はてなキーワード: 情報科学とは
なんか、大学には情報科学だの情報工学だのといった学科があるらしい。
でも、そうした学科の中核に来るであろう情報という代物、もう少し具体的に言えば情報システム開発でプログラミングが扱う世界って、自然界の法則による制約が殆ど無い。
そんな何でもアリな分野って、そもそも自然科学や工学の範疇に含まれないんじゃね?って思ってしまう。
もちろん芸術とか職人芸みたいな深みも厚みもない。だって突き詰めれば、コンピュータへの指示命令書を書いてるだけだから。
本当に穴掘ってまた埋めてとか、ライン工が言われるがまま右から左にパーツを組んでいるのと全く同じ。
そんなの学問でもなんでもないだろって思うんだけど、実際どうなの?
そもそも情報工学科って、日本じゃその名前自体が蔑称みたいなトコあるじゃん。
なんつーか、学生は2次元の住人しか見てない、残念な人ばかりなイメージ?
それこそ高校でパソコン研究会とかに入って、2次元の話ばかりで盛り上がってた延長というか。
挙句大学生になってもなろう系深夜アニメを卒業できず、それどころか中高時代よりも熱心に入れ込んで、毎晩シコってるみたいな、そんな感じ。
博士の待遇、実はあんまり悪くない、というかむしろ良いと思うんだけどどうなんだろう。。。
アカデミックに残れば微妙だけど夢を負う職業にしてはそれなりにリスクも少ないし。
とりあえず、広義の物質科学や情報科学とか統計をツールとして使う分野(有り体に言えば理系なら)
国内でも外資選べば新卒 700 万くらいは選べばある訳なんですよね。
リスクもアカより更に低いし、英語にしたってアカで生きれる人ならまぁ余裕な訳です。
たぶん博士卒が安易にアカに残らずに、民間に流れることによってアカも色々変わってくると思うのよ。
その潮流を作れるかどうかは、今の我々にかかっているのではないでしょうかね。
ドロドロした話ではなく,研究者業界を知らない人への一般的な話です.
大学の研究者は各大学に所属していますが,よく大学研究者は個人事業主だと言われるように,
実際問題として大学への帰属意識はそれほど高くなく,業界に帰属していると考えている人が多いように思います.
一般の会社員から見ると,大学と研究者の関係は,会社とサラリーマンの関係のように思えますし(雇用関係は事実その通りなのですが)
たとえば,情報科学科というものが存在した時に,その中にはアルゴリズムの研究者,VR・ARの研究者,DBの研究者,自然言語処理の研究者,
機械学習の研究者,コンピュータビジョンの研究者などの様々な研究者がおります.日本の大学の場合,それぞれが講座制として研究室が運営されています.
では,自然言語処理の研究室の助教(昔でいう助手)が准教授になるには,その研究室の准教授ポストしか一般的にありえません.
他の選択肢は他大学の自然言語処理の研究室のみです.つまり,彼/彼女にとっては,A大学情報科学科に所属していると言えますが,
キャリアパスとしては,全国にある大学の自然言語処理研究室のポストを見ていることになります.
ピッチャーは自・他チームのピッチャーにしかなれませんし,ゴールキーパーは自・他チームのゴールキーパーにしかなれません.
一部の例外を除いて,他のポジション(ゴールキーパーがフォワード)に移ることはありえないのです.
そう考えると,彼/彼女から見ると,あたかも自然言語処理業界株式会社のような概念が存在し,
その支店としてのA大学,B大学があると考える方が正しいように思います.
そして,キャリアパスとして,うまくいけばA大学助教,B大学准教授,C大学教授と栄転をしていくのです.
もちろん一部のエリートは,履歴書に東大しかないような人もいますが,
それは会社でいうところの幹部候補生のようなものであまり一般的ではありません.
(教授が10-20年君臨することを考えると,そういう人は各業界において,10数年に1人の生産ペースです)
最後に少しドロっとした話をしますと,A大学の人事に,B大学の教授が口を出すというケースもよくあります.
これは,会社の視点で考えると異常なことですよね.A大学とB大学は全く資本関係はないのです.
