので女性批判とは言えない。性別に関係なく間違ったリア充的な態度を批判しているのである。男が同じことをしていても同じように批判するのが太田光だ。太田光は昔から村上春樹や宮崎駿に対しても「なぜあんなに売れるのかわからない小太りのブサイク」と発言していて、特に女性だから批判しているわけではない。
もちろん、これらの悪口は下品だしラジオの与太話だからって許される話ではないと思う。だがその批判は、フェミニズムや女性差別とは基本的に無関係である。
次に、伊集院光の発言だ。伊集院がこの映画を見たきっかけは、「松たか子の歌と、声優の沙也加の素晴らしさにしか言及しないメディア」と、「1時間のドラマを観てそのストーリーについて2時間も語ってくる」という伊集院の奥さんが、「まったくストーリーについて話さずに歌を口ずさんでいる」ことに興味が沸いたからだ。その上で映画を観て、ストーリーに関しては「悪いところは一切ないが、良いところも一切ない、毒にも薬にもならない映画」と発言している。その後の発言も含めて意訳すると、伊集院は「ディズニーの文法に全てのっとった、そこから一歩もはみ出すことのない映画」と言っているのだ。
この批評が的を射ているかどうかはわからないが、少なくともミソジニーなフェミニズム批判ではなかろう。
つまり、両名とも「女は馬鹿だ」などとは一言も言っていないのである。この批判記事を書いた人は、自分の好きな映画を否定されたことに単純に怒っているだけだ。それなのに自分の単純な怒りを正当化するための武器としてお手軽にフェミニズムを持ち出してきて、まるで自分が全女性の代表であるかのように語るのはいかがなものか。あなたはフェミニストではなく、男性差別主義者だよ。
エスカレーターの左にのって、右をあけるという、この何年か見られる習慣に対して、
「ばかじゃねーの」って言ってるお前らが馬鹿
この習慣が受け入れられる背景がいくつかあると思う。
一つは一般的に言われているロンドンのエスカレーターなどが発祥になっているという説。
しかし、個人的には「圧迫感の消失」が非常に理由としては大きかった。
日本は人が多すぎて、エスカレーターに乗った時の圧迫感が非常に辛かった。
ところが関東では右をあけるという習慣がなんとなく根付いてみると、
余裕が生まれ、いざ将棋倒しが起きても横に避けるという選択肢が出来た。
さて、今はちょうどこのルールが
良い、悪い、という両方の意見がある。
個人的には放っておくのが良いのではないかと思う。
小さい子供を連れている時や、
老人を連れている時に両側を塞いでしまう事があろう。
その時に、「どけよ」というような馬鹿をのさばらせないためには、
なんとなく左側によるのはあくまでローカルルールね、というような雰囲気づくりは大切だ。
しかし、今度は両側に乗るのが正義だとか言ってる馬鹿がいるので困ったもので、
そういう連中こそが本当に馬鹿なんじゃないか、と思ったりする。
http://anond.hatelabo.jp/20140410051520
でも民族的な特性に根付いてるものだとも思うから変えるのって難しい気もするんだよね。
こういった類の諸問題を手っ取り早く解決する方法は、人類の均質化だと思う。
優れた遺伝子同士を掛け合わせて、培養器の中で誕生して、ロボットのように育っていく。
それでも完全に同じにはならんだろうけど、少しは理想に近づくだろうね。
SF染みた話だけど、合理的に考えれば未来はこうなることが一番天国に近いんだろう。
極端すぎる話は置いといて、俺はそもそも言葉や考え方が世界を変える時代はとうに終わったとも考えてる。
今の社会の形を、在り方を変えるってたぶん無理だよ、もう。
これ系の話題はけっきょく、「ありのままの自分で」「感じたように振る舞え」的な話になってきて、
それを許容できる社会になることが必要ですって結論になるわけだけど、
じゃあそれをどうやって作っていくのって話をみんな知りたいんじゃないの?
今のままの社会だと息苦しいだけなのは、みーんな分かってるでしょ。言葉にできなくても感覚的には。
一人一人が意識を変えていけばって、そりゃ無理だよ。
だって、それは短い期間で同時多発的にその変革が起きることが前提だもん。
漸進的すぎたら社会の勢いに呑まれて終わるだけだよ。きっとこれまでの何十年、何百年の間にそんなことは沢山あったはずだ。
鵜呑みにしてたら社会から爪弾きにされました、生活が苦しいから復帰したいけどできません、どうすればいいですか。
こんなことになる人だって出てくるだろうね。でもそれに対して誰も責任を取ってくれるわけじゃない。
で、最終的には便利な言葉「自己責任」で片付けられる。もしくはそんなもの真に受けた方が悪いで嗤われて終わる。
こういう未来が容易に想像できるから、絶対に社会変革なんぞ起きない。そういう安定した社会にすでになってしまってる。
だから、俺は人の言葉や意識が社会を変える段階は、もうずっと前に終わってると思ってる。
あるとすれば、人の意思が介在しない、したとしてもコントロールの利くようなものじゃないほどの、大事によってだろうね。
あるいは決定的な技術のブレイクスルー。STAP細胞とかそんなんじゃなくて、もっと直接的な、不老不死の薬できちゃった、てへっ☆レベルな。
もう忘れてる人も多いと思うけど、2012年12月のマヤ暦がなんちゃらなんて大いに話題になったけど、
あれだって本能的にそういうグレートリセットがないことには世界はもう変われないってことを本能的にみんな分かってるからだと思うよ。
ネットが普及して、自分の意見を言えるようになって、それで人と人の繋がりができるようになって~ってことで世界が広がっていくような感じするけどさ。
