2013-11-01

みんな大学に何しに行ってるんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20131031224610

「例の宗教の記事について」を読んで、概ね同意した。

「俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。」は上から目線で言い過ぎかなぁと思ったけど。私は同じ気持ちにはなれないけど理解はできる。こういう人、私の周囲にも多いから。

「こういう人」っていうのは、アニミズム信仰宗教に含まれるとか、宗教学的にはこういうのも宗教に含まれてねって話をされて、「だからなんだよ、学問的にはどうこうとか知らねーよ、俺の中では宗教じゃないんだから宗教じゃねーよ」みたいに感情的に否定する人、って意味なんだけど。

宗教どうこうに限らず、「俺の価値観を揺さぶるんじゃねーよ」って人、ってことね。

そういう人の学歴を誰かに統計とって調べてみてほしいと思う。煽りとかじゃなくて。

その中に大学生大学卒業者が結構いたら、その考えって損してるなあと思う。

大学に何しに行ってるの?or行ってたの?と感じる。

大学って、新しい知識や考え方を好きなだけ学べる場でしょ。

そういう知識を得るって単純にわくわくしないかなあ? 「こういう考え方もあるんだー!」って気づきを貴重だと思えないのかなあ?

件の教授が教鞭執ってる大学学生だって、新しい知識を得るために大学入学したわけでしょ。で、文化人類学的なことが学びたくてこの教授講義履修したわけでしょ。

(違うのかな? 就職のためだけに大学入って、単位取るためだけに履修したのかな。それってえらい時間お金無駄だな)

それで最初の授業で、無宗教だと思っていた自分の根幹に実は宗教的なもの存在すると知らされる。

「おー!」ってならない? 面白いなーってならない?

自分価値観が絶対で正しい、だから他者に否定してほしくない、そういう自分大好き超大切!な人でも、生きていくうえで普段困ることとかは特にいかもしれないけど。

でも、その凝り固まった考えで大学行くのは絶対勿体無いよと思う。

別に大学で教わることを全部鵜呑みしろって話ではないよ。

大学教授から教わるものって、最先端から、逆を言うとまだ定説として確立してないものも多い、すごく危ういものもある。

から「この教授アニミズム的なものを含めて宗教だって言ってるけど、それって正しいのかなあ」って疑問を抱くことは否定しない。

それを議論するのはいいことだと思う。そうやって学問成熟するんだから

でも議論にもなってない、「宗教学上の定義とかどうでもいいんだよ、気づきなんていらねーんだよ」派の人は本当、大学で何がしたいんだろうと思う。

今までの自分価値観を否定されるのは怖いって気持ちは分かるけど、だからって「教授むかつく」「態度が気に入らん」って個人攻撃に走られてもなあ……

もっと冷静になろうよ。

自分教授の言うことの何が受け入れられないのか。それはどういう素地から来る感情なのか。

そうやって自己を見つめ直す体験って貴重だし面白いと思うんだけどなー。

面白いと思えない人でも、そういう考え方ができないでどうやってレポートやら論文やら書くのかなと思う。ネットの丸写し?

あと、ちょっと違う話になるけど「『宗教信じてますか?』と言われて『信じてます』と言わないのは現代日本人として正しい」みたいな意見は正しいかも。

私も初対面の人に「はじめまして! ところで私、××教の信者なんです!」とか言われたら、勧誘されるかもと思って身構えるし。

そういう日本人宗教アレルギーと、実は根付いている宗教的な考え方や風習との関係って、真面目に勉強したら面白そうだなあ。

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