しかし,トヨタのグループ会社だと考えると素直に理解できませんか?(子会社の人事に,親会社が口を出すというように)
資本上は一切関係がなくても,人的交流による様々なしがらみがあり,それが学閥であったり,業界のドンのような人を生み出しています.
おわり.
以下一覧
@masaru_kaneko
アホツイート多すぎて省略
そこらの情報科学扱ってる大学に4年くらい入ってから出なおして来いという感じ。
というかこういう輩が慶応大学で定年退官までよく居られたものだ
欅のように
@j1Uqlj50E8OFIkm
我が国の大学の地盤沈下が激しい。論文の被引用数も国際的に見て落ちている。nikkei.com/article/DGXLAS… その大きな理由は、政府が毎年機械的に交付金を減額し続けたため。政府は、山口敬之が口利きをしたという、実質大きな成果を出していないPEZYには52億円の融資を行っている。
まともではない。
kmosmos.
@kmosmos
リニア談合事件と同じく、PEZYのスパコン事件も追及をお願いします。60億円中約9割の52億円を返済不要と異常な特約で助成金詐欺でそのカネの行方を追及して下さい。詳しくは、慶応大の金子勝教授が詳しくよくご存じですので、ツイッターをご覧下さい。金子教授のヒアリングもぜひ。#立憲ボイス
あいるぅ
@fuwitter
ムーアの法則が続いている現状において、たかだかベンチで10%程度省エネ(ということになっている)なスパコンに何の価値があるというのか、そもそもよく考えたほうがいい #PEZY
液浸がどれだけベンチに効くのかは、やったことないから分からないけど、液浸であらゆる手を尽くして計測して、それで10%程度しか省エネでないなら、技術的には大したことないのではという気が #PEZY
東工大の松岡センセイのKFCも同じで、日本が誇る省エネスパコン技術、なんてのは大嘘だと思うんですよね。スパコンの大家のセンセイ方は角が立つのを恐れて誰も言わないけど。現状のルールが変わらない限り、GREEN500 Lv1の上位を目指す意味なんてないですよ #PEZY
実際、自作PCが作れるならスパコンは作れる。何台かPCを作って、イスラエルのハイテクベンチャーMellanoxのIBスイッチでつなげば完成だ。 #PEZY
まずMellanoxはイスラエル発だけどベンチャーというほどの小規模なものではないしムーアの法則は現状限界が見えていると示唆されているし2000年台で頭が止まっていそうなからくり人形といった感じ
実験段階のあまり完全ではない情報や技術はどの程度まで信用していいのでしょうか。
相互監視。
question
1、情報がたくさん流れています。情報がすべてです。情報を管理しているのは誰でしょうか。
2、情報管理(ほかの重要技術も同様ですが)を担っているシステム管理者に、悪意がないかどうかはどうやって判断するんでしょうか。
3、悪意善意に関わらず、誰かの指示や勝手に空気を読んだりして、
無意識や本人の意志にかかわらず、危険なことをやってしまったり、ありえないデータのねつ造をしてしまうことはどうやって防ぐのでしょうか。
例えば、自分の書いたものを、パソコンやモバイルが出来ない高齢者のデータにすり替えるなど。
4、記憶も情報の一つですが、被験者の記憶とそれに伴う記録は、誰が消去・書き換えをしているのでしょうか。
5、被験者とは誰ですか。
5、よくわかりませんが、この世界が情報による脳の錯覚によるものならば、おそらくシステム管理者自身も被験者です。
もちろんAIも。→question3に戻る。
・自分の不満を晴らしたい際には手段は選ぶべき。人を傷つけないような手段を。今は諦めても時期を経れば状況も取れる手段も色々変わります。
・実験段階のあまり完全ではない情報や技術はどの程度まで信用していいのでしょうか。
ベイエリアの給料はいくらだと思う?新卒でも一番低くて800万円、GAFAと呼ばれる大手だと平均で1300万-1500万円はもらっている。
更にこちらを見て欲しい。
https://www.paysa.com/salary-rank
Netflixなどは平均で3000万円の給料をエンジニアに支払っている。
ベイエリアでは多くのエンジニアは2000万円-3000万円もらうことが当たり前なのだ。
さて、物価などを考慮するとベイエリアの収入を6掛けくらいすると日本で同じ生活レベルを得られるだろうか。
そうすると新卒は底値500万円・平均800万円、経験を積んだ人達は1200-1800万円もらっていれば日本の給与水準はベイエリアと同程度と言えよう。
実際はどうだ?転職ドラフトなどを見てみるが良い。転職ドラフトではオファーの平均が600万円ほど、最高値でも800万円が良いところだ。
皆さんは大学院まで行って情報科学の勉強をして、このザマで満足?