Facebookでの集まりが変革を促したなんて話もあるけどさ。俺あれ、根本的には何も変わってないと思うのよね。ただ大騒ぎしただけ。
もっというと、ネットは子供騙しにすぎない。なんかすごいことネットの力で出来そうな感じがするけど、きっとできない。
俺は下記事みたいな話題や人の熱意を見るたびに、感心するしその通りだと思うが、
数はそれほど多くないのですが、賢哲とされる執政者もいました。
といっても英国は女性の先進国というべき、パイオニアが12世紀より存在していました。
彼女らによる為政がより多くの貧民を救い、また新しい文化を享受した事だと思います。
さるビクトリア女王時代には、数多くの植民地を平らげ、それに彼らの伝統的思想を蓄えさせた結果、
殆どの後進的国家では庶民が学を尊ぶといった文明開化が育まれていき、その政治の在り方に是非を考えるようになり、
また、わが国においても岩倉具視使節団などを経て富国強兵の手本としてきたのであります。
さらには東郷平八郎が英国留学中に学んだシチューを日本に持ち帰り、後日本の伝統的家庭料理となった"肉じゃが"を始め
女がパイオニアたる英国の文化が多く日本に根付いた事は今となっては感謝の言葉もありません。
その一方で、わが国は宗教を尊んでいました。
その一つが神道で八百万神を基本とするアミニズムや弥生期のシャマニズム(といっても元々は商王朝の請け売りですが)といった具合に
中でも神道においては女性を母なる産物を与える神の使いとして崇めていたことは当時の地誌であるとか神話体系であるとかに描写された事からもはっきりしています。
それだけわが国は古来より女性が先頭に立って政事を行う事が当たり前なのでした。
しかしながら、この試みは仏教伝来と共に立ち消えとなってしまうのです。
時は遡り明治維新に入ると吉田神道を軸とした復古神道から国家神道を尊ぶようになりましたが、これは女性神を崇める原始神道とは一線を課す仏教神道、すなわち神仏習合を軸とした新しい神道でありました。
その結果は、女性の人権を蔑ろにした男性による男性のための男性の政治であり、一時は富国強兵を成す事が叶いましたが、それも長くは続きませんでした。
つまり男性が政事を行って良かった事はあまりないという事なのですが、何故か女性が政治の場に立ち入らせなかった事が今日の我が国の社会形成に相成ったという主張がまかり通っているのですから不思議なものです。
反対に女性は平成時代に突入してもその権利義務は変わらず低いままなのです。
アメリカや英国などの先進国を見渡せば、女性が如何なる地位に昇っているかご存知の方も多いはずです。
しかしながら、わが国に限ってはこれまで女性がその社会の最高位に立ったことがありませんでした。
天皇家ですら明治以降男系天皇を本流してきましたので、女性がああだこうだというのは何等か齟齬が生じるかもしれません。
とにかくわが国の女性はそういう時代に生きて行かなくてはなりませんでした。
たかが性別が異なるというだけでわが国は不思議な事に女性を重要な地位に就く事を拒みました。あるいは恐れていたのかもしれません。
彼女は今日に至っては盗作や捏造疑惑で騒がれていましたが、それ以前からも彼女の人格や容姿をネタにマスコミは騒ぎ立てておりました。
これは彼女というよりも女性がそのような国を代表するような大事を成す事に苛立ったのかもしれません。
それが出る杭は打たれるが如しバッシングの嵐だったのでしょう。
とにかく今日の我が国というのはとにかく、女性が表舞台に立つ事を恐れているような節が見られます。
彼女は反日である、というのが今日の我が国の評価ではありますがそれ以前からマスコミは挙って親日家のパク・チョンヒ元大統領を褒めちぎりその娘であるパク・クネ大統領に対しては、
あくまで親の七光りといった評を下しました。
同じ様にこの間駐日大使になったケネディの末娘キャロライン氏に対してもそうでした。
彼女らは彼女ら自身の功績よりも父親の功績を以って評とされていました。
そういったマスコミや世論が女性に対して政治は男のモノで女は口出しするなといった風潮が垣間見えてくるというものです。
女は政治に向かないとどうして決め付けるのでしょうか?
まして2000年も以前より神道を尊んできたわが国ならば(他の先進国よりも長く女性を崇めてきたはずですが)、女性も表舞台で活躍するのが賢明であると判断しそうなものですが、やはり外来宗教がダメなんでしょうか。
仰る通りず〜っと昔から我が国の出産育児はブラックだよ。母性神話という名のブラック礼賛文化が根付いている。
システムとテクノロジーの発展、そしてごくわずかにだけ存在する「自分がしてきた苦労を次世代にはさせたくない」と考え、それらの発展を喜ばしく受け入れる心ある人たちに我が国の出生率はかろうじて支えられている。それだって全然足りない。
「逆に考えたらいいじゃないか。子作り子育ては苦労するものだから出生率が上がらないなら、子作り子育てを苦労せずに出来るようにすればいいさ、と考えるんだ」
じゃあ許せない人がいっぱいいる。
親は我慢して苦労して子作り/子育てをしないと正しい子が育たないんだと思い込んでおり、「子供がかわいそう」って善人面して母親に言うのを生き甲斐にしてるような人たちがね。
だからいいんだよ、このままその報いを受けて年寄りだらけになって滅びていってしまうのがこの国の正しい流れ。
母性神話にしがみついた年寄り共がみんな死に絶えたら、そいつらにボロクソ言われながらも子供を育ててきてくれた少数の人々の子孫がきっとうまくやるさ。その頃には人工子宮や遺伝子治療、安全かつ手厚い託児サービスなど諸々が実用化された生きやすい世の中になっている事を信じる。