大学で何も勉強せずにウェイウェイしていた文系どもが金融、コンサル、商社、キー局、マスコミ、広告に就職していき30歳で年収1000万は軽くこえているというのに。
いっぱい勉強して技術スキルも身につけてきたのに文系どもよりも安い給料でなおかつベイエリアの足元にも及ばない待遇で働いてるという自覚ある?
お前らがそんな給料で働いてるから経営者も足元みて業界全体の給料安いんだけど?迷惑なんだけど?とっととやめてくれない?もしくはみんなで一緒に暴動起こそうよ?
さて、このようなことを言うと必ず「とは言っても実際に日本のエンジニアはレベルが低いじゃん、良いもの作れていなくて生産性低いんだから給料も低くて当然」みたいなことを言い出す人がいる。
これを言うのは決まってビジネス側の人だ。技術を分からない人だ。
技術を分かっている人ならば、ベイエリアだろうが東京だろうが、いるエンジニアのレベルはさして変わらないことくらい容易に理解できるだろう。
ただ東京には英語が苦手なエンジニアが多いというだけだ。英語以外ではベイエリアのエンジニア達とほとんど変わらないレベルの人もたくさんいる。
技術があるなら何がダメか。それはビジネスだ。日本のITはビジネスが圧倒的にいけていない。会社としてしょうもない会社が多い。
GoogleがDon't be evilと言っている中DeNAはevilなことを平気でする。AmazonがCustomer Obsessionを謳う中 楽天はウザいメルマガを勝手に送りつける。
日本のエンジニアの給料が安いのはエンジニアが安売りしているのが悪いし、彼らを使うビジネスマンがセンスの全然イケてない低レベル野郎ばっかりだというところに起因している。
どっちも死んでしまえ
たまにTwitterで、bioに「IS14er」「IS15er」「IS16er」と書いている人を見かけますよね。
え? 見かけない? ならあなたがその程度の人間だったまでです。
実はこれ、東京大学理学部情報科学科の学生(または元学生)を意味する言葉です。ISはInformation Scienceのことだったんですね。
例えば「IS16er」の場合、「2016年に東京大学理学部情報科学科に進学した学生」ということです。
ただし、一点注意すべき点があります。東京大学には「進学選択」という制度があり、学科に進学するのは3年生になるときです。ですから、IS16erは「2016年4月に東大に入学した学年」ではなく、「2016年4月に3年生に進学した学年」にあたります。
現在(2016年12月)はIS16erまで存在するはずですが、Twitter上にはIS17erを名乗る人達も存在します。
実は、進学選択は2年生のうちに進学先が内定する制度になっていて、既に2年生でも誰が情報科学科へ進学するのかは決まっているのです。その人達がIS17erということになります。
この時期は東京大学の1年生に向けて各学部のガイダンスが行われる時期です。1年生はそれを参考に、どこの学部・学科に進学希望を出すか決定します。
先日の理学部ガイダンスに来たひとたちの中にはまだ見ぬIS18erがいるというわけです。楽しみですね。
CSとはComputer Scienceのことで、これは東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻のことです。この大学院はISerが最も多く進学する大学院です。
断っておくけど、自分はさらさら、Welqを擁護するつもりはない。それどころか、Welqを通り越して、DeNAという会社そのものが、存続するに値しない罪を犯したと思っている。
今、まさに絶賛炎上中のWelqだけど、たとえば「嘘をついちゃいけない」「他人の意見をパクってはいけない」「間違った情報は命にかかわるものは法律で規制すべきだ」というのは、危険な論調なんだよね。それこそ、政治家(支配者層)の手のひらでうまく転がされて、言論弾圧のためにいいように利用されてしまう。
だから、Welqを批判する人たちに言いたいことは一つ。「自分たちの意見は、回り回って言論弾圧をしたい権力者側に利用されることはないか?」を常に気にして欲しいんだよ。
人間は間違う生き物だし、人間は他者を学んで自らを高める生き物だし、その過程で、他人の意見を自分のものとして書くこともあるだろう。特に医療系は関心が高いし、皆が一家言を持つ分野でもある。ここで、萎縮して皆が何も言えなくなる世界は、ディストピア以外の何者でもない。
結局、みなが腹をたてているのは、SEOという部外者にはさっぱりな黒魔術で、Google という顔の見えない外資系会社の運営している検索サービスで、間違った記事がさも正しそうな顔をして上位にくることなんだよね。
で、それこそ、日本が昔から、情報科学や情報工学を軽視して、プログラミングやシステムエンジニアリングを下に見ていたツケを払わされている結果なわけで。大体、文系出身プログラマとかうじゃうじゃいるけど、Googleの検索エンジンの一番の原型である大規模疎行列計算だって、彼らには無理でしょ。
履き違えないでほしいのは、おかしいのは「間違ったことを書く記事」ではなくて、「それに正しさのお墨付きを与える機関」を誰もコントロールできず、皆がいつもなにかその奴隷になっていることなんだよ。そして非難すべき検索エンジンを疑うことを知らず、そのお墨付きをあるがままに受け入れる日本人の精神的な奴隷状態、そして図らずもそうなってしまった社会や教育のあり方そのものまで含めて、Welqについて考えてほしいんだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282
彼は社会学者としての立場から法律や改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。
正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。
山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。
議論のレベルがかみ合ってない。山本氏も佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段が豊富で信頼できると思うんだが
同じように思ってる人はいないのかな。。。
一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。
是非論駁してみてくれ。
個人的な思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。
ソースはwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・
『佐藤氏』
『古市氏』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF
佐藤氏の両親は政治学者と弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的な法学部タイプ。日本は法治国家で資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的な右派で保守的なタイプ。
一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性は科学者タイプ。
ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。
ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。
また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。
これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。
http://blogos.com/article/154867/
例えばここで古市氏は『すき家は企業が社会にもたらした社会福祉のひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。
マイクロソフトをはじめとする新時代の新興企業の多くは、既存の制度を上手に利用して新しい形の報酬を従業員に還付している。
(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである)
どの国に所属しているかよりも、どの会社に所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか
ストックオプションを行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?
シリコンバレーでは福利厚生を提供するサービスを行っている会社がYコンビネーター出身者によって起業されている。
ケータリングサービスやタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・
http://asread.info/archives/722
日本に自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。
実際のところ、実質的に自衛権を行使できなかったことには違いない。
・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本に駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。
・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明な対処しかできない
これらの現行法の脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?
http://trafficnews.jp/post/46566/3/
自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。
であるにも関わらず、古市氏が『日本の自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。
一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律や政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。
この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉に言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。
言ってしまえばマリー・アントワネットのタイプだ。
古市氏の発言が法学や政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。
それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。
市場経済はより自然科学的だ。お金は政治や法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類が進化の果てに手に入れた概念だ。
軍事力と経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。
鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治と軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。
表の世界での政治はほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民と政治の大きな接点であったと言える。
一方で軍事力は実質的な世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。
少なくとも、日本においては明治維新でサムライが不要となるまではそうだったのだ。
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦に代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。
正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義や社会主義を生み出したからだ。
一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定の成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。
マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府の時代から、政府が持つ立法の力は軍事力か経済力のどちらかを担保にしており、宗教はアイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。
そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。
軍事政権が実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界が実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。
実際、国が提供する福祉よりも企業が従業員に提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかもマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。
パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。
スターウォーズの通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。
戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。
その意味では、いまだに全時代的な歴史の踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者や政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。
宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質は思想であり宗教であるから、その実質である軍事力や経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。
軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済に所属しているか〟である。
世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治はストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。
闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。
必要なのは産業界の歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。
古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれた立場にいることは間違いない。
彼は川上の最新情報にアクセスできることが可能で、新時代のリテラシーも十分持っている。
法学者も歴史学者も、企業の間接部門でしかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論に意味はない。
その点は古市氏も同様だが、彼は自分の立場が弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。
叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリーアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。
「富士通を退職した話」を読んで、20年近く努めている側からの感想と疑問について書いてみたいと思います。
私も、情報科学を大学時代専攻した後、新人で山奥というかむしろ雲の上にある天空の工場に勤務してメインフレーム関連の仕事をしていました。
その工場に配属される新人は(希望すれば)寮に入るわけですが、高専卒は工場の敷地内にある山頂の寮で二人部屋、学士卒は山の5合目にあるアパートの一人部屋、修士とドクターは街中にあるマンションという感じでした。
街中の下界から工場がある天上界への通勤はバスで移動することになるのですが、わたしは、バスのディーゼルエンジンの排気ガスが苦手なので、頼み込んで工場の敷地内にある寮にしてほしいと願い出て、山頂の寮に特別に入れてもらいました。そもそもが2人で一部屋なのですが、学歴の関係か私は一人で2人部屋を使わせてもらっていたため、ものすごく広々と部屋が使えました。
わりと頼み込めば、人事や勤労も柔軟に対応してくれる会社という印象です。
20年前でさえ、メインフレームは古いというイメージがありました。
ただ、私は古臭い部署に配属されたことは不幸とは思いませんでした。電話からスーパーコンピュータまで幅広く扱っている世界でも稀な会社に入ったからには、いろんなことを経験してみたい。
そのためには、そろそろ絶滅してしまいそうなメインフレームを今経験せずにいつ経験出来るのか?くらいな感じでむしろラッキーくらいに考えていました。
最新の流行を追いかけるのもそれはそれで面白いが、そういったものは出来合いのライブラリを組み合わせて流行を少し遅れて追っていく2位集団であるし、やりたければ個人で家でも出来るじゃないか程度の感覚です。
ただ、せっかくメインフレームの部署に来たのですが、私の担当はワークステーションで動作するUNIXやPCでの開発が主体でした。
そもそもが、メインフレームを扱っていた部署ですから、先輩の人達はあまりUNIXやPCに詳しくなかったので、大学でUNIXやPCを経験した新人が入ってきたことは非常に重宝されました。
その部署では開発言語は、社内の独自の言語(Cよりもさらに機械語に近い言語をマウスでグラフィカルに操作してコーディングする言語)を使っていました。もともとはメインフレーム用の言語なのですが、UNIXワークステーションやPC用にも
その言語コンパイラはあり、あわやその言語でUNIXの開発する羽目になりそうだったのですが、私は猛烈に反対して自分の意見を通しました。当時はJavaやRubyなどの言語は無くCが全盛でしたが、
その部署の開発メンバーはCをほとんど知らなかったのです。そこで、社内のカイゼン活動として、C言語の勉強会を開くことを提案し私が講師になってC言語をメンバーに習得してもらい、
PCやUNIXでの開発は独自言語ではなくC言語を利用することを認めさせました。
元の増田の方は、自分はエクセルのVBAソースが見れない立場のようだと言っていましたが、ソースをみようとしたらシートにロックがかかっていたのを見て諦めてしまったのではないでしょうか?
元のEXCELを使った業務が非効率であるならば、業務の改善活動として提案すれば、それを拒む上司というのはちょっと考えにくいです。
忙しい部署にも、改善活動のノルマが課せられるのですが、先輩はそういったことに関わっている時間が中々取れないので新人がそういった仕事をやると宣言しても拒むのはまずありえません。
下請けのプログラマーからみると富士通のような会社は中間搾取していて高給をとっているのに、仕事は丸投げという印象があるでしょうが、実際やってみると案外大変です。
私は、富士通本社のSE的な立場、グループ孫会社に出向して、そこから顧客先に派遣される4次受け5次受けのプログラマ両方を経験しましたが、はっきりと下請けの方が精神的に楽と感じました。
客商売や、自分でやっているわけではない人に依頼した仕事について、責任をとるのは非常に苦しいものがあります。そもそもプログラミングはとても楽しいというのもありますが。
私見ている範囲では違う部署に異動したいという希望は100%通りました。異動を希望しているのにその部が解散するまでその部署にいる羽目になった人など見たことがないです。
もちろん、「プロジェクトが佳境で君に今抜けてしまわれては困る」というケースはあるのですが、IT業界のプロジェクトの開発周期は年々短くなる一方ですから、割と早い段階で異動の希望は通る感じです。
もとの増田の方は巨大プロジェクトだったので大量の人がいるわけですが、こういった部署は異動の希望は通りやすいです。
なぜなら、新規プロジェクトで最も忙しいときは大量の人員を動員しているわけですが、バージョン2、バージョン3あるいはメンテナンスのフェーズに入ればそんなに大量の人員は必要がないので、会社としてもその部署の人員を異動させたいわけです。
けれど、プロジェクトで中核の技術を担っているようなメンバー、マイホームを天上界に立ててしまったメンバー、新しい仕事に対応しにくい高齢のメンバーは異動させにくいので、
EXCELをいじっているだけのような新人は異動の希望が通りやすいのです。
もとの増田も、もう少し我慢していれば希望が通った可能性は極めて高いですが、プロジェクトが佳境でまだ新人で入ったばかりといった状態では、もう少しその部署で頑張れと言われるだろうと思います。
ただし、異動先の都合もありますので、ここから出たいはほぼ100%通りますが、あそこに行きたいは必ずしも通りません。
今更「京」のスーパーコンピュータをやりたいといっても、人気部署ですし、プロジェクトの最盛期は過ぎているのでその希望が通る可能性は低いでしょう。
色々な部署がある大きな会社では、管理職クラスは頻繁に異動が起こりますから、嫌いな上司はわりと直ぐにいなくなります。小さい会社だとそもそも部署が開発部と人事部と営業部しかないというかんじなので、上司がやめるか自分が辞めるまで、嫌な上司と付き合う羽目になりがちです。
新人研修期間が終わった後、人事の面談のチャンスがあるのですが、そこにはコツがあります。
「おおざっぱにはっきりと希望を言うこと」です。
いちばん最悪なのが、大学での研究を話し、それを活かせる部署に行きたいと話すことです。
人事の人は技術には詳しくないですから、研究内容が最先端であればあるほど、人事の人には通じないです。
キャッシュコヒーレンシが。。とか話すと、「よくわからないけどこの人は基本ソフトウェアに向いているのかな?だったら、自社でOSを開発しているメインフレーム回そう」という感じになってしまいます。
それよりは、人事の人が、会社組織のどの部署に配属すればいいかわかりやすいように、おおざっぱに希望をいうことです。
例えば、
上記のことを強い口調ではっきりというのが良いと思います。
そのうえで、できれば○○製品をやりたいだとか、こういった業種のSEをやりたい等の希望だすと、どの部署に配属すればいいか相手にも伝わり希望が通りやすくなります。
私の同期で入社して新人研修で山奥に配属されたバブル時代の末裔のようなおねーちゃんとか、数人は、割とはっきり希望をいって、下界に戻っていきました。
俺そもそもプログラマじゃないしサーバとかフロントとかフレームワークとか全然知らんのだけど、
一般的にはfizzbuzzって「アルゴリズム的なもの」っていうくくりになるもんなの??
15で割って3で割って5で割るだけだよね??
このくらいの「アルゴリズム的」とされる処理をかかないで終わるプログラマの仕事っていうのが想像できない。
サーバとかフロントとかなんとかを知っていれば割り算できなくても全然仕事になるって感じなのか?
俺いわゆる情報科学的なアルゴリズムは全然疎くて、アルゴリズムの仕事してるとはとても言えないと思ってるけど、
それでもグラフの連結成分探索とか頭捻って転置インデックスみたいな構造思いついて計算量落とすとか、そのくらいはするぞ。
「コードが世界を変える!」とか息巻いてる感じのウェブ系の人たちは全員こんなの小学校の頃にやったよカス、って感じのレベルかと思ってるんだが。
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。